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Thu, 28 March 2024

川畠成道氏
心の世界を奏でるヴァイオリニスト 川畠成道インタビュー

幼少時に視力障害を負ったヴァイオリニスト、川畠成道。ヴァイオリン奏者の父から指導を受けた後に、世界中からクラシック音楽界の逸材が集まる英国王立音楽院へ留学。同院在学時に披露した演奏で高い評価を得て以来、世界を股にかけた音楽活動を行っている。彼の演奏を耳にした誰もが、彼だけにしか奏でることのできない、その美しい音に惹かれるという。今年5月に英国で久々に開催されるコンサートに向けて、現在日本で準備を進めている川畠氏に、彼が創り出す音楽世界について聞いた。(本誌編集部: 長野 雅俊)

川畠成道プロフィール
1971年11月21日生まれ。8歳で視力をほぼ失う。桐朋学園高校・桐朋学園大学音楽学部卒業後、94年に英国王立音楽院に入学。97年、同院175周年記念コンサートでソリストに抜擢。同年に同学院を首席で卒業し、同学院史上2人目となるスペシャル・アーティスト・ステータスの称号を得た。2004年、チャールズ皇太子主催のリサイタル・シリーズに邦人アーティストとして唯一参加。ロンドンのウィグモア・ホールでのコンサート開催を、5月14日に予定している(チケットは3月2日に発売開始)。
ウェブサイト: www.kawabatanarimichi.jp

感情を揺さぶるヴァイオリニスト

休憩時間には会場のロビーを走り回っていた中学生が、彼が弾く「アヴェ・マリア」を聴いた途端に涙した。イタリアのボローニャ歌劇場でボローニャ歌劇場室内合奏団と共に演奏したヴィヴァルディの「四季」に感動した満員の聴衆が、総立ちになってカーテン・コールを30分以上も続けた。「20世紀で最高のヴァイオリニスト」と称されるアイザック・スターン氏が、幼少期の彼の演奏を聴くと珍しく興奮し、「素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!」と叫んだ。

優れた演奏家たちが皆そうであるように、川畠氏の演奏には、聴く者の感情を揺さぶる「何か」があるという。五線譜上では無機質に並べられているに過ぎない音符の羅列が、人々の心を動かす旋律へとどうやって変化するのか。

西洋におけるいわゆるクラシック音楽作品の多くは、作曲 されてから既に何百年という歴史を持っている。そうした作品は、世界中に存在する数え切れないほどの演奏家たちの手によって、これまで何度も演奏されてきた。それなのに愛好家たちは、いまだ飽き足らずにクラシック音楽を繰り返し聴き続けている。それぞれの時代や国に生まれた演奏家の技術や解釈によって、そうした音楽がまた新しく生まれ変わる可能性を常に信じ続けているからだ。

こんな日に限ってつながりの悪いロンドンからの国際電話でも、日本の自宅にいる川畠さんが、言葉を選びながら自身の音楽観について語ろうとしてくれているのが分かる。「これだけたくさんの演奏家がいらして、どの方たちも同じようなレパートリーを演奏しているわけです。でもそれぞれの演奏家が持っているものが違うので、同じ曲を弾いても同じ演奏にはならないんですよね。自分自身がどうしても音楽に表れてくる。自身の持っているものを表現するというのが、音楽なのだと思います」。電話回線が時折途切れてしまっていらいらしそうになっては、誠実な印象を受ける川畠氏のゆったりとした声を聞いて、ほっとする。

では音楽で表される自分らしさって何でしょう。気を取り直してそう聞くと、「自分自身とは何か、となると非常に難しい問題になりますけどね」と苦笑しながら、また丁寧な言葉遣いで答えてくれる。「とにかく自分がどういう表現をしたいのか、という問いは常に頭の中にあるんです。行き詰まったときには、ヴァイオリンを持つ前に声に出して歌ってみたりして、自分が今出したい音を確認してみることもあります。表現したいものは何なのかと問い掛けながら、自分に正直であることが大切なのだと思います」。

川畠成道氏音を紡ぎ出す幻想の世界

川畠氏の演奏を耳にしたことのある誰もが、彼のヴァイオリンが奏でる音の美しさに酔ってしまうのだという。そして、思わず感情を揺さぶられてしまう。米国デビューとなった2000年のロサンゼルス公演を批評した「ロサンゼルス・タイムズ」紙は、その演奏を「うっとりするほどの情緒溢れる詩的な表現」であると伝え、川畠氏が首席で卒業した英国王立音楽院のカーティス・プライス院長は「曲のフィーリングを表現することに非常に長けている」と評している。

クラシック音楽の専門家はもちろん、普段はそうした音楽 に馴染みのない者までが彼の演奏に心を奪われるのはなぜ か。人間の声とほぼ同じ音域と言われている、ヴァイオリンに取り付けられた4本の弦と彼が持つ弓が重なり音を立てるとき、聴衆の心が揺れるのはどうしてだろう。

川畠氏の日本デビュー公演で指揮者を務めた小林研一郎氏 は、彼を見ると「逆にうらやましい」と感じるという。この「逆に」という言葉は、音楽の才能に加えて、彼の視力障害を慮ったことから出てきたものだと思われる。ハンガリー国立交響楽団やチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を歴任した第一人者からの、最大の賛辞として受け止めていいのだろう。「彼が音を紡ぎ出す源泉となる幻想の世界が、我々が目で見えている世界よりも生き生きとしているようで、音楽家としては逆にうらやましい」と。

そう、川畠氏は、視力障害を持ったヴァイオリニストなのだ。

菩提樹までの近く遠い道のり

川畠氏は1971年、東京に生まれた。ヴァイオリンの演奏家であった川畠正雄氏を父に持ったが、音楽家として生きていくことの厳しさを誰よりも知るその父の教育方針もあり、彼が特別な音楽教育を受けることはなかった。

川畠氏の人生が大きく動いたのは、彼が8歳のときだ。米ロサンゼルス近郊にある本場のディズニーランドを訪れよう と、母方の祖父母と共に海外旅行に出掛けた際に、渡米2日目にして風邪を引いてしまった。娘夫婦から預かった大切な孫の体を心配した祖父母は、宿泊先のホテルに現地の医師を呼ぶ。そしてその医師に処方された薬を飲んだのだが、症状はさらに悪化。容体は深刻化し、数日後にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学病院に運ばれると、スティーブンス・ジョンソン症候群という、薬害が原因と推測される生存率5%の難病を患ったことが判明した。

緊急入院してからも、40度の高熱が1カ月間続いたという。その間に川畠氏の皮膚は赤くただれてしまい、爪の組織は死滅。そして家族にとって何よりもショックだったのは、実生活に支障をきたすほど、視力が極度に落ちてしまったことであった。

生死を彷徨っていたこの幼少時においてでさえ、川畠氏にはいくつかの思い出が残っている。28歳の若き医師が、3カ月にわたり親身になって看病してくれたこと。米国籍を持つハルコ・スズキという名の日本人栄養士が、自分で文字を読み取ることのできなくなってしまった川畠氏に代わってシャーロック・ホームズの物語を朗読してくれたこと。そして、病院近くの菩提樹までの道のりを毎日歩いたこと。

懸命の治療により何とか一命を取り留めた川畠氏を待っていたのは、単調ながらも厳しく辛いリハビリだった。後遺症によってきしむように痛む体を動かせるようになるため、病院の隣にある植物園の入り口付近に植えられた菩提樹まで歩くことを日課にしていたという。「距離にすると、たぶん10メートルぐらいだと思うんです。実はその後、コンサートを開かせていただくために20年ぶりにロサンゼルスを再訪した際に、その菩提樹まで行ったんですよ。病院からの距離は、笑ってしまうぐらい近かった。ただその20年前、つまり8歳の自分にとっては遠い存在で、そこまで歩いて行けるように、というのが一つの目標だったんですね。今日は一歩、明日はも う一歩近付くって」。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学病院内を散歩する入院中の川畠さん
病院内を散歩する川畠さん
ロサンゼルスへと一緒に旅行に出掛けた祖父と幼少時の川畠氏。病後に撮影されたものであるにも関わらず、2人の生き生きとした表情が印象的
おじいさんと一緒に

家族一体となってのヴァイオリン練習

リハビリを終えて日本に帰国した川畠さんは、この先の長い人生を生き切るために、たとえ目が見えなくても生活していけるだけの技術を身に付けなければならないという課題に直面する。そこで父の正雄さんは、それまでの方針を撤回して、息子にヴァイオリン教育を施すことを決めた。

プロとして活動するヴァイオリニストの多くが3、4歳頃か ら子供用のヴァイオリンを使って練習を始めるなか、川畠さんの10歳からのスタートは遅過ぎるように思えた。この遅れを取り戻そうと、家族が一体となっての特訓が始まる。父は仕事から帰って夕食もそこそこに、息子に技術を徹底的に教え込み、超絶技巧で知られるヴィエニャフスキーなどの難曲までをも弾きこなすことを求めた。また母は、視力の落ちた川畠氏にも見えるよう、模造紙に太いマジックで楽譜を写し取る役目を担った。一つ一つの音符を大きく書くので、模造紙上の五線は3段分にしかならない。その楽譜の束を壁に張り、一枚一枚はぎとりながら弾くのだ。長い曲になると100枚近くになり、部屋は大きな模造紙で埋まったという。

川畠氏はチャリティ・コンサートを積極的に行うことでも知られている。写真は日本のある養護学校で開催したときのもの
チャリティ・コンサート

自分の中に染み込んだ音

先に紹介した小林氏が賛辞の中で示したように、プロの音楽家としてデビューしてから既に10年が過ぎた今となっても、視力障害を抱えているとの事実は、彼の演奏スタイルに少なからず影響を与えているように見える。中学生になった頃ぐらいからは模造紙上の特大文字も読めなくなり、川畠氏の現在の視力は光の存在を確認できる程度。演奏を行うには暗譜が必須だ。「まず楽譜を覚えてそれから練習が始められる。いかに覚えるのを早くするか、というのが最初の課題」という環境下において、腕が覚えたレパートリーの数は100曲以上に上る。

暗譜に際しては、CDが出ているものであればその演奏を聴いて覚えたり、また妻や友人など近しい人に弾いてもらう。そうして音を覚えてから1、2カ月ほど練習を続けていくと、音がやがて自分の中に「染み込んでいく」のを実感するという。この「染み込んでいく」という独特の表現を言い換えるならば、「自分らしい音になる」といった言葉になるだろうか。

「音というのは言ってみれば原子みたいなもので、その音が集まって表現になっていく。そうした元になる一音一音が自分自身のものであるということ。聴衆の方が一音聴いただけで、ああ、これが川畠成道の音だなって思っていただけるような音を出したい。そうした音が寄り集まっていくと、さらに大きな表現になっていくと思っています」。

では、「川畠成道の音」とは何か。彼は、少し回り道をしながら、その答えを何とか言葉にしてくれた。「音楽表現においてはもちろん楽器を持って弾いている時間、つまり練習している時間というのも大切なんですけど、それ以外に色々経験するというのが大事なのだと思います。例えばイタリアのボローニャでコンサートを開かせていただいた経験がありますけども、その地の空気を吸って、その土地の人たちと交流を持って、一緒に演奏したりして、初めて感じることというものがある。またそのとき見た青い空が、音楽のイメージになったりするんですよ」。

でも、彼には視力障害がある。「そう、視力の問題があるので、実際その青い空を見たことがある、というわけではないですよね。でも、やはり自分の心の中では見えるんです、こういうイメージというのは。不思議に思われるかもしれませんが、自分が訪れた景色が見えているんです。これまでお世話になった方々のお顔も浮かんできますしね。きっと、それが私の音楽表現に結び付いている。そうして見えているものたちは、心の中の世界で生きている、と言ってもいいのではないかと思いますけれど」。

心の中の世界。そんなありふれた言葉も、川畠さんの口から発せられると美しい響きを持って聞こえてくる。そして私たちの心の中にも、そういえばそうした広大な世界が確かに存在しているのだと、再発見したような気持ちにならないだろうか。

彼は心の世界で生まれた感情や風景を、音楽として聴衆に 伝えているのだ。例えば、ロサンゼルスの大学病院でシャーロック・ホームズの物語を読み聞かせてくれた日本人栄養士、ハルコ・スズキさんのアメリカン・ネームは、「マリアン」だった。川畠氏が彼女とそしてこれまで自分を支えてくれた人たちに捧げたグノー作曲の「アヴェ・マリア」は、彼のセカンド・アルバムのタイトルとなり、その思いはやがて世に届いた。またボローニャを訪れたときに見たイタリア独特の青く澄みきった空は、パガニーニの「カンタービレ」における開放的な旋律になった、という風に。

当然のことながら、私たち聴衆は、ハルコ・スズキさんの素顔を知らない。ボローニャならば訪れたことがある、という人がいたとしても、川畠さんが訪れた日とは空模様が全く異なるだろう。でも、そうした出来事を通して川畠さんが感じた思いは結晶化されて美しい旋律となり、空気の振動となって聴衆の心に入り込む。川畠氏が、ヴァイオリンの音だけでなく、心象世界を奏でているからだ。

目には見えず、言葉にもできない、でも生きていく上で大切な思いを伝えるという、音楽が最も音楽らしい姿になる瞬間を実現させるところに、彼の演奏の魅力があるのかもしれない。「里帰りのような気分ですね」と言いながら、英国で久々に開くコンサートを前にした彼には今、どんな世界が見えているのだろうか。

ベルリンでの一枚
左)海外での活動も精力的に行っている。写真はベルリンの教会でCDレコーディングを行ったときの1枚
右上)川畠氏が1997年に首席で卒業した英国王立音楽院の建物 © Royal Academy of Music, London
右下)5月に行われるコンサートの会場、ウィグモア・ ホール © C Nick Guttridge

川畠成道コンサート
日時: 5月14日(木)19:30(3月2日(月)チケット発売)
ピアノ: ロデリック・チャドウィック
会場: Wigmore Hall 36 Wigmore Street London W1U 2BP
最寄駅: 地下鉄Bond Street / Oxford Circus
チケット: £18、£16、£12、£10
Box Office Tel: 020 7935 2141
www.wigmore-hall.org.uk

ロンドン・ファンの集い
日時: 5 月17 日(日)
場所: Lanka; 90 Belsize Lane London NW3 5BE
地下鉄Swiss Cottageより徒歩5分

第1部: 15:00~ 17:00
「川畠成道とともにスウィート・ヴァイオリン」

(無伴奏の曲を聴かせていただき、プチケーキ、マカロンと紅茶での会)チケット£15
第2部: 19:00~ 21:00
「川畠成道と過ごすシャンペン・イブニング」

(無伴奏の曲を聴かせていただき、シャンペンとカナッペでの会) チケット£30

お申し込み先
川畠成道音楽事務所 ロンドンオフィス 小滝奈穂子
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Tel: 07979 154 423
 

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