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Thu, 01 December 2022

先月、トラス首相が就任して45日目で辞任を発表する出来事がありました。首相の打ち出す政策が財政赤字を拡大させるばかりで国民の信任を得られなかったからです。ふと、支配者の横暴による財政赤字に何度も苦汁を飲まされてきた英国の歴史を思い返しました。1614号で、ウィリアム征服王が宥和政策としてシティに住むサクソン人に対して発令した勅許状について触れましたが、その後に起きた歴史の流れを補足したいと思います。

ウィリアム征服王はイングランド全土を占領した後、シティの壁の内側に籠城する商人たちの対処方法を考えていました。結論は、商人を攻め滅ぼすよりも商売をやらせて、高い税金を徴収する方が得策だと。それ以降、歴代の王様は事あるごとに増税や上納金をシティに強要しました。その鬱うっぷん憤が1215年の大憲章マグナ・カルタにつながります。たとえ王様といえども法的根拠のない増税は禁止するという、租税法律主義が制定されました。

1067年のウィリアム王の勅許状1067年のウィリアム王の勅許状

ところがその舌の根も乾かぬうちに、国王は戦争資金として借金を繰り返し、勝てば相手から賠償金を獲得して借金を返すものの、負ければ平然と踏み倒します。マグナ・カルタは1215年、1216年、1217年、1225年、1297年と合計5度も発行されましたが、効き目がありません。英国王はシティからの融資の条件が厳しいときは海外貿易で栄えていたイタリアなどの金融商人から借金し、また踏み倒します。中世の英国は悪名高い借金大王でした。

マグナ・カルタに同意するジョン王マグナ・カルタに同意するジョン王

英国が変わるのは1688年の名誉革命からです。オランダのオラニエ公とメアリー妃が共に英国の国家元首になり、基本法典「権利の章典」が制定されました。議会が財政をコントロールし王家の財布と国家の財布が分離され、私有財産制度も確立。民間の資本主義経済が発展します。また、オランダの金融技術が導入され、1693年には英国初の国債を発行。翌年にはイングランド銀行が設立され、さらに会社設立や株式取引が活発化します。

権利の章典(左)とウィリアム王とメアリー女王の戴冠式(右)権利の章典(左)とウィリアム王とメアリー女王の戴冠式(右)

株式取引が盛んだったジョナサン・コーヒー・ハウス(左)とイングランド銀行(右)株式取引が盛んだったジョナサン・コーヒー・ハウス(左)とイングランド銀行(右)

そして世界三大バブルの一つ、18世紀の南海泡沫事件を機に会計監査制度が生まれ、19世紀半ばの会社登記法や有限責任法など会社法が整備されました。十字軍にさかのぼる信託の伝統と並行するように衡平法の法理が定着し、取締役の信認義務や株主擁護、経営と資本の分離といった概念も広まりました。今の英国が個人の財産保護や政府の財政運営に厳しい目を向けるのも、過去に犯した失敗や教訓が深く身に染みているからでしょう。

小ピット首相が国王を支援して財政赤字を増やしたことを揶揄する風刺画小ピット首相が国王を支援して財政赤字を増やしたことを揶揄する風刺画

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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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