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Thu, 28 March 2024

奇妙な名前に隠れた意外な歴史の数々
ロンドンの
変な通りの名前ベスト10

ロンドン在住者ならば、住所を調べたり、郵便物の宛名を記す際に
いつも読んだり書いたりしているロンドンの通り名。
普段は特に注意を払うことはないけれども、
よくよく目を凝らして見ると、へんてこな名前がかなりある。
そんな、言わば「ロンドンの変な通り名」のベスト10をイラストとともに一挙紹介。
さらにその名前が付けられるに至った理由を合わせて知れば、
このロンドンという街をもっと深く知り、そしてもっと好きになること間違いなし。
(本誌編集部: 長野雅俊、イラスト: 近藤陽子、写真: 小暮恭大)

Ha-Ha Road

笑ってる場合じゃないよ Ha-Ha Road SE18

何とも豪快な笑い声の響きを彷彿とさせる「Ha-Ha」は、実は英語で「隠し垣」という、あまり聞き慣れない代物を指す言葉。牧場などでは通常、家畜を囲い込むために木を植えて生垣を作るが、景観を崩すなどの理由で、植木を嫌がる向きもある。そこで見通しを妨げないようにと下部に溝を掘ることで作った垣根が、「隠し垣」つまり「Ha-Ha」。ロンドン南東部にある「Woolwich Common」という広場の北端の輪郭をなぞるように作られた隠し垣に沿った道だから、「Ha-Ha Road」と名付けられたというわけ。その隠し垣は、今でもしっかりと残されている。

Ha-Ha Road
Woolwich Common北端にある「Ha-Ha」

訛ったせいで腐っちゃった Rotten Row SW1

Rotten Row SE1「腐った小道」と訳すことのできる「Rotten Row」は、ロンドン中心部にある巨大な王立公園ハイド・パークの中にある。Hyde Park Corner駅を出てすぐに見える、公園内の各所に敷かれた乗馬用の土道の一つがそれ。

17世紀のイングランド王ウィリアム3世が、セント・ジェームズ宮殿とケンジントン宮殿の間を行き来しやすいようにと造らせたもので、かつてこの場所は英国貴族の社交場として栄えたという。そこで当時の王族たちが流暢に操ったフランス語で「王の道」を意味する「Route de Roi」と名付けたところ、ときを経るとともに英語風に訛り、「腐った小道」になってしまった。

Rotten Row
左)ハイド・パーク内にある「Rotten Row」 右)19世紀後半の様子を写した写真

お湯が出なくなったの? Coldbath Square EC1

お湯が出なくなったの?

ロンドン中心部を通る、Gray's Inn Roadという大通りの近くにある場所の名前。まさしくその名が示す通り、この場所にはかつて公衆の水風呂が存在していたことから付けられた。

17世紀後半にこの地で発見された湧き水が、神経系の病気の治療に効くとの評判を呼んだことで、この界隈はいわゆる湯治スポットとして知られるようになる。入浴料2シリング(10ペンスに相当)で、毎日早朝5時から午後1時の間に利用できる公衆浴場として営業されていたのだという。浴場が廃業してからは、この敷地に刑務所が置かれていた。今は郵便局の仕分所になっている。

Coldbath Square
通りから覗く郵便局の仕分所

夜中には通りたくない Bleeding Heart Yard EC1

ブリーディング・ハート直訳すると「心臓が血を流している庭」になる、何とも恐ろしい通りが、「Bleeding Heart Yard」。ホラー映画もびっくりのこのおぞましい名前が付けられた経緯については諸説ある。一つは、17世紀前半にこの地区で起こったある貴族女性の殺人事件が関連しているというもの。

手足を切り刻まれた揚げ句に、動いたままの心臓が放置されていたとか。さらには、カトリック教会から独立して英国国教会が立ち上げられた宗教改革の際に近くのパブに掲げられた絵が発端という説も。そこには、カトリックの象徴である聖母マリアの心臓に5つの剣が刺された絵が描かれていたという。

Bleeding Heart Yard
左下)19世紀後半当時の「Bleeding Heart Yard」 右)現在では、敷地内に「Bleeding Heart」という名のレストランが

この辺りは治安が良いはず Amen Court EC4

この辺りは治安が良いはず英国王室メンバーの結婚式や葬儀の式場になることの多いセント・ポール大聖堂の近くにあるのが「Amen Court」。中世においては、祭礼などの際に教会へと向かう行列が、「アーメン」と言って祈りを捧げた場所だという。

カトリック教会からの独立後に英国国教会が初めて建てた大聖堂であるセント・ポール大聖堂は、ロンドン市民たちにとっては当時から街を象徴する存在だった。「Ave Maria Lane」「Bishops Court」「St Paul's Church Yard」といった通り名が周囲に多数あるのも頷ける。ちなみに、劣悪な環境で悪名高いニューゲート監獄がこの通りのすぐ近くに置かれていた。

Amen Court
左、中央)近辺では、セント・ポール大聖堂に関連した通り名を見かける 右)Amen Courtから見えるセント・ポール大聖堂の眺め

駄洒落なのでしょうか Bear Gardens SE1

駄洒落なのでしょうかテムズ河の南岸でシェイクスピア劇を演じるグローブ座近くにあるのが「Bear Gardens」。夏になると屋外でビールを提供する「ビア・ガーデン」と、ちょっと響きが似ている。

「Bear」とはもちろん、熊のこと。17世紀のイングランドでは、日本語で「闘熊」と訳される「Bear-Baiting」という遊びが流行していた。スペインなどでは今も闘牛の文化が残っているが、いわばその熊バージョン。観客が見守る中で、犬と熊の殺し合いが行われていたという。ヘンリー8世やエリザベス1世も闘熊の大ファンであったとか。その舞台となった「Bear Gardens」が、この場所にあったというわけ。

Bear Gardens
17世紀のイングランドで流行した闘熊

決戦の金曜日 Friday Street EC4

決戦の金曜日毎週金曜日に魚市場が開かれていたからという理由で、「Friday Street」と名付けられたというこの通り。カトリック教会においては、イエス・キリストが受難を受けたという聖金曜日に鳥獣の肉を食べてはいけないという戒律がある。そこで英国のカトリック信者たちは、聖金曜日を迎えると、代わって魚を買いにこぞって出掛けたものだった。この習慣を反映してか、英国内には金曜日に魚市場が開かれる場所が数多いという。「Friday Street」と名付けられた通りは、ロンドン郊外サリー州、イングランド東部サフォーク州、同南部のサセックス州にもある。

Friday Street

早歩きしてくださいQuick Street N1

早歩きしてください速足で歩かなければいけない通りなのかな、と思わせる通り名。実は、ジョン・クイック(John Quick)という名の喜劇役者の名前から取られている。産業革命の真っ只中にあった英国を統治し、アメリカ独立戦争に敗れた英国王として知られるジョージ3世の大のお気に入りだったというクイック氏は、18~19世紀にかけて主にロンドンのコベント・ガーデンの劇場に登場する舞台俳優として人気を博した。引退後は、イズリントン地区に構えた家で老後を静かに過ごしたという。近所のパブにもよく顔を出したという彼は、同地区の名士として地元民に記憶されている。

Quick Street
周囲は閑静な住宅街となっている

7つじゃなくて本当は6つ

7つじゃなくて本当は6つSeven Dials WC2

ロンドン中心部コベント・ガーデンの裏手に、「Seven Dials」と呼ばれる交差点がある。「Dials」とは日時計のことで、つまるところ「7つの日時計」。さて、何を意味するのか。実はこの交差点の真ん中に記念柱が立っていて、その上部には日時計が取り付けられている。ところが数えてみると日時計の個数は6つしかなく、謎は深まるばかり。種明かしをすると、当初はこの交差点は6本道に分かれるはずだったのが、後に道の数は7本へと変更された。合わせて道の名前も「Seven Dials」になったが、どうやら記念柱の日時計の数だけは変更がきかなかったということらしい。

Seven Dials, WC2
Seven Dials の中央に置かれた補修工事中の記念柱

怪我人たちが集う場所Recovery Street SW17

怪我人たちが集う場所ロンドン南部ワンズワース地区のトゥーティングにある通り。同地区のカウンシルの広報課にその名前の由来を問い合わせても、「さっぱり分からない」との答えが返ってくるのみ。誰がいつどんな理由で付けたのか分からない、そんな地名もある。

Recovery Street

ロンドンにあるそのほかの主な通り名の由来

Black Prince Road SE1

エドワード3世が息子のエドワード黒太子(Black Prince)に贈与した荘園があった

Cloth Fair EC1

中世にバザーが開かれた場所

Chancery Lane EC1

かつて政府の高官たちの住宅が並んでいたことから「Chancellor's Lane」と呼ばれていた通り名が基になっている

Half Moon Street W1

近隣にあった宿屋の名前から取られた

Hanway Street W1

当初は女性のみが使用していた傘を男性としては初めて差したと言われるジョーナス・ハンウェイ氏が在住していた

Holland Street SE1

同地区でエリザベス・ホーランドという名の女性が高級売春宿を経営していた

King’s Cross N1

駅前の交差点(Cross)にジョージ4世(King)の像が建てられていた

Oxford Street W1

イングランド中部オックスフォードへと続く道

Piccadilly W1

近所の仕立て屋で「Piccdil」と呼ばれるネッカチーフが作られていた

Romilly Street W1

軽犯罪に対する死刑の適用への反対運動を展開した弁護士サミュエル・ロミリーが生まれ育った

 

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