上田聡さんによる東北復興支援写真展「TSUNAMI」

2011年11月18日 ドイツ編集部(高)

3月11日に起きたことを忘れてしまった日本人はいないと思います。

それでも、震災から半年以上が過ぎ、テレビや新聞での報道も減る中、当時の衝撃や焦りは徐々に薄れてきているのではないでしょうか。

距離や時間は言い訳に過ぎないかもしれません。それでも人間の「忘却力」は残酷に、人々の記憶や想いを奪っていきます。

今回ご紹介する写真展「TSUNAMI」では、写真家の上田聡さんが被災地から約1万キロ離れたドイツに、現地の姿を届けてくれました。何度でも、今回の震災を思い出せるように。

今ここでは知りえない現状を目にし、「忘れないことが大切」と語る上田さんの言葉に耳を傾ける機会を得て、故郷の復興を願う気持ちを再び持てたことを「有り難い」と、心から思えるこの写真展は、デュッセルドルフの惠光ハウスで、今週の日曜日まで開催されています。(高)
上田聡さんによる東北復興支援写真展「TSUNAMI」

写真展「TSUNAMI」

基本情報
東北復興支援写真展「TSUNAMI」
期間:11月15日(火)~11月20日(日) 13:00~17:00
入場無料
惠光ハウス
Bruggener Weg 6, 40547 Dusseldorf
www.eko-haus.de

上田さんにインタビュー

岩手県陸前高田市出身の上田聡さん。東京でファッションフォトグラファーとして活動していた彼が、自身の仕事をすべて休止して、故郷のために立ち上がった。震災を通してどんなことを考え、行動してきたのか、その想いを伺った。

上田聡さんのウェブサイト:http://artworkage.com/tsunami/

上田聡さんによる東北復興支援写真展「TSUNAMI」

(高):このところ、ドイツでは福島第1原発の報道以外の日本の被災地の報道がなかなか入ってきません。被災地は今、どんな状況なんですか?

上田さん(以下、上):世界中からの支援のおかげで、ようやく生活の基盤ができてきているという感じです。今、その中でもたいへんな苦労をされている人たちを見分けていかなければならない時期にきています。例えば、家も無事だった、家族も無事だった、でも、だからこそ支援の手が回って来ず、生活がどんどん苦しく、立ち行かなくなってきている人たちがいます。

被災者が求めるものは刻一刻と変わってきています。食料を求める段階を越え、着替えるもの、テレビなど情報や娯楽を得るもの、普通に生活していた頃に求めていたものへと。それでも結局は、いまだ仮住まいなので。そこから、新しい家を自分で建てるのか、どうするのか。

(高):がれきの山は?

(上):今は、かなり撤去されて、もう何もない更地になっています。ただ、そこに何も建てられていない状況。新しい店は全て山の上に建っている状況ですね。

(高):震災前は、ボランティアなどの活動に従事されてた経験はあったのですか?

(上):いいえ。今回のことをきっかけに。ファッション関係の仕事をしていたので、報道写真というものは撮ってこなかったんです。震災後、自分の家に帰れる状態になって、皆さんが探していたものは、写真や、思い出の品だったんです。そこで、「写真て本当に大切なものなんだな」と実感して。だからこそ、写真で現地の姿を残したいし、伝えていきたいと思っています。これから復興に向かって進んでいく姿も含めて。

(高):上田さんの写真を拝見して、その感想を表す適切な言葉を自分が持っていないことに気付きました。それでも、震災は終わっていない。まだまだこれからなんだと、復興を願う気持ちが再び強まったことは確か。私たちに今できることって何でしょう?

(上):ぼくからのメッセージとしては、皆さんに一度是非、被災地を訪れて欲しい。「冷やかしになっちゃうから、行かないし、行けない」という意見もあると思うんですが、まずは行って、現実を感じて欲しい。現地を知れば、まったくの他人事ではなくなるし、報道ではわからない現実がそこにはある。東北の人たちと触れ合って、一緒に復興していこうという気持ちをもっていただけたら嬉しいです。その橋渡しをぼくができればと。写真を見ていただくだけでも、被災地との距離感が少しでも近くなれば・・・・・・。

(高):それはもう、実感しております!

(上):写真はデュッセルドルフに置いていきます。今後の活動に有効に活用していただければ嬉しいです。

(高):地震発生から3日後に東京を出て、2日間かけて仙台へ。日本海側へ大きく迂回して新潟経由での800kmの道のりだったということですが、私はドイツにいながらにして、2日間は放心状態のパニック状態。家族や知人の安否以外に理性的な行動は何もとれなかった・・・・・・。

(上):ぼくも、2日間はそうでしたね。でも弟から留守電が入っていて、それは母が行方不明になっているというメッセージ。その後、何度連絡しても弟と連絡がつかないんで、もう行って確かめるしかない。そう思って、東京を出たんです。

最初は、遺体安置所を回ったり、その時点で確認すべき場所はすべて回ったんです。そうしてしまうと、ぼくにはやることがなくなって。そこで改めて、「ここ、どこだったんだろう?」と回りを観た。変わってしまった自分の故郷を写真を撮ったのも、自分のための記録としてで、誰かに見せようと思って撮り始めたわけではなかったんです。

(高):最初から、被災地の写真を撮って、復興のために役立てようという思いがあったわけではなかったのですね。

(上):そう思えるようになったのは、もっと後ですね。5年後、10年後に、また見てもらえるように記録しようって。この震災の惨状を、忘れて欲しくない。でも、人は忘れてしまう生き物だから。

ぼくは、こういう活動が芽を出していくのはここからだと思っています。半年が過ぎ、長期的な支援を続けていくには、ここからが勝負。ここからが大変。人によっては「今頃なにやってんの?」って言う人もいるかもしれない。

でも、人が忘れてしまっても、被災地の苦しみは終わらない。本当に今からが頑張らなければならない時期なんです。

復興が完全に完了しなくても、みんなが自分の足で立てるようになったら、支援はいらなくなる。そこまでは、全力で支えたいです。そこまでいけたら、今度は世界中の皆さんに「ありがとう」「元気にやってます」という、笑顔の写真を届けたい。

(高):その日が待ち遠しいですね。デュッセルドルフの次は、ロンドン、ウィーン、フィレンツェをまわる予定という上田さん。いつかまた、笑顔が溢れる被災地の写真を持ってきてくれることを、楽しみに待っています。