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Thu, 25 April 2024

「自己実現」を達成した女性の先駆け
ビアトリクス・ポターの生涯

ビアトリクス・ポターその生涯を「絵本作家」の一言で済ましてしまうにはあまりにも惜しく、誤りであるとさえ言えるほど、ポターの人生は多彩なエピソードに満ちている。そしてこれら豊かな経歴の根底に流れていたのは、今ではちょっと使い古された感のある言葉となった、ある1人の女性が「自己実現」を遂げるまでの物語だった。

両親への激しい反発

ポターの生涯では、抑圧的な両親への反発心が常に大きな位置を占めている。

彼女が生まれたのは、英国特有の貴族社会の風習をまだたっぷりと残した19世紀の裕福な家庭だった。父ルパート・ポターの仕事は法廷弁護士。とはいっても、生活収入のほとんどは遺産から入ってくるもので、紳士クラブに出入りしては世界のあるべき未来について論じる毎日を送っていた。母親は社交的かつ古風な女性で、妻は家に留まり夫が連れてくる客へのもてなしを仕事とするべきである、というようなある種男尊女卑的な価値観を持っていた。

この両親に、ポターは激しく反発した。そして彼女にとってのそれは、女性の社会的役割を制限する世間そのものへの反発をも意味していた。まだ「働く女性」の地位が確立されていない時代。ポターのような活発で才気溢れる女性にとって、あまりに窮屈な世界を体現していたのが、彼女の両親であったというわけだ。

ビアトリクス・ポター 年表
Beatrix Potter
1866年 ロンドン西部ケンジントンで生まれる
1893年 「ピーター・ラビットのおはなし」を書き上げる
1896年 休暇のため一家揃ってソーリーに赴く
1902年 「ピーター・ラビットのおはなし」を出版
1905年 ヒル・トップを購入する
1913年 ウィリアム・ヒーリスと結婚
1930年 ナショナル・トラストに加入
1943年 死去

女性蔑視の時代

実際、彼女の才能と向上心は、当時の女性に対する価値観とことごとく対立している。例えば生物学に多大な興味を示し学識も広くあったポターが「女性であるがために」生物学の講義を受けられない、地衣類と呼ばれる光合成生物の構造について新説を提唱すると、「女性であるから」という理由で公表することが認められなかった、という具合(その後彼女の仮説が正しかったことが証明されている)。現在であれば「性差別」の一言で一蹴できそうな出来事が、当時の凝り固まった価値観によって、いとも簡単に押しつぶされていたのだ。

こういった抑圧的な環境に対して、抗議の声を上げる術すら持たない状況は、ポターの内面に強固な意志と人格を作り上げた。彼女のそんな性格を如実に表すエピソードがある。ポターは幼い頃から、秘密の暗号を使って日記を書き続けていたという。彼女自身、後年になって解読することができなかったほど稚拙な代物だったが、彼女の死後、研究家たちが解読に成功。そこに書いてあったものは、一見恥かしがり屋で、物静かな少女の手によるものとは想像し難い、当時一線で活躍していた画家、作家、政治家に対して同じ時代に生きる表現者として痛烈な批判を展開した批評文であったという。

たくさんのペットと湖水地方の風景

孤独な時間も、ポターの人格形成に大きな影響を与えた。6つ下の弟バートラムは全寮制の学校に行ったが、彼女は「女だから」という両親の教育方針によって初等教育に始まる通学を一切認めてもらえず、代わりに家庭教師によって読書、作文、音楽や絵画などの教育を受けていた。極度に過保護な両親は、近所の子供たちとの交流まで禁止したという。そういった状況において、彼女が心を通わすことのできる唯一の友達となったのが、家の中で飼っていた何匹ものペット。ウサギ、イヌ、ブタ、カエル、カメに始まり、中にはトカゲ、イモリ、コウモリといった珍獣まで含まれている様は、さながら動物園のようだ。

彼女の将来を方向付けた要素が、もう1つある。それが湖水地方の大自然。貴族階級の習慣に則り、ポター家は毎年夏頃には郊外の別荘で過ごすことにしていた。その休暇の際によく訪れていたのが、湖水地方。彼女自身、インタビューで何度も自分がいかに同地の魅力に取りつかれたかを語っている。

病床で暮らす男の子へ送った手紙

親への反発、たくさんのペット、湖水地方の風景への憧憬といった様々な要素は、1人の男の子へ送った手紙をきっかけに絵本作家の才能として花開く。ポター27歳の時、かつて彼女の家庭教師を務めていた女性の5歳の息子が病に倒れた際、この男の子を元気付けようと、ピーターと言う名を持つウサギの物語を絵手紙にして送った。自ら「作品」の出来栄えを気に入ったポターは、この物語を世に発表することを決意し、「ピーター・ラビットのおはなし」の出版にこぎつける。この本が人気を集め、瞬く間に彼女は一流作家の仲間入り。また本の印税で築いた財産は、彼女の独立心を急速に高め、さらには両親との対立をさらに深めることになる。

ビアトリクス・ポターの家族
左から弟のバートラム、ビアトリクス、父のルパート

愛する者の死

両親との対立が決定的となったのは、ポターが描いた絵本の出版社社長の末っ子であり、同時に彼女の最大の理解者であったノーマン・ウァーンとの結婚を「生活のために仕事をする男性との結婚は認められない」という理由で反対された時だった。秘密裏に婚約するも、ノーマンはやがて病に倒れ死亡。彼女は辛い現実から逃れるため、没頭するものを探していたのだろう。この頃にヒル・トップを購入して、湖水地方に生活の拠点を本格的に移動。この地で農作業に従事するようになる。


ウサギの人形を持った、
5歳当時のベアトリクス・ポター(写真左)

その後は、第2の人生が始まる。研究熱心なポターの農地開発は次々と実を結び、地元では農婦としての顔の方が有名なくらいだった。また絵本に登場する人気キャラクターを使って、人形、ジグゾー・パズル、ポスターなどキャラクター・グッズを制作し、商品の販売にも力を注いだ。集まったお金で湖水地方の土地を次々と買収し、全部で15の農地を含む4000エーカーにも及ぶ土地を購入。47歳の時にこれらの土地契約をすべて引き受けた弁護士のウィリアム・ヒーリスと結婚する(ちなみに、この時も両親は猛烈に反対している)。自身の死後には彼女が保有する土地資産を歴史的建造物の保護団体であるナショナル・トラストへ寄付するよう遺言を残して、77歳で息を引き取った。

時に社会の偏見や抑圧的な両親とぶつかりながらも、自らの才能を発揮し、理解あるパートナーを得て歴史に名を刻んだポター。しかも絵本作家という、少女たちが最も憧れる仕事を通して成功を収めた。彼女がたくましく自己を実現する、現代女性の先例としていまだ認知されている所以である。

ピーター・ラビットのおはなし

「昔々あるところに、4匹のウサギがいました。彼らの名前は、フロプシー、モプシー、コットン・テイル、そしてピーター……」の書き出しで始まる物語。主人公はウサギの家族。末っ子のピーターが、母の言いつけをやぶって人間が所有する農場に忍び込んだところを見つかり危険な目に遭うが、何とか命からがら逃げ出すというエピソードが可愛い挿絵と共に描かれている。この本が大好評を得たのを受けて、ポターは「ベンジャミン・バニーのおはなし」、「ティギーおばさんのおはなし(写真)」などの物語を次々と出版し、絵本作家としての名声を得た。

取材協力: 英国湖水地方ジャパン・フォーラム www.kosuichihou.com
カンブリア観光局、Momentum Pictures

 

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