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ミュンヘンのビールは不味かった!?

世界的に有名なビールの都ミュンヘン。でも、一昔前までミュンヘンのビールは不味かったってご存知でしたか?

中世ドイツのビール醸造の中心は、北ドイツだったのです。北ドイツがハンザ同盟と貿易で栄えた当時、整った職業組合の下で造られるビールは重要な輸出品でした。長時間の輸送にも耐えられるよう、麦芽の風味が重厚で、アルコール度数は6 ~7.5%と高めのビールは大変評判が良く、北はスウェーデンやロシア、南はオーストリアまで輸出されていました。特にハノーファー市の南50kmに位置するアインベックは、独特の醸造方法によって美味しいビールが造られることで有名でした。

世界中の人に愛されるミュンヘンのビール
世界中の人に愛されるミュンヘンのビールは、
先人たちの品質へのこだわりと努力の結晶です

一方、ミュンヘンを中心とするバイエルンでは、意外なことにワインが飲まれていたのです。ぶどうが収穫できる気候なら、ワインを造る方がビールを醸造するよりも簡単です。そう考えると、ドイツの中でも南に位置するバイエルンでワインが飲まれていたというのは、当然のことかもしれません。その頃の当地のビールといえば、コスト削減のために松の皮や家畜の胆汁などを入れたり、水増しをしたりと、今では考えられないような粗悪品が横行していました。

そこで、バイエルンのビール品質向上のために立ち上がったのが赤髭皇帝として知られるフリードリヒ1世。1156年に「アウグスブルク市条例」を公布し、質の悪いビールを造ったり、量を偽って販売した業者に罰則を課しました。1447年にはミュンヘン市参事会もビールの品質に関する条例を公布。そこには、「ビールは大麦とホップと水のみで造られるべし」と書かれていました。これがご存知、1516年発令の「ビール純粋令」の雛形となり、それ以降ビールの品質は格段に向上しました。

バイエルンにアインベックのビールが持ち込まれたのは16世紀半ば。貴族たちはたちまちこのビールの虜になり、こぞって買い求めるようになります。宮廷でも愛飲されるようになったのですが、次第にビール消費が財政をミュンヘンのビールは不味かった!?圧迫し始めました。そこで時のバイエルン王ヴィルヘルム5世は、1589年に宮廷醸造所ホフブロイハウスを創設し、アインベックを真似たビールの醸造を始めます。前回ご紹介したミュンヘンのホフブロイハウスは、このような背景の中で誕生したのです。

「アインベックのビール」は、いつしかバイエルン訛りが混ざって「ボックビール」と呼ばれるようになります。ボックビールのラベルには角を突き合わせた雄山羊のイラストが描かれていることが多く、「雄山羊(ボック)のように強いビール」と思われがちですが、実はアインベックが訛ったものなのです。

その後、1618~48年の30年戦争でアインベックはビール醸造が困難なほどに破壊されました。一方、ミュンヘンではぶどう畑が致命的な損害を被り、以後ビール醸造が主流になったというわけです。ビールからドイツの歴史を探索するのも面白いですよね!

最終更新 Freitag, 11 November 2011 17:03  
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