残されたシュタージ庁舎でたどる旧東ドイツの負の記憶

1 Februar 2019 Nr.1091 文・写真 勝又 友子

今から30年前、ベルリンの壁が崩壊しました。それまで旧東ドイツでは秘密警察(シュタージ)によって諜報活動や市民への抑圧的な取り締まりが行われていましたが、壁の崩壊とともに組織も解体されました。ドレスデンの旧シュタージ庁舎は今日まで保存され、現在に至るまでその秘密活動の解明作業が行われています。保管されていた書類のほか拘置所も含めた建物は現在、一般公開されています。

3階分の旧シュタージ拘置所
3階分の旧シュタージ拘置所

バウツナ-通り記念館という名前のついた旧シュタージ庁舎は、管理部、シュタージの拘置所、ソ連諜報機関が使用した地下刑務所として使用されていました。一番古いのは戦後すぐから1953年まで使用された地下刑務所です。ソ連占領時代、ナチスや戦犯の疑いがある人物を取り調べ拘置するため、木の板が敷かれた監房やシャワー室が地下に設置されていました。当時の面影を残したままのタイル張りの地下は暖房もなく日光も十分に通さず、あまりにも寒々しい場所でした。

そこから地上階へ上がると、吹き抜けで3階分の左右両面にずらりと扉の並ぶ大きな空間に出ます。ここはシュタージの管理する拘置所だった場所です。44の監房やシャワー室や作業室などが当時の様子を再現して展示されています。1953年から1989年の間、主に思想犯の嫌疑がかかった1万2000~1万5000人の囚人たちがここに拘置されていました。反体制的の疑いがかけられると、行先を告げられずこの拘置所に連れて来られたのです。彼らは平均して3カ月の間収容され、精神的苦痛を含む取り調べを受けました。毎日頻繁に部屋が監視されていたため、睡眠障害を引き起こすことも。書くことや手紙など外部との接触は特に厳しく制限されていたそうです。

一つの監房には2名が収容された
一つの監房には2名が収容された

上階には、典型的な東独デザインで整えられた当時の職員の管理棟が再現されています。机上の電話を取ると、1989年の組織解体まで長官だったホルスト・ヴェームが実際に職員に指示した録音音声が聞こえてきます。

東ドイツ時代の面影を残す旧シュタージ長官
東ドイツ時代の面影を残す旧シュタージ長官

1989年秋のベルリンの壁崩壊から革命の波がドレスデンに押し寄せ、12月3日から始まった平和を求める市民のデモはついに5日シュタージ庁舎を囲み、施設開放を成功させました。市民が求めたのはシュタージの解体に加え、これまで行ってきた秘密活動の証拠書類を明るみに出すことでした。市民への抑圧や非公式協力(密告)者をつくった非人間的な体制への抗いが、これ以上繰り返してはならない負の記憶を記念館として残させることにつながったのです。

バウツナ-通り記念館:www.bautzner-strasse-dresden.de

勝又 友子
東京都出身。ドイツ、西洋美術への関心と現在も続く職人の放浪修行(Walz ヴァルツ)に衝撃を受け、2009 年に渡独。ドレスデン工科大学美術史科在籍。