ケーテ・コルヴィッツと戦争体験

4 März 2016 Nr.1021
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西側の繁華街、クーダムから一歩入ったファザーネン通りにあるケーテ・コルヴィッツ美術館がこの春オープンから30周年を迎える。1月末に行われた記念行事に足を運ぶと、そこは和やかな雰囲気に包まれていた。

私はそこで1枚の写真に出会った。1914年の第1次世界大戦の開戦直後、出兵するドイツの志願兵の若者たちを捉えた写真だ。説明文の表記を借りるならば、「怠惰な平和」に飽き飽きしていた彼らの表情は、戦場での日々を前にして高揚と陶酔に包まれているように見える。コルヴィッツの息子のペーターも、その無数の若者の中の一人だった。

人生には節目が付き物だが、版画家・彫刻家のケーテ・コルヴィッツの節目は疑いもなく1914年であり、美術館の展示もこの年の前と後とに分けられていた。

母と2人の子
1932年から36年にかけて製作されたコルヴィッツの石膏像「母と2人の子」

1891年、医師のカール・コルヴィッツと結婚したケーテは、新興住宅街のプレンツラウアー・ベルク地区(現在のコルヴィッツ広場付近)に移り住んだ。ケーテは夫のもとに診療で訪れる労働者や社会の最下層にいる貧しい人々に温かいまなざしを寄せ、彼らを芸術の主題にしようと決める。この時期の代表作として、ゲルハルト・ハウプトマンの戯曲『織匠』をもとにしたリトグラフの連作が展示されていた。19世紀半ば、シレジア地方で過酷な生活を背負わされていた織匠たちが、解放を求めて立ち上がった事件をもとに描いた作品だ。2人の息子にも恵まれ、ケーテの一家は幸せな日々を過ごしていた。

第1次大戦開戦のわずか1週間後、ケーテは息子ペーターがフランドルで戦死した一報を受け取る。「なぜ息子は死んだのか。なぜ出兵をとどまらせることができなかったのか」。ケーテはその後の人生を通してずっとこの問いと後悔の念に苛まれ続けることになる。

そして息子の死を機にケーテの作風が変わり、エッチングから太く粗野な線を主とする木版画を多く描くようになる。愛する家族を失い、悲嘆にくれる母親とその周りの子どもたちを描いた「戦死Gefallen」(1920年)や7作から成る連作「戦争Krieg」(1921-22年)など、戦争が生み出す身も蓋もない残酷さを直裁的に描いた表現が心に突き刺さる。

最上階には、コルヴィッツの代名詞となる彫刻作品が収められている。「もし生まれ変わったら、私はもっぱら彫刻に取り組みたい」。彼女は晩年こう口にしたという。ナチスの台頭により、すでにコルヴィッツは製作の自由を失っていたが、死んだ息子を抱きかかえる「ピエタ」などの作品により、自らの憤りと悲しみを立体作品に昇華させたのである。第2次世界大戦では孫を戦地で失い、ドイツの終戦直前の1945年4月末に彼女は77歳で世を去った。

邸宅
19世紀後半の古い邸宅の中にあるコルヴィッツ美術館

規模は小さいながらも、19世紀の古い邸宅を利用したスペースの中で味わうコルヴィッツの作品は忘れがたい印象を残す。30年もの間、この小さな美術館が市民と行政の情熱と愛情により育まれてきたことは、ベルリンの誇りの一つといえよう。

インフォメーション

ケーテ・コルヴィッツ美術館
Käthe-Kollwitz-Museum

1986年5月、画家・画商のハンス・ペルス=ロイズデンにより設立された私営美術館。彼が長年収集してきた100 点以上のコルヴィッツの素描、グラフィック作品が展示の中心。今年は開館30周年を記念して、コルヴィッツが所属していたベルリン分離派や、ケルンにあるコルヴィッツ美術館のコレクションなど、いくつかの特別展が開催される。

オープン:月〜日11:00〜18:00
住所:Fasanenstr. 24, 10719 Berlin
電話番号:030-8825210
URL:www.kaethe-kollwitz.de

新衛兵所
Neue Wache

目抜き通りのウンター・デン・リンデンにあるかつての衛兵所。1993年以降、戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツの中央記念碑になっている。内部には、コルヴィッツが第1次世界大戦で失った息子のペーターを念頭に置き、1937年に製作した「ピエタ」(死んだ息子を抱きかかえる母)のレプリカが置かれている。

オープン:月〜日10:00〜18:00
Unter den Linden 4, 10117 Berlin