ニュースダイジェストの制作業務
Tue, 08 July 2025

第293回 英国の豚と日本の富国強兵

シティの北方、エンジェル駅から歩いてすぐにビジネス・デザイン・センターがあります。もともとここには農産物の品評会や農機具の展示を行う王立農業会館が建っていて、第二次世界大戦直前まで大規模な農業博覧会が年次で開かれていました。この農業博覧会は1798年、近くの英国最大食肉市場、スミスフィールド・マーケットの家畜商人がスミスフィールド家畜クラブを結成し、定期的に家畜の品評会を開いたことが発祥です。

ビジネス・デザイン・センター ビジネス・デザイン・センター

1872年12月、日本の岩倉使節団がその農業博覧会に参加し、家畜の優良品種や農産物を見学しました。また、その前月にはロンドンから西に60キロほど離れたバークシャーの州都レディングを訪れ、地元の農民が改良した大きなカブや砂糖大根などの栽培方法を教えてもらいました。日照の少ない英国でも育つ立派な農作物を見て、岩倉具視はこれらの農産物を日本に導入して農業を豊かにしたい、と感想を述べたそうです。

農業博覧会が開かれた王立農業会館 農業博覧会が開かれた王立農業会館

岩倉使節団は欧米の農業技術や制度を調査し、その情報を日本に持ち帰りました。特に広大な土地で画一的に穀物を栽培する米国型と、それに比較すると小規模ながら、種類豊富な農産物を効率的に生産する近郊都市混合農業の英国型に分け、米国型農業を研究する北海道の札幌農学校と、英国型農業を研究する東京の駒場農学校を設立しました。指導教員は米国マサチューセッツ農科大学、英国サイレンセスター王立農学校から招かれました。

岩倉使節団の主要メンバー 岩倉使節団の主要メンバー

農業に関わる学理面での研究が進む一方、時代の変化が畜産の歴史に大きな影響を与えました。明治初期の畜産業は牛と馬の飼育、つまり、耕作利用の役畜と牛乳を搾る酪農が中心的な役割を果たしました。ところが、明治中ごろに軍事拡張が進むと軍用の肉食需要が急速に高まります。日清戦争後に軍医が肉食を奨励し、獣肉の補給が急がれました。そのためには年に1度、1頭しか産まない牛よりも多産な豚や鶏が注目されました。

日本の軍備拡張養豚 日本の軍備拡張と共に肉食の需要が高まった

1900年、養豚場の建設を全国に奨励していた明治政府は、英国から種豚 たねぶたとしてバークシャー種の黒豚とヨークシャー種の白豚を品種改良目的で全国に配置しました。当時の英国は養豚に関わる技術の先進国でしたし、日英の飼養環境が似ていたからでもありました。日本の養豚業が拡大するにつれ、豚肉の品質も向上し、トンカツや豚まん、ハム、ソーセージに姿を変えて日本の食卓に普及するようになりました。富国強兵のスローガンの下、国民の体力向上に大きく貢献したのが英国産の豚だったとはトンだ驚きです。

英国産のバークシャー種(上)とヨークシャー種(下) 英国産のバークシャー種(上)とヨークシャー種(下)

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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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