「世界で最も呪われた都市」という不名誉な噂を持つロンドンには、幽霊が出ることで有名なパブ、ホテル、劇場、公園などがいたるところに点在している。長い歴史に裏打ちされた不気味さが漂う路地や建物を見ているとそれはただの噂ではないことを確信する。今回はロンドン各地の幽霊スポットにあなたをご案内します。あなたが毎日通るあの道にもきっと幽霊が潜んでいるはず。毎日通るあの道で出会うあの人は、ひょっとして幽霊だったのかも……。
ゴーストのことなら、この人に聞け!
英国ゴースト研究家
リチャード・ジョーンズさん
英国で幽霊を語らせたらこの人の右に出るものはいないというほど、お化け事情に通じているリチャードさんに、英国のゴーストについて語ってもらいました。
Qどうして人は幽霊の話にかれるのでしょうか。
Aこれは私にも正確にはわかりません。私自身が幽霊に惹かれる理由さえわからないのですから。きっと人間はミステリアスなものに惹かれるのでしょう。
Qご自身の著書の中でロンドンは世界で最も呪われた街だと書かれていますが、どうしてでしょうか。
Aこれは歴史と関係があります。ローマ人が英国にやってきたといわれている約2000年前はロンドンの地表は今よりも約10メートル低かったのです。その後、文明が発展してゆく中で、埋立てが繰り返され今の高さになったと言われています。私たちの立っている真下には、今でも古代の人の墓や家などが埋まったままなのです。その霊たちの無念さがロンドンを覆い尽くしているのでしょう。
Qロンドンで(あまりにも幽霊が多いので)避けた方が良い場所を挙げてください
Aまずは、何と言ってもロンドン塔でしょう。ご存知だとは思いますが、あそこは多数の人が幽閉され、処刑された所です。中には無実の罪を被せられた人も多く、その無念は想像に難くありません。未だに毎晩不思議な現象が確認されています。他には、シティのニュー・ゲート・ストリートにあるパブ「The Viaduct Tavern」はポルターガイストで有名です。酒瓶やカーペットが宙を舞ったりしてますよ。
Qゴースト・ツアーを主催されていますが、ツアー中に幽霊に出くわしたことはありますか。
A幽霊を研究してますが、実は幽霊を見たことはないんですよ。まあ、見えたら、怖くて研究どころじゃないかもしれませんけどね(笑)。でも、こんな面白い話があります。シティで開催したゴースト・ツアーの参加者の子供なんですけど、バンク駅周辺にある石畳のコートヤードで話をしている時に、ひまを持て余したその子供が、ゆるくなった石畳を引っこ抜いておみやげに持って帰ってしまったんです。その子供は石をベット・サイドに置いていたということなんですが、その日からその家では不思議な人影を見るようになったそうです。
ある日、子供が学校に行っている間に、子供部屋からの物音を聞いた母親が、その部屋に入ろうとしたところ扉が開かない。近所の人に手伝ってもらって、どうにかしてこじ開けてみると、ベッドが扉を塞ぐように移動されていたというのです。もちろん子供にこんな力はありませんし、窓には内側から鍵がかけられていたので、侵入者がいたとも思えません。部屋に落ちていた石を見つけた母親が、不審に思い子供を問い詰めると、ゴースト・ツアーで行ったコートヤードから持ってきたと……。そこで、その母親は私に電話をくれました。私はすぐに石を返すように伝え、そのコートヤードへの行き方を説明しました。石を返した後は、不思議な現象は全くなくなったということです。
Q幽霊を見た時に、取り付かれないために何をすれば良いですか。
Aまずは落ち着いて、幽霊に「来ないでくれ」と伝えることです。他には、塩を撒いたり、幽霊は音を嫌うので鈴を持ち歩いたりすると良いですよ。幽霊と言っても恨みを残した者ばかりではありません。あまりにも突然の死によって、自分が死んだことを受け入れられない幽霊もいますが、この霊たちは大抵ハッピーで人に害を与えることはありませんよ。
Q最後に、幽霊になるにはどうしたら良いのでしょうか。
A一番大切なのは、死ぬことでしょうね(笑)。それが第一歩ですが、その後の過程については、私も研究中です。
リチャード・ジョーンズさん
Richard Jones
英国のゴースト・歴史研究家。英国内の幽霊スポットの研究を始めて20年以上というベテランで1982年からはロンドンや英国各地の幽霊スポットを案内する人気のゴースト・ウォーキング・ツアーなどを主催。ガイド業、執筆業以外にも、米国のミステリー番組に出演するなど多忙な日々を送っている。主な著作に「the Trail of Jack the Rippers」「Walking Haunted London」などがある。 www.haunted-britain.com
Haunted London
ロンドン各地の呪われた場所を、不気味な写真と共に紹介する。ロンドンに長年住んでいる人でも新たな発見があるはず。
Walking Haunted London
上の本と内容が重なるが、こちらは地図&ルート付きの小型版なので持ち歩きにも便利。自分で色々と歩き回りたい人向け。
英国の有名幽霊たち
英国では、歴史上の有名な人物はほとんど必ずと言って良いほど幽霊になって現れる。そのため、ほとんどの幽霊は「○×時代の○○さん」といったように身元が判明していることが多い。その中でも最も頻繁に目撃される幽霊を以下に挙げてみた。
第1位 アン・ブーリン Anne Boleyn
離婚して新しい妻を娶るために英国の宗教まで変えてしまったヘンリー8世の2番目の妻。取り立てて美人ではないが、きらきら輝く漆黒の魅力的な瞳にヘンリー8世が夢中になったと言われている。1533年ヘンリー8世と結婚し王妃の座に就くも、わずか3年後の1536年には不倫の濡れ衣を着せられロンドン塔に幽閉され、同年5月19日に斬首刑に処された。アンの幽霊は、処刑の翌日から目撃されるようになった。首のない4頭の馬に引かれた馬車の中には首から上のないアンが座っていたり、誰もいないはずの礼拝堂の明かりをつけ部屋を徘徊している姿が報告されている。約450年も前から、ロンドン塔の勤務簿にはアンの幽霊の出没記録が細かく記録されているのだが、特に斬首が行われたロンドン塔内のタワー・グリーンで目撃されることが多い。
目撃スポット
タワー・オブ・ロンドン(ロンドン塔): 数々の著名人が幽閉され処刑されたことで有名。主な観光スポットでありながらも、その気味の悪さは指折り。
(Tower Hill, London, EC3N 4AB)
他、ハンプトン・コート・パレス、ホーヴァー城でも目撃談あり。
第2位 キャサリン・ハワード Catherine Howard
アン・ブーリンの従姉妹で同じくヘンリー8世の妻(5番目)。1540年ヘンリー8世に見初められ結婚した後も、前の恋人との付き合いが終わることはなく、1542年、ついに王の怒りを買いロンドン塔に幽閉される。処刑の際、キャサリンは恐ろしいほどの力で処刑人たちの手を振りほどき、髪を振り乱し叫びながら処刑場の中を逃げ回ったそうだ。処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追いかけ回したが、3 度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。キャサリンの亡霊が頻繁に目撃されるのは、ヘンリー8世と暮らしていたハンプトン・コート・パレス。許しを請いながら、廊下を引きずられて行く姿や宮殿内ロイヤル・チャペルのドアをバンバンと叩く姿が目撃されている。
目撃スポット
ハンプトン・コート・パレス: ヘンリー8世が建てた宮殿。ロンドン塔と同じく幽霊目撃談が多い。最近では、防犯カメラに昔のドレスをまとった人が映った事件が発生し世界を驚愕させた。
(East Molesey , Surrey KT8 9AU)
他、タワー・オブ・ロンドンなどでも目撃談あり。
ロンドン・ゴースト・スポット・マップ
1. 浮遊するピエロ
Theatre Royal, Drury Lane WC2
ロンドン最古の劇場「シアター・ロイヤル」。現在の建物は1812年に建てられたものだが、1633年からこの場所に劇場があったという。数々の俳優、女優の霊が出ることで知られているが、その中でも有名なのが17世紀初頭にピエロ役で名を馳せたジョゼフ・グリマルディだ。ジョゼフは才能に恵まれていたにもかかわらず、重病のため体に障害を負い舞台から退かざるを得なくなった。以後貧しい生活を強いられたジョゼフは、1837年亡くなる直前に埋葬前に体から頭部を切り離して埋めて欲しいという奇妙な願いを託して息を引き取った。以後今日に至るまで、このシアター・ロイヤルでは、浮遊するピエロの顔が何度も目撃されている。
2. 山高帽の男
Covent Garden Station, WC2

観光客や買い物客などで賑わうコベント・ガーデンだが、この駅にもまた数多くの幽霊目撃談が残されている。1955年のクリスマス・イブ。駅員室のドアが激しくノックされた時、駅員のジャック・ハイデンは、駅構内のオフィスにこもり仕事を片付けている最中だった。「迷ってしまった乗客だろう」と思ったジャックは、「ここは通り道ではないですよ」と叫んだが、ノックは止まらない。不審に思ったジャックが扉を開けると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった背の高い男性の姿があった。その男性はジャックを見た後、一言も発することなく振り返り、階段の方へ歩き始め、そして空中に消えてしまったという。その後、ジャックや同僚たちはこの男性を40回以上も目撃したと記録されている。ある日、ジャックたちが近くのアデルフィ劇場を訪れると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった見覚えのある男性の写真があった。写真には「人気俳優ウィリアム・テリス」との解説がついていたが、彼こそが夜な夜な現れる幽霊の正体だった。しかし、テリスは1897年アデルフィ劇場の前で配役に嫉妬した俳優仲間に殺害されていたのだった。
3. ロンドン一呪われた家
50 Berkely Square, W1
高い天井、そして大理石の床に彩られた18世紀調のジョージアン建築。一見すると文句のつけようのない素晴らしい建物だが、これこそがロンドン一呪われた家なのだ。1907年に出版された作家チャールズ・ハーパーの書物には次のような記録がある。「名もない生首や血みどろの骸骨が住みついた部屋がある。そこで眠るものに待ち受けているのは、恐ろしい死のみ……」。友人との賭けでその部屋で一晩過ごすことにしたある男性は、そこで起こった恐ろしい出来事を目撃したショックで口も聞けなくなり、まもなく死亡した。その部屋でその男性が何を見たのか知る者はいない……。今も空家のはずのこの家から、夜中に電気が点灯されたり、騒々しい物音が聞こえてくるという。
4. 謎のポルターガイスト
Burlington Arcade, Piccadilly W1

ピカデリーに面した風格ある「バーリントン・アーケード」。ここの皮革製品を扱う店で、ポスターガイスト現象が見られるようになったのは1970年代のこと。夜中に店の製品が宙を舞い、朝になると床に円を描くように製品が並べられていたと言うのだ。警察が調査に乗り出したものの、この件に人間が関わっているという手がかりは見つけられず、この現象の説明に窮してしまった。店側ではこの現象を集客に利ようと「ポルターガイストの起こる店」との看板を出すまでに至ったが、霊はその看板に気を悪くしたのか、それ以降ポルターガイスト現象が見られることはなくなったという。
5. 火事場からショッピング
Fortnum and Mason, 181 Piccadilly, W1

王室御用達の食料品店「フォートナム&メイソン」でも幽霊が目撃されている。1960年代のある日、TV司会者でジャーナリストのナンシー・スペインは、会議へ向かうため、タクシーを捕まえようとフォートナム&メイソン前に立っていた。しかし、なかなかタクシーは捕まらず焦りは募るばかり。そんな時1台のタクシーが目の前に止まった。中には赤毛の女性が乗っている。財布が見つからないのか支払いに手間どうその女性にいらいらしたナンシーは、その女性のタクシー代金を支払うことを提案した。赤毛の女性はナンシーに感謝し、フォートナム&メイソン内へと消えていった。ナンシーがタクシーに乗り込むや否や、タクシーの運転手はナンシーにこう言った。「彼女はかの有名なC夫人だよ。大金持ちだから、君がタクシー代金を払う必要などなかったのに……」。翌日母親の元を訪れていた時に、この話を思い出したナンシーは「C夫人のタクシー代を払ってあげたの」と母親に自慢した。それを聞いた母親が怪訝な顔付きで持ってきたものは、C夫人が火事で焼死したという3日前の新聞だった。
6. 333号室に住みつく霊
Langham Hilton Hotel, Portland Place, W1

1864年にオープンし、作家マーク・トゥエイン、劇作家アーノルド・ベネット、作曲家ドヴォルザークなどの著名人の宿泊場所として名を馳せたランガム・ヒルトン・ホテル。現在も高級ホテルとして使用されているが、BBCのオフィスとして改造された時期があった。しかしその当時も3階部分にはスタッフの宿泊施設として元のホテルの部屋が残されていたという。1973年のある日、BBCアナウンサーのジェームズ・アレクサンダー・ゴードンは、333号室に宿泊していた。夜中ジェームズが目を覚ますと、火の玉のようなものが宙を彷徨っているのに気付いた。ジェームズが光をじっと眺めていると、それは、エドワード調の衣服をまとった男性の形に姿を変えていったのだ。翌日ジェームズが同僚にこの話をすると、その霊を見たことあるという者が続出した……。現在は再びホテルとなったランガム・ヒルトンだが、その幽霊はまだ333号室に住みついているという。2003年5月に333号室に宿泊した女性は予定よりも早くチェック・アウトした後、幽霊を目撃したと記した手紙をホテル宛てに出している。
7. クレオパトラの呪い
Cleopatra's Needle, Victoria Embankment, WC2
エジプトのパラオによって約3000年以上も前に建てられたこのモニュメントが、ロンドンに持ち込まれたのは1878年のこと。このモニュメントに刻まれた古代エジプトの女王クレオパトラの呪いは未だもって解けていない。その証拠に、このモニュメントの立つ場所は、テムズ川流域で最も自殺の多い場所で、また付近から響く怪しげな笑い声やうめき声を聞いたとの噂も後を絶たない。1940年には、この場所である人物が身投げ自殺をするのを目撃した女性が、警察に助けを求めているが、川から引き上げた遺体はその助けを求めた女性自身だったのだ。
8. 頭のない貴婦人
St. James's Park, SW1
ジェームス1世により1603年に作られた都会のオアシス、セント・ジェームズ・パーク。1660年にはチャールズ2世が増築し、19世紀には建築家ジョン・ナッシュが改造を加えたという池がある。この池では、頭のない貴婦人が水中から現れ、陸に上がったとたんに気が狂ったように走り出す姿が目撃されている。一説によると、この霊は夫により殺害され池に捨てられた女性だと見られている。女性は、池に捨てられる前に首を切り落とされ秘密の場所に埋められたと言われている。今でも、自分の首を探して公園内を徘徊しているのだとか。
9. 夜な夜な響きわたる声
Lincoln's Inn Fields, WC2
ロンドンで最も大きなスクエア、リンカーンズ・イン・フィールズ。今でこそ、落ち着いた雰囲気の素敵な場所だが、その昔この場所は残忍な処刑場だったのだ。1586年、エリザベス1世の暗殺を企てたアンソニー・バビントンとその13人の仲間たちは、ここで絞首刑に処され、まだ息を引き取る前に内臓などを取り除かれた。また、1683年にはチャールズ2世の暗殺を企てたラッセル卿もここで斬首刑に処され、命を落としている。この場所では、日が暮れると強烈な叫び声を耳にすることが多いという。また、ここで命を落とした者たちが、今でも夜な夜なこのスクエアを徘徊している姿が目撃されている。
10. 私の兄はどこ?
The Bank of England, Threadneedle Street, EC2
1811年、イングランド銀行に勤めるフィリップ・ホワイトヘッドは、横領の罪で捕まり翌年処刑された。この事実はフィリップの妹サラには告げられないでいたのだが、行方不明となった兄を探し銀行にやってきたサラに、ある職員が事実を告げてしまった。兄が死んだという話を聞いて気が狂ってしまったサラは、その日から毎日毎日イングランド銀行に通い「私の兄はどこ?」と尋ねるようになった。最初は哀れに思っていた職員たちも度重なる訪問に嫌気が差し、1818年イングランド銀行は、20ポンド(現在の20万ポンドにあたる)と引き換えに、銀行への立ち入り禁止とする取り引きをサラに提案した。サラは、その取引に了承し、生きている間は2度とイングランド銀行に戻ることはなかったという。そう、霊となって戻るまでは……。サラの霊は現在でもイングランド銀行周辺を彷徨っており、長いドレスをまとった女性が「私の兄はどこ」と尋ねる姿が目撃されている。最近彼女を目撃した米国人バンカーは、サラを仮装パーティーに参加する女性だと思い、くだんの質問に「あなたのことも、あなたの兄のことも知らない」と答えた。その後、その女性は宙に消えていったのだ。
11. 復讐を求めて彷徨う黒い犬
Amen Court, Warwick Lane, EC4
17~19世紀に建てられた家が並ぶアーメン・コートは、セント・ポール寺院に務める聖職者の住まいだ。のどかな家並みとは裏腹に、ここの裏手には気味の悪い暗い壁が立ちはだかっている。その昔、ここには劣悪な環境のニューゲート監獄があったのだ。1902年に監獄は解体されたが、死刑宣告を受けたものが歩いたと言われる小さな小道は残されたままだ。この気味悪い壁のあたりを彷徨う霊はたくさんいるが、最も恐ろしいのは「ニューゲートの黒い犬」。ことの起こりは13世紀、ヘンリー3世の時代まで遡る。当時、ロンドンは酷い飢饉に見舞われ、ニューゲート監獄の収容者は食事も与えられていない状態だった。そして、お腹をすかせた囚人たちは生き残りをかけて、新たに入所してくる囚人を食べるようになったのだ。ある日、裕福な学者が魔法を使ったという罪(?!)でこの監獄に入所してきたが、肉付きが良かったのが災いしてか、数日後には飢えた囚人の餌食となってしまった。その夜から、監獄内では炎の目を持ち、口からは血を滴らせた黒い犬が目撃されるようになった。学者が復讐のため犬に姿を変えて戻って来たのだ。犬は囚人を襲い、犬を目撃した恐怖から死んでしまった者もいたという。復讐を終えた今でもアーメン・コートをうろつく黒い犬の影が頻繁に見かけられている。
12. 夜中の足音
St. Bartholomew the Great, West Smithfield, EC1
セント・バーソロミュー・ザ・グレートは、1123年に建てられたロンドンで最も古い教会の一つだ。ミステリアスな内装に、中世風の外観を誇るこの教会は、「ロビン・フッド」や「フォー・ウェディング」などの映画のロケ地としても使用された。しかし、その他の歴史ある建物と同様この教会もやはり呪われているのだ。この教会に現れるのは、教会を立てたラヒアという僧の霊だ。彼はもともとヘンリー1世に仕えていたが、王の後継ぎとなるウィリアム王子を乗せた船がカレー沖合で座礁したことに心を痛め、僧となることを決意しローマへと向かった。その途中、ラヒアはマラリアにかかり生死の際を彷徨ったのだが、瀕死の床で「もし無事に祖国に戻れたら、貧しい人のために教会を立てよう」との誓いを立てた。その後回復に向かったラヒアは、誓いどおり英国に戻り、スミスフィールドに教会を建てた。そして1145年、ラヒアが亡くなった後には、教会の祭壇の左脇に彼の墓が建てられたのだ。
19世紀になり、ラヒアの墓の修復がなされた時、ラヒアのサンダルを盗んだ僧が奇妙な死に方をした。ラヒアの呪いだと思った周囲の人間がサンダルを返したが、ラヒアの霊はその後も静まることはなかった。1999年、教会の防犯ベルが作動した時には、見回りに来た僧が、確かに中央廊下を歩く人の足跡を聞いたという。侵入者の仕業だと思った僧が扉を閉め警察を呼んだが、侵入者が見つかることはなかった。その後、セキュリティ・システムを確認すると、ラヒアの墓のある場所だけに、何者かが通った跡が発見された。ラヒアの墓に辿り着くには、長い通路を通らなければならないにも関わらず、その通路を人が通った気配はなかったのだ。
13. ハンサムな幽霊
The George, 214 Strand, WC2
白壁に黒木のチューダー朝の外観のこのパブの歴史は17世紀にまで遡る。幽霊はその当時からこのパブに潜んでいると言われている。1970年、改装のため何人かの塗装業者が呼ばれ、それぞれが仕事についていた。しかし、作業を始めてから20分後ぐらいに、地下のセラーを担当した塗装業者が恐怖で顔をこわばらせて、パブのオーナーのところにやってきた。「出たんです。幽霊が。何も言わずに、じっとこちらを見ているんです」。恐怖でしどろもどろになる塗装業者を見たオーナーは、釈然とした態度でこう答えた。「ああ、それはここにずっと住んでいる幽霊だよ。ここで働く人はみんな見てるんだ」と。
14. 揺り椅子に腰掛けたオーナー
Ye Olde Red Cow, 71 Long Lane, EC1
スミスフィールド・マーケットに立つ小さなパブ「Ye Olde Red Cow」。マーケットで働く人のニーズに合わせて、午前6時30分から9時まで開店できる特別なライセンスを持っている珍しいパブだ。このパブの経営者ディック・オセアは、毎日ウィスキーを片手に窓辺においた揺り椅子に腰掛けて、客の出入りを眺めている。そしてその光景は、1981年にディック本人が死亡した後もずっと続いているのだ。このパブの窓辺でウィスキーを飲む男の姿を見かけたら、それはきっとディックの幽霊に違いない。
ロンドン中を震撼させた猟奇事件
切り裂きジャック Jack the Ripper
一度ぐらいは、「切り裂きジャック」という名前を聞いたことはあるだろう。幽霊ではないが、未だに未解決のままとなっている残酷な猟奇殺人事件の犯人だ。世間を恐怖のどん底に陥れたこの事件とはどのようなものだったのだろうか。
事件概要
署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどした「劇場型犯罪」の元祖。1888年8月31日~11月9日までの約2カ月間に、わかっているだけでも5人の売春婦が狙われ、特定の臓器を取り除かれた死体が発見された。事件現場はいずれもロンドンのイースト・エンド。厳重な捜査網が敷かれたにもかかわらず、犯人は捕まっていない。臓器摘出の後などから、犯人は医者だったのではないかと言われているが、真相は謎に包まれたままだ。
被害者と犯行痕
被害者1 メアリー・アン・ニコルズ(42)
1888年8月31日深夜4時頃、喉と腹部を切り裂かれた状態で路上に転がっているのを発見された。メアリーの内臓は何者かによって持ち去られていた。
被害者2 アニー・チャップマン(47)
1888年9月8日午前6時頃、喉を切り裂かれた死体が発見された。腹部の傷から、引っぱりだされた腸は肩まで届いており、遺体からは子宮と膀胱が持ち去られていた。
被害者3 エリザベス・ストライド(44)
1888年9月30日深夜1時頃、喉を切り裂かれた状態の死体が発見された。被害者4 キャサリン・エドウッズ(43)1888年9月30日深夜2時頃、喉が切り裂かれ、耳たぶと鼻は切り取られ、両目と頬にはV字型のキズが切り刻まれた死体が発見された。死体からは子宮と腎臓が持ち去られていた。
被害者5 メアリー・ケリー(25)
1888年11月9日午前11時ごろ、家賃を徴収しに部屋を訪れた大家がベッドの上に寝転がるメアリーの死体を発見した。腹部と太もも部分の皮がはがれており、内臓が全て取り除かれた腹部は空洞となっていた。また乳房が取り除かれ、両腕は切り落とされていた。そして、顔は判別不能なほど切り刻まれていた。
切り裂きジャックからの手紙
新聞社などに送り付けられた手紙は、常に血を連想させる赤インクでしたためられていた。
1888年9月25日
俺を捕まえようと頑張ってるみたいだけど、無理だね。警察のやつらが偉そうに犯人の話をしているのを聞くと笑ってしまうよ。どうやって俺を捕まえるつもりだい?この間の殺人は最高だったね。叫ぶヒマも与えなかった。俺はこの仕事(殺人)をやめるつもりはない。次は(被害者の)耳たぶを切り落として警察に送りつけてやろうか。楽しいねぇ。この手紙をとっておいて、次の事件が起きたら取り出してみなよ。ナイフの切れは最高だし、早く次の獲物を見つけないとな。
Yours Truly,
Jack the Ripper
PS. 警察は俺のことを医者だと思ってるみたいだな。ヒヒヒヒヒ。



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ライムハウス地区に出来た1955年当時のチャイナタウン(写真左)、

在英中国人にとっての心のよりどころに
早い、うまい、安いがウリ!
チャイニーズ・エルビスとはこれいかに

1955年生まれ。長崎県出身。東京大学在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。92年、劇団解散後に文化庁芸術家在外研修員として1年間のロンドン留学を果たす。翌年93年に帰国後は、企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。以降、プロデュース公演形式で数々の作品を発表し続けている。


THE BEE
舞台は70年代の日本。平凡なサラリーマン、イドは自分の留守中、こともあろうか脱獄犯に妻子を人質に取られてしまう。途端に騒ぎ立てるマスコミや警察。彼らの高圧的な態度、欺瞞に満ちたその本質に触れたイドは、次第に常軌を逸していく……。




スタッグ・ナイトとは、結婚を間近に控えた男性が、友人たちと開く独身最後のパーティーのこと。一方のヘン・ナイトは女性のみのパーティーを指す。四六時中コッコとやかましいニワトリの名を取っていることからもわかる通り、時には警察沙汰になるほどの大騒ぎとなる。このパーティーの費用を出すのは友人たち。結婚後も変わらぬ友情と、男性の場合は今後奥さんに財布の紐を握られてしまう新郎への労わりを示しているんだそう。


婚約と婚約指輪の起源は中世英国にまでさかのぼる。先程も説明した通り、中世英国の一般家庭において、独身女性は大切な働き手だった。その貴重な人材を失ってしまう家族に対して、新郎は対価を支払わなければならなかった。その対価を支払う期間が「engagement」だったのである。当時、金の指輪は通貨として使われていたため、金の指輪が対価として新婦側の両親に送られたという。これが婚約指輪の始まりと言われている。
日本では常に悩みの種となるご祝儀。そんな風習のない英国では、その代わりに新郎新婦が欲しいものを自分たちでリスト・アップし、招待客にはその中から選んでプレゼントしてもらうという習慣がある。それが「ウェディング・リスト」。英国には専門店も数多くあり、お祝いを贈る人は指定されているお店へ出向き、リスト・アップされているものの中から自分の予算に合ったものを選ぶことができる。このウェディング・リスト、予算によってピンキリで、上流階級の人たちはハロッズやセルフリッジ、お金に余裕のない場合にはなんとテスコのトイレット・ペーパー1年分、なんていうのまであるらしい。
日本では天井まで届きそうな巨大なウェディング・ケーキを見かけることもあるけれど、ここ英国のケーキは極めてシンプル。基本は3段重ね。一番下は結婚式に出席した人が食べる用、真ん中は出席できなかった人に贈る用、そして一番上は最初の子供の洗礼式まで取っておく。子供が生まれるまでという長期計画だから、日持ちするようにスパイスたっぷりのフルーツ・ケーキを使うのが英国流。日本人にはちょっと甘すぎるくらいだけど、英国人はみんなこのケーキが大好きなんだそう。
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1. 教会での結婚式
戸籍制度のない英国では、重婚を避けるために、まずは自分が独身であるという証明を役所に提出する必要がある。その上で誰も異論がなければ婚姻許可証を受け取ることができるのだ。その後挙式するのが結婚に至るまでの基本パターン。もともとローマ・カトリックを信仰していた英国が、英国国教会という独自の宗派を立ち上げたのは、時の国王ヘンリー8世が王妃と離婚するため。こんな背景を持つお国柄だけあって、他のキリスト教国と比べると、日常生活におけるキリスト教の浸透度はそれほど高くはない。また多民族国家である英国では、インド風の結婚式や、新郎と新婦の手を固く縛り付ける、ハンドファスティングというケルト起源の結婚式もある。最近は海外挙式を行う人も増えるなど、結婚式の多様化が進んでいるが、その一方で、やはり結婚式は教会でと考える人も多い。挙式と入籍が別々の日本とは異なり、挙式の瞬間が入籍となる英国では、結婚式はやはり神聖なもの。神の前で愛する人と誓いを交わしたいと思うのももっともかもしれない。

クリブデン - Cliveden
◆Hiromi Cherryさんウェディング・プロデュース会社
ハートウェル・ハウス - Hartwell House
ハイクレア・カッスル - Highclere Castle











コンサベーション・エリア



パーム・ハウスを手掛けた建築家バートンによる設計のテンペラート・ハウス。1859年に着工、途中政府による資金援助が滞るなどトラブルに見舞われ、完成までに実に30年もの月日を費やした。パーム・ハウスの2倍の面積(4800平方メートル!)を誇り、温帯植物を中心に展示している。







毎年7月の1週間だけ、ハンプトン・コート宮殿の敷地内を舞台に開催される「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー」。世界各国から参加申し込みが殺到し、700以上の出品者が自慢の花や植物を展示する。新人ガーデン・デザイナーによる展示を見たり、新種の苗を実際に買ったりするのも楽しみのひとつ。
毎年人気の部門
英国ならではの花といえば
花や植物を見るだけでなく、その背景にある英国のガーデニングの歴史に興味がある方には、「ガーデン・ミュージアム」がおすすめ。博物館自体はランベス・ブリッジ橋を南に渡ってすぐのところに建つ、セント・メアリー・アット・ランベス教会内にあり、そのいきさつがユニークだ。
英国人の庭は不思議がいっぱい
ガーデン・ノーム人形は元はドイツで発祥し、19世紀後半に英国に輸入されたもので、原型は粘土などで作られ彩色を施し、とんがり帽に白いあごひげをたくわえたおじいさんの形をしていた。しかし1960年代になると、プラスチック製で絵の具の塗りも粗雑な、質の悪いものが出回るように。それが原因でガーデン・ノーム人形は下品で趣味が悪いというイメージが付いてしまった。つい10年程前までは英国中の庭に500万体ものノーム達が見られたが、今となっては380万体に減少。売上げもブームの頃と比べて3分の1の年間300万ポンドに落ち込んでいる。現在ではデザインがハイテクであったりセクシーであったりとバラエティーに富んでいるが、よほどリバイバル・ブームでも起きない限り、売上げの減少傾向はさらに続くとのこと。 
ご存知英国の第73代首相。まだ若々しさを十分に残していた41歳の時に労働党党首に任命され、その3年後に政権を奪取。以来、9年間にわたって首相として君臨している。彼の特徴として、「神がかった」という表現が似合うほどのパフォーマンスの上手さが挙げられる。日本の政治家ではめったにお目にかかれない、凛々りりしくスマートないでたち。上品な言葉遣いと流暢な話し方に加えて、敵陣さえ笑いに誘う抜群のユーモアのセンス。そして何よりも、政策を訴える際に眩いばかりにキラキラと輝く両目。思わずうっとりして彼が何を言っても信じてしまいそうになる。
近年の英国経済の安定は、ブラウンの功績による部分が大きい。国債の発行を制限する緊縮財政で財政管理し、公定歩合を設定する権限を中央銀行に与えて市場の信頼を勝ち得た。さらにはアフリカ諸国への援助金捻出に奔走するなど、政治的貢献も果たしているのに、妖怪ぬりかべみたいなダミ声を出すものだから陰湿なイメージがまとわりついてヒーローになり切れない。
メディアからは「ブルドッグみたい」と形容される政界のお騒がせ男、ジョン・プレスコット。学生時代は落第したこともあり、政治家になる前は船乗りだったという異色の経歴を持つ。議員デビュー当時から破天荒な言動で物議を醸していたが、高齢になってもそのはみ出しぶりは衰えず、今でも国会の壇上に上れば文法一切無視の不明瞭な演説を行って、周りからの嘲笑の的となっている。ブレア首相が話している間も平気で居眠りこき、抗議目的で卵を投げつけた市民をグーで殴りつけて逆襲したこともある。こんな人が副首相なんていう肩書きを持てる英国の政治の世界って本当にすごい。そんな荒らくれ者のイメージばかりが強調されるが、実は分裂しがちな労働党を上手にまとめる親分として厚い信頼が寄せられているプレスコット。人災を起こすほど荒れたり、時には温かく党員を包み込んだり、ともかくとっても器の大きな海の男なのだ。
今、最も注目を浴びる女性政治家。イタリアのベルルスコーニ元首相の汚職事件に夫が関係していたとの報道で、一斉に脚光を浴びた。政治家としての立場も危うくなり「苦渋の選択」の末に、彼女は結局その夫と別れることを選んでひとまず解決。ああ、女にとって夫の存在ってそんなものか、と英国中の既婚男性に深い溜息をつかせた一件であった。メディアも汚職問題にかこつけて報道していたが、実際のところこの夫婦の愛憎劇の方に興味津々だったのだ。本業では2012年に開催されるオリンピックの開催地としてロンドンが選ばれたことで、オリンピック大臣にも任命されている。しかし競技場建設の深刻な遅れなどの問題が再三にわたって指摘されており、開催日が近付くにつれて今後猛烈に叩かれること間違いなし。その時に夫が再び現れて彼女を支える、なんて話も興味がある。
1997年に当選してからスピード出世を果たし、2004年暮れに教育相に任命され女性としては最年少で入閣を果たした。しかしその後まもなくして国内の学校に性犯罪の前科を持つ者が職員として多数採用されていた事実が発覚し、事態は急展開。憧れの内閣デビューを飾った途端に性犯罪者の対応に追われた。ここぞとばかりに野党やメディアは政府の管理責任を激しく追及。田舎臭さが漂うもっこりした髪に、バリトン並みの低い声を持つがゆえ不器用に映る彼女をここぞとばかりに叩きに出た。しかし彼女は毅然とした態度で記者会見に臨み、国民の理解を得ることに成功する。市民に卵を投げつけられても、ブレア首相が推進する教育改革で大忙しの毎日でも文句言わずにひたすら働く彼女。どんなにしごかれても明日へ向かって生きていく、そんな前向きな新入生を思い起こさせる。
インテリじみた話し方が少し気になる男。内相時代に犯罪者に対する厳重な取り締まりを掲げ、それまでの犯罪に甘い労働党、というイメージをうっちゃった。細身の体ながらも強気で威張っているストローだが、何せ明晰な頭脳を持つがゆえに市民の間ではすこぶる評判が良いという。イラク情勢やイランの核開発問題など、英国を悩ます中東問題が議題に上ると、ガサガサと昆虫みたいにしゃしゃり出てきては、記者会見上で顔の表情ひとつ崩さず対応する。それだけに、どうしても冷徹なイメージが付きまといやすいことも確かである。
剛毅な印象を与える北部独特の訛りと睨みを利かせた顔はやくざである。かつては共産党員だったこともあるほど豊富な経験を持つ彼には、保健相という意外な職歴がある。同ポストに任命された瞬間「保健相なんてやってられるか」と叫んだという逸話が残っており、きな臭い今のポストの方が似合うことは十分自覚しているのだろう。戦闘的なイメージばかりが際立つが、実は経済史の分野での博士号を持っている知性派。知識と風格、そしてファイティング・スピリットの3拍子揃った僧兵のような彼に集まる信頼は厚い。
雅で人畜無害なオバサマに見えて、実はかなりやり手の政界大ベテラン。かつてブレアそしてプレスコットと共に労働党党首の座を争ったこともあり、割と権力志向の強いタイプなのかもしれない。また大学時代には鉱石から金属を取り出して精製する過程を調べる冶金学者としての資格も取得しているという、根っからの地学オタクでもある。エネルギー源不足に悩む英国で再燃している原子力発電利用について論じる際に度々メディアに登場し、是非を問わない玉虫色の発言に終始してはお茶を濁している。
とっておきのいじめられキャラ。155センチの低身長に顔の面積の約3分の1を占める大きなメガネ。何を話しても必死で言い訳しているように聞こえる口調。挙げ句の果てに「無任所」なんて曖昧で中途半端な肩書きを持つ彼、もう一つのポストである労働党委員長なんて、他に誰もいないから無理やりやらされているという構図がはっきりと見て取れる。が、15歳でストライキを指揮したという実績を持つ彼を侮ってはいけない。決して人々の信頼を裏切らない彼がいるからこそ、現内閣を支援するという議員も多数いるのだ。
かつて家庭生活を優先したいがために議員デビューを遅らせたことがあるという、オヤジたちが泣いて喜びそうなエピソードを持つヒューイット。さらに保健相とくれば柔和なイメージばかりが膨らむが、実は札付きの剛腕フェミニストでもある。男性の部下をクビにして無能な女性を雇い、男女差別法に触れると訴えられて敗訴したこともあるくらいだ。また国家破壊活動に従事しているとの疑いで国内の諜報機関MI5に追跡されたこともある。現政権では吹けばほこりが飛び散る国家医療制度(NHS)について弾劾追及される毎日を過ごしている。
仙人のような白い口ひげが特徴の舌鋒家。テロ問題で揺れる英国の治安対策では、その強気な姿勢が功を奏している。というのも、2005年の同時多発テロ発生以降、IDカード導入や反テロ法成立など国家の管理強化に危機感を強めるリベラル知識人が数多くいる中、彼らを「害毒」呼ばわりして蹴散らしているからだ。かと思えば、国外追放の対象である外国人犯罪者が内務省の不手際で大量に釈放されていたことが判明し、各方面から糾弾されると結構しどろもどろだった彼。所詮は空威張りしていただけなのかもしれない。




ロンドン地下鉄駅などで配布している無料紙。1999年の創刊後、都市に住む若い人たちの間で人気を博し、今では12都市で170万部の部数を誇るようになった。地下鉄利用客が電車の中で楽しめるようにと、20分で全ページを読み通せるぐらいの平易な文章で記事が書くのがモットー。英国での出来事を浅く広く押さえるには最適の媒体。
書籍や雑誌の保存なら世界一を誇る大英図書館の一部であり、新聞に特化した資料館がここ。英国内にある新聞資料はとにかく何でも揃えてあって、調査活動には最適。館内には研究室のような暗い部屋で、マイクロフィルムに保存された過去の新聞を見つめる人たちがいっぱいいる。日曜日を除く日の10~17時開館。
金融街シティと劇場が立ち並ぶエンターテイメントの聖地コベント・ガーデンの間にある道。近年までこの通りに多くの大手新聞社がオフィスを構えていた。近くには「Printer's Devil」などという看板を持ったパブがあり、当時は飲んだくれ、かつ気骨のある新聞記者たちの溜まり場になっていたという。
プレゼントとしての新聞を扱うユニークな機関。異なる年代におけるそれぞれの日付を持った新聞をもれなく保存しているので、例えば友達の誕生日に発行された新聞をここで購入してプレゼントすることができる。自分が生まれた日に英国ではどんな出来事があったのか、誰が死んだのかなど、興味をそそられるはず。
スコットランド
スコットランド出身の有名人と言えばずばりこの人、ユアン・マクレガー。いまや英国を代表する人気俳優ユアンはスコットランド出身であることに誇りを持ち、映画のプレミアに民族衣装のキルト(お馴染みのタータンチェックのスカートである!)を着てくるほど。言葉の節々にスコットランド訛りも健在だ。一方、元祖スコットランド出身俳優と言えばショーン・コネリー。彼の場合はどんな役を演じていてもアイルランド訛りが残ってしまうということで、映画専門誌「エンパイア」の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、栄えある1位に輝いている。
北西部
北西部にはリバプールが含まれている。こう言えば誰もが思い出すのがリバプール出身のビートルズだろう。意識的に訛りを取ろうと努力していたポール・マッカートニーに対し、ジョージ・ハリソンはかなり長い間リバプール訛りが抜けなかったようだ。ボーカルを取った時でも訛りは全開だったというから、北西部訛りを勉強したいならジョージの歌を聞いてみては?
北東部
英国内で爆発的人気となった映画「リトル・ダンサー」。この映画の主人公、ビリーを演じたのは、役柄同様北東部ビリンガム出身のジェイミー・ベル。現在は俳優の仕事で米国に滞在することも多く、かなり米語のアクセントも会話に混じるようになった。一方、先日オリビエ賞を受賞し、目下ウエスト・エンドで人気ナンバー・ワンとなっているミュージカル版では、現在も北東部訛りがしっかりと受け継がれている。映画の監督も務めた演出家のスティーブン・ダルドリーいわく、ビリーを演じる上で「完璧な北東部訛りは必須」。いかに訛りが北部の生活を描く上で大切な要素なのかがうかがえる。
北中部
上流階級臭をぷんぷん漂わせているサッチャー元首相。実は彼女、北中部リンカンシャーの労働者階級の出身だった。学生時代に徹底的に発音の特訓を受け、見事RPを話すようになったのだが、議会でも激昂するとつい本来の北部訛りが出てしまい、冷笑されていたとか。
ウェールズ
ご存知BBC1の大人気コメディ「リトル・ブリテン」。その中の人気エピソードに、自分が町で唯一のゲイであることを誇りに思い、他のゲイをどうしても認めようとしないダフィドという人気キャラがいる。このダフィドが住んでいるのがウエールズの「フランデュイ・ブリッフィ」(Llanddewi Brefi)という町なのだ(ちなみにこのllの発音はウエールズ語でも最も難しいらしい)。ウエールズ出身の有名人で、世界的に有名なのは、アンソニー・ホプキンスやキャサリン・ゼタ・ジョーンズ。両者に共通しているのは、さまざまな訛りを使い分けて英国のみならず米国でも活躍していること。自分たちの訛りに誇りを持っているはずのウエールズ人が、華麗に訛りを使い分けるというのも面白い話だ。

英国サッカー界の貴公子、ご存知ベッカム。マンチェスター暮らしが長い彼だが、ロンドンの労働者階級出身のベッカムが話す英語はコックニーだ。独特の高音ボイスと相まって、実に味のある英語となっている。彼のインタビューを聞くと、確かに「three」が「free」、「another」が「anover」と聞こえる。米国映画「メリー・ポピンズ」では、コックニー を話す煙突掃除人バートの役を米国人のディック・バン・ダイクが演じた。演技自体は絶賛を浴びたのだが、訛りに関しては非難轟々。ショーン・コネリ-が1位だった「エンパイア」誌の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、第2位に選ばれてしまった。
美しく正しい英語と認識されているだけに、テレビや映画で活躍する英国の有名人の多くがこの容認発音を使っている。昔ながらの美しい発音で言うならば、アカデミー賞女優のエマ・トンプソン。シェイクスピア作品にも数多く出演している彼女の発音は、まさに正統派クイーンズ・イングリッシュ。一方ポッシュな中にも現代的な雰囲気を漂わせているのはヒュー・グラント。もともと上流階級出身の彼はインタビューの際、皮肉たっぷりにスタッカートを聞かせて口撃してくるのでよく知られている。また米国人俳優が英国アクセントを話すことにあまり好意的でない英国人だが、「スライディング・ドア」のグイネス・パルトロー、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルヴィガーの発音は、なかなかというお墨付きをもらったようだ。
完全な河口域英語ではないが、言葉の端々にそのアクセントがみられたのが、故元ダイアナ妃。上流階級出身の彼女の英語は基本的にはRPだったのだが、「t」がなくなってしまう癖があったようで、エリザベス女王もそれにはお冠だったとか。また明晰な発音をすることで知られるブレア首相。彼はスコットランド出身だが、幼い頃から英才教育を受け、オックスフォード大学で学んだため標準的な英語を話す。通常なら完全なRP、と思いがちだが、一般市民の味方、労働党党首として会話のところどころに河口域英語を取り混ぜている。さすがは政治家、アクセントも選挙活動のうち!?









英国で最も偉大な作家の1人として、今も文学界に燦然と輝くシェークスピアの存在。シェークスピアがここまで英国人に愛される理由は何だろうか。劇作家としての彼を、演劇という側面から探ってみよう。


RSCは、シェークスピアの生誕地、ストラトフォード・アポン・エイボンにある3つの劇場、ロイヤル・シェークスピア、スワン、ジ・アザー・プレイスを拠点に活躍する、英国を代表する国立劇団。設立は1879年、その後1960年に現在のRSCが形成された。現在ではあくまでシェークスピアを中心にしながらも、その他の古典や現代作品も幅広く扱っている。
RSCより正式招待を受け、日本を代表する演出家、蜷川幸雄が本フェスティバルに参加することが決定! 上演作品は「タイタス・アンドロニカス」。シェークスピア全作品の中でも最も残酷と言われている戯曲だ。ローマ時代に帝位継承権を巡って争う人々の姿を描いたこの復讐劇は、これまであまり上演されていないが、人種差別や人の欲望、絶えることのない争いを赤裸々に描いたこのストーリーは現代社会にも通じるものがあると蜷川は語っている。日本人演出家と役者がつくり出すシェークスピア劇。本場ストラトフォードで観られるこの機会、是非お見逃しなく!
人気テレビ・シリーズ「スタートレック」の船長で日本でも人気のパトリック・スチュワート。実は彼、元々RSC出身。RSCで培われた惚れ惚れするような姿勢の美しさと、正統派の発声は、シェークスピアを演じる上での必須要素と言える。演じるのは「アントニーとクレオパトラ」と「テンペスト」。特にテンペストはシェークスピア晩年の作にして最後の戯曲と言われている傑作の1つ。この機会にチャレンジしてみては?
映画「恋に落ちたシェークスピア」でエリザベス女王を演じ、アカデミー賞助演女優賞を獲得した名優ジュディ・デンチ。実は彼女もここRSCの出身者の1人なのだ。今回彼女が演じるのは、何とミュージカル版「ウィンザーの陽気な女房たち」。軽妙に歌って踊る彼女が観られるのだろうか? 乞うご期待。
そしてもう1人のRSC出身の大物、ガンダルフことイアン・マッケランも今回「リア王」に出演することが決まっている。リア王と言えば、シェークスピアの四大悲劇の中でも特にスケールが壮大なことで知られる名作。かつての暴君が老い、裏切られ、絶望の淵に追いやられる様を、マッケランはどのように演じてくれるのだろうか。









