地の果てまで追われるナチス戦犯

Montag, 03 September 2012 00:00

ナチス・ドイツによるホロコーストに加担したとして、反ユダヤ活動監視団体が最重要戦犯に指定しているラスロ・チャタリ容疑者が2012年7月18日、ハンガリーのブダペストで検察当局によって身柄を拘束された。拘束当時、容疑者は97歳。戦後60年以上が経った現在でも、その罪を問われ続けるナチス戦犯とは?

戦後も続く、日本と近隣諸国の軋轢

2012年8月15日、日本は終戦から67年を迎え、日本では民主党政権の発足後初めて、松原仁国家公安委員長と羽田雄一郎国土交通大臣が靖国神社を参拝した。その一方で韓国では、李明博大統領の竹島視察に続き、歌手キム・ジャンフンを中心としたグループが韓国東岸の竹辺港から竹島へ水泳リレーを実行。中国からは香港の活動家14人が尖閣諸島の魚釣島に不法上陸した。このように、歴史に対する日本と近隣諸国との緊張関係は続いている。

戦争犯罪とナチスの犯罪

日本の戦争犯罪と戦後賠償をみてみると、戦争犯罪については、各国の軍事裁判の判決を受け入れたこと、戦後賠償については、日本と各国との間で条約・協定等が締結、履行されたことで償われており、国際法上はすでに決着していると考えられている。

一方、ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判は、戦時以外のナチスによる迫害や残虐行為を裁くための効力を持っていなかった。そのため、第2次世界大戦でのドイツ軍による戦争犯罪とナチスのユダヤ人迫害は、分けて考えられている。そして、ドイツ人自らがナチスの行為を犯罪としてドイツの裁判所で裁くことこそが、ドイツ民主主義の再生にとって意義があると考えられてきた。そして、ナチスの犯罪に対し、常に過去を償う姿勢を見せることによって、周辺諸国の信頼を回復してきたのである。

ナチス犯罪への認識の変化

ナチスの人種政策によって最も大きな被害を受けたのはユダヤ人で、ドイツ、ソ連、ポーランドなど20カ国に住んでいた830万人のユダヤ人の内、72%に相当する約600万人が殺害された。しかし終戦直後のドイツでは、責任者の処罰を求めることについては強い意志が示されていたが、自国民に対するホロコースト(ユダヤ人虐殺)などの犯罪行為は戦争犯罪とみなされていなかった。

1949年に建国された西ドイツの初代首相コンラート・アデナウアーは、所信表明演説の中でようやくドイツ人犠牲者への援助に触れたものの、ユダヤ人への賠償には触れていない。その後、1952年に同首相が「ルクセンブルク合意書」に調印し、ホロコーストの生存者約50万人が住んでいたイスラエルとイスラエル国外に住む被害者を代表する機関に対して賠償を開始。1970年、当時の西ドイツのヴィリー・ブラント首相がポーランドの首都ワルシャワのゲットーにあるユダヤ人追悼碑の前に膝まずいたことで、政治的な謝罪を大きくアピールするに至った。

強制収容所地図
www.ns-gedenkstaetten.de
強制収容所は、一部が当時の姿のままに保存され、一般公開されている。一般公開されているドイツの強制収容所は、上記のサイトで確認できる。

民間レベルでの取り組みとしては、2000年、約6400社のドイツ企業が政府とともに、戦時中に強制労働などの被害にあった市民のため、賠償基金「記憶・責任・未来(Erinnerung, Verantwortung, Zukunft)」をベルリンに創設。また、プロテスタント教会系のNGO「償いの証(Aktion Sühnezeichen Friedensdienst)」では、強制収容所に入れられて健康を害した高齢者の介護や、博物館として遺されているポーランドやチェコの強制収容所の修理を行っている。このように、ドイツの過去を償う姿勢は、敗戦直後から年月を経るにつれて進化していったのである。

ドイツでは、積極的に過去と対決する姿勢を見せることによって周辺諸国の信頼を回復してきた。そして、「ドイツ人はナチスとは異なる」という認識を周辺諸国に周知することによって、歴史が現在の政治や経済に影響を及ぼすリスクを減らす狙いがあったことも事実である。陸続きのヨーロッパ外交を迫られるドイツならではのしたたかさとも言えるだろう。

「ナチス・ハンター」 の異名を持つ機関が活動中

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

西ドイツ政府は1979年、悪質な殺人に関しては時効を廃止した。そのため、ナチス戦犯は生きている限り捜査の対象となる。ここで言う悪質な殺人とは、周到な計画に基づき、悪意を持って実行する謀殺のことである。


ナチス犯罪追及センタールートヴィヒスブルクの「ナチス犯罪追及センター
(Zentrale Stelle der Landesjustizverwaltungen zur Aufklärung nationalsozialistischer Verbrechen)」

ドイツの検察庁は、ナチスの戦犯に関する情報収集を効率的に行うために、1958年に「ナチス犯罪追及センター」を設置した。この施設は2000年に閉鎖されたが、個々の検察庁は具体的な情報があれば捜査を行う。


ユダヤ人迫害記録センターの資料サイモン・ヴィーゼンタールがウィーンに設立した
ユダヤ人迫害記録センターの資料

ナチス・ハンターの役割を担う組織や機関は、ドイツ国外にも存在する。今回、ラスロ・チャタリ容疑者の情報を提供したのは、反ユダヤ活動監視団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」で、米ロサンゼルスに本拠を置く。この団体は、定期的にナチス戦犯のリストを公開している。


用語解説

ジェノサイド Völkermord, Genozid

1つの民族、人種、国家、宗教などの構成員を抹殺する行為のこと。異民族の国外強制退去による国内の民族浄化や、民族、文化、言語、宗教の強制的な同化政策による文化や宗教の抹消等、特定の集団とその構成員の抹殺を意味する。ドイツのホロコースト(ユダヤ人虐殺)に使われたため、一般には大量虐殺の意味で使われることが多い。

<参考>
■ FOCUS Online “NS-Verbrecher Nazi-Jäger veröffentlichen neue Liste” (30.04.2008)
■ Simon Wiesenthal Center:www.wiesenthal.com
■ 「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」熊谷徹(高文研01.04.2007)
■ Wikipedia.org “ドイツの歴史認識”

藤田さおり(ふじた・さおり) 法政大学経営学部経営学科卒業。ニュルンベルク在住。スイスの日本人向け会報誌にて、PCコラムを執筆中。日本とドイツの文化の橋渡し役を夢見て邁進中ですが、目下の目標は、ドイツの乳製品でお腹を壊さないようになること。
最終更新 Dienstag, 04 Juni 2019 17:14