Hanacell
輝け、原石たち


和太鼓奏者 谷口 卓也さん

1983年 福井県生まれ
1999年 小学生の頃から所属していた太鼓チーム「天龍太鼓」の代表に就任
2003年 「英哲風雲の会」のメンバーとして、プロデビュー
2006年 東京に拠点を移し、演奏活動を本格化
2011年 渡独。欧州と日本を行き来しながら演奏活動中
太鼓に興味を持ち始めたのは3歳の頃。地元の太鼓チームを率い、めきめきと才能を開花させていく中で、03年には、日本初の和太鼓ソリストである林英哲氏率いる「英哲風雲の会」の一員としてプロデビュー。以来、日本のみならず、世界に太鼓の音を響かせようと各地で活動中。

太鼓のリズムに胸が高まり、また安らぎを感じるのは、人類共通の反応と言える。なぜなら、その音は「生まれる前に聞いた母親の心臓の音に似ている」から。生命の始まり、生きる喜びを感じさせる和太鼓を、高度なテクニックと表現力、スポーツ選手並みの体力を持って自在に操るのが、和太鼓ソリストの谷口卓也さん。和太鼓の魅力を世界に広めることを自らの「天命」と定める谷口さんが、ドイツに渡ったきっかけは、1 人のドイツ人ジャズピアニストと育んできた「友情」にあった。

その人とは、ウォルター・ラング氏。音楽活動の中で数々の賞を受賞し、世界的に著名なアーティストと共演するなど、ジャズピアニストとして成功を収めている人物だ。その彼が日本にツアーに来た際に、「君は成長したね。ドイツに呼びたいよ」と、ドイツでの共演を約束。2 人が日本で出会って、6 年目のことだった。

「世界に出たい」と、チャンスをうかがっていた谷口さんの背中を、ぽんっと押すようなラング氏の誘いに、谷口さんの決意はすぐに固まった。こうして、ドイツに来た谷口さんを待ち受けていたのは、予想以上の反響と、和太鼓や日本文化に対する純粋な関心や敬意。日本では、大衆音楽としての歴史が長く、芸術としての和太鼓の歴史はまだ半世紀にも満たないと言う。その意味において、日本の聴衆が和太鼓の芸術性になかなか馴染めない一方で、外国では素直に演奏を楽しんでもらえる。「ドイツでは、和太鼓に興味を持ち、自力で太鼓を作って叩いている人までいるんですよ。彼らに本物の和太鼓を伝えたい。本物の音を」。ドイツで生まれた和太鼓奏者の情熱に応え、「ここから新しい和太鼓の文化を生み出せるかも」と語る。

ドイツでは、ジャズやクラシック、オペラなど様々な西洋の音楽文化と和太鼓を融合させる試みを続けている。歌うように太鼓を叩く「歌心」を大切に、太鼓打ちとしての生き様を舞台で魅せる。

(編集部:高橋 萌)


ラング氏と日本で「友情」コンサート



様々な種類の和太鼓と谷口さん



ラング氏、フラメンコダンサーのエスティ・バリツと共に

Information
谷口さんとラング氏の2人は現在、アルバム「友情」を引っさげて、ドイツ各地で共演中。また、ドイツで出会った2人の太鼓奏者と共に「Drumaturgia」としても活動している。

11月24日(木)20:00 「友情」Jazz trifft auf Taiko Kulturforum, Große Halle
Würzburger Straße 2 , 90762 Fürth
www.kulturforum.fuerth.de

11月25日(金)、26日(土) TAIKO LIVE ELECTRIC SHOW
25日 Discothek Agostea

Runde Straße 6, 30161 Hannover
26日 Discothek Nachtschicht
Carl-Zeiss-Straße 1b, 38644 Goslar
www.drumaturgia.de

谷口さんのブログ: http://ameblo.jp/takuyataniguchi/

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 13:55
 

大気化学者 白岩 学さん

1983年 新潟県新潟市生まれ
2006年3月 東京大学理学部化学科卒業
2008年3月 東京大学大学院理学系研究科・地球惑星科学修士課程首席卒業
2008年9月~ マックス・プランク化学研究所(マインツ)生物地球科学専攻
2011年8月 理学博士号を取得
文部科学省・長期海外留学制度の奨学生として渡独。今年3月、化学分野の先端研究を紹介する英国の学術誌「Nature Chemistry」に博士論文(一部)が掲載された。現在、マックス・プランク研究所のポスドク研究員。

世界トップクラスの科学者たちが、最先端の研究を行うマックス・プランク研究所。科学の権威を象徴するこの場所から今夏、1人の日本人博士が誕生した。花粉や車の排気ガスなどから出る有害な粒子が、大気中でオゾンや二酸化窒素と化学反応を起こし、アレルギー性や発がん性が高まるメカニズムを同研究所などと共同で解明した白岩学さんだ。昨今、社会的な関心が極めて高いアレルギー、花粉症が悪化するメカニズムの一端が解明されたとあって、各国のマスコミはこぞってこの成果を取り上げた。

小学生の頃、水、ごみ、エネルギーなど環境問題を解説するドラえもんの漫画を読み、オゾン層の問題に特に関心を抱いた。「フロンガスによってオゾン層が壊されるってどういうこと?」。目に見えない空気中で何かとても不思議なことが起きているという感覚が、白岩さんの好奇心を掻き立てた。加えて、生物学者である父親の下、科学や研究というものをごく自然に受け入れられる環境にも恵まれ、幼くして「大気化学者」になるという決意は固まった。

博士号は、その頃描いた夢を着実に形にしてきた証拠。大気化学研究で先端を行くドイツに渡り、世界に唯一無二の高度な設備が整うスイスの研究所にも度々通いながら、実験やモデル計算をこなしてきた。粒子とオゾンや二酸化窒素の反応速度・メカニズムを特殊な測定器で測るのは、実に地道で根気の要る作業。測定器が壊れることもあれば、失敗も幾度となく繰り返す。それでも、予想外の興味深い結果を見たときには思わず叫んだという。たとえ小さなことでも「自分が人類史上最初に発見した」という喜びは白岩さんにとって、研究者として何物にも代えがたい醍醐味なのだ。

自身の得た知が、大気汚染による気候変動や健康被害などの問題解決の糸口になればという願いを胸に、目指すは大気化学研究をリードできるような「超一流の科学者」。模範となる学者たちを間近に見てきたドイツでの研究生活に来年3月で区切りを付け、米国に渡る。

(編集部:林 康子)


マックス・プランク研究所の実験室にて。
分析機器の前で、実験サンプルを持って



2009年、ヨーロッパ・エアロゾル学会にて行った研究発表で
「ベスト・ポスター賞」受賞



大気環境化学の分野で博士号を最優等の
“Summa cum laude”で取得。審査員の先生たちと

Information

家族でイチゴ狩り。充実した研究生活も、
家族の支えがあってこそ
マインツのマックス・プランク化学研究所は、在籍する研究員・学生およそ200人のうち、半数がドイツ以外の国籍を持つ外国人というインターナショナルな研究機関。白岩さんはここで研究をしながら、休日は家族とライン川沿いを散歩したり、地元のサッカーチーム「マインツ05」の試合を観戦したりと、ドイツ生活を満喫しているそうだ。

・マックス・プランク研究所のホームページ
www.mpic.de

・白岩さんの研究情報
http://saturn.mpic.de/~shiraiwa/index_J.html

・白岩さんが博士論文で発表した研究成果
www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/19.html
www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/03.html

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 13:54
 

アーティスト こだま こずえさん

1979年 広島県生まれ
2003年 広島市立大学油絵科卒業
2007年 広島市の橋脚に16メートルの巨大壁画を完成
2008年 壁画をロケ地に短編映画『plum essence』監督、出演
2009・10年 しこちゅードリームライブにてライブペイント(2011年10月8・9日も山崎まさよし等と共に出演決定)
2011年 渡独、デュッセルドルフを拠点に活動中
NHK教育『さわやか3組』の先生役などの女優業、画家、映像作家として幅広く活動中。2009年「スイパスズイラプサ」はNHKデジタルスタジアムでベストセレクションに、世界卓球CMコンペでは「卓子ちゃんの休日」がグランプリに選ばれた。

「出会いなくして絵は生まれない」、と言うこだまこずえさんは、画家兼、女優兼、映像作家というマルチなアーティスト。こう表現すると大風呂敷を広げたような印象を受けるが、活動の源にあるのはいたってシンプルな想い。「人と人を繋げ、新しいものを生み出す喜びを伝えたい」、これに尽きる。

そんな彼女の想いを表現する活動の1つが、ライブペイント。まっさらなキャンバスを前に、その日の出会いのすべてを凝縮する作業。イベント会場に流れる音楽、人々の声、場の雰囲気を筆先に乗せて、即興で絵が生まれる。不思議なのは、かなり大雑把に引かれたいくつもの線が、重なり合って徐々にその姿を現していくこと。「パズルみたいな感じ」で、イメージを当てはめていくと世界が浮き上がってくるらしい。「無駄なものってないと思うんです」という言葉に、彼女の生きる姿勢が垣間見えた。

「映画を作ろうと思って油絵を始めた」と、画家になった経緯を振り返る。「?」マークを頭上に散りばめる私に、「ダリの『アンダルシアの犬』(1929)が衝撃的で」と補足。小さな頃から芸術の虜だった彼女が、格別に興味を持った映画の世界。前述のダリの短編映画を観た高校生の時、油絵作家が作ったその映像の世界に魅了され、自分の世界観を深めるためと絵の道を選ぶ。とはいえ、美大に入った後も絵は描かずに映画三昧。卒業後、女優の道を歩きつつもチャンスを得て開いた個展で、自分の色を一番出しやすい「絵」を通した表現を見直し、活動の比重をシフト。自分の作品を求めてくれる人の依頼を丁寧に受けながら、壁画の制作やライブペインティングを続けていると、映画の世界がこだまさんを呼んだ。映画『今日という日が最後なら』(2008)に絵が採用されたのだ。すると、塚本晋也監督からも声が掛かり『悪夢探偵2』(2008)に参加・・・・・・。めぐりめぐって、絵と映画の世界が結び付いた。

「最近やっと、こだまこずえは色々やってるアーティストと認知されてきたんです」。浮き彫りとなった自身の世界観を、ドイツでの出会いを糧にさらに磨いていく。

(編集部:高橋 萌)


大切な思い出の場所「新己斐橋下壁画」(広島市)



着物でライブペインティングをするこだまさん



東日本大震災後に行ったライブペインティング(シュトゥットガルト)



カフェLiaisonの階段に描いた壁画(東京都渋谷区)

Information
「ハードルを低く」が絵を描く際のモットーと言うこだまさん。使用するのは5色のみというスタイルにもそれが表れているが、それもこれも「絵を楽しむこと」を最優先にしているから。そんな彼女と一緒に絵を楽しみたいという依頼は、下記の連絡先へ。
(カッコ内は、こだまさんのコメント)

・絵、壁画、ライブペイント
「最近では、お引っ越しパーティーでのライブペイント、結婚式のウェルカムボードなどの注文をいただきました。大切な日の思い出、家族の記念に。予算に応じてご提案しますので、お気軽にご相談ください」

・絵画教室・ワークショップ
「子どもと一緒に参加しませんか? 固定概念に縛られずに自由な発想で絵を描き、子どもと一緒の目線で新しい発見を」

お問い合わせ: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください

ライブペイント他、最新の活動予定は下記Webサイトをチェック。
www.ko-zue.comg
http://twitter.com/#!/kodamakozue

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 13:53
 

ギタリスト 西本 毅さん

1970年 福岡県福岡市生まれ
1970~78年 米ニューヨーク居住
1994年 英文学を学ぶため再渡独。
その1年後、音楽専攻に転向
2001年9月 南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校
クラシック・ギター科・作曲科卒業
2005年 渡独。ベルリンで音楽活動を開始
1998年、世界的に有名なDJ、音楽プロデューサーのジョン・テハダ氏と出会い、セッションを行うようになる。やがて2人は「I'm Not A Gun」というプロジェクトを組んで楽曲製作を開始。それを発表しているベルリンのレーベルにEメールで当地に興味があると伝えたところ、直ちに渡独が決まった。

「才能に恵まれたミュージシャン」という月並みな言葉では表現できない何かをこの人物は持っている。音楽の神様に見出された人なのではないか? そう思わせるほど、ギタリスト、西本毅さんの半生は絶妙な運ときっかけに満ちている。

14歳のとき、友人宅で見かけたアコースティックギターを触ってみた。それが事の始まり。その後、知人に誘われ、ベーシストとして地元福岡のバンドに加わった。80年代半ば当時、日本はバンドブームの最盛期。ヴェルヴェッツやジミヘン、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどの洋楽を夢中で聴き、自分なりに好きな音楽を追求していった。

一方で、1950~60年代のビートニクスに憧れる文学青年でもあった西本さん。自作の詩で弾き語りにも挑戦しつつ、文学作家を目指して幼少時代を過ごした米国に再び渡った。だが、そこでも音楽の申し子に新たなチャンスが到来。友人の紹介で音楽奨学金のオーディションを受け、見事合格した。「音楽の方が上手く行きそう」と思ったのは天性の直観か、そのまま大学で本格的に音楽を学び始める。

音楽を感性だけでなく、理論的にも捉えられるようになった頃、偶然入ったインド料理屋でインドの古典楽器、シタール、そして後にサロードと出会った。その郷愁に満ちた深遠な響きを持つ弦楽器を自らも弾いてみたいと、演奏家のラフール・サキャプトラ氏やラジーフ・タラナス氏に師事。演奏方法だけでなく、音楽の奥深さや哲学も学んだ。例えば、インド音楽には即興の要素が多く、単に譜面を見ながら弾くだけでは音楽を「得られない」ということ。音楽を深く理解する人同士がそれを言語のように操り、コミュニケーションを図る。そんな演奏をしたいと、西本さんは言う。

目下、芸術への理解と尊敬の念が深い欧州の空気を肌で感じながらベルリンを拠点に活動中。良き出会いとチャンスに支えられながら磨かれてきた音楽という原石は今、聴き手の心に染みる作品を生み出し続けたいという願いとなって、西本さんの意欲を突き動かしている。

(編集部:林 康子)


音楽プロジェクト「I'm Not A Gun」を組むジョン・テハダ氏と



2007年3月、東京渋谷のライブハウス
「Duo Music Exchange」にて



2001年9月、米ロサンゼルスにて、シタールの師匠
ラフール・サキャプトラ氏とコンサートの準備

Information
公演活動のほか、アート作品に添える音楽や映画のサウンドトラックも手掛けるなど、ドイツに来て活動の幅を着実に広げている西本さん。「皆がそれぞれ自分の好きな音楽を探している」ところが気に入っているというこの地から、今後もオリジナル曲を発信していく。

7月20日(水) 20:00
映画プロジェクト・プレミア上映

Farwanderer / Vostok, Faretheewell
※西本さんがサントラ、脚本、出演を担当
場所:Arsenal - Institut für Film und Videokunst e.V., Kino 2
Potsdamer Str.2, 10785 Berlin
TEL: 030-26955100
www.arsenal-berlin.de

8月27日(土) 19:00
「Lange Nacht der Museen」枠内でのコンサート

場所:森鴎外記念館 Mori-Ogai-Gedenkstätte
Luisenstr.39, 10117 Berlin
TEL: 030-2826097
www2.hu-berlin.de/japanologie/mog

西本さんのHP: www.takeshinishimoto.com

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 13:52
 

会議通訳者を目指す学生 宇野 将史さん

1978年 大阪府箕面市生まれ
2001年9月 早稲田大学商学部卒業
2004年3月 早稲田大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻
修士課程修了
2005年9月 渡独。ボン大学に交換留学生として在籍
2009年10月~ ハイデルベルク大学会議通訳修士課程在籍
ボン大学在籍中にヘルマン・ヘッセの『インドから』の翻訳を手掛ける。その後、エアフルト、ギーセンでドイツ語・ドイツ文学を学び、ギーセン大学在籍中にドイツ語大ディプロム(GDS)取得。現在、日→独、独→日、英→日と3言語対応の会議通訳者を目指して修行中。

東日本大震災をめぐるドイツ世論、メディアの報道が概して悲観的な方向に傾く中、経済誌Wirtschaftswocheの編集長が同誌3月21日号に「親愛なる日本の皆様へ」と題して載せたコメントを日本語に訳してブログに公開したところ、それを目にした読者から大反響を呼び、「励まされた」との感想が数多く寄せられた。訳者は、宇野将史さん。

彼の翻訳なしに、このコメントに共鳴できた日本人が、どれほどいただろう。人は互いに言葉を介して未知の世界へ入り、心を通わせる。宇野さんは、いわばその橋渡し役だ。

幼少期からのクラシック音楽好きが高じて、大学でドイツ文学と音楽の関係について研究、ドイツ語の勉強にも没頭した。文学研究を続ける目的で渡独し、ヘルマン・ヘッセ作品の翻訳などもしながら4年程経った頃、ハイデルベルク大学に日独通訳の修士課程が新設されるという情報を入手。翻訳より瞬発的な語学力が必要とされる通訳の分野で、それまでに培った自身のドイツ語力を試すべく、入学を決めた。

だが、そこでは盾にしていた語学力への自信と要求されるスキルの差を思い知ることに。まず、会議通訳者の養成課程とあって、扱うテーマは政治や経済など専門性が高い。そこに、話される内容を瞬時に理解し、聞き手に主旨が伝わるよう分かりやすく簡潔にまとめて発言するという、通訳の核心となる技術が加わる。さらには声の出し方や身の振り方など、プレゼンテーション能力も鍛えなければならない。

現在は、文学の研究とは180度異なる実践トレーニングに追われる日々。前途は多難だが、通訳を務めることで様々な分野の専門知識に触れ、「知らなかった世界をのぞき見る楽しみ」を感じている。「通訳はあくまで受け身で、2者間の黒子に徹する立場という通念に捉われず、日独の両言語を媒体に、幅広い分野で得た知見を両国の交流のきっかけ作りに役立てたい」と語る宇野さん。自己分析によれば、彼は「ゲーテのファウストのような『知識欲の権化』が、現代によみがえった姿」なのだそうだ。

(編集部:林 康子)


ドイツの企業を視察に訪れた日本企業のために、逐次通訳



ドイツ語から日本語への同時通訳の授業風景



同時通訳用のコンソール。
大学には、通訳用のブースがある会議場兼教室が3つある

Information

ヘッセン州北部メルズンゲンの市庁舎

宇野さんのブログ
「ドイツ木組みの家街道」
http://fachwerk.exblog.jp
ドイツの文学作品の中に出てくる土地と実際の場所との関連を追及したいとの思いから、宇野さんはドイツ文学所縁の地や古き良き時代の姿を現世にとどめる田舎町を訪ねている。その記録を歴史的な背景の解説・写真付きで発信しているブログは、「知られざるドイツの顔」をのぞかせてくれる宝箱だ。

※ブログ内に、Wirtschaftswoche誌のRoland Tichy編集長によるコメントの翻訳も掲載。

通訳・翻訳に関するお問い合わせ(日独英対応)
massafumiuno [at] yahoo.de

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 13:49
 

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