広がり続ける象徴ドレスデンの2月13日

余寒厳しい2月13日は、ドレスデンにとって特別な意味があります。1945年のこの日から3日間にわたり、市民が生活し芸術の宝庫でもあった旧市街中心部に、連合軍による無差別爆撃が行われ、エルベ河岸の古都は一瞬で廃墟と化してしまいました。ちょうどその日は謝肉祭で、子供も大人も祝いの余韻がやまない夜、密集する建物に住んでいた人々の多くが空襲によりその尊い命を落としました。被害者の数はおよそ2 万5000人といわれています。当初、街の端へ運ばれ焼かれていた遺体は、作業が間に合わず、中心部の広場で積み重ねられ焼かれるようになりました。暮らしを奪われた市民たちは、まず、崩れ落ち山のように積み重なっている石や煉瓦を一つ一つ取り除いていくことから復興を始めました。

破壊されたドレスデンの
破壊されたドレスデンの街中心部(1945年)

その後、この歴史的惨劇を、戦争の正当性や東ドイツ政府による西側批判のプロパガンダとして使う動きが生まれました。1990年代以降、国粋主義の拠り所の一つとなります。極右グループが、2月13日の追悼集会を利用してナチズムの犯罪やその犠牲を否定し歴史改変を謳ったり、外国人排斥の発言を行ったりしています。各地に散在する国粋主義グループにとっても、ドレスデン空襲はまた象徴となっているのです。

そういった歴史修正主義に街として反対するため、2010年から「人間の鎖(Menschenkette)」行動が行なわれるようになりました。2月13日に、人々が手をつなぎ旧市街中心部を囲うのです。ナチズムや戦争・憎悪・破壊による犠牲者を追悼し、戦争や暴力、レイシズム(人種差別主義)に打ち勝ち、歴史の忘却に抗って、この日を記憶する試みです。2017年には約1万2000人が集まり、手でつながれた人間の鎖は、エルベ川を越えて新市街にまでおよびました。

まさにさまざまな人々が歴史と現在に向き合うため、一堂に会した瞬間でした。

人間の鎖
ブリュールの テラスに並ぶ「人間の鎖」(2010年)

空襲から73年目となる今年も、人間の鎖を始め、街の至る所で追悼の式典が行われます。個人や街の記憶にとどまらず、政治や報道・芸術においても記憶され続けるドレスデンの2月13日は、広がり続ける象徴ともいえます。日々折り重なる歴史の中で起こった出来事を、個々のイデオロギーによって曲げることなく見つめ直し、考え続けていくべきだと、今を生きる私たちに2月13日は教えてくれているように思います。

「人間の鎖」 2018:https://13februar.dresden.de

勝又 友子
東京都出身。ドイツ、西洋美術への関心と現在も続く職人の放浪修行(Walz ヴァルツ)に衝撃を受け、2009年に渡独。ドレスデン工科大学美術史科在籍。