バレリーナ針山愛美さん、バレエと歩んだ半生を語る

21 September 2018 Nr.1082 Nr.1080 文・写真 中村真人

ベルリン国立バレエ団に10年間在籍し、現在も多彩な活動を続けるバレリーナの針山愛美さんが、このたび自著『世界を踊るトゥシューズ』(論創社)を刊行しました。「人生の折り返し地点に差し掛かろうかというときに、これまでの歩みを振り返る機会をいただいた」という針山さん。多忙なスケジュールの合間にベルリンでお話を伺いました。

バレリーナの針山愛美さん
バレリーナの針山愛美さん

1977年、音楽家の両親のもと兵庫県に生まれた針山さんは、物心がついた頃にはバレエとピアノを習っていたと言います。1991年3月、中学1年の春休みにソ連(当時)を訪問する交流プログラムに参加したことが、彼女の人生を変えました。「サンクトペテルブルクの街並みの美しさやマリインスキー劇場で観たバレエに感情が揺さぶられ、どうしてもここでバレエを勉強したいと思った」。中学卒業後の93年夏、16歳の針山さんは単身ロシアのモスクワに旅立ちました。

ここからは信じられないような話の連続です。同年10月3日、「言葉もわからなかった当時、唯一の楽しみだった」というマクドナルドにハンバーガーを食べに行こうとしたら、何十台もの戦車が目の前を連なって行きます。後に「モスクワ騒乱事件」と呼ばれる大規模な政治抗争に遭遇したのでした。ソ連崩壊直後のロシアは、混乱の最中にありました。パンを買うのに1時間並ぶことやシャワーの水が出ないのは当たり前。極度のインフレ、警察とマフィアの癒着……。危険な目に遭ったことも一度や二度ではありません。

しかし、このような社会状況にあっても「すごく幸せな時代だった」と針山さんは振り返ります。100円ぐらいのチケット代で本場のバレエを数え切れないほど観たこと。劇場の華やかさ。物質的には貧しくても、人々の間に助け合いの精神が生きていたこと、等々。

ボリショイバレエ学校を首席で卒業した針山さんは、96年にパリ国際バレエコンクールで銀メダルを受賞。初めてパリを訪れた彼女は西側世界の豊かさに驚き、ロシアを出る決意をします。ここからの奮闘ぶりも本書の魅力の一つです。アメリカでは所属していたバレエ団が倒産する事態に見舞われたことや、引退まで意識した足の故障に悩まされたことも。しかし、前向きな気持ちを失わず、夢に向かって挑戦し続ける針山さんの姿には感銘を受けます。そして2004年、ウラジーミル・マラーホフが芸術監督を務めるベルリン国立バレエ団のオーディションに合格。マラーホフが退任するまでの10年間、実り豊かな時間をベルリンで過ごすことになるのです。

現在マラーホフと世界各地で演出振付に携わるほか、若いダンサーのために国際ワークショップを主催するなど育成活動にも力を入れています。「出会いの一つひとつに意味があり、そのおかげで自分はここに立てている。これからはそのお返しをしたい」と語る針山さん。「世界を踊る」バレリーナの人生は続きます。

『世界を踊るトゥシューズ』の表紙
『世界を踊るトゥシューズ』の表紙