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Fri, 29 March 2024

第231回 ランズダウン・クラブ訪問記

1902年1月30日、ランズダウン外相と林(ただす)駐英公使が日英同盟を締結した場所が、ランズダウン邸です。当時はロンドン西部のバークリー・スクエアの南側にありました。1931年以降の改築で庭の部分に新たにランズダウン・ハウスが建ちました。オリジナルの邸宅部分はやや南西のフィッツモーリス・プレイス側に残され、今は会員制クラブになっています。日英同盟に所縁のある場所を訪ねてみようと、先日その周辺を散策しました。

19世紀初頭からあるランズダウン邸19世紀初頭からあるランズダウン邸

会員制のランズダウン・クラブに到着し、ブルー・プラークを見つけて写真撮影を始めたところ、中から盛装した老人が出てきました。「反対側にもプラークがあるよ」と指差した方にはデパート大手セリフリッジの創業者、ハリー・ゴードン・セルフリッジが住んでいたことを示すプラークがありました。「米国の名門アスター家の初代アスター子爵や小ピット首相もここに住んでいたんだよ」と老人が説明を続けます。すごいなぁ、と感服。

会員制のランズダウン・クラブ会員制のランズダウン・クラブ

老人から「どこの国から来たんだい?」と聞かれました。日本から来て、日英同盟の話に触れると「中へお入りなさい」と手招き。散歩用の平服だしスニーカーも汚れているのでためらっていると、老人は「いいから入って来なさい」と招き寄せます。中に入ると「この建物は1763年に有名建築家のロバート・アダムが設計し、この部屋がアダム・ルーム、こちらのオヴァル・ルームで日英同盟が結ばれ……」とガイドが続きました。

アダム・ルーム(写真左)とオヴァル・ルーム(同右)アダム・ルーム(写真左)とオヴァル・ルーム(同右)

「あれを見なさい」と手を向けた方向にガラス・ケースがあり、その中に五つの刻印が押された文書が展示されていました。それは英国が米国独立を承認した1783年のパリ条約の準備条約書のコピーでした。文書にJ・アダムス米国副大統領、J・ジェイ連邦最高裁長官、B・フランクリン外交官と英国全権大臣の署名がありました。パリ条約前年の1782年にこの準備条約がW・ペティ英首相(後の初代ランズダウン侯爵)と米国使節団により締結されたそうです。まさに日英同盟締結の場所と同じオヴァル・ルームです。

米国独立を承認したパリ条約の準備条約書米国独立を承認したパリ条約の準備条約書

今はそのオヴァル・ルームがランズダウン・クラブのラウンド・バーになっています。米国の誕生地であり、日英同盟締結の場所でもあったとは、さぞお酒の酔いも回ることでしょう。米国独立承認の準備条約から120年後に日英同盟締結、さらにその120年後に自分が同じ場所にいるなんて。大変貴重な体験をさせてくれた正体不明のご老人(侯爵のご家族?)に深く感謝しています。

準備条約締結後、英国使節団がポーズを拒否したため未完成になった絵画「パリ条約」準備条約締結後、英国使節団がポーズを拒否したため未完成になった絵画「パリ条約」

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。

 
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シティ公認ガイド 寅七

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『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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