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Mon, 15 December 2025

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英国の国民的チョコレート Cadbury キャドバリー 2024年で創業200周年

2024年で創業200周年
英国の国民的チョコレート
Cadbury キャドバリー

紫色のパッケージでおなじみのチョコレート、キャドバリー(Cadbury)が今年で創業200周年を迎えた。過去のある調査で「英国の路上で見つかる3大ゴミ」にウォーカーズのチップスの袋、コカ・コーラの空き缶と並び、キャドバリーの包み紙が選ばれたこともあるほど、国民に親しまれているキャドバリー。今回はその長い歴史の中から特に気になるエピソードと200周年記念の商品について紹介しよう
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.cadbury.co.ukwww.mondelezinternational.comほか

始まりは富裕層向けの食料品店

キャドバリーは、1824年に英中部バーミンガムでカカオや飲料用のチョコレートを販売する食料品店として始まった。創業者ジョン・キャドバリーが自らすり鉢とすりこぎを使ってカカオを砕いていたためにコストがかかり、初期は富裕層向けと販売していたが、長い年月をかけて高級品だったチョコレートを一般層に広めた。これまで業績の浮き沈みや国際的製菓会社による買収などさまざまな困難に直面してきたものの、生産に関しては淡々と新商品を発表し続けるタフさを発揮し、現在は米製菓会社の子会社として30カ国以上で販売している。イースター・エッグ(1875年)、デアリ・ミルク(1905年)、フレーク(1920年)、ロージィーズ(1938年)など、現在も販売されている主力商品は100年近く前に発売されたというから驚きだ。

1890年のココアの広告1890年のココアの広告

従業員が生活するモデル村を建設

創業者ジョンより事業を受け継いだ息子リチャードとジョージの兄弟は、1879年にバーミンガムから約6キロ離れた場所へ工場を移転させ、このエリアをボーンビル(Bournville)と名付けた。移転は工場の拡大が主な理由だったが、何もない田園地帯に鉄道駅建設計画が持ち上がっていたこと、また運河に近いことから、水路や鉄道を使って大量に輸送される材料のより効率の良い入手ルートになると踏んでの決断だった。1893年、ジョージはさらに工場付近の土地を購入し、地区内で全てが完結するモデル村を計画。1900年代には従業員が無料で利用できるテニス・コートやプール、サッカー・グラウンドなどさまざまなスポーツ施設が建設され、キャドバリーは従業員を家族のように大切に扱った。現在は誰もが居住できるエリアとなっているが、「とにかく生活しやすい」ということで非常に人気らしい。

現在のボーンビルの街並み現在のボーンビルの街並み

観光名所までオープン

キャドバリーのチョコレートがさまざまな世代の手に取られるようになり、知名度が上がるにつれ、工場見学の需要も高まっていた。しかし、1980年代の工場はフル稼働でチョコレートを生産しており、日々増加していく訪問者の対応は困難を極めた。そこで工場見学の代わりとしてキャドバリーのチョコレートを作る過程を紹介するなど、キャドバリーの歴史やチョコレートについて学べる施設「キャドバリー・ワールド」を1990年にボーンビルにオープン。キャドバリー独自のレシピを使ったメニューで提供されるアフタヌーン・ティー(平日限定)はぜひ試してみたい。

現在のボーンビルの街並みテンパリングなどチョコレートのワークショップもある

ロアルド・ダールの作品にも影響を与えた

チョコレートが出てくる物語といえば、英小説家ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」(Charlie and the Chocolate Factory)を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。貧しい環境下で生活する少年チャーリーが当たりクジのチョコレートを引き当て、近隣の巨大なチョコレート工場に招待され工場を見学する……という物語だが、キャドバリーのチョコレートがこの物語にちょっぴり貢献しているそう。

ダールは1930〜34年、英中部ダービーシャーの寄宿学校レプトン・スクールで学んでいた。当時、キャドバリーは新商品のサンプルを生徒たちに配布し、商品への反応を評価してもらっており、このテスティングに参加した大勢のうちの1人がダールだった。亡くなったときにチョコレートも一緒に埋葬されるなど、ダールが生涯にわたってチョコレートを愛したきっかけの一つがキャドバリーだといわれている。

200周年限定版のチョコレート

創業200周年を記念し、過去のパッケージ7種を採用したデアリ・ミルク(180g)が現在販売されている。デアリ・ミルクは牛乳をたっぷり使用した甘いチョコレートで、キャドバリーの主力商品の一つ。1番古いデザインは1915年のもので、金色のレトロなパッケージがかわいらしい。同商品が発売されて100年以上の歴史が感じられてついつい集めたくなってしまう。英国全土のスーパーマーケットで購入可能だが、7種同時に集められるかは運次第。大型店舗で探すのが効率の良い方法だ。

キャドバリー限定パッケージ写真奥から手前にかけてが限定パッケージの7種。大きく「200」と書かれた360gのデアリ・ミルクも限定販売されているがあまり見掛けないので見つけられたらラッキーだ!


 

設立200年 ナショナル・ギャラリーの歴史をひもとく

設立200年
ナショナル・ギャラリーの
歴史をひもとく

ナショナル・ギャラリー

13~20世紀に描かれた欧州の絵画が2300点以上所蔵されているナショナル・ギャラリーは、英国を代表する美術館の一つ。市民に開かれた文化施設であることを目指し、200年前の設立時から入場無料をモットーに運営されてきた。多くの美術館が海外から有名絵画を借りた有料の企画展を開催するなか、ナショナル・ギャラリーはどこへ向かうのか。同館の過去・現在・未来を紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.nationalgallery.org.uk、www.britishcouncil.jp ほか

National Galleryとは

1824年にロンドンのトラファルガー広場に絵画専門の美術館としてオープン。セザンヌ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、モネ、ラファエロ、レンブラント、ターナーなど、現在は13世紀半ばから20世紀までの西欧絵画2300点以上を所蔵しているが、開館当初の展示作品数は38点に過ぎなかった。設立の始まりが王室や貴族の所蔵コレクションではなく、美術愛好家や企業家などからの寄付が中心だったことは、欧州の美術館のなかでも珍しいとされる。

「ナショナル」の名は付くが完全な国営ではなく、国からの出資は60パーセントほど。登録適用除外チャリティー(Exempt Charity) の一つで、デジタル・文化・メディア・スポーツ省の非政府部門公共機構( Non-Departmental Public Body)として運営されている。同館のコレクションは特別な企画展をのぞいて入館無料。2024年は設立200年を記念し、5月から1年にわたりさまざまなイベントが開催予定だ。

過去・現在・未来

ナショナル・ギャラリー誕生までの紆余曲折、そしてそれを経ての充実したコレクションの数々を紹介。また、同館が模索するこれからの美術館の在り方も伝える。

I. 誕生のきっかけ

18世紀後半、革命や戦争などが原因で欧州各地で王室や貴族の美術コレクションが流出し、国有化される動きが相次いだ。その結果、一般市民がそうした貴重なコレクションを目にする恩恵を享受できるようになった。例えば、バイエルン王室のコレクションは独ミュンヘンの美術館、アルテ・ピナコテークに所蔵され、伊フィレンツェではメディチ家のコレクションがウフィツィ美術館に。そしてルーブル美術館が旧フランス王室のコレクションから設立されるなどだ。

しかし、王室や貴族が安定した力を維持していた英国では、幸か不幸かほかの欧州諸国と異なり、英国王室のコレクションは国王の所有物のまま。政府は何とか自国でも美術館を設立し、芸術をもっと身近に国民に浸透させ、将来の英国芸術の発展につなげることはできないかと模索し、ナショナル・ギャラリーの設立を企画する。

1824年のナショナル・ギャラリー1824年、パル・マル100番地に誕生した当時のナショナル・ギャラリー

II. 話し合いばかりでらちの明かない日々

1777年、政府はある英国貴族が放出した貴重なコレクションの購入を議会で検討。しかし、高額な購入費用や議会の意見がまとまらないなどの理由でその機会を逸したのを皮切りに、ロンドンに持ち込まれた仏オルレアン公の絵画150点、ポーランドの独立廃止によって流出したポーランド国王のコレクション(トリビア②参照)も次々と見送るなど、計画は遅々として進まない。業を煮やした一部の貴族や美術鑑定家たちは1805年に英国美術促進協会(British Institute)を設立し、この状況に対処しようとした。

会員たちはロンドン中心部にパル・マル・ピクチャー・ギャラリー(Pall Mall Picture Gallery)を作って展覧会に自分たちのコレクションを貸し出し、当時活躍した芸術家の作品の販売展示会と交互に開催。ただしこの協会は、実践的な芸術家ではなく貴族の愛好家のみを会員として認めていたことから、その保守的な傾向のため奨励し支援するはずだった芸術家との軋轢を招いたという。このギャラリーはナショナル・ギャラリーとは別の道を進み、1867年まで存続した。

狭苦しいナショナル・ギャラリーの様子1857年の風刺雑誌「パンチ」に描かれた、絵画の修復や展示場所の清掃で混乱を極める狭苦しいナショナル・ギャラリーの様子

lll. ついにコレクションを購入

1823年、死去したばかりの銀行家で美術後援家だったジョン・ジュリアス・アンガースタイン(John Julius Angerstein)の美術コレクションが市場に出回っていた。コレクションにはラファエロやウィリアム・ホガースの「当世風結婚」(Marriage A la Mode)シリーズなど、38点の貴重な絵画が含まれていた。後にナショナル・ギャラリーの設立メンバーの1人となる美術愛好家の貴族ジョージ・ボーモント(George Beaumont)は、政府がそのコレクションを購入することと、展示のための適切な建物を見つけるという2つの条件を満たすなら、自分の持つ16点の絵画をナショナル・ギャラリーに寄贈すると発表。ちょうどオーストリアからの予期せぬ戦時債務の返済もあり、政府はついに重い腰を上げアンガースタインのコレクションを5万7000ポンド(現在の日本円で約6億3000万円相当)で購入した。

こうしてナショナル・ギャラリーは1824年5月10日、パル・マル100番地にあったアンガースタインの旧邸内に開館した。7月には理事会も設立。その後も数々の紆余曲折と試行錯誤を重ねながら何年にもわたってコレクションを増やし、今あるナショナル・ギャラリーの姿まで到達することなる。

セバスティアーノ・デル・ピオンボの「ラザロの復活」最初にナショナル・ギャラリーの所蔵作品になり、
「NG1」の所蔵番号を持つセバスティアーノ・デル・ピオンボの
「ラザロの復活」(1517~19年)

IV. 代表的なコレクションの数々

「岩窟の聖母」 レオナルド・ダ・ヴィンチThe Virgin of the Rocks / Leonardo da Vinci

「岩窟の聖母」レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci, The Virgin with the Infant Saint John the Baptist adoring the Christ Child accompanied by an Angel ('The Virgin of the Rocks'), about 1491/2-9 and 1506-8
Oil on poplar, thinned and cradled, 189.5 x 120 cm, © The National Gallery, London

盛期ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチによる作品。ダ・ヴィンチは異なる2種類のバージョンを描いており、もう1枚はパリのルーヴル美術館が所蔵している。伊ミラノの聖フランチェスコ・グランデ教会内礼拝堂の祭壇画として1483~86年ごろに制作された。以前はダ・ヴィンチの弟子が描いた箇所がある程度存在すると考えられていたが、ナショナル・ギャラリーが実施した修復作業の過程で、ほとんどの箇所がダ・ヴィンチの手によるものであることが分かった。1880年にナショナル・ギャラリーが購入した。

「アルノルフィーニ夫妻像」ヤン・ファン・エイク Arnolfini Portrait / Jan van Eyck

「アルノルフィーニ夫妻像」ヤン・ファン・エイクJan van Eyck, Portrait of Giovanni(?)
Arnolfini and his Wife (The Arnolfini Portrait) 1434,
Oil on oak, 82.2 x 60 cm, © The National Gallery, London

15世紀フランドルの代表的な画家、ヤン・ファン・エイクが1434年に制作した細密画。裕福なイタリアの商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニ夫妻を描いたとされるが、背景の壁面中央には「ヤン・ファン・エイクここにあり」と銘があり、さらにその下の丸い凸面鏡にはファン・エイクの自画像と思われる人物が小さく映りこんでいる。新設されて間もないナショナル・ギャラリーが1842年に600ポンド(現在の日本円で約690万円)で購入したといわれる。現在も当時の額縁のまま展示されている。

「大使たち」ハンス・ホルバイン(子) The Ambassadors / Hans Holbein the Younger

「大使たち」ハンス・ホルバイン(子)Hans Holbein the Younger,
Jean de Dinteville and Georges de Selve ('The Ambassadors') 1533,
Oil on oak, 207 x 209.5 cm, © The National Gallery, London

1533年、ドイツ出身のホルバインがヘンリー8世の命を受けて制作。ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴという2人のフランス大使の肖像画で、緻密に描き込まれた天文学や数学、音楽の道具は2人の学識の広さを示す。また、壊れた楽器や地球儀は、宗教界の不和や現世のむなしさを象徴するともいわれる。この年ヘンリー8世はアン・ブーリンと再婚し教皇との関係が悪化。大使たちは宗教改革を穏便に済ませるようヘンリー8世の説得に訪れていた。しかし翌34年、国王はイングランド国教会の首長となり、カトリック教会から分離した。

「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年」J・M・W・ターナー The Fighting Temeraire, tugged to her last berth to be broken up, 1838 J.M.W.Turner

戦艦テメレール号Joseph Mallord William Turner,
The Fighting Temeraire tugged to her last berth to be broken up,
1838 1839, Oil on canvas, 90.7 x 121.6 cm, © The National Gallery, London

1805年のトラファルガーの戦いで活躍した帆船の一つ「テメレール」号が、引退後にヴィクトリア女王の即位を祝う祝砲を打ち、解体のために黒い蒸気船にテムズ川を曳航されている様子を描いた作品。移ろいゆく時代や新しい産業の始まり、ひいては老いていく自身などを象徴し、J・M・W・ターナーがどんなに大金を積まれても手放さなかったお気に入りの1作でもある。ターナーは自分の作品を国に遺贈することを決めており、死後の1856年に本作をはじめとした多くの作品がナショナル・ギャラリーに収蔵。97年にテート・ブリテンが設立されたときにほとんどのターナー作品が移動するも、この作品はナショナル・ギャラリーに残された。2020年から新20ポンド札が発行されているが、ターナーの肖像画と共に本作品も描かれている。

V. 館内について

現在トラファルガー広場に面した入り口は、正面階段を上がるポーティコ・エントランス(Portico Entrance)と、右側にあるバリアフリーのゲッティ・エントランス(Getty Entrance)の2カ所。ポーティコ・エントランスは46室を数えるメイン・ギャラリーに直結しており、ゲッティ・エントランスを入ると、カフェやレストラン、ギフト・ショップがあり、左奥へ進むとセインズベリー・ウィングに展示していた初期ルネサンスの作品の数々を観ることができる。セインズベリー・ウィングはスーパーマーケット・チェーンを持つ富豪兄弟からの寄付で1985年に増設された部分だが、現在はナショナル・ギャラリーの設立200周年に合わせた大規模な改装の真っ最中だ。完成のあかつきには、毎年600万人といわれる訪問者を受け入れる広々としたエントランスや、学習センターがお目見えするという。

VI. これからのナショナル・ギャラリー

2023年に行われたシンポジウムで、ナショナル・ギャラリーの館長ガブリエレ・フィナルディ氏(Gabriele Finaldi)は、「ナショナル・ギャラリーは『ナショナル』と名前に付くものの、『国家』ではなく、そこにいる『人々』を意味する。人々に開かれた美術館なのだから、国民一人ひとりが美術館に対して所有意識を持ってほしい」と語った。

同館では約4400万ポンド(約80億円)の年間予算のうち政府負担は60パーセントほど。あとは企画展などの入場料収入や協賛金収入で賄われている。パンデミック前は入場者の70パーセントが観光客で、いまだに入場者数は完全に戻っていないという。そこで、むしろ地元の観客に無料のコレクション展示に複数回通ってもらうことで、未来の観客育成につなげる、という方向にかじをきった。200年前に開館した当時の「芸術をもっと身近に国民に浸透させ、将来の英国芸術の発展につなげたい」という原点に回帰したともいえる。今回、「National Treasures」の名で同館のコレクションを巡回展示させる(トリビア⑥参照)のも、学習センターの創設も、国全体へ向けたサービスを意識したものだろう。これからの変化に期待したい。

National Galleryにまつわるトリビア

1. 現在の建物は3カ所目

1824年にパル・マル100番地で開館したナショナル・ギャラリーには多くの入場者が足を運んだ。しかし国を代表する美術館としては規模が小さすぎるという声があった上、地盤沈下が原因で10年後の34年に105番地に移転した。しかしこの場所も道路施設の施工のため立ち退きが前提であり、32年には現在の場所であるトラファルガー広場に建設が始まった。元王室の厩舎跡地だったが、ロンドン東部から徒歩でやってくる貧しい人々、ロンドン西部から馬車でくる裕福な人々、その双方に便利な場所はと配慮して選ばれたという。政府には、誰もが優れた芸術に接することができるようにという考えがもともとの根底にあった。

2. ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー

スイス系の英国人画家で画商でもあったフランシス・ブルジョワ(Francis Bourgeois)は、行き場のなくなったポーランド国王のコレクション購入を英国政府に打診して断られた。膨大な絵画コレクションが手元に残ったブルジョワは、後にロンドン南部にある母校ダリッジ・カレッジにコレクションを遺贈。また、近くに絵画を収容するための恒久的な建物を建設する費用も遺した。やがて著名建築家ジョン・ソーン(John Soane)によって完成したのがダリッジ・ピクチャー・ギャラリー(Dulwich Picture Gallery)だ。同ギャラリーは英国で最初の公立美術館として、ナショナル・ギャラリーよりも早い1814年に開館した。

3. サフラジェットの被害に

19世紀後半に盛り上がった女性参政権運動では、長い間自分たちを抑圧してきた制度に怒りの矛先を向けた人々もいた。抗議活動に暴力が加わり、多くの放火や破壊行為が発生。ナショナル・ギャラリーでも1914年にヴェラスケスの「鏡のヴィーナス」(Venus at her Mirror)が、肉切り包丁を持ちこんだサフラジェット、メアリー・リチャードソンに切りつけられ被害を受けた。この作品は時を経て2023年にも、環境運動団体「ストップ・ザ・オイル」に保護ガラスを割られている。

鏡のヴィーナスNG2057, Diego Velázquez
The Toilet of Venus ('The Rokeby Venus') 1647-51,
(c) National Gallery, London

4. 第二次世界大戦中の避難

第二次世界大戦中にドイツ軍からの激しい空襲を受けたロンドン。ナショナル・ギャラリーの所蔵品をどう守るかで政府は頭を悩ませた。安全な同盟国カナダに運んではという案が出たが、当時の首相ウィンストン・チャーチルは貴重な作品を海外に出すことを拒み、ウェールズへ運べと指示。かくして所蔵品は1941~45年の間ウェールズの鉱山に保管されることになった。しかし毎月1枚だけロンドンに作品を持ち込んで展示する「今月の1枚」という試みで、戦中の市民たちを鼓舞したという。

5. 主な所蔵アーティスト

13~15世紀
ドウッチオ、ウッチェロ、ファン・エイク、リッピ、マンテーニャ、ボッティチェリ、デューラー、メムリンク、ベリーニ

16世紀
ダ・ヴィンチ、クラナッハ、ミケランジェロ、ラファエロ、ホルバイン、ブリューゲル、ブロンズィーノ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ

17世紀
カラヴァッジオ、ルーベンス、プッサン、ファン・ダイク、ヴェラスケス、クロード、レンブラント、カイプ、フェルメール

18~20世紀
カナレット、ゴヤ、ターナー、コンスタブル、アングル、ドガ、セザンヌ、モネ、ファン・ゴッホ

6. NG200とは

設立200年を記念したプロジェクト。5月10日当日にはイベント「Big Birthday Weekend」が開催され(予約チケットはすでに満席)、ライブ・ミュージックやDJを楽しみながら作品鑑賞ができる。また、特別巡回エキシビション「National Treasure」も開催。これは同館所蔵の人気作品12点を英国各地の美術館に貸し出し、国内の人々が等しく名画を楽しめるようにするもの。コンスタブル、モネ、ターナーなどの絵画がそれぞれブリストル、ニューカッスル、ヨークなどを巡回。「ナショナル」の名に恥じないイベントになりそうだ。

 

時代区分から知る:シェイクスピアが生きたエリザベス朝時代の英国

時代区分から知る シェイクスピアが生きた エリザベス朝時代の英国

エリザベス朝と聞いてどんなイメージを持たれるだろうか。欧州でいえばルネサンス後期に当たり、各国は中世から近代へ移行していた時期である。英国は、バラ戦争やカトリックとプロテスタントの争いという内戦が続き、欧州の中では文化的にも対外的にも遅れを取っており、1等国とは言い難い地位にあった。エリザベス1世が君主となったのは、そんな英国が国家統一を目指してまい進した時期に当たる。また、英国が誇る劇作家ウィリアム・シェイクスピアが活躍したのはまさにこの時代に他ならない。今回の特集では、シェイクスピアが生きたエリザベス朝時代の英国が、どんな社会だったのかを眺めてみよう。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.elizabethan-era.org.ukwww.rsc.org.uk/shakespeares-life-and-timeshttps://kent-uk.com、「イギリス社会史 1」トレヴェリアン著みすず書房、「イギリス社会史 1580-1680」キース・ライトソン著 ちくま学芸文庫ほか

シェイクスピアとチェンバレン卿一座の舞台を観劇するエリザベス1世シェイクスピアとチェンバレン卿一座の舞台を観劇するエリザベス1世(左)

エリザベス朝時代とは

エリザベス1世

エリザベス朝時代(1558~1603年)はチューダー朝*の中で特にエリザベス1世に統治された時代をさし、波乱万丈なチューダー朝最後の44年にあたる。エリザベス1世の治世は短いものの、対外的には無敵といわれたスペイン艦隊を駆逐したほか、激化していたプロテスタントとカトリックの対立を鎮めるため国教会を確立し、不安定だった国の情勢を緩和。文化的、経済的繁栄をもたらし、後年に「イングランドの黄金時代」と称えられた時期である。数多くの劇場が作られ、貴族から労働階級まで貴賤の区別なく市民たちが演劇を楽しむ文化も花開いた。

* チューダー朝は1485年から1603年まで続いた王朝の名で、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世が君主となった

英国の時代区分 *「Stewart」はスコットランドのつづりだが、フランス宮廷で育ったメアリー・スチュアート(Mary, Queen of Scots)がフランス風に「Stuart」とつづったため、以後この表記が定着

年表で見るエリザベス朝時代

1558 1月13日にエリザベス1世が即位。国王至上法を発布
1560 スコットランド、フランスとの和議を締結
1564 4月23日にウィリアム・シェイクスピアが誕生
1577 元海賊のフランシス・ドレイクがマゼランに続き史上2人目の世界1周を達成(80年帰国)
1583 カナダのニュー・ファンド・ランドを英最初の北米植民地に指定
1585–1604 スペイン戦争
1587 スコットランド女王メアリーが処刑
1588 アルマダの海戦で英国が勝利
1593 黒死病の流行でロンドンの劇場が閉鎖
1595 シェイクスピアが「ロミオとジュリエット」「真夏の世の夢」を執筆
1596 シェイクスピアが「ヴェニスの商人」を執筆
1598 シェイクスピア「空騒ぎ」を執筆
1599 ロンドンのバンクサイドにグローブ座が設立、シェイクスピアが「ジュリアス・シーザー」「お気に召すまま」を執筆
1600 東インド会社が設立。シェイクスピアが「ハムレット」を執筆
1601 改定を重ねた救貧法が成立
1603 12月17日、エリザベス1世が死去。生涯独身で世継ぎがいないため、チューダー朝が終焉を迎え、ヘンリー7世の孫にあたるジェームズ1世が即位

エリザベス朝時代という44年

約45年続いたエリザベス朝時代を、政治、文化、建築、ファッション、食という五つの側面から光を当てる。

政治

エリザベス1世はヘンリー8世と2番目の妻アン・ブーリンの娘で、弟のエドワード6世と姉メアリー1世の死後、1558年にわずか25歳で女王に即位した。ヘンリー8世がイングランド国教会をカトリック教会から分離させたのをきっかけに、その後20年の間に国教は3度も変わり、国内に緊張と分裂を引き起こしていた。エリザベス1世は王位に就いたとき、公式の宗教を改めてイングランド国教会に定め、その首長としての役割を担った。だがこれまでのようにカトリックを排斥するのではなく、一部カトリックの伝統的儀式を行うことを許すなど、中庸を取ることで解決の道を探った。

エリザベス1世王族しか装着できないイタチ科のオコジョの毛皮をまとったエリザベス1世。
オコジョの白い冬毛は「純潔」を表した。
エリザベス1世は国の安定のため誰とも結婚せず、「処女王」と呼び名が付いた。
女王のような赤毛と白塗りの化粧は当時流行した

またエリザベス1世は絶対君主制の確立のため、父の政策を踏襲し国王至上法*を発令。ウィリアム・セシル(William Cecil)をはじめとする有能な顧問団の力を借り、強力な中央集権政権を築き上げることに成功した。対外的には、アルマダの海戦(Battle ofArmada、1588年)でスペインの無敵艦隊を破り、海洋国スペインの衰退のきっかけを作ったとされる。なお、エリザベス1世に戦いを挑んだスペイン王フェリペ2世は女王の義理の兄にあたり、敬虔なカトリックの同王はプロテスタントの義妹エリザベス1世を異端者とみなしていた。また、スペインが植民地から自国に物資を移送する途中でイングランドの海賊船に何度も襲われていたことも、両国の関係を悪化させる原因になっていた。

一方国内では、補助金支給や外国人技術者の移住奨励を含むさまざまな産業支援が行われたほか、1562年に職人法**(Statute of Artificers 1562)と救貧法(Statute of Artificers 1562)も成立した。この救貧法は教会ではなく国による初の救貧制度であり、近代社会福祉制度の出発点といわれている。

* 1534年にヘンリー8世により発布された法令。国王をローマ教会から独立したイングランド国教会の「唯一最高の首長」と規定した法首長令。59年にエリザベス1世が2度目の国王至上法を発布し、「唯一最高の首長」を「唯一最高の統治者」に変更した

** 12~60歳の男子の雇用と7年間の年季奉公を義務付け、理由の無い解雇・辞職を認めないほか、失業者を強制的に農業へ従事させる

文化

エリザベス朝時代は、古代ローマ時代以来というほどに演劇が盛んになったが、これは1572年に発令された放浪者法(1572 Vagabonds Act)がきっかけだった。それまでは旅回りの役者たちが中世から続く宗教劇や道徳劇などを演じていたが、ライセンスを持たずパトロンのいない役者たちはこの法律で放浪者のレッテルを貼られて排除された。その結果、貴族のお抱え役者の一座たちが、エリザベス朝時代の演劇界を担う専門の劇団となっていった。宮廷で開催される仮面劇なども当初は廷臣やアマチュアの役者によって上演されていたがプロの劇団に取って代わり、数々の劇団が数や質においても大きく成長していくことになった。

スワン座のスケッチスワン座で行われている公演の様子が描かれた1596年のスケッチ。
当時の劇場はほぼ円形で、これは古代ローマ時代の円形競技場の名残だという

また、仮の芝居小屋ではなく公設の劇場が相次いで設立されたことも大きい。1576年にロンドン東部ショーディッチに作られたシアター座を皮切りに、77年のカーテン座(後述)、ローズ座(87年)、スワン座(95年)、屋外部分がなく世界初の人工照明のみの劇場ブラックフライアーズ座(96年)、フォーチュン座(1600年)、レッド・ブル座(03年)などがロンドンに次々と誕生。都市に演劇文化が根付いていった。階級を問わず市民たちも観劇を楽しみ、喜劇や悲劇、宗教をモチーフにしたものから社会風刺を効かせたものまで新しい作品も次々生まれた。1592年ごろにロンドンの演劇の世界へと進出したウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)は俳優として活躍する一方で、劇作家としても頭角を現し、グローブ座(後述)を中心に活躍。シェイクスピア以外にもクリストファー・マーロウ、ジョン・ウェブスターといった劇作家たちが次々に作品を発表した。それはソネットや詩のジャンルにも影響を与え、後の英文学の大きな柱となった。

建築・インテリア

ルネサンスが本格的に英国で展開した時期でもあり、エリザベス様式の建築物は、チューダー様式の流れをくみながらもルネサンス様式の影響を受けているといわれている。王族や貴族は住居を富の象徴として、館に多くの財を投じるようになっていった時代であり、凝った華やかな装飾も見られ始めた。そのなかでもエリザベス様式の代表的建築物として、英中部ダービーシャーにあるマナー・ハウス、ハードウィック・ホール(Hardwick Hall)が挙げられる。当時非常に貴重だったガラスを大きくふんだんに使った見事な建築で、現在はナショナル・トラストよって管理されている。建築を担当したのはロバート・スマイソン(Robert Smython)。スマイソンの作品はこのほかにも英北部ノッティンガムのウォラトン・ホール(Wollaton Hall)がある。これも大量のガラスを使用したマナー・ハウスで、現在はノッティンガム自然史博物館としてその姿を今に留めているが、長い回廊、暖炉周りの華やかな装飾などが当時の特徴として挙げられる。

シュールズベリー伯爵夫人所有のハードウィック・ホールエリザベス1世に次ぐ権力と資産を持つ女性として知られた
シュールズベリー伯爵夫人所有のハードウィック・ホール。
映画「ハリーポッターと死の秘宝」ではマルフォイの館として使われた

また、ロンドンのシティにある法曹院ミドル・テンプルの食堂、ミドル・テンプル・ホール(Middle Temple Hall)は1570年代初頭に完成し、ほとんどが当時のままの状態で残っている。ミドル・テンプルは法曹教育のほかに社交場としての機能を併せ持っていたことから、ミドル・テンプル・ホールは劇場として使用されることも多くなり、1602年には同ホールでシェイクスピアの喜劇「十二夜」が初演された。エリザベス1世は寵臣を連れ、たびたびこのホールで食事をしたといい、女王が与えた長さ約9メートルのテーブルも残っている。それはウィンザーの森から切り出された1本のオークの木から作られているという。当時はオーク材の家具が多く、天板の下に備えられた天板を引き出して拡張させることのできるドロー・リーフ・テーブル(Draw Leaf Table)が流行した。また、その足には草花や果実などの見事な彫刻が掘られた。

ファッション

エリザベス朝時代の服装は当時の法律(Sumptuary Clothing Laws)によって厳密に決められていた。富に関係なく、その階級によってスタイルや素材、そして色までが細かく分かれており、その枠から逸脱することは罪とされた。罰則は罰金、財産の喪失、称号の剥奪、最悪の場合は死罪になることすらあった。ランクや階級が高いほど、着ることができる服、素材、スタイル、色の選択肢が増え、服装から地位や階級が一目瞭然だった。

エリザベス朝時代のダブレットシェイクスピア劇でおなじみのコスチュームの数々は、エリザベス朝時代の人々の服装

例えば、衣服の生地や素材に関しては、王族のみがオコジョの毛皮の着用を許可されており、ほかの貴族はキツネとカワウソしか許されていなかった。色に関した制限は、紫は女王とその直系の家族のみが着用。一方、下層階級が許されたのは茶色、ベージュ、黄色、オレンジ、緑、灰色、青で、生地は綿、麻、シープ・スキンのみだった。シェイクスピア劇もこの法則に基づいて衣装が決められているので、劇場でシェイクスピア作品を観る際に、念頭に入れておくとより楽しめるはずだ。

また、中世に高さのあるフリルの襟として始まったラッフ(Ruff)と呼ばれる装飾は、エリザベス朝時代にますます大きく誇張され、女性の頭の後ろで持ち上げられる後光のような形になった。男性も着用したが高貴な女性ほどラッフは大きく、今ではペットが傷口をなめないように付ける円錐形の保護具にそっくりなところから、エリザベス・カラーと呼ばれるほどである。一方、高貴な男性はダブレット(Doublet)と呼ばれる上半身にぴったり密着した上着を着用していたが、エリザベス1世の仕立て屋ウォルター・フィッシュ(Walter Fish)が、1575年に女王のために黄色のサテン地に銀のレースで飾られたダブレットを作成した。ダブレットは「男性に適した服装の一種」との批判も出たが、1580年代以降、女性向けの上着としても流行した。

エリザベス朝時代のダブレットダブレットの腹部には当初パッドが詰められていたが、次第に細くスマートな形に

エリザベス朝時代の食事は多くの国民にとって単純なものだった。しかし貴族たちは、フランス人をはじめとした欧州の優秀な料理人を雇っていたので変化に富んだ食事を採っていたという。牛肉、羊肉、子牛肉、子羊肉、子ヤギ肉、豚肉、ウサギ肉、子熊肉、イノシシ肉など、季節に応じた肉を何種類かと、それに加えてさまざまな魚や野鳥がテーブルに並んだ。現代のように1日に3回食事をしており、朝食は午前6~7時、昼食は午前12~2時、そして夕食は午後6~7時にコンサートから余興まで、さまざまな形式のエンターテイメントと共に提供される祝宴になった。また、植民地などを通して入手できるようになっていた高価な香辛料や砂糖を使うことが富の象徴だったことから、貴族たちは辛いものや甘いものを好んだ。一方で野菜は軽んじられ、地面に生えるものは下層階級の食べ物という認識があったという。また、パイやタルトが登場したのもこの時代だった。

エリザベス朝時代の食事風景貴族たちは地面で生育する野菜を下等なものと見なし、ブドウやザクロなど樹木に育つ果物を愛した

これに対し下層階級の人々はまだまだ中世と同様の暮らしをしており、家には煙突もなかった。煮炊きは村の共同オーブンで行われていたという。それでも一般的な人々が日々食べていた食事は、1日に少なくとも270グラムのパン、1パイントのビール、1パイントのオートミール、そして130グラムの肉。これにいくつかの乳製品が補足され、野菜はスープの重要な材料だった。また、飲料に適する水がなかったことから、エールやサイダーなどのアルコールが多く摂取された。蜂蜜を使ったミード(Mead)という飲料はどの階級の国民からも愛されていた。

グラスに入ったミード(Mead)ミードは今でも欧州で飲まれている

今も名を知られている
エリザベス朝時代に創業した主な会社

  • Griffin Hotel [ホテル、1560年]
  • Martins Bank [銀行、1563年]
  • Peal and Company Limited [靴、1565年]
  • Company of Mineral and Battery
  • Works [炭鉱、1565年]
  • Whitechapel Bell Foundry [鐘、1570年]
  • East India Company [貿易、1600年]
  • Tissimans [服飾、1601年]

2025年にオープン予定エリザベス朝時代の劇場が疑似体験できる
Museum of Shakespeare

エリザベス朝時代にロンドン東部ショーディッチで多くの作品を上演したカーテン座。現在その跡地周辺がシェイクスピア博物館として生まれ変わる。当初は2024年春のオープンが予定されていたが、工事が長びいているため2025年まで待つ必要がありそうだ。

カーテン座の正確な場所は長年分からなかったが、2012年にMOLA(ロンドン考古学博物館)の考古学者たちが劇場の跡を発見し、翌13年には開発計画が提出された。計画によると、没入型体験もできる最新テクノロジーを駆使したシェイクスピア博物館になる予定で、エリザベス朝時代の劇場に足を踏み入れたような体験ができるとのこと。また、250席の屋外観客席や公園もあるほか、今回発見された遺跡もガラスで覆われ見学できるようになる。

カーテン座跡地とシェイクスピア像ロミオとジュリエットのグラフィティが描かれたカーテン座跡地(写真左)。
斜め前にはシェイクスピアも鎮座し、周囲の開発を見守る(同右)

なお、発掘調査によるとカーテン座は22×25メートルの長方形であり、当時劇場の形としてよくあった円形や多角形ではなかった。そのため既存の構造物を改造したものである可能性が高いという。また、入場料を集めるための陶器製の貯金箱や舞台の小道具の可能性がある鳥笛、ガラス製ビーズやピン、飲み物の容器、粘土製のパイプなども次々と出土。19年8月にカーテン座の遺跡と地下の堆積物が指定史跡に指定された。博物館オープンの際にはこうした出土品も併せて見ることができるので、お楽しみに。

Museum of Shakespeare


 

ロンドンを走るオーバーグラウンド6路線の名称が決定

OVERGROUND ロンドンを走るオーバーグラウンド
6路線の名称が決定

オーバーグラウンドの電車

オーバーグラウンドはロンドン市内と近郊を走る鉄道。鉄道事業改革案の一環としてロンドン交通局に移管され、2007年から地下鉄と並びロンドン市民の足となってきた。地下鉄と比較すると行き先が分かりづらいと長らくいわれていたオーバーグラウンドが、今年の秋に名前を変える。既存の各路線にはロンドンの文化や歴史を象徴する名称が付けられ、市民にとってより覚えやすくなじみ深いものになるはずだ。

MAP

The Lioness Line
ライオネス線 Watford Junction ~ Euston駅

ロンドン北西部ワトフォード・ジャンクションからユーストンを結ぶライオネス線は、スポーツの殿堂ウェンブリー・スタジアムのあるウェンブリーの中心部をまっすぐに貫いている。この路線はイングランドの女子サッカー代表チームの愛称、ライオネスから取られた。

2022年のサッカーの欧州大会「UEFA女子ユーロ2022」決勝で、イングランドがドイツを延長戦の末に2対1で下し、ライオネスは主要国際大会で初優勝を飾った。この日ウェンブリー・スタジアムに詰めかけた観衆は8万7192人で、男女を通じて欧州サッカー連盟(UEFA)主催大会の史上最多記録となったという。また、その1年後のFIFA女子ワールドカップでも決勝進出。ライオネスの快進撃は何百万人ものファンを魅了し、この後230万人もの少女や女性たちが新たにスポーツを始めるきっかけともなった。チームが運動好きの多くの女性たちにインスピレーションと力を与えたことから、そのレガシーが引き継がれるよう、ライオネス線と名付けられた。

The Weaver Line
ウィーヴァー線 Liverpool Street ~ Enfield Town/Cheshunt/Chingford駅

「織る人」を意味するウィーヴァーの名が付いたこの路線は、リヴァプール・ストリート、ベスナル・グリーン、そしてハックニー周辺のロンドン東部を通る。この地域は昔から繊維産業で知られ、時代ごとの移民によって発展してきた。

17世紀フランスのプロテスタント教徒、ユグノー派の移民から始まり、次の世紀にはリネン貿易の崩壊後に仕事を探していたアイルランドの機織り職人たちが加わった。そして19世紀末および第二次世界大戦中、反ユダヤ主義が吹き荒れる東欧から逃れたユダヤ人がこの地域へ移住。ロンドンの衣料品産業を活性化させた。やがて1960年代までには、安価な住宅とアパレル産業への職を求めてバングラデシュ人の移民が増加。こうした歴史を経て、イーストエンド周辺は今やファッションとグルメで人気の地となった。

またこの路線は工芸デザイナー、ウィリアム・モリスの本拠地であるウォルサムストーまで延びている。モリスの夢は、全ての人がアートにアクセスできる世界にすることだった。

The Mildmay Line
マイルドメイ線 Richmond/Clapham Junction ~ Stratford駅

この路線名は、ロンドン東部にある小さいながらも重要なNHSの慈善病院、マイルドメイを記念している。病に苦しむロンドン市民を支援し長い歴史を持つマイルドメイは、ロンドン北部セント・ジュード教会のウィリアム・ペネ牧師とその妻キャサリンによって1860年代に組織された。

コレラの大流行時にイーストエンドの貧困層に医療を提供する施設だったマイルドメイは、時代を経て1980~90年代にHIVおよびエイズ関連疾患を持つ人々の治療に特化した欧州初の病院として生まれ変わった。故ダイアナ妃は生前17回も同病院を慰問し、同妃の訪問がマスコミに報道されたことで、国民のHIVやAIDSに対する偏見が和らいだといわれている。

現在マイルドメイはHIV患者のための国際的なリハビリ・センターに発展したが、昔と変わらぬ献身的なサービスを提供し続けている。ここはLGBTQ+ コミュニティーにとって大切な場所であり、心の支えでもある。単なる線路を超えて、受容、愛、帰属の旅を象徴していると同病院の責任者は語っている。

The Liberty Line
リバティー線 Romford ~ Upminster駅

リバティー線は、ロンドン北東部ヘイヴァリング(Havering)のラムフォードからアップミンスターまで走る路線。ロンドンという都市の特徴でもある「自由」をその名に冠されている。これはヘイヴァリングがほかの区とは異なり、王室の行政区(リバティー)だった歴史を持っていることに加え、同地のコミュニティーが今もそれを誇りに思い、当時と変わらぬ独立精神を保ち続けていることからくる。

かつてエドワード4世は1465年の憲章でヘイヴァリングの居住者に特別な自治の権利を与え、その制度は400年以上も続いた。同地には独自の法廷が設けられたという歴史もある。またこの路線は、2022年に開通したエリザベス線と接続しロンドンのほかの地域と結ばれており、住民は公共交通機関が提供する自由と独立性を今まで以上に享受できるようになった。この路線名には、ロンドンのあらゆるものを探索する自由があるという意味も含まれているのだろう。利便性が良くなったことで新たにヘイヴァリングへ移り住む人々も増加。現在では初めて住宅を購入する人にお勧めの地域に挙がっている。

The Suffragette Line
サフラジェット線 Gospel Oak〜Barking Riverside駅

ロンドン北西部からロンドン東部へ向かうこの路線は、今から約100年ほど前に参政権の獲得を目指して運動を繰り広げた女性たち「サフラジェット」の名を冠されている。当時のロンドン東部の労働者階級コミュニティーが、女性の権利獲得のために戦ったことを記念して付けられた。この路線の終点バーキング・リバーサイド駅は、当時を知る最後のサフラジェットで、1995年に103歳で死去したアニー・ハゲット(Annie Huggett)の故郷でもある。

ハゲットは同地のキング・エドワード・ロードにある自宅で、女性社会政治連合(WSPU)の創設者であり、参政権運動の主要人物でもあるエメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst)にお茶を提供したこともあったといわれている。また、バーキング・ブロードウェイのパブで労働組合員やサフラジェットたちのための集会を企画。女性たちが過去、現在、そして将来にわたって社会に大きな影響を与えるための礎を築いた。そんなハゲットをはじめとしたサフラジェットたちの思いを留めて走るのがサフラジェット線だ。

The Windrush Line
ウィンドラッシュ線 Highbury & Islington ~ New Cross/Clapham Junction/Crystal Palace/West Croydon駅

ウィンドラッシュ線は、ダルストン・ジャンクション、ペッカム・ライ、ウェスト・クロイドンなど、西インド諸島のカリブ海地域から移住してきた人々と強いつながりを持つ地域を通る。これは1948年6月にカリブ海から英国に到着した大型船ウィンドラッシュ号が、第二次世界大戦直後の英国における建設、医療、運輸などの産業再建を支援するために移住した人々を運び、そうした初期の移民たちを「ウィンドラッシュ世代」と呼ぶことに由来する。

当初は人種差別を受けたウィンドラッシュ世代だが、このコミュニティーこそが、スカ、レゲエ、ジャズ、ブルースなどで当時のロンドンの音楽シーンを豊かにし、ヒップホップ、ラップ、グライムなどの最近のジャンルにも影響を与えた。現在、人々が楽しむ活気に満ちたマルチカルチャーなロンドンの形成に重要な役割を果たしたといえる。ウィンドラッシュ線は、ウィンドラッシュ世代だけではなく、文化や社会を豊かにし続ける「移民」の重要性を称賛している。

 

英国の街中に晒されている謎彫刻を追え!

あれは一体何なのか!? 英国の街中に晒されている
謎彫刻を追え!

英国の街を歩いていると至るところで遭遇する彫像たち。歴史的に重要な人物やモニュメントであることは明らかなのだが、次第に気にならなくなり、やがては日常風景にすっかり溶け込んでしまうような存在だ。近年はデモの一環として像が引き倒されたり、いたずらされたりと、災難に巻き込まれている像を目にする機会も増えてきている。今回は、街中にある彫刻や銅像、モニュメントの印象的なエピソードをまとめてみた。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.bbc.co.ukhttps://artuk.org ほか

街中で見られる彫像のあれこれ

英国の彫像や彫刻について知る導入として、絵画や彫刻、芸術作品などをデジタル化し、一般公開する英文化教育慈善団体ArtUKが2022年に1万3792点から分析したデータを参考に、興味深いネタをまとめてみた。

最も彫像化されている人物はヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王バッキンガム宮殿前のヴィクトリア記念碑の石像

英国で最も彫像化されている人物はヴィクトリア女王。英国と英連邦諸国を統治していた1837〜1901年は「ヴィクトリア朝」と呼ばれ、産業革命により経済が著しく発展した時期だ。国民に愛された女王の彫像や記念碑は数なくとも国内で175点が確認されており、たいていは後年のふくよかで威厳ある姿をモデルにしているが、若いときのほっそりとした彫像もある。

英国各地に点在する像のほとんどが1890〜1900年代に作られ、2019年までに45体がイングランドにおける国家遺産リスト(National Heritage List for England)に登録されているが、リスト化されていない像も相当数あるようだ。また、カナダやオーストラリア、エジプト、マレーシアなど、連邦諸国にも設置されており、英国を代表する「スター像」の1人だ。

これまでに作られた人物像男性の割合が77.5パーセント

ネルソン提督の像、メアリー・アニングの像写真左: トラファルガー・スクエアにあるネルソン提督の像 / 写真右: メアリー・アニングの像

女性の権利向上についての国内各地の取り組みがニュースに取り沙汰されて久しいが、特定の人物を銅像、彫像として作っていた時代はまだまだ男性優位の社会であった。そのため、現在確認されている2600点以上の特定の人物像の77.5パーセントは男性、17パーセントが女性で、男女混合は5.5パーセント、有色人種は2パーセント以下だそう。うち王室関連の人物が全体の15パーセントを占めている。王室以外では100人以上の将軍、50人以上の提督が彫像化されており、ナポレオン戦争で活躍した英海軍のホレーショ・ネルソン提督は12体が確認されている。

近年になって、女性像を増やす草の根活動が広まっており、化石採集家としてヴィクトリア朝時代に生き、後の古生物学に影響を与えたメアリー・アニング(Mary Anning、1799〜1847年)の像が、アニングが生まれて223年後の2022年5月に建てられた。「大きな目的を持って生きた姿」を強調するため、アニングが大股で歩く様子が表現されているという。

女性像よりも多い動物の像

バタシーの犬の像4年あまりしか見ることのできなかったオリジナルのバタシーの犬の像

ロンドンで女性像よりも多く作られたのが動物の像だ。現在確認されているだけで、鳥、猫、犬、馬、ライオン、亀、リス、スッポンなどの像が建てられている。英国で動物愛護の精神はすでに20世紀初頭には目に見える形で発展していた。それを裏付ける出来事の一つが、1903~10年に犬の生体解剖をめぐり社会問題となったブラウン・ドック事件(Brown Dog Affair)だ。これは、ロンドン大学で解剖された茶色のテリアに、適切な麻酔が施されたか否かをめぐり、スウェーデンの動物愛護運動家たちが担当医師に対し訴訟を起こした事件。後に解剖された犬たちの慰霊碑が06年に英南部バタシーに立てられたが、10年に撤去されるまでこの像めぐる紛争が絶えなかった。

85年、犬だけでなく動物実験に対する反意を象徴するものとして、新しい記念碑がバタシー公園に建てられた。

何かと注目を浴びる英国らしい!? 銅像

ニュースに取り上げられたり、インスタ映え(?)で注目されたりと、良くも悪くも話題の尽きない像がある。そこには像への偏愛はもちろん、メインストリームの歴史に対し少なからず憎しみを感じている人が一定数いることを表している。

いつもカラーコーンをかぶっている グラスゴーの初代ウェリントン公爵の騎馬像

グラスゴーの初代ウェリントン公爵の騎馬像

ナポレオン戦争を勝利に導いた指揮官の一人で、首相を2度務めた初代ウェリントン公爵像(1769〜1852年)の像。スコットランド、グラスゴーの王立取引所の前にあり、イタリアの芸術家カルロ・マロケッティ(Carlo Marochetti)によって1844年に作られた。この銅像は、1980年代ごろから何者かによって頭にカラーコーンがかぶせられ、以来40年あまり、このおかしな伝統が続いている。像の保護の観点から、これまで市議会と警察がカラーコーンを撤去し、地元住民にも止めるよう呼び掛けてきたものの、撤去しても数日後には新しいものがかぶせられるという、取り留めのない攻防戦を今日まで続けてきた。カラーコーンはオレンジと白のノーマルなもの、英国が欧州を離脱した2020年1月31日には欧州旗である紺色に星模様がついたもの、ウクライナがロシアに侵攻された22年にはウクライナの国旗を模したものなど、社会の流れに応じてさまざまなものがかぶせられている。「匿名の誰かによる介入」というアーティスティックな点が、正体不明のアーティスト、バンクシーにもインスピレーションを与えているらしい。

Equestrian statue of the Duke of Wellington
16 Royal Exchange Square, Glasgow G1 3AG

引きずり倒されアートに転じた エドワード・コールストン像

エドワード・コールストン像

2021年に米国ミネアポリスの路上で、アフリカ系米国人のジョージ・フロイドさんが死亡した事件をめぐり、世界的に「ブラック・ライブズ・マター」の活動が活発化した。英西部ブリストルでも、17世紀に奴隷商人として富を築いた同地出身のエドワード・コールストンの像が、この活動の余波で市民たちの手により台座から引きずり下ろされ、乱暴にペイントされ、ブリストル港から海に投げ込まれた。この事件により広く注目を浴びることとなったものの、1895年に建てられたこの銅像は20世紀末にはすでにその存在をめぐる論争の的であり、1990年代には銅像の撤去を求める運動が活発化していた。引きずり下ろされたコールストンの銅像は後に同地の博物館Mシェッドにて横たえられた状態で期間限定で展示され、現在は同館で定期的に開催される無料のツアーでのみ見ることができる。

Statue of Edward Colston
M Shed, Princes Wharf, Wapping Road, Bristol BS1 4RN
www.bristolmuseums.org.uk/m-shed/whats-on/behind-the-scenes-tours

盗まれた像は一体どこへ? スティーブ・オヴェット像

スティーブ・オヴェット像

英南東部ブライトン出身の陸上競技選手で、1980年モスクワ・オリンピック男子800メートルの金メダリスト、スティーブ・オヴェット(Steve Ovett、1955年〜)の像。2012年のロンドン・オリンピックを記念し、地元ランナーを勇気付けるように走る姿が海沿いの道路に建てられた。実はこれは2代目で、等身大の初代の銅像は元々市内のプレストン・パークにあった。しかし、07年に無慈悲にも右足首だけを残して何者かによって切断され、体の大部分が盗まれてしまった。目撃者もなく、監視カメラの映像にも何も映っていなかったことから、迷宮入りの事件となっている。

Steve Ovett Statue
299 Madeira Drive, Brighton BN2 1EN

一生家に帰れない男 タクシー!

一生家に帰れない男 タクシー!

ロンドン中心部のブラックフライアーズ駅近く、瀟洒な建物が並ぶ小道に突如現れるスーツ姿の男性像。これは1983年に米アーティスト、ジョン・スワード・ジョンソン2世によって作られた銅像で、米ニューヨークで披露された当時は青と赤のネクタイをしたポップな見た目だった。2014年に現在の場所に移動され、雨風に長年晒された結果、現在は渋い男性に変貌。しかし何の間違いか自転車専用レーンに面して設置されてしまい、家に帰ることができない像として知られている。Google mapのストリート・ビューで見ると、人物と認識され顔にモザイク加工がされているのもネタの一つだ。

Taxi!
1 John Carpenter Street, London EC4Y 0JP

外せない記念写真のスポット ロンドン中心部にある彫像

広場などを中心に、至るところに歴史上の重要な人物や英国の文化を担う像や記念碑が設置されている。特に外国から多くの観光客が訪れるロンドン中心部には、日本人にもなじみのある人物やキャラクターの像が点在している。

バッキンガム宮殿の金ピカ像 ヴィクトリア記念碑

ヴィクトリア記念碑

ロンドン中心地、バッキンガム宮殿前にあるヴィクトリア女王の記念碑で、彫刻家トーマス・ブロックによって作られた珠玉の作品。1911年に公開となったが、完成は24年。記念碑はペンテリック大理石で作られており、頂点には古代ローマで勝利を神格化した青銅製の金色の女性像「勝利の翼」が輝き、コンパスを持つ忠誠とこんぼうを持つ勇気を擬人化した2人の像が立つ。

Victoria Memorial
London SW1A 1AA

存在感が半端ない ウィンストン・チャーチル像

ウィンストン・チャーチル

国会議事堂横のパーラメント・スクエアに立つ、約7メートルの存在感あるウィンストン・チャーチル元首相の像。この像は第二次世界大戦中の1941年、爆撃を受けた議場を視察する様子を撮影した写真に基づいて作られた。制作の過程で「額がムッソリーニ* に似ている」と指摘が入り、完成前に顔の造作が大幅に変更されたという。
*イタリアのファシスト指導者で英国の敵だった

Statue of Sir Winston Churchill
Parliament Square, London SW1P 3JX

意匠を凝らした装飾芸術 アルバート記念碑

アルバート記念碑

1872年に建てられた、ケンジントン・ガーデンズ内のロイヤル・アルバート・ホール北側にあるヴィクトリア女王の夫アルバート公の記念碑。ゴシック・リバイバル様式の華やかなシボリウム* の中にアルバート公の像が鎮座し、完成までに10年を要した。こちらの像も何度か制作され、3度目にして納得のいく出来栄えになったそう。
*教会特有の建築様式で祭壇を覆う天蓋のこと

Albert Memorial
Kensington Gardens, London W2 2UH

もたれる姿が妖艶…… ウィリアム・シェイクスピア像

ウィリアム・シェイクスピア像

ウェストミンスター寺院内にあるウィリアム・シェイクスピアの記念碑をモデルに作られ、1874年に完成した大理石の像。レスター・スクエアの中心部にあり、シェイクスピアが触れている巻物には「十二夜」より「暗闇とはすなわち無知のこと」(THERE IS NO DARKNESS BUT IGNORANCE)の一節が。頬づえを付き、佇む様子はほかの彫像とは一味違った雰囲気だ。

Statue of William Shakespeare
Leicester Square, London WC2H 7DE

意味深なメッセージが込められた マハトマ・ガンジー像

マハトマ・ガンジー像

国会議事堂横のパーラメント・スクエアにインドとの友好的な関係を願って2015年に設置された像。インドの政治指導者ガンジーはロンドン大学に留学した経歴を持つ。ガンジーの「(自分は)人民の民である」という生前の思想を反映し、台座は意図的に低く設定。インドに対し差別的見解を持っていたチャーチル元首相の像の近くに設置されたことは、大きな意味を持っている。

Statue of Mahatma Gandhi
Parliament Square, London SW1P 3JX

談話の名手に溺愛された猫 猫のホッジ像

猫のホッジ像

18世紀の文学者サミュエル・ジョンソンの旧宅、ジョンソンズ・ハウスの前のゴフ・スクエアにある猫の彫像。ジョンソンは数匹の猫を飼っていたが、この黒猫のホッジはジョンソン自らがカキを毎日市場に買いに行き、与えていたほどかわいがられていた。ジョンソンが完成させた英語辞典の上にはカキの殻が彫られており、時折訪問者が残したコインが入っていることもある。

Hodge The Cat Statue
2 Gough Square, London EC4A 3DE

公共エリアに裸の像!? エロスの像

エロスの像

地下鉄ピカデリー・サーカス駅前にある噴水。通称「エロスの像」と呼ばれるこのシャフツベリー記念噴水の頂部には、ギリシア神話の返愛の神アンテロースの像が。1893年に完成した際、公共スペースに裸の人物像を置くことに対し一部で物議を引き起こしたものの、市民はおおむね好意的に受け取ったという。「イブニング・スタンダード」紙のロゴはこの像が元になっている。

Shaftesbury Memorial Fountain
Piccadilly Circus, London W1J 9HS

パディントン駅の顔 くまのパディントン像

くまのパディントン像

英作家マイケル・ボンドの児童文学作品に登場するくまのキャラクター、パディントン。南米ペルーから密航者としてパディントン駅に到着した姿を元にした像だ。像はパディントン駅1番線ホームにあり、人々が足を止めて撮影してる様子がうかがえる。訪れた人がパディントンを触っていくため、鼻と帽子がちょっと剥げている。真横にはパディントンが描かれたベンチもある。

Paddington Bear Statue
19 Eastbourne Terrace, London W2 6LG

隠れた名スポット 見落としがちな場所にある像

人通りの多い場所にあってなかなか足を止めることができなかったり、反対にあまりにも目立たない場所にあったりと、名作でありながらあまり知られていない像を紹介。出掛けた際はぜひ積極的に回り道をして像を見てほしい。

批評家からは不評だが市民にはウケけている オスカー・ワイルドとの会話

オスカー・ワイルド

アイルランド出身の詩人、作家、劇作家のオスカー・ワイルドに捧げられた彫刻。1980〜90年代初頭にかけて、英映画監督のデレク・ジャーマンを含むワイルド作品のファンによって設置運動が行われ、デザインが面白いという理由で採用された石棺のような異色の作品だ。ベンチとして使っている人もおり、すっかり市民の生活に溶け込んでいる。上部にぱっと見なんだか分からない顔が付いているが、これがワイルド。笑いながら喫煙しているさまが表現されている。度々手元のタバコが盗まれることに管理者は頭を悩ませているらしい。

A Conversation with Oscar Wilde
3 Adelaide Street, London WC2N 4HZ

悪魔感の薄れた平和な ピーターパン像

ピーター・パン

英童話作家、劇作家のジェームス・マシュー・バリー著作「ピーター・パン」に登場するピーター・パンの像。バリーの自宅にある像から鋳型をとり、1912年に制作された六つの像のうちの一つがケンジントン・ガーデンズにある。高さ約4.3メートルの円錐形の像の上に少年が乗り、フルートのような楽器を吹いている姿が表現されている。バリーは同著のモデルになった少年マイケル・ルウェリン・デイヴィスを元に依頼したものの、別の少年がモデルにされ、「ピーター・パンの悪魔的な要素が全然出ていない!」とその出来栄えに肩を落としたそうだ。

Peter Pan Statue
Hyde Park Street, London W2 2UH

栄光に隠れた闇を表現 エイミー・ワインハウス

エイミー・ワインハウス

観光客で常ににぎわうロンドン北部のカムデン・タウンにある、英歌手エイミー・ワインハウスの像。ワインハウスの曲は世界を席巻し、華やかな印象の表の顔とは裏腹に、私生活では薬物乱用や精神疾患に苦しみ、2011年にアルコール中毒で27歳でこの世を去った。夭逝して3年後の14年、由縁のあったステーブルズ・マーケットに像が設置された。ハイヒールを履き、アイコニックな髪型で強い女性をイメージさせるような立ち姿だが、よく見ると表情に少し陰りがあり、ワインハウスが晩年に抱えていた生への不安をあえて表現している。

Statue of Amy Winehouse
407 Chalk Farm Road, London NW1 8AH

視線を空に向けてみよう バットマン像

バットマン像

常に多くの人で混み合うレスター・スクエアは、前を見ていないと真っすぐ歩けず空を見上げる機会が少ないエリアかもしれない。次回レスター・スクエアを訪れる際は、映画館オデオンの上をぜひ確認してみてほしい。このバットマン像はレスター・スクエアの誕生350年を記念し2020年に作られたもの。同時にくまのパディントンやチャーリー・チャップリン、ミスター・ビーンなど、映画界の大スターたちの像もお目見えとなったが、それらが手の届く路上にあるのに対し、バットマンはロンドンの街を威厳を持って見下ろし、下界と一線を画している。

Batman Statue
ODEON Luxe Leicester Square,
22-24 Leicester Square, London WC2H 7JY

像にまつわるコラム

1. 美しいお尻をめぐる壮絶な争い

2020年、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響で、英国でも美術館や博物館が一時的な閉鎖されていたころの話。英北部にあるヨーク美術館の学芸員たちが、芸術を愛する市民に対し、SNSなどオンラインを通じて月ごとのお題に合った画像を投稿するキャンペーン「#CuratorBattle」を行った。その一つのテーマが「最高のお尻博物館」。世界各国の美術館のキュレーターたちが、所蔵作品の中で美しいお尻を持つ像を撮影して投稿し競い合い、ちょっとした話題になった。人だけでなく動物のお尻など、ユーモアにあふれた作品は今もX(旧ツイッター)で#BestMuseumBumで見ることができる。

2. 新しく彫像を設置するには?

英国は美術館や博物館の常設展示を無料で鑑賞できるなど、芸術にオープンな国だ。また、街中の彫刻に比較的新しい年に制作されたプレートが付いていたりと、作品が定期的に設置されていることが分かる。こういった公共スペースにふさわしい現代彫刻の設置、管理に関しては、基本的にその地域の評議会(Council)に任されているそう。ウェストミンスターの場合、同地の公園や庭園などで、6カ月または12カ月の期間限定で展示する彫刻作品の出願を受け付けている。制作費用は自己負担の出展となるものの、展示スペースは無料で提供される。
 

英国でできる節約術 2024年版 - 家計の無駄を見直し!

これを機に家計の無駄を見直し! 英国でできる節約術 2024年版

節約術

深刻な物価高の警鐘が鳴らされて以来、約1年半が経過した。多くの専門家が、今年の英国のインフレ率は昨年の同時期に比べ緩和すると予測しているものの、物価は依然として高止まりを維持。また紅海での船舶攻撃による国際物流の混乱など世界情勢は落ち着きを見せておらず、一般家庭の家計にいつどんな影響があるか分からない状況が続いている。今回は昨年に引き続き、普段の生活で実践できる節約術を集めてみた。方法の一つひとつは微々たるものかもしれないが、「塵も積もれば山となる」の通り、長い目で見て実践してほしい。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.bbc.co.ukwww.forbes.comwww.moneysavingexpert.comwww.nationalrail.co.uk ほか

昨今のインフレ率が上昇した要因

商品とサービスの価格がどれだけ上昇しているかを推定したインフレ率は、2023年12月には前月11月の3.9パーセントから4パーセントに上昇した。これは22年12月に1ポンドだったものが1.04ポンドになったことを意味する。2021〜22年にかけて見られた10パーセント強の上昇率に比べ下降に転じているものの、インフレ率の低下=物価が下がるわけではなく、単に価格の上昇速度が「鈍化している」に過ぎないことを理解しておきたい。また、先行きは不透明で、しばらくは物価の高止まりが予想される。少しでも早く節約を意識した生活に切り替えることが自身の経済と心の安心につながるといえる。

約10年のインフレ率の変化

そもそも、なぜここ数年でインフレ率の急上昇が起こったのか一旦整理してみたい。新型コロナウイルスによるパンデミックが収束し、元の生活習慣が戻ったことで石油とガスの需要が増加。さらに、同時期に勃発し今なお続くロシアのウクライナ侵攻によってロシアから供給されていたエネルギー源が削減・停止され、ガソリンなどの道路燃料価格と家庭用光熱費がさらに引き上げられたからだ。ウクライナは、小麦やひまわり油、トウモロコシなど農産物の大規模な生産国および輸出国である。海路での輸出ルートが制限されてしまい、その一部を鉄道などの陸路に切り替えた。しかし、ウクライナの鉄道はゲージ(線路幅)がEU諸国の規格と異なるため、EU地域に入る時点で必ず別の貨物車に積み替える必要がある。従って海路輸送に比べ費用と時間が大幅にかかってしまうことから、英国のみならず世界の食料価格が上昇した。

さらに別の要因も重なった。英国で販売されているトマトの代表的な原産国の一つ、スペインでは2022年の夏から12月にかけての記録的な暑さ、その直後の急激な気温の低下により、トマトの供給量が大幅に減少。その結果、23年2月ごろに英国内のスーパーマーケットの棚からトマトがすっかり消えてしまう事態に陥った。天候不良という明白な原因があったものの、一部の関係者からは、英国のEU離脱によってEUから輸入される全ての農作物に対し、これまで免除されていた税関申告など輸入の手続きが煩雑化したことも一因だという不満の声が上がった。ちなみに、トマトの英国内生産量は、国内消費量の5分の1をカバーしているが、温室栽培が9カ月かかるのに対し、季節労働者ビザの有効期限は6カ月のみ。そのため2人の雇用が必至となり、生産者たちの管理業務のコストも上昇した。こういった数々の原因が複雑に絡み合った結果、食料とエネルギー価格の上昇となり、ここ数年のインフレ率を大幅に上昇させた。

インフレと労働者の実情

イングランド銀行は、インフレ率2パーセントを目標に、その正攻法として政策金利を上げることで借入の返済時に関係する利息を上げ、対象者の返済額を増額させている。その結果「人々が使えるお金が減って購買意欲が低下することが商品価格上昇の鈍化につながるはず」というセオリーだ。据え置きがありながらも、ここ2年あまりで計14回もの利上げがあり、2月1日には約16年ぶりの高水準である5.25パーセントに据え置き。反比例するかのようにインフレ率は2023年1月ごろから徐々に下がってきており、インフレは「正しい方向に進んでいる」(ベイリー総裁)という。しかしイングランド銀行は依然として慎重的な見方を崩していない。なお、インフレ率が大幅に下がった背景には、世界的なエネルギー価格の下落があった。  

一方で、労働者の賃金についてはどうだろう。公式統計によると、英国の雇用市場では賃金の伸びが2023年9〜11月までの間に7.3パーセントから6.6パーセントに低下。それでも現在の賃金の伸び率は、数値上ではインフレ率を上回っている。ただしこれも今後徐々に低下していくと予想されており、結果として24年後半にはイングランド銀行が利下げに踏み切る決定打の一つになる可能性が高いという。しかし、政府がかつて「大幅な賃上げはインフレの上昇につながる」という主張をしていたからか、労働組合は「実際多くの労働者が微々たる昇給しか受けておらず、それが賃金をめぐる昨今のストライキの拡大につながった」と指摘している。データ上の数値と現状には少々ギャップがあるようだ。

国際送金など利用サービスごとに使い分け デジタルバンクの賢い利用

従来の銀行より口座の開設が簡単にでき、英国に越して間もない時期でも始められるデジタルバンク。まずはその基礎的な情報と、国内の代表的な3社のサービスの特徴を簡単に紹介する。換金手数料を安く抑える、安定した利息でお金を増やす、自動で貯蓄ができるなど、従来の銀行とは異なる使い方が可能なので、うまく使いこなせば日々の節約の心強い味方となる。

デジタルバンク

英国でここまで成長した背景デジタルバンクの成り立ちと利点

「デジタル」という響きから、実態のない銀行で不安、というイメージを抱きがちかもしれない。しかし、現在のデジタルバンクはその印象を覆すようなユニークで興味深いサービスを提供している。まずは基本的な情報から紹介しよう。

デジタルバンクとは?

既存の銀行業務を全てデジタル化し、スマホのアプリから振り込みができるなど、デバイス一つで自宅にいながら取引が完結する銀行のことで、英国ではデジタルバンキング(Digital Banking)と呼ばれている。似たような名称でオンラインバンキング(Online Banking)があるが、こちらは主にメガバンク(大手銀行)などが提供するオンラインを経由したサービスを指している。

デジタルバンクは、口座開設などの手続のために銀行の支店にわざわざ出向く必要が一切ないので時間の節約になる上、その場で送金などができる手軽さからスマホの利用に慣れた世代を中心に利用されており、ここ10年余りで欧米を中心に急速に利用者が増えてきている。

英国でデジタルバンク事業が活性化したきっかけ

銀行業務のサービス全般のITへの移行は、ここ数年で一気に加速した。対面で業務を行ってきた英国のメガバンクでも、インターネットを介した金融サービスやスマートフォンのアプリの開発へ力を注ぎ、これまで実店舗でしかできなかった取引やサービスも徐々にオンラインへ移行し始めている。一方で、これに伴う大幅な人員削減、相次ぐ支店の閉鎖、カスタマー・サポートへのアクセスの複雑さなどが顕著となり、実店舗で全ての手続を行ってきた年配者層を中心に混乱を招いている。

一方、デジタルバンクは「オンラインを介する」サービスをビジネスの礎としているので、「今まであったサービスがなくなっていく」感覚はほぼ皆無といっても過言ではない。そもそもデジタルバンクが新興銀行として次々に誕生したきっかけは、リーマン・ショックを含む2007〜09年の世界金融危機だ。英国の金融市場もかなりの打撃を受けたため、これらの再発防止のために2012年金融サービス法(Financial Services Act 2012)が制定された。これは消費者の利益にかなう金融サービスを活性化させ、選択肢の増進を促すことを一つの目的としたため、さまざまなフィンテック企業が市場に参入できるようになった。

時間と費用が膨大にかかる銀行ラインセンス付与制度のために、メガバンクが市場を独占していた時代は終わりを告げ、英国の金融サービス市場はより競争率の激しい新たなフェーズに入っている。

デジタルバンクの信頼度は発展途上だが……

デジタルバンクが現在英国でどの程度普及しているかをデータで見ていこう。銀行比較サイトのコンペアバンクス(Comparebanks)が2020~23年のデータを元に調べた調査によると、下記のような結果が出た。

  • 英国人の24パーセントがデジタルバンクに口座を持っている
  • 18〜24歳の50パーセントがデジタルバンクに口座を持っている
  • 英国人の12パーセントがデジタルバンクをメインの銀行として使用
  • 回答者の23パーセントは、銀行口座を新規で開設する際にデジタルバンクを選んだ
  • Z世代の約3分の2がデジタルバンクを利用し、実店舗をもつ従来の銀行の利用は2パーセント

この統計から、特に若年層を中心に利用者が広がりつつあるものの、全体としては従来の銀行をメインの銀行として利用する人が多いことが分かる。

実際、デジタルバンクの安全性に疑問を抱き、また対面でのサービスを希望することから、デジタルバンクの口座は持ちたくないと考えている英国人が30パーセント存在する。また、調査会社YouGovの世論調査によれば、オンラインによるお金の管理を安全だと考える人は国民の74パーセントと主要国の中で最も高い数値が出たものの、デジタルバンクに信頼を寄せている人は17パーセントと低い数値となった。

以上のように、デジタルバンクは短期間で多くの顧客を獲得し順調に知名度を上げているが、誕生からわずか10年前後という年数から「信頼感に欠ける」と感じる人もまだまだ多いといえるだろう。また、現在国内には約50のデジタルバンクがあるが、中小企業向けのビジネス・ローンや不動産ローン、一般向けの住宅ローンなど、特定のニーズに対応したサービスを提供する銀行も含まれており、一部の人にしか知られていないことも留意したい。

しかし、銀行の基本的なシステムに加え、デジタルバンクならではの利用者に寄り添った独自のサービスは無視できない存在だ。自分のお金を安心して預けられるか、自分にとって良いサービスがあるか、簡単に口座を開設できるからこそ事前によく調べて、納得のもとに利用してほしい。メガバンクとデジタルバンクを併用したり、デジタルバンクの中で用途に応じて使い分けたりと、自分のお金の使い方を再確認することが節約への大きな一歩につながる。

各会社の強みをまとめた英国の主要なデジタルバンク

ここでは普通口座を開設できる主要3社のサービスのメリット、デメリットをまとめてみた。下記以外にも多様なサービスを提供しているので、開設前によく確認しよう。
※ここで紹介するサービスは、普通口座のスタンダード・プランです。

Revolut 海外旅行が多い人に最適Revolut レヴォルート www.revolut.com

Revolut レヴォルート

2015年に立ち上げられ、現在日本を含む38カ国、3500万人のユーザーが使用。スタンダード(無料)、プラス(月額3.99ポンド)、プレミアム(7.99ポンド)、メタル(14.99ポンド)、ウルトラ(45ポンド)の五つのプランがあり、グレードが上がるにつれ、取引の手数料が無料、高いキャッシュバック率、旅行遅延保証や医療保険が付くなど、金融業務を超えたサービスを提供している。

全てのプランに共通する1番の利点は、一つの口座に日本円を含む36の複数の通貨を所持できるところ。ポンドを円に換金する場合、平日なら銀行間の為替レートが適用され、それ以外の手数料はかからない。渡航前にレートの良いタイミングで事前に換金し、口座に保持できるので、頻繁に海外旅行に行く人にとっては助かる制度だ。ただ、スタンダード・プランでは手数料無料で換金できる月の上限が1000ポンドなので、計画的に換金する必要がある。

また、通常のカード番号のほかに1回きりのカード番号も付与してくれるので、オンライン・ショッピングのセキュリティーが気になる人は、この使い捨て番号を利用するのが安心だ。

不便な点は、通話でのカスタマー・サポートがウルトラ・プランでしか保証されていないこと。それ以外はヘルプ・センターを活用するか、アプリを通じてエージェントとチャットで解決することになる。また、口座へは現金で入金ができないので、給与など定期的な入金がない場合は、別の銀行口座から送金する必要がある。ATMからの引出限度は月200ポンドまたは5回までで、それ以降は手数料がかかる。

Starling Bank普通口座で利息をゲットStarling Bank スターリング銀行 www.starlingbank.com

Starling Bank スターリング銀行

2014年に元銀行員によって創業。従来の銀行で提供される金融サービスを残しつつも、「顧客にとって意味のないサービスを排除」の姿勢を取り、近年頭角を現している。

多くの銀行では、利息を得るために普通預金口座(Saving Account)を別途開設する必要があるが、同銀行では普段使いの口座(Current Account)の残高5000ポンドまでに対し、3.25パーセント(変動あり)の利息が付く。例えば、口座の残高が常に1000ポンドであるなら、月に2.72ポンド、12カ月後に32.50ポンドの利息。上限の5000ポンドなら、月に13.58ポンド、12カ月後に159.92ポンドの利息が付く計算だ。この利息は毎月支払われる。1年間口座からお金の出し入れはできない据置貯金(Fixed Saver)の口座もある(利用条件あり)。利息率は4.48パーセント(変動あり)で、こちらは2000〜100万ポンドを対象としている。

また、口座への入金は、別銀行からの入金、郵便局から現金(1年で1000ポンドまで無料、1000ポンド以上の0.7パーセントの手数料)のほか、小切手(1000ポンド未満はアプリ経由可。1000ポンド以上は郵送)にも対応。現金の引き出しの上限は1日300ポンドまでだが、それ以外の制限はないので、現金を頻繁に下ろす必要がある人には使い勝手が良い。

際立った欠点はないが、強いて挙げるならまだ発展途上であるために、住宅ローンなどの独自のサービスはなく、他社を買収して目下整備中だ。また、ユーザーがより良くお金を賢く管理できるよう、第3者の生命保険会社や住宅ローンのアドバイザー会社などと提携している。

monzo苦手な貯蓄を自動で行ってくれるmonzo モンゾー https://monzo.com

monzo モンゾー

顧客のニーズを満たす充実したサービス提供と、アプリを経由するお金の管理に重点を置いたデジタルバンク。一つの口座の中で複数の管理口座(Pot)を持つことができ、お金を適切に管理できることで知られている。ポットへはメインの口座から分配する形で、最大20ポットまで設定が可能。ポットごとの目標額の自由な設定はもちろん、貯蓄の推移はグラフで視覚化してくれるのも好ポイントだ。

また、給料が入ったと同時に自動で振り分けをしてくれる給与管理機能(Salary Sorter)や、5.70ポンドの支払いを6ポンドで払い、30ペンスを貯蓄する切り上げ機能(Roundups)など、無理のない貯蓄を実現するための便利な機能があるのが特徴。自らでお金を貯蓄用の口座に移動させる必要がなく、気付いたらお金が貯まっていた、という実感が湧きやすい仕様の上、各設定は無料で利用することができる。

また、monzoをメインバンクとして利用しているなら(該当かどうかはアプリから確認可能)海外でATMを利用する際の引き出し手数料が無料(欧州経済領域では限度額なし、同領域外では200ポンド/30日、その後は3パーセントの手数料)など、旅行での携帯にも心強い。また、monzoユーザー同士であれば配偶者やパートナー以外でも共同口座を開設できるので、ルームメイトなどと一緒に作るのも便利だろう。

現金を口座に入金する場合、国内の約2万8000カ所(オフライセンスやスーパーマーケットなど)でスタッフを通じて行えるが、1回の入金は5~300ポンドまで。加えて1ポンドの手数料がかかるので、銀行間での送金が現状1番損をしない入金方法となる。

英国・日本間で送金する場合

海外送金はこれまでメガバンクを通じて行うものだったが、デジタルバンクなどオンラインを通じた金融サービス業の台頭により、手数料が安く、相手の口座に送金が完了するまでに即時〜1日と時間をかけない送金が可能になった。よく知られている海外送金システムはWise(旧TransferWise)だ。海外送金をより安くすることを目的に作られたサービスなので、メガバンクでの送金と比較し手数料を5分の1ほどに抑えられる。また、送金前に送金計算ツールを使い、相手に確実に届く金額が事前に算出できる。ただし、本人確認手続きに2営業日ほどかかるので、即日で送金したい人には不向き。

ほかの方法では、2020年に日本で正式に事業を開始したRevolutがある。もし、受取人が同銀行の口座を開設できるならこちらもお勧めだ。ポンドから円への換金が平日なら手数料なし(プランにより限度額あり)で完了でき、そのまま振り込みができる。余計な手数料がかからず、ほぼ即時入金される。ただし、日本でも引き出せる現金の限度額があるので、大金をやりとりする場合は不向き。

無駄な支出がないか改めて確認を!今すぐできる節約術

物価の高い英国では、常に多くのニュースサイトで節約情報がまとめられている。ここではそれらの情報を元に、今すぐ実践できる節約術をまとめてみた。

2024年3月3日から値上げ 鉄道のチケットは12週間前から探す

2024年3月3日より、鉄道乗車券のうち一部が最大4.9パーセント値上げになった。対象となるのは利用に規制のある以下のもの。在英の方なら一度は聞いたことがあるであろう乗車券のタイプについて、今一度振り返ってみよう。

値上げの対象の乗車券とその仕組み

Season Tickets

2駅間で乗り放題となるチケットで、定期券に値する。週、月、年の期間で購入できるほか、1カ月と1日〜1年までの任意の期間を設定して購入可能。基本的には短・中距離の区間が対象だが、鉄道会社によって長距離を認めるなど、細かなルールは各社で異なる。

金額算出ツール
シーズン・チケットだけでなくほかのチケットとのss1日あたりのコストも算出してくれる
Season Ticket Calculator

Season Ticket Calculator

Anytime Day

近郊への小旅行などで利用の多いチケット。その名の通り、指定された駅間の列車にいつでも乗ることができる。エニタイム1日片道チケット(Anytime Day Single)とエニタイム1日往復チケット(Anytime Day Return)は、表記の日付内で旅行を完了させる必要がある。今回の値上げの対象はこのエニタイム1日チケットだ。

上記のほかに、エニタイム・チケットにはエニタイム片道(Anytime Single)、往復チケット(Anytime Return)がある。前者は、表記の日付から2日以内に旅行を完了すればOK。後者は、基本的に往路に表記された日付から5日間有効、復路はカレンダー上の1月分有効だ。ちなみに、旅程に時間的な余裕があれば、購入した到着駅まで直行する必要はない。例えば、A駅からC駅の間にB駅があるとする。A〜C駅のエニタイム片道チケットを持っている場合、A駅を出発後、中間地点のB駅で途中下車し、後にB駅からC駅までの移動ができる。オフ・ピーク往復チケット(後述)の場合、チケットによってはA駅C駅間のどこかに宿泊してから再び利用することができる。ただし、エニタイムの中でもさらに格安で鉄道に乗れる、毎週配布の前売りチケット(Advance Tickets)はこの対象外なので注意。

レールカードを持っていればその特典もプラスで適用されるので、33〜50パーセントのさらなる割引が可能となる。

Rail Station

Off-Peak、Super Off-Peak

オフ・ピーク(Off-Peak)は平日の混雑の少ない時間帯と週末の日帰り旅行に利用可。料金は安くなるものの、鉄道会社の指定により旅行の日付やルート、また時間帯が固定されることが多い。スーパー・オフ・ピーク(Super Off-Peak)は、オフ・ピークよりさらに安く、場合によってはさらに制限の多いルートが選ばれる。エニタイム・チケットと同様に、1日片道チケット、往復チケットと単なる片道・往復チケットがある。今回の値上げの対象は1日チケット以外。オフ・ピークの時間帯は、都市部で9:30〜、そのほかの地域では9:00〜で、週末は終日対象となる。レールカードがあればさらなる割引が可能。

ticketオフ・ピーク1日往復チケット

チケットをなるべく安く購入する方法

料金の値上げは、イングランド運輸省など各4機関に判断が委ねられており、2024年2月28日現在、具体的な値上げ案の詳細は公表されていない。現時点でなるべくチケットを安く買う方法は以下の通り。

出発日の12週間前に購入

鉄道インフラ会社ネットワーク・レールの規約により、各鉄道会社はかなり早い段階で時刻表を提示しなければならず、通常は時刻表が発表されてまもなく前売りチケットの販売が開始される。12週間前が最も安く、出発日が近付くにつれて価格が上昇する。また、ロンドン・ノース・イースタン鉄道(LNER)は、英北部ヨーク駅からロンドンに向かうルートを24週間前に発売することも多い。

イギリスの電車

レールカードを利用

ネットワーク・レールでは、チケットの割引ができる年齢や家族の形態に応じたレールカードを複数販売している。価格は通常1年有効で30ポンドだが、中距離の小旅行を数回重ねるだけで十分元が取れる。また、16歳以上で、ロンドンと英南東部内の鉄道乗車券に割引が適用されるネットワーク・レールカードなら、保持者以外の家族や友人3名までに割引料金を適用することができるので、家庭で1枚でもあるとかなりの節約ができる。

旅程を分割して購入

長距離の場合、発着のルートを1枚で購入するのではなく、分割して買うことで費用を安く抑えることができる可能性がある。どのルートに分割するとより節約ができるかの見極めが難しいが、鉄道予約サイトTrainlineをはじめ、TrainPalSplit My FareTrainTickets.comなどアプリやオンラインで展開するサービス内のツールを使えば解決だ。ただし、元にしたデータや価格の算出法がサービスによって異なるので、一貫してこのサイトなら常に安い、ということはない。時間の許す限りさまざまなサイトで料金を比較することが大切だ。

もはや珍しいことではなくなった副業のススメ

新型コロナウイルスによるパンデミック時、私たちは心理面、経済面で「明日はどうなるか分からない」という想いを少なからず抱いてきた。そんな時代を反映してか、英国で人気の副業は、在宅でできる業務が多い模様。

副業のススメ

副業は人生の満足度を上げる手段

「副業」は英語でSide Hustleと呼ばれ、家計の補填や趣味を追求するために行われている。英南部レディング大学と提携するヘンリー・ビジネス・スクールが実施した調査によると、現在英国の成人の4人に1人が副業をしており、その割合が最も高いのは25〜34歳。また、副業を持つ人の45パーセントは週に40時間以上、25パーセントは50時間以上を費やしており、30パーセント以上の人が週末などの休日に副業を充てている。この調査で判明した興味深い点は、副業が「人生を豊かにするもの」と考えている人が70パーセント近くいること、またこの2年で始めた人が53パーセントを超えている。

どんな副業がある?

スキルを生かせるもの、隙間時間にできるもの、特定の場所に出向く必要があるものなど、副業は実に多種多様だ。例えば、YouGovProlificPinecone ResearchSwagbucksLifePointsなどの調査会社が行うオンライン調査に協力すると、YouGovなら規定値に到達すると50ポンドがもらえる。レビュー・サイトSlicethepieでは、音楽を聴いて評価することで1曲あたり約10ペンス。これらはひたすら数をこなすことが求められるが、作業をコツコツできる人にはもってこいの仕事だ。

また、語学や何か特定の分野に優れていれば、家庭教師として働くこともできる。近年はZoomなどオンラインを通じた授業も多いので、自宅にいながらできる人気の副業となっている。ただし、教える分野によっては資格が必要になる場合がある。

さまざまなサービスや仕事がオンラインを通じて舞い込んでくる時代だが、動画などを作るコンテンツ・クリエイターも英国で人気の副業となっている。

変わり種なら、映画のエキストラとして働く手もある。Uni-versal ExtrasThe Casting CollectiveRay Knight Castingなどに自分の身長や体重、人種などの情報を登録し、あとは連絡を待つだけ。上記に挙げたところ以外にもエージェントはあるが、報酬から15パーセントを手数料として引かれるなど、公平性にかける対応もあるため注意が必要だ。手当は1日80ポンド前後。

頻繁に利用しないモノなら買わずに借りる

修理に使う工具や結婚式に参列する際のドレスなど、1度使用したらもうしばらく使わないものは、チャリティー・ショップなどを回って探すより、レンタルしたほうが時間とお金の節約になる。

買わずに借りる

ロンドン南部を中心に展開し、「一時的に使いたいもの」を数ポンドでレンタルできるサービスがライブラリー・オブ・シングス(Library of Things)だ。コードレスのドリルやカーペット・クリーナー、高圧洗浄機、ミシン、シュレッダー、音響システム、ポップコーン製造機など、実に多くのアイテムをそろえている。アイテムはサイトから事前予約し、指定の場所に取りに行けばOK。地元のコミュニティーを活性化させるためのサービスなので、一般のレンタル事業より費用が抑えられているのが特徴だ。

また、洋服のレンタルもさまざまなオプションがある。大手デパートのセルフリッジズでは、著名なデザイナーやブランドの洋服や、アクセサリーをレンタルできる。レンタル期間は4、8、16、30日間で、オンラインで予約したアイテムは自宅に郵送。レンタル費以外の自宅までの配送費やレンタル終了後の返送費、ドライ・クリーニング代は全て無料だ。もし、何か特別なイベントがあれば、わざわざ新しいドレスを購入しなくても、すてきな服が手ごろな価格で借りられる。英国では大手デザイナーズ・ブランドのアイテムを扱うネッタポルテ(NET-A-PORTER)などをはじめ、多数の企業が同様のサービスを展開している。

夏場の移動式遊園地ファンフェア(Funfair)などで見掛ける、空気圧式の巨大なお城や滑り台を有するバウンシー・キャッスル(Bouncy Castle)も、英国では十分なサイズの庭があれば一般家庭でも借りることができる。誕生日会などで使用する一般向けのものは小規模ではあるものの、子ども数人、ものによっては大人でも城の中に入ることができ、空気で膨らませたマットの上を飛んだり跳ねたりできる。価格は1日70〜200ポンドが相場で、送料は各会社指定のエリア範囲内か、設置場所までに階段があるか、設置場所が芝生かコンクリートなどによって変動。当日はスタッフが直接器具を家に運び、終了時間に再び取りに来てくれるシステムだ。パーティー・グッズのレンタル会社などさまざまな会社が提供している。

 

欧州の音楽祭に行こう! クラシックの本場で特別な時間を

クラシックの本場で特別な時間を欧州の音楽祭に行こう!

ドイツやオーストリア、イタリアなど、クラシック音楽の発祥の地であり、数々の音楽家たちを生んできた欧州では、毎年さまざまなクラシック音楽の祭典が開催されている。本特集では、そんな欧州を代表する音楽祭について、その歴史や見どころを一挙にご紹介。クラシック音楽の本場である欧州の音楽祭に出掛けて、思う存分その世界に浸ろう!(文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

英国 英国BBC PromsBBCプロムス

BBC Proms
主な会場となるロイヤル・アルバート・ホール
BBC Proms
毎年恒例、最終日にハイド・パークで行われる「プロムス・イン・ザ・パーク」

ロンドンの中心部に位置するロイヤル・アルバート・ホールで、華やかに幕を開ける世界最大級の音楽祭、BBCプロムスは英国では夏の風物詩。世界に名だたる演奏家やオーケストラが約2カ月間、毎日演奏を繰り広げる。この音楽祭の魅力は、筋金入りのクラシック音楽ファンだけでなく、普段はあまり音楽を聴かないという人や小さな子どもまで、ありとあらゆる人を楽しませるユニークなプログラムにある。毎年趣向を凝らした構成になるので今年も期待したい。最終夜の様子は全英各地の公園でパブリック・ビューイングが開催されるので、親しい人たちとピクニックがてら楽しめる。

2024年の開催日程: 7月19日(金)~9月14日(土)
www.bbc.co.uk/proms

英国 英国Glyndebourne Festivalグラインドボーン音楽祭

グラインドボーン音楽祭
東京ドーム約1個分の12エーカー(4万8562平方メートル)もある立派な庭園
グラインドボーン音楽祭
1200席を有するオペラ・ハウスで連日さまざまな演目が上演される

演劇プロデューサーであり、音楽をこよなく愛したジョン・クリスティとオードリー・ミルドウェイ夫妻によって始められたイングランド南東部ルイスのオペラの音楽祭で、今年で90周年を迎える。初期はモーツァルトのオペラ作品を中心に上演されていたが次第に多様化し、今年は5作品が上演される。毎年ソールド・アウトが続出し、チケットの入手困難な音楽祭としても知られている。観客はドレスアップが求められ、特に男性は黒の蝶ネクタイが伝統の装いだ。開演2時間前に開場されるので、広大な庭園を散策したり、併設のギャラリーを訪れたりとオペラ以外の楽しみも盛りだくさん。90分のインターバルでは、庭園でのピクニックやレストランでの食事を楽しみ、1日を通して優雅に時を過ごすことができる。

2024年の開催日程: 5月16日(木)~8月25日(日)
www.glyndebourne.com

ドイツ ドイツBayreuther Festspieleバイロイト音楽祭

バイロイト音楽祭バイエルン王ルートヴィヒ2世からも資金を借りて完成した祝祭劇場

リヒャルト・ワーグナーのオペラ作品に特化した音楽演劇祭。バイロイトの緑の丘にある祝祭劇場で開催され、毎年7月末〜8月末の約1カ月間続く。劇場はワーグナー自ら建築家のオットー・ブリュックヴァルトと協力して建設したもので、1875年に完成。ワーグナーの思い描く世界観を完璧に上演できる会場に仕立てた。豪華さや華やかさの代わりに実用性を重視し、唯一無二の音響効果につながっており、毎年約5万8000人の来場者を魅了する。チケットの競争率が高いので、前年の12月からウェブサイトをチェックするのがお勧め。ぜひワーグナーの世界を堪能してみては?

2024年の開催日程: 7月25日(木)〜8月27日(火)
www.bayreuther-festspiele.de

ドイツ ドイツDresdner Musikfestspieleドレスデン音楽祭

ドレスデン音楽祭
ゼンパーオーパー専属楽団のシュターツカペレ・ドレスデン
ドレスデン音楽祭
音楽祭独自のオーケストラであるドレスデン祝祭管弦楽団

東ドイツ時代に始まったドレスデン音楽祭は、毎年5~6月に1カ月かけて行われる欧州最大で最も有名なクラシック音楽祭の一つ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などの名だたるオーケストラのほか、国際的に有名なソリストやアンサンブルが招待され、トップクラスの音楽を堪能することができる。また2012年以降は音楽祭のために創立されたドレスデン祝祭管弦楽団が、ロマン派音楽に焦点を当てた演目で音楽祭を盛り上げている。さらにジャズやロック、ポップスなどのプログラムも充実。ゼンパーオーパーをはじめとした歴史的な文化施設など市内20会場で行われ、街を挙げてのお祭りとなっている。

2024年の開催日程:5月9日(木)~6月9日(日)
www.musikfestspiele.com

ドイツ ドイツBeethovenfestベートーヴェン音楽祭

ベートーヴェン音楽祭
2023年のオープニングではドヴォルザークのチェコ協奏曲が演奏された
ベートーヴェン音楽祭
マルクト広場では年齢や経験にかかわらず演奏に参加できるフラッシュ・モブ企画も

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生まれ故郷ボンで毎年開催されるベートーヴェン音楽祭。1845年にフランツ・リストによって始められ、ドイツで最も古い音楽祭の一つに数えられる。交響曲第9番で歌われる「歓喜の歌」に「人類みな兄弟」という一節があるように、近年、本音楽祭は多様性にフォーカスした21世紀にふさわしい祝祭を目指している。そのためクラシック音楽にとどまらず、ジャズや参加型コンサート、ダンス・イベントなど、多様なプログラムが用意される。2024年のプログラムは4月に発表される予定。またボンにはベートーヴェンの生家が博物館になったベートーヴェン・ハウスもあるため、ファンなら併せて訪れたい。

2024年の開催日程: 9月5日(木)~10月3日(木)
www.beethovenfest.de

フランス フランスChorégies d'Orangeオランジュ音楽祭

オランジュ音楽祭古代劇場の舞台のハイライトは公共テレビで放送される

ショレジ・ドランジュは、1869年に始まったフランス最古のお祭りで、1971年に現在のオペラとクラシック音楽の祭典という形になった。名称はギリシャ語の「コレゴス」(合唱団がお祭りのために集結すること)で、古代ギリシャ・ローマの悲劇の源流に立ち返るとともに、当時のフランス人劇作家を奨励する目的で行われるようになった。現在も叙情的なオペラ、音楽を中心に演目が選ばれている。この音楽祭の最大の魅力は古代ローマの遺跡であるオランジュの古代劇場を中心にして行われること。劇場全体が石で造られているため、屋外の劇場にもかかわらず卓越した音響効果があるという。世界でも類を見ない遺跡の舞台は一見の価値あり。

2024年の開催日程: 6月14日(金)~7月22日(月)
https://www.choregies.fr

フランス フランスFestival d'Aix-en-Provenceエクサンプロヴァンス音楽祭

エクサンプロヴァンス音楽祭アルシュヴェシェ劇場の中庭のパフォーマンスは圧巻

1948年、音楽家であり後援者でもあるリリー・パストレ伯爵夫人の援助により、音楽活動を奨励することを望んだガブリエル・デュスルジェによって創設された音楽祭。モーツァルトの初期作品や有名なオペラ作品、現代作品、バロックの傑作の再発見など、非常に多様なプログラムとなっている。若い才能の発掘にも力を入れており、芸術創作の分野に新たな地平を切り開くことを目標としている。アルシュヴェーシェ劇場、プロヴァンス大劇場、ジュ・ド・ポーム劇場、オテル・メイニエ・ドペードなど、アイコニックな会場で上演が行われ、音楽祭を通してオペラに現代的な息吹が感じられる。

2024年の開催日程: 7月3日(水)~23日(火)
https://festival-aix.com

オーストリア オーストリアSalzburger Festspieleザルツブルク音楽祭

ザルツブルク音楽祭かつて指揮者のカラヤンが芸術監督に就任したことも有名

ザルツブルクでは毎年7月から8月にかけて、祝祭劇場のあるホーフスタールガッセの通りとバロック様式の旧市街全体が、オペラ、演劇、コンサートのための祝祭の舞台へと変貌する。音楽祭が誕生したのは1920年8月22日。マックス・ラインハルト演出による詩人フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの道徳劇「イェーデルマン」がドーム広場で上演されたのが始まりだ。その1年後には、オーケストラと室内楽のコンサートが追加上演されることになり、1922年にはモーツァルトのさまざまなオペラが初めて上演されるなど、今日まで残る演劇、コンサート、オペラの三つの礎を築く。モーツァルトからモダニズム、そして古典的な解釈から前衛的な試みまで、幅広い芸術プログラムを堪能できる。

2024年の開催日程: 7月19日(金)~8月31日(土)
www.salzburgerfestspiele.at

オーストリア オーストリアWiener Festwochen 2024ウィーン芸術週間

ウィーン芸術週間ウィーン市庁舎前で行われる華やかな開会式

第二次世界大戦直後、オーストリアがまだ連合国4カ国の軍による占領統治を受けていたときに創設されたフェスティバル。ナチス・ドイツに統治されていた時代のイメージを払拭し、首都ウィーンに新しい文化を創造する目的で始められた。芸術による世界に開かれた都市をモットーに、クラシックやオペラばかりでなく、演劇、パフォーマンス、美術など、ジャンルを超えたアーティストたちが一堂に会する。若手に門戸が開かれており、現代の社会的な課題にも目を向けたプログラムが多いのも特徴だ。例年、開会式はネオ・ゴシック建築で知られるウィーン市庁舎前の広場で盛大に行われる。

2024年の開催期間: 5月17日(金)~6月23日(日)
www.festwochen.at

イタリア イタリアMaggio Musicale Fiorentinoフィレンツェ五月音楽祭

フィレンツェ五月音楽祭今も音楽祭の顔としてタクトを振るズービン・メータ

今年で86回目を迎えるフィレンツェ五月音楽祭は、イタリアの名指揮者ヴィットリオ・グイによって創設された、オペラを中心にしたフェスティバル。1985年からは巨匠ズービン・メータを首席指揮者に迎え音楽祭を発展させてきた。会場は音響の良さで知られるコムナーレ劇場、2011年にオープンしたばかりの新オペラ劇場、そして1656年からの歴史を誇りヴェルディの「マクベス」が初演された場所でもあるペルゴラ劇場の3カ所。オペラに詳しくなくても、古都フィレンツェにふさわしい重厚かつきらびやかな劇場の中に身を置くだけでも価値があるといえそう。また、オペラ作品以外にも若手のミュージシャンや作曲家による演奏もあり。

2024年の開催期間: 4月13日(土)~6月13日(木)
www.maggiofiorentino.com

イタリア イタリアArena di Verona Festivalアレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭

アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭夏の夕暮れを彩る「カルメン」のステージ

古代ローマの円形闘技場跡地、アレーナ・ディ・ヴェローナで毎年開催される野外音楽祭。101回目を迎える今年は、オペラの巨匠ジャコモ・プッチーニの死から100年、演出家ジャンフランコ・デ・ボシオの生誕100周年に当たるため、この2人にオマージュを捧げたプログラム構成となっている。「カルメン」や「トスカ」をはじめとした7本のオペラのほか、午後9時過ぎからのイブニング・プログラムも用意されている。野外で行われる利点を生かした、雰囲気満点のステージとなるはずだ。昨年12月にはイタリアのオペラ歌唱がユネスコ無形文化遺産に登録されたばかり。本場イタリアでオペラの魅力に触れてみてはいかがだろうか。

2024年の開催期間: 6月8日(土)~9月7日(土)
www.arena.it/en/arena-di-verona

スイス スイスLucerne Festivalルツェルン音楽祭

ルツェルン音楽祭
メイン会場はさまざまな音響に対応したKKLコンサート・ホール
ルツェルン音楽祭
2023年には96歳の指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットも登場した

春に2回、夏に1回、秋に1回とほぼ1年を通して音楽祭を開催する、オーケストラによるコンサートやリサイタルが堪能できる世界有数のクラシック音楽祭。メインは夏のコンサートで、今年のテーマは「好奇心」(Neugier)。より多くの人にクラシック音楽のコンサートを楽しんでもらうために導入された、長過ぎず短過ぎずな入場無料のコンサート「40分」シリーズや小さな子どもも鑑賞できる家族向けのプログラムなど、クラシック音楽に興味を持つきっかけとなるような演出が多数用意されている。今年は2022年に同音楽祭でデビューを果たし、3年連続の公演となるピアニストの藤田真央さんが招待されている。

2024年の開催日程: 8月13日(火)~9月15日(日)
www.lucernefestival.ch

チェコ チェコPražké jaroプラハの春音楽祭

プラハの春音楽祭
オープニング・コンサートは市庁舎内のスメタナ・ホールで開催される
プラハの春音楽祭
パイプオルガンなどの荘厳な音色をカジュアルな雰囲気の中で鑑賞できる

チェコスロヴァキアがナチス・ドイツから解放されてわずか1年後に、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団創立50周年を記念して創設された、管弦楽と室内楽の国際音楽祭。同音楽祭は、チェコで生まれた音楽と国内での音楽活動の促進を目的とした30歳以下の若手演奏家が出場できるコンクールが組み込まれているのが特徴だ。1994年以降、国内の作曲家に依頼した新作が課題曲となり、毎年優れたチェコ音楽が生まれている。プラハの春音楽祭は、毎年チェコの作曲家ベドルジフ・スメタナの命日に「ヴルタヴァ」(モルダウ)を含む「わが祖国」の演奏で幕を開ける。今年は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が出演予定。

2024年の開催日程: 5月12日(日)~6月3日(月)
https://festival.cz

フィンランド フィンランドSavonlinnan Oopperajuhlatサヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル

サヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル
2023年はドラマチックなセットで観客を魅了した「魔笛」が上演
サヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル
1900年初頭の帝政ロシアを舞台にした躍動感あふれる米国発のミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」

古典作品や世界初演作品、また著名なオペラ・ハウスの公演を観に、毎年約7万人が訪れるオペラ・フェスティバル。会場は現存する中世の城で世界最北にあるオラヴィ城だ。湖水地方独特の風光明媚な景色と、優れた音響効果を生み出す城内の講堂での公演は、訪れた人に感動の時間を与えるだろう。周辺各国による支配が長年続いたフィンランドだが、同フェスティバル創設時は国家独立の機運が高まった時期で、1912年の第1回目では同国で生まれたオペラ作品が多数上演された。しかし第一次、第二次世界大戦やフィンランド内戦など度重なる戦争による財政難で、約40年もの間休催を余儀なくされた歴史を持つ。1967年に復活を遂げ、今では世界中に多くのファンを持つフェスティバルとなった。

2024年の開催日程: 7月5日(金)~8月4日(日)
https://operafestival.fi
 

クラシック音楽をもっと楽しむヒント - 音楽祭に行く前の準備に

音楽祭に行く前の準備に!クラシック音楽をもっと楽しむヒント

「クラシック音楽の聴き方が分からない」「音楽祭でのマナーや服装は?」「事前知識がないと楽しめないのでは?」……そんなクラシック音楽初心者の方に向けて、登録者20万人超えの人気YouTubeチャンネル「厳選クラシックちゃんねる」のnacoさんが、クラシック音楽をもっと身近に感じ、コンサートを思う存分味わう方法を伝授。nacoさんのお勧め動画で楽しく予習をして、音楽祭へと出掛けよう!

お話を聞いた人 nacoさん
厳選クラシックちゃんねる

会社員として勤務するかたわら、2020年4月にYouTubeチャンネル「厳選クラシックちゃんねる」を開設。クラシック音楽の作曲家や音楽史についての分かりやすい解説で人気を集め、2024年1月現在のチャンネル登録者数は20万人超え。YouTubeでの発信のみならず、クラシック・コンサートの企画やMC、エッセイの執筆など、活動の場を広げている。
www.youtube.com/@nacoclassic

Q: そもそもnacoさんがYouTubeを始めたきっかけは?
A: 自分の「好き」を広めたいという気持ちから

YouTubeを始めたのは2020年で、ちょうどコロナが蔓延した年でした。私はそれまで外に出掛けることが好きだったので、家にいる時間をどんなふうに使おうかなと思っていたときに、知人がYouTubeをやり始めて。面白そうだから私もやってみたい! と思ったのがきっかけでした。自分の好きなことで、かつ自分のための勉強になって、発信することで誰かにとっても有益になるもの……。そう考えてたどり着いたのが大好きなクラシック音楽でした。そして2020年の4月に「厳選クラシックちゃんねる」を立ち上げ、今に至ります。

Q: 数ある音楽祭プログラムの中から、どのようにコンサートを選べば良いですか?
A: 「誰が出演するか」「何を演奏するか」「どこでやるか」などから考えてみて

コンサートを選ぶ基準は、言ってしまえば人それぞれだと思います。あえて私が初めて音楽祭に行った際のことを思い返してみると、まずは「誰が出演するか」「何を演奏するか」で探しましたね。この指揮者や演奏家を知っているとか、名前を聞いたことがあるとか。また、自分の好きな曲、生演奏で聴いてみたいと思うプログラムを選びました。もちろん反対に、全く知らない曲を聴くという楽しみ方もあると思います。

また特に欧州の場合ですと、「どこでやるか」も大きなポイントですよね。例えばバイロイトのあの祝祭劇場でコンサートを聴くという体験には、ものすごく価値があると思うんです。単に音楽の響きが良いかということだけでなく、歴史ある歌劇場や、面白い建築のコンサート・ホールなど、場所から感じる特別感を味わえるかどうか。それもコンサート選びの基準の一つかなと思います。

Q: nacoさん自身は欧州各地のコンサートを回る際、どんなふうに過ごしていますか?
A: 音楽祭だけでなく、開催地の風土や文化も一緒に味わう

私の場合は、結構コンサート漬けにしてしまうんですよね(笑)。まずは自分が現地にいる間のコンサートの開催プログラムをチェックして、どの演奏会に行きたいかを優先して旅程を組んでいく。なので割と非効率な移動の仕方になってしまっているかもしれません。とはいえ現地に着いてからは、演奏会の前後でその土地のおいしいものを食べたり、音楽に限らずその場所の文化を感じられる場所に行ったりしますね。曲としてアウトプットされたもの、演奏されたものだけでなく、それを育んだ土地の風土を一緒に味わいながら、その空気感の中で音楽を聴く。これこそ、欧州で音楽祭を回る際の醍醐味になるのではないかなと思います。

Q: 音楽祭を訪れる際の服装やマナーは?
A: 訪れる音楽祭の歴史や価値観によってそれぞれ

演奏会での服装やマナーについて、私は音楽祭の歴史や特徴によってそれぞれ違いがあるように感じています。例えば同じ欧州でも、バイロイト音楽祭の場合は「バイロイト詣」といわれるように、夏なのにタキシードやドレスなどで来ている人が多くて。そうした正装でワーグナーの聖地を巡礼することが、ファンたちの楽しみ方の一つだったり、場合によってはステータスだったりします。反対にBBCプロムスは、席によってはものすごくカジュアルで、寝転んで聴くこともできます。そのため服装やマナーは、これという正解があるというよりも、その音楽祭がどういう価値観で運営されているか、どんな人にどんなふうに楽しんでもらいたいか、どのような歴史から始まったかなどによって結構違いがあるような感じがします。

もし服装やマナーについて心配という方がいれば、事前に音楽祭の様子を少し調べてみるのが良いと思います。平均的には、オフィス・カジュアルと呼ばれるようなレベルの服装であれば、大体どこの音楽祭に行っても浮かないかな。着物やドレスなどでしっかりおしゃれをしている人もいらっしゃいますが、私はほとんどの場合、カジュアルな普段着で行きますね。

バイロイト音楽祭正装でバイロイト音楽祭を訪れる人々

Q: お勧めの座席はありますか?
A: コンサートで自分がどんな体験をしたいかで選ぶと◎

どの席が良いか悪いかというよりは、どんな体験をしたいか、行く人の価値観によって選ぶのが良いと思います。席によってチケットの価格が違うのですが、例えば安い価格の席でなるべくたくさんのコンサートを回りたいという人と、できるだけ近くでオペラ歌手の服装や表情、演技が観たいという人では、選ぶ席も変わってきますよね。あるいはポディウム席(演奏者の後ろに設けられた席)から、指揮者の表情やオーケストラの動きを見たいという人もいます。

私は以前、イタリアのスカラ座に3日間連続で行ったのですが、天井桟敷、ボックス席、アリーナ席と毎日違う席を取ってみました。それぞれの席で違いがあってどの日も楽しかったです。オペラ座の歴史を調べたら、かつてボックス席は貴族の所有物、いうなれば不動産だったんですね。内装も所有者の自由に施してあって、それが今でも残っているところもあります。一方のアリーナ席は、今でこそ舞台がバーンと見えてチケットの価格が一番高い席として販売されることも多いのですが、昔は一般市民たちが立って聴くところでした。このように時代によっても文化や価値観が変わっているのを見ると、「どの席が一番良い」という正解はないのだと思います。逆に言えば、どの席でも楽しめるポイントがあるので、自分が何を観たい・聴きたいかによって選んでみてください。

ミラノのスカラ座のイラスト1900年ごろのミラノのスカラ座

Q: nacoさんが今年注目する音楽祭は?
A: ヴェローナの野外オペラフェスティバル!

今年めちゃくちゃ行きたいのが、ヴェローナの野外オペラ・フェスティバルです。前回が第100回で盛大なお祝いムードだったのですが、2024年は次の100年に向けての第1回目。新しい100年の始まりという意味でも特別ですし、さらに2024年はこのフェスティバルの監督を務めた演出家のジャンフランコ・デ・ボシオの生誕100周年、さらにイタリア・オペラの巨匠ジャコモ・プッチーニの没後100周年にも当たります。まさにイタリアのオペラ界が沸きに沸くメモリアル・イヤーなのです。

ほかにも私の動画「死ぬまでに行きたい音楽祭ベスト7」でご紹介していますが、ザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭、BBCプロムスなどもいいですよね。

プッチーニの傑作オペラ「トゥーランドット」フェスティバルで上演されたプッチーニの傑作オペラ「トゥーランドット」

Q: ずばりnacoさん流のコンサートの楽しみ方とは?
A: コンサートを聴いているときの「自分」にも耳を傾けてみる

クラシックの演奏会にはいろいろと楽しめる要素があると思いますが、もちろん聴き方に正解があるわけではないと思います。私自身がどういう風に楽しんでいるかを考えると、音楽を聴きながらも、同時に聴いているときの自分を味わっているような感じがします。演奏会中、全然音楽と関係ないことを考えていることもあるし、ちょっと落ち込んだ気分でホールに来たけれど、聴いているうちにいつの間にか楽しいことを考えていたりとか。音楽を聴きながら、自分の中に起こる変化みたいなものを楽しんでいると思うんですよね。

そういう意味では、自分にとってのコンサートへ行く醍醐味は「ゆとり」を持つことなのかもしれません。特に現代では、多くの人が忙しく働いているし、とにかく時間がない。そういうなかで演奏会へ出掛けて、ゆっくり腰を据えて数十分〜数時間の音楽を聴くってとてもぜいたくなことだと思います。しかもクラシック音楽は、聴けば聴くほどいろいろなことが分かってくるので、心や時間に余白が生まれることで、自分の中で音楽がもっと豊かになっていくような感じがします。

もちろんこの体験が録音されたものでできないわけではありませんが、コンサートは本当に一期一会。音楽がその場で立ち現れては消えていく空間と時間のなかで、自分が何を感じているのかを味わうのは、私にとって特別な時間です。聴いたまま、感じたままでいいし、あまり難しいことを考えずに、皆さんにも自分らしくクラシック音楽を楽しんでいただければと思います。

Information
絶対知ってる!厳選クラシックコンサート Vol.3
2024年7月18日(木)
会場:サントリーホール 18:00開場、19:00開演
「クラシックを、もっと身近に。」をモットーに活動するnacoさんが企画する、誰もが一度は聴いたことがある曲を集めたコンサート。nacoさんのクラシック愛あふれるMCと、国内外で活躍する若手音楽家たちによる新進気鋭のオーケストラ「タクティカートオーケストラ」がコラボレーションし、クラシック音楽初心者でも気軽に楽しめる演目をお届けする。
コンサートの詳細:www.tacticart-orchestra.com/gensen3

初心者必見!厳選クラシックちゃんねるのお勧め動画3選

死ぬまでに行きたい!音楽祭Best7

世界中で開催されている音楽祭の中から、タイトルの通りnacoさんが「死ぬまでに行きたい!」音楽祭を、その歴史や見どころと共に解説する。さらに、日本国内で開催されるクラシック音楽祭についても魅力を紹介。


初めてのクラシックコンサート

「ドレスコードってある?」「拍手のタイミングは?」「遅刻はOK?」など、今さら聞けないコンサートのマナーや注意事項などを初心者向けに解説。初めてコンサートに出掛けるという方も、この動画を見れば準備万端。


初めてのオペラ

ドラマと音楽が融合した「総合芸術」としてのオペラ。その成り立ちをはじめ、お勧めの予習方法や、座席の選び方などを解説。オペラの物語の内容や、劇中の有名曲など、どのオペラを観劇するか選ぶための参考にも。



 

デービッド・アッテンボローってどんな人

動物・植物・鉱物を愛するデービッド・アッテンボローってどんな人

David Attenbrough2013年のBBCドキュメンタリー「Natural Curiosities」のデービッド・アッテンボロー

デービッド・アッテンボロー(David Attenborough)は、自然学者、動物学者、著述家、放送作家として70年以上にわたり精力的に活動している。自身のドキュメンタリー番組で、ジャングルや氷山など地球のあらゆる場所から、熱心かつユーモラスに語りかけてくる様子は、多くの人にとっておなじみの姿だろう。アッテンボローは今年98歳を迎えるが、野生動物や自然に対する深い愛情は今も変わらない。今回の特集では、自身の情熱と知識を惜しみなく広く世界に伝え、数世代にわたって多くの人々に感動と驚きを提供し続けている、アッテンボローの人となりに迫る。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.bbc.co.ukkids.guinnessworldrecords.comほか

Profile David Attenborough
デービッド・アッテンボロー
1950年代から一貫して自然ドキュメンタリーの制作にかかわり、自然ドキュメンタリーというジャンルを確立した自然学者・放送作家。制作だけではなく出演、ナレーションも行いお茶の間からの認知度も高い。環境問題に熱心に取り組み、アッテンボローの番組を観てプラスチックのリサイクルを始めた視聴者が続出した際は、「アッテンボロー・エフェクト」(アッテンボロー効果)といわれた。2024年5月で98歳を迎えるが、現在も衰えを知らない活動を続けている。1993年に大英帝国勲章コマンダー(CBE)、2012年には大英帝国勲章ナイト・コマンダー(KBE)を授与された。

1標本作りに明け暮れた化石探しの少年時代

デービッド・フレデリック・アッテンボロー(David Frederick Attenborough)は1926年5月8日に英南部ミドルセックス(現グレーター・ロンドン)のアイルワース(Isleworth)で生まれ、父親のフレデリックが学長を務めるレスター大学のキャンパス内のカレッジ・ハウスで育った。デービッドは3人兄弟の2番目で、兄は後に俳優兼監督となったリチャード・アッテンボロー(1923~2014年)、弟は自動車メーカー、アルファロメオ社の重役となったジョン・アッテンボロー(1928~2012年)だ。また、第二次世界大戦中に両親が英国のボランティア活動「キンダートランスポート」を通じて、ドイツからユダヤ人の難民の少女を2人養子に迎えた。  

アッテンボローは、幼いころから化石や鉱石をはじめとする自然の標本を集めることに夢中だった。著名な英考古学者のジャケッタ・ホークス(Jacquetta Hawkes)にそのコレクションを賞賛され、励まされたこともあったという。大学の敷地内で多くの時間を過ごしていたアッテンボローは11歳のとき、動物学部が大量のイモリを必要としていることを聞き、父親を通じて3ペンス(今の価値で約50ペンス=約90円)で供給することを申し出た。当時は明かさなかったが、イモリを捕まえた場所は、学部の研究室から5メートルほどしか離れていない大学構内の池だったらしい。この出来事を振り返ったアッテンボローは「私は非常に若くして、動物から生計を立てる可能性があることを知った」と冗談めかしてBBCに語っている。また、12歳のころに養子の妹であるマリアンヌから古代の生物が封じ込められた琥珀の一片を貰ったが、約60年後に、その琥珀の中の生物から当時の気候や環境を知る、2004年のBBCドキュメンタリー番組「The Amber Time Machine」が生まれた。これはアッテンボローが少年時代の好奇心を変わらず持ち続けている良い例だといえる。

David Attenborough and The Giant Sea Monster2024年放送の「David Attenborough and The Giant Sea Monster」の1シーン。いくつになっても化石が大好きなアッテンボロー

2長いキャリアの始まりBBCへの入社

1945年にケンブリッジ大学へ入学し、地質学と動物学を学んだアッテンボローは、卒業後2年間兵役で英国海軍へ入隊する。退役後は子ども向けの科学の本の編集者として、ある出版社に職を得た。しかしすぐにその仕事に幻滅したそうで、50年にBBCのラジオ番組「Home Talk」のプロデューサーの仕事に応募。不採用となったものの、その履歴書が当時の新興メディアだったテレビ(現在のBBC1)のトーク部門の責任者、メアリー・アダムス(Mary Adams)の目に留まった。第二次世界大戦後、本格的なテレビ放送が始まったのが47年。アッテンボローは当時のほとんどの英国人と同様にテレビを所有しておらず、それまでに1回しかテレビ放送を見たことがなかったという。

それでもアッテンボローは3カ月間インターンとして働き、1952年に正式にBBCに入社した。当初アダムスはアッテンボローの歯が大きすぎると考え、カメラの前に出すことを迷っていたというが、53年の9月に生き物の擬態を紹介する子ども向け番組「Animal Disguise」で、アッテンボローはスクリーン・デビューを果たした。ただし本格的なキャリアは、54年12月に放送された「Zoo Quest」から始まったといえる。この番組は、スタジオでのプレゼンテーションと現地で撮影された映像を組み合わせたもので、当時としては前例のないアプローチだった。アッテンボローはロンドン動物園のスタッフを伴い、さまざまな熱帯地域を訪れては、ニシキヘビやコモドドラゴン、極楽鳥などのエキゾチックな動物を紹介。英国では多くの国民が、53年のエリザベス女王戴冠式のテレビ中継のためにテレビを購入していたこともあり、珍しい海外の動物たちの姿が見られるこの番組は、7年も続く大人気シリーズとなった。

アッテンボローとチャールズ王子とアン王女アッテンボロー(写真左)が子ども番組を撮影中のBBCスタジオを訪れたチャールズ王子(同中央)とアン王女(同右)

3テレビマンとしての才能BBC2で発揮された手腕

BBCで順調にキャリアを積んできたアッテンボローは、1964年に設立されたばかりで、いまだ番組の方向性が定まっていなかったBBC2の、「コントローラー」と呼ばれる実質上トップの座に昇進。各コンテンツの方向性や発注、スケジュールなどを決定するマネージメントの立場であるため、実際の野生動物番組の制作からはほぼ遠ざかることになった。ただその間、後世に語り継がれるようなテレビ・シリーズの制作に貢献した。一つはカラー・テレビの普及を意識したともいえる番組で、西洋の芸術、建築、哲学に焦点を当てた「Civilisation」。過去の文明や思想の成立を一般の視聴者に紹介する、美術史家ケネス・クラーク(Kenneth Clark)によるドキュメンタリー・シリーズだった。もう一つは統計学者で歴史家のジェイコブ・ブロノフスキー(Jacob Bronowski)が人類の進歩を科学的に振り返った「The Ascent of Man」で、両番組ともアッテンボローによるコミッションにより制作された。1人の学者にシリーズ構成とナレーションを依頼し、最終的に書籍(と後にDVD)にもなるスタイルは、今では普通だが当時は画期的だったという。ちなみに両番組から派生した書籍は現在でも版を重ねている。

また、コントローラー在任中にアッテンボローは、アナーキーなコメディー番組「Monty Python’s Flying Circus」(「空飛ぶモンティ・パイソン」)、現在でも放送されているスポーツ解説番組「Match of the Day」、最新のミュージシャンをスタジオに招きライブで紹介した「The Old Grey Whistle Test」など、いずれも人気が高く英国らしさにあふれたシリーズを制作した。アッテンボローというと自然ドキュメンタリーばかりを思い浮かべてしまうが、ジャンルの違いを超えてさまざまなシリーズを導入した、辣腕テレビマンという横顔もあることは知っておくべきだろう。

1965年、BBC2のコントローラーに抜擢されたばかりのアッテンボロー1965年、BBC2のコントローラーに抜擢されたばかりのアッテンボロー

4再び自然の中へフリーランスのキャスターに

1969年、アッテンボローはBBCの1と2両チャンネルの制作責任者に就任。毎日は予算の合意、取締役会への出席などでスケジュールが埋まり、ドキュメンタリー番組の撮影業務とは程遠いものとなった。72年にBBCの会長候補に自分の名前が挙がったとき、ついにアッテンボローはもうやりたくないと兄に告白。翌年初め、BBCの職を辞しフリーのキャスターに転身した。そして長年の夢だった自然史ドキュメンタリー「Life on Earth: A Natural History」の制作に取り掛かった。この企画があまりに大がかりで野心的だったため、BBCは制作に必要な資金を確保するため、ワーナー・ブラザーズをはじめとした米国の制作会社との共同制作という方法を採用した。30人のチームで制作に3年を要した、制作費100万ポンド超え(今の価値で約765万ポンド=約15億円)の大プロジェクトであり、撮影は世界中の100カ所以上の場所で行われた。

しかし79年にBBC2で13回シリーズとして放送が始まると、この番組は英国の野生動物ドキュメンタリーの歴史における、マイルストーン的な存在として高く評価されることとなった。最終的に英国だけではなく、世界中で5億人が観たといわれるが、このドキュメンタリー・シリーズが人々に愛された理由は、内容はもちろん、その画期的なカメラワークにあった。これまで撮影されていなかった動物の生態や決定的な瞬間を撮影するために何百時間もねばったり、アッテンボローが望むショットを撮影するために、新しい映画制作技術も考案された。真っ暗な洞窟内でスローモーション撮影をしたり、大陸も時期も違う場面をつないだりと、これまでのドキュメンタリー制作の手法を塗り替えたといってもよいだろう。その後も哺乳類、植物、鳥類、爬虫類、両生類と、地球上の生き物の主要グループを網羅し、ライフ・シリーズは約20年にわたって続けられた。

「Wild Isles」でパフィンの幼鳥が初めて空を飛ぼうとする瞬間を待つ「Wild Isles」でパフィンの幼鳥が初めて空を飛ぼうとする瞬間を待つ

5生き物から環境へ地球を守る自然保護主義者

かつて番組制作を始めた当初は自然保護を念頭に置いておらず、単に自然界を観察することを楽しんでいたというアッテンボローだが、年数が経過するにつれ自らが撮影している動物や生息地が、人間のせいで絶滅や消滅の脅威にさらされていることに気付いていった。2000年代からアッテンボローは番組内で自然保護や環境問題について言及することが増え、それは時代の流れともぴったり合っていたといえる。ただし、声高に危機を語るというより控えめなアプローチを好み、素晴らしい自然界を紹介することで視聴者がそれを保存しなければという気持ちになることを期待していた。しかし近年では、19年にBBC1で放送された気候変動に関するドキュメンタリー「Climate Change The Facts」やNetflixのドキュメンタリー・シリーズ「Our Planet」のように、人間の活動が地球に破壊的な影響を与えていることを強調した、切実な作品が作られるようになった。

そうした番組に加えて、20年10月にはウィリアム皇太子が主催する「アースショット賞評議会」* のメンバーに任命されるほか、スコットランドのグラスゴーで開催された21年の国連気候変動会議(COP26)のスタッフとして開会式でも演説をするなど、環境問題に対してより直接的なアプローチをするようになった。また同年の第47回G7サミットの首脳陣に対して、「気候変動への取り組みは今や科学的・技術的課題であると同時に政治的課題でもある」とビデオ演説で語りかけ、「私たちは、それに間に合うように対処するスキルを持っている。必要なのは、そうするという世界的な意志だけだ」と結んでいる。自分がこよなく愛する地球と生き物たちを守るため、今もなお体を張って戦うアッテンボローの姿に、共鳴する人は少なくないはずだ。

*2030年までに世界の深刻な環境問題に対する50の解決策を発見することを目標に、革新的なアイデアに対して、10年間にわたり毎年5件、各100万ポンド(約1億8000万円)の奨学金を授与する組織

2021年、COP26の開会式で演説するアッテンボロー2021年、COP26の開会式で演説するアッテンボロー

6アッテンボローが携わった人気ドキュメンタリー

モノクロ・テレビの時代から現在まで、映像メディアの歴史と共に歩むアッテンボローがこれまで手掛けた作品は、260作以上といわれる。ここでは英国のテレビで人気だったドキュメンタリーを中心に、代表作を挙げる。

1954年 BBCに入社し最初の自然ドキュメンタリー・シリーズ、「Zoo Quest」が放送
1969年 「Civilisation」が放送
1973年 「The Ascent of Man」が放送
1979年 「Life on Earth: A Natural History」が初放送。生命の歴史を取り上げたもので、大成功を収めた
1984年 キャリア初の3D映画「The Living Planet」を制作
1990年 ナレーションを担当した「The Trials of Life」が放送
1990年代 「The Private Life of Plants」や「The Life of Birds」など、植物や鳥を中心にした番組を制作
2000年 「The Blue Planet」が放送。海洋生態系に焦点を当て、視聴者から高い評価を受けた
2004年 「The Amber Time Machine」が放送
2005年 ナレーションを務めた「Planet Earth」が放送。高解像度の映像で地球の自然を捉え、国際的な評価を得た
2013年 「Africa」シリーズが放送
2016年 「Planet Earth II」シリーズが放送
2018年 「Dynasties」シリーズが放送
2019年 「Climate Change The Facts」「Our Planet」など 環境問題を扱ったシリーズが放送
2020年 地球の生態系に焦点を当てたシリーズ「A Perfect Planet」が放送
2022年 「The Green Planet」「Prehistoric Planet」「Frozen Planet II」シリーズが放送
2023年 「Wild Isles」「Prehistoric Planet2」「Our Planet II」「Planet Earth III」シリーズが放送
2024年 「David Attenborough and The Giant Sea Monster」が放送

アッテンボローをめぐる「ABC」

A恐竜を復活させたい

ギネスブック団体のサイトで「絶滅した動物を1匹だけ復活させることができるとしたら何か」と聞かれたアッテンボローは、「史上最大級の翼竜ケツァルコアトルス」と答えている。ケツァルコアトルスは約6800万年前から約6600万年前にかけて北米大陸に生息していたが、翼を広げると横の長さが約12メートルあまり。生物学的に飛翔できるサイズを超えているといわれている。

B故エリザベス王と同い年

故エリザベス女王とアッテンボローは2人とも1926年生まれ。生まれ月も1カ月しか離れておらず、たびたび顔を合わせる機会もあり、環境問題について話したこともある模様。「テレグラフ」紙によると、「Blue Planet」などのアッテンボローによる番組にいたく感銘を受けたエリザベス女王は、2018年に王宮内でプラスチックのストローとペットボトルの利用を禁止すると決めたという。

C20ポンド札の顔になれそうだった

20ポンド紙幣は長年、経済学者のアダム・スミスが印刷されていたが、2020年から画家のJ・M・W・ターナーに一新。ただし、17年に調査会社YouGovが「新札の顔になって欲しいのは誰か」という世論調査をしたところ、調査対象となった2128人のうち40パーセントもの人がアッテンボローと回答した。2位は7パーセントのチャールズ皇太子(当時)で、アッテンボローがぶっちぎりで1位だった。

Dアッテンボローの名前が付いた生き物たち

現存するものと絶滅したものを含め、少なくとも20の種属がアッテンボローに敬意を表して命名されている。アッテンボローにちなんで学名が付けられた最初の生物は、オーストラリアのヤモリ「Oedura attenboroughi」(オエデュラ・アッテンボローイ)。次が首長竜の「Attenborosaurus」(アテンボロサウルス)。アッテンボローはこの恐竜の名前が1番のお気に入りだそうだ。

Eプラント・ベース食品に移行中

アッテンボローは自分は菜食主義者でもビーガン食の信奉者でもないと2019年に英国の情報誌「グッド・ハウスキーピング」で語っている。ただし、食卓に上る肉がどのようなルートでやってくるか、またその製造方法が地球にどのように悪影響を与えるかなどを考えると、以前よりは肉を食べなくなったそう。環境負荷を軽減するという植物由来のプラント・ベース食品を取り始めたことを明かしている。

Fもし歩けなくなったら?

2013年、心臓にペースメーカーを入れ、腰の手術もしたアッテンボロー。もし将来歩けなくなったらどうするかとの「デーリー・メール」紙の問いに、「そうしたら、それはしょうがない。座ってできそうな、アメーバーについての番組を作るかな。例えば、『Micro Monsters』(ミクロの怪物たち)とか」。このインタビューは約10年前に行われたもの。まだまだアメーバーの研究は始まりそうにない。

iPlayerで観られる2024年に放送の
「アッテンボローの最新ドキュメンタリー」

  • David Attenborough and The Giant Sea Monster
  • Blue Planet III(10月放送予定)

最も新しいドキュメンタリーは、BBC2で1月7日放送の「David Attenborough and The Giant Sea Monster」。昨年12月に英南部ドーセットのジュラシック・コーストで発見された、海のティラノサウルス・レックスともいわれる大型の海生爬虫類プリオサウルスの頭蓋骨が発掘される模様を、アッテンボローがチームに参加してリポートした。

さらに今後は海洋の神秘を追う人気シリーズの第3弾、「Blue Planet III」の放送も予定されている。また、これまでにアッテンボローが携わった過去の名作ドキュメンタリーは、BBC iPlayerでまとめて観ることも可能だ。

プリオサウルスの頭蓋骨を見るアッテンボロー(写真左)プリオサウルスの頭蓋骨を見るアッテンボロー(写真左)

BBC iPlayer: Sir David Attenborough
https://www.bbc.co.uk/iplayer/group/p03szck8

 

パリ五輪 - 100年ぶり3度目の五輪に湧く「花の都」PARIS 2024

100年ぶり3度目の五輪に湧く「花の都」PARIS 2024

オリンピック 2024年7月26日(金)〜8月11日(日)
パラリンピック 2024年8月28日(水)〜9月8日(日)

パリ五輪 PARIS 2024

2024年にフランスの首都パリで開催されるオリンピック・パラリンピック。パリ中心部を彩る数々のモニュメントが競技場に変身するほか、大会を通したサステナブルな取り組みなどでも話題を集めている。今号では、そんなオリンピックに沸く「パリ」を大特集! パリ2024の大会コンセプトや注目ポイント、開会式について解説する。(文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:Paris2024 公式ウェブサイト、IOC 公式ウェブサイト、公益財団法人日本オリンピック委員会ウェブサイト、フランス24

歴史を通して考える パリ2024のあるべき姿とは?

今日のオリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって1896年に開催された、第1回アテネ大会に始まる。各国が覇権を争う帝国主義の時代に、クーベルタンはスポーツを通して国際交流を促し、世界平和に貢献することを目指した。その第2回目となるパリ1900では、女性が初めて選手として参加(しかしクーベルタン自身は、女性の参加に対して否定的であった)。またパリ1924では「選手村」が初めて建設されるなど、過去2回のパリ大会がオリンピック史に与えた影響は大きい。

そして今年迎える、100年ぶり3度目のパリ2024。世論調査ではフランス市民のオリンピック支持率が70%以上と、広く支持されている。さらにパリ1924で使用された施設「スタッド・イヴ・ドゥ・マノワール」が、パリ2024ではホッケーの試合会場となるなど、100年前と現在が交差する瞬間も垣間見えるだろう。

一方で、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、パリ2024ではロシアとベラルーシを除外するという。両国の選手に対しては、国を代表しない「中立」の立場の個人資格での参加を認めるが、両国の国旗や国歌の使用は許さず、政府関係者も招待しないという決断に至った。

二度の世界大戦による中断や、東西冷戦によるボイコット、コロナ禍による東京五輪の延期など、オリンピックはいつの時代も社会情勢に翻弄され、そのたびに「あるべき姿」を問われてきた。そんななか、パリ2024ではどのような未来を描き出すのか、次ページではその数々の取り組みをご紹介する。

エッフェル塔とフランス国旗2021年8月9日に行われた東京大会からパリ大会への引き継ぎセレモニー

オリンピック史上初の試みも PARIS 2024の7つの魅力

国際的なスポーツの祭典であるだけでなく、開催地のさまざまな魅力を盛り込むのがオリンピックの特徴。世界有数の観光地でもあるパリ2024ではどのような仕掛けが組み込まれるのだろうか。今日の世相をも反映した本大会の魅力を7つ紹介する。

近年の世相を反映 1. 多様性と平等を強調

今大会のコンセプトは「広く開かれた大会」(Games wide open)。「祭典」(Celebration)、「遺産」(Legacy)、「全員参加」(Engagement)という三つの柱を据え、一般市民も数々のイベントに参加できるこれでにないモデルとなる。特筆すべきは、各所にうかがえる平等と多様性の精神だ。大会のロゴは、フランスを象徴する女性像「マリアンヌ」の唇と輪郭に、金メダルと聖火を織り交ぜており、大会史上初めてオリンピック・パラリンピック共通で使用。マスコットはフランスで自由の象徴である伝統的なフリジア帽を元にデザインされた「オリンピック・フリージュ」と、義足を付けた「パラリンピック・フリージュ」で、男女の性別を明確に設けないものになった。

また、今大会は出場選手が男女それぞれ5250人と、史上初めて同数である。パリ1900から女性が競技に参加できるようになったが、当時の女子選手はたったの22人。全体に占める女子選手の割合は2.2%だった。現在、参加選手の中には、出産というライフイベントを経た女性も多数いる。復帰までに多大な努力を重ね、今回の出場権を勝ち取った選手にも注目したい。

パリオリンピックのマスコットオリンピック・フリージュとパラリンピック・フリージュ

スポーツと観光地のコラボ!2. パリの名所が競技場に変身

多くの人々を魅了する歴史的文化遺産が現存するパリ。パリを訪れたことがない人でも聞いたことのある、アイコニックな場所も競技会場として活用される。

シャンゼリゼ通り東部に位置し、国家的祝典の場としてたびたび使われてきたコンコルド広場はBMXフリースタイル、スケートボード、ブレイキン、3×3バスケットボールなど、アーバンスポーツ競技の会場に。ビーチバレーボール競技はエッフェル塔のそばの野外スタジアムで行われる。また、総距離男子273キロ、女子158キロを走る自転車競技のロードレースではパリの一部の地域も走行。ルーヴル美術館のピラミッドやオペラ座、モンマルトルの丘なども通過する。さらにヴェルサイユ宮殿では馬術競技が、アンヴァリッドではアーチェリーが行われる。

一方、屋内施設では、1900年のパリ万国博覧会のために建設されたグラン・パレでフェンシング、テコンドー競技を開催。北西部のエッフェル塔と南東部の軍事訓練用複合施設、エコール・ミリテールの間にあるシャン・ド・マルス公園に建設されたアリーナでは、柔道とレスリング競技が行われる。

ビーチバレーボール会場となるエッフェル塔の野外スタジアムビーチバレーボール会場となるエッフェル塔の野外スタジアム

日本も強豪国になりえる3. 新たに4競技が追加種目に決定

オリンピックは32競技329種目、パラリンピックは22競技549種目が実施される。パリ大会では東京2020で採用されたサーフィン、スケートボード、スポーツクライミング競技が継続して行われ、ブレイキン(ブレイクダンス)が初採用。計4競技計12種目が追加となる。

アーバンスポーツの一つとして注目を集めるブレイキンは、即興で作るダンスを交互に披露する1対1のダンスバトル。パリ大会には男女各16人が出場し、メダル獲得を目指す。これまでの世界大会では、身体的クオリティー(ボディ)、芸術的クオリティー(マインド)、解釈的クオリティー(ソウル)の三つのポイントを評価するトリビュームシステムを導入していたが、パリ大会ではこれらのシステムを元に、音楽性、独創性など五つのカテゴリからなる新たな評価法が採用される。

ちなみに日本勢は東京2020でメダルラッシュが相次いだスケートボードなど、五輪のアーバンスポーツ競技で優れた成績を残してきた。ブレイキンでもすでにトップクラスの選手がいる強豪国として知られており、複数のメダル獲得に期待がかかる。

オリンピック・デー2022で行われたブレイキンの入門セッションオリンピック・デー2022で行われたブレイキンの入門セッション

持続可能なオリンピックに向けて4. サステナビリティーへの配慮

環境破壊やごみの排出など、オリンピック開催と環境問題には密接な関係がある。こうした問題を踏まえ、国際オリンピック委員会(IOC)は、2030年以降の全てのオリンピック競技大会を気候変動に配慮したイベントにすると宣言。パリ大会はその新しいスタイルを実現する最初の大会になる。今大会で舞台となる会場の95%は既存のものが使われるのをはじめ、多くの試みがなされる。だが最もフランスらしいのは、食の国であるという自負と共に打ち立てた持続可能なケータリング計画「フード・ビジョン」だろう。

計画によると、大会の4週間で提供される1300万食の平均二酸化炭素排出量の半減(ロンドン2012比)を目指す。ペットボトルを禁止することで使い捨てプラスチックを半減させるほか、10万枚の皿も全て再利用される。また、食材の80%は地元またはフランス国内で調達。東京2020では消費されなかった13万食が廃棄処分になり問題となったが、今大会で余った食品は全て寄付、堆肥化、再生可能なガスの生産のいずれかになり、消費されなかった資源を100%回収するという。

ケータリング会社Sodexo Liveによるプレゼンテーションケータリング会社Sodexo Liveによるプレゼンテーション

会場はパリだけじゃない5. フランス各地での競技会場にも注目

競技はパリだけでなく、レ・イヴリン、オー・ド・セーヌ、セーヌ・エ・マルヌ、セーヌ・サン・ドニなどパリ周辺地域や、フランス各地、また仏領ポリネシアのタヒチ島など海外領土でも開催される。

サッカー競技は、国内で圧巻の強さを誇るサッカークラブのパリ・サンジェルマンの本拠地のパルク・デ・プランス(パリ)のほか、ボルドー、ナント、リヨン、サン・テティエンヌ、ニース、マルセイユの6都市にある各スタジアムで、セーリングはマリンスポーツが盛んな南部マルセイユで行われる。

サーフィンは南太平洋に浮かぶタヒチ島のチョープー(Teahupoo)で開催。チョープーには、島から流れる川の影響で河口付近のサンゴ礁が侵食されて生まれた「リーフパス」(Reef Pass)があり、これにより引き起こされるパワフルな波が有名。毎年同地で開催されるツアー大会では木造の仮設小屋を建て、ツアー終了後に撤去されるが、今回はサンゴ礁上にアルミ製の審判席を建設予定。サンゴ礁の破壊を危惧する抗議デモが行われていたが、ポリネシアの行政長官は解決策が見つかったとし、騒動の終結を宣言した。

サーフィン競技はフランス領ポリネシアのタヒチ島で開催サーフィン競技はフランス領ポリネシアのタヒチ島で開催

スポーツを愛する人を歓迎 6. 市民を巻き込んだ参加型オリンピック

オリンピックでは初の試みとして、大会と同日にアマチュア選手も参加できる参加無料の市民マラソン大会「皆のマラソン」(Marathon Pour Tous /Marathon For All)が開催される。二つのレースが夜間に行われ、フルマラソンへの参加選手はオリンピック大会と同じコースを、年配の人や障がいのある人も参加できる10キロレースはパリ市庁舎からアンヴァリッドまでを走る。参加希望者はParis 2024 Clubウェブサイト(https://club.paris2024.org)もしくは大会専用のアプリに登録し、各コースに課された課題やクイズに挑戦。ポイントを貯めることで、マラソンへの出場を懸けた抽選へ参加できる。

2021年10月31日にはパリ大会まで1000日を切ったことを記念し、市民ランナーを含む約3600人が参加したマス・マラソン大会をパリで開催。レースには東京2020のマラソンで金メダルを獲得したケニアのエリウド・キプチョゲ選手も参加した。タイムが遅い人から順に出走し、キプチョゲ選手は最後にスタート。キプチョゲ選手より早くゴールした約1000人のランナーが「皆のマラソン」への出場権を獲得した。

2021年にパリで開催されたマス・マラソン大会2021年にパリで開催されたマス・マラソン大会

パリらしさが満載!7. 見どころがいっぱいの開会式

開会式
2024年7月26日(金)20時24分開始(現地時間)
グランドフィナーレは午後11時50分、最後尾であるフランス選手団を乗せた船の到着と共に開始予定。

エッフェル塔に向かって進む各国の選手を乗せた船のイメージエッフェル塔に向かって進む各国の選手を乗せた船のイメージ

1. セーヌ川を船で入場行進

通常、オリンピックの入場行進は屋内の競技場で行われる。しかし本大会では難民選手団も加えた全206チームの選手団約1万500人が160隻の船に分乗し、パリの中心を東西に流れるセーヌ川上から開会式会場に向かう。船は、パリを象徴するランドマークを背景にして進むので、オリンピックがこの街で始まる瞬間を人々の目に焼き付けるだろう。

万人に開かれた大会を目指すパリ2024は、入場行進の際に河岸や橋で迎え入れる観客数を60万人と予定しており、これは屋内で開催される通常の観客数の10倍だという。また、川岸には80台の巨大スクリーンと音響システムが配置され、入場無料のエリアも設けられるので、誰もがその祝祭的な雰囲気を楽しめる。橋の各所に設けられたステージではパフォーマンスやイベントも。スポーツ好き、パリ好き、パフォーマンス好きの人が思う存分楽しめるオープニングになりそうだ。

2. 開会式のルート

パリ五輪開会式のルート

選手団を乗せた船は、パリ東部のオステルリッツ橋付近を出発し西へ向かう。2019年4月の火災で現在復旧工事中のノートルダム大聖堂を左に、船はパリ市庁舎を経てルーヴル美術館、オルセー美術館を通過していく。やがて右手にコンコルド広場の塔、グラン・パレを経て、クライマックスはエッフェル塔。そのたもとが開会式のメイン会場トロカデロ広場で、イエナ橋が約6キロの行進を終えた選手団を乗せた船の終着点だ。

3. 芸術的なパフォーマンス

開催国ごとの特色が色濃く反映される開会式は、オリンピックの見どころの一つともいえる。この一世一代のイベントを担う芸術監督が、演出家のトマ・ジョリー氏(Thomas Jolly)だ。フランス北部ルーアン生まれで今年42歳になる同氏は、2015年に同国の演劇界最高の栄誉であるモリエール賞を受賞した経歴を持ち、現在はアンジェ国立演劇センターの芸術監督。伝統と現代カルチャーを大胆に組み合わせた手法を得意としている。開会式も、演劇、ダンス、サーカス、オペラを融合させ、複数のストーリーを織り交ぜたさまざまなパートに分かれたスペクタクルなものになるという。開会式の出演者は当日までのお楽しみということだが、花の都パリの名に恥じない華やかで革新的なパフォーマンスになるのは間違いない。ジョリー氏はオリンピックの開会式だけではなく、シャンゼリゼ通りとコンコルド広場でのパラリンピック開会式、パリ郊外サン・ドニのフランス競技場で行う両閉会式も担当する。

スポーツと芸術の融合を目指すスポーツと芸術の融合を目指す

4. 開会式や入場行進を現地で観るには

希望者は誰でも無料で選手団のパレードを見ることができるが、より見やすい場所を確保できる有料チケットが販売中。また、開会式や観戦チケットの付いたお得なチケットもオリンピック公式サイトから併せて発売されている。

開会式専用プラン
https://olympics.onlocationexp.com/paris2024/ceremony/

観戦+宿泊のプラン
https://hospitalitytravelpackages.paris2024.org/discover?language=en

 
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