マレーネ・ディートリヒの美に酔って

8 Mai 2020 Nr.1121
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ブンデスプラッツ駅から徒歩10分、シュトゥーベンラウフ通りに面したシェーネベルク第3市営墓地を訪ねるのは久々だった。広い墓地は春の穏やかな光を浴び、ベンチでくつろいでいる人もいる。この墓地の一番奥に、女優マレーネ・ディートリヒ(1901-1992)のお墓がある。ふと、10年前にここを訪れた時の記憶がよみがえってきた。

「映画で歩くベルリン」という雑誌連載を持っていた当時、編集部を通して読者から連絡が届いた。神奈川県藤沢市在住の高橋暎一さん。熱狂的なディートリヒのファンである高橋さんが、妻の智津子さんと近々ベルリンでディートリヒゆかりの場所を巡るというので、私にガイド役を依頼してくださった。

2010年7月、私は高橋さん夫妻とシェーネベルク地区にある生家やお墓、映画博物館などをご一緒した。その時に大女優との「なれ初め」を伺った。1933年生まれの高橋さんは、終戦翌年ふと入った映画館でこの銀幕の美女に一目惚れした。エルンスト・ルビッチ監督の映画「天使」だったという。「当時13歳だった私は、英語を勉強して、ディートリヒに手紙を送ろうと思いました。でも、映画雑誌に公表されている住所に送ってもなしのつぶて。そんな時、米国のタイム誌の記事で彼女がラスベガスでショーを行うと知り、宛先に『ミス・ディートリヒラスベガス』とだけ書いて送ったら、なんとサイン入りポートレートが届いたんです」

ディートリヒから高橋さんに送られた手紙やポートレート
ディートリヒから高橋さんに送られた手紙やポートレート

粘り強くファンレターを送った高橋さんのもとに、やがて直筆の返事が届くように。最大のハイライトは1970年にやってくる。大阪万博に合わせて、ディートリヒの初来日が実現したのだった。智津子さんが万博で働いていた関係で貴重なチケットを入手し、当時単身赴任していた東京から赴いた。「花はどこへ行った」など数々のヒットナンバーを歌った夢のようなショーの後、招待者の一人ひとりに握手をしてくれた。ついに憧れの人の前に立った高橋さん。これまでやり取りした手紙をディートリヒに見せると、「あなたね! この人、古くからの友だちよ」とそばの人に叫ぶなり、高橋さんを強く抱きしめたという。唖然とする周囲の人たち……。「人生で最高の瞬間でした。でも、『あなた、明日もいらっしゃいよ』と言ってくれたのに、『明日は会社があるので』と思わず口から出てしまって」と懐かしそうに笑う。

生粋のベルリンっ子ながら、ナチを嫌ってアメリカに亡命。自己への信念を貫き通した女優だった。そんなディートリヒとの手紙のやり取りは、パリでの晩年に至るまで続いた。

久々に智津子さんにご連絡したところ、近況が届いた。「夫は間もなく87歳で、少しずつ記憶が失われています。でも、体調が良くない時にディートリヒのCDをかけると、パッと明るく元気になるんです。私はその笑顔と前向きな性格に助けられています」。

マレーネ・ディートリヒのお墓の前の高橋暎一さん(2010年撮影)
マレーネ・ディートリヒのお墓の前の高橋暎一さん(2010年撮影)

お墓参りをご一緒した時のことだ。近くの花屋で花を買い、マレーネ・ディートリヒの墓に花を供える時の、感慨深げな高橋さんの表情を思い出した。

インフォメーション

シェーネベルク第3市営墓地
Friedhof Schöneberg III

シェーネベルク地区フリーデナウにある市営墓地。1881年に当時のハンブルク広場に面して造られた。マレーネ・ディートリヒの近くには、その母ヨゼフィーネ・フォン・ロッシュのお墓もある。ほかにも、写真家のヘルムート・ニュートン、作曲家のフェルッチョ・ブゾーニなど、多くの文化人が眠る墓地として知られる。

オープン:月曜~日曜8:00~18:00 ※時期によって異なる
住所:Stubenrauchstr. 43-45, 12161 Berlin

映画・テレビ博物館
Museum für Film und Fernsehen

ドイツ・シネマテークが運営する、ドイツの映画とテレビの歴史を紹介する博物館。特にマレーネ・ディートリヒのコレクションは充実しており、この不世出の女優の衣装やトランク、手紙など数々の遺品が展示されている。毎年2月に行われるベルリン国際映画祭のメイン会場は、現在マレーネ・ディートリヒ広場の名で呼ばれる。

オープン:水曜~月曜10:00~18:00(木曜は~20:00)
住所:Potsdamer Str. 2, 10785 Berlin
電話番号:030-3009030
URL:www.deutsche-kinemathek.de