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Fri, 19 April 2024

大統領と軍部の新たな権力抗争時代の始まりか
初の非軍人イスラム系であるエジプト新大統領が
抱える問題とは

エジプト国民は、これまでの世俗派元軍人とは異なる、初のイスラム系大統領の誕生を迎えたとともに、民主化への第一歩を踏み出した。しかし、元ムスリム同砲団で非軍人のモルシ新大統領と、イスラム勢力の台頭を懸念する軍部との間で既に権力をめぐる対立が始まっており、エジプトは新たな不透明な時代に突入したかのようにみえる。

エジプトの主要政治機関

軍最高評議会(軍部)
2011年2月よりムバラク大統領から統治権を委譲されたタンタウィ議長が暫定統治。
国防・安全保障統括機関。
大統領
2012年6月にモハメド・モルシ新大統領誕生。
首相及び閣僚任命権限を有するが、軍部との交渉が課題となっている。
人民議会(国会下院)
第1党は235議席を確保するムスリム同胞団系「自由公正党」。
2012年6月、同党に憲法違反があったとし、軍最高評議会の決定で解散。
最高憲法裁判所
司法権を行使する国の最高機関で、憲法実施の監督機関。エル・ベヘイリ長官。
ムバラク前政権時から続く顔ぶれが多く、軍部と太いパイプを持つ。

エジプト共和国歴代大統領

第1代大統領   1953年~1954年

ムハンマド・ナギブ

元軍人。1952年、青年将校らによって構成された「自由将校団」団長としてエジプト革命を導き、ムハンマド・アリー朝(エジプト王国)を打倒。エジプト王国第34代首相に就任後、初代エジプト共和国大統領に就任した。1954年に首相を辞任した後で大統領職を解任される。


第2代大統領   1954年~1970年

ガマル・ナセル

元軍人、自由将校団結成の中心的人物。ナギブ政権の実効支配者。近代エジプト建国の父とも称される。汎アラブ主義(アラブ民族主義)政策を唱え、1958年、シリアとともにアラブ連合共和国を建国し、初代大統領に就任(1961年に同共和国解消)。第二次中東戦争(1956年「スエズ戦争」)、第三次中東戦争(1967年「6日戦争」)を指揮。1970年心臓発作により急死。首相を辞任した後で大統領職を解任される。


第3代大統領   1970年~1981年

アンワル・アッサダト

元軍人、自由将校団結成の中心的人物。ナセル政権の副大統領。第四次中東戦争(1973年「10月戦争」)を指揮。その後、社会主義的経済政策による市場開放、米国及びイスラエルとの歩み寄り(1978年キャンプ・デービッド合意、1979年エジプト・イスラエル和平条約)を達成するも、1981年イスラム過激派ジハード団により暗殺される。


第4代大統領     1981年~2011年

ホスニ・ムバラク

元軍人、アッサダト政権の副大統領。現代のファラオとも称される。アッサダト大統領の暗殺を受け非常事態宣言を発令し、イスラム主義運動を厳しく弾圧。30年近くにわたる独裁政権の下で親米・親イスラエル路線を継承し、国内の治安安定化を図るも、政治腐敗や貧困など国内問題の根源として批判の対象に。2011年2月、エジプト革命により失脚。



モハマド・モルシ新大統領が誕生

モハマド・モルシ新エジプト大統領の誕生を受け、6月25日、キャメロン首相は書簡で、「モルシ氏による民主化への移行と、安定した新生国家樹立の成功を祈る」と祝辞を述べた。同30日に第5代大統領に正式に就任したモルシ氏は、エジプトにおける「安定した治安、正義、繁栄」を約束し、真の民主化への第一歩を踏み出したと強調。今般の大統領選挙で、イスラム系か旧体制出身者かの選択を迫られたエジプト国民は、前者を選ぶことでこれまでの軍事態勢と決別する意思を表明したのだ。しかし、近代エジプト初の「非軍人イスラム系大統領」の誕生に、国内外では既に懸念の声が高まっている。

軍部とのパワー・バランスに問題

モルシ大統領が直面する第一の問題は、前ムバラク政権崩壊後、国内を暫定統治してきた軍最高評議会からの権限移行である。6月の大統領選挙でモルシ氏が優勢となると、イスラム勢力による大統領職と人民議会(国会)の掌握を懸念した軍政は、土壇場で軍部権限維持の枠組みを再構築してみせた。旧政権時代から軍と癒着関係にある最高憲法裁判所が、本年1月の議会選挙で第一党となったムスリム同胞団系「自由公正党」による憲法違反がみられたとする判断を理由に議会を解散させたのだ。

7月8日、モルシ大統領は、同議会解散宣告を無効とする大統領令を出し、議会の再招集を命じることで、大統領権限移行に第一波を投じた。しかし、9日、軍部は同大統領令の取り消しを要求し、10日、憲法裁は同大統領令を停止。そして11日、モルシ大統領が歩み寄りの姿勢をみせ、憲法裁の決定に従うとの声明を発出するなど、軍との対立激化を回避した格好となった。しかし、大統領側は議会再開に向けた姿勢を崩しておらず、今後、権限をめぐる双方の対立が激化する可能性がある。

イスラム系大統領への懸念

エジプトの少数派コプト教徒(キリスト教系)や世俗派及び女性などは、イスラム教に基づく政策により社会的阻害や差別が拡大するのではないかと不安を隠せない。ムスリム同胞団出身で、自由公正党の元党首でもあるモルシ氏は、内閣には各政党党員や女性の登用を約束するなど、各勢力との融和策を模索しているようだ。しかし、大統領選では同胞団のスローガンである「Islam is the Solution」に基づく政策を実施するときがきたと述べていたこともあり、少数派からの信頼獲得には時間を要するだろう。

また、隣国イスラエルを筆頭に、国際社会もモルシ大統領の外交政策を注視している状況だ。まず、モルシ政権がパレスチナ寄りに傾けば、中東和平交渉はさらに苦境に陥る可能性がある。また、エジプトのイスラム色が強まれば、アラブ諸国における原理主義勢力の台頭を助長することにもなりかねない。

ムバラク前大統領は、もし自身が辞任すれば、イスラム勢力の台頭を許し、エジプトが第2のイランになると警鐘を鳴らしていた。1979年のイラン革命はイランをイスラム国家に回帰させたが、2011年のエジプト民主化革命がエジプトをどのような国家にするかは、依然として未知数である。

Mohamed Morsi

1951年エジプト生まれ。78年カイロ大学修士課程、82年米国南カリフォルニア大学博士課程(工学)修了。82〜85年カリフォルニア州立大学ノースリッジ校にて、また85年以降エジプト・ザガジグ大学にて教鞭を振るう。政界デビューは2000年の人民議会選挙。その後、00〜05年にムスリム同胞団議員団長、11〜12年に同胞団系「自由公正党」党首を務めるが、大統領就任とともに同胞団を脱退し、党首を辞任。夫人との間に子供5人。夫人は自らをファースト・レディではなく、ファースト・サーバント(エジプト国民に支える第一の僕)であるとし、政治的関与は行わないとした。

(吉田智賀子)

 
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