カリブ海移民の「ウィンドラッシュ世代」が滞在危機に遭遇 - 移民締め付け策の影響で
このところ、「ウィンドラッシュ世代」の話が連日のように報道されています。ウィンドラッシュ世代とは、1948年から70年代初頭にかけて、当時英領だったジャマイカなど西インド諸島から英国にやって来た移民とその子供たちを指します。第二次大戦後の英国の労働力不足を補うために、英政府の招きで渡英した人たちです。「ウィンドラッシュ」とは移民の第1陣を乗せてきたエンパイア・ウィンドラッシュ号から来たもの。1948年6月21日、1027人を乗せ英南東部エセックスのティルベリー港に到着しましたので、今年はちょうど70年目にあたります。
この世代に該当する人が何人いるのか、正確には分かっていません。と言うのは、当時、英国の植民地であった地域から親と一緒にやって来た子供たちの多くは、自分自身の旅券や査証など公的書類がないままに入国し定住したからです。1971年の移民法(73年1月施行)によって、施行日以前に渡英した英連邦出身の市民には永住資格が与えられましたが、このとき、政府はその記録を残しませんでした。
今回、ウィンドラッシュ世代が窮地に陥ったきっかけは、2014年の改正移民法です。英国内で欧州連合(EU)からの移民急増への反発が発生したことを受けて、政府は不法移民に「敵対的な環境を作る」政策を打ち出しました。これによって移民たちは、就労、不動産賃貸、医療を含む社会保障を受け取る際に、国籍証明書、あるいは永住許可証などの在留資格を示す正式な書類が必要になったのです。書類を出せない人は「不法移民」となり、職を失う、社会保障を受けられないなどの危機に見舞われました。国外退去を迫られた人もいるようです。自分は英国民だとばかり思っていた人にとって、大きなショックだったに違いありません。
オックスフォード大学による移民観測分析では、1971年以前に渡英し、現在までに英国に定住した英連邦出身者は約52万4000人で、英国人として帰化した人は46万7000人だそうです。帰化していない5万7000人のうち、1万5000人がカリブ海地域・ジャマイカから来たと推測されており、数千規模の人が不利な状態に置かれたと見られています。
一連の事態は、「ガーディアン」紙の報道で広く知られることになりました。2010年、内務省が新たな建物に引っ越したときに、ウィンドラッシュ移民の到着記録を大量に破棄していたことが発覚。4月19日と20日にはロンドンで英連邦首脳会議が開催されていたこともあり、ウィンドラッシュ世代をめぐる政府の不手際が大きな政治問題となっていきました。
テリーザ・メイ首相は、該当する人々に適切な補償の支払いを約束し、カリブ海12カ国に書簡で正式に謝罪しました。アンバー・ラッド氏は内相としてウィンドラッシュ世代を支援するための特別な作業部会を設置し、必要な在住証明書の収集、新たな在住許可書類作成費用の全額免除(229ポンド=約3万5000円=かかるそうです)、問い合わせ先の窓口となるウェブサイトを作ることを下院で発表しましたが、4月29日、引責辞任に追い込まれました。
現在、西インド諸島に黒人の住民がいるのは歴史をさかのぼれば、英国を含む欧州列強による「三角貿易」の結果でもあります。例えば、英国からアフリカ大陸に工業製品を運んだ船は、そこで現地の住民を奴隷として積み、西インド諸島や米国に連れて行き、そこからタバコや綿花などの産物を積んで英国に戻って来たのです。
ウィンドラッシュ号やその後の船で英国にやって来た人々は、有色人種であることから様々な人種差別にあう場合もありました。その大部分はブルーカラーの仕事、例えば清掃人、運転手、看護婦として働きながら、大戦で荒廃した英国が現在の姿になるまで力を貸してきました。希望に満ちた若者たちの当時の写真をよく目にしますが、過去の歴史も思い合わせると、今回の危機には本当に胸が痛みます。一刻も早く事態が解決するよう、望みたいですね。