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Mon, 15 December 2025

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ロンドンの秋が楽しめる!植物やキノコのフォレジング

ロンドンの秋が楽しめる植物やキノコのフォレジング

秋を楽しむフォレジング

森や自然に入り、野生のベリーや木の実、キノコなどを採取するフォレジングは、自宅の庭で植物を育てるのとはまた違う楽しみがあるアクティビティー。自然が豊かな地方と比べて、ロンドンでのフォレジングは一見難しそうに思えるが、目を凝らせば都市にもフォレジングの対象になる植物や樹木はそこかしこに自生している。この特集では、秋から冬にかけて採取できる代表的な植物やキノコを紹介。ロンドン北部ハムステッド・ヒースで行われているフォレジングのスキルを学ぶためのガイド付きツアーのレポートも併せてお伝えする。
(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.woodlandtrust.org.ukwww.nationaltrust.org.uk、 https://bsbi.org、The Urban Forager by Hoxton Mini Pressほか

フォレジングとは

フォレジング(Foraging)とは、動物たちが自然界に自生する食材を採取する行為のことで、リスの木の実探しやハチの蜜集めなども含まれる。ただ本特集では、野草摘みやキノコ狩り、海藻拾いなどの趣味と実益を兼ねた、人々のアクティビティーのことを指す。自給自足とまではいかないものの、地元に自生する植物やキノコを採取して旬の味を楽しむほか、その薬効の恩恵を受けることができるとして近年人気が高まっている。もともと1980~90年代にスローライフが提唱され始めたころから注目の兆しがあったが、90年代からは世界的に環境問題への懸念が高まり、その反動として地産地消の一環で取り入れられた。そして最近では、コロナ禍で家にこもらなければいけなくなったとき、人混みを避けて自然を楽しむ人、食生活を見直し健康になりたい人たちにフォレジングが受け入れられた。このような過程を経て、フォレジングは現代社会に定着しつつある。

フォレジングの際に気を付けたい5つのこと

食べられる植物ならなんでもかんでも採取して良いわけではない。また、フォレジングは個人で楽しむべきもので、販売目的の大量採取は禁じられている。フォレジングを行うにあたって、まずは基本的な注意事項を5点紹介しよう。

1. 一つの植物から全ての葉や実などを採取せず、自分が必要な分だけ採取

繁殖のため植物が次のシーズンも成長するためには、葉や実、種などを十分に残しておくことが大事。全てを採取してしまうと、植物が十分な光合成を行えなくなったり、栄養を蓄えることができずに枯れてしまう可能性がある。また実を全て採ると、その植物が繁殖し次世代を生み出せなくなる要因になる。

野生動物のため植物の葉や実は、野生動物にとっても重要な食料源。必要以上に採取することで、ほかの動物や昆虫が食べるものがなくなり、その生物の生活や繁殖にも悪影響を及ぼす可能性がある。

生態系のため植物はほかの植物や動物と相互作用して複雑な生態系を形成している。ある特定の植物が減少すると、それに依存するほかの種にも影響が及ぶ。特に、特定の植物がいくつかの動物や昆虫にとって唯一の食料源である場合、全てを採取することでその地域全体の生態系が崩れるリスクが高まる。

2. その土地の法律や条例を事前によく調べる

地域によっては保護のため植物採取が禁止されている場所があり、特定の植物やキノコの採取が禁止など、地域ごとに法律で保護されているものが違う可能性もある。また、季節ごとに採取が許可される植物や量の制限がある場合もあるため、地域のルールに従うことが重要だ。森林保護団体ウッドランド・トラスト(Woodland Trust)のウェブイトには、自然保護の法律(The Wildlife and Countryside Act 1981)の説明、保護植物リストの外部リンクなども掲載されている。

また私有地の場合は必ず所有者の許可を得ること。自然保護区での無断採取も、窃盗や不法侵入にあたることがある。その土地には地元の住民などほかのフォレジャーがいる場合もあるので、法律や条例を守って地域の人々の伝統や習慣を尊重したい。ちなみに、歴史的名所や自然的景勝地を保護するナショナル・トラスト(National Trust)は、同団体の管理する土地内のフォレジングを認めている。

3. 汚染地を避ける

工場や道路の近くなど有毒物質が含まれる恐れがある土地を避け、健康な植物のみを選ぶ。工場の跡地、農薬や化学肥料が使用された農地などは、見た目では汚染の有無を確認できないことが多いため、その土地の事前の調査を必ず行うこと。

4. よく分からないものには触らない

植物やキノコは、それが何であるかを確信できる場合にのみ摂取すること。毒性のあるものや人体に有害な成分を含んだものを避けるためだけではなく、一部の植物は法律で保護されているので、採取してはいけないものを知っておく必要がある。特に天然林(Ancient Woodland)には希少種が多数生息している可能性があるため、特別な注意が必要だ。確信が持てない場合は、そのままにしておくのがベスト。植物識別アプリPictureThisなどをスマートフォンに入れておくと、植物にかざしただけでその名前が分かるので便利だ。ただ、識別率は100パーセントではないので参考のみにとどめた方が良いだろう。

5. 採取時の心得

  • 植物はハサミを使って上部だけを取り、根こそぎ取らない
  • キノコはナイフで上部のみを切り取り、芯は残す
  • 樹皮は、自然に倒木した木からのみ採取する
  • ほかの植物を踏み荒らさない。一箇所に集中して採取せず、なるべく広い範囲で少しずつ採取する
  • 海草や水草は、工場排水など汚染が懸念される場所を避け、水に漂っているものではなく、水底に根付いているものを切り取る

フォレジングに役立つ服装・道具

快適さと安全性を保ちつつ効率よく採取するために、それに適した服装と道具をそろえよう。

レイヤリング(重ね着)秋の気温は変わりやすいため、レイヤリングが効果的。体温調節のできる服装が良い。

レインブーツやハイキング用の靴がお勧め。ぬかるんだエリアを歩いたり、倒木をまたいだりするので、いくら歩きやすくてもスニーカーなどはやめた方が無難。また、足首が出ていると虫さされや外傷の危険性もある。滑りやすいところもあるので、グリップ力のあるソールのものが良い。

手袋軍手やゴム手袋のようなものがあると、チクチクしたトゲのある植物を採取するときに安全。

携帯用ナイフ果実やキノコを採取する際には、シャープで使いやすいナイフが良い。

ハサミ小さな花を採取するときなどに便利。

トート・バッグ採取したものを持ち運ぶための軽量で耐久性のあるバッグが必要。

収穫用のコンテナーベリーやキノコなど、つぶしたくない植物を持ち運ぶのにタッパーウエアが便利。たくさん採る場合はバスケットや通気性のある袋も良い。

植物識別ガイド植物やキノコの識別に必要。地域の野生植物やキノコの識別ガイドなどの本、または前述のアプリを持参することで、正確な識別が可能になる。

メモ帳とペン採取した植物やキノコの特徴をメモするために、小さなメモ帳とペンを持っていると便利。ガイド・ツアー時の説明なども書き留められる。

コンパスやGPS特に広い地域や森林の中でフォレジングを行う際には、迷子になるリスクがあるので、あると安心。

秋を彩る 野草・木の実・キノコ

フォレジングというと春を思い浮かべる方が多いだろうが、英国のフォレジングは秋が本番。ここではロンドンとその近郊で見つけやすい代表的なものを12種類ピックアップした。近所を歩く際に探してみてはいかがだろうか。

01Hawthorn Berry
セイヨウサンザシ

Hawthorn Berry

英国の秋のフォレジングで最もポピュラーな植物の一つ。直径1センチ程度のベリーの一種だが、硬くて種も大きいため生食はできない。保存性が高く冬のビタミンC不足を補えるため、昔からジャムやゼリー、酢、アルコール飲料に利用されてきた。葉や花はハーブ・ティーに良く、不整脈を整えるなど心臓病に効くという。湿り気の少ない日当たりの良い場所を好むため、森の中の木々が少し開けたところや郊外の生け垣、公園などでも見つけられる。

02Rosehip
ローズヒップ

Rosehip

ローズヒップ・ティーでよく知られるバラ科の植物。赤い実にはビタミンがいっぱいで、第二次世界大戦で柑橘類が手に入らなかったとき、人々はローズヒップの実を代用にしたという。半分にカットし毛のある種とわたを全部取り除き使う。天日干しやオーブンなどで水分を飛ばすと長期保存でき、お茶だけでなくゼリーの材料になる。生け垣や森林で明るい赤色のものを探すと良い。11月ごろまでが旬。採取時はトゲが刺さらないよう注意する。

03Bullace
ブレイス

Bullace

欧州原産の野生プラムの一種で、プラムやダムソン(Damson)に似た果実だが、やや小さく味も酸味が強いのが特徴。後述のスローよりは大きく、日本の果物で1番近いのはスモモ。生け垣や森林の周辺で見られ、ジャムや果実酒などに利用されることが多い。収穫に適しているのは9月から10月にかけてで、実が完熟し深い紫色になるころが収穫のタイミングだ。果実は自然に木から落ちるか、軽く引っ張ると簡単に取れるようになるまで待つのが良い。

04Sloe
スロー

Sloe

スピノサスモモという低木の果実をスローといい、生け垣や畑沿いの木に濃い青紫色の実を付ける。生は非常に酸味が強く、口が乾いた感覚になる独特な風味のため、基本的にはスロー・ジンをはじめ、ジャムやゼリー、酢漬けなどで食べるのが一般的。採取期間は9月末から12月と比較的長いが、霜が降りてから摘み取るのがお勧めだ。霜の水分によって皮が柔らかくなり果汁が出やすくなるので、早摘みして自宅で冷凍してから使うとより楽しめる。

05Hazelnut
ヘーゼルナッツ

Hazelnut

森林、生け垣、庭でよく見られるヘーゼルナッツは、8月下旬から実を付け始め、9、10月が食べごろ。野生動物の重要な食料となっていることから、いざ探すとなるとなかなか見つけにくいので、9月中旬ごろまでに緑色の若い状態で摘み取り、乾燥した暗い部屋に置いて熟成させるのが良い。むく際は殻に入った状態で軽く振るのがポイントだ。そのまま食べたり、細かく刻んでサラダに振りかけたり、バターに混ぜてパンに塗って食べたりするのがお勧め。

06Sweet Chestnut
セイヨウグリ

Sweet Chestnut

英国ではクリスマスの定番として親しまれ、和栗より身が引き締まっているのが特徴。焼いたり、茹でたり、ペーストにしたりとさまざまな形で楽しまれている。10月から初冬にかけて公園や森林などで見つかる。似た実に、マロニエ、セイヨウトチノキと呼ばれる、手のような形の葉と房状に実が付くホース・チェスナッツ(Horse Chestnut)があるが、こちらは毒性があり食べられないので気を付けよう。セイヨウグリは細長く、ギザギザとした葉縁が特徴だ。

07Walnut
クルミ

Walnut

森林や住宅地など、英国全土で広く見つけることができる。実は緑色の滑らかで肉厚な殻で覆われており、殻が割れ始めたら熟した証拠で、旬は9月初旬から11月初旬。クルミの殻を直接触ると、皮膚炎を引き起こす可能性があるので要注意。ナッツは生で食べることもできるがゴムのような独特な食感のため、乾燥させるのが一般的で、1年ほど保存が可能だ。また、意外だがピクルスにするのも英国の伝統的な食べ方の一つだという。

08Hop
ホップ

Hop

ホップは英国に広く自生しており、つる状態になってほかの植物に絡みついていることが多い。私たちがよく見るホップは松かさ状の雌しべで、これを収穫する。旬は9月で、熟すと乾燥気味になり、擦ると油っぽくなる。ビール作りに欠かせない材料の一つだが、独特の風味と香りから、ドレッシングやオイル、またお茶として用いられている。鎮静作用の成分が含まれており、乾燥させたホップは枕の中に入れることで不眠を改善する効果が期待できる。

09Field Mushroom
ハラタケ

Field Mushroom

芝生や牧草地などの日当たりのよい場所に自生する、英国で最もよく食されているキノコの一種。ただ、農業技術の進化により生息地が失われていることから、その数は年々減少しているともいわれる。ドーム型の傘の直径は最大で10センチにもなり、ひだは深いピンク色で成熟するとほぼ黒色に変わる。ハラタケと見た目が似ており注意が必要なのが、毒キノコのキツネノカラカサ。こちらは傷つけると鮮やかな黄色になり、消毒薬のような匂いがするのが特徴だ。

10Nettle Seeds
イラクサの種

Nettle Seeds

イラクサの若葉はハーブ・ティーや料理によく使われるが、種もまた栄養面や薬効面でさまざまな効果を発揮する万能な食材だ。料理ではケシの実と同じような使い方ができ、その効能は貧血予防、免疫力向上、抗炎症作用、アレルギー症状の緩和だという。種の収穫時期は夏から秋にかけて。長い種の房が垂れ下がっているので、特に栄養価の高い上部3分の1を採取する。葉に細かいトゲがありチクチク痒みが出るため手袋をして収穫しよう。

11Elderberry
セイヨウニワトコ

Elderberry

湿った場所や川沿いのエリア、公園などでよく見られる低木で、赤やピンクの茎に小さな紫黒色の実が房状に付いている。果実は7月から10月にかけて熟していき、シロップやジャム、ワインなどに使われ、生で食べることはしない。冷凍すると甘みが増すともいわれている。抗ウイルス作用があるのでショウガと一緒にシロップなどにすると、寒い時期の風邪の予防に役立つ。採取時は葉の部分に触れると刺激や発疹を引き起こすことがあるので注意。

12Wood Ear Mushroom
キクラゲ

Wood Ear Mushroom

木から耳が生えているような姿からこの名が付いた。ジェリー・イア・マッシュルーム(Jelly Ear Mushroom)などとも呼ばれる。キクラゲ(木耳)は中華料理ではおなじみの食材。森の中のじめじめした湿地にある古木や、木の切り株などに密集している。乾燥した気候では縮んで黒くなっており、雨が降って水分が補給されると完全な形に戻る。高タンパク質で鉄分を多く含み低カロリーなので、食材としても優秀だ。秋だけでなく1年を通して採集できる。

実際に行ってみた!ハムステッド・ヒースでフォレジングに挑戦

植物やキノコを写真と見比べたとしても、実際に採取するとなると本当に食べて大丈夫なのかと不安は尽きない。そこで、週末のロンドン北部ハムステッド・ヒースで開催されている、1時間30分の短いガイド・ツアーに参加することにした。採取した植物を料理するなど、英国各地でさまざまなツアーが行われているが、まずは初心者向けに挑戦した。

参加メンバーは国際色豊かな20~40代

9月初旬の日曜日、12時にハムステッド・ヒース駅前に集合。参加者は5人で、出身はスイス、インド、シンガポール、日本といずれも国際色豊かなメンバーがそろった。そんな私たちをガイドしてくれるのは英国人のヒース・バンティングさん。(写真❶)。元アーティストだが現在はフルタイムでフォレジングとオーガニックの野菜作りに身を投じているという。初めになぜこのツアーに参加したのか、知りたいことは何かを1人1人皆の前で発表させられるが、それはどんなガイド・ツアーにするかバンティングさんが判断するため。希望によっては火の起こし方などサバイバル技術も教えてくれるややワイルド寄りのツアーにすることも可能だそう。今回は、フォレジング初心者の集まりということで基本的なツアーになった。

❶ガイドのヒース・バンティングさん

こんなところで野生のゴボウに遭遇して感動する

晴れた日曜の昼間なので、散歩する家族連れや犬が走り回り、こんなに人通りが多いところにフォレジングする植物があるのか不思議なくらいだが、ヒース内に入り2、3分もすると高さ140センチほどの枯れた植物群の前で「これはなんだと思う」とバンティングさんが聞いてきた(写真❷)。「特に君は知ってると思うよ」と言われたけれども、全然分からずもぞもぞしていると、日本語で「ゴボウ」と一言。ゴボウに地上の部分があり、それがこんなに大きいとは想像もしなかった。丸いトゲトゲした殻の中に種が詰まっている。この種を庭に植えたらゴボウができるのだろうか。大事に持参したビニール袋に入れた。そんなことをしなくても、ここを掘ったらゴボウが採れるのではないかとも思ったが、フォレジングでは植物を根ごと採取してはいけないルールがある。ハムステッド・ヒースに無造作に生えているが、ゴボウは外来種として定着した植物の一つで、英語ではBurdockという。ちなみにdockは「硬い葉」の意味だそう。

❷ Burdock ゴボウ

知らなかったら絶対触っていたきれいなベリー

このような調子で1時間30分のうちに合計10個の植物に関する説明を聞いた。せっけんの代わりになる上、頭痛にも効果があるホワイト・ウィロー、ホルモンの乱れを治し、枝の繊維で糸が作れるワイルド・ラズベリー、ローズヒップと一緒に食べると甘く感じるブラックソーンなど、ここで全てをお伝えすることは不可能だが、一つ有毒な植物について触れておこう。松やクリスマス・ツリーにそっくりなイチイの木(写真❸)は夏になると赤い実を付けるが、これは猛毒なので注意が必要なのだという。これまで歩いてきて、一見食べられそうにない実も食用だと習ったばかりだったので、小粒ながら果汁のありそうな赤い実が有毒なのは意外だった。古代ローマの兵士たちは捕虜になると奴隷化を避けるため、イチイの実を食べて自死を図ったそうだが、たった3粒で事足りたという。実ばかりでなく葉や樹皮も有毒だそうで、そんな木が散歩道に無造作にあるのは随分危険だ。だが後で調べるとイチイの木は硬くて丈夫なので、昔から弓や家具の材料として使われてきたという。そればかりか長寿の象徴として墓地や教会の周辺に植えられる習慣もあったそうだ。

❸ 有毒なイチイの実

本格的なキノコのシーズンは10月から

一つの植物をとってみてもさまざまなストーリーがあり、フォレジングの魅力は尽きない。大昔から続く植物とその土地のつながりが、人々の暮らし方や考え方に影響を与えていることが分かった。外来種の植物が定着し、温暖化によって新たなサイクルが生み出されるなどの変化はあるものの、それでも植物たちはたくましく生きている。そしてそれを利用する人間たちもまた、相当たくましいと思わずにいられなかった。

今回のツアーでは最近の雨不足のせいでキノコにはあまり出合えなかった。ただ10月がシーズンと聞くので、キノコ狩りを狙う場合はこれからが本番といえる。しかしキノコは有毒のものが多いので素人判断はやめよう。詳しい人と一緒に行くか、今回のようにガイド・ツアーに参加すること(写真❹)。1度参加した後は、各自で行って同じ場所で採取できるので、なるべく家の近くで開催されているツアーを探すことをお勧めする。

❹ ツアー

Wild Food Foraging Walks

ヒース・バンティングヒース・バンティングさん主催のフォレジング・ガイド・ツアーは、ロンドン北部のハムステッド・ヒースと英西部ブリストルの2カ所で季節を問わず開催。ハムステッド・ヒースのガイド・ツアーは1回16.96ポンドで、週末12時、14時の1日2回催行している。申し込みはウェブサイトから。ツアーでは、サバイバル・スキル、薬草の効能、せっけんの作り方、栽培と収穫の技術、先住民の暮らし方、有毒な植物の見分け方、収穫物の加工と保存、種の採取と種まきについても学べる。

https://foraging-london.co.uk

 

知っておきたい薔薇戦争の基本

英国への理解が深まる知っておきたい薔薇戦争の基本

薔薇戦争ヘンリー・アーサー・ペインによる「ヘンリー六世」の宣戦布告の場面
「テンプルの庭で赤と白の薔薇を選ぶ」(1908年)

1455年から30年続いた中世イングランドの薔薇戦争は、複雑で分かりづらいことで知られる。リチャード、ヘンリー、エドワードという名前の国王が何人もいるうえ、フランスやスペインの王族と血縁関係にあったり婚姻関係を結んだりと、なかなか頭に入ってこないことばかり。しかし白薔薇のヨーク家と赤薔薇のランカスター家の権力争いは、日本でいえば源平合戦のようなもの。源氏と平家の争いが後世に詩歌などの日本文化を形作る上で重要な役割を果たしたように、薔薇戦争も英国の文化を語る上でかかせない歴史の一幕だ。この特集では、戦いのきっかけや結末、主な登場人物に焦点を当てた。旅先で見つけた薔薇戦争にまつわる遺跡、シェイクスピア作品の鑑賞時など、知っておくと理解が深まる薔薇戦争の基本を取り上げる。
(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.britannica.com/event/Wars-of-the-Roseshttps://richardiii.net ほか

The War of Roses 薔薇戦争 (1455-85)

15世紀のイングランドで起こった薔薇戦争は、ヨーク家とランカスター家という共にエドワード3世の血を引く家柄の間で30年にわたって続いた内乱。近代国家が形成される過程で起きた、国家統一のための王権争いだった。ヨーク家の紋章が白薔薇、対してランカスター家の紋章は赤薔薇だったことから薔薇戦争と呼ばれる。最終的にランカスター家が勝利し、同家のヘンリー7世と、ヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークが婚姻関係を結んだことで、戦争は終わりを迎えた。ここからチューダー朝時代が始まるが、王家の紋章は紅白交じり合った薔薇であり、チューダー・ローズともいわれる。

 薔薇戦争

薔薇戦争のそもそもの原因は?

薔薇戦争の原因やきっかけは一つではない。イングランドとフランスが王位継承権を巡り約116年間争った百年戦争(1339~1453年)の時代から、ヨーク家とランカスター家はいがみ合っていた。

1. 百年戦争に対する考え方の違い

ランカスター家

ランカスター家は、百年戦争に積極的に参戦。同家のヘンリー5世は1415年のアジャンクールの戦い(The Battle of Agincourt)で大勝し、仏国内での勢力を拡大した。続いてヘンリー6世も領土の維持を目指したが、仏オルレアン包囲戦での敗北やジャンヌ・ダルクの台頭により仏国内での支配が次第に失われた。フランスでの影響力を失ったランカスター家は、イングランド国内での権威も損ない、特にヘンリー6世の精神的な不安定さが問題視され、国内の対立が激化した。

ヨーク家

ヨーク家は、ランカスター家の政策や戦争の進め方に批判的な立場。特にヨーク公リチャード・プランタジネットは、戦争が財政的に負担であると考えていた。また、ヨーク家は百年戦争よりも国内問題、特に王位継承や権力の分配に強い関心を持っており、フランスとの戦争よりも、イングランド国内での政治的な安定と自らの地位向上を重視していた。ヨーク家は、ランカスター家のフランスでの失敗を利用し、その失策をもとに同家の弱体化を図り、自らの正当性を訴えるための材料にした。

MAP

2. 王位継承問題

ヨーク家とランカスター家は共にイングランド王位の正当な継承権を主張し、対立が深まった。プランタジネット朝の国王エドワード3世の四男エドマンド・オブ・ラングリーは、ヨーク公を名乗るプランタジネット朝の分家。ランカスター家もエドワード3世の血筋で同朝の分家だが、ランカスター家のヘンリー6世が王位を継いでいた。しかし、ヘンリー6世は精神的に不安定で統治能力が欠けており王権が低下していた。そこで、ヨーク家を継いだリチャード・プランタジネットがイングランド王位を要求。財産や爵位、王位継承権もそろっていたリチャード・プランタジネットだが、ヘンリー6世を守るランカスター家が拒否したため、王廷における主要なポストは与えられなかった。こうしてヨーク家は1455年にランカスター家と内戦に突入した。1455~85年の30年間で、イングランド国内で約15回の戦いが起きている。

3. 貴族間の権力争い

フランスとの百年戦争が終結した後、帰国した兵士や貴族たちが国内で権力を巡って争うようになった。エドワード3世の孫たちが複数の系統に分かれており、それぞれが王位継承を主張することで、争いがさらに複雑化。貴族たちがそれぞれの勢力を拡大し、王位に対する野心を持つようになったことから地方の対立が激化した。戦争や不作による経済的な不安定も社会全体の不満が増大させた。

タウトンの戦い記念碑1461年に英北部ノース・ヨークシャーで起きた
タウトンの戦い(The Battle of Towton)の記念碑。
3万人近い死傷者が出たという

最終的にはどうなった?

ヨーク家とランカスター家の戦いは単なるお家騒動にはとどまらず、イングランド中を巻き込んだ戦いとなった。ランカスター家の勝利によって、英国は近代国家へと歩み始める。

1. 両家の争いに決着

薔薇戦争の勝敗は、1485年8月22日のボズワースの戦い(The Battle of Bosworth)で決まった。ランカスター家であり、後のヘンリー7世であるヘンリー・チューダーがヨーク家の最後の王リチャード3世を打ち破った。その結果、チューダー家がイングランドの王位を獲得し、薔薇戦争は終結。プランタジネット朝時代も終わりを告げ、チューダー朝時代が始まった。

ヘンリー7世はヨーク家とランカスター家の間の争いを終わらせるため、エリザベス・オブ・ヨークと結婚。ちなみにエリザベスは王位を追われロンドン塔に幽閉された幼い兄弟、エドワード5世とヨーク公リチャードの姉にあたる。この結婚によって両家の対立が終息し、イングランドは比較的安定した時代を迎えることになる。やがてヘンリー7世とエリザベスの間に生まれるのが、型破りな行動で英国の歴史を変えたヘンリー8世だ。

フェン・レインズ・ファームボズワースの戦いがあった場所といわれている、英中部レスターシャーのフェン・レインズ・ファーム

2. 中央集権が強化される

薔薇戦争の結果、王権の強化とともにイングランドの法律や制度に対する改革が進んだ。特にヘンリー7世は中央集権を強化し、貴族の権力を制限するための法律を整備。これが後のイングランドの政治制度に影響を与えることになった。これにより、土地を持たない農民や新興の商人階級が力を持つようになり、社会の階層構造に変化がもたらされた。中世が終わりを告げ、近代国家の始まりとなったといえる。

薔薇戦争で重要な役割を担った5人

敵との同盟や味方の裏切りが複雑に絡み合った薔薇戦争は、多くの兵どもが権力を巡ってしのぎを削った。ここでは、その中でも後世に語り継がれる印象深い人物5人を紹介する。

1 悪役の代名詞 リチャード3世
Richard III, 1452-85

薔薇戦争といえばまず名前が挙がるのがリチャード3世。自分が王権を握るためには親族を殺害、追放、投獄する徹底ぶりで知られるが、その治世は2年と短く、ボズワースの戦いで敗れ、ヨーク家、そしてプランタジネット朝時代の最後の王となった。

リチャード3世の肖像リチャード3世の肖像 (1500年ごろ)

即位リチャード・プランタジネットの八番目の子。兄のエドワード4世が1483年に急死した後、リチャードは甥である12歳のエドワード5世の後見人として任命された。しかしすぐにその王位を狙い始め、エドワード5世とその弟ヨーク公リチャードの王位継承権に難癖をつけてロンドン塔に幽閉。リチャード3世として即位した。幽閉された幼い王子たちは「塔の王子たち」として知られるようになり、リチャード3世は残酷な人物として著しく評価を落とした。

行政改革悪者呼ばわりされているが、その行政改革は公正さと効率性を重視していると、改めて歴史家からの評価が高まっている。ただ在位は2年に過ぎないため、それらの改革が長期的に実を結ぶことはなかった。改革は法律が中心で、①法的手続きの簡素化と公正さの向上を目指し、庶民が簡単に訴訟を起こせるようにした、②透明性を高めるため、法律を文書化。一般に利用可能にし法の安定化を図った、③特定の利益団体や個人が影響力を行使して陪審員に干渉できないようにした、など。このほかにも、貧困者に対する支援を強化し、貧しい人々が食糧や居住地を得られるようにする政策を打ち出すなど、平和な時代であれば良い国王になった可能性がある。

肖像画と容姿リチャード3世は脊椎側弯症だったため、しばしば背中が曲がった姿で描かれた。中世の西洋では悪者の髪や瞳を黒くすることが多く、リチャード3世もそのように描写されたが、最近発見された遺骨のDNAを調べたところ、90パーセント以上の確率で金髪、青い瞳であったことが分かっている。敵であったランカスター家、つまり後のチューダー朝がリチャード3世を悪者としたこと、さらにはシェイクスピアの戯曲によって悪役としてのイメージが強調され過ぎた結果だろう。

最期ボズワースの戦いで戦死。リチャード3世の軍は約8000人で、数ではヘンリー・チューダー軍の優位に立っていた。しかし本来リチャード3世に従うべきであったスタンリー家が裏切り、チューダー軍側に加勢。リチャードはヘンリーを自分で直接討ち取ろうと、重い斧を振り上げ無謀ともいえる突撃を試みた。しかしこの勇敢な行動は自殺行為となり、頭部を何カ所も負傷し、落馬したところをヘンリー・チューダー軍に取り囲まれた。リチャード3世の遺体は英中部レスターのフランシスコ会修道院に埋葬されたというが、その墓の場所は長い間判明していなかった。

死後の評価リチャード3世の遺体は500年以上行方不明だったが、2012年にレスター市内の駐車場の下で発見された。遺骨の分析から、頭部に複数の致命傷を負っていたこと、実際に脊椎側弯症を患っていたことが確認され、遺骨がリチャード3世のものであることが明らかになった。15年にはレスター大聖堂で改葬された。遺骨の発見に尽力したのは歴史家フィリッパ・ラングレー氏だが、同氏はリカーディアン(Richardian)の1人。これはリチャード3世を支持し、その治世や評価を擁護する歴史家や研究者を指す。シェイクスピアの「リチャード三世」による否定的な描写のおかげで冷酷で残忍なイメージが強いが、それに対抗する形で、リチャード3世を再評価しようとする動きがある。

リチャード3世の墓2015年、レスター大聖堂に安置されたリチャード3世の墓

2 息子と夫のために戦う悪役の代名詞 マーガレット・オブ・アンジュー
Margaret of Anjou, 1430-82

マーガレット・オブ・アンジューはヘンリー6世の王妃として知られるフランス出身の貴族で、薔薇戦争において重要な役割を果たした。夫ヘンリー6世の精神的な弱さを補うために積極的に政治に関与し、ときに戦争を激化させた。

マーガレット・オブ・アンジューの銅版画マーガレット・オブ・アンジューの銅版画

出身フランスのアンジュー公ルネ・ダンジューとイザベル・ド・ロレーヌの娘として誕生。当時のフランスで重要な地位を占めていた家系で、1445年にヘンリー6世と結婚し、イングランド王妃となった。当初は百年戦争中のフランスとの和平を目的とした政治的結婚だったが、やがてイングランド内政に深く関与するようになる。

野心非常に強い意志を持ち、政治的野心がもともとあったことから、戦いが嫌いで精神的に不安定なヘンリー6世に代わり、実質的にイングランドの治世を担った。フランスとイングランドの和平を重要視するあまり抗戦派の貴族たちを遠ざけ、歯向かう者は容赦なく獄死させた。やがてそれが原因で内乱が悪化。薔薇戦争ではランカスター軍のリーダーとして積極的に行動し、幼い息子であるエドワードを王位に就けるために何度も軍を指揮した。また、庶民は助命したが貴族は容赦なく処刑し、ヨーク公やソールズベリー伯をはじめ多くの親族の首も城壁にさらした。部下たちが処刑命令に躊躇するほどだったともいわれる。

3 平和が好きで家に籠っていたかった ヘンリー6世
Henry VI, 1421-71

ヘンリー6世は百年戦争末期から薔薇戦争の中期にかけての国王で、ランカスター家の君主。精神的に不安定で統治能力に欠け、薔薇戦争の原因となる国内の混乱を引き起こした。何度も幽閉されたが最終的にヨーク軍に王位を奪われ、ロンドン塔で死去。妻はマーガレット・オブ・アンジュー。

ヘンリー6世温和で戦いを嫌ったヘンリー6世

即位1421年にヘンリー5世とキャサリン・オブ・ヴァロワの子としてウィンザー城で誕生し、生後9カ月でイングランド王に。2カ月後には母方の祖父シャルル6世の死により、フランス王位を同時に継いだ。

平和主義者非常に信心深く、学問や宗教に熱心だったという。平和主義であり、軍事や政治に対する興味や能力に乏しかった。性格は内向的で、強いリーダーシップを発揮することもなかった。ヘンリー6世の治世中にイングランドはフランスでの支配権を失い、百年戦争で優位だったイングランドは撤退を余儀なくされた。これが国内の不満を増大させ、薔薇戦争の原因の一つともなった。

精神的不安定祖父のシャルル6世からの遺伝で、しばしば精神的に不安定になった。百年戦争での撤退時には発狂したといわれる。続く1453年にも精神崩壊を経験。この間は王としての責務を全く果たすことができず、国内の政治が混乱した。国王が幼少であったり病気だったりすると、一部の貴族が代わって実権を握ることになる。ウォリック伯やサマセット伯など一部の有力貴族が力を持つのを恐れたランカスター家は、敵対はするが同じプランタジネット朝のヨーク家のメンバーを利用したことすらあり、両家の関係は複雑化した。内乱の中でヘンリー6世はしばしばヨーク軍に捕らえられたが、61年の第2次セント・オールバンズの戦い(The Second Battle of St Albans)では戦闘の最中に笑い出したり歌ったりの錯乱の発作を見せた。

最期ヘンリー6世は1471年に幽閉されたロンドン塔で謎の死を遂げた。ヨーク家のエドワード4世の命令で暗殺されたといわれている。

評価だめな国王というレッテルを貼られているヘンリー6世だが、教育を重視しイートン・カレッジとケンブリッジ大学のキングス・カレッジを設立した。また、王位にありながら何度も幽閉されロンドン塔で死去したことなどから、当時の庶民から「平和を愛する気の毒な国王」、転じて「聖人」へと評価が変わった。墓のあるウィンザー城には多くの巡礼者が集まるようになり、ヘンリー6世の持ち物である赤いベルベットの帽子は聖遺物にされた。その帽子を被ると頭痛が治るという噂まで流布したという。

4 気さくでハンサムな女好き エドワード4世
Edward IV, 1442-83

エドワード4世はヨーク家から出た最初の国王。戦には強いものの、自分が好きな女性を勝手に王妃に選んだことで有力貴族である従兄から反乱を起こされ、一時期退位するはめになった。また、息子であるエドワードの王位継承権を実の弟に奪われるなど、親族に翻弄された生涯を送った。

エドワード4世ハンサムといわれたエドワード4世の肖像画

出身ヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの次男で、末の弟はリチャード3世。従兄はウォリック伯リチャード・ネヴィル。母親のセシリーは遠くランカスター家とも血縁関係にある。

即位1460年のウェイクフィールドの戦い(The Battle of Wakefield)で命を落とした父の遺志を継ぎ、61年にタウトンの戦いでランカスター家のヘンリー6世から王位を奪った。だが69年から従兄であるウォリック伯との対立が深まったことから、ヘンリー6世が復位。しかし71年にテュークスベリーの戦いでランカスター軍を再び破り、王位を取り戻した。

結婚騒動ウォリック伯は、エドワード4世の王妃としてフランスのルイ11世妃の妹との婚約話を進めていた。ところが、エドワード4世は1464年にランカスター軍の騎士の未亡人で、2人の子持ちであるエリザベス・ウッドヴィルと秘密裏で結婚してしまう。エリザベスの父親はランカスター家の元侍従で、ヘンリー6世によって爵位を得たばかりの新興貴族だった。身分が違う上、敵方の息がかかった女性との結婚は、ほかの貴族の不評を買った。また、ルイ11世妃の妹との正式な婚約まであと一歩というところまで話を詰めていた、ウォリック伯の面目も丸つぶれとなった。

亡命1469年、ウォリック伯はエドワード4世の弟クラランス公ジョージを「国王になれるよう応援する」とそそのかした上、亡命中のヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジューにも声を掛け、エドワード4世に対して反乱を起こす。エドワード4世はネーデルランドへ亡命するが、71年に帰国しバーネットの戦いとテュークスベリーの戦いに身を投じた。

容姿世界中の貴公子の中で最も美しいといわれ、女性関係のスキャンダルが絶えず愛人も多かった。その一方で、気さくで貧富の差を気にせず、人に好かれる性格だったという。

5 慎重派でリスクは避ける ヘンリー7世
Henry VII, 1457-1509

王位に就く前の名はヘンリー・チューダー。ランカスター家の出身で、薔薇戦争を終結に導いたことで知られる。即位によりチューダー朝が成立した。国内を安定させ、イングランドの繁栄の基盤を築いた。

ヘンリー7世1505年に描かれたヘンリー7世の肖像画

即位ランカスター家の一員として、ウェールズのペンブルック城で誕生。母はランカスター家の血を引くマーガレット・ボーフォート、父はエドマンド・チューダー。1485年に亡命先のフランスから帰国し、リチャード3世をボズワースの戦いで打倒した。これによりヘンリー7世としてイングランド王に即位し、チューダー朝を開いた。24年間王位に座り、平和な時代のまま息子ヘンリー8世が王位を継承。ちなみにヘンリー7世の長男、アーサーは1502年に15歳で急死しており、ヘンリー8世は次男。

治世ヨーク家とランカスター家の長年の争いである薔薇戦争を終結させた。エドワード4世の娘エリザベス・オブ・ヨークと結婚することで、両家を統一した。外交も慎重で平和的な政策を追求。これまで失ったフランス内の領土を奪回しようとはせず、フランス、スペイン、神聖ローマ帝国などと婚姻関係を通じて同盟を結び、イングランドの国際的地位の強化に努めた。また、海軍の重要性を説き、船の検査や整備、修理を行う施設である世界初の乾ドックを建設した。王権を強化し中央集権化を進めるために税制改革を行い、地方の貴族たちの権力を抑え国内の安定を図ることに成功。また、貨幣と度量衡を統一して商品流通の円滑化を進めた。

性格慎重な上に計算高い面もあり、リスクを避ける傾向があった。やっとつかんだ王位を確保するために、反乱や陰謀に対して厳しく対処し、統治においても安定と秩序を重視した。精神の不安定なヘンリー6世、豪胆なヘンリー8世の間にいて一見地味なヘンリー7世だが、この堅実なヘンリー7世なしには次のヘンリー8世の華やかなチューダー朝時代はなかった。

最期1509年、リッチモンド宮殿で死去。


後世に描かれた薔薇戦争

絵画からテレビ・ドラマまで、さまざまな媒体で取り上げられている薔薇戦争。ここでは代表的なものを紹介する。

絵画「塔の王子たち」
Princes in the Tower, 1878
ジョン・エヴァレット・ミレイ

 Princes in the Tower

「オフィーリア」などで知られる19世紀ラファエル前派の画家ミレイによるこの作品は、1483年に叔父のリチャード3世によってロンドン塔に幽閉された幼い兄弟、エドワード5世と弟のヨーク公リチャードの姿を描いたもの。物語性のある抒情的な作品を得意としたミレイは、不安におびえる兄弟の表情、階段の上から忍び寄る暗殺者の影といった緊迫したシーンを描き、発表当時から高い人気を博した。

幽閉後に行方知れずとなった幼い兄弟は、リチャード3世の差し向けた暗殺者によって、12歳と9歳という若さで塔内で殺害されたのではないかと長年噂されていた。実際に、約200年後の1674年にロンドン塔のホワイト・タワーの階段下3メートルの地下から、2体の子どもの骨が出土。確たる証拠はないが遺骨は兄弟のものではないかとされ、78年に権力争いの被害者としてウェストミンスター寺院に埋葬されている。ただし2023年、リチャード3世の遺骨発掘にも貢献したラングレー氏が新たな研究成果を発表した。それによると、2人の王子はロンドン塔内で死んではおらず、脱出し欧州大陸へ逃亡。ヨーク家の再興のために力を尽くしたのだという。真相は藪の中だ。

演劇「ヘンリー六世」「リチャード三世」
ウィリアム・シェイクスピア

 ウィリアム・シェイクスピア

劇作家シェイクスピアは百年戦争の後期から薔薇戦争の末期までを「ヘンリー六世」(1590 ~91 年)「リチャード三世」(92 ~94 年)の2作品で描いた。初期作品である「ヘンリー六世」はエドワード・ホールの「年代記」(48年)や、ラファエル・ホリンズヘッドの「年代記」(77年、87年)などを参考にして描いた歴史劇で、3部構成となっている長編の悲劇。3部全てが一気に上演されることは滅多にないが、権力の座を巡った愛憎入り混じる骨肉の戦いが、冗舌で辛辣な、シェイクスピアならではのセリフ回しで進行する作品だ。しかしながら「ヘンリー六世」はシェイクスピアが初めて書いた戯曲。役者になるべく地方からロンドンに出てきた弱冠26歳の青年が、いきなりこのような長い歴史ドラマを書いたという事実を疑問視する研究者も多い。エリザベス朝時代は戯曲の共同執筆が当たり前だったことから、今では当時活躍していた劇作家クリストファー・マーロー(Christopher Marlowe、64~93年)との共同執筆という説が有力視されている。

「リチャード三世」は、王座に就くためには何でもする狡猾で残忍なヨーク家出身の国王、リチャード3世の姿を描く。役者にとっては「ハムレット」のハムレット役と並んで最も演じがいのある役柄として、多くの名優が演じてきた。

ドラマ「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」
Hollow Crown : The War of Roses, 2016

Hollow Crown : The War of Roses

BBC制作のこのテレビ・ドラマ・シリーズは、2012年に放送の第1シリーズで百年戦争を、16年放送の第2シリーズで薔薇戦争を扱っている。シェイクスピアの「ヘンリー六世」三部作と「リチャード三世」を基にしている。演劇とは異なり視覚的にも豪華なうえ、ベネディクト・カンバーバッチがリチャード3世を、ソフィー・オコネドーがマーガレット・オブ・アンジューを演じたほか、ジュディ・デンチやマイケル・ガンボンなどベテラン俳優もこぞって出演し大ヒットした。

ドラマ「ホワイト・クイーン 白薔薇の女王」
The White Queen, 2013

フィリッパ・グレゴリーの原作を基にBBCで放送されたミニ・ドラマ・シリーズ。薔薇戦争を女性たちの視点から捉えた。ヨーク家のエドワード4世に嫁いだエリザベス・ウッドヴィル、リチャード3世の妃となるアン・ネヴィル、そして薔薇戦争を終結に導いたヘンリー7世の母マーガレット・ボーフォート、この3人の女性それぞれの野望や戦いを描く。

ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」
Game of Thrones, 2011-19

米作家ジョージ・R・R・マーティンのSFファンタジー小説「氷と炎の歌」シリーズを原作とした、米テレビ・ドラマ・シリーズ。薔薇戦争そのものを舞台にしているわけではないが、世界観は強い影響を受けている。

映画 「ロスト・キング 500年越しの運命」
The Lost King, 2022

The Lost King

リチャード3世の遺骨が500年の時を経て発見された実話をもとにしたヒューマン・コメディー。芝居を観たことで、理不尽なまでに悪役となっているリチャード3世に魅了されたアマチュア歴史家フィリッパ・ラングレーが、遺骨の発掘に成功するまでを描く。ラングレーを「シェイプ・オブ・ウォーター」や「パディントン」シリーズのサリー・ホーキンスが演じる。監督は「クィーン」(The Queen)のスティーヴン・フリアーズ。

 

20世紀モダニズムの作家、ヴァージニア・ウルフの過ごした場所

20世紀モダニズムの作家ヴァージニア・ウルフの
過ごした場所

ヴァージニア・ウルフ

小説家そして評論家として、モダニズム文学において重要な位置を占めるヴァージニア・ウルフ。豊かな教養を備えたロンドンのアッパーミドル・クラスの家庭に生まれ、当時の英国最先端の文化を吸収しながら育ったウルフは、ヴィクトリア朝時代の旧弊な社会が崩れ始め、自由主義改革や社会運動が盛り上がりを見せるロンドンの街で多感な時期を過ごした。そのため、その作品には当時の社会的背景が色濃く反映されている。サフラジェットによる女性選挙権運動、第一次世界大戦、さらには第二次世界大戦と、価値観の目まぐるしく変わる時代を生き抜いたウルフの姿を、ロンドンの街と共に振り返る。
(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: 「Virginia Woolf at Monk's House」ナショナル・トラスト刊ほか

ヴァージニア・ウルフ

VIRGINIA WOOLF
ヴァージニア・ウルフ
1882-1941

19世紀末から20世紀半ばに活動。代表作に「ダロウェイ夫人」や「灯台へ」などがあり、内的独白や意識の流れの技法を用いて、人間の心理や日常生活を描いた。姉は画家のヴァネッサ・ベルで、姉妹で知識人や芸術家たちの集団「ブルームズベリー・グループ」(Bloomsbury Group)に参加。旺盛な執筆活動の一方で周期的な精神病に苦しみ、第二次世界大戦の真っ最中である1941年に59歳で英南東部ウーズ川に身を投げて命を絶った。女性の社会的地位や個人のアイデンティティーをテーマに取り上げていたことから、近年フェミニズムの先駆者として再評価されている。

22 Hyde Park Gateサウス・ケンジントンに生まれる

ヴァージニア・ウルフは、著名な批評家で歴史家のレスリー・スティーヴン(Leslie Stephen)と、ラファエル前派のモデルとしても知られるジュリア・プリンセップ・ジャクソン(Julia Prinsep Jackson)の次女として、1882年1月25日にロンドン西部サウス・ケンジントンの22 Hyde Park Gateに生まれた。ロイヤル・アルバート・ホールの目と鼻の先で、多くの大使館が立ち並ぶこの通りには、アッパーミドル・クラスの人々が暮らし、かつてはウィンストン・チャーチル元首相も住んでいた。現在22番地にはイングリッシュ・ヘリテージの青い銘板が三つ飾られている。一つはウルフの父親、二つ目は画家でブルームズベリー・グループのメンバーでもある姉のヴァネッサ・ベル、そして三つ目はウルフ自身を称えるものだ。ウルフには、異母兄弟や姉妹を含めて計7人の兄弟姉妹がおり、特に姉のヴァネッサとは生涯を通じて強い絆を築いた。

ヴァージニア・ウルフの暮らした家1904年まで暮らしたサウス・ケンジントンの家

父親は子どもたちの教育に積極的で、ウルフは幼少期から膨大な蔵書を持つ自宅の図書室にアクセスできる環境で育った。また、父親は「オックスフォード英国人名鑑」(Oxford Dictionary of National Biography)の編集者でもあったことから、多くの著名な知識人や作家が家を訪れた。この恵まれた環境が、ウルフの知的好奇心と文学的才能を育む助けとなったのは間違いない。だが当時の男女不平等な慣習のせいで、ウルフの兄弟たちがケンブリッジ大学へ進学するなか、ウルフとヴァネッサはキングス・カレッジ・ロンドンの女子学部以上へ進むことが出来なかった。ウルフはよほど悔しい思いをしたのか、後年自著「自分だけの部屋」(A Room of My Own)の中で、「女性の精神向上の願いはことごとに阻まれ、愚鈍であるようにと望まれ、企まれてきた」という考えを発表するに至った。

ヴァージニア・ウルフクリケットをして遊ぶ12歳のウルフ(写真左)と姉のヴァネッサ(同右)

46 Gordon Square + 29 Fitzroy Square ブルームズベリーでボヘミアンになる

1904年に父親が死去したため、ウルフは姉のヴァネッサと兄のトビー、弟エイドリアンと共にロンドン中心部ブルームズベリーの46 Gordon Squareに引越した。近くには大英博物館があり、周辺にはロンドン大学の建物が立ち並んでいるので、作家や思想家が集まる場所として当然のように見える。しかし、当時のブルームズベリーは現在より自由でボヘミアンな土地柄であり、そんなところで未婚の兄妹たちが集まって一緒に家を構えるのは、先駆的で少々スキャンダラスなことでもあったという。46番地は、兄のトビーがケンブリッジ大学で知り合った若くて才気あふれる青年たちの集合場所となり、その中にはロジャー・フライ、J・M・ケインズ、リットン・ストレイチー、E・M・フォースター、レナード・ウルフ、クライヴ・ベルがいた。このグループは外部から「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれるようになる。グループとの知的な交流がウルフの創作活動に大きな影響を与え、ウルフの最初の本格的な執筆活動もこのころ始まった。文学批評が中心で、さまざまな雑誌に記事を寄稿したが、特に「タイムズ・リテラリー・サプリメント」誌へは死ぬまで評論を送り続けた。

現在の46 Gordon Square現在の46 Gordon Square

兄のトビーが06年に腸チフスで急死し、姉のヴァネッサがブルームズベリー・グループの一員クライヴ・ベルと結婚することになった。そのためウルフは07年8月に兄のエイドリアンと共にブルームズベリーからほど近い、フィッツロヴィアの端正なジョージアン建築29 Fitzroy Squareに引越す。この家でウルフは最初の小説「船出」(The Voyage Out)の執筆に取り掛かった。やがて12年に、ウルフもまたブルームズベリー・グループの一人である作家のレナード・ウルフ(Leonard Woolf 1880~1969)と結婚した。

エチオピア王族一行のふり1910年、グループのメンバーがエチオピア王族一行のふりをして英海軍をだまし、戦艦「ドレッドノート」を見学するに至った悪戯。ウルフも顔を黒く塗って参加した(写真一番左)。偽エチオピア皇帝事件と呼ばれて後に新聞沙汰になった

Hogarth House, 34 Paradise Road ホガース・プレス出版社を始める

ロンドン南部の緑豊かなリッチモンドにある建物へ、ウルフと夫のレナードは1915年に引越し、ホガース・ハウスと名付けた。ウルフはそのころ重度の精神疾患に苦しんでいたため、落ち着いた環境で暮らすことが必要だったのだ。父親や兄の死の際に寝込んだウルフだが、執筆するたびに極度の肉体的、精神的な消耗状態に追い込まれ、13年9月には自殺を試みた。翌年夏までには完全に回復したように見えたものの、15年2月には再発してさらに容体は悪くなり、この病は17年まで続いた。レナードは、妻が楽しめる趣味や活動を見つけ、執筆による精神的ストレスからの解放を図ろうと考えた。2人は印刷技術に興味を持っていたので、素人ながら17年3月に小さな手動印刷機と古い活字、一式の道具や材料を購入。ホガース・プレスと名付けられた出版社が、34 Paradise Roadの居間に設立された。

ホガース・プレスの拠点となったリッチモンドのホガース・ハウスホガース・プレスの拠点となったリッチモンドのホガース・ハウス

最初の本は17年7月に発行された。それはウルフの物語「壁のしみ」(The Mark on the Wall)とレナードのエッセイを収めた32ページの小冊子だった。表紙には「ホガース・プレス、リッチモンド 1917」と印刷され出版社の歴史が始まった。活字を1字1字拾い、自分で印刷、製本していくため部数はそんなに多く制作できない。初期のころ、アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスに「ユリシーズ」を持ち込まれたが、大作のため自分たちでは無理だと断らなければならなかったという逸話もある。そのため初期は150部止まりのものが多かったが、数年間でホガース・プレスの事業は急速に拡大し追加の設備が設置され、一部の印刷作業は外部の会社に委託されるまでになった。しかし24年までに出版された32冊の本のうち16冊は実際にウルフ夫妻自らの手で印刷された。そのなかには、T・S・エリオットの「荒地」や心理学者ジークムント・フロイトの著書など、20世紀を代表する名著も多く入っている。当初はウルフの精神不安を和らげ、肉体的に夢中になれる活動として始め、自分たちや友人の本を業者を介さず出せるという気楽な気持ちで続けた。しかしレナードの出版業への熱意は生涯にわたるもので、第二次世界大戦、そしてウルフの死後も続いた。最終的に1946年に現在のペンギン・ランダムハウスに統合されるまで、315冊もの良書を出し続けた。

ホガース・プレスの発展に尽くした夫のレナード・ウルフホガース・プレスの発展に尽くした夫のレナード・ウルフ

一方、ウルフにとってこうした手仕事による気分転換は功を奏した。21年に自分で活字を拾い、出版した短いスケッチのコレクション「月曜日あるいは火曜日」(Monday or Tuesday)で登場人物の意識にフォーカスを当てた新しい文章の技法を試みたウルフは、作家としての転機を迎えた。批評家たちは「経験の流れを小説に具現化するための、柔軟で印象派的あるいは瞑想的なスタイル」と称え、T・S・エリオットは「やっとあなた自身の声を見つけましたね」と賛辞を贈った。

この技法は後に続く「ジェイコブの部屋」(Jacob’s Room)やその後の小説でさらに発展していく。意識の流れを描くモダニスト、ヴァージニア・ウルフの誕生である。

52 Tavistock Square + 37 Mecklenburgh Square 再びブルームズベリーへ

1924年3月、ウルフとレナードは約10年間リッチモンドで暮らした後、ロンドン中心部に戻り、ブルームズベリーの北側52 Tavistock Squareに居を構えた。ホガース・プレスは地下に設置。引越しの理由は、ウルフの精神状態が落ち着き執筆に脂がのってきたことで、若いころから慣れ親しんできたロンドンの街の刺激が恋しくなったためだった。ロンドンに戻ってきた喜びは、ロンドン散策の長い描写がある25年発表の「ダロウェイ夫人」(Mrs Dalloway)からも想像できる。ウルフは定期的に街頭ウォッチングに出掛け、街の人々と街との関わりを観察した。当時、英国の経済は第一次世界大戦(1914~18年)が終わってから急速に成長し、20年代初頭には好景気に沸いていた。新たな文化も生まれており、若い女性たちの間では断髪でひざ丈のスカートを履き、ジャズに合わせて激しく踊る米国に影響を受けたファッションがはやり、インテリアはアール・デコの時代だった。BBCがラジオ放送を開始し、大英帝国博覧会が開催。自動車や映画など多くの発明や発見と製造業の成長とともに、消費者の需要と願望が加速し生活様式の変化が起きていたのだ。絶えず変化する街の風景にウルフは多くの刺激を受けた。戦前のヴィクトリア朝時代の文化、すなわちディケンズやコナン・ドイル、オスカー・ワイルドの小説、ラファエル前派の絵画、ビアズリーのイラストレーション、ウィリアム・モリスの壁紙、バーナード・ショーの演劇といったものが、急速に過去のものになっていった。

タヴィストック・スクエアにあるウルフの胸像タヴィストック・スクエアにあるウルフの胸像。
像の横にQRコードが設置され、ウルフについて説明する音声情報が聞ける

ウルフはこのころちょうど、叔母からの遺言で毎年500ポンド(現在の価値で約500万円)受けとることになった。この遺産はウルフが文学に没頭することを可能にし、ウルフは「ダロウェイ夫人」の後も、「灯台へ」(To the Lighthouse)、「オーランド―ある伝記」(Orlando)、「波」(The Waves)といった代表作を意欲的に発表した。しかし、1920年代の世界的な好景気は一時的なものに過ぎず、29年の米ニューヨーク株式市場の大暴落から始まり、時代は一気に経済的な混乱と政治的な緊張が高まる様相となる。各地で失業と貧困が広がり、ナチズムとファシズムが台頭。再び戦争の足音が聞こえ始めた。ウルフの精神状態はそれと共に再び悪化していく。レナードはユダヤ人であり、2人は1930年代の反ユダヤ主義を伴ったファシズムを非常に恐れていた。ウルフとレナードの名はヒトラーのブラック・リストに載っていたともいわれている。

39年、英国がドイツに宣戦布告。ウルフたちの住んでいた52番地はロンドン大空襲「ブリッツ」によって建物が損傷してしまう。街はこの時期ドイツ軍の爆撃を受け、多くの建物が破壊されていたため、2人は比較的安全な地域と考えられた37 Mecklenburgh Squareの最上階に移動。しかし、この家も後に空襲の被害に見舞われ、2人はとうとう1919年に購入したイースト・サセックスの別荘、モンクス・ハウスに向かうことになった。しかし、このころにはウルフの精神状態は最悪ともいえる状況になっており、作品の多くにインスピレーションを与えたロンドンの街に再び戻ることはなかった。現在、Tavistock Squareのフラットのあった場所に最も近い箇所に、ウルフを称えたブロンズ胸像がある。フラットは空襲で大きな被害を受け、かつての住居の跡地には現在タヴィストック・ホテルが建つ。

Monk’s House 終焉の地

傷心のウルフたちは戦火のロンドンを逃れ、1940年にイースト・サセックスの田園地帯の中心部にひっそりと佇むモンクス・ハウスに向かった。モンクス・ハウスは英南東部ルイスの郊外にある静かで小さなコテージで、19年に購入された後、夫妻はここを週末や夏の避暑地として利用し、近くに住む姉のヴァネッサやブルームズベリー・グループのメンバーを呼んでは会話を楽しんだ。もともとの庭園は古い農場の建物の廃墟に作られた小さな区画に過ぎなかったが、2人は年月をかけてナシやリンゴが実る果樹園、さまざまな野生の花でいっぱいの美しい英国の田舎風庭園を作り上げていた。20年には小さかったキッチンを拡張、26年には温水が出る浴室が完成し、29年には庭に池、新しいテラス、蜂の巣箱ができた。ウルフのために庭に面する新たな寝室も設け、その様子は今でも変わらない。

花の咲き乱れる庭から臨むモンクス・ハウス。小さな温室も付属している花の咲き乱れる庭から臨むモンクス・ハウス。
小さな温室も付属している

内部のインテリアは主に姉のヴァネッサが手掛けており、部屋のあちこちにはヴァネッサが描いたウルフの肖像画や水彩画などを飾り、椅子のテキスタイルなどもデザインした。ウルフの好きな色がグリーンであることから、壁やドアにはクリームがかった緑色のペンキも塗られた。そんな楽しい思い出ばかりがあるはずのコテージだったが、1941年初めごろから、ウルフは13年の自殺未遂以来の深刻な精神的苦痛に再び悩まされるようになる。新年の日記には、ロンドン大空襲によって家が破壊されたことを絶望する言葉が見られ、それに亡くなった友人ロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことが重なり症状は重くなった。過剰なストレスから幻聴も聞こえ始めたという。ウルフは全作品中で最も抒情的といわれる最後の小説「幕間」(Between the Acts)の原稿を完成させた後、ほぼ仕事ができない状態になった。

まだ肌寒さの残る1941年3月28日、ウルフはコートをはおると、ポケットにたくさんの石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺をした。懸命な捜索によりウルフの遺体が発見されたのは4月18日。レナードとヴァネッサの2人にあてた切なくも美しい遺書も見つかった。レナードはウルフを火葬し、遺骨を2人が愛したモンクス・ハウスの庭のニレの木の下に埋葬した。残されたレナードは、ウルフが亡くなった後もこの家に住み続け、69年に死去。ウルフと同じニレの木の下に埋めるよう遺言を残していた。モンクス・ハウスは友人で芸術家のトレッキー・リッチーに遺贈され、現在はナショナル・トラストの管理で一般公開されている。ウルフが最後に見たもの、感じたものを追体験できるモンクス・ハウスは、今も訪れる人が後を絶たない。

Monk’s House
モンクス・ハウス
Monk’s House
庭に面した素朴なモンクス・ハウスの入り口 
Monk’s House
ウルフの寝室にある本棚。ここに並ぶ本はウルフ自身によってカバーが掛けられている。その作業は頭痛を癒やすセラピーの役割を果たしたという
Monk’s House
入り口入ってすぐのこぢんまりとした居間。姉のヴァネッサがデザインしたソファーのカバーや絵画が見える。壁はウルフの愛した緑色
Monk’s House
庭に面した明るい寝室。右はじには小さなシングル・ベッドが置かれている
Monk’s House
椅子の背にはヴァージニア・ウルフの頭文字であるVとWを組み合わせた意匠が付く
 
 
 

モンクス・ハウスへの行き方

ナショナル・トラストに管理されているモンクス・ハウスは季節によって開園日が異なる。また、バスは多い時間帯でも1時間に1本なので余裕をもって計画を。ロンドンのバスのように次の停車駅を放送しない上、インターネットにもつながりにくいため、乗車時に一言、ドライバーに最寄りのバス停に着いたら教えてくれるように頼んでおくと心安らかな旅ができる。London Victoria駅からナショナル・レールでLewes駅まで約1時間、駅前からバス(123 Bus Newhaven行き)でRodmell Mill Laneまで約15分。バス停前のパブThe Abergavenny Armsから徒歩7分。

www.compass-travel.co.uk/compass-timetables/bus-timetables

5~9月 木~土
4、10月 金・土
11~3月 休館
12:30-16:00(庭は17:00まで)
£9.50(オンライン予約必須)

Monk's House
Rodmell, Lewes, East Sussex BN7 3HF
Tel: 0127 347 4760
www.nationaltrust.org.uk/visit/sussex/monks-house

ウルフの代表作5選

ヴァージニア・ウルフの代表作を小説から評論まで併せて紹介する。①と②の装丁は姉のヴァネッサ・ベルが担当し、ウルフが写植を手掛けたホガース・プレス版だ。

1 Mrs. Dalloway
ダロウェイ夫人(1925年)

Mrs.Dalloway

「お花はわたしが買ってきましょうね、とクラリッサは言った。だって、ルーシーは手一杯だもの。ドアを蝶番から外すことになるし、仕出し屋のランペルマイヤーから人が来る。それに、この朝! すがすがしくて、まるで浜辺で子供たちを待ち受けている朝みたい」*と始まるこの小説は、人物が考えていることがそのまま描写される、ウルフの得意とする手法。パーティーの準備でロンドンの街を駆け回るダロウェイ夫人が、あたかも一緒にいるような臨場感を味わえる。
*光文社古典新訳文庫 土屋政雄訳

2 To the Lighthouse
灯台へ(1927年)

To the Lighthouse

スコットランドにあるスカイ島を訪れたラムゼー家の人々に起きた出来事を描く長編小説。短い対話のみで、あとは全て登場人物の思考と考察で占められている。物語の筋よりも意識の流れをどのように表すか、ウルフの文学的実験が試されている。物語の語り手がどんどん変化するため、読者は一定の視点を通して物語を読むという従来の方法が取れない。アヴァンギャルドとも技巧的ともいわれるウルフ作品の特徴がよく表れた作品だ。

3 Orland
オーランド – ある伝記(1928年)

Orland

両性具有を人間の理想型と考え、かつて同性愛も経験したウルフが、一時期自身の恋人だった英詩人ヴィタ・サックヴィル=ウェストをモデルに描いた半伝記的な物語。16世紀に生きる16歳の美少年が男性から女性へ変わりながら300年余り生き続ける。現代のトランスジェンダー観を先取りする主題で、LGBTを考えるうえでも興味深い1冊。1992年に映画化され、ティルダ・スウィントンが主役を演じた。

4 A Room of One's Own
自分だけの部屋(1929年)

 A Room of One's Own

もしシェイクスピアに才能あふれる妹がいたら、支援者も模範とすべき先達も、お金も時間も、自分の部屋すらもないなかで文学の道に進むことは可能だったか。女性の参政権が認められたばかりの1928年に、ウルフが女子大で行った講演の草稿をまとめた本。女性の自立をはばむ家父長制社会を弾劾し、女性は未来の女性のために勇気をもって連帯をしなければならないと、ユーモアや毒舌を交えながら述べるフェミニスト文学の古典。

5 Three Guineas
三ギニー 戦争を阻止するために(1938年)

Three Guineas

教育や職業の場で続けられてきた女性に対する直接的、あるいは制度的な差別。それが戦争と通底する暴力行為であることをさまざまな資料で明らかにし、戦争のない未来のためにできることを提示する評論の書。第二次世界大戦直前に書かれたため、「自分だけの部屋」よりもさらにウルフの思いは深刻で、戦う権利のない女性が意思表示をするにはどうすればよいのかを考える。女性が学問をすることの重要性や必要性を説いた1冊。

 

英国で発明・発見されたモノ15選

天才、鬼才、努力家がそろう英国で発明・発見されたモノ15選

18 世紀後半〜19 世紀前半に英国で起こった産業革命で革新的な技術が生まれたことは広く知られているが、それ以外の時代にも優れた発明や発見がたくさんあった。知能がずば抜けて高い技術者、何度失敗をしても努力を惜しまなかった研究者など、多くの天才や秀才が英国で生まれ、現代に生きる私たちの生活をより豊かにしてくれた。本特集では、今日の生活でよく知られたもので「こんなものまで英国生まれなのか」と思うものを厳選して集めてみた。
(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.nobelprize.orgwww.nbcnews.comwww.ed.ac.ukwww.bbc.co.ukほか

産業革命における開発について簡単におさらい

この時期の主な技術革新

産業革命は18世紀後半〜19世紀前半に英中西部マンチェスターから始まり、国内各地に工業都市が生まれ、英国の歴史でも重要な出来事の一つである。同時期にさまざまな技術革新が生まれ、機械化によって生産性が一気に上がり、大量生産が可能になった。

この時代の主な技術革新の例を挙げると、大工で発明家のジェームズ・ハーグリーブスが発明したジェニー紡績機により、それまで糸車で1本しか紡げなかった糸が8本になり、後にリチャード・アークライトによって水車を動力とした水力紡績機が発明。そしてスコットランド出身のジェームズ・ワットにより、蒸気機関技術を利用した「力織機」が生まれ、効率よく布を織ることができるようになった。また、この技術を元に蒸気機関車の実用化が進み、ジョージ・スチーブンソンにより公共鉄道を走らせることに成功。物資の輸送に欠かせない道路はこれまでぬかるんだ泥道が多く、冬の悪天候では通行不可になることも多々あったが、ジョン・マカダムにより舗装道路が作られ、鉄道と共に交通網を発展させた。

1825年に乗客を運ぶ最初の蒸気機関車となったロコモーション1号 1825年に乗客を運ぶ最初の蒸気機関車となったロコモーション1号

英国で工業化が一気に進んだ理由

発明家の活動が存分に発揮できる社会環境が整っていたことが何よりも大きい。例えば同時期のフランスは、政府が発明事業を支援をする場合は軍事目的や国家への直接的な利益になるものに限定されていた。一方、英国では多くの発明家が投資家からの活動資金援助を受けることができた。この当時、投資家は「プロジェクターズ」と呼ばれていたが、これは現在でいうベンチャー・キャピタリストに近いもので、投資家たちは、生産効率を向上させて利益を上げるための方法を生み出す発明家を常に探していたという。

またそれとは別に、純粋な利益の追求、社会への貢献などを動機として、自己資金で地道に活動を続けた発明家もいた。また、研究開発のための融資にかけられた金利が低く、融資を受けるハードルが低かったこと、特許に対する保護制度がしっかりと整っていたことも、結果的に国全体の工業化を進めることができた理由に挙げられる。

未知なる「ヒト」を知る医学

現在より深い宗教観が社会に根ざしていた時代に、ヒトとは一体何なのかを知るために多くの研究者たちが功績を残してきた。

1. DNAの二重らせん構造 

DNAの二重らせん構造を発見した人物の一人がフランシス・クリック(Francis Crick、1916〜2004年)。ロンドン大学で物理学を専攻したのち、第二次世界大戦で海軍に従事したため研究は中断されたが、残りの人生は生命科学を追求したいと1947年にケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所に入所した。51年、DNAが生命とは何かを解く鍵になると考えていた米研究者ジェームズ・ワトソンが同地を訪れ、2人は意気投合。X線を使った解析データを元に53年に「ネイチャー」誌にDNA構造を解いた論文を発表し、ワトソン、X線写真を提供したモーリス・ウィルキンスと共に1962年のノーベル医学・生理学賞を受賞した。クリックは「脳の構造が明らかになれば、人間と世界の本質に対し誤った概念を持つキリスト教は存在できなくなる」と予測するなど、キリスト教に対し批判的だった。

フランシス・クリック死ぬ直前まで論文を書き続け、人類の進歩に貢献したフランシス・クリック

2. IVF(体外受精)

婦人科医パトリック・ステップトー博士(Patrick Steptoe、1913〜88年)と生物学者ロバート・エドワーズ博士(Robert Edwards、1925〜2013年)のチームが地方病院で体外受精胚移植(IVF-ET)を成功させ、1978年に「試験管ベビー」と呼ばれた健康な女児が誕生した。その後2人は英東部ケンブリッジシャーのボーンに80年に不妊治療センター「ボーン・ホール・クリニック」を開業。不妊治療を行いつつ、治療を行える専門家の育成にも励んだ。これらの功績が認められ、ステップトーは87年に、エドワーズは88年に大英帝国勲章を授与された。世界初となったこの技術の成功には19世紀末から多くの研究者による貢献も大きい。数々の失敗を繰り返した結果、最初の実験から100年も経たずして人間の体外受精が成功したことは、不妊に悩む多くの人々に希望の光を与えた。

試験管ベビー試験管ベビーを抱くロバート・エドワーズ博士(写真左)とパトリック・ステップトー博士(同右)

3. 哺乳類のクローン

1996年に「羊のドリー」(Dolly the sheep)を作ったのが、発生学者イアン・ウィルムット(Ian Wilmut、1944〜2023年)、生物学者キース・キャンベル(Keith Campbell、1954〜2012年)のチームだ。哺乳類のクローン技術は再生医療や遺伝子治療分野などに大きな影響を与えた。チーム・リーダーのウィルムットは農学専攻から動物科学に転向し、人間の治療用タンパク質を含んだ乳を出す羊を作る計画に参加。より効率的に遺伝子組み換えの羊を作るため、クローン技術の研究に取り組んだ。ドリー発表後は再生医療のための幹細胞をクローン技術で作ることに専念。一方キャンベルは、動物生理学部の動物発生という分野にて胚の成長と分化について研究を続けた。クローンの誕生は世間に賛否両論を巻き起こしたが、全ては人間の治療に使える技術を探した通過点に過ぎない。

羊のドリー羊のドリーの剥製は現在エディンバラのスコットランド博物館に展示されている

4. MRI

磁気共鳴画像法(Magnetic resonance imaging= MRI)はロンドン生まれのピーター・マンスフィールド(Peter Mansfield、1933〜2017年)によって開発された。マンスフィールドは、進路指導の教師から「科学に向いていない」と言われたために、印刷工として働いたという異例の経歴の持ち主。後にロケット工学に興味を持ち、軍隊へ装備品を供給する補給省(Ministry of Supply)へ入省。国家奉仕のため軍隊に従事後、夜間学校でAレベルの勉強をし、ロンドン大学クイーン・メアリー校で物理学部の核磁気共鳴(NMR)を専攻した。これらは地球の磁場を測定する分光器を作るための選択だったが、のちにMRIの装置を作るための英医学研究評議会から助成金を受け、医療に応用された。MRIの安全性を調べるため、自らの体を実験台としてスキャンさせた男気あるエピソードも有名。

MRIを開発したピーター・マンスフィールド紆余曲折の経歴でMRIを開発したピーター・マンスフィールド

より早く、より効率的に工学&科学技術

すでに存在していた技術をさらに高めたり、なかったものを一から作り出したりと、機械にまつわる技術革新を集めた。

5. ホバークラフト

英デザイナー、ウィリアム・モリスの秘書を務めた父を持つクリストファー・コッカレル(Christopher Cockerell、1910〜99年)は、ロンドン北部アレクサンドラ・パレスから放送されていたBBCの機器開発などに携わった人物だ。発明のきっかけは小型ボートのレンタル会社を買収したことから。利益増大のためにボートをより速く走らせる方法を探求した結果、ホバークラフトが生まれた。特許を取得したものの、国家防衛への利用を政府に持ちかけたために設計図が機密扱いになり公開不可となる。後に欧州で同様の開発が行われていることが判明したことで機密扱いは解除され、コッカレルは試作品を作ってドーバー海峡の横断に成功。特許を管理し民間企業にライセンスを付与する会社を作った。類まれな知能と商才があった一方でホバークラフトのイベントに参加したりと積極的に活動した。

ホバークラフトのモデルデザイナー、乗り手と共にホバークラフトのモデルを触わるクリストファー・コッカレル(写真中央)

6. ジェット・エンジン

英空軍の将校で技術者のフランク・ホイットル(Frank Whittle、1907〜96年)は、英空軍に入隊後、航空機のエンジンの理論を学ぶ。同時にその優れた飛行技術も認められ、優秀なパイロットになった上にケンブリッジ大学のピーターハウス校に入学し首席で卒業した。そして後に国有化されるパワージェッツ社を創業しタービンを利用したエンジンを製造。しかし資金繰りの難しさに加え、長年の苦労から神経衰弱に陥ってしまい、空軍を去り、米国へ移住した。ここで奇しくも同様のターボ・ジェット・エンジンで初飛行に成功したドイツの技術者ハンス・フォン・オハインに出会う。オハインはホイットルに「もし君に十分な資金が与えられていて、時速500マイル(約800キロ)で飛ぶエンジンが開発中だとヒトラーやゲーリングが知ったら、第二次世界大戦は起こらなかっただろう」と伝えたという。

フランク・ホイットルエンジンに対する情熱や執拗なまでのこだわりがあったために一部の人とは反りが合わな かったフランク・ホイットル

7. 戦車

アーネスト・スウィントン(Ernest Swinton、1868〜1951年)は、第一次世界大戦中に戦車の開発に貢献した英陸軍将校。工学分野の出身ではなく、軍公認の従軍記者として同行し、前線で起きたことを報道機関に発表する記事を書いていた。スウィントンは戦後の1932年に戦地での体験を綴った著書「Eyewitness」(目撃者)の中で、フランスで車を運転中に突如「戦車を作る」というアイデアが浮かんだと記している。戦場で機関銃で多数の兵士が倒れていくさまを目撃し、「キャタピラがあり、硬化鋼板で装甲したガソリン・トラクター」という戦車(Tank)の構想を上官に話したところ即却下され、納得のいかなかったスウィントンは、大佐に報告した。これが当時海軍相だったウィンストン・チャーチルに伝わり、新しい戦闘機の開発が認められ、戦車の仕様書を書いたのもスウィントンだった。

フランク・ホイットルアーネスト・スウィントンは戦後にオックスフォード大学の軍事史教授になった

8. パイロットACE

第二次世界大戦時、ナチス・ドイツの暗号機エニグマによる暗号文の解読に大きく貢献したアラン・チューリング(Alan Turing、1912〜54年)は、コンピューター科学の父、人工知能の父とも呼ばれる優れた数学者にして暗号解読者だ。その機密性からこうした偉業は長年公にされることはなく、近年再評価されている人物でもある。数ある優れた開発の中でも、プログラム内蔵式コンピューターの初期の設計の一つACE(Automatic Computing Engine)は特に有名。これはチューリングが戦後に英国立物理学研究所に勤務していたときのプロジェクトで、ACEのプロトタイプ版のパイロットACEが同研究所で作られたが、完成を待たずしてケンブリッジ大学に移籍した。後に同性愛の罪に問われ、41歳で自ら命を絶ったチューリング。長く生きていたら、世の中はもっと進歩していたに違いない。

パイロットACE現在はロンドンのサイエンス・ミュージアムに所蔵されているパイロットACE

生活を豊かにした発明日用品

今や日常生活で当たり前のように使われている機械や日用生活品も英国発のものがたくさんある。それらは発明家だけから生まれたものではなかったようだ。

9. ATM

1930年代には現金自動預払機(ATM)の構想はすでに存在していたが、60年代に入っても実現することはなく、銀行業務には現金の引き出しなどが含まれており、営業時間中になるべく多くの顧客にサービスを提供する必要があった。この開発プロジェクトに、当時スミス・インダストリーズ社で開発エンジニアとして働いていたジェームズ・グッドフェロー(James Goodfellow、1937年〜)が参加。指紋や音声、磁気ストライプなどさまざま認証方法があったが、コスト面や非現実的な仕様であることで却下され、最終的に採用されたのが暗号化したカードを受け入れるシステムだった。カードには個別の識別番号が振り分けられ、コードはカードの受取人しか知らないという現在のATMのシステムをグッドフェローが作った。世界初のATMは1967年にロンドンのエンフィールドに設置された。

初のATMエンフィールドのバークレイズ銀行に設置された初のATM

10. テレビ

スコットランド出身のジョン・ロジー・バード(John Logie Baird、1888〜1946年)は、工業用ダイヤモンドの製造や自家製の痔の軟膏、ガラス製の剃刀など多岐にわたる発明に取り組んでは失敗していたが、一定の成功も収めていた。テレビに着手したのは34歳のころで、わずかな売上金を元手に廃材を使って実験を行った。システムの要はドイツの技術者が開発した穴が空いた大きな円盤で、この穴を通じて光を感知し、高速で回転させ画像をスキャンするというもの。感度をさらに高めるために穴にガラスのレンズを付け、巨大な円盤を採用したところ、そのバランスの悪さから勢いよく壁に飛んだレンズは砕け散り、円盤も飛び部屋はめちゃくちゃになるなどしたが、動揺もせず淡々と実験を続けたという。初期はグレーの陰影が写るに過ぎなかったが、1928年にはカラー・テレビをも開発した。

1929年、テレビのテストを行うジョン・ロジー・バード1929年、テレビのテストを行うジョン・ロジー・バード

11. World Wide Web(www)

ロンドン生まれのコンピューター科学者、ティム・バーナーズ・リー(Tim Berners-Lee、1955年〜)は黎明期のコンピューターの一つ、マンチェスター・マーク1の開発に貢献した夫婦のもとに生まれた。オックスフォード大学を卒業後、ソフトウェア開発に進んでコンピューター業界を渡り歩き、欧州合同原子核研究機構(CERN)で勤務中にコンピューター・ネットワークの設計に取り組む。リーの目標は研究者たちがメールを介さずに研究結果を共有できる場所「オンライン」を作ることだった。1990年から翌年の夏にかけて、世界初のウェブサーバーとサーバーから取得したファイルにアクセスして表示するプログラムのブラウザ「www」を構築。ウェブ経由で情報を転送できたのは同年12月25日のことだった。それから数年をかけて仕様や技術の向上を図り、ウェブの普及に努めた。

王室のウェブサイトの立ち上げ王室のウェブサイトの立ち上げにもティム・バーナーズ・リー(写真右)の協力があった

12. 歯ブラシ

ウィリアム・アディス(William Addis、1734〜1808年)という男性が暴動を起こして投獄されたときに歯ブラシのアイデアを思い付いた。刑務所にいても身なりを整えたかったアディスだったが、当時の英国では煤と塩をつけた雑巾で歯を磨く方法が一般的だったため、食事で出た動物の骨に穴を開け、ブラシの柄を作り、看守からもらった猪の毛を使って簡易の歯ブラシを作る。これをもとに釈放後の1780年ごろに会社を立ち上げ、歯ブラシの大量生産を行った。アディスが亡くなった後もビジネスは繁盛し、1880年代には米国へ輸出できるまでに成長。1938年までにはナイロン製の歯ブラシの販売が開始した。それまで動物の毛を使用していたが、より丈夫で汚れが取れるとして普及。現在も歯ブラシなどのオーラル・ケア用品を生産するWisdom Toothbrushes社として事業は続いている。

Wisdom Toothbrushes社の歯ブラシ同社の商品はブーツやスーパーマーケットなどで販売されている

13. ジグソーパズル

18世紀は、英国における児童書の黎明期。1760年代に彫刻家としての見習い期間を終えたジョン・スピルスブリー(John Spilsbury、1739〜69年)は、子どもたちに地理を教えることを目的としたパズルを考案した。薄いマホガニーの板に地図を載せ、境界線に沿って一つずつパーツに切り分けることで、子どもたちが自分たちで組み立て直すことができ、土地の位置関係を覚えられる。楽しい作業ながら学ぶことができる画期的な仕組みで、同地図は「切り分けられた地図」(Dissected map)と呼ばれ、後にイングランドや米国などの地域別のパズルも作られた。このアイデアはスピルスブリーが29歳で亡くなった後も、人々に受け継がれていくことになる。ちなみに「ジグソー」と呼ばれるようになったのはパズルを切り分けるのに使う同名ののこぎりが発明された1880年代に入ってから。

Wisdom Toothbrushes社の歯ブラシ1766年に作られたジグソーパズルと伝えられている「王国に分かれた欧州」
(Europe divided into its kingdoms)

14. 炭酸水

1767年、炭酸水の作り方を発見したのは、化学者、哲学者、教育者、そしてキリスト教プロテスタントの一派であるユニテリアンの牧師というマルチな肩書きを持っていたジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestly、1733〜1804年)。英北部ヨークシャーに生まれ、牧師として活動しながらも科学への興味が尽きなかったプリーストリーは、家の隣がビールの醸造所であったことからビールの泡が何であるのかに興味を持ち始める。当時、欧州の保養地では病気の治療薬として天然の炭酸水が使われていたため、プリーストリーはこれを人工的に作り出すことは可能なのかさまざまな実験で探り、ようやく見つけたのが豚の膀胱に溜めたガスを水に浸透させる方法だった。「水より味が良い」と好評を博し、航海に携帯、また誤った知識から薬局で販売されるなど一大ブームを巻き起こした。

ジョセフ・プリーストリー炭酸水のほかにも酸素の発見や電気に関する著作を残したジョセフ・プリーストリー

15. 缶詰の保存技術

英商人ピーター・デュランド(Peter Durand、1766〜1822年)は、ブリキ缶を使った食品保存技術で1810年に特許を取得した。当時のフランスではガラス瓶を使った保存法が生まれていたものの、鉄の板に錫で表面をコーティングしたブリキ缶を使ったのはデュランドが初めてだった。保存方法の手順は、容器に食材を詰めてオーブンや沸騰した水に浸して缶全体を加熱させ、冷却が終わったらすぐに蓋を閉じて密閉するという流れだったが、その保存可能期間については「長い」、加熱時間は「容器や食品のサイズによって異なる」と記されたのみだった。デュランドは特許を取得した後、缶詰の製造は行わず、12年に同じく缶詰を利用した食品保存に取り組んでいたブライアン・ドンキンらに特許を売却。デュランドは18年に米国で特許を申請して認可され、同国へブリキ缶による保存方法を伝えた。

ジョセフ・プリーストリーブライアン・ドンキン社による1812年製のブリキ缶(サイエンス・ミュージアム所蔵)

元祖のギロチンが英国にある? ハリファックス・ギベット

18世紀のフランス革命で断頭処刑が行われるより前に、英北部ウェスト・ヨークシャーのハリファックスに「ハリファックス・ギベット」(Halifax Gibbet)というギロチンがあった。16世紀に設置されたのが最も有力な説のようだが、1286年からの処刑記録が残されているために、実際に何人がこのギロチンで処刑されたか詳細は分かっていない。フランス革命で使われたギロチンの刃が三角形であるのに対し、ハリファックス・ギベットは斧状だったこと以外はほぼ同じ形状をしていたという。しかし、刃が十分にとがれていないために、重さと落下の勢いを利用して首を引きちぎるように切断するという凄惨極まりないものであり、加えて盗みを働いた軽犯罪者に対しても執行されていたことは確かなようだ。17世紀半ばにオリバー・クロムウェルが禁止するまで、このギロチンは使われていた。

ハリファックス・ギベット17世紀ごろに描かれたハリファックス・ギベット

 

知ってるようで知らない、英国の野菜。

知っているようで知らない英国の野菜。

英国の野菜

英国のスーパーマーケットには、よく知られた野菜のほか、日本人の私たちにとっては珍しい野菜も並んでいる。今回は、英国の食卓によく並ぶポピュラーな野菜を中心に、野菜にまつわる豆知識や、アジアなど特定の地域で消費されている世界各国の野菜を取り上げた。今まで存在は知っていながら手を出せていない野菜があったら、これを機にぜひ購入してみてはいかがだろうか。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部 イラスト: Kanako Amano)

参考: www.bbcgoodfood.comwww.eatingwell.com ほか

英国の野菜は輸入物が多い

私たちがスーパーマーケットで購入している野菜はどこから来ているのだろうか。政府による2022年の解析データによると、55パーセントが国内生産、45パーセントが輸入に頼っており、英国は欧州地域でもトップ・クラスの輸入大国となっている。気候の関係で葉物などの新鮮な野菜が育たない環境であるのが理由だが、近年の英国のEU離脱(ブレグジット)によって移民労働者が減少し、野菜や果物などの国内生産量も減少しているため、輸入量がさらに増加傾向にあるようだ。国内生産の野菜で多いのはトマトやジャガイモ、ニンジン、タマネギなど、根菜が多い。

全部網羅していたら英国人!?英国でよく食べられている野菜

まずは、英国らしい野菜や日本と同じように使用されている野菜など、よく見掛ける野菜を紹介。グリル料理が伝統的に多い英国では、特に根菜が充実しており、選ぶ楽しみがある。

知って得する野菜に関する6つの豆知識

野菜という大きなテーマでも、国が違えば野菜を取り巻く環境や考え方も違ってくる。ここでは英国ならではの野菜に関する興味深い小ネタを6つ紹介する。

1 英国の旬の野菜

英国の旬の野菜

年中収穫できる野菜もあるが、やはり旬に食べるのが1番おいしい。英国では、春はアスパラガス、ニンジン、カリフラワー、セロリアック、カーリー・ケール、サヴォイ・キャベツ、ウォータークレス。夏はビートルート、コジェット(ズッキーニ)、フェンネル、フレッシュ・ピーズ、レタス、ラナー・ビーンズ、トマトなど葉物野菜が多い。秋はジャガイモ、カボチャ、スクウォッシュ、スウィート・コーン、冬はブリュッセル・スプラウト、リーク、パースニップ、ターニップなどがある。

2 人気の野菜トップ3は?

人気の野菜トップ3は?

2024年の最新の世論調査によると、最も人気の野菜はジャガイモ。43〜400年のローマ時代に英国に持ち込まれて以来、栽培され続けてきたことを象徴するように、英国の数々の伝統料理にも登場する国民食だ。2位はニュー・ポテト。成長し切る前に収穫した小ぶりのジャガイモで、皮が薄く甘みが凝縮されているのが特徴。使い勝手も良い上美味だ。3位はニンジンで、ロースト・ディナーの付け合わせの定番であることはもちろん、キャロット・ケーキなどデザートにも利用されている。

3 野菜を買える場所

野菜を買える場所

大手のスーパーマーケットのほかに、英国には野菜を購入できる場所がある。路上で定期的に行われるマーケットでは、ボールいっぱいに積まれた野菜や果物が1ポンド〜で購入でき、同じ食材をたくさん利用したいときに便利。ただし、少々傷んでいるものが客に見えないように底の方に混ぜられていることがあるので、買う前には必ず吟味するのが安心だ。また、アフリカ系、トルコ系などのオフ・ライセンスのお店では、下記で紹介するようなエキゾチックな野菜を見つけることができる。

4 野菜を安全に食べるために

野菜を安全に食べるために

専門家によると、生野菜を食べるときは、「washed」と表示された袋の野菜を使う場合でも水で軽く洗うのが良い。また、水を入れたボールに野菜を浸して洗うと細菌が水の中に残ってしまうので、流水で30秒ほど洗うのが安心だそう。根菜を洗う場合は、ブラシでこすり、泥や汚れを落とすこと。また、交差感染を防ぐために、生肉と野菜を切るまな板を分けることも大切だ。ただ、重曹やお酢で野菜を洗う方法に関しては、「大腸菌の除去になる」「水で十分」など、専門家でも意見が分かれる。

5 アロットメントって何?

アロットメント

アロットメント(Allotment)とは、家庭で消費する食用の植物や野菜を育てるために借りられるコミュニティー・ガーデンのこと。区画はカウンシルとの契約の元、各市民の農園協会によって管理されている。利用料は広さや水の使用量によってまちまちだが、相場は年間20〜100ポンド。農薬を使わずに自分の好きなように野菜を育てられるため非常に人気があり、どこもウェイティング・リストがあるほどだ。詳しい申請方法は自分が住んでいる地域のカウンシルのサイトから確認してみよう。

6 「5 a day」のススメ

5 a day

「5 a day」とは、健康のために1994年に政府が始めたキャンペーンで、毎日少なくとも5種類の果物と野菜を組み合わせて食べることを推奨するというもの。生野菜や冷凍、缶詰、無糖のフルーツ・ジュースなども対象となっているが、ジャガイモ、プランテンなどは対象外。野菜がその対象かどうかはパッケージに「5 a day」の記載があるかないかで判断できる。1種あたり80グラムで、豆類なら大さじ3杯、レタスなど生の葉野菜ならシリアル・ボウル1杯分、ブルーベリーなら2握り分くらい。

英国で買えるエキゾチックな野菜10選

世界中から移民が集まる英国、特にロンドンでは、各国の国民の需要に答えた野菜が店に並んでいる。見たことはあるけれどあまり手に取ったことがない、エキゾチックな野菜を、調理法も併せて紹介しよう。

*()内は別称

Baby Aubergine Striped (Cinna Vankaya) ベビー・オーベジン・ストライプド(シナ・ヴァンカヤ)

Baby Aubergine Striped

縞模様がにぎやかな小さなナス。インドや中東で愛されている。肉厚で種が少なく、ほんのり甘い風味でクリーミーな食感が特徴。料理方法は通常のナスと同じだが、インドではカレーの具、中東では中身をくり抜きラム肉や米などを詰めて焼く。それ以外にもロースト、グリル、シチューに適している。

Kohlrabi コールラビ

Kohlrabi

不思議な形のコールラビはキャベツやブロッコリーの仲間で、地中海沿岸が原産。キャベツの芯のような甘味のある味わいで、薄くスライスしてサラダにしたり、スープやポトフに入れて加熱すればカブのような食感になる。旬は年に2回あり、6〜7月の初夏と11〜12月の晩秋。ビタミンC含有量も多い。

Bitter Gourd (Karela) ビター・グオード(カレラ)

Bitter Gourd (Karela)

アジア、アフリカ、カリブ海地域で広く栽培されているウリ科のつる植物で、日本ではニガウリ、ゴーヤ。キュウリのようにシャキシャキして水分の多い果肉には、特徴的な苦味がある。東南アジアではサラダとして人気がある一方、インドやパキスタン、ネパールなどの南アジアではカレーや肉詰めなどに使われることが多い。

Plantaine プランテン

Plantaine

バナナによく似たプランテンは、バナナよりもデンプン含有量がはるかに高く、通常は食べる前に調理される。アフリカ諸国で主食となっており、ビールの原料にも使われる。ガーナ、ナイジェリアでは揚げたプランテン「ドードー」がメジャーで、マッシュしたプランテンから作られる「エト」はガーナの伝統料理だ。

Bottle Gourd (Lauki/Loki) ボトル・グオード(ラウキ/ロキ)

Bottle Gourd (Lauki/Loki)

まだ成熟していない若くて柔らかいヒョウタン。ヒョウタンは約1万年前に世界で最初に栽培された植物の一つで、世界中で生育している。栄養価も高く、特にインドでは主食として食されていたこともある。インドやアジア食料品店ではラウキまたはロキというと探せる。コジェットと同様の調理法でOK。

Pak Choi パクチョイ

Pak Choi

中国が原産のアブラナ科の野菜。チンゲンサイによく似ているが、その違いは軸。パクチョイは白く、チンゲンサイは青色をしている。チンゲンサイの代用として、炒め物やスープなどの中華料理や、おひたしなど幅広く使える。加熱してもシャキシャキ感が残るのが魅力。葉の色が濃く、軸に厚みがあるものを選ぶとよい。

Cassava (Yuca) カッサヴァ(ユッカ)

Cassava (Yuca)

タピオカの原料となるカッサヴァは世界中の熱帯地域で栽培され、根元にできる塊(イモ)が利用されている。世界中の約10億人分の食糧源に相当しているほどで、主食となるイモ類ではジャガイモに次ぐ生産量だ。味と食感は甘味の少ないサツマイモに近く、蒸す、ゆでる、揚げる、粉にして炒めるなど調理法も多い。

Round Courgette (Tondo Chiaro di Nizza) ラウンド・コジェット(トンド・キアロ・ディ・ニッザ)

Round Courgette

イタリアでよく食されている丸いコジェット。中身をくり抜いて詰め物をし、オーブンで焼くのが一般的。果皮の色は緑色や黄色、薄緑色とさまざまで色合いも美しく、普通のコジェットと同様に炒め物やグリル、煮物などいろいろな食べ方が可能。日本では丸ズッキーニと呼ばれ、かわいらしい見た目なので人気がある。

Green Papaya グリーン・パパイヤ

Green Papaya

熟していない青いパパイヤで、東南アジアではサラダを作るために細かく刻んで使うことが多い。白い果肉は風味は余りないが、それよりも歯ごたえが評価されており、主にサラダのベースとして使用される。チリ、ライム、ニンニク、魚醤などの強い風味を引き立てる淡白な味わいで、ベジタリアンにも好まれている。

Tamarind タマリンド

Tamarind

もともとアフリカ原産のタマリンドは東南アジアになくてはならない調味料の素材。タマリンドの木からマメがぶら下がっており、これを水にふやかしてペーストにする。見た目からは想像もつかない、梅干しのような強烈な酸味が特徴だ。パッタイやカレーなどに加えれば本場の味に。ペーストや粉末状でも売られている。

日本の野菜も手に入る
英国でも次第に日本の食材が定着しつつある。そのせいかスーパーマーケットをはじめアジア食材店、オーガニック食材店などで、見慣れた日本の野菜に出くわすことが増えてきた。ダイコン(Mooli)、レンコン(Lotus Root )、シイタケ(Shiitake)、シメジ(Shimeji)、エノキダケ(Enoki)、サトイモ(Eddoe)、オクラ(Okra)、モヤシ(Bean Sprout)などがその一例だろう。ただし、多くの英国人にとってこうした野菜は、食べ方の分からないエキゾチックな商品であり、日本と結び付けている可能性も少ない。ちなみにオクラは実はアフリカ原産で、オクラという名称も日本語ではない。
 

スターマー内閣が始動 閣僚たちの顔ぶれ

スターマー内閣が始動 閣僚たちの顔ぶれ

7月4日の総選挙で、2010年から14年にわたり続いた保守党政権が終わりを迎えた。それに伴い発足したのが労働党によるスターマー政権。キア・スターマー首相は、首相就任の初日である同5日、さっそく第一次閣僚名簿を発表した。今回は、英国政界の新たな扉を開くべく集合をかけられた内閣メンバーの中から、主要官僚8人の顔ぶれを紹介する。
参考: https://members.parliament.uk/Government/Cabinet

地味で堅実な元法廷弁護士 キア・スターマー首相 /
財務第一卿(61) Keir Starmer: Prime Minister/First Lord of the Treasury

キア・スターマー首相

ロンドン中心部のサザック出身。労働者階級の家庭に生まれる。両親ともに労働党支持者で、名前のキアは労働党創設者の1人のキア・ハーディから取られた。オックスフォード大学で民法を学び、1987年に人権を専門とする法廷弁護士に。2008年に検事総長になり、議会の不正経理問題で与野党の議員を起訴するなど、刑事司法への貢献が評価され爵位を受ける。その後政界入りし、15年に下院議員に当選。20年には労働党党首に。当意即妙な物言いやユーモアとは無縁の地味で堅実な人柄だが、派手な演出や空約束ばかりで見せ物と化していた保守党政治にうんざりした国民にとっては、安心感のある首相といえる。魚菜食主義者で、アーセナルのファン。


英国初の女性財務相 レイチェル・リーヴス財務相(45) Rachel Reeves: Chancellor of the Exchequer

レイチェル・リーヴス財務相

サッチャー政権の誕生した1979年に、ロンドン南東部ルイシャムで教師の両親の下に生まれる。英国14歳以下のチェス選手権でタイトルを持つ。父親の影響で16歳で労働党に入党。オックスフォード大学で哲学、政治、経済を学び、その後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の修士号を取得。ゴールドマン・サックスから就職のオファーを受けたが、イングランド銀行(英中央銀行)を選び、エコノミストとして日本担当デスクで働き、90年代の日本の停滞を調査。2010年に出馬。同僚からの評価は「常に用意を怠らず粘り強い」。英国初の女性財務相として、第二次世界大戦後最悪といわれる経済状況を引き継ぐ。


マンチェスター出身の元ヤンキー アンジェラ・レイナー副首相 /
格差是正•住宅•コミュニティー担当相(44) Angela Rayner: Deputy Prime Minister/ Secretary of State for Levelling Up, Housing and Communities

アンジェラ・レイナー副首相

英北部マンチェスター出身。労働者階級の貧しい家庭に生まれる。16歳で妊娠し学校を中退。その後、社会福祉の研修を受け介護士として働く。労働組合の代表となり労働党に入党。2014年にアシュトン・アンダー・ライン選挙区から出馬し、15年の総選挙で当選。20年には副党首選に立候補し当選した。強力な支持基盤を持ち、将来のリーダーとしての可能性から、「ニュー・ステーツマン」誌で23年の左派政治界で最も影響力のある人物の第8位にランクイン。21年、議会で保守党幹部を強く批判し、「イートン校出身のクズども」と罵った。


秀才肌のベテラン政治家 イヴェット・クーパー内相(55) Yvette Cooper: Home Secretary

イヴェット・クーパー内相

スコットランドのインヴァネス生まれ。父親は原子力廃止措置機関の元非常勤理事、英国原子力産業フォーラムの元会長のトニー・クーパー氏。オックスフォード大学を卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学を学ぶ。1992年には民主党米大統領候補ビル・クリントンの下で働いた。95年から、97年に下院議員に選出されるまで「インディペンデント」紙の主任経済特派員。99~2005年にブレア内閣で政務次官を務める。05年に住宅・都市計画担当国務相、08年に女性として初めて財務長官に就任し、ノーザンロック銀行の国有化に携わった。初めて産休を取った英国の大臣で、夫は元財務経済担当相のエド・ボールズ氏。


イスラム系女性議員の草分け シャバナ・マハムード大法官/司法相(43) Shabana Mahmood: Lord Chancellor/ Secretary of State for Justice

シャバナ・マハムード大法官

英中部バーミンガムで生まれ。幼児期は父親の仕事の都合で家族でサウジアラビアに暮らす。帰国後父親が地元の労働党の議長になったことから、10代で地方選挙の選挙運動を手伝う。マンチェスターの労働者階級に育った法廷弁護士が活躍するTVドラマ「カヴァナQC」の影響を受け、オックスフォード大学で法律を学ぶ。1学年上にリシ・スナク氏がいた。2002年の卒業後、03年にインズ・オブ・コート法科大学院の弁護士職業課程を修了。賠償責任法を専門とする法廷弁護士になり07年までロンドンで勤務。10年の総選挙で、バーミンガム・レディウッド選挙区の下院議員に当選。英国初の女性イスラム教徒下院議員の1人となった。


ブレア似のコックニー ウェス・ストリーティング保健社会福祉相(41) Wes Streeting: Secretary of State for Health and Social Care

ウェス・ストリーティング保健社会福祉相

ロンドン東部ステップニーで十代の両親の下に生まれ公営住宅で育つ。両親の離婚で母親に育てられる。当時はジョン・メージャー首相率いる保守党政権の末期にあたり、片親家庭に厳しい暮らしを強いる政府に反感を覚える。「上流階級の人たちに先を越されるのは我慢ならない」と考えてケンブリッジ大学へ。全国学生連合の会長となり、政界進出をめざす。2015年、ロンドン東部イルフォード北部選挙区から立候補し、保守党の多数派を覆して勝利。自信に満ちたメディア出演と率直な物言いは、トニー・ブレア元首相にも比較される。ゲイであることを公表しており、10年来のパートナーがいる。敬虔なキリスト教徒でもある。


24年の政治キャリア デービッド・ラミー外相(51) David Lammy: Foreign Secretary

デービッド・ラミー外相

南米ガイアナ共和国出身の両親の下、ロンドン北部アーチウェイに誕生。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で法律を学び、1994年にリンカーン法曹院で弁護士資格を取得。その後、米ハーバード大学に進学し、同校の法科大学院に通う最初の黒人英国人となった。卒業後97~2000年まで米国で弁護士として勤務。同年ロンドン北東部トッテナムの労働党候補に選ばれ当選し、下院最年少の26歳で議員となる。ブレア政権時には文化・メディア・スポーツ相などを歴任。12年にロンドン市長選挙で労働党のケン・リヴィングストン氏を支持し、同氏の選挙運動委員長を務めた。自身も16年に立候補し4位に終わる。妻は画家のニコラ・グリーン氏。


元労働党党首が復活 エド・ミリバンドエネルギー安全保障ネットゼロ担当相(54) Ed Miliband: Secretary of State for Energy Security and Net Zero

エド・ミリバンドエネルギー安全保障ネットゼロ担当相

ロンドン北部でポーランド系ユダヤ人移民の家庭に生まれる。父親のラルフ・ミリバンド氏はマルクス主義の学者。17歳で労働党に入党。このころ労働党左派のトニー・ベン議員のインターンとして働いた。オックスフォード大学で学び、さらにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学を修め、理学修士の学位を取得。テレビ局で短期間、記者として勤務した後、93年、労働党で影の主席財務相を務めていたハリエット・ハーマン氏のスピーチ・ライター兼リサーチャーとして働き始める。初当選は05年5月。兄は元外相デービッド・ミリバンド氏で、10年には兄弟で激しい労働党党首争いをし、僅差で兄を破り党首に当選。


そのほかの閣僚

  • 国防相:ジョン・ヒーリー
  • 労働年金相:リズ・ケンダル
  • ランカスター公領尚書・内閣府相:パット・マクファーデン
  • 教育相: ブリジット・フィリップソン
  • 運輸相: ルイーズ・ヘイグ
  • ビジネス貿易相/商務省長官: ジョナサン・レイノルズ
  • 科学・イノベーション・技術担当相: ピーター・カイル
  • 北アイルランド相: ヒラリー・ベン
  • スコットランド相: イアン・マレー
  • ウェールズ相: ジョー・スティーヴンス
  • 文化・メディア・スポーツ相: リサ・ナンディ
  • 財務省政務官: アラン・キャンベル
  • 財務長官: ダレン・ジョーンズ
  • 下院院内総務・枢密院議長: ルーシー・パウエル
  • 環境・食糧・農村地域相: スティーブ・リード
  • 国務相: アネリーゼ・ドッズ
  • 上院院内総務・王璽尚書: バロネス・スミス・オブ・ビジルトン

 

ロンドンで楽しくウォーキング

歩いて知る新たな魅力 ロンドンで楽しくウォーキング

しばらく肌寒い陽気が続いていたロンドンだが、ようやく夏らしい季節がやってきた。日が沈むまでに十分な時間がある今は、まさにウォーキング日和だ。以前1559号で取り上げたテムズ川沿いを歩く有名なテムズ・パスのほかにも、ロンドンには魅力的なウォーキング・ルートがたくさんある。今回は、よく知られた公式ルートのほか、ロンドンの文化や歴史を感じられるルートを4つ紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: https://tfl.gov.ukwww.timeout.comwww.gov.ukほか

英国人の散歩好き人口はどのくらい?

参考: https://oursportinglife.co.uk

「自分はよく歩く」と思っている英国人23%

英国人の総人口の約4分の1にあたる。2019年には16パーセントだったが、ロックダウンを経て、散歩やウォーキング、ハイキングをする習慣が身に付いた人がさらに増加した模様。

散歩やハイキングを計画している英国人15%

2024年に月1回は散歩やハイキングに行く予定のある英国人の割合。その中で男性は17.83パーセント、女性が13.07パーセント。年代別では年配になるにつれ割合が上がり、55歳以上では19.44パーセントと最も多い。

近隣の散歩道を調べた検索数11万4000件

Googleを使って散歩道を調べた1カ月あたりの検索数。数十年前までは本や紙の地図で調べていたルートがオンラインで気軽に調べられるようになったことで検索数が爆発的に増えた。ちなみにロックダウン時は月20万以上の検索数があったそう。

散歩にまつわるハッシュタグ付きの投稿8400万件以上

2024年1月時点で、インスタグラムで#hikingとハッシュタグを使った投稿の数。#hikingadventures、#hikingtrailsも人気だった。若者世代を中心に、次に行きたいルートの情報をSNSで取得する時代になっている。

週に充てた徒歩の時間90分

2022年時の調査の結果で、21年と比較し、移動時間が増えた。ロックダウン以前は買い物など必要に駆られて歩く人の割合が多かったが、以降は歩くこと自体を目的にした人が大幅に増えた。

黙々と歩けるロンドンの⻩⾦ルート

テムズ・パスのほかにも、ロンドンには市内に縦横に張り巡らされた多くのウォーキング・ルートがある。まずは⾃宅のそばなど、気軽に始められそうな場所からスタートしてみよう。

Route A
キャピタル・リング Capital Ring

Route A Capital Ring

オリンピック・パークなどロンドンの郊外エリアを環状に歩くルート。全長約126キロメートルで、15のショート・コースに分かれている。

https://tfl.gov.uk/modes/walking/capital-ring

キャピタル・リングのお勧めコース2選

Section 6
アップダウンの多い緑豊かなルート
Wimbledon Park to Richmond

MAP

  • 総距離 11.7km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Wimbledon Park駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄、オーバーグラウンド、ナショナル・レール
  • ルート ウィンブルドン・パーク→リッチモンド・パーク

舗装道路より小道や草の上などを歩くため、汚れても良い歩きやすい靴で臨みたい。その分、ロンドンの多様な自然が感じられるはずだ。愛犬との散歩にも適したルートだが、リッチモンド・パークで牛の放牧が4〜10月に行われるため、歩く前にガイダンスを確認するのが安心。

Section 12
途中でお茶を挟みながら歩ける
Highgate to Stoke Newington

MAP

ストーク・ニューイントン貯水池

  • 総距離 9km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Highgate駅
  • ゴール地点最寄駅 オーバーグラウンドStoke Newington駅
  • ルート ハイゲート駅→フィンズべリー・パーク→ストーク・ニューイントン貯水池(Woodberry Wetlands)→アブニー・パーク墓地

中心部から近いエリアだが、キャピタル・リングの中でも緑豊かなルートとして知られている。主に舗装道路を歩くので、距離はあるものの比較的歩きやすい。また、ルート上はもちろん、クラウチ・エンドなど周辺にカフェの多いエリアもあるので、休みながら行けるのも良い。

Route B
グリーン・チェーン Green Chain

Route B Green Chain

テムズ・バリア、クリスタル・パレスなどロンドン南東エリアを歩く約82キロメートルのルート。11のコースに分かれ、緑豊かな地域を歩く。

https://tfl.gov.uk/modes/walking/green-chain-walkg

グリーン・チェーンのお勧めコース

Section 6
公園や王宮など豊かな景色を一度に楽しめる
Oxleas Wood to Mottingham Lane

MAP

エルサム宮殿

  • 総距離 6.27km
  • スタート地点最寄駅 ナショナル・レールFalconwood駅
  • ゴール地点最寄駅 ナショナル・レールMottingham駅
  • ルート オックスリーズ・ウッド→シェパーズリーズ・ウッド→エルサム・パーク・サウス→エルサム宮殿→モッティンガム・レーン

下り坂や舗装された道路も多く歩きやすいルート。オックスリーズ・ウッド(Oxleas Wood)、シェパーズリーズ・ウッド(Shepherdleas Wood)の一部の区域では8000年以上前から森があるなど、歴史的にも興味深いポイントが多い。アール・デコ様式が美しいエルサム宮殿(Eltham Palace)を過ぎ、南下してモッティンガム・レーン(Mottingham Lane)へ。

Route C
リー・ヴァレー Lea Valley

Route C Lea Valley<

テムズ川からロンドン北東部リー・ブリッジを通り、ロンドン北部ウォーサム修道院へ曳航道を歩く約24.8キロメートルのルート。

https://tfl.gov.uk/modes/walking/lea-valley

リー・ヴァレーのお勧めコース

Section 1
広大な貯水池に沿って歩く
Waltham Abbey to Ponders End

MAP

貯水池

  • 総距離 5.7km
  • スタート地点最寄駅 ナショナル・レールWaltham Cross駅
  • ゴール地点最寄駅 ナショナル・レールPonders End駅
  • ルート リー・ヴァレー・ホワイト・ウォーター・センター→リー・ヴァレー川→キング・ジョージ5世貯水池→ポンダーズ・エンド駅

北から南へほぼ真っ直ぐ下りてくるため、探索というよりは地図を確認せずゆったり歩きたい人向けのルート。途中に通過する広大な貯水池はロンドンの市民へ飲料水を供給するキング・ジョージ5世貯水池で、南のウィリアム・ガーリン貯水池と合わせテムズ・ウォーターに管理されている。

Route D
ジュビリー・ウォークウェイ Jubilee Walkway

Route D Jubilee Walkway

聖ポール大聖堂やトラファルガー広場、バッキンガム宮殿など、ロンドン中心部のランドマークを歩く約24キロメートルのルート。

https://tfl.gov.uk/modes/walking/jubilee-walkway

ジュビリー・ウォークウェイのお勧めコース

Section 3
歴史あるシティを散策
The City Loop

MAP

ギルドホール

  • 総距離 3.3km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Bank駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Bank駅
  • ルート バンク駅→ギルドホール→バービカン・センター→聖ポール大聖堂→バンク駅

地下鉄バンク駅からスタートし、シティ内を環状にめぐって戻ってくるルート。歩くだけなら1時間程度で完遂できるので気軽に楽しめる。また、同エリアはビジネス街でもあるため、週末の方が比較的歩きやすい。聖ポール大聖堂など、主要な観光スポットも訪れることができる。

Route E
ジュビリー・グリーンウェイ Jubilee Greenway

Route E Jubilee Greenway

エリザベス女王の即位60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーと、ロンドン五輪を記念して作られた約60キロメートルのルート。ケンジントン宮殿、O2アリーナ、グリニッジ・パークなど主要な観光スポットを歩く。

https://tfl.gov.uk/modes/walking/jubilee-greenway

ジュビリー・グリーンウェイのお勧めコース

Section 1
観光名所をあえてめぐる
Buckingham Palace to Little Venice

MAP

バッキンガム宮殿

  • 総距離 6.4km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Green Park駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Warwick Avenue駅
  • ルート グリーン・パーク→バッキンガム宮殿→ハイド・パーク→ケンジントン・ガーデンズ→ケンジントン宮殿→パディントン駅→リトル・ヴェニス

バッキンガム宮殿からスタートし、ハイド・パークやケンジントン・ガーデンズなど緑の多い公園を通過後、北上しパディントン駅、そしてリトル・ヴェニスへ向かうルート。名所が多く飽きることはないが2時間30分と意外と歩くのと、日中は人が多い場所なので、午前中の早いうちに歩くのがベターだ。

ロンドンの多様性を深掘り文化や歴史を学べるルート

ロンドンの歴史を歩いて知りたい人に向けたルートを紹介。店の入れ替わりや住宅開発など様変わりしてしまった場所もあるものの、そこも含めて当時の雰囲気を味わってみてはいかがだろうか。

Route A
Theme: LGBTQ+
ソーホーのLGBTQ+の発展を知る

MAP

  • 総距離 0.7km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Piccadilly Circus駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Piccadilly Circus駅
  • ルート ピカデリー・サーカス駅→旧ロンドン・トロカデロ→ダンジー・プレイス(Dansey Place)の公衆トイレ跡地→コンプトンズ→旧トライデント・スタジオス(17 St Anne's Court)

SOHO

ロンドン中心部ソーホーのオールド・コンプトン・ストリート(Old Compton Street)はここ数十年でLGBTQ+フレンドリーな飲食店やショップが一気に増えたが、その礎は130年前のヴィクトリア朝時代後期から徐々に築かれてきた。1880年代後半に❶ピカデリー・サーカスの大規模な拡張事業があり、それに伴い多数の劇場が新設。同性愛者たちのグループにも密かな社交場ができ、同時に男性専用の売春宿も増えていった。現在映画館のピクチャー・ハウスとなっている場所にはかつて❷ロンドン・トロカデロというバーがあり、おしゃれに着飾った同性愛者たちが訪れていたという。ヴィクトリア朝時代には公衆トイレが設置され、そこで見知らぬ人と性的行為を行うコッテージング(Cottaging)が本格的に始まり、なかでも❸ダンジー・プレイスにあったトイレは特に有名だった。また、❺トライデント・スタジオスでLGBTQ+に関する曲が録音されたりと、ソーホーはLGBTQ+に開かれた場所として知られていく。❹コンプトンズ(Comptons、写真)は現存する有名なゲイ・バーだ。

Route B
Theme: 人権
人権活動家だったイスラム教徒の人生をたどる

MAP

  • 総距離 2.7km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Westbourne Park駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Westbourne Park駅
  • ルート 旧メトロ・クラブ→オール・セインツ教会→旧フリースクール(34 Tavistock Crescent)→旧モスク(33 St Lukes Mews)→旧ランカスター・ユース・クラブ→アル・マナール

All Saints' Church

1948年にバルバドスで生まれ、80年代に英国の黒人イスラム教徒コミュニティーの形成に大きく貢献したモハメド・カジャ(Muhammad Khaja)の活動と、カジャが影響を受けた場所をめぐる。スタートは若者の黒人コミュニティーとして知られ、当時カジャが働いていた❶メトロ・クラブから。人権活動家でもあったカジャは1965年、❷オール・セインツ教会(All Saints' Church、写真)にて、公民権運動家で米イスラム教導師マルコムXによる、人種差別根絶のスピーチを聴きに訪れたといわれている。その翌年、マルコムXと親交があった英活動家により、イスラム教徒の米ボクサー、モハメド・アリが同地の❸フリースクールへ招待された。青年期にこうした出来事に遭遇したカジャは、生涯をかけて少数派を支援することを誓う。❹モスクでの若者支援、人々の生活スキル向上のための施設❺ランカスター・ユース・クラブ(現Lancaster Youth Hub)を設立。❻現アル・マナール(Al Manaar)、イスラム文化遺産センターとして親しまれたセンターで、さらなるイスラム教の布教に当たった。

Route C
Theme: ポピュラー・カルチャー
ロック・シーンを支えたアーティストを追う

MAP

  • 総距離 2.2km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Tottenham Court Road駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Bond Street駅
  • ルート リージェント・サウンズ→100クラブ→バーウィック・ストリート→旧マーキー・クラブ(90 Wardour Street)→ヘンデル・ヘンドリック・ハウス

All Saints' Church

英米のロック・シーンを支えたアーティストのゆかりの場所を訪ねるルート。英ロック音楽産業を支えたデンマーク・ストリート(Denmark Street)に、現在はギター・ショップとなっている❶リージェント・サウンズ(Regent Sounds)がある。1980年代までスタジオとして活用され、ローリング・ストーンズの最初のアルバムはここで録音された。❷100クラブ(100 Club)は42年にオープン以来、ダムドやセックス・ピストルズなどが参加したパンク・フェスティバルなど、数多くの伝説的なライブの会場となってきた。現在もオアシスやポール・マッカートニーなどのライブなどが行われている。❸バーウィック・ストリート(Berwick Street)は、今でもレコード屋が立ち並んでおり、この通りはオアシスのセカンド・アルバムのジャケット写真にも使われた。ザ・フーやローリング・ストーンズがライブに使った❹マーキー・クラブ跡地を見たら、米ロック・スター、ジミ・ヘンドリックスが住んでいた建物の隣にある❺ヘンデル・ヘンドリック・ハウス(Handel Hendrix House、写真)でフィニッシュだ。

Route D
Theme: 建築
ジョージアン様式のタウンハウスを見る

MAP

  • 総距離 0.2km
  • スタート地点最寄駅 地下鉄Tottenham Court Road駅
  • ゴール地点最寄駅 地下鉄Tottenham Court Road駅
  • ルート メード・ストリート→ディーン・ストリート67、68番地→同76番地→同88番地

76番地

ロンドン中心部ソーホーにあるディーン・ストリート(Dean Street)は、18~19世紀半ばのジョージ王朝時代に生まれたジョージアン様式のタウンハウスが並ぶ。当時都市部では人口が増加し、長屋形式のタウンハウスが多く建てられた。建物は左右対称を基調としたシンプルなデザインであるものの、本ルートでは建物ごとの意匠の違いを見ることができる。❶メード・ストリート(Meard Street)のタウンハウスは、古代ギリシャなどのデザインにヒントを得た柱付きの玄関が特徴だ。❷ディーン・ストリート67、68番地には、当時高級品だった深紅のレンガが使用され、❸76番地(写真)は、「ゲストは2階でもてなす」という当時一部の人々の間で流行したスタイルを建物構造に反映。同階には大きな窓が使用され、天井が高く作られている様子が外からでも確認できる。❹88番地は1791年に建てられた1階の店舗スペースが当時から維持されている。流行の変化に伴い改装されることが多いなか、このまま残されているのは奇跡といえるだろう。

ロンドンの有名なウォーキング・ルート テムズ・パスを歩いてみよう

テムズ川の源泉、英西部コッツウォルズのケンブル(Kemble)近くからロンドンのシティ空港近くにあるテムズ・バリアまでを結ぶ、全長294キロメートルのテムズ・パス。川沿いを歩く分かりやすいルートである上、観光地も多くウォーキング初心者にお勧めのルートだ。下記の特集では、歩きやすく眺望が楽しめる6ルートを紹介しているので、まだチャレンジしていない人は参考にしてみてはいかがだろうか。

テムズ・バリア可動式防潮堰、テムズ・バリア

76番地テムズ川を臨むエミレーツ・エア・ライン


ロンドン外にも続くテムズ・パスGoring to Pangbourne

 

2024年 英国総選挙を追う

7月4日に実施 混乱を極める 2024年 英国総選挙を追う

2019年以来、5年ぶりの総選挙がいよいよ7月4日に実施される。4期目を狙う与党保守党と、14年ぶりの政権奪回を目指す労働党。労働党の勝利がほぼ確実といわれながらも、あえて早期決戦のギャンブルに出たリシ・スナク首相と保守党の運命やいかに。目が離せない現在の状況を追いながら、2024年総選挙の行方を見ていこう。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: BBC、Newsweek、The Guardianほか

突然の日程発表

英国では下院議員の任期である5年に1度総選挙が行われるため、2025年1月末までに総選挙を行う必要がある。そのため、総選挙は与党保守党が減税予算を打ち出して支持率を上げてから、秋ごろに実施されるのではないかと予想されていた。ところが、保守党党首のリシ・スナク首相は5月22日に突然、首相官邸前で雨に打たれながら7月4日に総選挙を実施すると発表。早期実施は各方面に驚きをもって迎えられ、同僚であるはずの保守党員からも憤慨する声が上がり、離党議員が相次いだ。

なぜ今なのか

リズ・トラス前首相の大型減税策が引き起こした市場の混乱や、公共サービスの悪化など、英国が現在抱える問題の多くは保守党政権が生み出したともいえる。支持率が低下している保守党は、世論調査で野党第1党の労働党との差を20ポイント余りつけられており、労総党政権の誕生は間違いないといわれている。そんななかあえて総選挙を早期実施するのはなぜなのか。ロイター通信によると、スナク首相は目玉公約であるインフレ対策や経済政策が一定の成果を挙げたと判断し、前倒し選挙を決めたという。スナク首相が総選挙の日程を告げた日は、英国のインフレ率が低下に転じたことを発表した日でもあった。政府は今秋までにこれ以上良いニュースを出せる可能性がないと判断し、後は悪くなる一方なので「今のうちに」選挙をしたいのではないか、という声すらある。

労働党が14年ぶりの政権獲得か

最近の世論調査では、労働党が保守党を大きくリードしている。5月初めに行われたイングランドの統一地方選挙でも、保守党の獲得議席は労働党の半分以下にとどまった。選挙実施の発表を受け、労働党のキア・スターマー党首は、「英国の可能性を解き放つのはわれわれだ」「未来は国民の手の中にある」と述べ、政権奪取に向け有権者にアピールしている。このままでいくと、14年ぶりの政権奪回が実現する可能性が高い。投票の4週間前の予測では、労働党は1997年のトニー・ブレア政権による圧勝を上回る結果を得て、一方の保守党は1906年以来最悪の敗北となると予想されている。

「初めて」が重なる総選挙

この選挙では、下院のメンバーおよび次の英国政府が決定。今回の選挙は、さまざまな初めて要素が重なっている。①欧州連合(EU)離脱後初めて、②チャールズ国王の治世下で初めて、③固定任期議会法に代わる「2022年議会解散および召集法」*の下で初めて、④有権者の身分証明書が必要となる初めての総選挙、などだ。

*2022年3月24日に閣議決定した法律で、首相が議会を解散する権限が復活した。これにより、首相は適切と判断したときに選挙を呼び掛けることができる

2019年総選挙の結果

タイプ別に見る今どきの英国の有権者

今回の総選挙には六つの異なるタイプの有権者がいるという。「インディペンデント」紙は、国立社会研究センター(NatCen)が一般市民への12の質問に対する回答に基いて分類した、有権者6タイプを紹介している。有権者の価値観、政治や政治家に対する認識はタイプごとに特徴があり、経済や移民などの主要な政治問題についても一致しているという結果が出た。ストラスクライド大学のジョン・カーティス教授は、有権者は「左派と右派だけでなく、リベラル派と権威主義者にも分かれている。その一方で中道派で政治に特に関心がない人も多い」と語る。次で6タイプを詳しく見ていこう。

TYPE 1
中間層の英国人
Middle Britons

中間層の英国人は有権者の4分の1以上(26パーセント)を占め、最大の有権者グループを構成している。政治問題に関して中道的な立場をとることが多く、明確な政治的所属を持たない「典型的な」有権者に最も近い。政治家がこのタイプを味方につけるのは難しく、投票する可能性も低い。

TYPE 2
裕福な伝統主義者
Well-Off Traditionalists

政治に関心が高く、投票する可能性が高い裕福な伝統主義者の多くは、英南東部の田舎に住んでいる。このグループは社会的に保守的な考え方を持っており、保守党の政策と一致することが多い。有権者の12パーセントを占めている。

TYPE 3
非政治的な中道主義者
Apolitical Centrists

政治に最も関心のないグループ。一般的に経済問題に関しては右派だが、社会問題に関しては中道派であることが多い。政治に関心のない中道派は比較的若く、収入も低い。このグループの多くはおそらく投票しないと予想されるが、投票する場合は保守党か労働党を選ぶ。有権者の17パーセントを占める。

TYPE 4
取り残された愛国者たち
Left-Behind Patriots

このグループは欧州連合(EU)離脱で賛成に投票し、自分たちは愛国的だと考えている。経済格差に反対しているが、社会観は保守的。特定の政党に強い忠誠心はないが、ほかのグループよりも右派のリフォームUKを支持する傾向が高い。有権者の15パーセントを占める。

TYPE 5
都市部の進歩派
Urban Progressives

都市進歩派は、大学教育を受け専門職に就いており、経済問題に関しては左派寄り、社会問題に関してはリベラルな傾向がある。このグループは労働党か緑の党を支持する可能性が高く、有権者の16パーセントを占める。投票する可能性も高い。

TYPE 6
ソフト左派リベラル
Soft-Left Liberals

このグループは大学教育を受け、政治に関心があり、社会問題に関してはリベラルだが、経済に関しては中道派である。タイプ5の「都市部の進歩派」より穏健であり、投票する可能性も高く、その場合は、労働党、緑の党、自由民主党を選ぶ傾向がある。有権者の14パーセントを占める。

2019年総選挙の結果

有権者が考える今回の総選挙の争点

前回2019年の総選挙の争点はEU離脱だったが、今回はさまざまな問題が入り乱れている。選挙運動が進行中で各政党が主張を展開するなか、世論調査会社YouGovは、2024年の総選挙で投票するために有権者たち最も重要と考える課題を調査した。ここではその結果を紹介しよう。

*12のカテゴリーから最も重要と思われるものを3個選択

判断理由

1位 生活費 45%

全有権者が最も重要だと考えるのは、日々の家計のやりくり

2位 健康 34%

NHS(国民健康保険)に関する問題を含む

3位 経済全般 32%

4位 移民 26%

難民認定を申請するため英国に不法に入国した人たちを、アフリカのルワンダに強制的に移送する「移民移送法案」(Safety of Rwanda Bill)の是非が問われる

支持政党別の特徴

保守党支持者

投票を決める上で「移民」が最も重要だと答える傾向が強く、45パーセント、次いで「経済全般」が39パーセントとなっている。「生活費」は36パーセントで3番目に過ぎない。

労働党支持者

過半数を超える58パーセントが「生活費」を1位に挙げており、2位の「健康」(44パーセント)や3位の「経済全般」(39パーセント)を大きく上回っている。

リフォームUK支持者

移民問題について保守党支持者よりさらに関心を持っており、82パーセントが最重要課題だと答えている。特にこの問題について政府の対応に不満を持つ。

年齢別の特徴

65歳以上の人たちにとって、移民問題は「最重要」問題として最も多く挙げられており、44パーセントに上る。これは、25~49歳ではわずか16パーセント、18~24歳では14パーセントであるのとは対照的だ。

当然のことながら、65歳以上の人々にとって「年金」はほかの人々と比べて22パーセントと大きな懸念事項である可能性が高く、防衛と安全保障も17パーセントで同様である。

若い有権者にとって、「生活費」は49~53パーセントと、最も大きな問題の一つである可能性が高い。一方、65歳以上の有権者ではわずか31パーセントで、この年代の4位となっている。

若い英国人にとって、住宅問題は気候変動と同様に懸念事項として際立っており、どちらも20パーセントが最重要課題として挙げている。ガザ紛争も18~24歳の14パーセントに影響を与えており、ほかの年齢層の1~6パーセントよりも顕著に多い。

各政党の支持率の変遷

主要政党の主な公約と顔ぶれ

選挙戦も中盤に入り、各政党は政策を有権者にアピールし白熱の戦いを繰り広げている。各党の運命を左右するそれら公約には、どのようなものがあるか振り返りながら、各党党首の横顔を紹介する。

保守党
Conservatives

トーリー(Tory)とも呼ばれる。労働党とともに英国の2大政党の一つである。前回2019年の総選挙で大勝し、2010年以来英国の第一政権党となっている。政治的には右派~中道右派に位置する。保守派、サッチャー主義者、伝統主義保守派など、さまざまなイデオロギーの派閥を包含する。

党首の横顔


Rishi Sunak
(リシ・スナク: 英南西部サウサンプトン出身 44歳)

政治家になる前は投資銀行ゴールドマン・サックスでアナリストとして勤務。ボリス・ジョンソン政権下で2つの閣僚職を歴任。コロナ禍の2020~22年に財務相を務めた後、22年10月25日にリズ・トラスの後を受けて保守党党首および英国首相に就任、英国初のアジア系首相となった。在任中に始まった生活費危機とエネルギー供給危機、さらには労働争議やストライキの中で苦戦中。妻はインドの富豪でビジネスマンのナラヤナ・ムルティの娘、アクシャタ・ムルティ。

リシ・スナク

主な公約


経済
  • 国民保険料の被雇用者の支払い額を2027年4月までに現行の8パーセントから6パーセントに引き下げるほか、自営業者については29年4月までに完全に廃止
  • 国家年金の支給額および年金受給者の非課税限度額について、インフレ率、賃金上昇率、2.5パーセントのうち最も高い数値に合わせて増額する制度「トリプルロック・プラス」を導入し、年金受給者を保護
移民・防衛
  • 2030年までに防衛費をGDPの2.5パーセントに増額。その財源は、公務員の人員整理、NHSの管理職の整理、ビザ申請料の値上げなどによって確保
  • 移民数の上限を毎年徐々に減少
  • 違法移民のルワンダ移送政策を進める。7月以降、毎月移送を実施
  • 今後3年間で8000人の警察官を増加採用。費用はビザ(査証)料金の値上げと、移民向け健康保険料の学生割引の廃止で賄う
社会
  • 若者に成功に必要なスキルと機会を与えるため、12カ月間の兵役または地域社会への参加活動を義務付け
  • 住宅購入支援策「ヘルプ・トゥ・バイ」のリニューアル
  • 喫煙のない世代を生み出すため、2009年1月1日以降に生まれた人へのタバコ製品の販売を禁止する「紙たばこ・電子たばこ法案」を再提出
福祉
  • 国内30都市に計2000万ポンドを支給し、各コミュニティーでの医療ケアを促進する。特定の疾患に対し処方箋なしで治療薬が購入できる制度「ファーマシー・ファースト」を拡大するほか、診療施設を100カ所新設し、150カ所以上の古い施設をリニューアル

労働党
Labour

英国の2大政党の一つ。社会民主党、民主社会主義者、労働組合主義者の連合体とされており、政治的には中道左派に位置するが、現在は政治的中道に近づきつつある。党員数は約58万人で英国内で最大。トニー・ブレア首相(1997〜2007年)は社会民主主義に市場原理主義を取り入れ、この路線は「ニュー・レイバー」とも呼ばれた。

党首の横顔


Keir Starmer
(キア・スターマー: ロンドン出身 61歳)

人権問題の被告人弁護士として実績を積み重ね、勅撰弁護士を経て検察局長に。2015年の総選挙で労働党議員候補として立候補し当選。コービン前党首の影の内閣では内相および離脱担当相を務めた。2020年4月に労働党の党首に選出。労働党における反ユダヤ主義の根絶の重要性を強調してきた。イスラエルとハマスの戦争ではイスラエルを支持。最近のテレビ討論会で、オーディエンスから「政治ロボット」と呼ばれてショックを受ける。妻は元弁護士で、現在はNHSに勤務するヴィクトリア・アレクサンダー。

キア・スターマー

主な公約


経済
  • 海外もしくは非居住の不動産投資家への捜査を開始し、86億ポンドの増税を行う。その資金はNHSの職員や教師の増員に充てる
  • 所得税と付加価値税(VAT)は据え置く
  • 73億ポンドを投じて、投資公社「ナショナル・ウェルス・ファンド」を設立
移民・防衛
  • 防衛費をGDPの2.5パーセントに増額
  • 不法移民対策として、数百人の専門捜査官を擁する新しい国境警備隊を立ち上げ
  • ルワンダへの移民移送法案を廃止
  • 難民申請者をホテルに収容するシステムを廃止
環境
  • ガソリン車とディーゼル車の新車販売禁止措置を2030年までに達成
  • クリーンエネルギー政策の一環として電力公社「グレート・ブリティッシュ・エナジー」を創設
  • 2030年までに、より安価で炭素排出量ゼロの電力で電気料金を削減
社会
  • 労働者の権利向上のため、勤務時間外の連絡を拒否できる権利を法制化
  • 私立学校への減税を廃止して、主要科目に6500人の新しい教師を採用
  • 英国全土の港湾の改修とサプライチェーンの構築に18億ポンドを投入
  • 2030年までに5Gを完全なギガビット・ブロードバンドで全国に提供
  • 鉄道のほぼ全線を再国有化
福祉
  • NHSの待ち時間を短縮するため、夜間や週末の毎週の予約を4万件増やす
  • メンタルヘルス・スタッフを8500人増員
  • 地域に根差した薬剤師処方サービスを設立、一般医(GP)の負担を軽減

リフォームUK
Reform UK

移民問題を主軸にする右派ポピュリスト政党。2018年11月に合意なきEU離脱を主張する「ブレグジット党」としてナイジェル・ファラージ氏により結成され、21年1月「リフォームUK」に改名。24年6月3日、名誉会長に退いていたファラージ氏がリチャード・タイス氏に代わり党首に就任したことで、保守党支持者の一部を引き付けている。「ガーディアン」紙によると、同党は保守党に30議席以上の議席喪失をもたらす可能性がある。

党首の横顔


Nigel Farage
(ナイジェル・ファラージ: 英南東部ケント出身 60歳)

1990年代初頭から欧州連合離脱運動を展開する欧州懐疑論者で、元英国独立党(UKIP)党首。99年の欧州議会選挙でイングランド南東の欧州議会議員に選出。思い切った言動で政界を混乱させることが多い。

*ファラージ氏についての詳細は、「英国メディアを読み解く」でも紹介

ナイジェル・ファラージ

主な公約


  • 所得税の課税対象となる所得額を1万2570ポンドから2万ポンドに引き上げ、経済成長を促進
  • 外国人従業員1人当たりの国民保険料を20パーセントに引き上げ、移民税として雇用主に支払いを義務付け
  • 内務省を廃止し新しい移民省に置き換え
  • 欧州の住民の人権を守る「欧州人権条約」(ECHR)を離脱し、「1人入国したら1人出国」の移民割当制度を導入
  • 5年のうちに4万人の警察官を新たに採用する

自由民主党
Liberal Democrats

保守党、労働党に次ぐ第3位の政党。方向性は労働党と通じるところが多く、支持層も重なる部分がある。労働党が労働組合などの支持基盤を持っているのに対して、自民党は富裕層や無党派層などの支持層が支える。イラク戦争にはいち早く反対を表明し、労働党の一部を巻き込んで国論を二分する論争に発展した。2010年の総選挙では、保守党との連立政権に合意し初の政権入り。24年の地方選挙では522議席を獲得した。

党首の横顔


Ed Davey
(エド・デーヴィー: 英北部ノッティンガムシャー出身 58歳)

保守党との連立政権では、2010~12年に雇用関係・消費者・郵便問題担当国務相、12~15年にエネルギー・気候変動相を務めた。下院議員に選出される前は、経済研究者および金融アナリスト。

エド・デーヴィー

主な公約


  • イングランドの医療・社会福祉への支出を2028年までに90億ポンド以上増やす。その財源は大手銀行、水道会社、化石燃料会社への増税で賄う
  • イングランドに一般開業医を8000人増員
  • ルワンダへの移民移送法案を廃止し、亡命希望者に安全で合法的なルートを提供
  • 銀行への課税引き上げ、キャピタルゲイン税を改革
  • 欧州単一市場に再参加
  • 刑務所の過密状態を解消

緑の党
Green Party

正式名称は「イングランドとウェールズの緑の党」。同党の理念は環境保護主義で、市民の自由、動物の権利、LGBTの権利などの社会政策に対し進歩的なアプローチを取る。現在は下院に1名、上院に2名の代表を送っており、地方自治体レベルで800名を超える評議員がいる。

党首の横顔


Carla Denyer(カーラ・デニエル 元ブリストル市議会議員 38歳)とAdrian Ramsay(エイドリアン・ラムゼイ 元ノリッジ市議会議員 43歳)が党の共同党首を務める。デニエルは自身がバイセクシャルであることを公言している。

主な公約


  • 富裕層への新たな課税。資産1000万ポンド以上の人には年間1パーセント、10億ポンド以上の人には年間2パーセントの増税
  • 大学の授業料を廃止
  • 2040年までに、大気中に温室効果ガスを一切排出しない状態「ネットゼロ」を達成
  • 再生可能エネルギーの導入加速
  • 15万戸の新しい公営住宅を建設

スコットランド民族党
SNP

1934年に結成されたスコットランドの独立を求める地域政党。社会民主主義を基本とする。ニコラ・スタージョン党首が昨年3月に退任して以来、初の総選挙を迎える。英議会では48議席を占めるが、労働党の躍進などから今回の選挙で半数以上失う可能性がある。

党首の横顔


John Swinney(ジョン・スウィニー エディンバラ出身 60歳)

23年はスタージョン政権下でスコットランド副首相を務めた。24年4月にハムザ・ユーサフ前党首が辞任を発表した後、2024年のSNP党首選挙で後任に立候補し当選。

主な公約


  • 英国政府に再度の国民投票の交渉を要求
  • スコットランド富裕層の税率引き上げ
  • 住宅ローン利子税控除の再導入
  • スーパーマーケットの食品価格の上限設定
  • イングランドの医療費を150億ポンド増額。それによりバーネット方式と呼ばれる算定式を通じてスコットランド政府に15億ポンドの追加補助金を獲得

プライド・カムリ
Plaid Cymrus

1925年に結成されたウェールズの独立を求める地域政党。政策的にはウェールズ独立・ウェールズ民族主義のほかに民主社会主義や社会民主主義を掲げており、左派寄りの傾向。英議会では5議席と低調だが、ウェールズ議会では大きな力を持つ。

党首の横顔


Rhun ap Iorwerth(ルーン・アプ・イオルウェルト ウェールズ南部出身 51歳)

1994~2013年はBBCウェールズの政治記者。13年に政治の世界に転身し、アングルシーで行われた補欠選挙で圧勝。党内の女性蔑視、嫌がらせ、いじめに関する痛烈な報告書によりアダム・プライス党首が辞任した後、23年6月に党首に就任。

主な公約


  • 英議会からのさらなる権限委譲を求める
  • ウェールズの独立
  • 英国閣僚によるウェールズ政府へのより公平な資金調達を求める
  • 貿易を促進し投資を誘致するため、ウェールズ開発庁を新設

次期政権が決まるまでの歩み

選挙の投票日発表から2024年度の国会が開かれるまでを、時系列で追ってみよう。

2024年5月22日

総選挙日程発表

スナク首相が首相官邸前で総選挙の投票日を7月4日と発表。同首相が大雨のなか傘も使わず濡れたままであったことや、トニー・ブレア率いる労働党が1997年の選挙で頻繁に使用していたイメージ・ソング「Things Can Only Get Better」が政治活動家によって突然流されるなど、メディアが一斉に報道

2024年5月23日

  • スナク首相が「選挙前には亡命希望者のためのルワンダ行き航空便は運行しない」と発表
  • ナイジェル・ファラージ氏は当初、選挙には立候補しないと述べていたが、前言を翻しリフォームUK党党首として出馬宣言

2024年5月24日

ジェレミー・コービン前労働党党首が無所属で出馬宣言。労働党から除名

2024年5月30日

2019年からの議会を解散。これにより選挙運動期間がスタート

2024年6月3日

YouGovの世論調査で、労働党が1997年の圧勝を超え、党史上最大の勝利に向かっていることが明らかに

2024年6月4日

  • ITVで最初のテレビ討論会が放送。スナク首相とスターマー労働党党首の一騎打ちで、スナク首相は労働党は政権を取った後、各世帯に2000ポンドの税金負担をもたらすと主張し、スターマー党首はこれを否定。ITVによると、この討論を550万人が視聴
  • ファラージ党首が英南東部クラクトンを遊説中、有権者の女性からミルクシェイクを投げつけられる。同党首は11日にも南ヨークシャーで市民が投げた液体を被弾した
  • ナイジェル・ファラージ党首11日、南ヨークシャーを2階建てバスで遊説中、有権者から液体を投げつけられたリフォームUK党のナイジェル・ファラージ党首

2024年6月6日

  • スナク首相とスターマー党首が、ノルマンディー上陸作戦80周年の記念式典に出席。スナク首相は、ITVのインタビューを受けるために式典を早めに切り上げたことで、退役軍人を含む多くの人々から激しく批判され謝罪
  • スコットランド保守党のダグラス・ロス党首が、選挙後に党首の座を退くと発表

2024年6月7日

保守党、労働党、自由民主党、スコットランド民族党、リフォームUK、緑の党、プライド・カムリの各党の指導者または上級代表がBBCで放送された直接討論会に参加

テレビ討論会7日にBBCで行われたテレビ討論会

2024年6月12日

スカイニューズでスナク首相とスターマー党首が2度目のテレビ討論

2024年6月13日

保守党、労働党、自由民主党、スコットランド民族党、リフォームUK、緑の党、プライド・カムリの各党の指導者または上級代表がITVの討論会に参加

2024年6月18日

英国内在住者の投票登録の閉め切り

2024年6月20日

BBCでスナク首相、スターマー党首、スウィーニーSNP党首、デーヴィー自由民主党党首がテレビ討論

2024年6月26日

BBCでスナク首相、スターマー党首が選挙前最後のテレビ討論

2024年7月4日 投票日

投票所は午前7時から午後10時までオープン

2024年7月4〜5日

ほとんどまたは全ての選挙区で結果が発表

2024年7月9日

新たな議会が開かれ下院議長が選出

2024年7月17日

国会の開会式と国王の演説

選挙動向を見るためのお勧めポッドキャスト

通常のニュース報道だけでは分からない、選挙を前にした各政党の政策とその策略、今後の予想など、人気ポッドキャストを聴くことで理解が深まる。今回の総選挙だけでなく、時事問題に強くなりたい方にもお勧めだ。

Political Currency

かつて政治の場で激しい戦いを繰り広げた、元財務相ジョージ・オズボーンと影の財務相エド・ボールズが、経済と政治について語り合う。市場の力を前にした権力者がいかに無力かを暴露するスタンス。毎週木曜日更新。
https://podcasts.apple.com/gb/podcast/political-currency/id1706536336

The Rest is Politics

元ダウニング街の広報・戦略部長アラステア・キャンベルと閣僚ロリー・スチュワートが、政界の秘密を明らかにし、政治に対する内部の視点を提供。政治的な垣根を越えて語りつくす。週2回更新。
https://podcasts.apple.com/gb/channel/the-rest-is-politics/id6443145599

The Rest is Money

元BBCの経済記者ロバート・ペストンと、TVパーソナリティーのステフ・マクガヴァンの2人が、経済面から政治を分析する。経済には疎いステフの素朴な問いに、専門家ペストンが答えていくスタイル。毎週木曜日更新。
https://podcasts.apple.com/gb/podcast/the-rest-is-money/id1703785141

Newscast

ブレグジットの際のポッドキャストから派生した番組。BBCの記者を中心に、新旧の政治部長や経済部長が参加する。毎日更新され最新情報が詳しく分かる。仲間内の掛け合いがある一方で、BBCらしく不偏不党な内容。
https://www.bbc.co.uk/sounds/brand/p05299nl

The Today Podcast

BBCラジオ4の政治番組「The Today」の2人のキャスター、ニック・ロビンソンとアモール ·ラジャンが、番組内では解説しきれなかった話題をおしゃべりする。毎週木曜日更新。
https://www.bbc.co.uk/programmes/articles/43RKsbzQg6DgxLnZTmTpfpN/the-today-podcast

 

読めばさらに行きたくなる英国のパブ Part 2 実践編

A GUIDE TO THE BRITISH PUB 読めばさらに行きたくなる 英国のパブ Part 2 実践編

英国に来て間もない人でも、パブが英国人にとって大切な存在であることはすぐ気付くはず。ただ、レトロな内装が英国らしくて良いと感じることはあっても、パブのシステムについて調べることはあまりないのではないだろうか。今回は1651号に引き続き、パブ特集第2弾として、ビールの種類やマナーなど実際パブで使える知識をご紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: https://pub-rooms.co.ukhttps://londondrinksguide.com ほか

目的別に利用できるパブの種類

パブは単にお酒を楽しむだけでなく、食事をしたり、家族との団らんを過ごす場所としても広く活用されている。目的に合わせてパブの形態を選ぶとより楽しめるはず。

Independent Pubs近所にあったら応援したい インディペンデント系のパブ

個人経営によって運営されており、ビールの定期的な入れ替え、イベントの頻繁な開催など、客を呼び込むためにあらゆる工夫と努力が垣間見られるのが特徴。また、大手に比べパブが運営される地域の客層に合わせた取り組みが数多く行われている。パブが人気になれば地元のタクシー会社と提携して送迎サービスの体制が整うなど、その地域の経済活性化につながるため、地元の人々にとっても大切な存在である。2019年には英国全土にある約40パーセントのパブがインディペンデント系として運営されていた。

Chain Pubs安定したサービス チェーン・パブ

その名の通り、大手の会社により経営されているパブ。「仕事が終わった後にくつろげる場所」「厳選された食材を使ったメニューを提供する」など、経営会社のコンセプトが反映され、提供されるビールやメニューが厳密に管理されていることが多い。もともとあったパブを買収している場合、パブの独自性を維持するために経営会社のコンセプトは反映させないケースもあり、会社ごとの運営方針に左右される。

Inns飲んだら即ベッドへ 宿泊施設のあるパブ

宿泊施設のあるパブ

小規模な宿泊施設が一緒になったパブ。英国の歴史においてインは日本の旅籠のようなもので、長旅の途中で旅人を宿泊させ飲食を提供する場所として活用されてきた。田園地帯や幹線道路沿いに建てられている。ロンドンなどの大都市にも存在するが、モダンな内装に改築されていることもあり、より伝統的で趣のある体験をしたいなら地方に行くのがお勧めだ。また、その土地で収穫された野菜や名物をメニューとして提供していることも多い。

Gastropubsおいしい体験がしたいなら ガストロパブ

一部のパブは素早く簡単に提供するために簡素なメニューのみを用意し、「パブのご飯はマズイ」という印象を人々に植え付けてきた。これに対抗する形で30〜40年前に生まれたのがガストロパブ。高級レストランで楽しめるような本格的な料理を提供し、パブでの食事に喜びを与えることを目的としている。この発想が市民の間で定着するまでに順風満帆とは行かなかったようだが、時間をかけてその地位を築いた。おいしい料理に加え、種類豊富なビールの選択肢があることが、レストランとの大きな違いだ。

Family and Child Friendly Pubs子連れも安心! ファミリー向けのパブ

ファミリー向けのパブ

小さな子どもがいる家族連れも安心して楽しめるよう、さまざまなサービスが提供されるパブで、郊外に多い。子ども用の椅子やキッズ・メニューが用意されていることはもちろん、滑り台などの遊び場や色鉛筆の貸し出しなど、食事以外の時間も飽きさせない工夫が施されている。また、保護者へも配慮が行き届いており、広大な駐車場やジュースの無料提供のほか、親同士の社交の場としてコーヒーやソフトドリンクなどの提供があるなど至れり尽せりだ。

Football Pubs熱狂的なサポーターと共に フットボール・パブ

スポーツ観戦を主とするパブなど、英国にはさまざまなテーマに基づいたパブがある。なかでも非常に英国らしいのがフットボール・パブだ。主にサッカー・スタジアムの近隣にあり、スタジアムをホーム・グラウンドとする特定のチームのファンの入場のみ許可している。店のドアには「〇〇チームのサポーターのみどうぞ」と挑戦的な張り紙に尻込みしそうになるが、これは単にファンが交流を楽しむための店側の配慮に加え、ライバル同士のけんかを防ぐため。試合前、試合後にはチーム・カラーのユニフォームを身に着けたファンでいっぱいになる。

コンセプトはさまざまチェーン・パブの種類

初めて訪れる店でも安定したサービスを期待するなら、チェーン・パブが安心だ。ここでは大手から小規模ながら広く流通しているビールを醸造するパブまでを紹介。

ロンドンの主力ビールの製造元Fuller’s Brewery

ロンドン西部チズウィックに1845年に創業し、現在は日本のアサヒグループホールディングスの子会社として運営されている老舗ブリューワリーで、テナントを含む約400のパブを管理・経営している。主力のビールは国産の材料を100パーセント使ったエールで、赤いパッケージでおなじみのロンドン・プライド(London Pride)。名前はロンドンで見られる雑種の花、ユキノシタ×ウルビニウム(Saxifraga × urbium)の一般名がロンドン・プライドであることに由来。ロンドンを象徴するこのエールはロンドン各地のパブで飲むことができる。
www.fullersbrewery.co.uk

Fuller’s Brewery

緑の看板が目印Greene King

英国全土で2700軒以上のパブ、レストラン、ホテルを経営する、英南東部サフォークのベリー・セント・エドマンズに拠点を置く1799年創業のブリュワリー。Fuller’s Brewery同様、直営パブの経営とパートナーシップを結んだテナントを管理しているが、リブランドの一環で歴史あるパブの看板を撤去したり、パブの名称を強制変更したりと少々強引な買収事業に対し、一部の人々からは批判の声も上がっている。主力のビールはすっきりとした味わいのグリーン・キングIPA(Greene King IPA)と琥珀色のビターのアボット・エール(Abbot Ale)。
www.greeneking.co.uk

Greene King

ホスピタリティーを最優先Young’s

1831年創業のブリュワリーで、ロンドンとイングランド南部で約230軒のパブとホテルを経営している。2006年に当時英国最古といわれていた醸造所が閉鎖したり、21年にパブ事業の一部を他社へ売却したりと、この20年あまりで経営面での著しい変化があった。現在経営されているパブやホテルは独自性に重きを置き、ホスピタリティーを重視した運営を続けている。羊がトレードマークで、主力ビールは19年にYoung’s Bitterから名称が変更されたヤングス・ロンドン・オリジナル(Young’s London Original)など。
www.youngs.co.uk

女性同士で気軽に行けるAll Bar One

約50軒と老舗チェーン・パブに比べブランチは少なめだが、英国全土でバーやパブを運営するチェーン・パブ会社。独身の女性だけでパブを訪れるのがまだメジャーでなかった1990年代に、女性が気軽に行けるパブとして創業された比較的新しい会社で、ガラス張りのフロント、オープン・テラスのスペースなど、風通しの良い店構えが特徴だ。また、従来のパブというよりバーに近い雰囲気で、ビールのほかワインやロゼ、カクテルなど女性受けしそうなドリンクを多く提供している。また、サステナビリティーを優先的に考えたメニュー作りを進めている。
www.allbarone.co.uk

安くビールが飲めるJ D Wetherspoon

1979年にロンドン北部のマズウェル・ヒルからスタートしたチェーン・パブ会社で、英国全土に約900軒の店舗がある。大衆向けのパブとして運営されており、同じ地域のほかのパブと比較し安い価格設定であることが強み。学生や年金生活を送っている人など、多くの年齢層が訪れる。低価格の魅力に加え、同社のユニークな取り組みとしてパブの建物が挙げられる。建物の多くはかつての銀行や郵便局、映画館などの歴史的建造物が積極的に使われており、歴史ある華やかな建築や装飾は必見だ。
www.jdwetherspoon.com

Wetherspoon

チェーンとインディペンデント系のパブを見分けるには?

実際訪れてみて雰囲気やサービスが良いと感じれば、チェーンとインディペンデント系のパブのどちらを訪れても結果ハッピーであることに変わりはない。しかし、あえてインディペンデント系のパブを選びたい場合は、入店前に店の看板をチェックすると良い。チェーン経営であれば看板や店のどこかにチェーン・パブ会社の名前が明確に記されている。また、時間があれば事前に店舗のウェブサイトをチェックしてみよう。チェーンであればサイトのどこかしらに親会社の名前が出ているはずだ。

各地のパブにも卸している小規模経営から急成長したブリュワリー

英国のパブのタップを見ると、老舗のビールやエールに混じってモダンなデザインのパンプ・クリップ(パンプ部分に取り付けられたバッジ)を見掛ける。代表的なものだと、赤と白のCamden Town Brewery、青い犬のBrewDog、カラフルなドクロ模様のBeavertown Breweryなどが知られている。この三つのビール・ブランドは2000年代に生まれた新興のブリュワリーで、現在休業中のBeavertown Brewery以外は独自のタップルームや店舗を所有している。歴史あるパブとは異なり、開放感あふれる雰囲気の中で飲みたい人は一度訪れてみてはいかがだろうか。
https://camdentownbrewery.com
www.brewdog.com/uk
https://beavertownbrewery.co.uk Camden Town Brewery

好きなビールはどれ?パブで飲める代表的なビール

日本で一般的にビールと呼ばれるものは、英国では事細かな種類で呼ばれ親しまれている。英国でよく飲まれている代表的なものは以下の通り。

ここ数十年で盛り返してきた IPA

インディア・ペール・エール(India Pale Ale)は、1780年代から飲まれているビール。その始まりには諸説あるが、当時英国占領下だったインドまでの長旅に耐えられるよう、防腐剤として余分なホップを加え、同国で働く英軍人たちの間で人気が出たことが通説。1990年代ごろには流行遅れとなりIPAを見掛けることは難しくなったが、新興のクラフト・ビール会社の参入により、再び息を吹き返した。ホップの苦味が感じられ、アルコール度数は5~7.5パーセントと高め。

幅広い種類があるPale Ale

1600年代に生まれ、柑橘系からキャラメルのような濃厚なものまで幅広いフレーバーがあるのが特徴。色は金〜琥珀色で、アルコール度数は4.5~6.2パーセントと低く、バランスの取れた味わいに仕上がっている。先に紹介したIPAはペール・エールのカテゴリーの一つ。しかしペール・エール、IPAの標準化された基準はなく、定義はブリュワリーによってまちまちだ。似たような種類にビター・エールがあるが、こちらはホップの味がペール・エールに比べ強い。

最も人気のビールLager

透明に近い淡い色で苦味が少なく、炭酸が強めなすっきりとしたさわやかな味わいで、滑らかな飲み口が特徴のビール。ラガーは通常、5〜15度と低い温度で発酵させるため、雑菌が繁殖しにくく製造管理がしやすい点から多くの主要なビール会社で販売されている。英国では20世紀後半から人気が急上昇し、現在国内で最も消費されているビールとなっている。フルーティーさは少なめ。ラガーの種類にもよるが、少し冷えた状態で出されたものが1番おいしく飲める。

苦味がクセになる!?Bitter

英国の国民的飲み物と称されているのがビター。ホップによる独特な苦味があり、キャラメルやビスケットを連想させる風味がある。こちらも区分はペール・エールだ。樽で熟成されたものを伝統的にビターと呼ぶが、近年は瓶詰めのものもある。ビターの中には、さらに苦味が感じられるスペシャル・ビターなどがあるが、この程度はブリュワリーごとに異なる。英国各地で醸造されているビターは、地域によって味が大きく変わってくるのも特徴の一つだ。

パブ飯といえばこれパブで食べられる料理

ビールを提供するパブだからこそ、ビールにぴったりのメニューを用意している。ここではガストロパブでも提供される伝統のパブ飯を紹介。

Sunday Roast肉も野菜も満遍なく食べたい人へ サンデー・ロースト

サンデー・ロースト

ロースト・ビーフやチキン、ラムなどの肉とグレービー・ソース、ロースト・ポテト、ニンジン、パースニップなどの野菜、ヨークシャー・プディングとボリュームたっぷりの料理で、伝統的に日曜のランチやディナーとして食べられている。近年ではベジタリアンでも楽しめるよう、肉の代わりに野菜のパイなどを提供する店も増えてきている。

Fish & ChipsThe 伝統の味 フィッシュ&チップス

フィッシュ&チップス

タラなどの白身魚のフライに、フライドポテトを添えた定番のファストフード。英国ではたっぷりのモルト・ビネガーと塩をかけるのが伝統の食べ方だ。油で揚げている料理なので、すっきりとした味わいのラガーやペール・エールなどがよく合う。パブによっては1人前でもかなり多い場合があるので、少食の人は2人で分けていいかもしれない。

Pieとろとろのお肉がたまらない パイ

Pie

スイーツを連想するかもしれないが、英国でいうパイは通常、肉や野菜が詰まったセイボリー(おかず系)を指す。時間をかけて焼き上げられたステーキや野菜入りのSteak&Ale Pie、ビーフやラムの上にマッシュ・ポテトをのせて焼き上げたShepherd’s Pieや具が魚介類のFish Pieなど、パイの種類は実に豊富だ。ほくほくで、冬になると無性に食べたくなる一品。

Full English Breakfast朝食だけど提供は1日中 フル・イングリッシュ・ブレックファスト

Full English Breakfast

ソーセージ、ベーコン、グリルされたトマト、目玉焼き、ベイクド・ビーンズ、マッシュルームなどにトーストが付く。ブレックファストと呼ばれているが、多くのパブではオール・デイ(All day)として朝以外にも提供されている。ボリューミーで塩味も強く、英国では二日酔いの翌日に食べられる料理としても知られている。

Bangers & Mashソーセージ好きには外せない バンガーズ&マッシュ

Bangers & Mash

ソーセージ&マッシュとも呼ばれ、立派なソーセージがマッシュ・ポテトの上にごろりと載り、グリンピースと共に提供される。たっぷりのグレービー・ソースとハーブを効かせたソーセージに、バターたっぷりでクリーミーなマッシュ・ポテトの相性は抜群。簡単に作れることから英国では家庭料理の一つとして親しまれている。

Jacket Potatoesカリカリ×フワフワが楽しめる ジャケット・ポテト

Jacket Potatoes

英国ではベイクド・ポテトの皮の部分は「ジャケット」と呼ばれており、ポテトを丸のまま皮をむかずにそのままオーブンでじっくり焼き上げたもの。そこまでお腹が空いていないときにぴったりだが、店によりポテトの大きさが異なるので注意。外はカリカリ、中はフワフワの食感が楽しめる。バターやチーズ、マヨネーズなどさまざまなトッピングがある。

初心者でも物おじしない!パブでのオーダーの仕方

パブでの作法やマナー、 知っていたら得する情報をまとめてみた。これを読めばドリンクのオーダーは完璧だ!

パブでのオーダーの仕方

入店から退店までの流れ

入店

パブに入ったら、日本の居酒屋のように入り口でスタッフを待つ必要はなく、自分で席を探して勝手に座ってOK。週末など混雑する時間帯で事前に予約された席には「Reserved」などのタグが置かれているのでその席には座らないようにしたいが、何時から予約なのかスタッフに聞くのは全くもって問題ない。時間まで余裕があれば座ってもいいと言われることもある。席が見つかったら、ビールや食事の注文のためにカウンターへ行こう。

ドリンクのオーダー

混雑時のカウンター前はごちゃごちゃしがちだが、なんとなくの列はあるのでそれを見極めよう。ドリンクを受け取った客から順次移動するので、流れを見てカウンターに近付いていくのがポイント。混雑していても、大きな声を出したり、指などでスタッフにサインを送ったりするのはご法度だ。試飲はごく普通に行われているので、試してみたいビールがあればスタッフに気軽に尋ねてみよう。ビールは1パイント(=568ml)、ハーフ・パイント(=284ml)でオーダーできる。ボトル入りのビールや奥に置かれているアルコールももちろん頼める。

パブで使える英語

タップにある銘柄の味について知りたい
・What does this beer taste like?
タップのビールを試飲したい
・Could I try this one first, please?
ストックのボトルのビールの種類を確認する
・What bottled beer do you have?
・Do you have a bottle of 〇〇(銘柄)here?
ウイスキーやスピリットなどタップにないアルコールを聞く
・What type of whisky do you have?

オーダー完了!

カードで支払う際、場合によってはチップを自分で入力または選択する画面が出る。チップの支払いは完全に個人の自由なので、払わなくても特に気にすることはない。あとは席でビールを楽しむだけ!テラス席がある場合は問題ないが、ない場合で喫煙やちょっとした外出で外に行く場合、ビールの持ち出しはできないので室内にグラスを置く必要がある。心配ならスタッフに一言伝えカウンターで見ていてもらうか、紙ナプキンをグラスの上にかけておくこと。飲み終わったら、グラスはテーブルにおいたたまま退店して大丈夫だ。

知っておくと便利!オーダーやマナーに関する豆知識

日本人は若く見られる傾向があるので、入店時やオーダー時に年齢確認をされることがある。イングランドとウェールズのパブは通常22〜23時ごろまで営業しており、ディナーの時間を過ぎてのオーダーは特にチェック率が上がるので念のため年齢を確認できる証明書を持っていくと安心。


英国人とパブに行くと、ラウンド(Round)と呼ばれる特殊な買い方を体験するかもしれない。これはグループでパブを訪れた際、1人が全員の分のドリンクを一括で購入し、2杯目は次の人がまた全員分払うというシステム。最終的に全員が支払う平等なルールだが、途中でアルコールはもういいや、となればソフトドリンクを頼むと良い。


カウンターでアルコールを買えるのは19歳から。ただし、テーブルに着席して食事を取る際、大人が同伴であれば16、17歳もビール、ワイン、サイダーを飲むことができる。

ロンドンにあるお勧めのパブ8軒

ロンドンの数多くあるパブの中から、歴史的に重要な店、内装が美しい店など英国の伝統のパブを感じられる店を8軒ピックアップしてみた。近くを通る際はぜひ訪れてみてほしい。

ロンドンに到着した人、去る人を見送るThe Euston Tap

The Euston Tap

ユーストン駅のバス乗り場前にあるパブ。1960年代に旧ユーストン駅が取り壊されたときに残されたアーチ状の建物をパブとして使っている。パブとしてオープンしたのは2010年と比較的最近だが、室内のこじんまりとしたカウンターわきの席や、螺旋階段を登ってたどり着く2階席など、モダンなパブには見られない独特の構造や雰囲気があって良い。47ものビールやサイダーが飲めるタップがあり、いつ訪れても飽きない品ぞろえだ。

190 Euston Road NW1 2EF
Euston駅
www.eustontap.com

荒くれ者が集ったパブThe Lamb & Flag

The Lamb & Flag

今でこそ観光地のコヴェント・ガーデンだが、18世紀は危険な地域であり、このパブはその様子を見てきた。店のそばで時の英王室を風刺した詩を詠った詩人が兵による襲撃で死にかけた一方で、パブ内の上階では賞金をかけて素手で殴り合うベアナックル・ボクシング大会が行われ、パブは「血のバケツ」というあだ名まで付けられた。現在は穏やかな雰囲気で、地産の食材を使ったメニューを提供している。

33 Rose Street WC2E 9EB
Covent Garden/Leicester Square駅
www.lambandflagcoventgarden.co.uk

メイフラワー号が行き来した地The Mayflower

The Mayflower

英東部ロゼハイス近くにあり、テムズ川沿いにある最古のパブの一つとして親しまれている。ロゼハイスは、1620年7月、米国へわたったメイフラワー号が同地から出発して英南西部プリマスに向かい、翌年の5月に戻ってきた場所として知られており、乗組員たちはこのパブで出航の仕度をしたそうだ。現在は1780年代に再建された趣ある建物で、食事は定番からモダンなメニューまで楽しめる。

117 Rotherhithe Street SE16 4NF
Rotherhithe駅
www.mayflowerpub.co.uk

ナショナル・トラスト所有のパブThe George

The George

The George

17世紀に建てられたインで、現在ロンドンに現存する唯一の馬車宿(Coaching Inn)。正面に見えるアイコニックな回廊(写真右)は当時のインのスタイルを今日まで伝えている。現在はインとしての経営は行っておらず、チェーン・パブのグリーン・キングがテナントとしてパブを運営している。英小説家チャールズ・ディケンズも訪れた場所として知られており、自身の小説の中でも言及している。

75-77 Borough High Street SE1 1NH
London Bridge/Borough駅
www.greeneking.co.uk/pubs/greater-london/george-southwark

外界から切り離された異空間The Fox & Anchor

The Fox & Anchor

1897〜99年に建てられた3階建てのパブ。アール・ヌーヴォー様式のファサードが見事な建物で、上層階にはホテルが完備されている。平日の営業が朝7時からと早いのは、近隣のスミスフィールド市場で働く人や訪れた人を迎え入れていた名残。舌が肥えた人が集まるからなのか、朝食のレベルが高いと評判だ。早朝に訪れると、街の喧騒から遠ざかり、まるで昔にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。

115 Charterhouse Street EC1M 6AA
Farringdon / Barbican駅
www.foxandanchor.com

アーツ・アンド・クラフツ運動の傑作建築The Blackfriar

The Blackfriar

アール・ヌーヴォー様式でグレードII指定の建物にあるパブ。1905年ごろ、ドミニコ修道院の跡地にあった建物を、アーツ・アンド・クラフツ運動の活動に取り組んでいた建築家H・フラー・クラークと芸術家ヘンリー・プールが改装。そこかしこにプールによる彫刻やモザイク、レリーフなど、修道院を思い出させるさまざまな意匠が現在も見られる。常時大勢の人でにぎわう人気のパブだ。

174 Queen Victoria Street EC4V 4EG
Blackfriars駅
www.nicholsonspubs.co.uk/restaurants/london/theblackfriarblackfriarslondon#/

突如現れる路地裏の隠れ家The Cockpit

The Cockpit

ブラックフライアーズ修道院の門の一角を改築した小さなパブで、1865年ころに建てられた。形状は闘鶏場(コックピット)を再現しており、店内の壁には闘鶏にまつわるアイテムが飾られている。週末休業のパブが多い地域にありながら土日も休まず営業しており、ビールを楽しみにしている地元の人々が多い印象。広くはないが、静かな環境とレトロな雰囲気が好きな人にはぜひ訪れてほしい場所だ。

7 St Andrew’s Hill EC4V 5BY
Blackfriars駅

堅牢な外観と内装のギャップに驚きCittie Of Yorke

Cittie Of Yorke

Cittie Of Yorke

モダンなビルが立ち並ぶ通りにあり、1430年代からパブとして運営されてきた。現在の建物は1920年代にチューダー・リバイバル様式で再建されたもので、グレードIIに指定されている。入り口から通じる細い通路を奥へ進んでいくと、天井の高い中世の大広間のような空間が広がる。英北部タドカスター(Tadcaster)にあるブリュワリー、サミュエル・スミスによる経営で、ビールも同社のものが提供されている。

22 High Holborn WC1V 6BN
Chancery Lane / Farringdon駅


 

読めばさらに行きたくなる英国のパブ Part 1 うんちく編

A GUIDE TO THE BRITISH PUB 読めばさらに行きたくなる 英国のパブ Part 1 うんちく編

英国に来て間もない人でも、パブが英国人にとって大切な存在であることにはすぐ気付くはず。レトロな内装が英国らしくて良い、と感じることはあっても、わざわざパブそのものについて調べることはあまりないのではないだろうか。今回はそんなのパブの魅力を2号に分けて徹底解剖。今回はうんちく編として、パブの歴史や巷で有名なパブ、店名の秘密など、パブで友人に話せる話題になりそうなネタを紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: 「the joy of pubs」Frank Hopkinson by Portico、 https://inews.co.uk、www.historic-uk.com ほか

知ってたら自慢できる英国で最も〇〇なパブ

まずは、話題作りに励むオーナーたちの努力の結果、英国全土で約4万5000ある店舗の中から「1番」を勝ち取ったパブを紹介しよう。

最も長い名前
The Old Thirteenth Cheshire Astley Volunteer Rifleman Corps Inn

英北部スタリーブリッジ(Stalybridge)にあり、通称The Riflemanで親しまれている。1950年代からパブとして経営されてきたが、もともとはビールのみの販売が許可されたビア・ハウスで、臨時の自警団の訓練所として使われていた場所。2016年に一度閉業したが、元所有者の知人がこの地域でパブを新規開業することになり名前を譲ったそう。新オーナーはオープンに向け看板を作ったが、「文字数が多いため請求書の金額に驚愕した」らしい。

www.facebook.com/p/The-Old-Thirteenth-Cheshire-Astley-Volunteer-Rifleman-Corps-Inn-100063759722565

最も短い名前
Q

最も短いパブとして1995年にギネス世界記録に登録されており、正式名称はQ Inn。Qは風変わりを意味する「Quirky」からきているのだとか。2019年にオープンした最も長い名前のThe Riflemanから50メートルほどの場所にあり、最も短い、長い名前のパブが至近距離にあると話題になった。ちなみに英南東部にはかつてThe Pub With No Name(「名前のないパブ」、現在はHaus On The Hillに改名)があったが、文字数が少ないという点ではQに軍配が上がる。

www.our-pub.co.uk/Pubs/QBar.php

最もキャパが大きい
BrewDog Waterloo

2022年にロンドン中心部のウォータールーにオープンしたスコットランド発のクラフト・ビール・ブランド、ブリュードッグのパブ。かつてユーロスター駅として機能していた駅舎が同年ショッピング・センター「The Sidings」に生まれ変わり、その中に入っている。9.5個分のテニス・コートと等しい約2415平方メートルと巨大な空間を有し、醸造所も併設。2階もあるので、席の確保にはまず困らない。ビールは60を超えるタップから選ぶことができ、新鮮なビールが飲めると好評だ。

www.brewdog.com/uk/brewdog-waterloo

BrewDog Waterloo

最も人里離れている
The Old Forge

広大で自然豊かなハイランド地方のインヴェリー(Inverie)にあるこのパブは、周辺地域からアクセスできる道路がない。天候が良ければインヴェリーより南西のマレーグ(Mallaig)発のフェリーに乗れるが、フェリーが出なければ山越えを含む約29キロをハイキングしなければならないという健脚向けのパブとなっている。苦労してたどり着いたら休業、なんていうことがないように、訪問の際は事前に営業時間の確認をお勧めする。

www.theoldforge.co.uk

最も古い
複数の店が主張

起源が古すぎて正確な記録が見つかっていないために、最も古いパブとして明記できるところはなく、各パブの主張合戦となっている。一般的に知られているのは、英東部セント・オールバンズのYe Olde Fighting Cocks(793年)、英北部バードジー(Bardsey)のThe Bingley Arms(953年)、ロンドン郊外のビーコンズフィールドにあるThe Royal Standard of England(1120年ごろ)、英中部ノッティンガムのYe Olde Trip to Jerusalem(1189年)など。 「Ye Olde」は古い英語で「The Old」の意味。

簡単に振り返るパブの歴史

ビール文化が英国に定着し現在のパブになるまでの歴史はとにかく長い。ここではビールを飲みながら読める程度に簡潔にまとめてみた。

仕事終わりのパブ仕事が終わると多くの人がパブに集まる

パブは社交場

ビールを飲むだけではなく、その地域のコミュニティーの場としても機能しているパブだが、その歴史は2000年ほど前にさかのぼる。ローマ軍の侵攻により、すでに西暦43年にはタバナイ(Tabernae)と呼ばれるワインを提供する場所が英国の主要な都市に作られた。なお、この言葉が訛り、後に酒場を意味するタバーン(Tavern)という単語ができた。

現在のパブの形態が生まれたのは意外と遅い19世紀ごろ。それまではエールやビールを提供するエールハウス(Alehouse)、ワインを中心に提供するタバーン、旅行者や巡礼者の宿泊施設イン(Inn)などさまざまな形態に分けられており、これらの総称として使われたのがパブ=パブリック・ハウス(Public House)だ。この名が正式に残っている最古の記録は1669年で、1880年までにパブとしての運営ライセンスや規格が厳重化し、現代に見られるパブが形成された。

19世紀後半のパブ19世紀後半のパブ。文化人たちもここで意見を交換した

パブ文化が廃ることなく今日まで繁栄した理由は、かつては生水を飲むより醸造の過程を経たエールやビールの方が安全だったこと、また17世紀に英国に入ってきたコーヒーや紅茶は富裕層だけに許された高級嗜好品であったことなどが挙げられる。

1960年代には約7万5000軒ものパブがあったが、現在は4万5000軒ほどに減少。これは、スーパーで安くお酒を買えるようになったこと、店内禁煙など人々の飲酒習慣に影響する社会的な変化、賃貸費の上昇や再開発などさまざまなことが影響している。

1899年作成のロンドン中心部のパブ数を表した地図1899年作成のロンドン中心部のパブ数を表した地図。
左上のRegent Circusは現在のOxford Circus駅で、
この地域だけで259軒ものパブがひしめきあっていた

パブの看板の変遷

パブの外には特徴的な絵柄の看板が吊るされていることが多い。こういった看板は、先に紹介したタバナイがワインの葉を店外に吊るしたり、低木を置いたことに始まる。その後、エールをかき混ぜる際に使うポールが使われるようになり、ワインとビールを売る場所はその両方を飾っていた。現在の看板スタイルは12世紀には定着。国民の識字率が低かったことから、絵で見て分かるよう工夫した。パブの名前や絵には、王室関連、その地域で知られる職業や動物を使ったスポーツ、また大地主の名前などに関係していることが多い。

パブのサイン貴族の紋章(写真左)や狩猟(同右)など、家系や昔の習慣などに関連しているパブのサイン

一体なぜそうなる……パブで起こった珍事件

多くの人が集まるパブだからこそ、おかしな出来事もたくさん起こる。当時世間の注目となった事件を4つ紹介しよう。

事件1酔狂親父の怒りの一発

2002年の大晦日の夜、英東部スティーブントン(Steventon)のThe North Star Innで、押し入ってきた酔っ払いの男性客を店長があしらったが、その男性はパブのオーナーだった。怒り狂ったオーナーはショベルカーでパブに戻り、グレードⅡ指定の建物に突撃。中で楽しんでいた客の中には自身の息子もいたが、お構いなしに屋根を掘削する。奇跡的にけが人は出なかったが、7万ポンド(約1300万円)の損害を出した。

事件2現代版ロビンフッド現る

2010年、英南東部ウィンチェスターのパブで男性が「たった今銀行強盗をやってきた。飲み物は俺のおごりだ!」と豪快に1200ポンド分(約23万円)の紙幣を空中にばら撒く事件があった。調べてみると本当に銀行から奪ったお金であることが判明。パブは旧刑務所を意味するThe Old Gaolhouseで、格安でお酒が飲めるチェーン店、ウェザースプーンの経営。「常連客が皆貧しいことを知っていた」のが動機だったそう。

事件3大麻の事件で訪れたはずが……

英北部バーケンヘッド(Birkenhead)にあるThe North Star Pubの上のフラットで大麻の違法栽培が行われたことが2011年に発覚。警察はさらなる調査のために12月にこの建物を訪れた際に、パブが異常なほど暖かいことに気付く。パブの地下を調査したところ、壁からぶら下がったガス・メーターを発見。5年もの間ガスを盗んで暖房として使っていたことが分かり、営業停止となってしまった。

事件4チンピラを制したオーナー

2013年、英北部ストックポート(Stockport)のチップス店の前で20人規模のけんかが発生。警察が到着すると、米映画に登場するバットマンとバズ・ライトイヤーが事態を収めていた。2人の正体は店の隣のパブThe Horse & Jockeyのオーナーとバーテンダー。当時パブで仮装パーティーが行われており、2人はそのまま外に飛び出した。若者たちはあまりにもびっくりして殴り合いを思わず止めたらしい。

英国の隠れた観光スポット著名人が訪れたパブ

現在も営業するパブの中には、多くの著名人が訪れたり映画の舞台となったスポットが多数存在する。

現役の政治家が出入りする The Red Lion, Westminster

The Red Lion, Westminster

中世のタバーンの跡地に立ち、現在の建物は1890年ごろに建てられたフラーズ系列のパブ。ホワイトホールやウェストミンスター宮殿など政治の中心地にあり、過去にはウィンストン・チャーチルやエドワード・ヒース元首相がグラスを傾け、現在も多くの政治家が訪れることで知られている。また、店内には議会の開始などを知らせるベルが設置されており、一般客は火災報知器の音とよく間違えるのだとか。

www.redlionwestminster.co.uk

文学者が頻繁に訪れた Ye Olde Cheshire Cheese

Ye Olde Cheshire Cheese

出版業が栄えたロンドンのフリート・ストリートにあるパブ。13 世紀のカルメル会修道院の一部で、現在の建物は1667年ごろに再建されたもの。サミュエル・ジョンソン、チャールズ・ディケンズなどの多くの文豪や博士が訪れたパブとして有名だ。また、性交する男女が描かれたタイルが近年発見されたことで、18世紀半ばに売春宿としても機能していたことが示唆されている。

https://ye-olde-cheshire-cheese.co.uk

SFコメディー映画の舞台 The Wilbury

スリー・フレーバー・コルネット3部作で社会派のSFコメディー映画「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」(The World’s End、2013年)の舞台になった場所。The Wilburyを含むロンドン郊外の数十軒のパブで撮影が行われ、現在も聖地巡礼で多くのファンが訪れている。

www.stonehouserestaurants.co.uk/nationalsearch/eastofengland/thewilburyletchworth#/

英国の心霊スポット幽霊が出ると噂されるパブ

古城と同じくらい、パブでの幽霊目撃情報は多い。一般人が利用してきた場所だけに、より具体的なモデルの幽霊が出現するようだ。

絞首刑が行われていた The Skirrid Inn

ウェールズ南部にあるブレコン・ビーコンズ国立公園内にあるインで、この場所はかつて法廷として活用された場所だった。絞首刑となった囚人は垂木に括り付けられていたためか、めまいや息苦しさを覚える利用客が続出。また、ドアを激しく閉める音が聞こえ、グラスが割れることがあるそう。中庭では兵士と馬の気配がするという。また、定期的に現れる男女3人の幽霊がおり、突然香水の香りがしたり、スカートのすそを引きずる音が聞こえたりするのだとか。

www.skirridinn.com

髭のある男性は要注意!? The Red Lion

「古代遺跡は直線的に並ぶ」という仮説をもとに引かれたレイライン(Ley Line)が交わる、英南西部エーヴベリーにあるパブ。17世紀に当時の女将フローリーが不倫の罪により夫に殺され、その霊が頻繁に目撃されている。フローリーは髭面の男性が好みだったようで、ある日店内のシャンデリアが突然揺れたときはその真下に豊かな髭を蓄えた客が座っていたという。中庭を横切る馬車や部屋の隅でうずくまる子どもの姿を見掛けた人もいるそう。

www.chefandbrewer.com/pubs/wiltshire/red-lion

アンデッド狩りの中心地 The Flask

The Flask

かつて死んでもなお魔力で動き続ける「アンデッド」狩りが盛んに行われたロンドン北部のハイゲート墓地のそばにあり、正体不明の女性の霊が出ることで有名。頻繁ではないようだが、部屋が急に寒くなると幽霊が現れたという明確なサインになる。照明の光が揺れ始め、グラスがテーブル上を移動するらしい。また、メインのバー・エリアでは、騎士の格好をした男性が何かを見張るように外を眺めている姿も目撃されている。

www.theflaskhighgate.com

英国人のように楽しもう!パブの遊び方

英国人のようにパブを利用するにはビールを飲むだけでは足りない。 友人や家族と一緒にできるゲームでよりパブを遊びつくそう!

パブ・クイズ Pub Quiz

パブ・クイズ Pub Quiz

英国ではテレビで常にクイズ番組が放映されるなど、知識を競い合うことが好きな人が多い。パブ・クイズはそんな人にもってこいのゲームだ。パブ・ナイトなどとも呼ばれ、複数人のチーム制でクイズを楽しむ。現在多くのパブで浸透しているゲームだが、1970年代ごろから始まったといわれている。通常は客の少ない平日に行われ、10〜80問があらゆる分野から出題されたり、音楽やスポーツ、時事問題などテーマに絞られることもある。チームで参加することが基本で、そのチーム名も面白いものやウィットに富んだものであることが暗黙のルールだ。参加費がかかることもあるが、クイズの賞金やパブで使えるクーポンなどに還元される。自分や仲間の知識だけが頼りのゲームだ。

パブクイズ

パブ・クロール Pub Crawl

バー・ホッピングなどとも呼ばれるパブ・クロール(Pub Crawl)はパブのはしごのこと。夜に行うことが多いが、酒好きの多い英国人の中には休日の1日をパブ・クロールに当てることもしばしば。明確なルールはないため、ゆるりと回ったり、一定のペースを保ちつつ計画的に回るなど参加メンバーによってさまざまだ。ちなみに、街中で同じコスプレをした男性たちを見掛けたら、大抵の場合結婚式の前に独身最後の夜を楽しむために新郎とその友人が飲み明かすスタッグ・パーティー(Stag Party)の最中だ。パブ・クロールはスタッグ・パーティーの定番となっている。今後スタッグ・パーティーに参加する機会があり、よりスリルを味わいたい場合は以下のリストを自己責任で参考にしてほしい。

パブ・クロールのリスト

パブ・クロール楽しく飲みすぎて結婚式前に大失態を犯さないように……

気楽に参加できるそのほかの遊び方

パブ・クイズやパブ・クロールは事前の準備が必要だが、もっと簡単にパブの時間を楽しく過ごす方法はたくさんある。代表的なゲームはビールを片手にできるダーツ。ダーツ・ボードがあり、ダーツ・ボードにダーツが残っていればそのままプレイを始めてOK。ダーツがない場合はスタッフに尋ねると貸してくれる。プレイ料金は基本無料だが、パブによってはデポジットを渡す、またはバー・カウンターに設置されている募金箱にお金を入れることで利用できる。

一部のパブでは定期的にカラオケ・ナイトと呼ばれる、飛び入りのカラオケ大会も開催される。人前で歌う度胸がある人はぜひチャレンジしてほしい。日本のように歌詞の背景にイメージ動画やミュージック・ビデオが映されることはなく、シンプルな画面にはなるが、英語圏の歌であれば一通り歌うことができる。また、場所によってはバンドによる生演奏で歌える豪華な演出もある。

また、数はそこまで多くないものの、パブの上階や地下にシアター用のスペースを完備していることもあり、お芝居やマジック・ショーなどを鑑賞することも可能だ。同様に演奏用のステージを完備しているパブもあり、ライブ・ミュージックが楽しめる場所もある。パブでの演奏からキャリアをスタートさせてきた英国の名だたるアーティストも多いので、英国の音楽シーンに興味のある人は積極的に聴きに行くと、新たな才能を発掘できるかもしれない。

パブでのライブ・ミュージックビールを片手に聴けるのがパブのいいところ

似たような店名が存在する理由パブの名前の由来

パブを利用しているうちに、同名の店を多く見掛けることに気付くはず。よく知られたパブの名前にはさまざまな由来がある。

Red Lion & White Lion

エドワード3世の息子、ジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt、1340〜99年)の2番目の妻の出身地であるカスティーリャ王国の紋章に使われていた赤いライオンに由来。ジョン・オブ・ゴーントは正当な王位継承者だったが、14世紀当時のイングランド王リチャード2世との確執により虐げられた。ジョン・オブ・ゴーントを支持したインやパブはRed Lionを、リチャード2世側ならWhite Lionの看板を掲げた。

パブ The White Lion

Adam & Eve

旧約聖書の創世記に登場する2人の名が使用されている場合、そのパブが古いことを表している。大聖堂や修道院があるヨーク、グラストンベリー、カンタベリーなどの聖地巡礼ルートにはこの名を使ったインが多く点在している。

Bell

ほとんどの村に教会とパブがあった背景から使われるようになった。パブの看板が生まれた初期、ベルは月や王冠、星と同様に簡単に描けたことで一気に普及。教会のベルの数に合わせ、セブン、エイト・ベルズなどの名前もある。

パブ Bell

Duke’s Head

「君主の首」を意味するこの名は英国と他国との間に起こった数々の戦争に関連する。デュークは君主の総称なので、その時代に起こった争いで活躍した英雄をイメージし、ポジティブな意味で使用されることが多かった。

Britannia

古代ローマ時代にグレート・ブリテン島の南部を指し、後に神格化され女神となったブリタニア。中世にはその存在は忘れ去られていたが、他国との抗争が増えた18世紀初頭に人々を団結させるために意図的に増やされた。

Swan, Black Swan, White Swan

12世紀より白鳥は王室を象徴する鳥に指定されたことで広く知られ、生息区域であるテムズ川沿いや湖のそばのパブでよく見られる。

パブから名付けられた地下鉄の駅名

ロンドンの地下鉄駅はその地に関連する場所や地主の名前、風景から付けられている。Angel、Elephant and Castle、Maida Vale、Manor House、Royal Oak、Swiss Cottageはその周辺地域にあったパブやインの名前から来ているのだ!

著名人が残したパブ、ビールにまつわる格言

国民にたくさんのビール、おいしいビール、
そして安いビールを与えなさい。
そうすれば人々の間で革命は起こらないから。

ヴィクトリア女王

1杯のエールと身の安全のためなら、
自分の名声の全てを捧げる。

劇作家ウィリアム・シェイクスピア

いいえ閣下、良いタバーンやインほど
多くの幸福を生み出すものは、
まだ人間によって作られておりません。

文学者サミュエル・ジョンソン

人生における野望が二つある。
一つは全てのパブで乾杯すること。
もう一つは地球上の全ての女と寝ること。

俳優オリヴァー・リード

ジョージ・オーウェルが考えた理想のパブ

パブを愛した作家ジョージ・オーウェルが1946年に発表したエッセイで、自身の理想を投影した架空のパブMoon Under Waterについて書き記している。

  1. パブの2階ではボリュームたっぷりのランチを食べることができる
  2. 会話できるほどの静けさがある。ラジオを流したりピアノの演奏はしない
  3. パーテンダーは全ての客の名前を知っている
  4. スナックとして、レバーとソーセージのサンドイッチ、ムール貝、チーズ、ピクルス、キャラウェイ・シード入りのビスケットが提供される
  5. 建物や家具はヴィクトリア朝風であること
  6. ガラスやピューター製とは別に、ストロベリー・ピンク色の陶器製の水さしがある
  7. 広い裏庭を備えている
  8. 食事エリアとは別の場所でダーツを楽しむ
  9. タバコ、アスピリン、切手など、客にとって便利なものも販売。電話の使用も認められている
  10. ピューター製のポットでクリーミーなスタウトをドラフトで提供。スタッフは酒器に非常にこだわりを持っており、取っ手のないグラスで1パイントを提供するなどの間違いは決して起きない

ピューター製のマグ錫を主成分とした合金のピューター製のマグ

エールを守り、パブの繁栄を促す 活動団体CAMRA

パブで国内外のさまざまなビールやエールが楽しめる一方で、大量生産品に押され小規模な醸造所がより苦しい経営を迫られているのも事実。そんな状況に待ったをかけるべく、英国産の高品質のエールや洋梨を発酵させたペリーを守り、パブをコミュニティーの一部としてより繁栄させることを使命とする消費者団体CAMRA(Campaign for Real Ale)が英国にある。

具体的な活動内容は、国内各地のエールやサイダーを集めたエール・フェスティバルの開催や、パブ情報をまとめたガイドブックの販売、優れた改修と保存を行ったパブや並外れた美しい建築デザインの新店舗に贈られる、イングランドの歴史的景観の保護に努めるヒストリック・イングランドと共同開催のパブ・デザイン・アウォーズなど、実に多岐にわたる。

伝統的なパブを後世に残していくため、私たちがおいしく同団体に貢献できる方法は、メンバーシップに加入すること。会費は年間30.50ポンドで、団体が認めたリアル・エールが飲める30ポンド分のバウチャーがもらえるほか、さまざまな特典もつく。現在会員は約15万人と多くの賛同者が活動を支援している。

www1.camra.org.uk


 
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