アレッポ商人の応接間に 笑みが戻る日は

4 November 2016 Nr.1037
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ペルガモン博物館2階のイスラム美術の展示はこの部屋から始まる。背の低い入口から入ると、T字型の部屋の9面の壁に隙間なく描き込まれた赤地の装飾に目を奪われた。次々とやって来る世界中からの客人も、イヤホンガイドを聞きながら、静かに感嘆の声を上げている。

「アレッポの部屋」
ペルガモン博物館の中にある「アレッポの部屋」

通称「アレッポの部屋」。1601 年頃に裕福なシリア商人が当時オスマン帝国領内だったアレッポのキリスト教地区に造らせたものだ。その商人イーサー・ブン・ブトルス(アラビア語で「ペトロの息子イエス」の意)はキリスト教を信仰し、当時世界有数の商業都市だったアレッポで仲介業を営んでいた。同じ宗教を信仰することで親近感を抱かせたのだろう、彼には欧州からの顧客が多かったようだ。

部屋の保存の関係上、ガラス越しにしか内部を見学できないが、目を凝らすと中央の扉の両側に描かれたキリスト教をモチーフにした絵が見える。この部屋で特に興味深いのは、「聖母マリアとその子」「最後の晩餐」「ヘロデの前で踊るサロメ」といったキリスト教のモチーフが、イスラム写本芸術の様式で描かれていることだろう。この種の壁装飾としては、現存する最古のものだそうだ。イーサー・ブン・ブトルスは、友人や親戚だけでなく、商人仲間や教養ある人々もここに招き入れた。「異なる宗教を信仰する人々が、この部屋でくつろぎを感じられればと彼は考えたのでしょう」という日本語オーディオガイドの説明や、ここに彫られた碑文の一節「神は寛容な者と共にある。寛容な者は寛容を享受する」という言葉から、当時のアレッポの雰囲気に想いを寄せた。

部屋を出ると、現実のシリア、アレッポと向き合わなければならない。そこにはもともとこの壁装飾が置かれていた建物「ベイト・ワキル」周辺の空中写真が展示されていた。昨年12月に撮影された写真を見ると、「ベイト・ワキル」のエントランス部分のドームには空爆で大きな穴が空いているのが分かる。この家は1990年代末にブティックホテルに改装され、旅行者も寝泊まりすることができた。あの内戦が始まるまでは……。

現在のアレッポの様子
部屋の前に展示された現在のアレッポの様子

2013年からこの博物館とドイツ考古学研究所は、シリアの文化遺産の膨大なデータをデジタル化するプロジェクトを共同で進めている。将来の復興の際、シリアの公的機関に情報提供することを見据えてのことだ。

この部屋の芸術に触れたばかりの私は、この数年で一体どれだけの人命と希少な文化遺産がアレッポから失われたのか、うろたえるばかりである。ただ、もしいつかこの館が宿として復興する日が来たとしたら、ベルリンの「アレッポの部屋」に刻まれたイーサー・ブン・ブトルスの次の碑文を思い出しながら、朝を迎えてみたいという希望を抱いている。

「わが住まいよ、ここから朝が始まる。笑みを浮かべ、白い歯を見せながら。この部屋でどれだけ幸せな日々を過ごし、ここにこもって学問と芸術に費やしたことか。右手は厄災から守られ、左手には北からの風で冷やされたぶどう酒がある」

インフォメーション

ペルガモン博物館
Pergamonmuseum

ベルリンの博物館島にある博物館(館名の由来になっている「ペルガモンの大祭壇」は現在大規模な修復中)。今回ご紹介した「アレッポの部屋」の壁装飾は、イスラム博物館初代館長のフリードリヒ・ザレが1912年に購入したもの。現在ペルガモン博物館、ボーデ博物館、ドイツ歴史博物館にはシリアとイラクの難民出身のガイドが約20名おり、ドイツに来た難民に出身地域と今住む国の文化と歴史を学ぶ機会を無料で提供している。

オープン:金〜水10:00〜18:00、木10:00〜20:00
住所:Bodestr. 1-3, 10178 Berlin
電話番号:030-266 424242
URL:www.smb.museum


アレッポ
Aleppo

シリア北部にある都市。2011年に始まった政府軍と反政府軍の対立は翌年アレッポに波及し、激しい市街戦によって世界遺産に指定されたスーク(市場)、ウマイヤド・モスクのミナレットを始めとする旧市街は壊滅的に破壊された。10月現在、シリア政府軍やロシア軍の空爆による犠牲者は増えるばかりか、ライフラインは寸断され、都市そのものの存続に関わる危機的な状況に置かれている。