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Tue, 19 March 2024
一川響英国で活躍する津軽三味線奏者
一川響さん

[ 前編 ] 世界各地から様々な才能が集う芸術の街ロンドンで、津軽三味線という日本伝統の楽器を使って音楽活動を続ける日本人アーティストがいる。成人してから三味線を習い始めたという一川響さんは、その10年後となる30歳のときに来英。かつては「日本人が英語を話す必要なんて全くない」と考えていたという彼がなぜロンドンを活動の舞台として選ぶに至ったのか。全2回の前編。
プロフィール
いちかわひびき - 1980年3月27日生まれ、石川県金沢市出身、ロンドン在住。20歳で長唄三味線の演奏を始める。21歳で津軽三味線「明宏会」に入門。2007年にポーランドで開催されたイベントでの演奏がきっかけで海外展開に目を向けるようになり、10年4月に来英。14年には欧州経済領域以外の国籍を保有する人物の中でたぐい稀な才能を持つ者に対してのみ発給される滞在許可「Exceptional Talent Visa」を取得。英国を始めとする欧州各地でのコンサートの企画・出演や、三味線の演奏指導などを行っている。ロンドン地下鉄でのバスキング(路上演奏)のライセンス保持者。
www.hibikishamisen.com

 

選ばれし300人の一人

世界的なオーケストラの生演奏を5ポンドで聴くことができる音楽の祭典プロムスに、世界有数の作品が並ぶ常設展を無料で鑑賞できる各美術館、ウェスト・エンドと呼ばれる小さな区域にひしめくように並ぶ劇場の数々といった具合に、ロンドンほど多種多様な芸術を身近に感じられる都市はあまりない。だから、各国のアーティストたちがこの街へとやって来る。そうした世界各地から集まった才能の中でも「選ばれし者」とでも言うべきアーティストが、一川響さんだ。英政府がたぐい稀な才能を持つと判断した人物に対してのみ発給する滞在許可「Exceptional Talent Visa」の取得者。発給数は年間わずか300という狭き門である。

このビザを取得するにはまず、芸術活動を奨励・促進する英政府の外郭団体アーツ・カウンシルの推薦を得なければならない。そして、この推薦を得るのが非常に難しいのだ。一川さんの場合、ワーキング・ホリデー制度や政府認可交換スキームを利用して英国に滞在した過去4年間の活動内容を申告することに加えて、著名な大会での受賞歴や、英大手メディアへの出演歴などの実績を示さなければならなかった。日本で開催された三味線の世界大会での受賞や、英国の人気テレビ料理番組「サンデー・ブランチ」への出演といった実績を積んできた一川さんは、これらすべての条件をクリア。4年間、地道に続けてきた活動が評価された。

日本大使館で行われたイベント
ロンドンの日本大使館で行われたイベントに出演(写真中央)

こうした難関をくぐり抜けた上で英国での活動を継続していく姿にはただ頭が下がるが、同時に一つの疑問も浮かぶ。本場である英国でしか学ぶことのできない例えばシェイクスピア演劇などであればいざ知らず、一川さんが携わっているのは三味線である。必ずしもロンドンではなくとも、いやむしろ日本の方が演奏の機会があるのではないだろうか。一川さんが、ロンドンでの活動にこだわる理由とは何か。

転機となったポーランドでの公演

一川さんが三味線を弾き始めたのは20歳。新しく楽器を始めるにしては、一般的には遅いと見なされる年齢だ。「それまでギターをよく演奏していたので、応用できる技術があったのかもしれません」と言うが、ともかく現在の活躍ぶりから想像するに、その後の上達が非常に速かったのだろう。21歳で地元の石川県金沢市にある「明宏会」と呼ばれる津軽三味線の団体に入会。ここで指導を受けながら、師匠とともに地元の新年会などでの演奏活動を行っていた。一川さん曰く、「当時は、自分自身の三味線の練習で精いっぱいでしたから、海外での活動など考えていませんでした」。

転機となったのは、師匠と2人で赴いたポーランド公演だった。同国南部クラクフのコンサート会場で行われたイベントに出演。2人で日本の民謡に加えてポーランドの民謡を三味線で演奏したところ、思わぬ反響を得たという。

クラクフでの演奏活動
ポーランド南部クラクフで師匠(写真右)とともに演奏活動を行う一川さん(同中央)

日本で演奏していた際の聴衆は、主に高齢者たちだった。三味線の演奏会と言えば、通常、観客はじっと黙って耳を傾けている。ところがポーランド公演に集まった観衆は、老若男女皆が一川さんたちが奏でる三味線の音色に合わせて、手拍子したり、歓声を上げたりしていたのだ。この出来事を通じて三味線演奏の新たな可能性を予感した一川さんは、日本帰国後に渡英を決意。十代のころに親しんだロックやパンクといった音楽が、英国行きという夢をさらに膨らませた。それまで「日本人が英語を話す必要なんて全くない」と思っていたのに、自身でも驚くほどの変わりようだったと振り返る。

師匠には絶対に反対されると内心びくびくしながら渡英の希望を打ち明けてみると、驚くことに「行ってこい」。そして、英国での生活が始まった。

 
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