好き嫌いはあろうとも、英国人にとって常に興味の対象であるのがロイヤル・ファミリー。エリザベス女王を題材にした映画「クイーン」の公開や、ウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの破局報道の過熱ぶりをみても、王室への関心がいまだもって高いことが窺い知れるだろう。今回の特集では、6月16日にエリザベス女王の公式誕生日が祝われるのを機に、この国の人々の心をつかんで離さない「英国最大のセレブ」、ロイヤル・ファミリーの主要な顔ぶれと、英国王室の歩みなどについて紹介する。(猫山はるこ)
英国の王族と言えば昔から、個性的で時に破天荒な人々が多くいたことで知られるが、それは現代でも同じこと。さまざまなゴシップ、失言などで日々国民を楽しませてくれる今の王室メンバーは一体どんな人たちか、改めておさらいしてみよう。
エリザベス2世 (1926年4月21日生まれ、81歳)
フィリップ殿下 (エジンバラ公爵: 1921年6月10日生まれ、85歳)
英国並びに英連邦の元首にして、英軍、英国国教会の長。国会の開会や新たな法律を裁可する権限も(形式上とは言え)持っているし、クリスマスだって、あの毎年恒例のメッセージがなければとりあえず英国のクリスマスとは言えない(?)。そう、無表情で冷たい印象だとか、声が素っ頓狂とか洋服と帽子の色がまぶし過ぎるだとか何だかんだ言われつつも、英国のトップの座に君臨し、今でも多くの国民にとって心の支えになっているのがエリザベス女王なのだ。「ストイック」と形容できるほどの仕事に対する強い義務感と、その存在が醸し出す風格で、「エリザベス女王がいたからこそ、チャールズ皇太子やアンドリュー王子の離婚などでスキャンダルまみれだった時期も王室は威厳を保つことができた」と言われるほど。高齢のため公務はチャールズ皇太子とカミラ夫人にかなり任せるようになっているものの、周囲のスタッフによると、「生存中の退位は全く考えていない」という。そんな女王が若き日に恋に落ち、わずか21歳で恋愛結婚したのがフィリップ殿下。ギリシャ及びデンマークの王家であるグリュックスブルク家出身で、女王のはとこに当たる。「失言殿下」の異名を取り、中国訪問時に英国人留学生に向かって「これ以上長く滞在していると、目が細くなっちゃうよ」と言ったのを始め、オーストラリアのアボリジニの人たちに「まだ、槍投げてるの?」と質問するなど、世界各地で放言しまくっていることでつとに有名。数年前マンチェスターに行った際は、宇宙飛行士になりたいというちょっと太めの13歳の少年に対し、「痩せればなれるよ」と言って泣かせたとか。横で赤くなっていた女王の顔が目に浮かぶようだ。
30年耐えた愛は本物の愛
チャールズ皇太子 (1948年11月14日生まれ、58歳)
カミラ夫人 (コーンウォール公爵夫人:1947年7月17日生まれ、59歳)
不倫、離婚、元妻の死で奈落の底に落ちたイメージも近年はかなり改善した感のある還暦間近の王子様。環境、有機農業、代替医療、建築、若者の教育などに強い関心を持ち、様々な形で活動。自然食品ブランド「ダッチー・オリジナルズ」や、若者の起業を支援する財団「プリンスズ・トラスト」などは高く評価されている。ダイアナ元妃死亡時は毛虫のように嫌われていたカミラ夫人(コーンウォール公爵夫人)も最近はすっかり国民に受け入れられているが、この2人に関する(恐らく)最も有名なエピソードは、皇太子がその昔、カミラさんに電話で「タンポンになって君のパンティの中に住みたい」と言ったというもの。次の英国王とその妻としてはちょっと悲しい。
晴れてシングル、次の彼女は誰に?
ウィリアム王子 (1982年6月21日生まれ、24歳)
ティーンの頃は母・故ダイアナ元妃の面影を残すキュートなルックスで世界中の女の子のハートを鷲づかみにしていたものの、近頃は頭頂部を含め容貌が全体にオッサンじみてきたと評判の未来の国王。ケイト・ミドルトンさんとの破局を巡っては、「王子が関係にコミットするのを嫌がった」「4年間付き合ったあげく携帯電話で別れを告げた」「破局の直前、ナイトクラブで女性の胸をもんでいた」など良からぬ噂が飛び交い、少々株を下げた模様。現在は英南西部ドーセットにある陸軍の基地で訓練を受けているが、英軍の長でもある王になるための準備として、今後空軍、海軍にもかかわると考えられている。身長191センチと体格は立派。私服のファッション・センスはヤバい。
タブロイド登場回数なら母に匹敵?
ヘンリー王子 (1984年9月15日生まれ、22歳)
飲酒、淫行当たり前、未成年時から大麻は吸うわ、パーティーにはナチスの制服姿で現れちゃうわ、王族ながらもう何でもアリの醜聞の百貨店。Aレベルの課題を先生が手伝ったなんて疑惑もあったっけ。最近は軍隊や慈善活動で頑張っているけれど、先日も確か、ナイトクラブから出てきたところを撮ろうとしたパパラッチに襲いかかって、「サン」紙のカメラマンから「ヘンリー王子は英国にとって当惑の種になっている」なんて言われてたはず。交際歴3年のチェルシー・デイビー嬢は、兄ウィリアムの気取った元カノとは対照的なビッチ風で超お似合い。実は本当の父親は故ダイアナ元妃の元愛人、ジェームス・ヒューイット氏じゃないかってずっと言われてるけれど、真相は闇の中だ。
気楽な次男坊は人生エンジョイ型
アンドリュー王子 (ヨーク公爵: 1960年2月19日生まれ、47歳)
ヨット好き、ゴルフ好き、女好きと、道楽息子ぶりがしばしば非難の的となる女王の次男坊。1996年の離婚以来、付き合った女性は少なくとも15人に上るそうで、タブロイド紙が付けたあだ名は「RandyAndy(好色アンディ)」。どこへ行くにも飛行機を使い、その費用が年間32万ポンド(約7651万円)にも上ることが判明した際には、「Air Mile Andy(エア・マイル・アンディ)」とのニックネームを頂戴した。海軍で22年間務め、フォークランド紛争にも従軍し、現在は英国貿易・投資局(UKTI)の広告塔として世界各地を飛び回っているが、こうした活躍ぶりが話題になることは殆どない。元妻のセーラ・ファーガソンさんとは今でもとっても仲良しなんだとか。
地味過ぎキャラで最近音沙汰なし
エドワード王子 (ウェセックス伯爵: 1964年3月10日生まれ、43歳)
「エリザベス女王の子供の中で唯一のスキャンダル未経験者」と言われる、地味で大人しい末っ子。兄アンドリュー王子に苛いじめられ続ける幼少期を過ごし、大学卒業後は海軍に入隊するも、訓練の厳しさに耐えられず除隊、「弱虫」とのそしりを受ける。演劇、メディアへの関心が強く、1993年に自身のテレビ番組制作会社を設立するが、めぼしいヒットを生み出せず、多額の借金も抱えて経営不振に。同社スタッフがマスコミと王室の協定を無視して大学入学直後のウィリアム王子を大学敷地内で撮影しようと試み、大ひんしゅくを買ったこともある(2002年、公務に専念するため同社社長職を辞任)。結婚は35歳と遅めだったため、同性愛の噂も耐えなかった。
オリンピックに出場した唯一の王族
アン王女 (1950年8月15日生まれ、56歳)
女教師のごときルックスが醸し出すお堅い印象は単なるイメージにあらず。毎年何百もの公務をこなすエリザベス女王の長女にして唯一の娘は、その勤勉ぶりから「最も働き者の王族」と賞賛されつつも、時に「厳格過ぎる」との批判も受けている。モントリオール・オリンピックに馬術の英国代表として出場したという実績も、その真面目ぶりの賜物と言えよう。23歳で結婚するも、夫の浮気などが原因で19年後の1992年4月に離婚、8カ月後に海軍中佐ティモシー・ローレンス氏と再婚。凶暴な飼い犬(ブルテリア)が何度か事件を起こしており、2003年には、女王の犬(コーギー)に噛み付き、重症を負った女王の犬が安楽死させられたこともある。
母の跡継ぎ馬術極める元「反逆娘」
ザラ・フィリップス (1981年5月15日生まれ、26歳)
舌ピアスや大胆なドレスをまとってのパーティー通い、ボーイフレンドと公衆の面前で殴り合いのケンカと、ロイヤル・ファミリーにあるまじき振る舞いで「王室の反逆娘」との異名を取ったのも今は昔。母アン王女と同じく乗馬の道に進み、昨年は馬術の欧州選手権と世界選手権で共に個人優勝という快挙を達成。BBCのスポーツ・パーソナリティー・オブ・イヤーに続いてMBE(大英帝国5等勲章)まで授与され、反逆児どころかすっかり世界的な一流スポーツ選手の仲間入りを果たした。2008年北京オリンピック出場と共に、恋人のラグビー選手マイク・ティンドールさんとの結婚の可能性も囁かれており、実は今、最も注目の王族メンバーと言えるかも?
エリザベス女王の本当の誕生日は4月21日。しかし毎年、6月の第1、2、3土曜日のいずれかに「公式誕生日」が設けられる。この伝統は、誕生日が11月だったエドワード7世(1841~1910)が、寒さや悪天候に野外の祝賀行事が影響される恐れがあるとして、温暖な5月か6月に「公式誕生日」を設定、パレードなどを行うようになったのが始まり。当日は、ロンドンのホースガーズ・パレードで軍旗敬礼分列式が行われるほか、42発の礼砲が鳴らされ、政府関係の建物には英国国旗が掲げられる。また叙勲者リストもこの日に発表される。
イングランドの再拡大を狙い、周辺諸地域への侵攻を積極的に試みていたエドワード1世(1239~1307)は1301年、ウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズを倒し、ウェールズを制圧。この際、イングランド王家がウェールズを支配することを明確に示すため、息子エドワード(後のエドワード2世)に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えた。これが、英国皇太子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授与する慣わしの始まりで、被征服者にとっては屈辱的な習慣であるが、今日まで伝統として残っている。
王族と離婚後、大胆な人生改革に成功した人と言えば、アンドリュー王子の元妻セーラ・ファーガソンさん。マスコミの目を逃れるためニューヨークに移住した後は、減量成功の経験を生かしてダイエット・プログラム「ウェイト・ウォッチャーズ」のスポークスマンになったり、本を書いたりテレビに出たりとすっかりかの地でセレブに。慈善活動も積極的に行っており、離婚後の人生再建に成功した。著名な写真家アントニー・アームストロング・ジョーンズ氏は、故マーガレット王女と離婚後再婚するも、私生児の存在がばれて再び離婚。アン王女との結婚中に浮気して私生児をつくっていた騎手のマーク・フィリップス氏は、王女と離婚後、やはり騎手の女性と再婚した。
恋のため王位を捨てたエドワード8世
愛する女性のため王位を捨てたのがエドワード8世(1894~1972)。名うてのプレイボーイだった彼は、30代後半で米国人シンプソン夫人と出会い、恋に落ちる。しかし夫人は外国人で平民である上に、離婚歴があり、2度目の夫とまだ結婚している身。このため、エドワードは1936年1月に41歳で独身のまま即位したものの、夫人を王妃として迎え入れることには、王室、政府のみならず、世論も猛反発した。王冠か恋かの選択を迫られたエドワードは、即位からわずか1年で退位し、1937年6月に結婚(この時点までにシンプソン夫人の離婚手続きは終わっていた)。王位は弟ジョージに譲られ、エドワード夫妻は英国を逃れてフランスへ移った。
年表で振り返る王室の歴史
イングランドは、9世紀にアルフレッド大王がほぼ統一したものの、その死後、北方民族の侵入などにより、一つの国家として安定することはなかった。このため、イングランドの王室は、ウィリアム1世によるノルマン朝成立時に始まったとするのが最も妥当とされている。ここでは、1707年までは主にイングランドとウェールズの、同年以降は連合王国の王朝の歴史を紹介する。
| 1066年~2005年 | |
| 1066年 | ノルマンディ公ウィリアムがノルマン朝を創始 |
| 1135年 | スティーヴンとアンジュー派が王位を巡って争う |
| 1154年 | ヘンリー2世が即位し、プランタジネット朝成立 |
| 1209年 | ジョン王、教皇インノケンティウス3世により破門 |
| 1215年 | ジョン王、マグナ・カルタを承認 |
| 1337年 | 百年戦争始まる |
| 1348年 | 黒死病の流行(~1349) |
| 1399年 | ヘンリー4世が即位し、ランカスター朝成立 |
| 1453年 | 百年戦争終結 |
| 1455年 | 薔薇戦争始まる |
| 1461年 | エドワード4世が即位し、ヨーク朝が始まる |
| 1485年 | ヘンリー7世が即位し、テューダー朝成立 |
| 1529年 | 宗教改革議会始まる |
| 1534年 | 国王至上法が成立、英国国教会の確立 |
| 1542年 | スコットランドでメアリ・スチュアート即位 |
| 1547年 | エドワード6世即位、プロテスタント化が進展 |
| 1554年 | メアリ1世、スペイン皇太子フェリペと結婚 |
| 1558年 | エリザベス1世即位 |
| 1587年 | スコットランド王メアリ・スチュアート処刑 |
| 1588年 | スペイン無敵艦隊襲来 |
| 1600年 | 東インド会社設立 |
| 1603年 | ジェームズ1世が即位し、スチュアート朝成立 |
| 1605年 | ガイ・フォークス事件 |
| 1628年 | 国会に「権利の請願」提出される |
| 1642年 | 国王軍と議会軍の内戦勃発 |
| 1649年 | チャールズ1世処刑。王政廃止、共和制の成立 |
| 1653年 | クロムウェル、護国卿となる |
| 1660年 | 王政復古 |
| 1688年 | 名誉革命 |
| 1689年 | 権利の章典制定 |
| 1707年 | スコットランドとイングランドが合同 |
| 1714年 | ジョージ1世がハノーヴァー朝を創始 |
| 1837年 | ビクトリア女王即位 |
| 1840年 | アヘン戦争開始 |
| 1851年 | ロンドンで万国博覧会開催 |
| 1877年 | ビクトリア女王、「インド皇帝」を称する |
| 1901年 | サックス・コーバーグ・ゴータ朝成立 |
| 1917年 | 王朝の名称が「ウィンザー朝」に変更 |
| 1936年 | エドワード8世、結婚問題で退位 |
| 1952年 | エリザベス2世即位 |
| 1981年 | チャールズ皇太子、ダイアナ・スペンサーさんと結婚 |
| 1997年 | ダイアナ元皇太子妃事故死 |
| 2005年 | チャールズ皇太子、カミラ・P・ボウルズさんと再婚 |
英国7王室ミニ紹介
ノルマン朝(1066-1154)
現在の北仏にあったノルマンディ公国のノルマンディ公ウィリアムが1066年にイングランドを征服して成立、4人の王を擁した。ノルマンディ公ウィリアムは、同年に死去したサクソン人の王エドワードの遠縁であった。
プランタジネット朝(1154-1399)
仏アンジュー地方の伯爵家、アンジュー家のアンリがヘンリー2世として即位して始めた。アンリの父ジョフロワが、帽子にエニシダ(planta genista=プランタジェニスタ)の小枝を刺して戦場に臨んだことからこの名が付いた。
ランカスター朝(1399-1461)
ランカスター家の初代は、プランタジネット朝の王エドワード3世の息子であるランカスター公(ジョン・オブ・ゴーント)。ヘンリー6世の治世から、ランカスター家とヨーク家との戦いである薔薇戦争が始まった。
ヨーク朝(1461-1485)
ヨーク家もランカスター家と同様、プランタジネット家の末裔で、エドワード3世の息子、ヨーク公エドマンドの子孫がヨーク朝の初代の王エドワード4世である。薔薇戦争は、3代目の王リチャード3世が戦死したことで終結した。
テューダー朝(1485-1603)
テューダー家の祖は、ランカスター王朝でヘンリー5世の未亡人キャサリンに仕えたウェールズ人、オーウェン・テューダー。彼はキャサリンと密かに結婚し、この2人の孫が後にヘンリー7世としてテューダー朝を創始した。
スチュアート朝(1603-1714)
スチュアート家はフランスから渡ってきたとされ、その末裔がスコットランドで1371年、ロバート2世としてスチュアート朝の初代国王となる。1603年から1707年まで、イングランド王を兼ねる同君連合体制がとられた。
ハノーヴァー朝(1714-1901)
「グレート・ブリテン王国」の最初の君主となったアン女王の後、スチュアート朝を継いだドイツの王家。ハノーヴァー家の祖は、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公ゲオルグ(1582-1641)であると考えられている。
*ハノーヴァー朝から現王家、ウィンザー家へと続く
親族関係が一目で分かる ウィンザー王家家系図
現在の王家、ウィンザー家は、ドイツのハノーヴァー家の流れを汲み、第一次世界大戦中に敵国ドイツの性を忌避して改名された。エリザベス女王はウィンザー朝の4人目の君主。家系図にすると、下に下るにつれ、「離婚」「再婚」の文字が目立つようになる。
①ジョージ5世 兄の死で王位継承者となり、その兄の婚約者だった女性と結婚。生涯ラブレターを送り合うアツアツぶりだったという。
②ジョージ6世 兄エドワード8世の退位により、不本意ながら王位に就く。日記には、兄の退位の前日、母の前で泣いたと記されている。
③マーガレット王女 パーティー、煙草、アートを愛した王室の異端児。25歳の時、離婚歴のある16歳年上の男性との結婚を断念してニュースに。
④ビアトリス王女 昨年、傷害罪などで有罪となった米国人の恋人を捨てて話題に。女性誌「タトラー」の表紙を飾ったこともある。
⑤ソフィー(エドワード王子夫人) 2001年、某大衆紙のおとり取材に引っ掛かり、ブレア首相などに関する侮辱的な発言を記事にされたことがある。



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世界の第一線で活躍する日本のスペシャリスト集団、バッハ・コレギウム・ジャパンを、音楽監督として同集団を率いる鈴木雅明が指揮する。オリジナル楽器のオーケストラと、透明で劇的な表現力が特徴の合唱団が、魅惑的で変化に富んだバッハ作曲の教会カンタータを奏でる。
ピュリッツァー賞受賞の米国西海岸の異端児集団、サンフランシスコ交響楽団を鬼才マイケル・T・トーマスがまとめ上げる。米国を代表するソプラノ歌手デボラ・ヴォイトが、復讐に燃え性に乱れたサロメを演じるのも見どころ。
約2カ月にわたり繰り広げられるプロムス最後の夜、最高の盛り上がりをみせ、ロンドンに夏の終わりを告げるのがザ・ラスト・ナイト。「これぞ英国」という内容でヒューバート・パリーの「エルサレム」英国国歌など愛国的な演目が続く。
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世界中から観光客を集めるロンドン塔で、2005年にスタートしたイベント。ロンドンを外敵から守る要塞として11世紀に建設され、のちに監獄や処刑場としても使われた歴史深いロンドン塔をぐるりと囲んだ高い壁の下で、オペラやポップ・ミュージックを始め、モデルによるファッション・ショーなど充実した公演が予定されている。偉大なロック歌手エルヴィス・コステロや癒しの歌声として知られるキャサリン・ジェンキンスが出演。
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Turn of the Screw「ねじの回転」(英語)


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International Fund for Animal Warfare (IFAW)
国際捕鯨取締条約第8条には「科学的研究のために捕獲したクジラは可能な限り加工して利用しなければならない」ことが定められています。同条約を日本政府はクジラ製品を販売すべき、と解釈しているようですが、これは間違っています。確かにクジラを加工処理してよいし、製品を分配することも許されています。しかし販売することまでは認められていない。IWCで定められた「調査捕鯨」の目的とは、何千頭ものクジラの殺戮を許可することではなくて、最低限必要なサンプルを採取して、そしてそれらのサンプルを決して無駄に扱ってはならない、ということなんです。
IFAWはここ20年間にわたって、クジラの生態調査を行うための新たな科学技術開発の第一線に携ってきました。なぜならば、死んだクジラを解剖する「調査捕鯨」で集められる情報量には、限界があるためです。とりあえず倫理的な観点は一切排したとしても、科学者の間では「調査捕鯨」という研究方法は評価が非常に低く、学術誌上で取り上げられることもほとんどありません。
World Society for the Protection of Animals (WSPA)
実際、そのような方法の開発は難しいでしょうね。クジラというのは海面を出たり入ったりしているところを狙いを定めて撃つのです。しかも食用となる部分は残そうとするから、体のごく一部分だけを撃つことになる。だからポイントを外した時にクジラが長時間苦しみもがくことも多いのです。








チェルシー・フラワーショー
造園建築のプロたちが、自らのオリジナル・アイデアを展示するガーデン部門。お城の中庭のような豪華なものから、「こんな庭が自宅にあったら」と思わせる素朴なものまで、アーティストたちが独自のコンセプトを盛り込んで生み出す空間は、とても刺激的だ。ガーデン部門は、「庭園」と呼ぶにふさわしい豪華なショー・ガーデン部門と、限られた空間の中で展開される4種のスモール・ガーデン部門に分かれている。






ランドスケープ・アーキテクト
日本で9年間景観設計の仕事に関わり、1997年渡英。2001年グリニッジ大学ランドスケープ・アーキテクチャー修士課程を卒業後、ロンドンのランドスケープ事務所に勤務。2006年自らのスタジオSTUDIO LASSOを設立。国内外のデザイナー、アーティスト、建築家とのコラボレーションを数多く手がけ、空間デザイナーとして幅広く活躍している。
The Regent's Park
St James's Park

Colombia Road Flower Market




ニューヨークの摩天楼のように、超高層ビルが立ち並ぶカナリー・ワーフ。地図で見るとくぼむように折れ曲がったテムズ川に加えて、この辺りで多く見られる波止場(Dock)が水辺の景色となる。この界隈で働くビジネスマンの中には、自転車やジョギング通勤する人たちが多くいて、彼らと一緒に近代的なデザインの中を颯爽と走る感覚を味わえるのが醍醐味だろう。
この辺りはまだテムズ川の上流なので、水面も穏やかで美しい。また川辺には草が生い茂っているので、野原の中をかき分け走っていく感覚を楽しめるはずだ。

いわゆるロンドンの下町風情を味わえる区域。ここで紹介したコースでは市道を走り抜けることになるので、目まぐるしく変わる街の景色が一番のお勧めポイントとなるだろう。そして水辺の景色となると、見えるのはやっぱりテムズ川。この辺まで来ると河口にも近いので、川からは海の匂いを嗅ぎ取れるはずだ。
かつて荷物の運搬に使われたという運河の中で、ロンドンの代表的なものがリージェント・カナル。テムズ川と大きく異なるのは、細く穏やかな流れと人通りの少なさが生む静けさ。また近くにはプリムローズ・ヒルもあるので、そこまで足を延ばせばロンドンではちょっと珍しい丘の上の景色を楽しむこともできるだろう。
ロンドンにもう1つある運河がこのグランド・ユニオン・カナル。周回コースではないが、信号機がほぼ皆無という、地元ランナーお勧めのコース。

「The Office」や「Extras」といったコメディー番組のヒットで今や時の人となったリッキー・ジャベイス。これらの番組では典型的な中年太りの体型と豊かな表情を生かしたコミカルな演技が評判だったが、スタンダップ・コメディアンとしての彼はかなり硬派。聖書や百科事典、政治思想といった知的権威を徹底的にこきおろすネタを得意としている。
英国人が持つ外国人に対する偏見を元にしたネタを、ほぼ専門的に扱うコメディアン。イラン人の両親を持つことから自らを笑いの対象とすることが得意で、肥満体型、濃い顔、大きな声を合わせて出来た暑苦しい存在感を売りにしている。「アルカイダ」「テロ」「ホーム・オフィス」といった言葉から連想されるネガティブなイメージを利用しての笑いを十八番にしている。
アイルランド生まれのコメディアン。かつては石油会社大手の「シェル」でマーケティング・エクゼキュティブとして働いていたが、リストラにあったためにお笑い芸人になった。とぼけた顔とうつむき加減の上目遣いでシュールな雰囲気を醸し出しながら、短く過激なジョークを1つずつ連ねていくパフォーマンスで人気を集めている。
前職は精神科の看護婦という特異なキャリアを持つ女性芸人。ステージ上では早口でまくしたてるコメディアンが多い中、彼女の膨れっ面、退屈気でのってりとした口調は際立っている。英国コメディー界随一のおばさんキャラであり、下積み時代には伝説的な海の生物を意味する「シー・モンスター」という芸名が付けられていたほどの個性が光る。
眉間に皺を寄せて鋭い目つきで観客を睨みつけながら低い声で話す様は、お笑い芸人というよりやくざそのもの。アドリブに滅法強く、ステージ終了後のアンコールで観客からの意見や感想に1つずつ答えていくパフォーマンスが好評を得ている。渋く険しい顔と温かなファン・サービスとのギャップがおかしい、英コメディー界の大ベテラン。
音楽に合わせながら巨体を動かして笑いを取るのを得意としており、2005年には"Is This the Way to Amerillo"というシングル曲を販売して大ヒットを記録した。しかし彼が真価を発揮するのは、過激なブラック・ジョーク。どんな残酷な発言も、北部訛りと満面の笑みが醸し出す「良い人キャラ」がまろやかな笑いに仕立て上げる。
ゲイであることを売り物にするコメディアン。厚化粧とゴージャスな衣装に身を包んで話すお姉言葉が武器。ネタは様々なものを扱うが、結局は「性」のことをほのめかしてばかりの、下ネタを婉曲的に伝えるプロ。隠喩の度合いが強すぎて誰もジョークであることさえ気付かない場合もある、外国人が理解に苦しむブリティッシュ・コメディアンの代表。
いつでもどこでもギネス・ビールばかりを飲んでいる酔っ払いコメディアン。若き頃は牧師になるため神学校に通ったり、陶器の製作では超一流の腕を持つなどの横顔を持つが、ステージ上ではいつも千鳥足。タバコの吸い過ぎ、酒の飲み過ぎですっかりしゃがれた声を振り絞るように、俗物さを前面に出した粗野で下品な発言で観客を煙に巻く。
自ら「モンキー・ボーイ」と呼ぶほどのサル顔と、奇怪で激しい動き、そして次々と繰り出す奇想天外な発言を生かした変態キャラで聴衆を魅惑する、英国では異色のスタイルを持つコメディアン。日常の些細な出来事を大袈裟なホラ話に変えるのが得意で、ステージ上ではいつも全力投球。汗でびしょびしょのスーツ姿がトレード・マークになっている。
プロフィール: 27歳、マンチェスター出身、ギルドフォード・スクール・オブ・アクティング卒。TVドラマ、劇場などでの仕事を経て、2002年よりスタンダップ・コメディアンに。現在ではロンドンのレスター・スクエア駅近くに位置するコメディー・クラブでのパフォーマンスを中心に活動を行っている。


アテネの古代劇場を舞台に、狂言師の野村萬斎を主役に据えた「オイディプス王」では地元ギリシャの観客から喝采を浴びた
今回のインタビュー中、蜷川は何度も「普遍性」「世界性」という言葉を口にした。蜷川は、シェークスピアが生まれた国でシェークスピアをやること、それもあえて日本人が日本語でやるということ、これこそが世界に共通する「普遍性」を世界の人々と「共有する」ことだと信じている。本場、英国で圧倒的な支持を得る蜷川の舞台、その秘訣はこの「普遍性」「世界性」にありそうだ。蜷川はこれまで何度か英国人を使ったシェークスピア劇を上演したことがある。
ローマの将軍、ガイアス・マーシャス(後のコリオレイナス)は、歴戦の勇者でありながら民衆に対して傲慢な態度を取り、反感を集めていた。オーフィディアス率いるヴォルサイ人との戦いに勝利し、一躍英雄となったコリオレイナス。やがて執政官に推薦されるが、当時ローマでは執政官になるには謙虚な態度を民衆に示さなければならないという慣習があった。自尊心の高いコリオレイナスは、それを受け入れられず民衆を侮辱、ローマの地を追放されることに。復讐の念に燃える彼はかつての敵、オーフィディアスと手を組み、ローマに攻め入る。
1800年、英国外交官のエルギン卿は、ギリシャの古代遺跡「アクロポリスの丘」にそびえるパルテノン神殿の彫刻に魅せられた。当時のギリシャを支配していたオスマン・トルコの指導者スルタンから了承を得て、神殿の彫刻の模写や型取りをしていたエルギン卿は、やがて模造品では満足できなくなり、トルコ政府に賄賂を払い、神殿から彫刻を剥ぎ取って英国へ持ち帰ってしまった。さすがに当時のスルタンも、こんなにしっかりお持ち帰りされるとは思っていなかったのでは……?
大英博物館で最も日本人に人気の高い部屋といえば、やはりミイラの部屋だろう。これらのミイラが初めて大英博物館にやってきたのは、1756年。一儲けしようとエジプトへ渡った商人、ウィリアム・レシュリヤーのコレクションが、彼の死後、大英博物館へ贈られた。
18 世紀末、ナポレオンによる遠征でフランスの手に落ちたエジプト。ところが1801年、アレキサンドリアの戦いで英国軍はそのナポレオンを打ち負かしてしまう。古代文字が刻まれたロゼッタ・ストーンは、その戦利品のひとつとしてフランスから奪った品だ。つまり、略奪品の横取り品ということ。大英博物館に1802年から展示されている。
エジプト最後の王、ラムセス2世の堂々たる姿は、エジプト・コレクションの目玉でもある。1815年にカイロに着任した在エジプト英国領事、ヘンリー・ソルトは、就任中に多くの芸術品を収集したが、この胸像もそのひとつ。王を祀る聖堂から持ち出し、1818年に大英博物館へ寄贈した。
アフリカでは、17世紀からヨーロッパの商人による奴隷貿易が行われ、ベニン王国(現在のナイジェリア)でも、その海岸部が「奴隷海岸」と呼ばれるほど、盛んな取引が行われていた。19世紀に入ると、英国は奴隷貿易を禁止、物品貿易に乗り出すが、1897年、英国人外交官殺害事件をきっかけに英国軍がベニン王国を攻撃し、滅亡に追いやってしまう。その際、戦利品として持ち帰ったのが、この見事な真鍮プラークだ。この他にも多くの象牙や青銅が戦利品として英国へ持ち込まれた。
太古の文明メソポタミアで栄えた遺産は、1845年から51年にかけ、発掘家のオースティン・ヘンリー・レヤード卿により発掘された。巨大な都市遺跡、ニムルードの宮殿を飾ったレリーフには、当時の支配者、アッシュールパニパル王の狩りの様子や、戦争風景、鷲頭の精霊の姿が描かれている。長さ、高さともに3メートル以上ある有翼人頭像は、宮殿の守護神として、2対が門を守っていた。
スリランカの北東部で発見されたブロンズのタラの仏像は、セイロンの総督だった英国人ロバート・ブラウンリッグによって、1812~13年頃に持ち出された。その後彼は、1830年に大英博物館にこの仏像を寄贈。頭部の被り物部分には、かつて宝石が埋め込まれていたそう。本家スリランカのコロンボ国立博物館には、この仏像のコピーが展示されているというから、皮肉な話である。
現在のチェンナイ近郊にある村、アマラバティーは、南インドの仏教芸術の中心地。ここから持ち帰ったのが、この大ストゥーパだ。ストゥーパ(仏舎利塔)とは、インド仏教の僧たちのお墓である。ムガル帝国を滅ぼし、完全にインドの覇権を手にした英国は、宝石や香辛料などのお宝以外にも、多くの文化遺産をいただいた。この大ストゥーパは、1845年にチェンナイ(当時のマドラス)総督であったウォルター・エリオットにより発掘され、その後大英博物館に寄贈された。
アヘン戦争(1840年)に勝利して清朝を支配する以前から、インドと中国を結ぶ三角貿易を行っていた英国。茶、陶磁器やシルクなどの物品が行き交う中、仏教画など、重要文化財も多く英国へ渡った。中国北部で8体見つかった仏教僧侶の像は、そのうち7体が西洋の博物館に保管されているとか。また、地獄の審判像、笑う僧侶像などは、善と悪、天国と地獄という仏教の教えを反映した石像遺産。ナショナル・アート・コレクション・ファンドなどによる寄贈で、大英博物館入りした。
アステカ帝国時代に作られたとされるクリスタルのドクロは、ニューヨークの宝石商を経て1898年から大英博物館に保管されている。ところがこの品、後にヨーロッパで製造されたレプリカであることが判明。大英博物館の威信が、ちょっと傷ついた出来事だった。現在は、クリスタルの特徴やヨーロッパのクリスタル製造技術を紹介する形で展示している。
米国の押しの強さに巻かれることもある英国だが、そもそも米国人のルーツは英国にある。現在のヴァージニア州に植民地を開いて以降、英国人たちは米国大陸を西へ、北へ、南へと開拓するとともに、多くの北米探検を行った。1775年には、英国人探検家のキャプテン・クックが北米航海へ出発。この時、先住民たちが制作した木彫りのマスクなどを持ち帰っている。以後も、木彫りのトーテムポールや民族衣装など、多くの遺産が大英博物館へ寄贈、売却された。
太古の文明メソポタミアで栄えた遺産は、1845年から51年にかけ、発掘家のオースティン・ヘンリー・レヤード卿により発掘された。巨大な都市遺跡、ニムルードの宮殿を飾ったレリーフには、当時の支配者、アッシュールパニパル王の狩りの様子や、戦争風景、鷲頭の精霊の姿が描かれている。長さ、高さともに3メートル以上ある有翼人頭像は、宮殿の守護神として、2対が門を守っていた。
当時のギリシャを支配していたオスマン・トルコから「正式な許可を得て持ち出したもの」というのが大英博物館側の主張。ギリシャでは1830年の建国以来、国民の間で返還を求める声が出ていたが、特に、1981年に女優で政治活動家のメリナ・メルクーリが文化大臣に就任すると、返還の重要性を強く認識し、要求を強め始める。2001年には、アテネ・オリンピックを機に返還するよう求めたが、大英博物館がそれに応じることはなかった。
1802年に大英博物館へ運ばれて以来、多くの学者たちを魅了してきたロゼッタ・ストーン。その中でも、この石に刻まれている文字に魅せられたのが、フランス人学者、ジャン・フランソワ・シャンポリオンだった。大英博物館でロゼッタ・ストーンと出会ったシャンポリオンは、研究を重ね、1822年にこの文字の解読に成功する。こうして、古代エジプトの文字「ヒエログリフ」の研究に大きく貢献することになる。
ローマの陶磁器技術の髄が込められたポートランドの壺。大英博物館には1810年から展示されているが、1845年、この壺が酔っ払った来館者によって壊されてしまった。すぐに修復作業が始まるが、この時、37片の小さなピースが失われた。1945年、大英博物館はこの壺を正式に購入。その際に欠けていた破片が発見され、再修復が試みられるも、3ピース分しか修復できなかったという。1987年、次世代の修復者たちによって再び修復が試みられ、微細な破片をのぞき全てのピースが元通りにされた。100年以上の時をかけた、まさに執念の修復作業といえる。
ピューリタン革命で活躍し、1649年に英国に共和制を敷いたオリバー・クロムウェル。彼が英国北部への侵攻を進めたことから、以降、アイルランドは英国の植民地的な色合いが濃くなった。彼が亡くなったのは1658年。死因は何と、インフルエンザだったという。ワックス製のこのデスマスクは、大英博物館の生みの親であるハンス・スローン卿のコレクションとして、1753年、博物館設立と同時に展示された。
英国東部、イースト・アングリアで発見された船のお墓跡。アングロ・サクソン時代の古墳が多く残されていると言われるこの地方で、第1号として出土したのがサットン・フーの船墓場だ。発掘は1939年。武器具や金銀の装飾品など、多くの副葬品が発見され、大英博物館に展示されている。中世英国の暮らしぶりを知る上でも、非常に貴重な遺跡だ。
現在開催中の特別展
「演劇学」ではなく、俳優育成としての「演劇」という科目が学校教育で確固たる地位を確立している英国。ジュディ・デンチやユアン・マクレガーなど演劇/映画界で活躍している人たちの多くが、大学やその他高等教育機関で演劇を学び、学位を取得している。「演じること」が教育として認められている国だからこそ、世界に羽ばたく実力派俳優たちが続々生まれているというわけ。
テレビや映画で活躍している若手俳優/タレントが舞台へ出たがるというのも英国演劇の一つのトレンド。現在では、「Treats」出演に対する過度の緊張でドタキャン→初日延期などあれこれメディアに叩かれた末に何とか初日を務め上げたテレビ・ドラマ「ドクター・フー」出身の人気女優、ビリー・パイパーや、「EastEnders」出演後に舞台進出、今回不条理劇「The Caretaker」の大成功で「若手実力派」の仲間入りを果たしたナイジェル・ハーマンなどを舞台で観ることができる。旬の俳優を観るならまずは舞台! なのだ。

ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフと、ハリーの叔父、バーノン役のリチャード・グリフィスばかりが注目されがちな本作品。確かにダニエル君は時には全裸、時にはタバコを吹かしながらの大熱演を日々見せてくれている。でも観劇の際にもう一つ注目してほしいのが舞台美術と衣装。ミニマルな舞台は俳優の演技一つでその場所を次々と変え、シンプルな衣装が幻想的な馬たちを創り出す。観ている者の想像力を掻き立てる、これぞ演劇という作品だ。
18年間という超ロング・ランを続けるゴシック・ホラーの決定版。小さな舞台とシンプルな装置の中、2人の役者が演技力で観客たちを恐怖の世界へ誘ってくれる。顔の表情、声音を使い分けて数人の役柄を見事に演じる役者に、演劇ならではの良さを実感できるはず。より恐怖感を味わいたいのなら、ちょっとした仕掛けが楽しめる1階席がお勧め。
オープニング・ナイトは1952年11月25日。以来50年以上にわたってロンドンの劇場で上演され続けている驚異的な作品だ。元は推理小説の女王、アガサ・クリスティのラジオ劇用の短編ミステリー。クリスティが生前、ウエスト・エンドで本作が上演されている限りは出版しないよう言っていたために、いまだに英国内で本は出版されていない(ただし台本は出版)。
BBCの人気レポーター、ジェームス・モスマンが謎のメモを残して自殺した。彼の自殺の裏には何が隠されているのだろうか。
エンターテイナー一家の3代にわたる人生を通じて英国の戦後を描き出す。
2007年度シーズンは5月4日~10月7日。今年のテーマは「Renaissance and Revolution」、上演される作品は「オセロ」、「ヴェニスの商人」など。
劇作家、ブレヒトの戯曲を2作同時に上演するシリーズ、第1回目となる今回は「A Respectable Wedding」と「The Jewish Wife」の2作品。
ハロルド・ピンターの不条理劇。アストンはある日、浮浪者のデービスを家に連れてくる。同居している兄弟のミックは始めのうち嫌がっていたが……。
普通の人々が異常な状況に置かれた時に巻き起こる出来事を描いた、ミュージカル仕立ての人間ドラマ。
プロフィール=1958年生まれ。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を旗上げする。80年代の小劇場ブームの牽引役として熱狂的な人気を誇るが2001年、同劇団の活動休止を発表。以降、自身の演劇プロデュース・ユニット「KOKAMI@network」を中心に活躍中。
ー今回は前回と異なり、演出を自ら手掛けられるそうですが、新しい演出プランは考えていらっしゃいますか。
ロンドン、バービカン劇場が、毎年様々な海外の作品を招致して上演するプロデュース企画、BITE(Barbican International Theatre Events)。記念すべき10周年を迎える今年は、日本のシェークスピア演出家として、英国でも絶大な知名度を誇る蜷川幸雄が公式招待を受け、日本人によるシェークスピア作品を上演することになった。演じられるのは「コリオレイナス」。古代ローマの悲劇の将軍、コリオレイナスの生涯を描いたこの作品を演じるのは、唐沢寿明はじめ、白石加代子、勝村政信ら人気、実力を兼ね備えた俳優陣。40人以上ものキャストが出演予定というから、スケール感溢れる芝居を期待できそうだ。
プロフィール=島根県出身。演劇ネットワーク「Office 59」に参加後、渡英。現在は舞台やテレビ、映画などで活躍している。2005年には演劇の枠に留まらないアート・プロジェクト・ユニット「Crop」を妻と2人で結成、昨年はリトアニアの国際演劇祭にも参加した。作曲家、ピアニスト、アコーディオニストとしても活動中。






