出会いの場としてのボンヘッファー・ハウス

1 August 2025 Nr.1247
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20世紀を代表するキリスト教神学者、ディートリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)の家族が住んでいた家が、ベルリンに記念館として残されている。知人がガイドをしていると前から聞いており、お願いすることにした。戦後80年、そしてボンヘッファー没後80年の今年にぜひ行ってみたい場所だった。

ボンヘッファー・ハウスに展示されているグランドピアノとパネルボンヘッファー・ハウスに展示されているグランドピアノとパネル

7月頭の平日、ヘーアシュトラーセ駅から住宅街を10分ほど歩くと、通りの端にその家が見えてきた。チャイムを押して中に入ると、イングリッド・ポートマンさんが迎えてくれた。実はこの日、小学生のグループを案内するというので私も混ぜてもらうことになったのだが、彼らの到着が遅れるというので、先に少し案内していただく。

メインルームには9枚のモノクロのパネルが壁に掲げられているが、説明は一切ない。少し不思議に思っていると、イングリットさんがこう話してくれた。「ボンヘッファー・ハウスは博物館ではありません。施設の名称に記されているように人々の『出会いの場』です。それはこの場所の成り立ちにも関係しています。まだベルリンの壁があった1980年代、それまでベルリンになかった抵抗運動のセンターをここに作ることになり、東ベルリンの人たちも関わりました。ボンヘッファーと親交があった東独のアルブレヒト・シェーンヘア牧師は、東の人たちと短期ビザでここに来て、パネル制作に携わったのです」

ボンヘッファーが仕事場として使っていた書斎ボンヘッファーが仕事場として使っていた書斎

ボンヘッファーは1930年代初頭、ミッテ地区のシオン教会で牧師補として堅信礼教育に携わっていた。この教会はその後東独に属したが、彼の信仰は東側でも生き続けていたのだろう。

やがて5~6年生ぐらいの子どもたちが部屋に入ってきた。元教師のイングリッドさんは、子どもたちに分かりやすい言葉で語りかける。「ディートリヒ・ボンヘッファーは、『あらゆる人は神の子であり、平等である。決して差別されることがあってはならない』と信じていました」「ディートリヒの父、カールは自分の子どもたちにいつもこう諭していました。『思いつくままに話すのではなく、しっかり考えた上で、人と話しなさい』と」。

この家は1935年にカールとパウラ夫妻の老後の家として建てられた。息子のディートリヒは当時すでに告白教会の活動をしており、両親の家に滞在する際は、上階の部屋で仕事をしていた。その部屋には机などオリジナル調度品のほか、彼が所有したのと同じ本が棚にぎっしり並ぶ。1943年4月5日、ディートリヒはこの家でナチに逮捕されたのだった。

ボンヘッファーの思想は決して易しくないし、私のように信徒でない人間、まして子どもならなおさらだろう。イングリッドさんによるワークショップはまだ続きそうなので、途中で失礼したが、まず「出会う」ことを主眼にしたこの場所のコンセプトには共感した。「Alle Menschen sind gleich」(全ての人間は平等)という戦後民主主義社会の基本理念があちこちで揺らいでいるなか、ボンヘッファーという人をあらためて知ろうと思った。

インフォメーション

ボンヘッファー・ハウス Bonhoeffer-Haus Berlin

ディートリヒの両親カールとパウラがそれぞれ1948年と1951年に没した後、一時期は学生寮として使われていたが、1987年に「記憶と出会いの場所」としてオープンした。土曜にドイツ語と英語のガイドツアーが開催されており、下記HPから事前申し込みが必要。最寄りはS バーンのHeerstraße駅。

オープン:土10:00よりドイツ語によるツアー、11:00より英語によるツアーが開催
住所:Marienburger Allee 43, 14055 Berlin
URL:www.bonhoeffer-haus-berlin.de

『ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想』

キリスト教神学者でありながら、反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画にも加わり、終戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー。その生涯と思想を知る上でおすすめの1冊。私にとっては浪人時代、予備校の現代文の教師に紹介された思い出の本でもある。2019年に岩波現代文庫に入り、手に取りやすくなった。

著者:宮田光雄
発行元:岩波書店