路上生活ゼロを掲げるバーナム政権
弱者に耳を傾ける政治は実現するか
7月20日、いよいよ、アンディ・バナム首相の下で新政権が発足しました。グレーター・マンチェスター市長を9年間務めたバーナム氏は、6月中旬の下院補欠選挙で下院に復帰したばかりです。わずか1カ月あまりで、翌月17日には与党・労働党の新党首に選出され、週明け20日には首相に就任するという、超スピード展開となりました。
かつては閣僚も務めたバーナム氏は、長年にわたって権力を中央から地域・現場へ取り戻すという発想を政治信条中心に据えてきまし。党首選出馬表明後の演説では、その権力の再分配を「英国に必要なサーキット・ブレーカー」と位置づけ、「新しい政治モデル」を築くと訴えました。さて、一体どんな「新しい政治」を見せてくれるのか。筆者も期待を大いに高めました。
就任初日、新首相は官邸前に演台を置く慣例を踏襲せず、マイク1本だけを前にして報道陣やテレビの前の国民へ語りかけました。して、首相就任後の最初の指示として掲げたのは、経済でも外交でもなく、「路上生活(Rough Sleeping)を英国全体で終わらせることでした。「え?」と驚いた人は少なくなかったでしょう。さらに、この日の午前中にはロンドンのホームレス支援団体を訪れ、厨房で食事の準備を手伝いながらスタッフと交流していたことも明らかになりました。
首相は「できるだけ早く、英国全体で」長期の路上生活を終わらせたいと述べ、3億4000万ポンド(約660億円)の追加投資で1200戸の住宅を確保し、少なくとも3000人への包括的な支援を今冬までに始める方針です。ただし今回の施策はイングランドが対象です。住宅・ホームレス政策はスコットランドやウェールズでは地方政府の権限だからです。それでも「英国全体」と語ったところに、この取り組みを全国へ広げたいというバーナム氏の政治的意思が見て取れます。
固定した居住地を持たない「ホームレス」という言葉自体はよく知られています。英国では知人宅を転々とする人や一時宿泊施設で暮らす人なども含む幅広い概念ですが、路上生活は、その中でも路上や公園、車内、建物の軒先など、本来人が暮らすことを想定していない場所で寝起きする状態を指します。ホームレス中でも最も危険な形態とされ、歴代政権はその削減を目指してきました。でも、近年は住宅不足や生活費危機を背景に再び深刻化しています。依存症や精神疾患を抱え人だけでなく、働きながら車中泊を続ける人や家族連れも目立ち、もはや一部の人だけの問題ではなく、英国社会全体の住宅事情を映し出す問題となっています。
バーナム氏はグレーター・マンチェスター市長だった2017年にも「2020年までに路上生活を終わらせる」と宣言し、住居を先に提供したうえで支援につなげる手法や、緊急宿泊制度を導入しました。路上生活者数は2017年の268人から21年には89人まで減りましたが、その後再び増加。「公約を達成できなかった」との批判がある一方、専門家は全国的な住宅不足や生活費危機を踏まえれば、評価できる取り組みだったとみています。
就任演説で首相は「生活費の負担を和らげる施策を示す」とも述べました。実際、電気料金の付加価値税(VAT)を10月からゼロにするほか、来年1月からバス運賃の上限引き下げや、パブ、ライブ音楽会場の事業用資産税を20パーセント削減などを打ち出しています。さらに、高齢者や障害のある人を支える介護・生活支援制度(ソーシャル・ケア)の抜本改革も掲げるなど、生活に密着した課題を政権の重要テーマに据えています。
路上生活を終わらせるには住宅供給や自治体への権限移譲、福祉・医療との連携が欠かせず、実現を疑う声も少なくありません。それでも、就任後の最初の指示としてこの課題を掲げたことは、「人への配慮を政治の中心に据える」とうバーナム政権の価値観を示す象徴的な一歩だったと言えるでしょう。
Rough Sleeping (路上生活)
路上や車内、公園など居住を目的としない場所で寝起きする状態。統計方法は地域によって異なる。イングランドでは、秋のある一夜を選び、自治体やボランティアが路上を巡回して数える「スナップショット調査」による。調査日以外に路上生活を送る人や暴力や搾取を避けるため人目につかない場所で過ごす女性や若者らは把握されにくい。



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小林恭子 Ginko Kobayashi
在英ジャーナリスト。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ(現ジャパン・ニュース)」の記者・編集者を経て、2002年に来英。英国を始めとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。著書に






