世界各国から移民が押し寄せる英国では、国会やニュース番組などの政治的話題を扱う場において、移民問題が論じられない日はない。その中で究極の移民政策である「移民排斥」を掲げるのが英国国民党。「極右」「ファシスト」「人種差別主義者」として各方面からのバッシングを受け続けるニック・グリフィン党首に、英国ニュースダイジェストがインタビューを敢行した。 (取材・文: 長野雅俊 写真: Maiko Akatsuka)
Public Enemy No1 英国で一番の嫌われ者
テーブルを挟んで目の前に座っているのは、恐らく英国内で最大級に忌み嫌われている男だ。ロンドン郊外ロムフォードの駅前から、タクシーで5分ほどの場所にあるパブの店内。「今日は党員たちと一緒に街頭に出て、ビラを一日中配っていたからね。汗かいたり雨に降られたりで、シャツもこんなによれてしまった」と言って照れ笑いを浮かべる姿を観察しながら、頭の中で彼の経歴についてもう一度整理する。
まず、過去3度にわたって起訴されている。罪状は主にユダヤ系、そしてイスラム系の人種に対する中傷的な発言または記述を理由とするものだった。そのうち一度は有罪判決を受け、9カ月の懲役刑に。また2007年11月にオックスフォード大学において開催された、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の存在を否定する歴史作家との討論会に参加して物議を醸した事件はいまだ記憶に新しい。何よりも、彼が率いる英国国民党(BNP)は、移民排斥を政治方針として掲げてきた極右政党。長年にわたって同党への鋭い批判を繰り広げてきた政治誌「Searchlight」のジェリー・ゲイブル編集長によれば、「ニック・グリフィンを始めとするBNP党員たちの正体は人種差別主義者。政党としての体を成しておらず、むしろマフィアに近い集団」という。
一方で、英国には彼を支持する者たちが少なからず存在する。党員数は一時期6000人以上に達した。2005年に行われた総選挙では、国会の議席獲得には至らずも、全国合わせて約20万票を得ている。それどころか、人種差別発言をめぐる公判を終えて裁判所から出てくる彼を、拍手やガッツポーズで出迎えた人々さえいる。隣のテーブルでビールのグラスを傾けていたかと思うと時折、インタビューしている我々をデジタル・カメラで撮影している強面の党員たちも、きっと 「お出迎え」に出掛けたに違いない。
視線をグリフィン党首に戻すと、パブの店員にガーリック・ブレッドを注文し終えたところだった。
外国人労働者なんて必要ない

30歳の時の事故が原因で失明した左目には義眼が入っている
英国への移住者数は、正式に登録されたものだけで1年間に約47万人(OECD調べ)。外国人選手ばかりが上位を独占するようになったテニスの世界選手権にちなんで「ウィンブルドン現象」とまで呼ばれた英国の経済システムは、外資系企業と外国人労働者の貢献によって大きく発展したと喧伝されてきた。
「そのような見方には賛成できませんね。自由市場がきちんと機能することに加えて職業訓練の機会さえしっかりと確保できれば、滅多なことでは労働者不足には陥らないはずなのです。働き手が少なければその業界の賃金が上がり、そうすればより高い賃金が得られる業界へと職業訓練を経た人材が流れるという形で、需給関係のバランスはある程度は取れるはずですから」。ただ、国内では確保しきれない人材が必要だったからこそ、英国は移民の受け入れを行ってきたのではないだろうか。「非常に限定的な範囲における技術、例えば英国では決して習得できない高度な知識を持った科学技術者の招聘といったものにまでは我々は反対しません。でも鉛管工として働いてもらうために、ポーランドやその周辺国からわざわざ移民を呼び寄せなければならない理由はないわけです。そもそも移民労働者を受け入れる条件として政府が指定している「技術職」のほとんどは、英国人の労働力で賄えるはず。「技術職」なんて言葉は、外国人移民を低賃金で働かせて、英国民に適切な賃金を払わずに済ませるための口実でしかないのです」。そう言って、また食べ物を素早く口に入れ込んでからこちらを見据える。
模範とするのは排他的な日本の移民政策
外国人移民を低賃金で働かせることで、英国が経済的な恩恵を受けているという構造は確かに存在するだろう。だが現実問題として、その「低賃金で働く外国人移民」がいなくなってしまったら、ただでさえ高いロンドンの物価はどれだけ上昇してしまうのだろうか。「結局、何を優先させるかという問題だと思います。これまで政府が優先してきたのは、目先の利益ばかりを追う、資本主義という名を借りた拝金主義です。でも長期的な視点から見た場合、英国固有の文化を守り、英国人の生活環境を守るために移民の流入は厳しく制限する必要がある。日本だって、そうしながら今まで経済成長を遂げてきたじゃないですか」。
日本人には少し意外に聞こえるかもしれないが、極右政党として恐れられるBNPのマニフェストの1ページ目には、「民間会社の競争力と国内資本を合致させた日本を始めとするアジア諸国の経済モデルを模範とする」との一文がある。さらに言えば、その「排他的な」移民制限は、BNPにとっての鑑(かがみ)にさえなっているのだ。「日本の厳しい制限政策は、非常にシンプルかつ理にかなったものだと思います。緩やかな少子化問題に悩んでいるかもしれませんが、それでも大量で急激な移民の受け入れに比べたらずっとましでしょう。だからあなたたちは世界経済の中心にいながらにして、独特の国民性を保ったままでいられる」。
BNPに限らず、欧州のメディアが日本の入国管理を「排他的」であると表現することは多い。だから彼らが日本の経済モデルと移民制限策を模範として掲げても、なんら不思議はない。ただグリフィン党首から政策論を聞いているだけでは、何だか釈然としない思いばかりが残る。本当に知りたいのはBNPの移民政策ではなくて、彼らが生来的に持っているとされる人種差別主義についてだからだ。

左)取材日にBNP党員たちが配っていたビラ
右)この日はグリフィン党首の他に、複数のBNP党員たちが来ていた
仮面を被った人種差別主義者?
1999年に英国国民党の党首に就任して以来、グリフィン党首が果たした最大の功績とされるのが党の近代化だ。それまではあからさまな人種差別主義者の集団と見なされていた同党のイメージを刷新しながら、少しずつ一般層にまで支持を拡大してきたというのが彼の支持者たちによる見方になっている。そういった意味で、BNPから人種差別主義を排した政治家として彼を評価する声も一部にはある。
「人種差別とは、そもそもロシアの共産主義革命家レフ・トロツキーが政敵を悪者に仕立て上げるために編み出した非常に政治的な用語です」。グリフィン党首は時々、このように突然妙に理屈っぽい話し方になることがある。「ある特定の人種が、他の人種より優れているか、劣っているかを論じたら人種差別でしょう。でも自分たちの国における移民制度のあり方を論じることは人種差別ではない」。
ただ実際のところ、彼らの活動は「移民制度のあり方を論じる」以上のことを含んでいるようだ。2005年にはグリフィン党首がイスラム教を「邪悪で堕落している宗教」と表現している模様をBBCの潜入取材がスクープ。2006年12月には「ガーディアン」紙が、BNPの活動に携わる際には名前を偽るよう、BNP幹部が同党党員らに対して指示していると報じた。
今だって、彼らの人種差別的な一面をこの目で確認することはできる。同党の機関紙「The Voice of Freedom」の2007年11月号を例に取ってみよう。ここには英国のてんとう虫が、アジアから漂着した別種のてんとう虫に駆逐されようとしている状況を嘆いた記事が掲載されているのだが、このアジア生まれのてんとう虫の写真には「不必要な移民」というなかなか不愉快なユーモアを交えた見出しがついている。先述したBBCの潜入取材において、BNP党員が「パキ(南アジア出身の人々への蔑称)を撃て」と発言した件についてグリフィン党首に直接問い詰めると、微笑を浮かべながら「もうちょっとソフトな言い方だったよ」 と余裕たっぷり。さすがに背中に軽く寒気が走った。

機関紙「Voice of Freedom」に掲載された、アジア生まれのてんとう虫の弊害について論じた記事
さらに取材班は、2004年11月にグリフィン党首の下で制定されたBNP規約を入手した。その第1部「政治目的」の欄に記された第2条の(b)―「英国国民党は、英国民の国民性と民族性を守るため、英国人と非欧州圏の人々との人種的融合をいかなる形態を以っても認めない。非白人の流入を防ぎ、1948年以前に英国に存在していた英国民の白人気質を取り戻すために全力を尽くす」。これはもう「移民制度のあり方」を超えて白人主義と呼ばれるものだろう。そうグリフィン党首に尋ねても「そんなものあったかな」ととぼけるだけだった。ちなみに同規約は昨年末に、BNPのウェブサイトから削除されている。

2004年11月に発行されたBNPの党規約。「英国人と非欧州圏の人々との人種的融合を認めない」とある
貧困問題と極右の関係
ここで一旦インタビューから離れて、BNPを始めとする英国の極右政党が支持を集める背景について考えてみたい。極右政党の存在は、地方労働者を取り巻く貧困問題と密接に関連しているとよく言われる。その典型的な例とでもいうべき事件が、2001年7月にイングランド中部ブラッドフォードにおいて白人系とアジア系の若者間で繰り広げられた暴動だ。この地域ではかつて繊維産業が勃興したためにアジアからの移民が殺到した。しかし1970~80年にかけて同産業が衰えていくと多くの工場は閉鎖し、失業者が続出。次第に職口や福祉手当の配分をめぐって異なる民族間の対立が深まるようになり、やがて暴動へと発展した。同様の 歴史的背景を理由とする暴動事件は同じく2001年にイングランド北部オールドハム、そしてバーンリーでも発生。そしてこれらの都市ではBNPに対する支持が高くなる傾向にあり、特にオールドハムは、2001年の総選挙でグリフィン党首が出馬し、6500強の票を獲得した場所でもある。
後日「Searchlight」のゲイブル編集長に、この現象についてさらに詳しく話を聞いた。「1980年代のマーガレット・サッチャー政権で英国の労働市場と教育制度が大幅な自由化を遂げて以来、国内の労働力のバランスは崩れ、地方の産業は競争から取り残されていくようになりました。だから、地方の若者が低賃金の単純労働にしか就けなかったり、失業にあえいだりしているという問題があるのは確かに事実なのです。けれども労働党、保守党、自民党という主要3政党は主に都市部の中産階級に絞って選挙運動を展開しているから、地方の労働者たちは自分たちが取り残されてしまったかのように感じている。そういった層が、移民さえいなくなれば本来の生活を取り戻せるというBNPの主張に呼応しやすくなっているのかもしれません。もちろん、地方の貧困問題というのは、移民を排斥すれば片付く問題ではないのですが」。
グリフィン党首は極右のエリート
話をグリフィン党首に戻す。貧困問題を抱えた地方労働者を支持基盤とするBNPの中で、同党首が持つ経歴は異質だ。生まれはロンドン北部のバーネットで、自他共に認める中産階級の出身。ケンブリッジ大学で歴史と法律を学んでいる。「両親が共に保守党員だったのです。だから物心ついた時から親と政治について話していましたね。でも当時の保守党は左翼がかっていて馴染めなかったので、15歳の時に国民戦線と呼ばれる右翼政党に入ることを決めたのです」。
若かりし頃の彼は、どうやって極右思想に惹かれていったのか。「当時の保守党員たちは内緒話をするようにひそひそと「おい、移民をどうにかしないと俺たち困るぞ」と言いながら、公の場に出ると「これからの時代は多文化主義でいきましょう」と話しているような人ばかりだった。いわば偽善者です。でも国民戦線では党員が素直に理想を語り、かつ現実主義を貫いているように思えたのです」。グリフィン党首は「多文化主義」そして「偽善」の2語を盛んに口にする。
「昔、イングランドの片田舎で暮らしていた時があっ たんです。海岸が近くて、英国らしさに溢れた小さな町ですよ。そこの学校がある日突然、七面鳥やろうそくを用意して祝う、英国の伝統的なクリスマス行事を禁止するという決定を出した。近所に別の宗教を持つ住人がいるからというのが理由でした。それで翌年から多文化主義のクリスマスになって、七面鳥の代わりにインド料理が出ることになった。何だそれって思いますよね。今まで現地で代々何百年と住んできた伝統的な家族が、他の宗教を持つ移民が近所に住んでいるからという理由で自分たちのクリスマスを祝えないんですよ。こんな片田舎まで多文化主義のイデオロギーに支配されるべきではないと決意して、BNPに移って政治活動を本格的に始めました」。
英国人の建前と本音
グリフィン党首は多文化主義を「建前」とか「全体主義」と呼んで激しく非難する。でも本当のところ、彼はその建前の重さに気付いているはずだ。だからこそ党の近代化と称して、BNPが持つ人種差別的なイメージを少しずつ削ぎ落とそうとこれまで努力してきた。
ここに一つ、興味深いデータがある。市場調査会社「YouGov」が実施したアンケートなのだが、「難民の受け入れを厳しく制限する」といった政策を、一つのグループにはBNPの政策、もう一つのグループには保守党のそれとして意見を募った。すると回答者は、実際は全く同じ政策を見ているにも関わらず、「保守党案」をより多く支持したというのだ。英国人の「建前と本音」が透けて見えるエピソードである。
グリフィン党首が、多文化主義の弊害について語り続ける。「これだけ無責任に移民を受け入れていたら、人種差別は絶対に生まれる。そもそも移民を差別する感情は、人間の本性みたいなものです。でも英国民はそういった感情を絶対に表には出さない。人種差別主義者と呼ばれるのを恐れているからです。この国では、多文化主義と言われたら絶対に逆らえないような空気が存在しているから、皆が一斉に凍り付いてしまう。でも、私はその空気を恐れない」。偽善に打ち克ち、BNPの「移民政策」を実行するためであれば、再び刑務所に戻ることになっても構わないという。
グリフィン党首の言うように、英国人は建前だけで我々のような移民たちと接しているのだろうか。そして心の奥底では、「多文化主義」に対して強い反発を感じているのか。これらの問いに対する一つの回答として、既に71歳になったという「Searchlight」のゲイブル編集長が寄せてくれたコメントを最後に紹介しよう。「どんな人にとっても、異なる人種に対しての偏見を完全に取り払うということはなかなか難しいでしょう。でもだからといって、あなたが人種差別主義者にならなくてはいけないわけではない」。



在留届は提出しましたか?








2003年4月、ロンドンに本社を持つグローバル・テレコミュニケーション企業「BT」グループが、12年ぶ りにロゴの一新を行った。これまでの「パイプを吹く人」のロゴはかなり認知度が高かったにも関わらず、 従来の「電話サービス」のイメージが強かったため、 多彩なビジネスを展開するBTによりふさわしいデザインを目指して今回の変更に踏み切ったという。
基礎化粧品から食品まで、ありとあらゆる業種を傘下に持つ世界最大級の消費財メーカー「ユニリーバ」が、2004年に行った大幅な再ブランディングの際に製作された。同社が所有する多彩な事業や商品ブランドを象徴し、なおかつ1つに統一したいという難しい期待に答えたのが、25個のアイコンからなるこのロゴ。それぞれの意味はウェブサイトでチェック出来る。




名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズの生みの親、英作家コナ ン・ドイルの誕生日記念。世界中のファンから「来年も!」との声が寄せられたという。
「点字の父」、ルイス・ブライユの生誕を記念して、点字で「Google」と綴った作品。色の配置以外はオリジナルと全く異なるデザインで、同社の遊び心や前衛的なセンスが全面に出ている。
イングランドの守護聖人の祝日は、イギリス人にとっては国民の日。スコットランド人ユーザーから「セント・アンドリューズ・デーのロゴも作って」との声が殺到したという。
恒例の行事なだけに、毎年アイデアを考えるのに一苦労だとか。記念日ロゴは楽しくハッピーなデザインが多いため、不気味なムード作りに力が入った、本人もお気に入りの作品。



しいが、真の姿は硬派な反戦主義者。03年、当時労働党の議員だったギャロウェイ氏は、国内で論争を呼んでいたイラク派兵に真っ向から反対し、同党を除名。翌年にリスペクト党を結成した。07年には同党の状態が「あまりに無秩序である」とするギャロウェイ派と、同党と協力体制にある極左の社会主義労働者党派に分かれ対立し、同年11月にはギャロウェイ派が「Respect Renewal」を結成、同党から脱退した。
オフィシャル・モンスター・レイビング・ルーニー党
ワン・ロンドン党
イングランドとウェールズ 緑の党
英国独立党

ウェールズ国民党 (ウェールズ民族党)











大名行列を横切ろうとした乗馬中の英国人を薩摩藩士が切りつける生麦事件が発生
岩倉使節団が訪英
ロンドンで小泉首相とブレア首相が日英首脳会談














競技解説
英国と欧州大陸を結ぶ高速鉄道「ユーロスター」が11月14日、英国内に新設した専用軌道での運行を開始。時速約300キロでの走行が可能となり、ロンドン―パリ間はこれまでより20分早い2時間15分、ロンドン―ブリュッセル間は1時間53分で結ばれる。ロンドンのターミナルは、ウォータールー駅からセント・パンクラス駅に移った。新ターミナルからは同日午前11時すぎ、ブリュッセル行きの「一番列車」が出発した。
10年間にわたり長期労働党政権を率いてきたトニー・ブレア首相の任期途中での辞任に伴い、6月28日をもって労働党のゴードン・ブラウン新党首が戦後第13代の首相に就任、同日中に新内閣が発足した。ブレア政権下ではナンバー2として財務相を務めながら、国内の好調な経済を長期にわたって維持してきたブラウン氏。ブレア氏よりいずれ首相の座を譲り受けるとの取り決めがあるとの噂が度々流れていたが、政権奪取後10年目にしてようやく首相の座を射止めた。
エリザベス女王(81)と夫のフィリップ殿下(86)が11月20日に結婚60年のダイヤモンド婚を迎え、前日の19日には、ロンドンのウェストミンスター寺院で記念式典が行われた。バッキンガム宮殿によると、ダイヤモンド婚を迎えた英君主は史上初めて。夫妻にとって、同寺院は結婚式を挙げた思い出の教会。長男のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃をはじめ、離婚が続いた英王室で「互いを支え合うエリザベス女王夫妻の仲の良さは際立つ」とは外交筋のコメント。
8月11日、数字選択式宝くじで英国史上最高額となる3540万ポンド(約85億円)の当たりくじが出た。この確率は7600万分の1で、1995年6月に出たこれまでの最高額、2250万ポンドを一挙に抜き去った。当選者は、スコットランドに住む郵便会社勤務のアンジェラ・ケリーさん。夫と別居中で長男ジョンさん(14)と2人暮らし。宝くじは1.5ポンドで購入し、これまでの年収が2万1000ポンドだったことを明かし「当選を知った時は手が震えました。まだ動揺して実感がわきません」と話した。英紙によると、当選は秘密にするつもりだったが、職場内でうわさが広まり、会見することにしたという。
パレスチナ自治区ガザで武装集団に拉致、拘束されていたBBC放送のアラン・ジョンストン記者(45)が7月4日未明、事件発生から約3カ月半ぶりに無事解放された。同記者は解放後、ガザ市でイスラム原理主義組織ハマス幹部のハニヤ前自治政府首相らとともに記者会見し、「人生で最悪の16週間だった。携帯していたラジオでわたしの解放を求める世界各地の人々の支援を知っていた。感謝したい」と述べた。ジョンストン記者は主要欧米メディアでガザに常駐する唯一の外国人記者。3月12日、銃を持った集団に拉致された。
世界七不思議の候補ともされる英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジの近くで、同遺跡群を造った人々の集落の一部とみられる新石器時代(紀元前2600年ごろ)の住居跡を発見したと英大学の発掘チームが1月30日、発表した。研究者の1人は「ストーンヘンジは当時としては最大の埋葬地で(住居跡などを含む)巨大な複合施設の一部だったと考えられる」と述べ、諸説あるストーンヘンジの目的を解き明かす貴重な発見だと強調した。確認された住居跡は8棟で、それぞれ広さ約5メートル四方。最大で100棟あった可能性もある。
英国一のフットボール選手であり、その私生活 の一挙手一投足まで注目される、デービッド・ベッカムが8月、米プロ・リーグ、MLSのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。その契約金は、なんと、5年で総額2億5000万ドル(約298億円)!スポーツ専門テレビ局のESPNは、ベッカムの「金のために米国に行くと世間は言うだろうが、そうではない。才能ある選手とともにギャラクシーを新しいチームにつくり変えることは、とても楽しみだ」というインタビューを繰り返し放送した。
スコットランド・サッカー記者協会は5月2日、今季の年間最優秀選手にセルティックのMF中村俊輔を選出。中村はプロ選手協会からも年間最優秀選手に選ばれており、ダブル受賞となった。欧州主要リーグで、日本人としての年間最優秀選手は初。同協会のブラック会長は「中村は見ていて楽しい選手。欧州チャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦での2本のFKと、プレミア・リーグ優勝を決めたキルマーノック戦でのFKは彼を集約している。重圧の中で輝く瞬間を生み出せる」と評した。
今年一番の注目レーサーといえば、ルイス・ハミルトン。カリブの血を引き褐色の肌を持つことから、「F1界のタイガー・ウッズ」「褐色のベッカム」など、一躍時の人となった。実際、今年1年間の記録といえば、「デビュー6戦目で栄冠の初優勝」「米国グランプリで連勝」「ハンガリー・グランプリで優勝」「日本グランプリ優勝」とそうそうたるもの。年間ランキングでは惜しくも2位と敗れたが、今季の主役だったことに間違いはない。デビュー戦から9戦連続で表彰台に上がり、F1記録を大幅に更新。新人では歴代最多に並ぶシーズン4勝をマークした。
英国で最も権威ある映画賞、英国アカデミー(BAFTA)賞の授賞式が2月11日開催され、「クイーン」でエリザベス女王役を演じ、下馬評の高かったヘレン・ミレンが主演女優賞を受賞した。一方007シリーズのボンド俳優としては初のノミネートとなった俳優、ダニエル・クレイグは惜しくも受賞を逃したが、ボンド・ガールを演じた仏女優、エヴァ・グリーンが新人賞を獲得した。
1990年代に活躍した英国の人気女性歌手グルー プ「スパイス・ガールズ」が、今年6月に再結成を発表。本当に?4人は実は仲が悪いんじゃないの?など世間ではまだまだ疑いの感があったが、表明通り、12月2日カナダでツアー初日を迎えた。約2時間のコンサートでは計22曲を熱唱、ガールパワー健在ぶりを見せつけた。

ブリティッシュ・ファッション・アワードに出席したヴィヴィアン。66歳にして、このカッコ良さ
71年の「Let It Rock」で発売していた「ROCK」Tシャツ
グルグルと逆回りする時計は、26年前から変わっていない
85年の「Mini Clini」コレクション
初のコレクション「Pirate」から
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
同年の「Harris Tweed」コレクションより
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス
右のメンズ・ウェアに使用されているのが、ヴィヴィアン・オリジナルのタータン・チェック「McAndreas」
94年の「Café Society」コレクションより
美しいカッティングが多く発表された02年の「Anglophilia」コレクション











可憐と優美 ─ 将来期待のバレリーナ




退役軍人組織「Ex-Service Action Group」の統計によると、英国全体に存在するホームレスのうち約22%が元軍人。彼らの多くが義務教育を終えた直後に入隊し、以後は軍隊の中でまるで自身の家族を築くかのような生活を送るために、一般社会に出てから自立した生活を営む際に問題を抱えてしまう場合があるという。また戦場という危機的状況には対応出来ても実社会における職業的技術を持ち合わせていないため就職が出来なかったり、場合によっては戦場でトラウマを抱えてしまった者などが除隊後に社会に適応できなかったりしてホームレスになってしまう場合が多い。今ではホームレスのためのチャリティ団体「Crisis」でボランティアとして働くスコットランド出身の64歳、エドウィン・リントンさんもかつてはそのうちの1人だった。
35歳、ニューカッスル出身
ただバスキングをしていた時の方が、日によっては自由に使えるお金が多かった。まだロンドンのウォータールー駅でバスキングを始めたばかりの頃、習いたてのギターではわずか1曲しか弾けなかったにも関わらず、1日で50ポンドも稼いだことがあるという。「でも路上生活していると、食べ物、飲み物も購入しなければならないので結局は高くつきますね。ホステルであれば食事は安く提供してもらえますから」。
1991年に英国で創刊され、2003年からは日本版も発売が開始されたホームレスが販売するストリート・ペーパー、「ビッグ・イシュー」。労働の場を提供することでホームレスの人々に自立を促すことを目的とした同誌では、一部を£1.50で販売、このうち£0.80が販売員の収入となり、残り£0.70がビッグ・イシューの製作費、人件費として徴収される。ホステルなどに住んでいる「見えないホームレス」たちにとっては、住居費などを政府の援助で賄うことが出来るので、売った部数がそのまま収入になる。ビッグ・イシューの販売経験のあるデービッドさんは1日に30部をさばき計£24の収入を得たことがあるようだ。
私たちのチャリティ団体では、ホステルやB&Bなどに住むいわゆる「隠れたホームレス」たちを悪循環から救い、自立した生活を送ることが出来るように働き掛けています。


Illegal Sleep 2007 © Zarina Bhimji. DACS, London 2007
Shadows and Disturbances 2007 Courtesy of the artist and Haunch of Venison, London ©Zarina Bhimji. DACS, London 2007
壁に空いた穴をのぞくと、上の砂漠のような風景が広がる
AMNESIAC SHRINE or Double Coop Displacement, Matt's Gallery, 2006 ©Mike Nelson Courtesy the artist and Matt's Gallery, London.
Mirror Infill, 2006 Commissioned and produced by Frieze Projects ©Mike Nelson Courtesy the artist and Matt's Gallery, London
Sleeper 2004-5
State Britain, 2007 Installation view at Tate Britain ©Mark Wallinger Photo: Sam Drake, Tate Photography
There Will Be No Miracles Here 2006 Courtesy of the artist, doggerfisher and Haunch of Venison, London ©Nathan Coley . Photo: Photography: David Lambert & Rod Tidnam, Tate
Camouflage Church, 2006 ©Nathan Coley Courtesy doggerfisher and Haunch of Venison
左)Hope and Glory 2007 Courtesy of the artist, doggerfisher and Haunch of Venison, London ©Nathan Coley . Photo: Photography: David Lambert & Rod Tidnam, Tate
















