Donnerstag, 09 Januar 2014 10:45

高齢者のための臨床哲学
終活は生き方と逝き方を語り合うこと

浜渦辰二

先月、天皇皇后両陛下が火葬を希望されたという記事が新聞などで報じられました。その記事は、最近日本国民の間では、生前に自分の終末期医療や葬儀、相続についての希望を「エンディングノート」に書き記しておく「終活」(就職活動の「就活」ではなく、自らの終末を準備すること)が広まりつつあることに絡めて、両陛下が下されたご判断を「時代の要請」を意識するものとして評価していました。

2011年には、がんで余命を宣告された父の「終活」の姿を娘がフィルムに収めた『エンディングノート』(砂田麻美監督)というドキュメンタリー映画が話題になりました。日本ではそれ以前から様々なタイプのエンディングノートが売られています。地方自治体の中には、独自のものを作成して、無料配布しているところもあります。

しかし、その項目内容について、ノートによっては性格の異なるものがいろいろと盛り込まれており、同じように1冊の本にまとめてしまって良いものかどうかと考えさせられるところもあります。特に、終末期医療についての希望(生前に本人と関係者が話し合い、合意の上で治療の方向性を共有しておくこと)と、遺産相続に関する希望(死後に読まれるのが望ましいと思われる)は、一緒に扱うわけにはいかないのではと思わされます。

老後

終末期医療のあり方について、日本尊厳死協会はかねてより、延命治療の中止を骨子とする「尊厳死の宣言書(リビングウィル)」の普及に務めてきました。現在の会員数は全国で12万5000人にも上りますが、その中身については疑問視されるところもあります。特に、「自己決定権」を前面に出し、家族にも医師にも相談することなく、自分1人で意思決定をしてリビングウィルを提示するという形が特徴ではあるものの、本人がどこまで医療行為を理解した上で宣言しているのかなど、問題点が多々あることも事実です。

日本ではほかにも、「事前指示書」(ドイツの「事前医療指示書」に近いもの)や簡単な「意思確認書」の提出が一部の医療機関で実施されていますが、上述のリビングウィルも含め、いずれも法的効力は持たないため、それを提示したからといって医師はその希望を守る義務はなく、それに従ったからといって法的訴追を免れるとは限りません。そこで、日本ではこうした文書を法制化しようとする動きも出ています(ドイツでは4年前から法制化されています)。

以上のような状況の中で、私自身、このような問題は専門家間のみならず、市民と一緒に考える必要があるという思いから、様々な研究会やシンポジウムを企画してきました。大阪では5年前から、「高齢社会の中で◯◯を考える」というシリーズ化したシンポジウムで、終末期医療、ホスピス、高齢者施設での看取り、死生観、人工栄養、認知症のターミナルケア、リビングウィルと事前指示書、食、在宅ホスピス、地域ケア力といったテーマを取り上げてきました。また、それに関連し、『大切なあなたに伝えておきたいこと(ファミリー・リビングウィル)』という冊子の作成にも協力しています(「DeJak-友の会」の会員専用サイトからダウンロードできます)。

そこでは、自己決定を中心に据えたリビングウィルではなく、「自律と連帯」(前号参照)の中で、ファミリー(法律的な狭い意味の家族ではなく、親しい人・愛する人の繋がり)との話し合いによる「ファミリー・リビングウィル」の重要性を共に考えています。このような方法で自らの「生き方」と「逝き方」について、親しい人々や愛する人々と語り合っておくことこそが、本当の「終活」なのだと思います。

 

関連ドイツ語
(m)男性名詞、(f)女性名詞、(n)中性名詞
浜渦辰二
静岡大学で17年間教鞭を執った後、大阪大学にて倫理学・臨床哲学を講義。現在は「ケアの臨床哲学」と題する研究会(専門の方々と市民の対話の場)を続行中で、この4年ほど「超高齢社会の中で◯◯を考える」というタイトルで、終末期医療、ホスピス、看取り、人工栄養、リビングウィルなどについて考えている。10月から12月末まで、交流協定に基づく交換講師としてハイデルベルク大学の教壇に立っている。

最終更新 Montag, 20 Mai 2019 17:18