2000年の12月だったと思う。私がベルリンに住み始めて当時まだ2カ月。出会う人は多い一方、大都市特有の人間関係の希薄さに慣れず、いくらかホームシックになりかけていた頃だった。日本学を勉強していたあるドイツ人の友人が、「アーセナルという素晴らしい映画館で、ちょうど溝口健二の回顧展をやっている」と教えてくれた。
「Silent Green」で再オープンしたアーセナル映画館
「溝口健二?観たことないな」と思いつつも、当時の住まいからほど近い、ポツダム広場のビルの地下に降りて行った。溝口監督の「赤線地帯」(1956年)という作品だったと思う。観客はまばらだったが、溝口の古いモノクロ映画に、未来都市のようなベルリンの映画館で出会ったことに、私は一人興奮していた。
それからアーセナル映画館によく通うようになる。欧米の名画も多く観たが、やはりここで出会う日本映画は格別だった。忘れ難いのは、小津安二郎の生誕100周年の2003年、彼の全作品が上映された時のことだ。地元の観客で連日熱気に包まれ、小津を慕うヴィム・ヴェンダース監督も訪れていた。私にとって、映画を通して世界を知り、日本を再発見させてくれる特別な場所となる。
2025年初頭、ポツダム広場を通ったら、アーセナルはただの空き店舗になっていた。前年末で賃貸契約が終了したためと知り、私は思い出の場所が消滅したような空白感を覚えた。
が、アーセナルは無くなったわけではなかった。1年ほどは「Arsenal on Location」として上映活動を続け、この春、ヴェディング地区についに再オープンした。7月頭の土曜、この新しい場所で映画を観ようと思い立った。
U9のレオポルド広場駅で降り、住宅街をしばらく歩くと、煙突のある独特の建物と共に、懐かしい「Kino Arsenal」の文字が見えてきた。実はここはかつての火葬場。近年、複合文化施設として再生した「Silent Green」の西ホールが、映画館になったのである。
広々とした映画館のロビー
アーセナルは、単なる名画座ではない。正式名称は「Arsenal Filminstitut」といい、映画館、アーカイブ、キャンパスなどを含め、毎年2月にはベルリン国際映画祭のフォーラム部門も担う。映画文化を研究・紹介するこの重要な機関が、それまでは分散していた機能を一つの地域に集約したのは意義深い。
真新しい受付で10ユーロのチケットを買い、ホールに入る。座席数は169席で、8mmのアナログ映画から4Kデジタル、さらにドルビーアトモス(立体音響)まで対応しているそうだ。
この日観たのは、シャンタル・アケルマン監督の「一晩中」(1982年)。眠れない人たちや街をさまよう男女が、カフェやバーで織りなす出会いと別れを断片的なシーンでつづった詩的な作品だ。
外に出ると、小雨がぱらついていた。考えてみれば、アーセナル映画館も、ベルリンの街の変容と共にさまよいながら、この場所にたどり着いたのかもしれない。中心部からは少し外れるが、交通の便は思ったほど悪くない。また通うことにしようか。
アーセナル映画館
Kino Arsenal
1963年に、ウルリヒ&エリカ・グレゴール夫妻によってドイツ・キネマテーク友の会として発足。1970年にシェーネベルク地区に最初の常設館を持ち、2000年にポツダム広場に移転、2025年5月ヴェディング地区に三度目となる映画館がオープンした。1971年からはベルリン国際映画祭のフォーラム部門を担い、新しい映画作家や先端的な作品を紹介し続けている。
住所:Plantagenstr. 30, 13347 Berlin
電話番号:030-26955-160
URL:www.arsenal-berlin.de
サイレント・グリーン
Silent Green
ヴェディング地区にある複合文化施設。1912年にベルリン初の火葬場としてオープンし、2001年まで使用された。2015年からの改修工事を経て、現在は音楽や映画、視覚芸術をテーマにした文化施設として生まれ変わっている。ドーム型のクッペルハレでは、定期的にコンサートが開催される。レストラン&バー「MARS」も併設。
住所:Gerichtstr. 35, 13347 Berlin
電話番号:030-1208221-0
URL:www.silent-green.net
