今年でいよいよ即位60年
エリザベス女王の半生を振り返る
6日、エリザベス女王が即位60周年を迎えた。英国の君主としてはビクトリア女王に次ぐ長い統治となる。父親ジョージ6世の急逝により、25歳で女王に即位。今年6月上旬には即位60周年を祝う記念式典が開催され、英国民が参加できるイベントも目白押しだ。今週は女王の半生に注目した。
写真で振り返るエリザベス女王の半生
1926年 | ヨーク公夫妻の長女として生まれる | |
1930年 | 妹マーガレットが生まれる | |
1936年 | 祖父となる国王ジョージ5世が死去。 父の兄がエドワード8世として即位するも、後に退位したため、代わってエリザベスの父である国王 ジョージ6世が即位 写真: ジョージ6世を描いた映画「英国王のスピーチ」 |
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1939年 | 後に夫となるフィリップと知り合う | |
1940年 | 戦禍を逃れるためにウィンザー城に疎開 | |
1942年 | 近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長に | |
1945年 | 女子国防軍に入隊 | |
1947年 | 初めての外遊で南アフリカを訪問。 フィリップと結婚 写真: 結婚当初のフィリップ殿下(写真左)とエリザベス女王(同右) Photos by: S & G/PA Photos |
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1948年 | 長男チャールズを出産 | ![]() |
1950年 | 長女アンを出産 | ![]() |
1950年 | 父の病死後、エリザベス女王として即位 写真: ジョージ6世死去の報を受け、公務先のケニアから緊急帰国し、 ロンドンの空港に降り立つ喪服姿のエリザベス女王 Picture by: PA/PA Archive/PA Photos |
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1952年 | 戴冠式を開催 | |
1953年 | 夫とともに半年間の世界ツアーに出発する | |
1960年 | 次男アンドルーを出産 | ![]() |
1964年 | 三男エドワードを出産 | ![]() |
1965年 | 英元首では52年ぶりにドイツを訪問 | |
1981年 | ロンドン市内で襲撃未遂事件に遭遇する。 チャールズ皇太子とダイアナが結婚する |
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1992年 | アン王女が離婚。女王の離宮であるウィンザー城で火事が発生。即位40周年の記念式典で1992年 を「ひどい年」と表現 | |
1996年 | チャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚が発表 | |
1997年 | ダイアナ元妃が交通事故死 写真: ダイアナ元妃の事故死を受けて、バッキンガム宮殿の屋上に掲げられた半旗 Picture by: PA Archive/Press Association Images |
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1997年 | 英王室のウェブサイトがオープン。 金婚式を迎える | |
2002年 | 妹マーガレットと母エリザベスが死去。 即位50周年を迎える |
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2006年 | 80歳の誕生日を迎える 写真: 国民から贈られた誕生日カードに目を通す女王 Picture by: PPicture by: Fiona Hanson/PA Archive/PA Photos |
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フィリップ殿下との結婚60周年を迎える 写真: 結婚60周年の記念撮影に応じるフィリップ殿下(写真左)と女王(右) Picture by: Pictures by: Fiona Hanson/PA Wire/PA Photos |
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2011年 | 孫に当たるウィリアム王子がケイト・ミドルトンと結婚 写真: 結婚パレードで、沿道の人々の歓 声に応えるウィリアム王子(写真右)とキャサリン妃(同左) Picture by: Stefan Rousseau/PA Wire/ Press Association Images |
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2011年 | 英国の君主として初めてアイルランド共和国を 訪問 写真: アイルランドのマカリース大統領(写真左)と談笑する女王(同右) Picture by: John Stillwell/PA Wire/Press Association Images |
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2012年 | 即位60周年記念 |
国民が沸いた25歳の女王の誕生
エリザベス女王は、1926年4月、ヨーク公夫妻(国王ジョージ5世の次男となる父アルバートと母エリザベス)の長女としてロンドンで生まれた。エリザベスは王位継承順位では第3位。父の兄に当たるエドワードが継承順位第1位で、その後を継ぐのはエドワードの子供たちと考えられていたため、エリザベスが将来、女王になるだろうと思う者はほとんどいなかった。
1936年にジョージ5世が死去すると、エドワードが国王エドワード8世として即位したが、その時代は1年も続かなかった。離婚経験がある米国人女性ウォリス・シンプソンと交際していたエドワードは、国王の立場を維持したままでは離婚歴のある女性との結婚が許されないことを知って、王位を捨てる道を選択したからだ。そこでエリザベスの父アルバートがジョージ6世として即位し、その統治は1952年まで続いた。
健康が悪化していた父の代わりに、夫のフィリップとともに外国を訪問中だったエリザベスは、同年2月6日、父が亡くなったことをケニアで知ることになる。女王として英国に緊急帰国したエリザベスを、当時の首相ウィンストン・チャーチルが飛行場で出迎えた。 25歳という若くかつ美しい女王の誕生に、国民中が湧いたという。ダイアナ妃の事故で呼んだ国民の反感
エリザベス女王による統治が始まった当初は、大英帝国が解体しつつある頃だった。インド、パキスタンに続いて、かつての植民 地国が次々と独立していったのである。元植民地国を中心とした各国はやがて女王を元首とする英連邦を構成することになり、現在までに同連邦に54カ国が加盟。加盟国の総人口は約18億人で、これは世界全体の人口の約3分の1に当たる。
エリザベス女王の人気に影が差したことが、一時あった。長男チャールズ皇太子とその妻であるダイアナ妃が不仲となり、1980年代から90年代にかけて、夫婦の不倫関係がメディアで連日報道されていたころである。夫妻は1996年に正式に離婚したが、翌年にダイアナ妃がパリで交通事故に遭い、死亡。多くの国民がダイアナ妃を慕い、女王から何らかの追悼の言葉を欲していたが、事故発生後から数日間、女王一家はスコットランドにある避暑用の住居バルモラル城にこもり続けた。この対応が国民の大きな反感を買ったのだ。後に女王はロンドンに戻り、国民がダイアナ妃に捧げた追悼のカードの数々や山のように積まれた花束を見て、彼女の死が国民にもたらした悲しみと衝撃の深さを知った。女王はテレビに出演し、ダイアナ妃の突然の死を悼むメッセージを送り、国民の怒りは氷解していった。
多様化する英国をまとめる存在
英国は現在、移民出身の国民が全人口の10%を占め、国教とするキリスト教以外の信者も増えている。またスコットランド、ウェー ルズ、北アイルランドではそれぞれ独自の地方議会が成立した。英王室は、こうして分権化・多様化が進む英国をゆるやかに一つにまとめる象徴的な存在である。エリザベス女王の即位60周年記念イベントは、英国の一体感を確認し、また英国のここ数十年の変化を振り返る良い機会となりそうだ。
Jubilee
ジュビリー。通常は、50年目の記念行事を指す言葉。旧約聖書のレビ記の第25章で「ヨベルの年」として言及され、ヘブライ語の原語からラテン語の「ジュビリー」となり、「50年目の聖なる年」を意味する言葉となった。同書には、この年に奴隷を解放し、借金を帳消しとし、野に生えたものを食するようにと書かれている。この記述に沿って、ローマ・カトリック教会でも聖地を巡礼した者に罪の特赦を与える「聖年」が定められた。Silver Jubileeは25周年の記念日あるいはその式典、Diamond Jubileeは60周年の記念日あるいはその式典を指す。(小林恭子)
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