クーダムの地下世界をのぞいて

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数カ月前、ベルリン西地区の目抜き通りクーダム207-208番地の商業ビルが、来年秋に取り壊されるという記事が新聞に掲載された。このビルの中には劇場のほか、「ザ・ストーリー・オブ・ベルリン」という私営の博物館がある。その中に以前から一度見ておきたいと思っていたものがあり、秋も深まって来たある日の午後、足を運んでみた。

地下鉄U1ウーラント通り駅から近いKu'damm-Karreeというビルは、ファサードの老朽化が目立つ。内部も空きテナントが多いようだ。寂しげに、静かに解体の時を待っているようにも感じられる。が、博物館の入り口前は高校生くらいの生徒たちでごった返し、賑やかな声が響き渡っていた。この博物館は、学校の課外授業先として人気があるようだ。

核シェルター
クーダム207-208番地の地下にある核シェルター

「ザ・ストーリー・オブ・ベルリン」は、ベルリンの800年に及ぶ歴史を20以上のブースに分け、マルチメディアを多用した展示が特徴。一通り見終わった後、見学ツアーの所定の時間に入り口で待っていると、いつの間にかたくさんの人が集まった。

ガイドに率いられてぞろぞろと歩き始め、出た先は建物の駐車場。細い階段を下りてたどり着いた場所には、Dusche(シャワー室)と書かれている。クーダムの真下にドイツ最大規模の核シェルターがあることを、日常生活の中で意識することはそうないだろう。この核シェルターの内部見学は、博物館のもう1つのハイライトになっている。

東西冷戦時代の1973~74年に掛けて、建物の地下駐車場を利用してこのシェルターは造られた。核攻撃による有事を想定して造られた、当時の西ベルリンに16あった避難施設の1つで、全部の施設を合わせると約2万4000人の収容が可能であった。もっとも、これは当時の西ベルリンの人口の約1%に過ぎない。これらのシェルターに入れるのは「早い者勝ち」。身分も社会的地位も関係ない。定員に達した時点で、入り口の重い扉が閉じられるようになっていたという。

放射能で汚染された服を脱ぎ、除染するためのシャワー室を過ぎると、3592人を収容できるというシェルターに入る。青白い光で照らされ、奥の方まで見通せない広さ。そこに3段式のベッドがぎっしりと並ぶ。

窮屈そうな上、収容時は立ったり周りを歩いたりすることさえ「許可」がないとできない。非常用発電や換気装置、食料などについての説明を受ける。この中では最大14日間生活できる備蓄があるという。パニックが起きた際は、大きな部屋が扉によって2つに区切られるそうだが、もはや想像したくない世界である。

30分近く入っていた、暗く淀んだ地下からようやく地上に上がった時の感想は、ただ「空気がうまい!」だった。

ふと、昨年のベルリン国際映画祭で観た、船橋淳監督の『フタバから遠く離れて』というドキュメンタリー映画を思い出した。あの映画に出ていた福島県双葉町の人たち、故郷の空気を思い切り吸い込むことが突如叶わなくなってしまった人たちは、今どういう生活を送っておられるのだろう。

建物の再建に当たって、このシェルターを取り壊すという報道もあるが、実際のところはよく分からない。夕方に差し掛かったクーダムの街路樹は黄金色に輝き、西日が落ち葉を照らしていた。

インフォメーション

ザ・ストーリー・オブ・ベルリン
The Story of Berlin


ベルリン 発掘の散歩術

1999年にオープンした私営の歴史博物館。13世紀の都市の起源から壁の崩壊まで、ベルリンの歴史を豊富なマルチメディア資料を通して体感できる。言葉が理解できなくても楽しめる作りになっているのが特徴だ。地下の核シェルター見学ツアーは、通常1時間ごとにドイツ語と英語のガイドで交互に行われている。

オープン: 月〜日 10:00〜20:00
住所: Kurfürstendamm 207-208, 10719 Berlin
電話番号: 030-887 20100
URL: www.story-of-berlin.de

「ベルリンの地下世界」協会
Berliner Unterwelten e.V.


ベルリン 発掘の散歩術

ベルリンの地下世界を研究し、資料の整理や遺構の保存を目的とする協会。戦時中の防空壕や高射砲塔など、知られざる世界を巡る様々なツアーを定期的に行っている。同団体の設立者、ディートマール・アルノルト氏の『ベルリン地下都市の歴史』は、東洋書林より邦訳が刊行されている。

住所: Brunnenstr. 105, 13355 Berlin
電話番号: 030-499 10518
URL: http://berliner-unterwelten.de