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Tue, 16 December 2025

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ウォーキングを愉しもう

ウォーキングを愉しもう

英国人はウォーキングが大好き。田舎ののどかな風景をこよなく愛する彼らにとって、自然と一体になれるウォーキングは何よりのぜいたくなのだ。記録的猛暑となった今年の夏。森の木々の隙間から差し込む日光や鳥のさえずり、身も心も洗われるような清涼な水の流れを体全体で感じてみては?

※ 今回ご紹介したスポットの中には、本格的なトレッキング・コースも含まれています。実際に行かれる場合には、事前に詳細をお調べになることをお勧めします。

英国ウォーキングの要はフットパス!
フットパスって何?

英国地図英国人にとってウォーキングとは、なくてはならない生活の一部。都市部でのお手軽な散歩から、本格的なトレッキングまで、 さまざまなウォーキングを楽しむ英国人の支えとなっているのがフットパス(歩道)だ。英国中を縦横無尽に走るこのフットパス、実は法律によってその定義が明確に定められている。

英国ではright of wayと呼ばれる歩道がある。これはイングランドとウエールズに見られるフットパスのうち、法律により保証されている、誰もが自由に出入りできる散歩道のこと。例え私有地であろうとも、道は国民のものという英国人の考えが反映されている。これこそがウォーキング天国、英国を支える大切な要素なのだ。このright of way、法律上は3つに大別されている。

1. Public Footpath:歩行者のみに認められている道
2. Public Bridleway:歩行者、馬に乗っている人、サイクリングしている人のみに認められている道
3. Byway Open to All Traffic(BOAT):自動車を含め、すべての交通手段に認められている道

right of wayとして認識されるには、法律上は所有者が自ら進んで公的使用のために「献上」するということになっている。しかし実際にこのような経緯でright of wayになるケースは非常に少ないのだとか。

何でも一般人が誰かの私有地内にある道を利用していて、ある一定の期間(法によると20年間) 何のおとがめもなく使えている場合には、所有者は自分の道をright of wayとして献上したのだと自動的にみなされてしまうらしい。

近年ではスコットランドのカントリー・ハウスを所有しているマドンナとガイ・リッチー夫妻が、自宅のすぐそばまで通っているパブリック・フットパスにパパラッチや観光客が群がり、写真を撮りまくるのに激怒。裁判所にフットパスのル ートを変えるよう訴えたが敗訴した。道はあくまで国民みんなのもの、という英国人の考え方が如実にうかがえる出来事だ。

Wales(ウエールズ)
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切り立った崖が野生の鳥たちに埋め尽くされている様を観察しよう!
Skomer Island(スコマー島)

パフィン無数の海鳥の生息地として名高いウエールズ、スコマー島。ウエールズ南西部野生トラストが管理しているこの島は、4月1日から10月31日までの期間(月曜日休)のみ一般開放されている。主な島のルートは十字型に広がっていて、短い距離の散策から島の沿岸部のほとんどを踏破する周回コースまで選択の幅は様々。ヨーロッパ北西部でも屈指の海鳥観察スポットなので、是非とも珍しい野生動物を見てみよう。

ウォーキングのスタートは、ボートの停泊所から。停泊所から南に向かってWelsh Way(ウェルシュ・ウェイ)を歩いてみよう。ここの丘は島のカモメの生活を観察できるスポットとなっている。海岸沿いのHigh Cliff(ハイ・クリフ)一帯に群がるミツユビカモメやウミガラスの大群は圧巻の一言だ。

そのままフットパスを西に向かって歩いていくと、左手にThe Wick(ザ・ウィック)と呼ばれる海岸線が見えてくる。このポイントこそが島一番の目玉、パフィン観察のメッカ。ペンギンとオウムが合体したような派手な外見と、「モゥーモゥー」という牛のような 鳴き声が特徴的な、英国本島では観察できない珍しい鳥を思う存分堪能しよう。またこの切り立った崖はパフィンだけでなく、フルマカモメを始めとする幾千もの野鳥たちの生息地となっている。

そのまま西に向かって海岸沿いに歩き続けると、島で最も壮大な景色の広がるポイント、 Skomer Head(スコマー・ヘッド)にたどり着く。天気が良ければここからカツオドリの群生地として有名なGrassholm(グラスホルム)島の姿を眺められることも。

アザラシ海鳥たちの宝庫として知られるスコマー島だが、見どころは鳥だけではない。アザラシを見たいのならば、9月は特にお勧めの季節。北端のGarland Stone(ガーランド・ストーン)では、白い毛皮に覆われたかわいらしい子アザラシの授乳シーンを観察できる。そして、島の中心にある農場は1800年代初頭に建てられたという歴史的なもの。情報集めのほか、宿泊施設としても利用できる。

行き方

車:ロンドン~M4~A48~ A40~A4076~A487~B4327 ~Haverfordwest(ハーバーフォードウエスト)。そこからB4327を南西へ、Marloes Roadを右折してそのまま進んでいけば駐車場が見つかる。ボートの発着場はMartin's Heaven(マーティンズ・ へブン)、Marloes Villege(マーロス・ビレッジ)のすぐ近くだ。所要時間はおよそ4時間30分(駐車場まで)

電車:ロンドン・パディントン駅からFirst Great Western(ファースト・グレート・ウェスタン)線でSwansea(スウォンジー駅)まで約3時間。スウォンジー駅からはArrive Train Wales(アライバ・トレイン・ウエールズ)線に乗り換え、最寄り駅 Haverfordwest(ハーバーフォードウエスト)まで約1時間半。

ここに注意

島の貴重な自然を損なうことのないよう、指定されたフットパス以外は立ち入らないようにしよう。また島では水のボトル以外手に入らないので、食事、飲料などは各自で持参すること。

Wester Ross, Scotland
(ウェスター・ロス、スコットランド)
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古代の森にハイランダーの面影が……
Beinn Eighe(ベン・エイ)

Beinn Eighe

清涼な空気に包まれたスコットランド北部の高地、ハイランド。「Loch」 (ロッホ)と呼ばれる湖や、「Beinn」と呼ばれる山々が、美しく壮大な景観をつくり出している英国でも有数のウォーキング・スポットだ。北部ハイラ ンドの山並みに一歩足を踏み入れれば、古代カレドニアの森の面影を垣間見ることができるはず。

ここBeinn Eighe地域では、2種類のウォーキング・コース、Mountain Trail (山岳探索コース)とWoodland Trail(森林探索コース)があるが、初心者向けなのは、森林探索コース。出発地点はLoch Maree(マリー湖)湖畔、Rhu Noa Bay(ルー・ノア・ベイ)近くの駐車場となる。インフォメーショ ン・ボードの地点から散策を開始しよう。すぐに木製の橋と分岐点にぶつかるので右に向かって橋を渡り、そのまま間道をたどっていく。松林の間の急坂を400メートル程登ると、最初のビュー・ポイントだ。

右方向へと間道を進んでいくと、また400メートル程で次のビュー・ポイ ントとなる。その後はケルン(石塚)まで進んでT字路で元の道へ戻り、再び 右折。A832にぶつかるまで800メートルの下り道だ。

A832を渡って右方向へと歩けば、マリー湖畔へ向かうことになる。Lochside(ロッホサイド)で右折し、木製の橋の地点へ。橋を渡って駐車場に戻ろう。

行き方

散策道に直通する公共交通機関はない。最寄り駅はA890南方向、 Achnashellach(アチナシェラッチ)駅。

車:Inverness(インバネス)から西へ向かい、A832をKinolochewe(キンロヒュー)方面 へ。キンロヒューを通過してから4キロ程で右手にマリー湖が見えてくる。駐車場は Lochside(ロッホサイド)、Beinn Eighe Trails(ベン・エイ散策道)の道標が目印。

ここがポイント!

マツテンここの松林はすばしっこいマツテン(イタチ科の動物)の住処。マリー湖西部には他にもヤマネコやカワウソが生息している。また、湿地では多くのトンボが観察できる。その中には希少価値の高い種も。

Northumberland(ノーザンバーランド)
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ハリー・ポッターの学校として使われた城からスタート!
Alnwick Castle(アニック城)

Alnwick大人気の映画、ハリー・ポッター・シリーズでホグワーツ魔法魔術学校として登場し、その悠々たる姿には覚えがある人もいるだろうアニック城。本コースでは、この中世の城から出発し、13世紀の姿を今に残す小さな修道院跡や公園の静寂の中をゆっくりとたどっていく。また、カントリー・ライフを特集する雑誌の調査で「英国で一番住みやすい場所」に選ばれたこともある美しい街も見どころの1つだ。

まずはアニック城を背に、道が右に曲がって路地とつながっている地点まで歩いていこう。その路地に入ってからHulne Park(ハルン・パーク)の入り口までは800メートル ほど。アーチの下をくぐり、標識が見えてくるまでそのまま進む。

パスに沿って右に曲がり、小道へ。そのまままた右に曲がり、大きな木と岩が目印の二股の分岐点まで進む。そこを左折し、林を抜ける川沿いの道をたどっていこう。林を抜ける時には小道から外れないように。Monk's Bridge(モンクス・ブリッジ)までは1200メートルといったところだ。

橋からはさらに800メートルほど小道を進む。ゲートを過ぎ、木製の橋のかかったRiver Aln(アルン川)を渡ろう。川を左手に見ながら1200メートルばかり歩き、ゲートを抜けるとまた林が現れる。右手には井戸が、その背後にはベンチが見えるはずだ。500メートルほど歩くと道が2つに分かれる。

分岐地点を左へ進み、Hulne Priory(ハルン修道院跡)の下を通る。Iron Bridge(アイアン・ブリッジ)まではその道をさらに400メートル。橋を渡り、牧草地を歩いていくと、1200メートルほどで農道にぶつかる。そこを右に入れば、すぐに大きな通り、Farm Drive(ファーム・ドライブ)にたどり着くはずだ。

通りを左へ曲がって1200メートルも進めば、また他の農道がちらほら現れる。橋を渡ってまっすぐ歩いていくと、前に通過したアーチが再び見えてくるだろう。後は同じ道をたどってアニック城へ戻ろう。

行き方

車:ロンドン~M11~A14~A1(モー ターウェイ部分あり)~Anlwick(アニック)。後はA1からアニック城の標識を追っていけば良い。現地の駐車場には路上パーキングあり。所要時間およそ5時間45分。

列車:ロンドン、キングス・クロス駅から最寄り駅の Alnmouth(アルマス)駅まで直通電車で3時間半。駅からはシャトルバスが運行。

ここがポイント!

やはり、ハリー・ポッターがほうきに乗る練習をするシーンにも使われたというアニック 城の雄姿が一番の見どころだろう。また城に隣接している庭園内の巨大な人口滝「グラン・ カスケード」も必見。建設に何百万ポンドの費用が注ぎ込まれたこの滝、なんとピーク時には毎分7260ガロンもの水が流されるという。

ここに注意

犬を連れて行く場合はフンの処理を忘れずに!違反者にはカウンシルによって罰金が科される場合もある。

Yorkshire(ヨークシャー)
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ヒースクリフが彷徨い歩いた「嵐が丘」の世界がここに!
Bronte Country(ブロンテ・カウントリー)

Bronte Country

英国が誇る名作家、ブロンテ姉妹が過ごしたヨークシャー、ハワース。荒地がひたすら続くこの地は、彼女たちの存在なくしては知られることはなかったはず。風光明媚な景色とはちょっと違うけれども、「嵐が丘」や「ジェイン・エア」を生み出したこの地で、登場人物たちの心情に思いを馳せるのも一興かもしれない。

スタート地点はアン以外のブロンテ一族が眠るHaworth Parish Church(ハワース・パリッシュ教会)から。ここからBronte Way(ブロンテ・ウェイ)と言われるウォーキング・コースを歩こう。

平坦な道を4キロほど歩くと、Bronte Waterfalls(ブロンテ滝)が見えてくる。この滝はブロンテ姉妹もお気に入りだったとか。

滝からさらに2キロほど歩くと、「嵐が丘」の家のモデルと言われる Top Withins(トップ・ウィズンズ)が。現在では建物部分はほとんど残っておらず、廃墟を化しているものの、ブロンテ姉妹探訪のコースでは絶対に欠かすことの出来ないスポットだ。「Wuthering Heights」(嵐が丘)のWutheringとは、荒れ野を豪風が吹きすさぶ様を表している。 復讐と愛情という、人間の持つ生々しい感情を余すことなく伝えきった「嵐が丘」の本質を知るには、この地に立って肌で小説世界を感じるのが一番かもしれない。

思う存分「嵐が丘」の世界を堪能したら、今度はPennine Way(ペンナイン・ウェイ)をたど ってスタート地点に戻ろう。スタート地点には、Haworth Parsonage Museum(ブロンテ博物館)がある。ブロンテ姉妹が1820年から1861年まで住んでいた家を改築したもので、実際に使われていた家具などが展示されている。

行き方

車:ロンドン~M1~M62~ M606~A6177~A647~ A644~B6145~A629~B6144~Haworth(ハワース)。B6144から右に入ってBrow Road(ブロウ・ロード)、それからBridgehouse Lane(ブリッジハウス・レーン)(B6142)を左。また左に入ってButt Lane(バット・レーン)、そしてメイン・ストリートへと右に曲がれば目的地。所要時間4時間20分。

列車:キングス・クロス駅から約3時間。リーズ 駅でスキプトン経由モーカムかランカスター、またはカーライル行きに乗り換えて約30分ほどいったキースリー駅下車。そこからキースリー & ディストリクト社のバス663、664、665、720番に乗る。

ここに注意

何といってもここは「Wuthering Heights」。荒地に吹きすさぶ風、そしてぬかるんだ道が広がっているこのコースを歩くには、実用的なウォーキング・シューズが必須だ。

Wales(ウエールズ)
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マイナス・イオンを体いっぱい浴びて
Brecon Beacons(ブレコン・ビーコンズ)

Brecon Beacons南ウエールズに広がるブレコン・ビーコンズ国立公園。1800メートルの山脈が悠々と連なり、数多くの滝や渓流、鍾乳洞が点在している夏場にもってこいのウォーキング・ポイントだ。心洗われるような水音を聞きながら歩けば、日頃のストレスもいつのまにか解消されているはず。

スタート地点はPontneddfechan(ポンネーゼハン)の駐車場。そこから道路橋を渡って30メー トルほど歩いたら、右折して砂利道を行く。private accessと書いてあるが、これはあくまで車用の指標なので、気にしないで歩いて行こう。

そこからMellte(メルト)川に沿って歩くと火薬場の跡が見えてくる。跡地の逆側にある道路橋を渡って目印に沿っていくと、このコースの目玉、Sgwd yr Eira(スクイド・イル・エイラ) の滝に到着する。裏側をゆっくり通って、心ゆくまでマイナス・イオンを堪能しよう。

その後は道標5を進んでPenderyn(ペンダー リン)の町に向かってひたすら歩く。Penderyn にはThe Red Lionというパブが。おいしいビールとサンドイッチを味わうことができる。ちな みにパブ近くのTower Colliery(タワー炭鉱)はウエールズで現在唯一活動中の鉱山だ。お腹がいっぱいになったら、Moel Penderyn(モエル・ペンダーリン)の山腹を歩いてスタート地点に戻ろう。

行き方

車:ロンドン~M4~A449~A40~ A470~ブレコン・ビーコンズ国立公園ビジター・センター。A470でMerthy Tydfilを過ぎたら A465のPontneddfechan(ポンネーゼハン)方面に向かう。A4109を曲がり、信号を右折する。1.6キロほど走るとスタート地点のWaterfalls(ウォーターフォールズ)駐車場に到着。

バス:スウォンジー発、Hirwaun(ヘドウェイン)行きのバスX5で駐車場まで。

列車:カーディフからNational Railで約1時間。最寄り駅はTreherert(トレヘルベルト)。

ここに注意

何といっても目玉はSgwd yr Eiraの滝。何と滝の裏側を歩くことができる!

Londonを歩く

ウォーキングは田舎の自然の中を行くもの、と考えているあなた。 ウォーキングの醍醐味は、いつでも、どこでも気軽に楽しめるところにある。 もちろん、ここロンドンにも楽しいウォーキング・スポットはたくさん! 今回はロンドンの代表的なパス、テムズ・パスを紹介しよう。

テムズ・パスとは?

英国で最も有名な川として名高いテムズ川は、南イングランドを流れる全長346キロの広大な川。コッツウォルズ近くのケンブル村に源泉があり、オックスフォード市などを流れて、ロンドンに到着、最終的にノアと呼ばれる河口近くに流れ着く。テムズ・パスはロンドンのリッチモンド付近からグリニッジの辺りまでを流れるテムズ川に沿って造られた遊歩道のことを指す。

Thames

London Bridge 近辺

Hay's Galleria 1Hay's Galleria (ヘイズ・ギャレリア)
ロンドン・ブリッジ駅近くには、ウォーキング愛好家の憩いの場としてデザインされた心地良い一角がある。それがここHay's。ガラス張りの高い天井が特徴で、強い陽射しを遮りながらも明るさを提供してくれるのが嬉しい。両脇はカフェやレストランが並び、散歩 の途中に喉を潤すにも最高。


Hay's Galleria2Butlers Wharf (バトラーズ・ワーフ)
埠頭の端から端までお洒落なレストランが軒を連ねている。ここからのタワー・ブリッジの眺めは壮観。コンラン卿がプロデュースするデザイン・ミュージアムもすぐそこだ。


Hay's Galleria3New Concordia Wharf (ニュー・コンコーディア・ワーフ)
繊細なデザインがかわいらしい小さな橋を渡った先に見えるのは、小船の上に施された見事なガーデン。水と緑のコンビネーションが涼しい気分を倍増してくれる。ここから先へは、何と普通のビルの隙間を抜けていく。


Rotherhithe 近辺

Rotherhithe4Rotherhithe(1) (ロザーハイス)
レンガ造りの新しい家々が立ち並び、川沿いには緑豊かな公園もあちこちに設けられている上品なエリア。散歩に疲れたらベンチに腰掛けて、一息つきながら川の反対側の風景を楽しもう。


Rotherithe5Rotherhithe(2) (ロザーハイス)
堂々とそびえ立つ赤い橋までたどり着けば、そのすぐ脇には大きなパブが。川に面 した広々としたテラスで疲れをいやしてくれる一杯はいかが? さわやかな風とテムズ川岸の眺めがたまらない。



Dcoklands 地域

Dcoklands6Greenland Dock (グリーンランド・ドック)
Surrey Quays(サリー・キーズ)駅から徒歩2分程、赤い陸橋の下をくぐれば、目の前には爽やかな波止場の風景が広がっている。テムズ川を望む地点まで進んでいけば、たくさんの小さなボートが係留されているのが見えてくるはず。


Greenwich 近辺

Davuc Beckham7East Parkside(イースト・パークサイド)
North Greenwich(ノース・グリニッジ)駅から一歩踏み出せば、一方にはミレニアム・ドーム、もう一方にはデービッド・ベッカム・アカデミーという大型建造物の姿を望むことができる。テムズ・パスに合流するには、アカデミーの白い建物の方向へ進もう。


Mudlarks Way8Mudlarks Way (マドラークス・ウェイ)
散歩の途中、植物園に立ち寄るのもまた一興。鮮やかな色彩の集合住宅の前には、グリニッジ・ペニンシュラ・エコロジー・パークがある。19世紀後半から始まった工業化で、このエリアの自然はすっかり破壊されてしまったとか。美しい水と生態系の復活を目指すプロジェクトの一環として、その一部がエコロジー・パ ークとして公開されている。
Thames Path, John Harrison Way, Greenwich Peninsula London SE10 0QZ
入場無料 月・火休館


Anchor & Hope Lane9Anchor & Hope Lane
(アンカー・アンド・ホープ・レーン)

グリニッジ・エリアのテムズ・パス上にある数少ないパブの1つ。川に面したテラスで 地元の人に混ざって休憩するのもいい。



テムズ・バリア10Hiroshima Prom (ヒロシマ・プロム)
ここからは、上流のロンドンを洪水から守り続けている堰、テムズ・バリアを眺めることができる。ちなみにこの道の続きはNagasaki Walk(ナガサキ・ ウォーク)と名付けられているが、ネーミングの由来は不明。


Visitor Centre11Visitor Centre (ビジター・センター)
テムズ・バリアの監視所近くには、カフェ、ラーニング・センター、インフォメーション・センターと様々な設備が揃っている。ここが全長180マイル(約300キロ)続くというテムズ・パスの終着地点だ。

 

身の毛もよだつ恐怖の街ロンドンを歩く

身の毛もよだつ恐怖の街ロンドンを歩く

「世界で最も呪われた都市」という不名誉な噂を持つロンドンには、幽霊が出ることで有名なパブ、ホテル、劇場、公園などがいたるところに点在している。長い歴史に裏打ちされた不気味さが漂う路地や建物を見ているとそれはただの噂ではないことを確信する。今回はロンドン各地の幽霊スポットにあなたをご案内します。あなたが毎日通るあの道にもきっと幽霊が潜んでいるはず。毎日通るあの道で出会うあの人は、ひょっとして幽霊だったのかも……。

ゴーストのことなら、この人に聞け!

リチャード・ジョーンズ 英国ゴースト研究家
リチャード・ジョーンズさん

英国で幽霊を語らせたらこの人の右に出るものはいないというほど、お化け事情に通じているリチャードさんに、英国のゴーストについて語ってもらいました。

どうして人は幽霊の話にかれるのでしょうか。

これは私にも正確にはわかりません。私自身が幽霊に惹かれる理由さえわからないのですから。きっと人間はミステリアスなものに惹かれるのでしょう。

ご自身の著書の中でロンドンは世界で最も呪われた街だと書かれていますが、どうしてでしょうか。

これは歴史と関係があります。ローマ人が英国にやってきたといわれている約2000年前はロンドンの地表は今よりも約10メートル低かったのです。その後、文明が発展してゆく中で、埋立てが繰り返され今の高さになったと言われています。私たちの立っている真下には、今でも古代の人の墓や家などが埋まったままなのです。その霊たちの無念さがロンドンを覆い尽くしているのでしょう。

Qロンドンで(あまりにも幽霊が多いので)避けた方が良い場所を挙げてください

まずは、何と言ってもロンドン塔でしょう。ご存知だとは思いますが、あそこは多数の人が幽閉され、処刑された所です。中には無実の罪を被せられた人も多く、その無念は想像に難くありません。未だに毎晩不思議な現象が確認されています。他には、シティのニュー・ゲート・ストリートにあるパブ「The Viaduct Tavern」はポルターガイストで有名です。酒瓶やカーペットが宙を舞ったりしてますよ。

ゴースト・ツアーを主催されていますが、ツアー中に幽霊に出くわしたことはありますか。

幽霊を研究してますが、実は幽霊を見たことはないんですよ。まあ、見えたら、怖くて研究どころじゃないかもしれませんけどね(笑)。でも、こんな面白い話があります。シティで開催したゴースト・ツアーの参加者の子供なんですけど、バンク駅周辺にある石畳のコートヤードで話をしている時に、ひまを持て余したその子供が、ゆるくなった石畳を引っこ抜いておみやげに持って帰ってしまったんです。その子供は石をベット・サイドに置いていたということなんですが、その日からその家では不思議な人影を見るようになったそうです。

ある日、子供が学校に行っている間に、子供部屋からの物音を聞いた母親が、その部屋に入ろうとしたところ扉が開かない。近所の人に手伝ってもらって、どうにかしてこじ開けてみると、ベッドが扉を塞ぐように移動されていたというのです。もちろん子供にこんな力はありませんし、窓には内側から鍵がかけられていたので、侵入者がいたとも思えません。部屋に落ちていた石を見つけた母親が、不審に思い子供を問い詰めると、ゴースト・ツアーで行ったコートヤードから持ってきたと……。そこで、その母親は私に電話をくれました。私はすぐに石を返すように伝え、そのコートヤードへの行き方を説明しました。石を返した後は、不思議な現象は全くなくなったということです。

幽霊を見た時に、取り付かれないために何をすれば良いですか。

まずは落ち着いて、幽霊に「来ないでくれ」と伝えることです。他には、塩を撒いたり、幽霊は音を嫌うので鈴を持ち歩いたりすると良いですよ。幽霊と言っても恨みを残した者ばかりではありません。あまりにも突然の死によって、自分が死んだことを受け入れられない幽霊もいますが、この霊たちは大抵ハッピーで人に害を与えることはありませんよ。

最後に、幽霊になるにはどうしたら良いのでしょうか。

一番大切なのは、死ぬことでしょうね(笑)。それが第一歩ですが、その後の過程については、私も研究中です。

リチャード・ジョーンズさん
Richard Jones

英国のゴースト・歴史研究家。英国内の幽霊スポットの研究を始めて20年以上というベテランで1982年からはロンドンや英国各地の幽霊スポットを案内する人気のゴースト・ウォーキング・ツアーなどを主催。ガイド業、執筆業以外にも、米国のミステリー番組に出演するなど多忙な日々を送っている。主な著作に「the Trail of Jack the Rippers」「Walking Haunted London」などがある。 www.haunted-britain.com

Haunted London
ロンドン各地の呪われた場所を、不気味な写真と共に紹介する。ロンドンに長年住んでいる人でも新たな発見があるはず。

Walking Haunted London
上の本と内容が重なるが、こちらは地図&ルート付きの小型版なので持ち歩きにも便利。自分で色々と歩き回りたい人向け。

英国の有名幽霊たち

英国では、歴史上の有名な人物はほとんど必ずと言って良いほど幽霊になって現れる。そのため、ほとんどの幽霊は「○×時代の○○さん」といったように身元が判明していることが多い。その中でも最も頻繁に目撃される幽霊を以下に挙げてみた。

第1位 アン・ブーリン Anne Boleyn

アン・ブーリン離婚して新しい妻を娶るために英国の宗教まで変えてしまったヘンリー8世の2番目の妻。取り立てて美人ではないが、きらきら輝く漆黒の魅力的な瞳にヘンリー8世が夢中になったと言われている。1533年ヘンリー8世と結婚し王妃の座に就くも、わずか3年後の1536年には不倫の濡れ衣を着せられロンドン塔に幽閉され、同年5月19日に斬首刑に処された。アンの幽霊は、処刑の翌日から目撃されるようになった。首のない4頭の馬に引かれた馬車の中には首から上のないアンが座っていたり、誰もいないはずの礼拝堂の明かりをつけ部屋を徘徊している姿が報告されている。約450年も前から、ロンドン塔の勤務簿にはアンの幽霊の出没記録が細かく記録されているのだが、特に斬首が行われたロンドン塔内のタワー・グリーンで目撃されることが多い。

目撃スポット
タワー・オブ・ロンドン(ロンドン塔): 数々の著名人が幽閉され処刑されたことで有名。主な観光スポットでありながらも、その気味の悪さは指折り。
(Tower Hill, London, EC3N 4AB)
他、ハンプトン・コート・パレス、ホーヴァー城でも目撃談あり。

第2位 キャサリン・ハワード Catherine Howard

キャサリン・ハワードアン・ブーリンの従姉妹で同じくヘンリー8世の妻(5番目)。1540年ヘンリー8世に見初められ結婚した後も、前の恋人との付き合いが終わることはなく、1542年、ついに王の怒りを買いロンドン塔に幽閉される。処刑の際、キャサリンは恐ろしいほどの力で処刑人たちの手を振りほどき、髪を振り乱し叫びながら処刑場の中を逃げ回ったそうだ。処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追いかけ回したが、3 度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。キャサリンの亡霊が頻繁に目撃されるのは、ヘンリー8世と暮らしていたハンプトン・コート・パレス。許しを請いながら、廊下を引きずられて行く姿や宮殿内ロイヤル・チャペルのドアをバンバンと叩く姿が目撃されている。

目撃スポット
ハンプトン・コート・パレス: ヘンリー8世が建てた宮殿。ロンドン塔と同じく幽霊目撃談が多い。最近では、防犯カメラに昔のドレスをまとった人が映った事件が発生し世界を驚愕させた。
(East Molesey , Surrey KT8 9AU)
他、タワー・オブ・ロンドンなどでも目撃談あり。

ロンドン・ゴースト・スポット・マップ

1. 浮遊するピエロ
Theatre Royal, Drury Lane WC2

Theatre Royal, Drury Lane WC2

ロンドン最古の劇場「シアター・ロイヤル」。現在の建物は1812年に建てられたものだが、1633年からこの場所に劇場があったという。数々の俳優、女優の霊が出ることで知られているが、その中でも有名なのが17世紀初頭にピエロ役で名を馳せたジョゼフ・グリマルディだ。ジョゼフは才能に恵まれていたにもかかわらず、重病のため体に障害を負い舞台から退かざるを得なくなった。以後貧しい生活を強いられたジョゼフは、1837年亡くなる直前に埋葬前に体から頭部を切り離して埋めて欲しいという奇妙な願いを託して息を引き取った。以後今日に至るまで、このシアター・ロイヤルでは、浮遊するピエロの顔が何度も目撃されている。

2. 山高帽の男
Covent Garden Station, WC2

Covent Garden Station, WC2

観光客や買い物客などで賑わうコベント・ガーデンだが、この駅にもまた数多くの幽霊目撃談が残されている。1955年のクリスマス・イブ。駅員室のドアが激しくノックされた時、駅員のジャック・ハイデンは、駅構内のオフィスにこもり仕事を片付けている最中だった。「迷ってしまった乗客だろう」と思ったジャックは、「ここは通り道ではないですよ」と叫んだが、ノックは止まらない。不審に思ったジャックが扉を開けると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった背の高い男性の姿があった。その男性はジャックを見た後、一言も発することなく振り返り、階段の方へ歩き始め、そして空中に消えてしまったという。その後、ジャックや同僚たちはこの男性を40回以上も目撃したと記録されている。ある日、ジャックたちが近くのアデルフィ劇場を訪れると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった見覚えのある男性の写真があった。写真には「人気俳優ウィリアム・テリス」との解説がついていたが、彼こそが夜な夜な現れる幽霊の正体だった。しかし、テリスは1897年アデルフィ劇場の前で配役に嫉妬した俳優仲間に殺害されていたのだった。

3. ロンドン一呪われた家
50 Berkely Square, W1

50 Berkely Square, W1

高い天井、そして大理石の床に彩られた18世紀調のジョージアン建築。一見すると文句のつけようのない素晴らしい建物だが、これこそがロンドン一呪われた家なのだ。1907年に出版された作家チャールズ・ハーパーの書物には次のような記録がある。「名もない生首や血みどろの骸骨が住みついた部屋がある。そこで眠るものに待ち受けているのは、恐ろしい死のみ……」。友人との賭けでその部屋で一晩過ごすことにしたある男性は、そこで起こった恐ろしい出来事を目撃したショックで口も聞けなくなり、まもなく死亡した。その部屋でその男性が何を見たのか知る者はいない……。今も空家のはずのこの家から、夜中に電気が点灯されたり、騒々しい物音が聞こえてくるという。

4. 謎のポルターガイスト
Burlington Arcade, Piccadilly W1

Burlington Arcade

ピカデリーに面した風格ある「バーリントン・アーケード」。ここの皮革製品を扱う店で、ポスターガイスト現象が見られるようになったのは1970年代のこと。夜中に店の製品が宙を舞い、朝になると床に円を描くように製品が並べられていたと言うのだ。警察が調査に乗り出したものの、この件に人間が関わっているという手がかりは見つけられず、この現象の説明に窮してしまった。店側ではこの現象を集客に利ようと「ポルターガイストの起こる店」との看板を出すまでに至ったが、霊はその看板に気を悪くしたのか、それ以降ポルターガイスト現象が見られることはなくなったという。

5. 火事場からショッピング
Fortnum and Mason, 181 Piccadilly, W1

Fortnum and Maso

王室御用達の食料品店「フォートナム&メイソン」でも幽霊が目撃されている。1960年代のある日、TV司会者でジャーナリストのナンシー・スペインは、会議へ向かうため、タクシーを捕まえようとフォートナム&メイソン前に立っていた。しかし、なかなかタクシーは捕まらず焦りは募るばかり。そんな時1台のタクシーが目の前に止まった。中には赤毛の女性が乗っている。財布が見つからないのか支払いに手間どうその女性にいらいらしたナンシーは、その女性のタクシー代金を支払うことを提案した。赤毛の女性はナンシーに感謝し、フォートナム&メイソン内へと消えていった。ナンシーがタクシーに乗り込むや否や、タクシーの運転手はナンシーにこう言った。「彼女はかの有名なC夫人だよ。大金持ちだから、君がタクシー代金を払う必要などなかったのに……」。翌日母親の元を訪れていた時に、この話を思い出したナンシーは「C夫人のタクシー代を払ってあげたの」と母親に自慢した。それを聞いた母親が怪訝な顔付きで持ってきたものは、C夫人が火事で焼死したという3日前の新聞だった。

6. 333号室に住みつく霊
Langham Hilton Hotel, Portland Place, W1

Langham Hilton Hotel, Portland Place, W1

1864年にオープンし、作家マーク・トゥエイン、劇作家アーノルド・ベネット、作曲家ドヴォルザークなどの著名人の宿泊場所として名を馳せたランガム・ヒルトン・ホテル。現在も高級ホテルとして使用されているが、BBCのオフィスとして改造された時期があった。しかしその当時も3階部分にはスタッフの宿泊施設として元のホテルの部屋が残されていたという。1973年のある日、BBCアナウンサーのジェームズ・アレクサンダー・ゴードンは、333号室に宿泊していた。夜中ジェームズが目を覚ますと、火の玉のようなものが宙を彷徨っているのに気付いた。ジェームズが光をじっと眺めていると、それは、エドワード調の衣服をまとった男性の形に姿を変えていったのだ。翌日ジェームズが同僚にこの話をすると、その霊を見たことあるという者が続出した……。現在は再びホテルとなったランガム・ヒルトンだが、その幽霊はまだ333号室に住みついているという。2003年5月に333号室に宿泊した女性は予定よりも早くチェック・アウトした後、幽霊を目撃したと記した手紙をホテル宛てに出している。

7. クレオパトラの呪い
Cleopatra's Needle, Victoria Embankment, WC2

エジプトのパラオによって約3000年以上も前に建てられたこのモニュメントが、ロンドンに持ち込まれたのは1878年のこと。このモニュメントに刻まれた古代エジプトの女王クレオパトラの呪いは未だもって解けていない。その証拠に、このモニュメントの立つ場所は、テムズ川流域で最も自殺の多い場所で、また付近から響く怪しげな笑い声やうめき声を聞いたとの噂も後を絶たない。1940年には、この場所である人物が身投げ自殺をするのを目撃した女性が、警察に助けを求めているが、川から引き上げた遺体はその助けを求めた女性自身だったのだ。

8. 頭のない貴婦人
St. James's Park, SW1

ジェームス1世により1603年に作られた都会のオアシス、セント・ジェームズ・パーク。1660年にはチャールズ2世が増築し、19世紀には建築家ジョン・ナッシュが改造を加えたという池がある。この池では、頭のない貴婦人が水中から現れ、陸に上がったとたんに気が狂ったように走り出す姿が目撃されている。一説によると、この霊は夫により殺害され池に捨てられた女性だと見られている。女性は、池に捨てられる前に首を切り落とされ秘密の場所に埋められたと言われている。今でも、自分の首を探して公園内を徘徊しているのだとか。

9. 夜な夜な響きわたる声
Lincoln's Inn Fields, WC2

Lincoln's Inn Fields, WC2

ロンドンで最も大きなスクエア、リンカーンズ・イン・フィールズ。今でこそ、落ち着いた雰囲気の素敵な場所だが、その昔この場所は残忍な処刑場だったのだ。1586年、エリザベス1世の暗殺を企てたアンソニー・バビントンとその13人の仲間たちは、ここで絞首刑に処され、まだ息を引き取る前に内臓などを取り除かれた。また、1683年にはチャールズ2世の暗殺を企てたラッセル卿もここで斬首刑に処され、命を落としている。この場所では、日が暮れると強烈な叫び声を耳にすることが多いという。また、ここで命を落とした者たちが、今でも夜な夜なこのスクエアを徘徊している姿が目撃されている。

10. 私の兄はどこ?
The Bank of England, Threadneedle Street, EC2

The  Bank of England

1811年、イングランド銀行に勤めるフィリップ・ホワイトヘッドは、横領の罪で捕まり翌年処刑された。この事実はフィリップの妹サラには告げられないでいたのだが、行方不明となった兄を探し銀行にやってきたサラに、ある職員が事実を告げてしまった。兄が死んだという話を聞いて気が狂ってしまったサラは、その日から毎日毎日イングランド銀行に通い「私の兄はどこ?」と尋ねるようになった。最初は哀れに思っていた職員たちも度重なる訪問に嫌気が差し、1818年イングランド銀行は、20ポンド(現在の20万ポンドにあたる)と引き換えに、銀行への立ち入り禁止とする取り引きをサラに提案した。サラは、その取引に了承し、生きている間は2度とイングランド銀行に戻ることはなかったという。そう、霊となって戻るまでは……。サラの霊は現在でもイングランド銀行周辺を彷徨っており、長いドレスをまとった女性が「私の兄はどこ」と尋ねる姿が目撃されている。最近彼女を目撃した米国人バンカーは、サラを仮装パーティーに参加する女性だと思い、くだんの質問に「あなたのことも、あなたの兄のことも知らない」と答えた。その後、その女性は宙に消えていったのだ。

11. 復讐を求めて彷徨う黒い犬
Amen Court, Warwick Lane, EC4

Amen Court, Warwick Lane, EC4

17~19世紀に建てられた家が並ぶアーメン・コートは、セント・ポール寺院に務める聖職者の住まいだ。のどかな家並みとは裏腹に、ここの裏手には気味の悪い暗い壁が立ちはだかっている。その昔、ここには劣悪な環境のニューゲート監獄があったのだ。1902年に監獄は解体されたが、死刑宣告を受けたものが歩いたと言われる小さな小道は残されたままだ。この気味悪い壁のあたりを彷徨う霊はたくさんいるが、最も恐ろしいのは「ニューゲートの黒い犬」。ことの起こりは13世紀、ヘンリー3世の時代まで遡る。当時、ロンドンは酷い飢饉に見舞われ、ニューゲート監獄の収容者は食事も与えられていない状態だった。そして、お腹をすかせた囚人たちは生き残りをかけて、新たに入所してくる囚人を食べるようになったのだ。ある日、裕福な学者が魔法を使ったという罪(?!)でこの監獄に入所してきたが、肉付きが良かったのが災いしてか、数日後には飢えた囚人の餌食となってしまった。その夜から、監獄内では炎の目を持ち、口からは血を滴らせた黒い犬が目撃されるようになった。学者が復讐のため犬に姿を変えて戻って来たのだ。犬は囚人を襲い、犬を目撃した恐怖から死んでしまった者もいたという。復讐を終えた今でもアーメン・コートをうろつく黒い犬の影が頻繁に見かけられている。

12. 夜中の足音
St. Bartholomew the Great, West Smithfield, EC1

St. Bartholomew the Great, West Smithfield, EC1

セント・バーソロミュー・ザ・グレートは、1123年に建てられたロンドンで最も古い教会の一つだ。ミステリアスな内装に、中世風の外観を誇るこの教会は、「ロビン・フッド」や「フォー・ウェディング」などの映画のロケ地としても使用された。しかし、その他の歴史ある建物と同様この教会もやはり呪われているのだ。この教会に現れるのは、教会を立てたラヒアという僧の霊だ。彼はもともとヘンリー1世に仕えていたが、王の後継ぎとなるウィリアム王子を乗せた船がカレー沖合で座礁したことに心を痛め、僧となることを決意しローマへと向かった。その途中、ラヒアはマラリアにかかり生死の際を彷徨ったのだが、瀕死の床で「もし無事に祖国に戻れたら、貧しい人のために教会を立てよう」との誓いを立てた。その後回復に向かったラヒアは、誓いどおり英国に戻り、スミスフィールドに教会を建てた。そして1145年、ラヒアが亡くなった後には、教会の祭壇の左脇に彼の墓が建てられたのだ。

19世紀になり、ラヒアの墓の修復がなされた時、ラヒアのサンダルを盗んだ僧が奇妙な死に方をした。ラヒアの呪いだと思った周囲の人間がサンダルを返したが、ラヒアの霊はその後も静まることはなかった。1999年、教会の防犯ベルが作動した時には、見回りに来た僧が、確かに中央廊下を歩く人の足跡を聞いたという。侵入者の仕業だと思った僧が扉を閉め警察を呼んだが、侵入者が見つかることはなかった。その後、セキュリティ・システムを確認すると、ラヒアの墓のある場所だけに、何者かが通った跡が発見された。ラヒアの墓に辿り着くには、長い通路を通らなければならないにも関わらず、その通路を人が通った気配はなかったのだ。

13. ハンサムな幽霊
The George, 214 Strand, WC2

The George, 214 Strand, WC2

白壁に黒木のチューダー朝の外観のこのパブの歴史は17世紀にまで遡る。幽霊はその当時からこのパブに潜んでいると言われている。1970年、改装のため何人かの塗装業者が呼ばれ、それぞれが仕事についていた。しかし、作業を始めてから20分後ぐらいに、地下のセラーを担当した塗装業者が恐怖で顔をこわばらせて、パブのオーナーのところにやってきた。「出たんです。幽霊が。何も言わずに、じっとこちらを見ているんです」。恐怖でしどろもどろになる塗装業者を見たオーナーは、釈然とした態度でこう答えた。「ああ、それはここにずっと住んでいる幽霊だよ。ここで働く人はみんな見てるんだ」と。

14. 揺り椅子に腰掛けたオーナー
Ye Olde Red Cow, 71 Long Lane, EC1

Ye Olde Red Cow, 71 Long Lane, EC1

スミスフィールド・マーケットに立つ小さなパブ「Ye Olde Red Cow」。マーケットで働く人のニーズに合わせて、午前6時30分から9時まで開店できる特別なライセンスを持っている珍しいパブだ。このパブの経営者ディック・オセアは、毎日ウィスキーを片手に窓辺においた揺り椅子に腰掛けて、客の出入りを眺めている。そしてその光景は、1981年にディック本人が死亡した後もずっと続いているのだ。このパブの窓辺でウィスキーを飲む男の姿を見かけたら、それはきっとディックの幽霊に違いない。

ロンドン中を震撼させた猟奇事件
切り裂きジャック Jack the Ripper

一度ぐらいは、「切り裂きジャック」という名前を聞いたことはあるだろう。幽霊ではないが、未だに未解決のままとなっている残酷な猟奇殺人事件の犯人だ。世間を恐怖のどん底に陥れたこの事件とはどのようなものだったのだろうか。

事件概要

署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどした「劇場型犯罪」の元祖。1888年8月31日~11月9日までの約2カ月間に、わかっているだけでも5人の売春婦が狙われ、特定の臓器を取り除かれた死体が発見された。事件現場はいずれもロンドンのイースト・エンド。厳重な捜査網が敷かれたにもかかわらず、犯人は捕まっていない。臓器摘出の後などから、犯人は医者だったのではないかと言われているが、真相は謎に包まれたままだ。

被害者と犯行痕

被害者1 メアリー・アン・ニコルズ(42)
1888年8月31日深夜4時頃、喉と腹部を切り裂かれた状態で路上に転がっているのを発見された。メアリーの内臓は何者かによって持ち去られていた。

被害者2 アニー・チャップマン(47)
1888年9月8日午前6時頃、喉を切り裂かれた死体が発見された。腹部の傷から、引っぱりだされた腸は肩まで届いており、遺体からは子宮と膀胱が持ち去られていた。

被害者3 エリザベス・ストライド(44)
1888年9月30日深夜1時頃、喉を切り裂かれた状態の死体が発見された。被害者4 キャサリン・エドウッズ(43)1888年9月30日深夜2時頃、喉が切り裂かれ、耳たぶと鼻は切り取られ、両目と頬にはV字型のキズが切り刻まれた死体が発見された。死体からは子宮と腎臓が持ち去られていた。

被害者5 メアリー・ケリー(25)
1888年11月9日午前11時ごろ、家賃を徴収しに部屋を訪れた大家がベッドの上に寝転がるメアリーの死体を発見した。腹部と太もも部分の皮がはがれており、内臓が全て取り除かれた腹部は空洞となっていた。また乳房が取り除かれ、両腕は切り落とされていた。そして、顔は判別不能なほど切り刻まれていた。

切り裂きジャックからの手紙

新聞社などに送り付けられた手紙は、常に血を連想させる赤インクでしたためられていた。

1888年9月25日

俺を捕まえようと頑張ってるみたいだけど、無理だね。警察のやつらが偉そうに犯人の話をしているのを聞くと笑ってしまうよ。どうやって俺を捕まえるつもりだい?この間の殺人は最高だったね。叫ぶヒマも与えなかった。俺はこの仕事(殺人)をやめるつもりはない。次は(被害者の)耳たぶを切り落として警察に送りつけてやろうか。楽しいねぇ。この手紙をとっておいて、次の事件が起きたら取り出してみなよ。ナイフの切れは最高だし、早く次の獲物を見つけないとな。

Yours Truly,
Jack the Ripper

PS. 警察は俺のことを医者だと思ってるみたいだな。ヒヒヒヒヒ。

 

チャイナタウン探偵団

チャイナタウン探偵団 中国人移民の歴史を紐解く

ロンドンのヘソともいうべきソーホー地区に位置するチャイナタウン。
中華料理を食べたり格安のテレホン・カードを購入したりと、
この場所を頻繁に訪れる在英日本人も多いのではないだろうか。
今回の特集では、同じアジアからの移民として
ちょっと気になる同地区に関する情報を収集。
彼ら中国人移民が力強く生き抜いてきたその歴史を追いながら、
チャイナタウンにまつわる秘密を探ってみよう。(本誌編集部: 長野雅俊)

チャイナタウンを巡る6つの謎

● 英国のチャイナタウンはいつ頃どうやって出来たの?
● チャイナタウンに人は住んでいるの?
● なぜロンドンのチャイナタウンってソーホーにあるの?
● チャイナタウンでの事業は中国人しか出来ないの?
● ロンドン以外にもチャイナタウンはあるの?
● 中国人は英国に何人いるの?

英国のチャイナタウンはいつ頃どうやって出来たの?
ー閉鎖社会が直面した差別ー

船員としてロンドン東部の波止場で 働く中国人移民たち
船員としてロンドン東部の波止場で
働く中国人移民たち

移民としての中国人の存在が、初めて英国で公式に記録されたのは18世紀後半。この頃から次第に大英帝国の植民地主義の象徴であり、当時のアジア貿易を独占していた東インド会社の船員としてカリブ諸国やインドからの移民が渡英するようになった。この移民の波に本格的に中国移民が加わったのは、アヘン戦争(1842~60年)が終了してから。麻酔作用を持つ薬物アヘンの密輸入をめぐったこの戦争に勝利した英国が中国を開港したことで広東省、上海からの中国人が船員として英国に渡って来るようになった。

国籍を問わず、当時の船員という職業は次の航海まで仕事がなく、ゆえにお金がなかった。東インド会社を通じて英国に流れ着いた移民は、海辺に一気に押し寄せた他国からの移民と共に、次の出航まで劣悪な環境に閉じ込められる生活に耐えなければならなかった。カリブ諸国では比較的キリスト教が浸透していたことなどもあって、同地域からの移民が英国人と交流する姿がしばしば見られたが、中国人にとっては英国文化との共通項が全く見つからない。言葉も文化も英国人とは全く違う中国人にとって、頼れるのは同胞のみ。その結果、中国人移民の間で後に「チャイナタウン」と呼ばれるコミュニティが自ずと構成されるようになった。

英国文化とは別の次元で生きる移民コミュニティを作ることで英国社会からは隔離され、このため同胞間での連帯意識は日増しに強固になるという循環を経て、チャイナタウンはひとつの確固とした存在として発展していくことになる。

チャイナタウンに人は住んでいるの?

ロンドンのソーホー地区に立つチャイナタウンには、人はほとんど住んでいない。これはもともと商業地区として始まった歴史と、ロンドン中心に位置するため現在では高騰した土地の値段を鑑みれば自然の成り行きとも言える。

なぜロンドンのチャイナタウンってソーホーにあるの?
ー戦後の英国で中華料理が流行した意外な理由ー

Ming Street
ロンドン東部の地名にはかつての
チャイナタウンの名残りが

19世紀の植民地時代に東インド会社の船員として英国に渡った中国人移民たちは、当初は海への出入り口となるロンドン東部テムズ河沿いのライムハウス地区にチャイナタウンを形成していた。しかしやがて海運業が凋落を見せたため、20世紀になると現地に住む中国人移民たちはクリーニング店を競って開業するようになった。資本が少なくても始められ、かつ日常的に需要があるこのビジネスに当時の中国人移民たちは飛びつき、1931年には中国人によるクリーニング店が英国に800店以上存在していたという。しかし自動洗濯機が発明されてクリーニング事業も衰退を見せるようになり、第二次世界大戦でロンドン東部が破壊的な打撃を受けると、ロンドン東部のチャイナタウンはほぼ壊滅する。

所が変わって1950年代の香港では、戦後タイやビルマから安価な米が輸入されるようになり、地元の農家が大打撃を受けた。このため仕事を求めた香港出身の中国人移民が英国に一気に流入。折しも英国では、大戦中に任務として中国を訪れた英兵士が帰還したことで国内における中華料理に対する興味が高まっていた。この頃の英国は急激な経済成長を遂げていたこともあり、この機会に目をつけた香港系の中国人移民たちは1960年代に一斉に中華料理のレストランや仕出し業の経営を始めた。彼らの多くは、当時はまだ売春宿が散在しており、土地の値段も極めて低かったソーホー地区に進出し、新たなチャイナタウンを形成するようになった。これが現在まで続いているロンドンのいわゆる「チャイナタウン」の原型であり、今では中国人だけでなく各国からの旅行客までもが集まる観光名所となるまでになった。

1955年当時の現在のチャイナタウンライムハウス地区に出来た1955年当時のチャイナタウン(写真左)、
ソーホー地区にある現在のチャイナタウン(同右)

今現在、英国に中国人は何人いるの?

英国に住む中国人は全部で推定25万人。そのうち8万人がロンドンに住んでいると言われている。その多くが香港から渡英しており、その他にカリブ諸国、台湾、マレーシア、シンガポールや中国本土出身の者も多くいる。一口に中国人といっても、世界各地から集まっているので正確な実態をつかむことはほぼ不可能であるという。

ロンドン以外にもチャイナタウンはあるの?
ーチャイナタウンの未来ー

英国のチャイナタウンは、何もロンドンのソーホー地区だけに存在するわけではない。リバプールやマンチェスター、バーミンガム、カーディフなどにおける海辺の地域ではそれぞれのチャイナタウンの歴史が刻まれてきた。例えば英国北部のリバプールでは、19世紀後半から船員としてやって来た大量の中国人移民が海辺に定住するようになったと伝えられている。また同じく北部のマンチェスターでは、1970年代には衰退した問屋業が密集する地域に、当時の中国人が一斉に移住。彼らが開店したレストランは繁盛し、チャイナタウンの形成へとつながっていったという。

さらに2004年にはロンドンにおいてケン・リビングストン市長がロンドン東部テム ズ・ゲートウェイに第2のチャイナタウンを建設する計画を発表し、現在その具体案につ いて検討されている。これは近年の中国本土における急激な経済成長に期待し、中国関連 のビジネスを引き込むことでロンドンの経済を活性化する狙いがあると見られている。どこにおいても中国人が集まれば中国人のためのビジネスが発生し、そこにチャイナタウンが自然発生的に出来るのだ。

チャイナタウンでの事業は中国人しか始められないの?

ソーホー地区のチャイナタウンでは、日本食レストランや英国人オーナーが経営するレストランも店舗を構えており、基本的には国籍を問わず誰でも事業を起こすことが出来る。しかし一方で、中国人以外の人間が事業を立ち上げる際は冷遇を受ける傾向があるとの報告も寄せられている。
中国帽

「差別の対象となったチャイナタウン」
トム・ウェーラムさん
コミュニティ・海事史担当責任者

当時の中国移民の特徴として、彼ら特有の自助精神が挙げられます。中国人同士、お互い助け合うと いう精神が強かった。つまり彼らは英国社会に全く溶け込まずに生活していました。このため英国社会 の間では中国人は閉鎖的であり、謎の移民集団であるといった偏見が持たれるようになりました。

このような偏見が固定化すると、やがて中国人に関する都市伝説のようなものが生まれます。彼らと しては単なる習慣の一部に過ぎなかったアヘンを吸うという行為が悪魔の仕業のように伝えられました。また当時の中国移民のほとんどが男性であり、その中には英国人女性と結婚するケースもあったようなのですが、これが英国人男性の間に嫉妬を生み、チャイナタウンで英国人の女の子が誘拐されたなどという噂が広がる原因となったようです。

さらに当時の英国人の子供たちの間では、肝試しとしてお金を賭けて、チャイナタウンを走り抜けられるかどうか、という遊びまで流行っていたと聞きます。はっきりと言えば、これらの行為は中国人に対する差別であったと言い切っていいでしょう。

19世紀英国人作家が見た中国人

アヘンの巣靴
「アヘンの巣窟」でギャンブルを行う 中国人移民を描いた絵画。当時の英国人が中国人に対して抱いていた典型的イメージが表わされている。

中国人に対する偏見に関しては、歴史に名を残す英国人作家も抗うことが出来なかったようだ。特にアヘンを吸う習慣は堕落の象徴として受け止められており、アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)によるシャーロック・ホームズ・シリーズのひとつ「唇のねじれた男」やオスカー・ワイルド(1854-1900)作「ドリアン・グレイの肖像」にはアヘンの巣窟(Opium Den)に関する描写が効果的に使われている。また「中国人は謎めいている」といったイメージも強固に持っていたようで、 チャールズ・ディケンズ(1812-1870)の最後の小説となった「エドウィン・ドルードの謎」には「巧妙で狡猾な中国人」という記述が見つけられ、またサックス・ローマー(1883―1959)は「怪人フー・マンチュー博士」という中国服に中国帽を被った、東洋人による世界征服を計画する人物を創作している。

チャイナタウン年表
1782年 中国人移民の船員が英国に上陸したと初めて公式に記録される
1851年 国勢調査において78人の在英中国人が確認される
1877年 英国に初めて中国大使館が開館する
1902年 ロンドン東部ポプラーに中国人経営によるクリーニング店が開業され、この頃から「チャイナタウン」という言葉が使用され始める
1909年 英国で初めての中華レストランが開店する
1937年 英国で初めての中国人学校がロンドン東部に開校する
1961年 ソーホー地区に初めての中国人市民センターが開かれる
1983年 チャイナタウンの中心にあるジェラルド・ストリートが舗装される
2004年 ケン・リビングストン市長がロンドン東部のテムズ・ゲートウェイに第2のチャイナタウン建設計画を発表

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ロンドンのちょっと有名な中国人にインタビュー

クリスティーン・ヤウさん在英中国人にとっての心のよりどころに

チャイニーズ・コミュニティ・センター館長
クリスティーン・ヤウさん

中国式チェスを楽しむセンター利用者たちとコミュニティセンターの看板
(写真上)中国式チェスを楽しむセンター利用者たち
(同下)チャイナタウンの一角に立つコミュニティ・センターの看板

私が働くこのコミュニティ・センターには、1日に平均150人もの在英中国人が訪れます。その中には英語を全く話さず、中国本土の地方出身の方などは、中国語でもコミュニケーションを取るのが難しいというケースさえあります。これらの多くが高齢者です。

彼らが渡英した頃は、とりあえず英国に来て、中華レストランを始めるということが出来ました。でも今は経済環境が全く違う。定年を迎えた人もいる。在英日本人の場合、駐在員という形で渡英していつかは日本に帰る人が多いような印象を持っていますが、在英中国人は一度来てしまうと後の一生をそのまま英国で過ごすというパターンが多い。だから長期的に彼らの生活をサポートする必要があるのです。コミュニティ・センターでは英語の授業や法律相談、給付金の代行申請といったサービスをすべて無料で提供しています。

実は今、ロンドンのチャイナタウンは変化を求められています。観光客を対象とした飲食店が増えたために、大量の生ゴミが排出されたり、路面が崩れたりといった問題が出てきたのです。これらの対策について検討するのも私たちの仕事であり、現在チャイナタウンのあちこちで舗装工事が進行しているのはこのためです。私自身、香港から20年前に渡英しレストランの経営者に落ち着いた移民の1人です。この決断については今でも後悔していますが(笑)。若者から大人まで、すべての中国人にとっての窓口になれるよう努めています。

Chinese Community Centre
2nd Floor 28/29 Gerrard Street
London W1D 6JP
Tel: 020 7439 3822
www.ccc.org.uk



リチャード・ドゥウォンさん早い、うまい、安いがウリ!

Wong Kei Restaurant 共同オーナー
リチャード・ドゥウォンさん

wong kei

元々、Wong Keiとは中国語で「とっても混雑している場所」という意味です。客層は、国籍で分けると英国人、中国人がそれぞれ約25%。韓国人と日本人が15~20%ぐらいで、残りがそれ以外の国籍となるでしょうか。日本人のお客様は酢豚とかスクランブル・エッグ・ポークとかがお好きみたいで、よく注文されていますね。

当店ではとにかく価格を低く抑えるというのがモットーです。これを実現するためには、薄利多売、つまり回転率を早めるためにサービスの早さが求められます。お客が席を立たないうちに食器を片付けることもあるため「サービスが悪い」と憤るお客さんも少なからずいらっしゃいます。でもわかって欲しいのは、サービスの早さというのは私たちなりの誠意なんです。

ロンドンの物価の高さを嘆く学生は多い。そういう人たちにとっては、かしこまったサービスより、低価格とすぐに出てくる食事というのが何よりもありがたいのです。当店のメニューは、お客様がスーパーで食材を購入して自炊するよりも安い。だから食堂代わりに毎日通う方も多くいらっしゃいます。

今は亡き香港出身の初代オーナーが、この場所に当レストランを開業して約30年。チャイナタウンで最も古い店舗のひとつです。最近では、その昔英国に留学していた人の子供が親から「Wong Keiに通って食費を節約しろ」なんて言われて、また当店に通い出すなんていうありがたい現象も出てきています。とっても嬉しくなってしまいますね。

Wong Kei Restaurant
41-43 Wardour Street, London W1D 6PY
Tel: 020 7437 3071



ポール・エルビス・チャンさんチャイニーズ・エルビスとはこれいかに

Gracelands Palaceオーナー
ポール・エルビス・チャンさん

Gracelands Palace

ロンドンで3つの中華レストランを経営しています。レストランにいらしてくれたお客様のために、エルビス・プレスリーの格好をして彼のヒット・ナンバーを歌うのが私の仕事です。

私がエルビスに目覚めたのは12歳ぐらいの時でしょうか。彼の歌は全て覚えています。彼は特別な存在なのです。歌詞のひとつひとつに特別な意味が込められている。エルビスを尊敬していて、とにかく好きで好きでたまらない。

実は私の出身地である香港でもレストランを経営して、エルビス・ショーをやっていました。でも香港のお客さんの間では、全くといっていいほど受けなかった。誰も僕が歌うエルビスに興味を示さなかったのです。この現実に失望して渡英を決意し、15年前にロンドンでもう一度挑戦することにしました。そうしたらエルビス・ショーが受ける。 英国のお客相手にエルビスやると、皆手を叩いて喜んでくれるんですよね。一緒に唄ってくれる人も多くいる。それだけでロンドンに来たかいがあったようなものです。

僕はソーホー地区のチャイナタウンにお店を持っているわけではないので、中華関連のビジネスに関してはコネがない。ずっと1人でやって来ました。

誕生日とか記念日とか、是非うちのレストランにお友達を連れて来てください。あなただけのためにエルビスの歌を捧げます。

Gracelands Palace
3, Cumberland Walk, Tunbridge Wells. Kent, TN1 1UJ
881-883, Old Kent Road, London SE15 1NL
331, The Broadway, Bexleyheath, Kent, DA6 8DT

 

野田秀樹インタビュー

異なる文化が
共鳴したその先にあるもの - 野田秀樹インタビュー

劇作家/演出家/役者
野田秀樹インタビュー

劇作家/演出家/役者、野田秀樹。東京大学在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。時空間を自在に行き来する舞台設定と、卓越した言語感覚で独自の世界観を構築、80年代の小劇場演劇ブームの先駆けとなる。以降、日本演劇界に旋風を巻き起こし続ける彼が今回、英国進出第2弾となる「THE BEE」をロンドン、ソーホー・シアターで上演することになった。8日、初日を間近に控えた彼から話を聞いた。(取材: 本誌編集部村上祥子 インタビュー写真: 佐藤友子)

野田秀樹 略歴

野田秀樹 1955年生まれ。長崎県出身。東京大学在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。92年、劇団解散後に文化庁芸術家在外研修員として1年間のロンドン留学を果たす。翌年93年に帰国後は、企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。以降、プロデュース公演形式で数々の作品を発表し続けている。

83年 「野獣降臨」(のけものきたりて)で
第27回岸田國士戯曲賞を受賞。
87年 エジンバラ国際演劇祭に参加、「野獣降臨」(のけものきたりて)、91年には同祭で「半神」(はんしん)を上演。
92年 「ゼンダ城の虜」公演をもって夢の遊眠社を解散。
同年ロンドン留学。
93年 帰国後、企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。
03年 「Red Demon」英国公演。

現在に至るまで、紀伊國屋演劇賞、芸術選奨文部大臣賞、読売演劇大賞最優秀作品賞及び最優秀演出家賞、朝日舞台芸術賞など、数々の演劇賞を受賞している。

ロンドン東部、ベスナル・グリーン。その一角にある古びたスタジオ、「People Show」で今回のインタビューは行われた。稽古場として使われているその小さな空間に広がるのは、小学校の体育館のような舞台と趣のある板張りの床。稽古が終わった直後にそっと入ってみると、静かに、穏やかな表情で佇む彼が目の前にいた。時折まだその場に残っている役者たちに楽しそうに声を掛けながら、時に真剣に、時に冗談めかして、ころころ表情を変えながら語る彼からはしかし、常に演劇に対する真っすぐで純粋な思いが伝わってきた。

「THE BEE」に至るまでの道のり

野田秀樹と英国の関わりは深い。最初の接点は19年前。夢の遊眠社時代、エジンバラ国際演劇祭で「野獣降臨」(のけものきたりて)を上演したのがきっかけだった。「なんだろうな……。劇場の空間も良かったし、カルチャー・ショックを受けましたね」。その約5年後には劇団を解散し、文化庁芸術家在外研修制度で1年間の留学。この1年間は「仲間探しとして有効な時間」だった。この頃から彼の頭の中には、「こちらで、こちらの役者とやりたいな」との思いが芽生えてきたという。

そして93年、「Red Demon」で英国本格進出。日本で上演した「赤鬼」を翻訳、野田以外は英国人という公演だった。「まあ『赤鬼』という芝居はもともと日本の役者の中にイギリス人を1人入れてみたらどうかなっていう発想だったんですけど、ああ、逆もありだなと思って」。そしてその時、観客として「Red Demon」に共感した1人の役者が、今回の主演女優、キャサリン・ハンターだった。その時に「いつか一緒に仕事したいね」という話になり、「彼女を中心に考えて、どういうのが面白いかな」というのが今回の始まりとなった。

「THE BEE」英語によるオリジナル新作

今回上演される「THE BEE」は、初となる英語によるオリジナル新作。野田はよく「言葉の天才」と呼ばれる。自由自在に紡ぎ出される言葉の数々に、ふんだんに盛り込まれた言葉遊び。日本語ならではの美しさに満ちた彼の戯曲は、それだけで文学の傑作と言っても過言ではない。そんな彼にとって、英語を使うということは、その世界観が少なからず崩れると考えてよいだろう。だからこそ、と野田は言う。「今回は日本語で考える作業をしていないんですね。それが今までと違う。その辺がこっちのイギリス人が観てもナチュラルに見えると思うんですね」。確かに、翻訳というフィルターを通すよりも、この手法の方が彼の本質は伝わりやすいのかもしれない。

今回は完全なオリジナルではなく、筒井康隆が70年代に発表した短編小説、「毟りあい」(むしりあい)をモチーフにした。他人の作品を使おうと思った理由、それは「恐怖心」だった。「人間のつまらない恐怖心。人間が不安とか恐怖のもとで生活をするということに関しての妄想っていうのかな。今なんか、起きてもいないのに恐怖感を抱いて、その中で生活する人が非常に増えている。まあアメリカなんかは典型的なそういうリアクションをするんだけど。それと同時に、現実に恐怖の中、例えばバグダッドで生活している人間は、間違いなく本当の恐怖のもとで生活してますよね。いつ死ぬかわからない。そういう被害者側の恐怖心もあるし、妄想の恐怖心もある。そういう部分が非常によく描かれている。今の世界全体を支配している恐怖感っていうのかな」。英国は「シェークスピアの国」であり、英国人は「英語が世界の真ん中だって信じてる人たち」で「言葉を裏読みする作業が上手い」から、こういう作品を演じるのには日本人より適しているという。

そして今回、脚本は野田とアイルランド人作家、コリン・ティーヴァンとの共著により完成された。共同作業のスタートは、野田が持参した筒井康隆の原作翻訳版を基にしたワークショップ。その中で、原作にはないアイデア、例えば「被害者と加害者の誕生日を一緒にしよう」とか、「芝居の途中で部屋に蜂が入ってくる」といったアイデアをコリンに逐一伝えていった。また コリンは野田が「リズムを大切にする」ことを理解してくれていて、ちゃんと韻を踏んだセリフを入れてくれたそうだ。そしてその後のワークショップ内でコリンが最終形を執筆。また主演女優キャサリンのモノローグ部分は、彼女自身の即興が取り入れられたという。まさに総がかりで一つの作品を作り上げたといってよいだろう。

野田秀樹

男性を女性が、女性を男性が

今回の出演者は、英国人俳優の中に日本人は野田1人という構成。そのわけを聞いてみると、「どう見えるのかな」とちょっと宙を見ながら考えつつも、「深い意味はない」というあっさりした答えが返ってきた。英国でやる上で大切なのは英語を使うこと。だから「英語さえしゃべりゃいいんだろ(笑)」ということらしい。前回の「Red Demon」では村に1人迷いこむ異邦人という役柄だったため、日本人が英国人出演者の中に入ることは脚本的に意味があったが、今回はどうなのだろう。重ねて尋ねると、「交じってるからいいだろって。交じってやらせてくれよって」とちょっと照れたように笑った。「まあ、うるさい奴らとかは英語の発音がどうとか、文句言う奴はいると思いますよ」と続ける彼からは、ただ一緒にやってみたいんだ、という役者としての純粋な好奇心が感じられる。

その一方で、海外における日本文化の伝わり方に対する疑念もあった。「マダム・バタフライでもキル・ビルでもラスト・サムライでも、観てると不愉快になる部分がありますからね。おかしい。あいつら、いや、あいつらじゃまずいか(笑)、彼らがそれをやるくらいなら、こっちで俺が日本ですよって見せたほうがいいんじゃないかな、とか思うんですよね」。

そして今回、異色なのが主演女優、キャサリン・ハンターがビジネス「マン」、すなわち男性役を演じるということ。ある意味、本筋とは違うところで芝居が注目されてしまうのではと危惧していたら、そこには「逆転の発想」という明確な目的があった。「筒井さんの原作の中では、男性がレイプをする設定がある。舞台でそういうものを男性がやると、なんていうかな、表現がダイレクトになって面白くない。そんなの60、70年のアングラならいいけど、今更そんなの見たくないっていうのが僕の意識にはあって。それが逆転すると面白いかなって。女性が男性をレイプするっていうのはありかな、という意識がありました。違うものをつくれるかな、と」。「女性が男性をレイプする」、その言葉を聞いて、ちょっとひっかかった。男性を、ということは、女性役も誰か男優がやることになるのだろうか。 その疑問は続く野田の言葉ですぐに解消された。「僕が女性の役をやる。レイプされる役をやります。そこがちょっと面白いですね」。これまでも数々の女性役をこなしてきた野田ならではの発想だ。

そしてもう一つ、「見え方として西洋人が東洋人を陵辱しているという見方もできる」という、異なる国の人間が共に演じるという特殊性を視野に入れた思惑もあった。「世界というものがそういう構造で出来上がってきたわけでしょ。これまでは。その部分も見えなくもないんじゃないかな」。

「Red Demon」「贋作・罪と罰」

野田流「文化交流」

「Red Demon」上演後、野田は文化交流について語ったことがある。文化交流とは「不理解や誤解のもとに成り立っている」ものであり、「自分たちの文化の生の姿を、相手にぶつけるということ」。それはただ互いを褒め合い、楽しく一過性の時を過ごすという通常のイメージからはかけ離れた、非常に厳しい認識だった。しかしそんな彼でも、1回限りの交流すべてが無意味だと言っているわけではない。例えば今月中旬までロンドンで上演されていた市川海老蔵の歌舞伎公演。これなどは「やっぱり誇れるし、海老蔵さんがちゃんと体を使っているし、言葉に頼ることも少なかったし。アートとして魅せることができてたから」大賛成だという。ただ有名無実の人間が、文化交流という名のもとに日本文化を海外に紹介するのは我慢ならないようだ。「そこに日本の金を費やすんなら、もうちょっともがいているアーティストに金を費やしてほしいなって思いますね」とおどけた口調で首をすくめながら話す彼の表情には、国の文化支援の姿勢に対する苦々しい本音が見え隠れしていた。

海外公演に力を入れる一方で、近年の野田は歌舞伎の脚本・演出に挑戦するなど、伝統文化にも積極的に関わっている。日本でつくる演劇の形と海外に持ってくる演劇の形、一見対極に見える両者だが、そこには「伝統と解釈」への挑戦という共通項があった。「(前提として)知っておかないとだめっていうのがあるでしょ。そういうところで、そうじゃないものを見せる。解釈は解釈で面白いことだけど、それだけが演劇じゃないってことを示すためには、イギリスでも日本でも、どちらもやっていきたい」。彼の根底に流れる演劇に対する考え方は、歌舞伎に対しても、英国演劇に対しても、まったく変わるところはないのだ。

野田戯曲の世界観

遊眠社時代、NODA・MAP初期、そして現在。神話的背景を用いることで直接的なメッセージ色を排除し、時代を超越した独自世界をつくり上げていた昔に比べ、近年の作品では時代性、メッセージ性が前面に押し出されているように思える。その理由を尋ねると、いかにも野田らしい、「まあ、歳とったからじゃないですか(笑)」という飄々とした言葉の後に、真摯な言葉が続いた。

「表現をする人にとっては非常に危険なことでもあると思うんですけど。だからメッセージ性が強くなってるなって感じると、やばいかな、と時々思いますね。自問自答するしかないんですけど。『やっぱり今それを書きたいの?』って聞く。何カ月か書きながらやっぱり書きたいんだろうなって結論になった時に書くわけです。やっぱり変わることに勇気を持たないと、表現者は絶対だめですから。お客さんって変わったものを観たいって言いながらも変わると怒るんですよね、だいたい(笑)。そして変わったと言われる時には逃げていく人もいますし。でもそこを怖れていると、自分がやりたいことをやれなくなる。(そういうジレンマに陥った時には)やっぱり捨てる方向、変わる方向に一歩踏み出した方がいいんですね。もちろん恐いですけど、やっていかなきゃいけないですよね」。

一方で、変わらなければならない、という義務感を感じているのでもない。「今、日本でも新作を書いてるんですけど、書いている時に、これはもう書いたなと思うと止まっちゃいますね。自分の癖に走らない時っていうのは、変わっている時なんだと思うんですよね。例えば時間をずらすという書き方は長年俺はやってきていて。むしろ俺なんかは時間をずらすということをしないものを書いたほうがいいんじゃないかな、とか思うことがありますね。それをどのくらい我慢していけるかということを今少し悩んでいて、書くのが遅れています。これを弁解したかった(笑)」。真剣な話をしているのかと思えば、いつのまにか横に座っているNODA・MAPの制作者に対するいいわけになっている。本音を上手く出し入れする、人を食ったような野田節に、こちらも思わず一本取られた、という気分になった。

野田秀樹

野田秀樹の「絶望感」

テーマ性とは別に最近の野田作品を観ていて気付くのは、だんだん絶望的な色合いが濃く感じられるようになってきたということ。そのわけを聞いてみると、先程とまったく同じ、「それはやっぱり歳取ってるからですよ(笑)」という答えがポーンと返ってきた。55年生まれの50歳。こういうものを書いてもいいかな、という年齢になったという。「なんかね、若い奴がそういうのを書くと鼻につくんだよね(笑)。お前まだよお、絶望とか書くなよっとか思うじゃない。若い時はそういうのが嫌いだったんだよね。でもまあ、もうそういうのをまったく知らないわけじゃないし、書いていい年齢でもあるよねっていうことで書いてる」。

だから、別に現実社会全体に絶望感を抱いているわけではない。特に人間を一個の個人として見た場合、自分は「楽天家」。ただ構造や国家という単位で見てしまうと、「動きようがなくなる事実もいっぱいあって」、「抗えない、抵抗し得ないものは感じる」という。

穏やかな表情のまま淡々と言葉を紡ぐ彼は、そのまま自分個人の「絶望観」についても驚くほど率直に語ってくれた。「あとはまあ、日本人として生まれちゃったハンディっていうのかな。イギリス人だったら、芝居の世界で生きていくのは楽だったろうなって思うんですよね。俺なんかやってて、理論とか聞いてると、そんなことわかってるんだけどなって思う時があるんですよね。何十年芝居やってると思ってるんだって言いたくなることもあるんですけど。そういう時にはハンディを感じたりする。そういうことも含めて面白いって考えた方がいいんでしょうかね……」。

冗談めかしながら話し続ける彼の口調は、やがて自分自身に問いかけるようなそれに変わっていく。そこに海外で演劇をやる上での苦悩を感じ、日本だけでやっていればずっとトップを走り続けていられたのでは、と聞くと、畳み掛けるように「そんなに甘いものじゃないですよ」ときっぱり言い切った。野田の友人、歌舞伎役者の中村勘三郎は、日本を中心に活躍しているが、今の彼があるのは梨園の御曹司として生まれたからではなく、色々と実験して、苦労を重ねてきたから。「のほほーんとしてる奴は全部だめになっちゃう。(そういう人間のつくる芝居は)面白くないですね」。舞台が日本であれ海外であれ、大切なのは演劇に対する己の姿勢ということなのだろう。

2つの文化の「共鳴」

野田と話していると、会話の節々に「英語」という言葉が出てくる。海外、こと欧米でやるには英語が必要、そう何度も繰り返す彼からは、いつも自信満々に自分の演劇を見せつけてきた様子は微塵もうかがえない。海外でやることとは、その環境に対応すること。何故なら「世界はそういう風に出来ている」から。今、野田は英語を使って自分を表現することに困難さを感じている。「時々うわってなっちゃうんですよ」と言いながら両手をバタつかせる彼は、それでもやわらかな笑みを浮かべたまま、こう続けた。「でもそれは必ずしもハンディだけって思わないほうがいいいことかもしれない。いくつかを知るってことは豊かなことですから。イギリス人はそういう意味では貧しいですよね。他の国の言葉をしゃべれないっていうのは、世界が広がらないわけですからね」。

もちろん、言葉の上では迎合しなければならない部分もあるだろう。しかし、それは必ずしも英国の文化に溶け込むことを意味してはいないはずだ。「自分の身のこなしとか絶対日本人ですから。やってみせると彼らは非常に興味を示しますよね。違う身のこなしをして。時々やつらよりきれいですから(笑)。そうするとどういう使い方をしているのかって興味を持つ。それを見せることは文化が混ざっていることですよね、きっと。僕と彼らの動きは違うけど、それがちゃんとハーモニーとして成立していれば、俺がイギリス人の動きをする必要もないし、彼らが俺の動きをする必要もない。ただ上手い具合に、微妙なところでは共鳴しているっていうね」。

ぶつかり合うというよりは、相手の懐に飛び込んだ上で自分を表現する。先日稽古場で、黒澤明の映画「生きる」の志村喬演じるサラリーマンに感銘を受けたキャサリンが、野田に自分も「ああいう風にやりたい」と話し掛けてきた。そして実際、彼女は「下手な日本の役者より上手く」表現してみせたという。「ものをつくる人間はちゃんとわかると、両方(の文化共)わかる」。

こういう醍醐味は、今回のようなシチュエーションでないと味わえないと満足気に言う彼に、互いにわかり合うには、じっくり時間をかけなければいけないんですね、と締めくくろうとすると、「そう、時間もかかるし、国には金もかかるからよろしくっていうね(笑)」という、やっぱり飄々とした野田節が返ってきた。


何て自由な人なのだろう、と思っていた。時空間を超越する脚本、一つ一つが煌めきを持つ豊穣な言葉、重力を無視したかのように軽やかに舞う身体。そんな彼が、異国の文化の只中で苦悩している。ハンディ、という言葉の通り、彼は今、いくつもの厳しい現実の壁にぶつかっているのだろう。透徹した眼ですべての現実を潔く受け入れる彼からはしかし、欠片の気負いも感じられない。何より今、英国で、信頼できる英国人の仲間たちと共に芝居をつくっているという幸せ、喜びが伝わってくる。そんな彼の姿は、やはりどこまでも軽やかで鮮やかだ。2つの異なるものが真っ向からぶつかり合いできるまったく新しいもの。今回、日本と英国の2つの文化が共鳴したその先には、どんな世界が構築されるのだろうか。

野田地図 NODA MAPTHE BEE
野田秀樹、初の英語オリジナル新作!

03年「Red Demon」に続く野田秀樹の英国進出第2弾は、70年代に発表された筒井康隆の短編小説、「毟りあい」からインスピレーションを得た、初の英語オリジナル新作。ローレンス・オリヴィエ賞女優のキャサリン・ハンターを迎え、「野田ワールド」が現代社会の歪みを鋭く描き出す。

あらすじ
The Bee舞台は70年代の日本。平凡なサラリーマン、イドは自分の留守中、こともあろうか脱獄犯に妻子を人質に取られてしまう。途端に騒ぎ立てるマスコミや警察。彼らの高圧的な態度、欺瞞に満ちたその本質に触れたイドは、次第に常軌を逸していく……。

原作: 筒井康隆「毟りあい」
脚本: 野田秀樹、コリン・ティーヴァン
演出: 野田秀樹
美術: ミリアム・ブータ
出演: キャサリン・ハンター、野田秀樹、トニー・ベル、グリン・プリチャード
日時: 2006年6月21日(水)~7月15日(土)19:30~ 
料金: £10~20(学生・シニア £12.50~15)

Soho Theatre 21
Dean Street, London W1D 3NE
Tel: 0870 429 6883 
Tottenham Court Road駅
www.sohotheatre.com

*情報は掲載当時のものです。

 

英国流エレガンスと戯れる-貴族の館で過ごす休日

英国流エレガンスと戯れる貴族の館で過ごす休日

英国各地に点在する旧貴族の館、マナー・ハウス。
これらの館は全盛期には華麗な歴史を彩ったものだが、
現在はホテルなど一般客も立ち入れる施設として改修されたものが多い。
脈々と流れる英国の歴史や伝統を垣間見に、 マナー・ハウスの扉を叩いてみませんか。
今回は、ロンドンから数時間で別世界を体験できる5件をご紹介します。
(英国編集部 筒井和美)

マナー・ハウス歴史に息づく

英国各地には、かつて王侯貴族が暮らしていた建築物が数多く点在する。マナー・ハウスとは、これらの旧貴族や領主の館のこと。場所によってはカントリー・ハウスと呼ばれていることもある。

かつては華やかな歴史を彩ったマナー・ハウスだが、貴族階級が全盛を極めた時代が終焉を告げるとともに、数多くの貴族や領主は重くのしかかる税金問題などを理由にこれらの邸宅を手放さざるを得なくなった。しかし、領主の手を離れた後も、これらの館は壊されることは稀であった。貴族が手放したマナー・ハウスは、その後、博物館やホテルなどに改修され現在まで利用されてきたのだ。

緑豊かなカントリー・サイドに、厳かにそして優雅に佇むマナー・ハウス。その内部には、かつてこの館の主が愛したであろう調度品や美しい庭園がいまだにひっそりと息づいている。単なる宿泊施設としてだけでなく、古くからの伝統を大切にする英国人気質に触れられ、英国の歴史を肌で感じられるのがマナー・ハウスの醍醐味。貴族の邸宅に招かれたゲストを気取って、いやその邸宅の主になった気分で、贅沢な至福の時を背筋を伸ばして堪能してはどうだろう。

その佇いはまるで宮殿
Cliveden クリブデン

数あるマナー・ハウスの中でも、その豪華な佇まいで王者の貫禄を示す白亜のマナー・ハウス、クリブデン。英国でも最大規模(152ヘクタール)の広大な敷地を誇るこのマナー・ハウスは、テムズ河畔の眺めの良い小高い丘に位置する。現在はナショナル・トラストの管理下にある館だが、近年までは華やかな歴史を刻んできた上流階級の社交場であり、多くの著名人を魅了してきた。

クリブデンが建設されたのは、今から340年前の1666年。第2代バッキンガム公爵が、その愛人のために建てたと言われている。その後、伯爵家や皇太子など王侯貴族が次々に主として君臨してきた。その中でもクリブデンの最後の主となったアスター家は、金に糸目をつけずに高価な絵画や家財道具を世界中から買い集め、館内に彩りを加えたことで有名。豪華な「会食の間」は、アスター家が主人となっていた時代に、ルイ15世の愛人ポンパドール夫人の猟館から移築されたものだ。

アスター家はもともとドイツ出身だが、米国で財を成し英国に渡った。同家のナンシー夫人は、その美貌と行動力で英国の上流階級に積極的に接触し、一家の最盛期には、チャーチル元首相やセオドア・ルーズベルト米元大統領などもこのクリブデンのゲストとして招かれたと言われている。

アスター家の手を離れたクリブデンは、現在、一室につき4人のスタッフがつく英国でもトップクラスの品格をもったマナー・ハウスとなっている。上流階級が集う場所というイメージが今でも強いが、庭と建物の一部は一般見学者に開放されているので気構えずに訪問してみては。

クリブデン
Cliveden
Taplow, Berkshire SL6 0JF
Tel: 01628 668 561
Fax: 01628 661 837
www.clivedenhouse.co.uk
部屋数: 38室 (すべてスイート・ルーム)
宿泊費: £225~

アクセス
車: M40をジャンクション2、あるいはM4をジャンクション7で降りる。ロンドン中心部から車で約1時間
電車: 最寄駅「Burnham」からタクシー。最寄駅までは、パディントン駅から約30分。一般公開の日程・料金については、ナショナル・トラストのサイトをご確認ください。
www.nationaltrust.org.uk
夏のおすすめイベント
サマー・クルージング
クリブデン近くを流れるテムズ川に浮かぶボート・クルーズ。夕方6時から出航する「シャンパン・クルーズ」、近郊のブレイやマーロウへ行く貸切ツアー、そしてクルーズ後にクリブデン内の「テラス・ダイニング・ルーム」でのランチを頂くものなど様々なツアーが開催されている。ゆったりとした1日を水上で楽しんでみては?
料金: £200~(ボート一隻につき) Tel: 01628 607 149

時が止まった空間に浸る
Great Fosters グレート・フォスターズ

16世紀の趣を称えた左右対称の赤レンガ造りの堂々とした建物。グレート・フォスターズは、その昔ヘンリー8世やエリザベス1世が猟館として使用していたという由緒ある屋敷だ。その証拠に、入り口にはエリザベス1世の紋章が刻まれている。本館の玄関は腰をかがめないと入れないくらい小さく作られているが、これは突然の不審者の侵入を妨げるための工夫だ。

建物内部には、17世紀のタペストリーなどが飾られた「タペストリー・ルーム」、絵画や陶器などを飾った「ギャラリー」などがあり、当時の貴族の生活を偲ばせてくれる。また、ヘンリー8世の妻であったアン・ブリンの名を冠した部屋にはアンの紋章が施されているほか、建物のあちこちにチューダー家の紋章のバラなど王家にまつわるシンボルがたくさん残されており、王家とこの屋敷の繋がりの強さを示しているようだ。

グレート・フォスターズのもう一つの魅力は、1920年代に造られた庭園。英国の庭園にしては珍しく徹底して人の手が加えられた整形庭園は、アッと息を呑むような美しさを誇る。その庭園の奥にある天然の池では鯉が泳ぎ、岸辺には白鳥が戯れる。そして、池に架けられた橋の向こうには、四季の花が咲き誇るバラ園が広がる。庭園が造られてから約百年の月日が流れるが、これらはほとんど昔のままの姿を保っているという。

1930年にホテルとしてオープンしてからは、チャップリン、ビビアン・リー、オーソン・ウェルズなど数々の著名人を迎え入れてきた。昔の面影をそのまま残した、時が止まったような空間でタイムスリップ気分を味わってみてはどうだろう。

グレート・フォスターズ
Great Fosters
Stroude Road, Egham, Surrey TW20 9UR
Tel: 01784 433 822
Fax: 01784 437 383(予約)
www.greatfosters.co.uk
部屋数: 54室
宿泊費: £90~

アクセス
車: M25をジャンクション13で降り、A30を「Egham」方向に進む。ロンドン中心部から車で約1時間
電車: 最寄駅「Egham」からタクシー。最寄駅までは、ウォータールー駅から約45分。

数々の名画の舞台となった
Oakley Court オークリー・コート

1859年にリチャード・ホール・セイ卿によって、テムズ河畔に建てられた宮殿。フランスから嫁いできた愛する妻のホームシックを癒すために、古典的なフランスの宮殿様式を取り入 れて建てられたというロマンチックな歴史がある。

第二次大戦中には、ナチス・ドイツに対するフランスのレジスタンス運動の拠点がこの屋敷に置かれ、シャルル・ド・ゴール将軍もここに滞在したと言われている。60~70年代になると、「ドラキュラ」「ロッキー・ホラー・ショー」など100本以上の映画のロケ地として使用されるようになった。なんだか見覚えがあると思ったら、自分の映画コレクションを確かめて見ても良いかもしれない。

約5億円の総工費をかけ、カントリー・ホテルとして一般に開放されるようになったのは、1985年のこと。オープン直後から、英国随一のホテルとして評判を呼び、特に美しい庭園を眺めながらのアフターヌーン・ティーには定評がある。ゴルフ・コース、スパなどの施設も整い、近くにはレゴ・ランドもあるので、家族全員が満足いく1日を送れるに違いない。

オークリー・コート
Oakley Court
Windsor Road, Water Oakley, Windsor, Berkshire SL4 5UF
Tel: 01753 609 988
Fax: 01628 637 011
www.oakleycourt.co.uk
部屋数: 114室
宿泊費: £118~

アクセス
車: M40をジャンクション4で降りて、A404を 「Maidenhead」方向に進む。M4のジャンクション8/9のラウンド・アバウトについたらA308「ウ ィンザー」のサインに従って進む。あるいは、M25をジャンクション15で降り、M4を西に進ん だあとジャンクション13で降りる。ロンドン中心部から車で約1時間。

本物のエレガンスに触れる
Tylney Hall ティレニー・ホール

自然豊かなハンプシャーに佇む、ビクトリア朝の優雅なカントリー・ハウス。ある記録によると1561年からこの場所に屋敷が立っていたそうだが、この屋敷の主であったティレニー家に 残された書物には、1700年まで屋敷の記述は出てこない。ティレニー家に代々受け継がれた屋敷は、第5代モーニントン伯爵によって一旦取り壊されることになったが、1898年にライオネス・フィリップス氏が館を購入し、現在の「ティレニー・ホール」が建設された。16世紀の様式を取り入れるなど、当時の基準から考えてもかなり保守的なデザインだったと言う。

第一次大戦時には病院として使用され、その後何人かの持ち主の手を経た後、後にロザーウィック卿となるメイジャー・カイザーの手に渡る。第二次大戦中はカイザーの経営する船会社の本社、そして戦後(1948~84年)には学校として使用された後、1985年に晴れてホテルとしてオープンした。

建物内部のほとんどの壁には、オーク材のパネルが取り付けられ重厚な雰囲気を醸し出している。また、グレート・ホールと呼ばれる広間にある豪華な装飾の天井は、イタリアのフィレンツェにある宮殿から移築したもの。敷地内には、イタリアン・ガーデン、ウォーター・ガーデン、ローズ・ガーデンなどの魅力溢れる庭園があり、散策する場所には事欠かない。都会の喧騒から離れ、静かでゆったりとした時間を過ごしたい。

ティレニー・ホール
Tylney Hall
Rotherwick, Hook, Hampshire RG27 9AZ
Tel: 01256 764 881
Fax: 01256 768 141
www.tylneyhall.co.uk
部屋数: 120室
宿泊費: £140~

アクセス
車: M25をジャンクション2あるいは 12で降り、M3に乗りジャンクション5で降りる。ロンドン中心部から車で約1.5時間
電車: 最寄駅「Basingstoke」駅からタクシー(要事前予約)。最寄駅までは、ウォータールー駅から約1時間20分。

一夜の王侯貴族に
Amberley Castle アンバリー・カッスル

中世の頑丈な城壁が張り巡らされた、思わず圧倒されてしまうような外観を誇るアンバリー・カッスルの歴史は、1103年まで遡る。その年ノルマン人の司教、ラルフ・ルッファがこの城の元となる小屋を建てたのだ。以後増改築が繰り返され、16~17世紀になるとエリザベス1世がここに別邸を構えた。しかし、清教徒革命が起こった1643年、一時的な共和制を敷いたクロムウェルによりこの城の一部は取り壊されてしまう。19世紀になってから破壊された部分に修復が加えられてはいるが、いまだに当時を忍ばせるような廃墟となった部分も残っている。

その歴史の重みや剛健な建築から、どことなく取っ付きにくそうな印象を抱くかもしれない。しかしこの外壁の中に一歩踏み入れれば、アットホームな暖かい雰囲気が満ち溢れている。それもそのはず、この城は家族によってこじんまりと運営されているのだ。オーナーのカミングズ夫妻は、大きな白い犬を連れて敷地内を散歩し、滞在者に気軽に声をかける。そのもてなしぶりは、この石造りの城が放つ冷たいイメージを気持ちよく崩してくれる。

館内には、武器や鎧などが飾られ古城の趣が漂う。歴史に名を残した数々の人物と同じ場所に立ち、この城がたどった運命に思いを馳せてみては。

アンバリー・カッスル
Amberley Castle
Amberley, near Arundel, West Sussex BN18 9LT
Tel: 01798 831 992
Fax: 01798 831 998
www.amberleycastle.co.uk
部屋数: 13室
宿泊費: £155~

アクセス
車: B2139をAmberley Village方向に進む。城の入り口にある旗が目印。ロンドン中心部から車で約2時間
電車: 最寄駅「Amberley」駅からタクシー。最寄駅までは、ビクトリア駅から約1時間20分。
マナー・ハウスの掟

優雅な装いで気分を盛り上げるべし

旧貴族の館と聞くと、正装していかなくてはと思われる方も多いかもしれない。しかし、現在はスマート・カジュアルで大丈夫なマナー・ハウスがほとんどだ。特に昼間は、ウォーキング・ツアーなどを開催している所もあり、ジーンズにスニーカー姿の観光客がうろついていたりする。

ただし、日没後やレストランではジャケット・ネクタイ着用を求められることが多いので、予約時にはドレス・コードについて確認することをお忘れなく。本音を言えば、たとえカジュアルでOKだとしても、せっかくの非日常体験を演出するために少しは着飾りたいところ。思い切りドレス・アップして、ブラック・タイのイベントに参加するのも良い思い出になるに違いない。

美食を堪能するための準備を怠るべからず

美味しい食事を楽しむために忘れてはならないこと、それはレストランの予約。朝食は宿泊料金に含まれていることが多いけれど、ディナーは別というのが一般的。
人気のあるレストランを持つマナー・ハウスでは、込み合う週末などには予約なしではレストランに入れないこともあるので、 確認をお忘れなく。
貴族を気取るための基礎知識

貴族制度は、現在のフランス、ドイツ、イタリア北部などを統治していたカロリング朝のシャルルマーニュ大 帝によって導入された制度を元とする。広大な領地を支配していた同大帝は、領地を数十の州に分割し、州に地方官と司教を配置した。時とともにこれらの要職が世襲化されていき、貴族と呼ばれる階級が生まれたのだ。この制度が英国に持ち込まれたのは、フランスのノルマンディー公ウィリアム(征服王ウィリアム1世)が、1066年に英国を征服した時。その後、「Earl」など英独自の呼び方を加えたり、王族を対象とした公爵が生まれたりと細かな階級分けがなされるようになった(表参照)。

爵名位男性女性敬称(呼び方) / 女性
公爵 Duke Duchess Your Grace / Your Grace
侯爵 Marquis Marchioness Lord・領地名 or My Lord / Madam
伯爵 Earl Countess Lord・領地名 or My Lord / Madam
子爵 Viscount Viscountess Lord・苗字 or My Lord / Madam
男爵 Baron Baroness Lord・苗字 or My Lord / Madam
准男爵 Baronet Sir・苗字
士爵 Knight Dame Sir・苗字 / Lady・苗字
 

伝統が薫る英国式ウェディング

伝統が薫る英国式ウェディング特集 伝統が薫る英国式ウェディング特集

「6月の花嫁は幸せになれる」。花咲き誇る6月の英国。
抜けるような青空の下、太陽の光に祝福されて挙げる結婚式には、確かにこんな言い伝えがぴったりくる。
今回は伝統を重んじながらも自分らしさを大切にする英国式ウェディングをご紹介。
一生に一度の大切な瞬間を、かけがえのないものに……。

英国ウェディングの伝統
1.サムシング4
「サムシング4」とは、ビクトリア時代から言い伝えられている、結婚式当日に花嫁が身に付ける慣わしになっているもののこと。

Something Old,
Something New,
Something Borrowed,
Something Blue,
and a Silver Sixpence in her shoes


具体的には、

Something Old: 祖父母又は父母の持っているもの。家族の絆を象徴。
Something New: 新しいもの。花嫁の新しい生活と幸福な未来への希望を象徴。
Something Borrowed: 家族又は幸せな結婚生活を送っている人からの借り物。幸運のおすそわけを象徴。
Something Blue: 青いもの。人目につかないところに身に付けるのがお約束で、ガーターやリボンであることが多い。貞節と普遍性を象徴。
Silver Sixpence in her shoes: 6ペンス銀貨は縁起の良いものとして知られており、昔、銀はいやしの力があると思われていた。の4つのサムシング(プラス6ペンス銀貨)のことを指す。

素朴だけど花嫁の幸せを心から願う家族の温かさが伝わるこの伝統、私たちにも簡単に真似できそう!

2.スタッグ・ナイト&ヘン・ナイト
スタッグ・ナイトとは、結婚を間近に控えた男性が、友人たちと開く独身最後のパーティーのこと。一方のヘン・ナイトは女性のみのパーティーを指す。四六時中コッコとやかましいニワトリの名を取っていることからもわかる通り、時には警察沙汰になるほどの大騒ぎとなる。このパーティーの費用を出すのは友人たち。結婚後も変わらぬ友情と、男性の場合は今後奥さんに財布の紐を握られてしまう新郎への労わりを示しているんだそう。

3.ブライドメイド&ベスト・マン
英国のウェディングでは、友人たちの果たす役割が非常に重要。中世英国において、女性はしばしば新郎によって「誘拐」された。当時独身女性は、家族にとっては働き手として大切な財産であり、できることなら娘を結婚させたくなかったのだ。そのため、新郎は親友と共に新婦宅に押し入り、新婦を強奪したという。ここから新郎の親友が新郎を守り、ウェディングを統括するというベスト・マンの風習が生まれた。それではベスト・マン以外にも、英国ウェディングに欠かせない人々を紹介しよう。

新郎側
Best Man(ベスト・マン)
新郎の付き添い代表。結婚式の責任者で、通常は新郎の兄弟や親友が務める。ポケットに結婚指輪を忍ばせておいて、指輪交換の時にさりげなく取り出すという大役も。
Usher(アッシャー)
ベスト・マン以外の新郎の付き添い。お揃いの色のネクタイを締めて、新婦側の付き添い、ブライズメイドとパートナーを組む。
新婦側
Maid of Honour
(メイド・オブ・オーナー)

新婦の付き添い代表。ベスト・マンのパートナーで、通常は新婦の姉妹や親友が務める。
Bridesmaid(ブライズメイド)
メイド・オブ・オーナー以外の新婦の付き添い。お揃いのドレスを着て新婦の準備の手伝いなどをする。お揃いのドレスを着るのは、花嫁は呪いを受けやすいため、花嫁と同じドレスを着て悪霊を惑わせるためなんだとか。

昼食後は、いよいよ屋外を中心に散策を開始! このキュー・パレスは1631年に建設された、キュー・ガーデンの中では最古の建造物。今年は10年ぶりに期間限定で一般公開中。内部にはキュー・ガーデンをこよなく愛したジョージ3世やシャーロット女王と家族達の暮らしぶりを知ることが出来る展示がある。今年4月、厳重な警備のもと、エリザベス女王の80歳の誕生日パーティーが行われ、英国王室の面々が勢ぞろいしたことでも話題になった。

4.婚約と婚約指輪
婚約と婚約指輪の起源は中世英国にまでさかのぼる。先程も説明した通り、中世英国の一般家庭において、独身女性は大切な働き手だった。その貴重な人材を失ってしまう家族に対して、新郎は対価を支払わなければならなかった。その対価を支払う期間が「engagement」だったのである。当時、金の指輪は通貨として使われていたため、金の指輪が対価として新婦側の両親に送られたという。これが婚約指輪の始まりと言われている。
なお、指輪を薬指にはめる習慣は、薬指の静脈が心臓に直結していると考えられていた古代ローマ時代、愛し合う者同士の心を結びつけるために薬指に指輪をはめたところからきているという。

5.ウェディング・リスト
日本では常に悩みの種となるご祝儀。そんな風習のない英国では、その代わりに新郎新婦が欲しいものを自分たちでリスト・アップし、招待客にはその中から選んでプレゼントしてもらうという習慣がある。それが「ウェディング・リスト」。英国には専門店も数多くあり、お祝いを贈る人は指定されているお店へ出向き、リスト・アップされているものの中から自分の予算に合ったものを選ぶことができる。このウェディング・リスト、予算によってピンキリで、上流階級の人たちはハロッズやセルフリッジ、お金に余裕のない場合にはなんとテスコのトイレット・ペーパー1年分、なんていうのまであるらしい。

6.ウェディング・ケーキ
日本では天井まで届きそうな巨大なウェディング・ケーキを見かけることもあるけれど、ここ英国のケーキは極めてシンプル。基本は3段重ね。一番下は結婚式に出席した人が食べる用、真ん中は出席できなかった人に贈る用、そして一番上は最初の子供の洗礼式まで取っておく。子供が生まれるまでという長期計画だから、日持ちするようにスパイスたっぷりのフルーツ・ケーキを使うのが英国流。日本人にはちょっと甘すぎるくらいだけど、英国人はみんなこのケーキが大好きなんだそう。
ちなみに英国で最初のウェディング・ケーキは、1840年、時の女王ビクトリアとアルバート公の結婚式の時に作られたフルーツ・ケーキで、重さはなんと135キロもあったとか!?

7.幸せのジンクス、不幸を呼ぶジンクス
普段はそれほど迷信深くない人でも、一生にたった一度の結婚式ともなると、ささいなことが気になるもの。ここ英国でもさまざまなジンクスがある。あなたは気にする、それとも気にしない!?

幸せのジンクス
虹を見る
背中に日光を浴びる
黒猫が目の前を通り過ぎる
煙筒掃除人から挨拶される
不幸を呼ぶジンクス
ぶた、野うさぎ、とかげが道を横切るのを見かける
墓穴を見る
挙式の前に新郎がウェディング・ドレスを見る
何故ジューン・ブライドは幸せになれる!?

◆◆ジューン・ブライドのいわれ◆◆

6月に結婚する花嫁は幸せになれる、というジューン・ブライドの言い伝え。日本では梅雨の時期に当たるにもかかわらず、毎年多くのカップルがこの時期に結婚式を挙げている。そもそも何故6月に結婚すると幸せになれるのだろう?

1. ローマ神話の女神「ジュノー」から
6月、すなわち「June」という言葉は、ローマ神話に出てくる女神、「Juno(ジュノー)」からきていると言われている。ジュノーはローマ神話の最高神、ジュピターの妻で、結婚と家族の守り神とされていることから、ジュノーの名を冠した6月に結婚する花嫁は幸せになると言うわけ。

2. 6月は結婚解禁の月だから
昔、ヨーロッパでは農作業の妨げになるという理由で、3、4、5月に結婚することは禁じられていた。そのため3カ月間にわたって結婚できずにいたカップルが、6月に結婚できるのを待ち望んでいたのだとか。

3. 1年で1番良い季節
長く暗い冬が終わり、街の木々の緑が色濃くなる6月。英国に住んでいる人ならば、誰でも6月の心地良さは身を持って知っている。一年中雨ばかりと言われる英国において、最も降雨量が少なく、天候に恵まれる6月に結婚式を挙げれば、生きとし生けるものすべてに祝福されているような気持ちになれるというもの。


宗教婚と民事婚
英国の結婚式のスタイルは、大きく分けて以下の3つに分類される。

1. 教会での結婚式
英国国教会での結婚式を行うには、当事者のどちらかが信者であることが条件となる。自分の住む教区にある教会を探してそこで挙式するのが一般的。英国国教会は数年前まで、離婚経験者の再婚を禁止していた。02年に規定を見直し、再婚者の教会での挙式が可能になったが、否定的な見方は未だに根強い。それゆえチャールズ皇太子でさえ、教会ではなくロンドン郊外ウィンザーの市庁舎でカミラ夫人との結婚式を挙げている。

2. 「register(registry)office」(登記所)での結婚式
市庁舎や町役場などの役所内で挙式する。役所といっても、日本のようにただ婚姻届を提出するだけでなく、簡単なセレモニーも行われ、誓いの言葉も述べる。また役所の中には由緒正しいお城などを使っているところもあるので、日本人のイメージする役所とはかなり異なると言える。

3. その他の場所での結婚式
現在の法律では、登記所以外の場所でもレジストラー(登記官)がいれば結婚式を行うことが出来る。ただし教会以外の場所での挙式は認可制になっていて、認可されると以降3年間は他の挙式希望者にも公開されるとの規定がある。そのため当初ウィンザー城で挙式する予定だったチャールズ皇太子は、あわてて市庁舎へと会場を変更したのだ。

戸籍制度のない英国では、重婚を避けるために、まずは自分が独身であるという証明を役所に提出する必要がある。その上で誰も異論がなければ婚姻許可証を受け取ることができるのだ。その後挙式するのが結婚に至るまでの基本パターン。もともとローマ・カトリックを信仰していた英国が、英国国教会という独自の宗派を立ち上げたのは、時の国王ヘンリー8世が王妃と離婚するため。こんな背景を持つお国柄だけあって、他のキリスト教国と比べると、日常生活におけるキリスト教の浸透度はそれほど高くはない。また多民族国家である英国では、インド風の結婚式や、新郎と新婦の手を固く縛り付ける、ハンドファスティングというケルト起源の結婚式もある。最近は海外挙式を行う人も増えるなど、結婚式の多様化が進んでいるが、その一方で、やはり結婚式は教会でと考える人も多い。挙式と入籍が別々の日本とは異なり、挙式の瞬間が入籍となる英国では、結婚式はやはり神聖なもの。神の前で愛する人と誓いを交わしたいと思うのももっともかもしれない。
花に会いに行こう!フラワー・イベント情報
伝統と新しい息吹
◆平富百合子さんワタベウェディングロンドン店店長
ワタベウェディング-WATABE U.K. LTD. One Dovedale Studios
1953年創立以来、日本及び世界各国に支店を持つブライダル・カンパニー。式場選びからドレス、ハネムーンまでトータル・プロデュースしてくれる。

英国ウェディングの特徴は、手作り志向であること、地元意識が強いことが挙げられます。挙式する場所は、自分たちの住む教区にある教会や、レジスター・オフィスを探すのが一般的です。英国の国教は英国国教会ですから、教会で式を挙げるのが最もポピュラーですが、最近のトレンドとしては、海外挙式が増えています。カリブ海や南アフリカが特に人気のようですね。

また昨年から同姓の方同士でも異性間夫婦とほぼ同じ権利を得られるようになりました。昨年12月には歌手のエルトン・ジョンが「結婚」して注目されましたよね。英国国教会では挙式できないので、レジスター・オフィスでということになりますが、この同性の方同士の「結婚式」はこれから盛り上がりを見せることになると思います。

またこれは英国だけでなく、ヨーロッパ諸国全体の傾向だと思いますが、宗教離れが進んでいるため、教会ではなく、レジスター・オフィスで挙式される方々が増えつつありますね。神に誓うのではなく、自分たち自身に誓うという意味で、ロンドン・アイなどさまざまな場所で結婚するカップルが出てきています。

私どものお客様はほぼ全員が日本人の方々になります。教会での結婚式となると色々な制約がありますが、日本で婚姻届を出し、英国の教会でブレッシングと言われる祝福式を行うプロセスですと、信者で
ない方々でもオーセンティックな英国ウェディングの雰囲気をお楽しみいただけると思います。

平富さんお勧めのウェディング・スポット
セント・ジョン・ザ・バプティスト教会 - St. John the Baptist Church
ロンドン・ケンジントン地区の閑静な住宅地にあるビクトリア調の教会です。ここをお勧めする1番のポイントは、現在は英国でも数が少なくなりつつあるハイ・チャーチだという点。 英国国教会の中で「アングロ・カトリック」と呼ばれるハイ・チャーチは、カトリックの影響を色濃く残しているので、カトリックの教会が持つ荘厳な雰囲気を味わうことができます。
176 Holland Road, London W14 8AH
※お問い合わせはワタベウェディングまで


クリブデン - Cliveden
こちらはマナー・ハウスですので、セレモニー・マスター(挙式進行者)を呼んでの人前式となります。
英国にマナー・ハウスは数あれど、クリブデンほどの壮麗な佇まいを持つ館はそうありません。白亜の建物、152ヘクタールもの広大な庭園、そして敷地内を流れるテムズ川……。一生に一度の結婚式を行うのにふさわしい、由緒正しき英国貴族の館です。
Taplow, Berkshire SL6 0JF, Tel: 01628 668 561, FAX: 01628 661 837

伝統に裏打ちされたオリジナリティ
◆Hiromi Cherryさんウェディング・プロデュース会社
HC & Co経営

日本で大学を卒業後、ヨーロッパ各国のマナーを学ぶため渡欧。英国人男性との結婚を通してそのしきたりの多さと厳しさを実感し、マナー教室とウェディング・プロデュース会社を設立、現在に至る。
HC & Co (London Office)
Flat 8, Portman Gate, 110 Lisson Grove, London NW1 6UL
Tel: 020 7258 7585 FAX: 020 7258 7586


英国ウェディングを語る上で避けて通れないのが階級問題です。どこで結婚するかによって生まれてくる子供の学校など、後々まで影響を及ぼすことになります。最近ではレジストリー・オフィスでの結婚式も増えていますが、上流階級の人たちの間ではやはり教会式が圧倒的にポピュラー。通常は自宅の近くの教会ということになりますから、Good Addressと言われる良い住所に住んでいることが大切になります。教区以外の教会で式を挙げる場合には、両親がその教会のチャーチ・メンバーになることが必要です。そのため何年もかけて教会に通い、寄付を行う両親も。一番良いと言われているのが、花嫁さんが良い所に住んでいて、家のすぐ側の教会で洗礼式を挙げ、同じ牧師さんに結婚式をしてもらうというパターン。式の後は自宅の庭にマーキーと呼ばれるテントを張ってレセプション(パーティー)を行います。それが無理ならリッツなどの一流ホテルかマナー・ハウスということになります。

英国のウェディングの魅力はとにかく手作りであるということ。英国ではウェディングに関することはすべて花嫁さんが決めます。お金を出すのも新婦側。結婚を決めたら、花嫁さんと花嫁さんのお母さん、そしてウェディング・プランナーの3人ですべてを作り上げていくのです。まず決めるのはテーマ・カラー。ブライズメイドのドレスの色、ベスト・マンのタイの色などをすべて統一します。みなさんオリジナリティ溢れる式を望まれますが、同時に招待状は文具の老舗スマイソンの白い紙を使うなど、守らなければならないルールがありますので、それ以外の部分を工夫していくわけです。

英国人は他のヨーロッパ諸国と比べると、キリスト教に対する信仰心はそれほど強いとは言えません。ですが結婚となるとやはり正統派に憧れる女性が多いようです。結婚式は新たな生活に向けてのスタート。だからこそ豪華に、伝統的に行うのではないでしょうか。

Cherryさんお勧めのウェディング・スポット
ハートウェル・ハウス - Hartwell House
17世紀に建てられた大邸宅で、かつては亡命中のフランス国王、ルイ18世の宮廷としても使われたことのある由緒正しいマナー・ハウス。

お勧めポイント!
マナー・ハウスの中には、ナショナル・トラストが管理していて一般のお客さんが自由に入れる場所も多いのですが、このハートウェルは宿泊者の人たちしか入れません。そのため広大な邸宅を一人占めしているような気分が味わえるのがポイントです!

ハイクレア・カッスル - Highclere Castle
国会議事堂を再建したサー・チャールズ・バリーがデザインを手掛けた、イングランドで最も美しいビクトリア調の城の1つ。

お勧めポイント!
ここはとにかく豪華! 天井の高い、重厚感のある廊下を通って部屋に向かうのですが、静寂の中、カツン、カツンと足音が響き渡ると感無量な気持ちになります。

※ベニュ-の詳細に関しては、HC & Coまでお問い合わせください。
 

初心者でも楽しめる英国の花 - キュー・ガーデン・ガイド

編集部おすすめ!初心者でも楽しめる英国の花

いよいよ屋外で過ごす時間が楽しい季節になってきた。こんな時こそ、色とりどりの花を見たいという気持ちになることはないだろうか。本特集ではそんな時にもってこいの、バラから熱帯植物まで世界中の花や植物を見ることが出来る王立植物園、キュー・ガーデン及びロンドン近郊で花を楽しむための編集部とっておきの情報を紹介する。

年間100万人以上の訪問客
世界に知られる国立博物館 キュー・ガーデン
ROYAL BOTANIC GARDENS, KEW

キューガーデン地図

03年にユネスコの世界遺産跡に指定されたキュー・ガーデン。正式名を「王立植物園、キュー」とし、広大な敷地は約120ヘクタールの面積を誇る。

温帯や熱帯など世界各地の気候を再現した温室ではありとあらゆる植物標本が見られ、久しぶりに内部を公開するパゴダをはじめとする文化財としての指定建造物が40も建っている。収集や展示だけでなく、敷地内には植物学を学ぶ3年制の学校があり、テレビでおなじみのアラン・ティッチマーシュなど多くの著名人を輩出している。傍には植物の分類と識別やDNA分析など科学的調査を行う研究所があり、20世紀初期にここで世界で初めて合成繊維のナイロンが作り出されたという知られざる事実も。

キュー・ガーデンはこのようにして植物の保護管理そして環境の維持と開発に取り組む植物の専門機関なのである。

KEW GARDENS
Royal Botanical Gardens Richmond, Surrey TW9 3AB
Tel: 020 8332 5655 www.kew.org

オープン:12月24日、25日を除く毎日開園
開園時間は季節により異なります。 入場料、開園時間など詳しくはこちら

まずは温室巡りから

パーム・ハウスAガラスと鉄製のビクトリア朝建築
パーム・ハウス
PALM HOUSE

今回、入り口として使ったのは、地下鉄キュー・ガーデンズ駅から徒歩5分のところにビクトリア・ゲート。循環バス「キュー・エキスポローラー」の線路の奥に見えるのが、19世紀に建てられたパーム・ハウス。扉を開けて入るとむっとした空気に迎えられ、絶滅の危機に瀕しているというヤシ科の品種や、ソテツ科の植物の数々を見学出来る。これらは皆、地理上の分布を意識して展示されている。

写真上)屋内では熱帯雨林に限りなく近い状態を保っている
写真下)上を見上げると、チョコレートの原材料であるカカオ豆が!


B胡蝶ランの展示を見るならココ
プリンセス・オブ・ウエールズ・コンサーバトリー 
PRINCESS OF WALES CONSERVATORY

プリンセス・オブ・ウエールズ・コンサーバトリー三角形の屋根が連なる建物の内部では、コンピュー タ制御により気温を調節し、熱帯乾燥地方と湿潤熱帯 地方を中心とする10の気候帯を再現している。見所は、 同一品種でも気候帯別にまったく異なる顔を見せるランの数々。毎年2、3月に「オーキッド・フェスティバ ル」が開催され、大勢の人でにぎわいを見せる。

写真)87年夏、故ダイアナ妃が開館式に立ち会った植物標本室


Lunchランチはエレガントな1級建築にて
オランジェリー・レストラン
THE ORANGERY RESTAURANT

オランジェリー・レストラン レストランとして機能するこの建物は、1761年当時、オーガスタ妃のために柑橘系植物の展示室として建てられた「オランジェリー」。フランス語でオレンジ畑を意味する名前だ。その後博物館やミュージアム・ショップという変遷を経て現在の姿に改装、公開されたのは02年のこと。しっかり食事をしたい時、またはコーヒーで一息つきたい時にも最適。

写真)87年夏、故ダイアナ妃が開館式に立ち会った植物標本室


Cエリザベス女王80歳の誕生日パーティー会場
キュー・パレス
KEW PALACE

オランジェリー・レストラン 昼食後は、いよいよ屋外を中心に散策を開始!このキュー・パレスは1631年に建設された、キュー・ガーデンの中では最古の建造物。今年は10年ぶりに期間限定で一般公開中。内部にはキュー・ガーデンをこよなく愛したジョージ3世やシャーロット女王と家族達の暮らしぶりを知ることが出来る展示がある。今年4月、厳重な警備のもと、エリザベス女王の80歳の誕生日パーティーが行われ、英国王室の面々が勢ぞろいしたことでも話題になった。

写真上)2006年9月30日(土)まで一般公開中の
キュー・パレス
写真下)エリザベス女王=写真中央=の80歳を祝福して打ち上げられた花火を見上げるロイヤル・ファミリー


D01年開催の日本フェアの際に寄贈された
民家
MINKA HOUSE

テムズ川沿いを約15分歩くと、竹林の合間からヌッと出てくるのが日本の民家。01年、ロンドンを中心に行われた日本文化の紹介イベント「Japan2001」の際、岡崎市にあったこの民家が寄贈されることになり、日本で解体後、キュー・ガーデンに移築された。枠組みは日本人大工が、泥壁と茅葺き屋根はシェークスピア・グローブ座の職人が手掛けるという分担作業が行われた。


E知られざる保全地区
コンサベーション・エリア コンサベーション・エリア
CONSERVATION AREA

さらに遊歩道を行くと、指定自然保護地区である保全地区が見えてくる。この中に、1761年に行われたシャーロット女王の結婚を記念したコテージが建つ(開館時期不定期)。その後1898年に、可能な限り自然に近い状態で保存するという条件付きで、周辺の15ヘクタールと共にこの一帯の権利がキュー・ガーデンに譲渡された。現在では夜間にアナグマやフクロウ、昼間にはキツツキも見ることが出来る、野生動物や野鳥の楽園となっている。


Fコンサベーション・エリア 253段の階段を登ろう!
パゴダ
PAGODA

建設された1752年当時、ヨーロッパにおける最大の中国式建築だったのが、このパゴダ。今まで固く閉ざされていたこのユニークな建物の内部が、今夏からオープンする。頂上からはバタシー発電所やロンドン・アイ、カナリー・ワーフまで見渡せる。 オープン:2006年5月27日(土)~9月24日(日)まで(入場料あり)


G現存する唯一のガラス製ビクトリア朝建築
テンペラート・ハウス
TEMPERATE HOUSE

コンサベーション・エリア パーム・ハウスを手掛けた建築家バートンによる設計のテンペラート・ハウス。1859年に着工、途中政府による資金援助が滞るなどトラブルに見舞われ、完成までに実に30年もの月日を費やした。パーム・ハウスの2倍の面積(4800平方メートル!)を誇り、温帯植物を中心に展示している。

写真)温帯に生息する奇妙な植物が
見られるテンペラート・ハウス


H最後はアフタヌーン・ティーでホッと一息!
パビリオン・レストラン
PAVILION RESTAURANT

パゴダを登った後は、かなり足が棒になっている方も多いのでは。そんな時にはパビリオン・レストランでのアフタヌーン・ティーや ケーキがおすすめ。セルフ・サービス制になっていて、家族全員で気楽に楽しめる。

1盆栽ハウスキューに見る日本 その1
盆栽ハウス 
BONSAI HOUSE

広大な敷地の片隅にひっそり佇む、盆栽ハウスの内部。キュー・ガーデンと交流の深かったオーナーが高齢のため世話をしきれなくなり寄贈した、10あまりの盆栽を展示中。まだまだ規模は小さいが、今後は点数を増やしていく予定。

2デイビス・アルパイン・ハウス2006年3月にオープン
デイビス・アルパイン・ハウス
DAVIS ALPINE HOUSE

高山植物の展示が斬新なデザインの温室内に登場。あっという間に通り抜けてしまう程小さいが、本来の生息環境とはまったく異なる気候条件の英国でも見事な高山植物を見られるので、お見逃しなく。
写真)背が低く色とりどりの花が美しい、高山植物

3勅旨門キューに見る日本 その2
勅旨門
JAPANESE GATEWAY

保全地区を離れてさらに行くと、京都西本願寺にある唐門の5分の4サイズのレプリカである勅旨門が。これは1910年にロンドンで開催された日英同盟記念親善博覧会のために作られ、キュー・ガーデンで再建されたもの。その後、度重なる修復作業を経て現在に至っている。周辺には乾山水などがあり、英国にいながらにして日本の情緒に浸ることが出来る。

4マリアン・ノース・ハウス 素通りするのはもったいない!
マリアン・ノース・ハウス
MARIANNE NORTH HOUSE

ここに到達する頃には建造物はもうたくさんという気にもなるが、それでも見逃したくないのがこのマリアン・ノース・ハウス。マリアン・ノースは30代後半の時に病気の父親の最期を看取った後、1890年の彼女自身の死まで植物画を描く ことに没頭した女流画家。北南米、インドや日本など世界中を旅し、過酷な自然にさらされつつも描き続けた。彼女が依頼し作らせたギャラリー内に、その油絵画832点が常設されている。
写真)日本の風景もあるので 探してみよう!

1AQUATIC DISPLAY地下もお見逃しなく!
水族館
AQUATIC DISPLAY

パーム・ハウスとプリンセス・オブ・ウエールズ・コンサーバトリーの地下にはなんと水族館が。ナマズやタツノオトシゴが君達を待っている。
写真)階段を下りた先にある、魚達による別世界

2クライマーズ・ アンド・クリーパーズ遊びながら植物について学ぼう!
クライマーズ・ アンド・クリーパーズ
CLIMBERS AND CREEPERS

屋内外に設置された、子供のための遊び場。ここでトンネルをくぐりながら、植物の受粉について学ぶなど、インタラクティブな遊びを通じて植物について学べる仕組みになっている。
写真)残念ながら大人は立ち入り禁止、遊びのエリア「クライマーズ・アンド・クリーパーズ」

3人間サイズのアナグマの巣で遊ぼう!
アナグマの巣
BADGER SETT

保全地区に生息する夜行性動物、アナグマの巣を人間が探検できる大きさに拡大して作ったのがこれ。二股に分かれた入口から入ると中は薄暗い、土のトンネルになっている。

4夏といえばカブトムシ!
カブトムシ養殖所
STAG BEETLE LOGGERY

シャーロット女王のコテージの更に奥は、カブトムシの養殖が盛んに行われているエリアが。全長5センチにも成長するカブトムシの生態をここで観察しよう。


フラワー・イベント情報

毎年、夏になると各地で大小の花関連のイベントが開催される。ここでは今からでもチケット入手が間に合う「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー2006」と、英国におけるガーデニングの歴史を学べる博物館と、英国人の庭には欠かせないキャラクター達を紹介する。

毎年恒例、世界最大のフラワー・ショー
ハンプトン・コート・パレス・ フラワー・ショー2006

HAMPTON COURT PALACE FLOWER SHOW 2006
2006年7月6日(木)~9日(日)

ハンプトン・コート毎年7月の1週間だけ、ハンプトン・コート宮殿の敷地内を舞台に開催される「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー」。世界各国から参加申し込みが殺到し、700以上の出品者が自慢の花や植物を展示する。新人ガーデン・デザイナーによる展示を見たり、新種の苗を実際に買ったりするのも楽しみのひとつ。

HAMPTON COURT PALACE
East Moseley Surrey, KT8 9AU
Tel: 0870 906 3791 Hampton Court駅
www.rhs.org.uk/hamptoncourt

ウォーター・ガーデン毎年人気の部門
ウォーター・ガーデン
WATER GARDEN

ここでは水をテーマにした庭ばかりを集めた「ウォーター・ガーデン」が見られる。質の高い入選者が毎年腕を競い、最優秀賞が選ばれる。また、専門家による水生植物の直売もあるので興味がある方はお見逃しなく。
写真)05年のショーで最優秀賞を受賞したウォーター・ガーデン。
日本がテーマのこの庭の名は「英雄のための休憩所」

2006年初登場 小さなスペースの有効活用法を競う
インスパイアリング・スペーシズ
INSPIRING SPACES

初お目見えの部門「インスパイアリング・スペーシズ」では、日当たりの悪い場所や狭い前庭、またはバルコニーといった小さな空間にいかに手を加えて最大の効果を出すかという課題に挑戦。12のプロの園芸集団がそれぞれに与えられた2平方メートルの空間に取り組み、その成果を発表する。

FESTIVAL OF ROSES英国ならではの花といえば
バラの祝宴
FESTIVAL OF ROSES

最高品種のバラの数々が一堂に集う「フェスティバル・オブ・ロージズ」。くらくらするような花の香りに包まれた展示会場では、毎年発表される新種のバラの中から年間最優秀賞「ローズ・オブ・ザ・イヤー」が選ばれる。今年は一体、どんなバラが登場するのだろうか? また、バラの手入れ法を伝授するトークやデモンストレーションも同時開催される。

視点を広げて、ガーデニングの歴史を考える
ガーデン・ミュージアム
GARDEN MUSEUM

ガーデン・ミュージアム 花や植物を見るだけでなく、その背景にある英国のガーデニングの歴史に興味がある方には、「ガーデン・ミュージアム」がおすすめ。博物館自体はランベス・ブリッジ橋を南に渡ってすぐのところに建つ、セント・メアリー・アット・ランベス教会内にあり、そのいきさつがユニークだ。

一時期朽ち果てて崩壊寸前だったこの教会の敷地内で、ある時、16世紀から17世紀に かけて活躍したチャールズ1世の庭師、ジョン・トラデスカントとその息子の墓が発見された。この発見がきっかけとなり、1977年、この教会を舞台に世界に類を見ないガーデニングの歴史を専門とする博物館が誕生。現在では、裏庭が17世紀に人気を得たノット・ガーデン様式を模った装飾庭園になっており、憩いに訪れる人々の目をなごませている。

写真)中央に見えるのがノット・ガーデン。都会のオアシスのような場所

ガーデン・ミュージアム

左写真)内部はステンド・ガラスが見下ろす、美しい展示室
中央、右写真)国内で見かけるのは珍しい、セイヨウカリンの木と花。実を結ぶのは秋頃とのこと

GARDEN MUSEUM
Lambeth Palace Road London SE1 7LB
Tel: 020 7401 8865
最寄駅: Lambeth North / Westminster 駅
www.gardenmuseum.org.uk
オープン: 毎日10:30-17:00
入場料: £5.00

ノーム英国人の庭は不思議がいっぱい
ガーデン・ノーム人形 GARDEN GNOMES


英国の田舎へ行くと、道路沿いに建つ家々の前庭に、奇妙な人形がいるのを見かけたことはないだろうか。これが英国で長く愛されてきた、ガーデン・ノーム人形。映画「フル・モンティ」でも登場した、愛すべき庭のアクセサリーだ。

過去の栄光の日々もいまや……

ノームガーデン・ノーム人形は元はドイツで発祥し、19世紀後半に英国に輸入されたもので、原型は粘土などで作られ彩色を施し、とんがり帽に白いあごひげをたくわえたおじいさんの形をしていた。しかし1960年代になると、プラスチック製で絵の具の塗りも粗雑な、質の悪いものが出回るように。それが原因でガーデン・ノーム人形は下品で趣味が悪いというイメージが付いてしまった。つい10年程前までは英国中の庭に500万体ものノーム達が見られたが、今となっては380万体に減少。売上げもブームの頃と比べて3分の1の年間300万ポンドに落ち込んでいる。現在ではデザインがハイテクであったりセクシーであったりとバラエティーに富んでいるが、よほどリバイバル・ブームでも起きない限り、売上げの減少傾向はさらに続くとのこと。
 

ブレア首相と愉快な仲間たち

ブレア首相と愉快な仲間たち

近代議会制度発祥の地として知られる英国。その長い伝統を受け継ぎながら、現代の英国政治の舵取りを行うのがブレア内閣メンバーの面々だ。今回の特集では、内閣閣僚の中から選りすぐりの11名を選出。個性豊かな彼らの横顔を追いながら、国会中継の楽しみ方もご紹介する。議会政治の本場英国で、政治を深く楽しく勉強しよう。

Tony Blair  君こそスターだ!
トニー・ブレア首相  52歳 オックスフォード大学出身
Tonyご存知英国の第73代首相。まだ若々しさを十分に残していた41歳の時に労働党党首に任命され、その3年後に政権を奪取。以来、9年間にわたって首相として君臨している。彼の特徴として、「神がかった」という表現が似合うほどのパフォーマンスの上手さが挙げられる。日本の政治家ではめったにお目にかかれない、凛々りりしくスマートないでたち。上品な言葉遣いと流暢な話し方に加えて、敵陣さえ笑いに誘う抜群のユーモアのセンス。そして何よりも、政策を訴える際に眩いばかりにキラキラと輝く両目。思わずうっとりして彼が何を言っても信じてしまいそうになる。
強力なリーダーシップで急進的な改革を遂行したため党内に多くの敵を作ったが、それでも彼はへこたれない。名門オックスフォード大学で過ごした学生時代は「Ugly Rumor(醜い噂)」という名のロック・バンドを組んで歌い叫んでいたという彼。50歳を過ぎた今でも、心の中はロックが教えた反抗心と純粋な思いで溢れているのだ。

Gordon Brown  英国経済を支える妖怪ぬりかべ
ゴードン・ブラウン財相  55歳 エディンバラ大学卒
Gordon Brown近年の英国経済の安定は、ブラウンの功績による部分が大きい。国債の発行を制限する緊縮財政で財政管理し、公定歩合を設定する権限を中央銀行に与えて市場の信頼を勝ち得た。さらにはアフリカ諸国への援助金捻出に奔走するなど、政治的貢献も果たしているのに、妖怪ぬりかべみたいなダミ声を出すものだから陰湿なイメージがまとわりついてヒーローになり切れない。
ブレアがまだ新米議員だった頃、先輩として指導を重ねていたらメキメキと力をつけてブレアにキャリアを追い越されてしまった。この時ブレアは、後にブラウンに首相の座を譲るという「密約」を交わしたと噂されており、そのブレアが今季限りで退任する考えを露わにしていることから2人の一挙手一投足が注目されているが、なんか揉めそうな臭いがプンプン。結局ブラウンは、ブレアの輝かしい功績とキャラに隠れてしまった影の男として歴史に名を刻むような気がする。そんな「縁の下の力持ち」みたいな役割がよく似合う男だ。

John Prescott  政界を騒がす海の男
ジョン・プレスコット副首相  67歳 ハル大学卒
John Prescottメディアからは「ブルドッグみたい」と形容される政界のお騒がせ男、ジョン・プレスコット。学生時代は落第したこともあり、政治家になる前は船乗りだったという異色の経歴を持つ。議員デビュー当時から破天荒な言動で物議を醸していたが、高齢になってもそのはみ出しぶりは衰えず、今でも国会の壇上に上れば文法一切無視の不明瞭な演説を行って、周りからの嘲笑の的となっている。ブレア首相が話している間も平気で居眠りこき、抗議目的で卵を投げつけた市民をグーで殴りつけて逆襲したこともある。こんな人が副首相なんていう肩書きを持てる英国の政治の世界って本当にすごい。そんな荒らくれ者のイメージばかりが強調されるが、実は分裂しがちな労働党を上手にまとめる親分として厚い信頼が寄せられているプレスコット。人災を起こすほど荒れたり、時には温かく党員を包み込んだり、ともかくとっても器の大きな海の男なのだ。

Tessa Jowell  夫ポイ捨てのオリンピック大臣
テッサ・ジョエル文化・メディア・スポーツ相 
58歳 アバディーン大学卒
Tessa今、最も注目を浴びる女性政治家。イタリアのベルルスコーニ元首相の汚職事件に夫が関係していたとの報道で、一斉に脚光を浴びた。政治家としての立場も危うくなり「苦渋の選択」の末に、彼女は結局その夫と別れることを選んでひとまず解決。ああ、女にとって夫の存在ってそんなものか、と英国中の既婚男性に深い溜息をつかせた一件であった。メディアも汚職問題にかこつけて報道していたが、実際のところこの夫婦の愛憎劇の方に興味津々だったのだ。本業では2012年に開催されるオリンピックの開催地としてロンドンが選ばれたことで、オリンピック大臣にも任命されている。しかし競技場建設の深刻な遅れなどの問題が再三にわたって指摘されており、開催日が近付くにつれて今後猛烈に叩かれること間違いなし。その時に夫が再び現れて彼女を支える、なんて話も興味がある。

Ruth Kelly  しごきに耐える新入生
ルース・ケリー教育・職業技能相 
37歳 オックスフォード大学ほか卒
Ruth Kelly1997年に当選してからスピード出世を果たし、2004年暮れに教育相に任命され女性としては最年少で入閣を果たした。しかしその後まもなくして国内の学校に性犯罪の前科を持つ者が職員として多数採用されていた事実が発覚し、事態は急展開。憧れの内閣デビューを飾った途端に性犯罪者の対応に追われた。ここぞとばかりに野党やメディアは政府の管理責任を激しく追及。田舎臭さが漂うもっこりした髪に、バリトン並みの低い声を持つがゆえ不器用に映る彼女をここぞとばかりに叩きに出た。しかし彼女は毅然とした態度で記者会見に臨み、国民の理解を得ることに成功する。市民に卵を投げつけられても、ブレア首相が推進する教育改革で大忙しの毎日でも文句言わずにひたすら働く彼女。どんなにしごかれても明日へ向かって生きていく、そんな前向きな新入生を思い起こさせる。

Jack Straw  冷徹なカマキリ男
ジャック・ストロー外相  59歳 リーズ大学卒
Jack Strawインテリじみた話し方が少し気になる男。内相時代に犯罪者に対する厳重な取り締まりを掲げ、それまでの犯罪に甘い労働党、というイメージをうっちゃった。細身の体ながらも強気で威張っているストローだが、何せ明晰な頭脳を持つがゆえに市民の間ではすこぶる評判が良いという。イラク情勢やイランの核開発問題など、英国を悩ます中東問題が議題に上ると、ガサガサと昆虫みたいにしゃしゃり出てきては、記者会見上で顔の表情ひとつ崩さず対応する。それだけに、どうしても冷徹なイメージが付きまといやすいことも確かである。

John Reid  マッチョな僧兵
ジョン・リード国防相  58歳 スターリング大学卒
John Reid剛毅な印象を与える北部独特の訛りと睨みを利かせた顔はやくざである。かつては共産党員だったこともあるほど豊富な経験を持つ彼には、保健相という意外な職歴がある。同ポストに任命された瞬間「保健相なんてやってられるか」と叫んだという逸話が残っており、きな臭い今のポストの方が似合うことは十分自覚しているのだろう。戦闘的なイメージばかりが際立つが、実は経済史の分野での博士号を持っている知性派。知識と風格、そしてファイティング・スピリットの3拍子揃った僧兵のような彼に集まる信頼は厚い。


Margaret Beckett  政界のお局様
マーガレット・ベケット環境・食糧・農村地域相 
63歳 マンチェスター大学卒
Margaret Beckett雅で人畜無害なオバサマに見えて、実はかなりやり手の政界大ベテラン。かつてブレアそしてプレスコットと共に労働党党首の座を争ったこともあり、割と権力志向の強いタイプなのかもしれない。また大学時代には鉱石から金属を取り出して精製する過程を調べる冶金学者としての資格も取得しているという、根っからの地学オタクでもある。エネルギー源不足に悩む英国で再燃している原子力発電利用について論じる際に度々メディアに登場し、是非を問わない玉虫色の発言に終始してはお茶を濁している。

Ian MacCartney  やらされ学級委員長
イアン・マッカートニー無任所大臣、党委員長 
55歳 高校中退
Ian MacCartneyとっておきのいじめられキャラ。155センチの低身長に顔の面積の約3分の1を占める大きなメガネ。何を話しても必死で言い訳しているように聞こえる口調。挙げ句の果てに「無任所」なんて曖昧で中途半端な肩書きを持つ彼、もう一つのポストである労働党委員長なんて、他に誰もいないから無理やりやらされているという構図がはっきりと見て取れる。が、15歳でストライキを指揮したという実績を持つ彼を侮ってはいけない。決して人々の信頼を裏切らない彼がいるからこそ、現内閣を支援するという議員も多数いるのだ。

Patricia Hewitt  白衣の堕天使
パトリシア・ヒューイット保健相 
57歳 ケンブリッジ大学ほか卒
Patricia Hewittかつて家庭生活を優先したいがために議員デビューを遅らせたことがあるという、オヤジたちが泣いて喜びそうなエピソードを持つヒューイット。さらに保健相とくれば柔和なイメージばかりが膨らむが、実は札付きの剛腕フェミニストでもある。男性の部下をクビにして無能な女性を雇い、男女差別法に触れると訴えられて敗訴したこともあるくらいだ。また国家破壊活動に従事しているとの疑いで国内の諜報機関MI5に追跡されたこともある。現政権では吹けばほこりが飛び散る国家医療制度(NHS)について弾劾追及される毎日を過ごしている。

Charles Clarke  舌鋒鋭い白ひげ仙人
チャールズ・クラーク内相  59歳 リーズ大学卒
Jack Straw仙人のような白い口ひげが特徴の舌鋒家。テロ問題で揺れる英国の治安対策では、その強気な姿勢が功を奏している。というのも、2005年の同時多発テロ発生以降、IDカード導入や反テロ法成立など国家の管理強化に危機感を強めるリベラル知識人が数多くいる中、彼らを「害毒」呼ばわりして蹴散らしているからだ。かと思えば、国外追放の対象である外国人犯罪者が内務省の不手際で大量に釈放されていたことが判明し、各方面から糾弾されると結構しどろもどろだった彼。所詮は空威張りしていただけなのかもしれない。

もっと知りたい内閣制度  ここまで学べば優等生

内閣の閣議
首相の下で政府の方針を決定する役割を司る閣僚。ここで紹介したメンバー含め全部で23のポストがあり、これに3人の大臣を加えた合計26名が毎週木曜日に閣議を行う。閣議には国会議事堂近くのダウニング・ストリート10番地に位置する首相官邸の閣議室が150年間にわたって利用されており、防音設備は万全。首相が暖炉を背にした中央席に座り、残りの閣僚は序列に従って座る席順が決められているという。

影の内閣
政府の内閣に対して野党幹部で構成された組織を「影の内閣」と呼ぶ。通常は内閣の閣僚ポストそれぞれに対して影の内閣では「スポークスマン」という肩書きで仕事が割り当てられており、担当となる分野における内閣閣僚の仕事を監視し、主に批判するのが役割。つまり、内閣の外相に対して影の内閣には「外務省スポークスマン」がいることになる。野党が政権を奪った際には、彼らに閣僚ポストが与えられる場合が多い。

立法過程での役割
議会での法案審議の優先順位を決めるのも内閣の大事な仕事のひとつ。自党が選挙の際に公布したマニフェストを尊重しながら判断し、最終的には政府の各大臣や各省庁職員が法案を作成、下院そして上院で法案審議が行われることになる。ちなみに、法案作成の準備のため作成する提案書が「グリーン・ペーパー」、立法化を目指してもう一歩踏み込んだ内容の意見書が「ホワイト・ペーパー」と呼ばれている。


議会政治の醍醐味が味わえる!
「クエスチョン・タイム」実況中継
Prime Minister's Question Time
閣僚の顔と名前を覚えたら、今度はいよいよ上級編。より深く英国政治の醍醐味を知るため、「クエスチョン・タイム」との通称を持つ首相への質疑応答を「観戦」してみよう。毎週水曜日正午から30分間行われるこの論戦では、野党党首やその他の議員と首相との間で白熱した応酬が繰り広げられる。英国議会ならではの独特の慣例も垣間見られる「クエスチョン・タイム」の一場面をここで解説!
Question Time


    論戦の始まり

首相への質疑応答は通常「首相、本日の業務はどのようなものですか」という問いかけを意味する「第1の質問です、議長」という一言で始まる。これに対して首相は「今朝は閣僚たちとミーティングを行いました。国会での質疑応答の後、またさらなるミーティングを行う予定です」と答えるのが慣例となっている。これは通常の国会の質疑応答では「議題となる最初の質問に関連する質問のみ許される」というルールがあるため。最初に「首相の業務」について質問し本題と設定することで、続いて質問する側にとってはあらゆる分野について首相を問いただすことが可能になるのだ。穏やかに見える会話のやりとりだが、実は後の壮絶な舌戦へと導くための伏線を張ったゴングの合図になっている。

    質問の仕方

質問者は3日前までに規定用紙に名前を記入し、投票箱に提出しなければならないことになっているが、当日の飛び込み質問も許される。このため議長からの指名を得ようと、各質問の合間には平議員たちがあちらこちらで起立してアピールしている。テレビなどで見ると絶えず立ったり座ったりしている人たちを見かけるのはそのせい。ちなみに、これら平議員が首相への質問の機会を与えられるのは年に1回あるかないか。野党第一党の保守党党首は1つのセッションにつき6回、第二党の自民党党首は2回まで質問する権利が認められている。

    質問への回答

質問者が首相に対して質問の内容を予告することはほとんどない。つまり、首相には矢継ぎ早に投げかけられる様々な分野の質問に対して間髪入れずに答えるという、神業的な能力が要求される。当然、周到な準備を行う必要があり、「鉄の女」として有名だったマーガレット・サッチャー元首相は話し合われるであろうテーマの予習のために毎週8時間を費やしたといわれる。ブレア首相を見ても細かく付箋が貼られた分厚い資料を手元に置いて、具体的な数字データを挙げながら見事に回答していくのがわかるはず。

    場外では

首相や質問者の発言に対して、周りの議員らはブーイング、喝采などで議場を盛り立てる。発言者が織り交ぜるユーモアに対して笑いが起きることもしばしば。またよく観察すると私語に興じていたり眠っている議員もいる。
 
 

英国で新聞を読むための基礎知識

英国で

毎日の出来事を伝える新聞。それだけに、英国での生活を極めたければまずは現地で発行されている各紙に親しむことから始めたい。一見控えめに見える英国文化とは裏腹に、英国の新聞はいつも熱く何かを主張しながら、遊び心を忘れず楽しく充実した紙面作りに励んでいる。今回は、これからの英国生活を充実させるために必須の英国各紙に関する基礎知識を総ざらい。これを読んで新聞ともっと仲良くなろう。

英国の知性の塊 ブロードシート

政治・経済・社会問題をそれぞれ独自の視点で取り上げ世論に問う役目を負うのが、「ブロードシート」と呼ばれる一般紙。インターネットの登場などで競争が激化していくなか、各紙とも様々な工夫を凝らして英国の知性を守ろうと必死になっている。ここでは熱く盛り上がる新聞業界の構図を見てみよう。

英国のブロードシート(一般紙)

「英国人の良心」を守る防人 -「ガーディアン」紙
The Guardian
発行部数: 38万部

1821年にマンチェスターで発刊。労働党、自民党を支援する通常「リベラル」と呼ばれる人々に好んで読まれている。労働党のブレア首相が参加を決断したアフガニスタン、イラクでの戦争に猛反対を示して、人々の良心に訴えた姿は印象深い。2004年より英国以外の欧州各国でよく使用されている「ベルリナー」と呼ばれるサイズに変更して紙面を刷新。英国で流通している全国紙の中で唯一となる全面フルカラー化に踏み切るなど、日曜版の「オブザーバー」紙とともに今最も熱いエネルギーを放っている新聞。

読みどころ 社説の隣にある「correction and clarification」と題された「お詫びと訂正」記事。細かい間違いをこれでもかと掲載するのが「ガーディアン」紙の特徴。こんなに間違いってあるのかと逆に感心してしまう。かつて誤植が多いことで有名だったため出来たページだとか。
典型的読者 教師や公務員など
Website www.guardian.co.uk

ビジネスマンのステータス「ファイナンシャル・タイムズ」紙
Financial Times
発行部数: 12万部

日本在住のビジネスマンの間でもよく読まれている、1888年発刊の経済紙。お値段は他紙の2~5倍となる1ポンド。紙面も他の新聞と一線を画すように色づけして別格の高級ぶりを主張しており、この新聞を持ち歩くだけでステータスとなるような独自路線を突き進んでいる。世界中での発刊数が43万部と、英国内よりも国外での方が多く読まれているのが特徴。政治的には右にも左にも偏ることはなく、ひたすら経済ニュースを追いかけている。金融街シティの人間にとっては、目を皿にして愛読すべきバイブル的な存在。

読みどころ 月刊付録として付いてくる「How to spend it」という別冊。お薦めのヨットや高級マンションを紹介する冊子で、スケールの大きなお金持ちのための贅沢品がこれでもかと並ぶ。庶民にとっては読んで夢心地に浸るので精一杯、といったところか。
典型的読者 シティで働くエグゼグティブ
Website www.ft.com

独立独歩の矜持を示す -「インディペンデント」紙
The Independent
発行部数: 26万部

1986年に発刊した、比較的まだ若い歴史を持つ一般紙。当時の新聞業界は各紙とも買収問題や経営権のもつれで揺れており、この混乱の中で気骨のある名記者たちが大手新聞社を飛び出して、「インディペンデント」紙に集結した。名前が示唆するように、右にも左にも偏らない独自の編集方針の下、反戦や環境保護などメッセージ性の強いネタを頻繁に扱う。大きな文字や数字を表紙に並べて自社の主張をはっきりと伝えるのが得意技。2003年よりタブロイド紙と同じサイズとなる縮小版を発刊して話題をさらい、他紙もこの動きに追随した。

読みどころ 英国で今一番の焦点となっている、イラクを含む中東に関するニュース報道。同紙にはアフガニスタンで襲撃に遭い伝説的な存在となったロバート・フィスク記者など、中東問題の調査を専門とする人材が揃っている。彼らの記事には、他紙とは一味違った姿勢を感じるはず。
典型的読者 リベラル市民
Website www.independent.co.uk

英国性を保つ老舗 -「タイムズ」紙
The Times
発行部数: 60万部

1785年創刊という長い歴史を持つ老舗で、最も英国的な一般紙といっても過言ではないだろう。これまで長く保守党支持を鮮明に打ち出していたが、最近では労働党のブレア首相にも理解を示すようになった。戦争報道のために外国特派員を送った世界で初めての新聞社であり、今でも紙面全体から硬派なテイストを溢れ出させているが、近年になりメディア王として数多くの新聞社を買収するマードック氏の傘下に入って、ゴシップ的なネタも積極的に取り扱うようになった。姉妹紙となる「サンデー・タイムズ」紙の内容も充実している。

読みどころ 今や英国中の新聞が掲載するご存知のSu Doku。日本生まれのこの数字パズルを、英国に最初に広めたのが実は「タイムズ」紙だった。最近では「Dodeka Su Doku」と名付けた12マス四方の拡大版を掲載し、さらには数独選手権まで主催する気合の入れようを見せている。
典型的読者 中年の保守的ビジネスマン
Website www.timesonline.co.uk

愛国心を訴える -「デーリー・テレグラフ」紙
The Daily Telegraph
発行部数: 90万部

平易な英語で書かれているため日本人でも読みやすく、一般紙の中では最も多い売上を上げている。1855年の発刊以来、保守党べったりの右寄りな論調を掲げており、保守党議員がコラム記事を書いたり、逆に「デーリー・テレグラフ」紙の意見が保守党の政策に影響を与えるなどその関係は固い。2004年には大富豪のバークレー兄弟による同紙の買収劇が話題を呼び、それまでのオーナーは収賄罪に問われるなどして新聞社自らがニュース面の見出しを飾っていた。最近ではゴシップ記事も急激に増えてきた、少しお騒がせな新聞。

読みどころ 有名人の死亡記事。その人物が生存している時から死亡欄の執筆を始め何度もの校正を経るため、完成度の高い記事が多いという。「デーリー・テレグラフ」紙のものは特にユーモアに溢れた作品があり、死亡した人間の人生を大袈裟に称える様は、時に芸術的でさえある。
典型的読者 上流志向に溢れる愛国者
Website www.telegraph.co.uk
マークさん
ロンドン中心にあるオフィスで働くマークさん。ロンドン支局では彼と日本からの特派員2人きりで活動しているという。
北海道新聞ロンドン支局記者が語る
英国の新聞の読み方

北海道新聞のロンドン支局で現地記者として働くマーク・ボイルさん。日本での滞在経験も豊富な彼に、英国の新聞の魅力について語ってもらった。

英国各紙の特徴は?
英国の新聞業界は、恐らく世界一競争が激しいですね。そのため紙面の大きさを変えたり全面カラー化したりなど、各紙競って部数を伸ばす努力をしています。

日本との一番の違いはなんでしょう?
一般に日本の新聞の方が紙面の構成がお堅いと思いますね。英国の新聞は、内容が保守的だと読者が離れて新聞社はつぶれてしまいます。最近は高級紙と呼ばれるものも芸能人のゴシップ記事を掲載するようになりました。また日本と異なり、読者は一つの新聞だけ購読するのではなく、今日は「タイムズ」紙、明日は「インディペント」紙といったように時によって違う新聞を読むことも多いですね。さらに記者の顔写真入り記事が多く掲載されるのも特徴のひとつ。日本での社説にあたる意見記事が、一面に掲載されることも珍しくないです。

新聞が取り上げる、今後注目すべき論点とは?
英国軍がイラクからいつ撤退するのか、すべきなのか。原子力発電所を作る動きとその世論。また英国がこれから欧州連合の一員としてどのような役割を担おうとしているのか。そういったポイントに気をつけながら新聞を読んでいくと面白いですよ。

ゴシップなら何でも来い タブロイド

芸能人の特ダネ情報に、サッカー、お色気が満載。そんな魅力に溢れているのがタブロイドだ。ゴシップ記事ばかりと思われがちだが、政治ニュースについても独自のスタンスで鋭く切り込むなど硬派な一面も併せ持つ。各紙が熾烈な競争を繰り広げるためトラブルも多い。

英国のタブロイド紙

我ら労働者の味方 -「デーリー・ミラー」紙
Daily Mirror
発行部数: 210万部

もともと女性のための新聞として1903年に創刊。後に編集方針を大転換し、労働者階級の権利を守るための政治的な新聞として生まれ変わった。最近ではバッキンガム宮殿への潜入リポートで話題に。記者を宮殿の執事の職に応募させ、寝室の間取りなど王室内部の情報をスッパ抜いたことで批判を受けるも「警備態勢がなっていない」との反論で一蹴した。

同紙にまつわる
トラブル
2004年5月1日、英兵がイラク人を虐待している写真を掲載し、ブレア政権を痛烈に批判。しかしこれが後に捏造写真だったことがわかり、後日「Sorry, We are hoaxed(ごめんなさい、騙されちゃいました)」との文句を一面に掲載した。
典型的読者 腕自慢の労働者たち
Website www.mirror.co.uk

ロンドン市民の情報源 -「イブニング・スタンダード」紙
Evening Standard
発行部数: 34万部

ロンドンの地方紙としては唯一の夕刊紙。ロンドンでは午後になると、至るところに店頭販売のオジサマたちが現われ、大声を出しながら同紙を売りさばいている光景が見られるはず。レストランや演劇などのエンターテイメント情報が充実している一方、地下鉄の遅れや物価の値上がりなど問題山積みのロンドン市政を舌鋒鋭く攻撃。

同紙にまつわる
トラブル
常にその政策を批判的に取り上げるため、ロンドンのリビングストン市長が目の敵にしていると言われている「イブニング・スタンダード」紙。不満の鬱積した市長は、同紙記者をナチス・ドイツの強制収容所の看守になぞらえ「金のためなら何でもやる人たち」と発言、裁判沙汰となっている。
典型的読者 不満だらけのロンドン市民
Website www.thisislondon.co.uk

実は皆読んでいるB級新聞 -「サン」紙
The Sun
発行部数: 310万部

低俗な内容に顔をしかめながら、実は皆こっそり読んでいるという新聞がこれ。英国内の日刊紙では最大部数を誇り、大会社の重役たちにも隠れ愛読者が多いという。まだチャールズ皇太子と結婚していた故ダイアナ妃の不倫の証拠となるテープを手に入れ、大々的に報じたのも同紙だった。いつも何かをしでかしてくれる、そんな期待を抱かせるタブロイド紙の王様。

同紙にまつわる
トラブル
「サン」紙が掲載するヌード写真を厳しく取り締まるべきだと抗議したクレア・ショート教育相(当時)。これに対して「サン」紙は、彼女とまったく同じ名前のヌード・モデルを見つけ出してその裸写真を掲載することで逆襲。同相の逆鱗に触れたのは言うまでもない。
典型的読者 英国民全体
Website www.thesun.co.uk

つんと尖がったタブロイド -「デーリー・メール」紙
Daily Mail
発行部数: 230万部

中産階級のための初のタブロイド紙として、1896年創刊された。移民や難民の受け入れに対して大反対キャンペーンを展開し、右翼的として恐れられている。英紙の中では初めて星占いを掲載、不動産や部屋作りの情報もふんだんに取り入れて、女性読者へのサービスは万点。宇宙人の存在などについてもしばしば取り上げる異色の紙面作りとなっている。

同紙が残した
功績
スティーブン・ローレンスという黒人青年が殺された事件の捜査が打ち切りになったことに抗議して、容疑者の実名と顔写真を一面に掲載。普段の右翼的な論調をかなぐり捨てて人種差別反対を訴えたところ、警察は捜査ミスを認めて全面的に謝罪した。
典型的読者 中産階級の奥様
Website www.dailymail.co.uk

「デーリー・メール」の天敵 -「デーリー・エクスプレス」紙
Daily Express
発行部数: 89万部

1900年に創刊。英国で初めて紙面にクロスワードを掲載、20世紀前半は世界一売れている新聞として黄金時代を築いた。同様の読者層を持つ「デーリー・メール」紙とは犬猿の仲であり、お互いを批判し合っている。ダイアナ妃の死の陰謀説についてしつこく論じていることで有名。ここ最近は選挙ごとに支持政党を変更している。

同紙にまつわる
トラブル
最大のライバルである「デーリー・メール」紙の企業グループに対して「利権をむさぼる悪人たち」と批判。逆に同紙には「『デーリー・エクスプレス』紙は単なるポルノ媒体に過ぎない」と切り返されるなど、醜い中傷合戦が繰り広げられている。
典型的読者 中産階級の奥様
Website www.express.co.uk

スクープ切り込み隊長 -「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙
News of the World
発行部数: 350万部

「サン」紙の姉妹紙となる日曜紙。一大ニュースとなったサッカーのイングランド代表キャプテン、デービッド・ベッカムの不倫現場を激写したのがこの「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙だった。今年に入ってからはイラク市民を英兵が虐待するビデオ映像を公開するなど、ジャンルに関わらず常にスクープを提供する、最も過激なタブロイド紙。

同紙にまつわる
トラブル
過激なスクープ記事を中心にした紙面作りなので、裁判沙汰には事欠かない。最近の例では、執拗なまでに離婚危機を報じられて堪忍袋の緒が切れたベッカム夫妻が、プライバシーの毀損を理由として2005年に提訴している。
典型的読者 好奇心のある人なら誰でも
Website www.newsoftheworld.co.uk
タブロイド用語解説
Football
タブロイド紙の後半ページはまさにサッカー一色。サッカーのイングランド代表選手は英雄である一方、逆にヘマを犯した選手は戦犯扱いを受けることになる。
Junk Food News
結婚や不倫、妊娠など芸能人のゴシップやなどタブロイド紙が好んで取り上げるニュースを指して使われる言葉。Yellow Journalismと呼ばれることも多い。
Page 3
どでかいヌード写真が掲載される「サン」紙の3面のこと。世間の注目を集めるため、後にグラビア・モデルなどとして大型契約を結んで芸能界にデビューするケースも多い。モデルになるためには厳正な審査を通過せねばならず、豊胸手術を受けた者はNGなどという馬鹿らしくも厳しい掟がある。
Pun
タブロイド紙が見出しに使うシャレの利いた文句のこと。
Paparazzi
ダイアナ妃の自動車事故で日本でもその存在が有名になった報道カメラマンたちの総称。特ダネのニュースを得るためなら潜水服からヘリコプターまで準備するという。

新聞業界の風雲児 -「メトロ」紙
Metro

Metroロンドン地下鉄駅などで配布している無料紙。1999年の創刊後、都市に住む若い人たちの間で人気を博し、今では12都市で170万部の部数を誇るようになった。地下鉄利用客が電車の中で楽しめるようにと、20分で全ページを読み通せるぐらいの平易な文章で記事が書くのがモットー。英国での出来事を浅く広く押さえるには最適の媒体。
WEBwww.metro.co.uk

英紙エイプリル・フール伝説

1年で1回だけの嘘をついても許されるエイプリール・フールの日。普段は真実を報道するためならどんな犠牲も厭わない英国各紙も、この日はいたずら心に満ちた真っ赤なウソ記事を掲載することがある。ここでは、それらの中から過去の迷作をご紹介。

雨よさらば
「ガーディアン」紙 1981年
イングランド西部ウスターシャーの研究所で、天気をコントロールできる装置が開発されたという。「英国が空を支配する」と題されたこの記事では、同装置の開発により英国民はより長く楽しい快適な夏を享受できるようになり、雨が降るのは深夜のみ、クリスマスには毎年必ず雪が舞うとの記述。短い夏と雨続きの天気に不満の英国人には、打ってつけのジョークだった。

M25を一方通行にせよ
「タイムズ」紙 1991年
交通省が、ロンドン近郊にある環状高速道路M25の混雑を緩和するための画期的な案を発表。環状線内を月水金は時計回り、火木は反対周りと一方通行にすることによって、道路の混雑を半減できるとの考えを示し、あとは内閣の承認を待つだけだという。「3キロほど離れたスーパーにも、反対回り通行の日には200キロ弱の距離を運転しなくちゃならん」という地元民の不満の声も紹介。

ストーンヘンジを動かす日本人
「デーリー・メール」紙 1991年
夏至の日に、祭壇の中心から昇る太陽を眺めることができるように作られた古代の遺跡ストーンヘンジ。しかし「地球の自転が少しずつ遅れてきた」ためにその設計にもズレが生じてきた。そこで遺跡を解体して別の場所で組み立て直す案が出たのだが、ここで名乗りをあげたのが東京のとある財団法人。4840億円をオファーして、ストーンヘンジを富士山へと移動させようとする動きがあると報道した。

ユーロスターまでもう一歩
「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙 1990年
1994年に開通した英仏海峡を横断するユーロスター。1990年の時点ではすでに海底トンネル工事の遅れが問題となっていたが、ここで新たなトラブル発生。フランス側と英国側から同時に掘削工事を進めたところ、お互いにたどり着くまで14フィート(約4.3メートル)足りないことがわかった。原因はフランス側がメートル法、英国はヤードを採用していたからという、わかりやすいオチがついていた。

グリニッジがギネスに変身?
「ファイナンシャル・タイムズ」紙 1998年
ギネス・ビールで有名なギネス社。同社がグリニッジ王立天文台との協定を結んだことにより、今後はグリニッジではなく「ギネス子午線」と呼称を変更するとのプレス・リリースを送付した。このいたずらに引っかかったのが「ファイナンシャル・タイムズ」紙。ジョークを真に受けてしまい、この試みを「権限の乱用」として同社を批判した。同紙は後日、誤りを認め「4月馬鹿に騙された」との言い訳とともに訂正文を掲載するはめに。


英国の新聞業界をもっと知るなら

新聞に関する情報はすべてここに
大英図書館

British Library書籍や雑誌の保存なら世界一を誇る大英図書館の一部であり、新聞に特化した資料館がここ。英国内にある新聞資料はとにかく何でも揃えてあって、調査活動には最適。館内には研究室のような暗い部屋で、マイクロフィルムに保存された過去の新聞を見つめる人たちがいっぱいいる。日曜日を除く日の10~17時開館。

British Library Newspapers
Colindale Avenue, London NW9 5HE
Tel: 020 7412 7353
www.bl.uk/collections/newspapers

飲んだくれジャーナリストの聖地
フリート・ストリート

fleet street金融街シティと劇場が立ち並ぶエンターテイメントの聖地コベント・ガーデンの間にある道。近年までこの通りに多くの大手新聞社がオフィスを構えていた。近くには「Printer's Devil」などという看板を持ったパブがあり、当時は飲んだくれ、かつ気骨のある新聞記者たちの溜まり場になっていたという。

Fleet Street, EC4

お誕生日に新聞はいかが?
Remember When

Remember Whenプレゼントとしての新聞を扱うユニークな機関。異なる年代におけるそれぞれの日付を持った新聞をもれなく保存しているので、例えば友達の誕生日に発行された新聞をここで購入してプレゼントすることができる。自分が生まれた日に英国ではどんな出来事があったのか、誰が死んだのかなど、興味をそそられるはず。

Remember When
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www.remember-when.co.uk

 

英国地方訛り博覧会

英国地方訛り博覧会

日本の約半分ほどの面積しかない英国。しかしその中では実にさまざまな訛りが話されている。未だに階級意識が強く残る英国では、訛りイコール出身地イコール階級、と見なされることが多く、単に地域の特色という一言では片付けられない部分もあるのだが、逆に自分たちの訛りを誇りとし、守り続けている人たちも多い。今回は、英国各地の代表的な訛りをご紹介。各地方出身の有名人情報も満載です!(本誌編集部: 村上祥子)

スコットランドスコットランド

独自の歴史や文化を持つ誇り高きスコットランド人。当然言語にもはっきりとした特徴がある。元々ケルト系のアイルランド、ウエールズ、そしてスコットランドの訛りには共通点が多い。特にゲール語に由来する言葉は独特で、これは英語とは全くの別物。例えば恐竜で有名なネス湖は「Loch Ness」。読み方は「ロッホ・ネス」となる。「ch」の発音がドイツ語同様、「ハ」をのどの奥から出すような発音となる。「Bach」をご想像いただくとわかりやすいだろう。

特長

「lilt」または「sing-song」と言われる独特のイントネーションがある
リズミカルに上下動するイントネーションはケルト系共通の特徴。

「r」は巻き舌発音する

米語と同じく巻き舌ではっきり発音する。そもそも米国に初めて移住した英国人はアイルランド系スコットランド人だったと言われているから、それも納得。

こんな人がしゃべってる!

ユアン・マクレガースコットランド出身の有名人と言えばずばりこの人、ユアン・マクレガー。いまや英国を代表する人気俳優ユアンはスコットランド出身であることに誇りを持ち、映画のプレミアに民族衣装のキルト(お馴染みのタータンチェックのスカートである!)を着てくるほど。言葉の節々にスコットランド訛りも健在だ。一方、元祖スコットランド出身俳優と言えばショーン・コネリー。彼の場合はどんな役を演じていてもアイルランド訛りが残ってしまうということで、映画専門誌「エンパイア」の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、栄えある1位に輝いている。

北西部北西部

リバプールやマンチェスターを含む、スコットランドからウエールズに至るまでの北西部の訛りは、その他の北部訛りとほぼ同じ。リバプールの訛りは「Scouse」(スカウス)と呼ばれ、アイルランド訛りに強い影響を受けている。リバプールにはアイルランド出身者が多いためで、同じくアイルランド移民が多い米ニューヨークでも似たような訛りがみられる。湖水地方で有名なカンブリアで、「shag」(元の意味は「セックス」)と言われても驚かないように!これはサンドイッチのことなのだ。

特長

「r」は巻き舌発音する
「r」は米国同様、必ず発音される。

「th」の発音が「t」、「d」 となる

代表的なアイルランド訛りで、 「three」と「tree」の発音が同じになる。

こんな人がしゃべってる!

the Beatles北西部にはリバプールが含まれている。こう言えば誰もが思い出すのがリバプール出身のビートルズだろう。意識的に訛りを取ろうと努力していたポール・マッカートニーに対し、ジョージ・ハリソンはかなり長い間リバプール訛りが抜けなかったようだ。ボーカルを取った時でも訛りは全開だったというから、北西部訛りを勉強したいならジョージの歌を聞いてみては?

北東部北東部

数ある英国方言の中でも、最もわかりづらいと言われるのがこのダーラムやノーサンバーランドを中心とした北東部の訛り。特にニューカッスルの英語は「Geordie」(ジョーディー)と言われ、同じ英国人でも聞き取れないほどの難易度を誇る。第二次大戦下、英国第8軍が南アフリカに駐留していた際、ジョーディーの連隊は他の連隊とは異なり、暗号を使う必要がなかったという嘘か本当かわからない言い伝えまであるほど。確かに「Divvent dee that! Hadaway!」なんて言われても、欠片かけらも理解できない……(ちなみに答えは「Don't do that! Get lost!」)。

特長

多くの特徴は北中部の訛りと同様。その他、
「r」をフランス語やドイツ語のように発音する
英国英語では省略されることが多い「r」だが、ここ北東部でははっきり発音される。舌をかなり奥の方まで入れて、こもったような音を出す独特な発音方法は、フランス語やドイツ語のそれと近い。

こんな人がしゃべってる!

Billy Elliot英国内で爆発的人気となった映画「リトル・ダンサー」。この映画の主人公、ビリーを演じたのは、役柄同様北東部ビリンガム出身のジェイミー・ベル。現在は俳優の仕事で米国に滞在することも多く、かなり米語のアクセントも会話に混じるようになった。一方、先日オリビエ賞を受賞し、目下ウエスト・エンドで人気ナンバー・ワンとなっているミュージカル版では、現在も北東部訛りがしっかりと受け継がれている。映画の監督も務めた演出家のスティーブン・ダルドリーいわく、ビリーを演じる上で「完璧な北東部訛りは必須」。いかに訛りが北部の生活を描く上で大切な要素なのかがうかがえる。

北中部北中部

ヨークシャーやイースト・ミッドランズを含むこの地域では、かなりきつい訛りがみられる。英国では北中部のみならず、北部訛りに対する偏見が根強く残っているが、この地域の人々は自分たちの言葉に誇りを持っていて、自らの訛りを「tyke」(タイク)と呼び、守ろうとする傾向が強いとか。ロンドン近辺では全く耳慣れない単語や、使い方が異なる言葉も多く、知らなければお手上げ状態。リーズなどで時間を聞き、おじさんが「Half past ten, love」と言っても、それは別にナンパされているわけではない。この地域では「mate」のように単なる相づちのような感覚で「love」が使われるのだ。女性に対しては「duck」もよく使われる。別にアヒルに似ているというわけではないからご安心を。

特長

「h」を発音しない

「t」が詰まった「ッ」になる

ただし、コックニーと比べると大ざっぱで、たまに発音されることも。

「bath」や「fast」の母音が[ae] となる

標準語ではこれらの母音は[a:]と伸びるのに対して、[ae]となる。どちらかというと米語に近いイメージ。

しばしば「the」を抜かす

文中の「the」を省略し、その代わりに詰まった「t」の音を入れることがある。つまり、「in the car」だと「イント・カ」のように聞こえる。

[^] という母音がない

軽く「ア」と言う母音がなく、スペルのまま発音する。有名なところでは「bus」。「バス」ではなく「ブス」となる。

こんな人がしゃべってる!

Mrs Thatcher上流階級臭をぷんぷん漂わせているサッチャー元首相。実は彼女、北中部リンカンシャーの労働者階級の出身だった。学生時代に徹底的に発音の特訓を受け、見事RPを話すようになったのだが、議会でも激昂するとつい本来の北部訛りが出てしまい、冷笑されていたとか。

ウエールズウェールズ

もともとケルト系であるウエールズ人は、歴史上さまざまな民族の侵略を受けながらも決して同化されることのない、独立心に満ちた民族だった。1535年、正式に英国に統合された後も、独自の言語、文化を守ってきたウエールズ人の公用語には、英語と共にウエールズ語が採用されている。それ故、英語にもウエールズ語の影響が色濃く残っている。

特長

スコットランド同様、「lilt」または「sing-song」と言われる独特のイントネーションがある

「h」を発音しない

これはコックニーや北部など、主に労働者階級の訛りに多く見られる特徴。

「r」の発音に「震え音」を使う

「震え音」とは、舌先を連続して歯茎に弾く発音法で、もともとはケルト系の訛りに多くみられる特徴だったが、現在その他の地域ではあまり使われていない。

こんな人がしゃべってる!

Little Britainご存知BBC1の大人気コメディ「リトル・ブリテン」。その中の人気エピソードに、自分が町で唯一のゲイであることを誇りに思い、他のゲイをどうしても認めようとしないダフィドという人気キャラがいる。このダフィドが住んでいるのがウエールズの「フランデュイ・ブリッフィ」(Llanddewi Brefi)という町なのだ(ちなみにこのllの発音はウエールズ語でも最も難しいらしい)。ウエールズ出身の有名人で、世界的に有名なのは、アンソニー・ホプキンスやキャサリン・ゼタ・ジョーンズ。両者に共通しているのは、さまざまな訛りを使い分けて英国のみならず米国でも活躍していること。自分たちの訛りに誇りを持っているはずのウエールズ人が、華麗に訛りを使い分けるというのも面白い話だ。

ロンドン及び南東部ロンドン及び南東部

世間で言われるところの英国英語のイメージに最も近いのがこの地域の英語。大別すると「容認発音」、「コックニー」、「河口域英語」の3種類に分けられる。

コックニー

コックニーとは、ロンドンの労働者階級の人々が話す英語のこと。本来はセント・ポール寺院のそばにあるボウ教会の鐘の音が聞こえる範囲で育った人のことを指していたとか。労働者階級の英語というだけに、英国人の中では低く見られがち。かの有名な映画「マイ・フェア・レディ」で、花売りの娘イライザが話すコックニーに対して、言語学者のヒギンズ教授が「醜い」、「無教養だ」とこき下ろし、RPを叩き込んで上流社会に受け入れさせたのがわかりやすい一例だ。

特長

[ei] が[ai] になる
「today」だと「トゥダイ」、「make」は「マイク」と発音される。

単語の途中および最後の「t」を発音しない
「t」の代わりに、声門閉鎖音といって喉が詰まったような「ッ」が入る。つまり「button」だと「ボッ・ン」、「butter」だと 「バッ・ア」のように聞こえる。

「h」を発音しない

語頭の「h」は発音しない。「have」だと「アブ」、「Harry」だと「アリー」となる。

「th」が「f」「v」になる
「mother」だと「マザー」ではなく「マヴァ」、「thought」は「フォート」と発音される。

こんな人がしゃべってる!

David Beckham英国サッカー界の貴公子、ご存知ベッカム。マンチェスター暮らしが長い彼だが、ロンドンの労働者階級出身のベッカムが話す英語はコックニーだ。独特の高音ボイスと相まって、実に味のある英語となっている。彼のインタビューを聞くと、確かに「three」が「free」、「another」が「anover」と聞こえる。米国映画「メリー・ポピンズ」では、コックニー を話す煙突掃除人バートの役を米国人のディック・バン・ダイクが演じた。演技自体は絶賛を浴びたのだが、訛りに関しては非難轟々。ショーン・コネリ-が1位だった「エンパイア」誌の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、第2位に選ばれてしまった。

押韻スラング例
コックニーでは「rhyming slang」と呼ばれる押韻スラングが有名。その昔、コックニーたちは非合法な商売をする際に、自分たちだけに分かる暗号を作り出し使っていた。その発展形がこの押韻スラングというわけ。簡単に言えばゴロ合わせ。本来の言葉を使う代わりに、その言葉と韻を踏む2語以上の言葉を使うのだ。さらに韻を踏んでいる語は削除されることも多く、知らなければわけがわからない。
sugar and honey → money
becon & eggs → legs
Brad Pitt → shit(!!)

容認発音(Received Pronunciation: RP)

いわゆる上流階級の英語。ここで言う「容認」とは、「上流階級の人間に容認された」という意味になる。俗に言うクイーンズ・イングリッシュのイメージに一番近いのがこの容認発音で、BBC英語、オックスフォード英語などが含まれる。18世紀の上流階級の人々が、地域の訛りを恥ずかしく思ってつくったのが始まりだとか。

特長

母音の前以外で「r」を発音しない
例えば「door」などは「ドー」と聞こえる。

母音を短く発音したり、音節を切り詰めた発音をする
有名なところでは「schedule」が「セジュール」となる。

こんな人がしゃべってる!

グイネス・パルトロー(左)ヒュー・グラント(右)美しく正しい英語と認識されているだけに、テレビや映画で活躍する英国の有名人の多くがこの容認発音を使っている。昔ながらの美しい発音で言うならば、アカデミー賞女優のエマ・トンプソン。シェイクスピア作品にも数多く出演している彼女の発音は、まさに正統派クイーンズ・イングリッシュ。一方ポッシュな中にも現代的な雰囲気を漂わせているのはヒュー・グラント。もともと上流階級出身の彼はインタビューの際、皮肉たっぷりにスタッカートを聞かせて口撃してくるのでよく知られている。また米国人俳優が英国アクセントを話すことにあまり好意的でない英国人だが、「スライディング・ドア」のグイネス・パルトロー、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルヴィガーの発音は、なかなかというお墨付きをもらったようだ。

河口域英語

河口域」とは「estuary」、すなわちテムズ川河口域を指し、河口域英語とはその地域で話されている英語のことを言う。しかし現在では、あまりに違いがありすぎる前者2つの中間的存在として、新しい世代の人々に広がりつつある。

特長

単語の途中および最後の「t」を発音しない
これはコックニーと同じ。

「l」が「w」になる
つまり「milk」が「ミウク」のように聞こえる。

こんな人がしゃべってる!

Tony Blair完全な河口域英語ではないが、言葉の端々にそのアクセントがみられたのが、故元ダイアナ妃。上流階級出身の彼女の英語は基本的にはRPだったのだが、「t」がなくなってしまう癖があったようで、エリザベス女王もそれにはお冠だったとか。また明晰な発音をすることで知られるブレア首相。彼はスコットランド出身だが、幼い頃から英才教育を受け、オックスフォード大学で学んだため標準的な英語を話す。通常なら完全なRP、と思いがちだが、一般市民の味方、労働党党首として会話のところどころに河口域英語を取り混ぜている。さすがは政治家、アクセントも選挙活動のうち!?

英国地方訛りを聞くならこの映画!

小粒ながら味のある名作が多い英国映画。その核を担っているのが地方都市とそこに住む人々だ。今回は各地方の訛りを楽しむのに最適な映画を地方別にご紹介しよう。

Billy Elliot北東部の訛りを聞くならこの映画!
Billy Elliot
リトル・ダンサー(2000年)

あらすじストの波が吹き荒れるイングランド北東部の炭鉱の町で、バレエ・ダンサーになるという夢を追い続ける少年の姿を描いたドラマ。11歳の少年ビリーは、バレエ教室のレッスンを垣間見たことがきっかけでバレエを始めることに。しかし厳格な炭鉱夫の父親は、男の子がバレエをやることに強い拒絶反応を示す。

英国一の難易度を誇る北東部の訛りを聞くのならば、何と言ってもこの映画がお勧め。慣れていない人だと、全く聞き取れないほどの濃い訛りを堪能できる。

発音では目立つのは、なんといっても[^] が[u] や[o] になっていること。ビリーのことをお父さんは「my son」と呼ぶがこれは「マイ・ソン」になっているし、「London」は「ルンドゥン」と聞こえる。その他「come」は「コム」、「punch」は「プンチ」となっていて、慣れるのには一苦労。また[ei] が[e:] となるのもよくわかる。ボクシングの先生がクラスに遅れてきたビリーに「You're late」と声をかけるが、この「late」は「リート」としか聞こえない。

ビリーがバレエの先生、ミセス・ウィルキンソンに自分の大切にしているものを見せるシーンでは、次のような会話が繰り広げられる。

Mrs. Wilkinson(以下W): What's this?
ミセス・ウィルキンソン: これは一体何?
Billy(以下B): It's a letter.
ビリー: 手紙だよ。
W: I can see it's a letter.
W: 手紙ってことくらいわかるわよ。
B: It's me mam's. She wrote it for when I was 18, but I opened it.
B: お母さんが書いてくれたんだ。18歳になったら読みなさいって言われたんだけど、待ちきれなかった。

文字上で見るとなんてことはない文章なのだが、これを実際に聞いてみるとすさまじい。まずは「t」の発音。「t」を発音しないで代わりに詰まった「ッ」が入る。「letter」は「レッ・ア」、「wrote it」は「ロウッ・イッ」、そして「eighteen」は「エイッ・イーン」となる。おまけに「but」は「ブット」になるものだから、簡単な文章のわりには何しゃべってるの?という感じになる。

その他、北東部独特の言い回しもある。内緒でバレエをやっていたビリーを怒鳴りつける父親が、「Lads do football, boxing, wrestling」と言うのだが、この「lads」とは男の子のこと。一方女の子は「lasses」。ビリーの親友マイケルが、バレエを始めたビリーに対して、チュチュを着るのかと尋ねるシーンがあるが、ビリーは「They're for lasses」と答えている。またビリーが友人と別れる時に「Tara!」と声をかけるが、これは「じゃあまたね!」という意味で使われている。

そしてもう一つ注目したいのが、階級意識だ。もともと北部は上流階級の人間には低く見られがちなのだが、同じ北部の人間の中にも階級意識が純然と存在している。それがよくわかるのが、ミセス・ウィルキンソンとビリーの兄、トニーの会話。内緒でバレエをしていたことが家族にばれたビリーに向かって踊るよう強要したトニーは、その後ミセス・ウィルキンソンを罵倒する。

Tony: Dance, little twat! No? So piss off.
トニー: ほら、踊れよ! 踊りたくない? だったらとっとと失せろ!
He's not doing any more fuckin' ballet.
こいつはもうバカげたバレエなんかやらないんだからな。
Go near him again, I'll smack you, you middle-class cow.
いいか、またこいつに近づいてみろ。ぶちのめしてやるからな、中流階級のバカやろう。
W: You know nothing about me, you sanctimonious little shit!
W: 一体、私の何を知っているっていうの、独り善がりのバカがきが!

実にすさまじい言い争いだが、ここにも北部訛りは満載。「twat」は英国英語で「バカ」「とんま」で、「piss off」は「失せろ」。このような罵倒言葉は訛りではないが、労働者階級の会話では日常的に使われる。また北部発音の特徴として、語尾の「-ing」が「-in」となるが、ここでも「fucking」が「フッキン」と詰まって聞こえる。

上品とは言いがたい言葉がこれでもかとばかりに散りばめられたこの映画、小さな子供に見せるのはちょっとためらわれるかもしれないが、素朴で温かい北部の人間のありのままの姿を描いたストーリーは、誰が見ても幸せな気持ちになれる優しさに満ちている。

Trainspottingスコットランド訛りを聞くならこの映画!
Trainspotting
トレインスポッティング(1996年)

あらすじスコットランドを舞台に、ヘロイン中毒の若者たちの生活を描いた作品。シビアな現実を題材にしながらも軽快にまとめられた本作は、世界中で人気を呼んだ。ヘロイン中毒の若者レントン。麻薬、ケンカ、セックス……。仲間たちと共にそんなすさんだ日々を過ごす彼だったが、大量のヘロインを売りさばいて大金を獲得し、新たな人生を送ろうとする。

ユアン・マクレガー始め、主要出演者の多くはスコットランド出身。映画では寂れた町での生活にうんざりしたレントンが「スコットランドなんてくそ食らえ!」と叫んでいたが、彼らの繰り出すスコットランド訛りは、現代の若者に「クール」と評判になった。映画の中で何度もスコットランド出身の名優ショーン・コネリーの名前が出されるのがご愛嬌。

THERE'S ONLY ONE JIMMY GRIMBLE北西部の訛りを聞くならこの映画!
THERE'S ONLY ONE JIMMY GRIMBLE
リトル・ストライカー(2000年)

あらすじ引っ込み思案のサッカー少年が、魔法のシューズを手に入れたことで活躍するようになる姿を温かく描いたスポーツ・ドラマ。マンチェスターで母親と二人暮しをしているジミー。学校ではいじめられ、サッカーの試合では緊張のあまりいつも通りの力が出せない。しかしある時、不思議な老婆からもらったシューズを履いて試合に出てみたら、周りも驚愕するほどの大活躍ができて……。

主人公のジミー少年はサッカー・チーム、マンチェスター・シティの大ファン。しかし周りにはマンチェスター・ユナイテッド(マンU)のファンばかりで、いじめられる一因となる。マンUと言えば大スター、デービッド・ベッカムが在籍していたことで有名な人気チーム。こんなマンチェスターの日常を垣間見られるのもこの映画の魅力の一つだ。

The Full Monty北中部の訛りを聞くならこの映画!
The Full Monty
フル・モンティ(1997年)

あらすじ失業中の冴えない6人の男たちが、生活のため、明るい未来をつかむためにストリップ・ショーを計画する人情味溢れるコメディ。舞台は北中部の町、シェフィールド。息子の親権を勝ち取るために、多額の金が必要となったバツイチ、職なしのガズ。同じく失業中の仲間5人を誘って、ストリップ・ショーを開き、金を儲けることを思い付く。

この映画で主人公のガズ役を演じているのは、スコットランド出身のロバート・カーライル。本作では味のあるシェフィールド訛りを披露している彼だが、実は「トレインスポッティング」、「ブラス!」、「リトル・ストライカー」など、北部を舞台にした数多くの作品に出演。英国地方ものの映画には欠かせない役者なのだ。

ウエールズの山ウエールズ訛りを聞くならこの映画!
The Engishman Who Went Up A Hill
But Came Down A Mountain

ウエールズの山(1995年)

あらすじウエールズの小さな村を舞台に、村自慢の山を地図に載せるために四苦八苦する村民たちの騒動を描いたコメディ。第一次大戦下、ウエールズの小さな村に、2人のイングランド人が山の測量をするためにやって来た。その結果、山として地図に載るには6メートル足りないことが判明し、村民たちは一計を案じる。

原題の「THE ENGLISHMAN WHO WENT UPA HILL BUT CAME DOWN A MOUNTAIN」、これには大きな意味がある。同姓の多いウエールズでは、「鍛冶屋ジョーンズ」、「葬儀屋ジョーンズ」など、姓にあだ名を付けて呼ぶことが多い。とてつもなく長い呼び名の祖父を持つ少年が、その呼び名の由来に興味を持ったことからこのストーリーは始まるのである。

Pride and Prejudice格調高いRPを聞くならコレ!
Pride and Prejudice
高慢と偏見(1995年)

あらすじ才気溢れる活発な女性と、気難しくて高慢な男性が、次第に惹かれあうようになる過程を描いたドラマ。ベネット家の近所に独身の資産家、ビングリーが越してきて、長女のジェーンと好意を寄せ合うように。一方次女のエリザベスは、ビングリーの友人で同じく資産家のダーシーと知り合うが、彼の高慢な態度に反発心を露にする。

95年にBBCがドラマ化したシリーズ。05年には映画化もされているが、ここでは本作を推したい。主人公のダーシーを演じているコリン・ファースは、同作品のパロディ、「ブリジット・ジョーンズの日記」でもダーシー役に。両作品で美しいRPを披露したコリンが、優雅で知的な英国男性の代名詞となったのは周知の通り。

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人コックニー訛りを聞くならこの映画!
Harry Potter and the Prisoner ofAzkaban
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(2004年)

あらすじご存知、大人気「ハリー・ポッター」シリーズの第3作。ホグワーツ魔法魔術学校の3年生になったハリー。アズカバン刑務所を脱獄した極悪人のシリウス・ブラックに狙われていると聞き、何故見たことも聞いたこともない犯罪者に目をつけられたのか疑問に思う。実はそこには彼も知らない、両親の過去も絡んだ重大な秘密が隠されていたのだ。

主人公ハリーを始め、主要人物の話す言葉は標準発音。しかし本作品では、ロンドン中を時速160キロ以上で駆け巡るナイト・バスの車掌と運転手がコテコテのコックニー訛りを聞かせてくれる。本シリーズでは、その他にも地方訛りではないものの、立場によってさまざまな訛りが使い分けられているのが実にユニーク。

 
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