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Mon, 15 December 2025

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これを機に家計の無駄を見直し! 英国でできる 節約術 2023年版

これを機に家計の無駄を見直し! 英国でできる節約術 2023年版

深刻な物価高の警鐘が鳴らされて早半年が経過しようとしている。とどまるところを知らない物価の上昇に辟易するが、嘆いてばかりいてもお金は減っていく一方だ。生活費が上昇している今、これまで何気なく支払っていた料金が本当に正しいものなのか、政府からの支援金を受けることはできるのか、今一度支出を見直す良い機会なのではないだろうか。今回は、普段の生活でできる無駄を減らすための節約術を集めてみた。方法の一つひとつは微々たるものかもしれないが、「塵も積もれば山となる」の通り、長期戦でいこう。 (文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.gov.ukBBCmetro.co.ukhttps://commonslibrary.parliament.ukwww.ofgem.gov.uk ほか

英国では何が起きている?

知るのは怖いがまずは現状の把握を

商品とサービスの価格がどれだけ上昇しているかを推定したインフレ率は、2022年12月には前年同月比で10.5パーセントも上がった。これは、21年12月に1ポンドだったものが、翌年の同時期には1.10ポンド以上の費用になったことを意味する。

物価が高騰した1番の理由は、エネルギー価格の上昇だ。パンデミックが収束して人々が積極的に出掛けるようになり、元の生活習慣に戻るにつれ、石油とガスの需要が増加。同時にロシアによるウクライナ侵攻によって、ロシアから供給されていたエネルギー源が削減・停止され、ガソリンなどの道路燃料価格と家庭用光熱費がさらに引き上げられた。また、ロシアとウクライナは、小麦や農産物の大規模な生産国および輸出国でもあるため、輸出量に制限がかかった結果、欧州の穀物不足が深刻化し、食料価格を押し上げた。

2021年と22年の商品価格の比較

2021年と22年の商品価格の比較

出典:Office for National Statistics from BBC

このような急激なインフレ率の上昇に対し、実質賃金が伴っていないのが人々を苦しめている原因だ。国民統計局(ONS)の調べによると、英国の平均賃金は21年の同時期と比較して9〜11月の間に6.4パーセント上昇し、過去20年の間で最も短期間で急速に増加している。しかし、この最悪なインフレ率には追いついておらず、実質平均賃金は低下し、家計に打撃を与えている。

以下のURLは国民統計局とBBCが共同で作った個人向けインフレ計算ツールだ。数値を入れると家計のインフレ率を示し、過去1年間で最も価格が上昇したものを特定できる。

www.bbc.co.uk/news/business-62558817

2023年のエネルギー価格はどうなる?

英投資雑誌「マネーウィーク」のアナリストは、現在卸売ガスの価格は下降気味に転じているものの、エネルギー会社はまず十分な供給に注力するため、各世帯にこの影響が反映されるまでにまだ数カ月はかかるだろうと予想している。また同誌は、市場調査会社「コーンウォール・インサイト」が定期的に発表している23年の一般家庭におけるエネルギー価格の平均の予測を引用しており、それによると23年4月には年間あたり3208ポンド、7〜8月、9〜12月は2200ポンドまで下がるという。

現在政府は、ガスや電気のサプライヤーが使用エネルギー単位あたりに請求できる金額を制限することで、エネルギー価格の増加から顧客を保護する「エネルギー価格保証」(Energy Price Guarantee)を実施している。これは23年3月までの一時的な措置であり、各世帯は申請せずとも自動的にこのスキームが適用されている。現在、一般的な世帯では、一般家庭の年間の光熱費が平均2500ポンドに収まるように設定されているが、今年の4月から24年4月までは、これが3000ポンドに引き上げられる予定で、各家庭からの支出がさらに増える見込みだ。

アナリストは、エネルギー部門の規制機関Ofgem(オフジェム)が新しいエネルギー価格の上限を低く設定し、23年下半期には各世帯への請求額が下降すると予測しているのに対し、現在の政府の政策では、一般家庭へのサポートは減る。一見朗報と思えたエネルギー価格減少の予測でも、政府がどの程度サプライヤーへのサポートを行っていくかによって、今後のエネルギー価格は大きく変動していくだろう。どんな状況になっても安心できるように、今から少しずつ家計を見直し、節約を始めるのが得策といえる。

無駄な支出がないか改めて確認を!今すぐできる節約術

日々お金を使うからこそ、できるならなるべく安く支払って、余りを貯蓄にまわしたい。忙しい毎日をおくるなかで、大切な時間を浪費するような原始的なやり方でなく、すぐに実践できる賢い節約術を探してみた。

まずは基本から固定費の支出と使い方の見直し

大きな出費となるのが光熱費や自動車保険などの固定費。面倒だがまずはここから見直し、現在の制度についても確認してみよう。

一般世帯対象のスキーム

  • Energy Price Guarantee(エネルギー価格保証)

    22年10月1日から英国の全ての世帯に自動的に適用され、家庭の電気とガスの単価が引き下げられた。一般的な世帯で3月までは平均2500ポンド、4月から平均3000ポンドとなるが、請求は実際に使用したエネルギー消費量に基づくため、居住者の人数や物件の種類、エネルギー効率によって変動する。

  • Energy Bills Support Scheme(光熱費支援制度)

    22年10月〜23年3月にかけて、イングランド、ウェールズ、スコットランドの家庭の光熱費は計400ポンドの分割割引がされている。支払い方法によって異なるが、基本は毎月1週目にクレジットとして、もしくは直接入金される形で適用(10、11月66ポンド、12〜3月67ポンド)。申請の必要はないが、適用されたかどうか状況がよく分からない場合は契約の電力会社に問い合わせを。北アイルランドの世帯は、「the Northern Ireland Energy Bills Support Scheme」(北アイルランド・エネルギー・ビルズ・サポート・スキーム)を通じて、1月に一括で600ポンドの割引。

    政府はこの二つの政策によって、一家庭の年間光熱費が1300ポンド安くなると見積もっている。また、23年4月からは求職中や所得補助を受けているなど、一定の収入に満たない世帯に900ポンド、年金受給者の世帯に300ポンド、特定の障害給付を受けている人に150ポンドが支給される。

携帯料金の見直し

電話の頻度、データ通信の使用状況を再確認し、今のプランが使用頻度に見合っているか今一度確認を。長期契約更新間近で料金の割引ができそうな可能性があれば、自動更新前にサプライヤーに直接問い合わせ、他社に乗り換えるかもしれない意思を強調して割引やプランの交渉をするのがお勧め。乗り換える際は特典も確認するとなお良し。例えばThreeはカフェ・ネロのコーヒーが週1回1ポンドで購入できる特典が付く。また、09、0871、0872、0873、118で始まる電話番号は、通常より通話料が高くなるので注意。

処方箋の前払い

3カ月で3品目以上、または12カ月で11品目以上の薬が必要な場合、NHS処方前払い証明書(NHS Prescription Prepayment Certificate=PPC)を購入することで費用を節約できる。現在1品目あたりの処方料金は9.35ポンド。PPCの費用は、3カ月30.25ポンド、12カ月108.10ポンドで期間中は処方箋が何枚でも発行できる。

www.nhsbsa.nhs.uk/help-nhs-prescription-costs/nhs-prescription-prepayment-certificate-ppc

自動車保険の更新時には各社比較を

2022年初頭に新規顧客限定で割引ができる「ロイヤリティ・ペナルティ」が住宅・自動車保険で禁止された。継続契約も良いが、保険会社でポリシーの変更があった場合、保険料は上がってしまう。自動車保険の更新が近づいてきたら自動更新はせず、以下のような比較サイトなどを使ってその時点で自分の条件に見合った最適な会社を選び直すこと。また、全ての保険会社のメリットやポリシーが比較サイトに掲載されているとは限らないため、目星を付けたら保険会社に直接確認することがベターだ。

www.comparethemarket.com/car-insurance

家庭でできるエネルギー・コストの節約

  • 温水とセントラル・ヒーティングの両方を提供するコンビ・ボイラーの流量温度を60度まで下げると、年間最大100ポンド節約できる。部屋の温度を一定に保つサーモスタットの設定温度に達するまでいつもより時間がかかる可能性があるが、そこは厚着するなど工夫して乗り切ろう。なお、65歳以上の方や持病のある方がいる場合は無理をせず65度以上の設定で。
  • あまり使用していない部屋のラジエーターの温度設定を2.5〜3(約18度)に下げると、年間最大70ポンド節約できる。完全にオフにするとエネルギー効率が低下し、いざ使おうとするときに温度を上げるためにエネルギーをたくさん消費するので、低い設定に保っておくのがベスト。
  • 低温で衣類を洗濯して年間最大40ポンド節約。洗濯機によっては40度から30度に変更すると、同量のエネルギーを使用して2回洗えるところを、3回洗濯できる。
  • 使用中のエネルギー量の情報をリアルタイムに提供するスマートメーターを設置する。使用量をより細かく制限できるほか、エネルギー供給業者に自動測定値が提供されることで請求額の見積もりが不要になり、予算作りが簡単になる。また、スマートメーターがあれば、電力需要が高まる時間帯にエネルギー使用量を削減する計画に参加することで、冬の間100ポンドあたり節約ができるナショナル・グリッドのDemand Flexibility Serviceに参加(条件あり)でき、さらなる節約が期待できる。 www.nationalgrideso.com/industry-information/balancing-services/demand-flexibility

まだある家での節約術

もうよく聞かれる節約法かもしれないが、改めてまとめてみた。ネット上にはさらに細かな方法が紹介されているので、これを機に積極的に試してみてはいかがだろうか。

  • 冷蔵庫内の配置や保存方法を変える。忘れ去られがちな果物や野菜を野菜室から取り出し、棚の正面と中央に配置すると見つけやすくなる。また、ミンチした肉を冷凍保存する場合は、食品を大きなフリーザー・バッグに入れ、めん棒でできるだけ平らに押して空気を追い出すこと。これにより表面積が増加し、少ないエネルギーで冷凍ができる。
  • 水道システムのライムスケールを処理することで、電気代を12パーセント削減できる。
  • カー・シェアに車を登録。Karshareは、地域の所有者から手ごろな価格の車を簡単に予約しできるカー・システム。もし普段あまり車を使わないのであれば、レンタカーより安く、近年需要が多いカー・シェアリングをエアビー感覚で行うのもあり。貸し出し料金や時間、走行距離の制限を自分で設定でき、Karshare独自の技術でキーレス・テクノロジーを搭載するので、オリジナルのキーを他人に渡さなくていいのも安全。平均で月に数百ポンドは利益がでる。
    https://karshare.com/
  • Vinted、Depop、eBayなどで衣服、家具や小物などセカンドハンド品を売る

  • ペット・シッティングをする。Roverは飼い主が犬や猫などのペット・シッティグを家の近くでしてくれる人を探すサービス。ここでシッターに登録すれば、空き時間にお金を稼ぐことができる。登録後は同社の従業員ではなく、独立したビジネスを経営しているという扱いになるので、登録前に納税に問題がないかどうかまずは確認を。

    www.rover.com/uk

メンバーシップやアプリを活用日用品の購入

各スーパーマーケットのメンバーシップ制度は、購入額に応じたポイント加算のほか、さまざまな特典がある。出先ではアプリを活用してお得に買い物を。

各スーパーマーケットの特典

Waitrose
membership myWaitrose

会員限定の日々のオファーに加え、過去に購入した商品を基にパーソナライズされたバウチャーが発行される。毎週金曜に指定の魚、土曜に指定の肉が店頭のカウンターで20パーセントオフ。特定の店舗では、ウェルカム・デスクで手続きをするとドライ・クリーニングが5パーセントオフに。また、パンデミックによって休止になっていた、店内での無料コーヒーの配布が昨年秋に復活。店内で何かしらの商品の購入時に会員カードをスキャン後、店内にあるコーヒー・マシーンでコーヒーが入れられる。環境配慮のため紙コップはないので、自分のカップを持っていく必要がある。

M&S
membership Sparks

店舗やオンラインでの買い物、商品のレビューを書くごとにポイント「スパークス」がたまるシステム。買い物ごとに事前に選択した慈善団体に自動で寄付されるというのも英国ならではの制度だ。スパークスの累計ポイントが増えるにつれて、購入商品を基にしたオファーやイベント、またセール時の優先アクセスなどの特典が付く。また、各店舗で週に1度ランダムに選出された顧客の購入品が無料になるうれしいサービスもある。比較的大型の店舗に併設されているM&Sカフェではホット・ドリンクを6杯購入すると7杯目が無料に。さらに自分のカップを持参することで割引価格で購入可。

Tesco
membership Clubcard

テスコでの買い物で、1ポンドで1ポイントがたまり、150ポイント(1.50ポンド相当)からバウチャーとして利用できる。会員限定価格の商品が多いのが特徴。定期的に送られてくる郵送のバウチャーもある。アンケートへの回答、テスコ・モバイルやテスコ内の薬局(処方箋以外)、ガソリン・スタンドなどの利用でもポイントがためられる。バウチャーは、Hotels.comやイングリッシュ・ヘリテージ、レイル・カード、ヴァージン・アトランティック・フライング・クラブ・プログラムなどの名の知られている100以上の提携先のメンバーシップにて使うことが可能だ。

Sainsbury’s
membership Nectar Card

エクスペディア、イーベイ、エイソス、ホランド&バレット、ブリティッシュ・エアウェイズ、ナショナル・トラストなど、英国の500以上の企業やショップでポイントをためることができる。ポイントの獲得先によって還元率は変動するが、セインズベリーズでの買い物なら1ポンドで1ポイント、500ポイント(2.50ポンド相当)から店舗またはオンラインで使用可能。セインズベリーズ利用のみでのポイント集めは、テスコに比べて還元率があまり良くなく効率が悪いものの、ポイントをためられる&使える店舗が豊富で、選ぶ店によってはポイントが一気にためられるのが強み。

Lidl
membership Lidl Plus card

リドルは倉庫や陳列棚を持たず商品の入った段ボール箱を店内に積み上げる形でコスト削減を実現した、ドイツ系のディスカウント・スーパー。一般的なスーパーで購入できる商品に加え多くの自社ブランドを販売し、低価格を維持している。リドルではプラスチックのカードはなく、アプリのみ。アプリを開くたびにお買い得商品や食料品のクーポンはもちろん、Jet2holidaysなどのパートナーシップを結んでいる企業からのオファーなどが受け取れる。また、商品を購入し会員カードをスキャンすることで、よく買う商品に関するバウチャーが表示されるようになっている。

Morrisons
membership My Morrisons

イングランド北部を中心に全国展開しているモリソンズ。ロンドンではあまり見かけることがないが、中心地から少し離れた地域に大型店舗が点在する。以前はモリソンズ・モアというポイント式のカードを採用していたが、現在プラスチック製のカードは環境保護のために廃止され、アプリでの運用に変更され、来店後タップすればすぐに使える特典オファーに特化したシステムになった。パーソナライズ化されたクーポンに加え、購入時にカードを利用し続けることにより、運が良ければバスケット・ボーナスと呼ばれる、5ポンド引きで次の来店時に商品が購入できるボーナスが手に入る。

食品ロスの削減アプリ

アプリ「Too Good To Go」。受け取り時間は大抵15〜23時台アプリ「Too Good To Go」。受け取り時間は大抵15〜23時台

飲食店の売れ残り商品を格安で売りたい飲食店と購入したい人を繋ぐことで、食品ロスの削減を目指すアプリ「Too Good To Go」を使うのも食事代削減の手助けになる。アプリに登録すると、今いる場所の近くにある、食品の売れ残りが懸念される店舗から早めに通知が届き、通常の約3分の1の価格で購入できるというもの。ラインナップはその日の売れ行きによるため、日によってランダムな選択肢にはなってしまうものの、チェーン系のカフェやレストランからも商品が買えるので、飲食店の多いエリアにいるとより利用しやすいはず。

また、同アプリにはスーパーマーケットのモリソンズも登録されており、こちらは3.09ポンドで10ポンド相当の野菜や果物、ベーカリーなどの食品がどっさり入ったグローサリーズ・マジック・バッグが販売。食べ盛りの子どもがいる家庭などにはぴったりのサイズだ。

大人も使えるレールカードや人数割鉄道などの交通費

イングランドでは3月より鉄道料金が最大5.9パーセントの値上げに。が、まだまだ安く旅に出る道は残されている。

credit:iStock.com/bunsview

ロンドン交通局(TfL)を通学・通勤で利用する場合、割引料金で鉄道に乗れるレールカード(Railcard)とオイスター・カードを紐付けるのがベスト。16-25 Railcard、26-30 Railcard、Senior Railcardなど年齢に応じてさまざまなタイプがある。このカードはオフ・ピーク時にロンドン市内、南東エリアに行くときに運賃の3分の1を割引いてくれるもの。公式サイトから購入後、地下鉄スタッフにオイスター・カードにリンクさせたい旨を伝えると、駅の切符販売機を使って行ってくれる。年間平均で134ポンドも運賃が浮く以外にもさまざまな特典がついて、費用は1年間で30ポンド。

また、レールカードを持っていなくても、3〜9人で同じ行き先の鉄道チケットを購入すると、オフ・ピークチケットが33パーセント割引価格になるGroupSaveも忘れずに(一部例外の路線やサービスあり)。GroupSaveとレールカードの併用はできないので、2人以下ならレールカードを適用させよう。レールカードが1枚あれば、持ち主以外に3人までが割引料金で乗車できる。

地下鉄を利用する際にオイスター、コンタクトレス・カードでありがちなタッチミスや同じ駅でタッチイン&アウトをしてしまったときはリファウンドを忘れずに。基本はどちらも自動で払い戻しとなるが、最大運賃を請求されてしまった場合やいつまでもTfLの動きがない場合は、8週間以内にリファウンドの手続きをオンライン、または0343 222 1234へ電話して進める。同一の駅でタッチイン・アウトをした場合も同様。こちらは過去7日間に同じことをやっていないかの確認後に自動払い戻しとなるが、48時間経ってもなければリファウンド手続きを。また、オーバーグラウンドとエリザベス線で30分以上の遅延があった場合、条件付きで払い戻しが可能。

普段よく行くからこそ知っておきたいチェーン・カフェの会員制度

コーヒー1杯も目に見えて価格が上昇しているからこそ、ポイント・カードやお得な制度のシステムをしっかり理解しておこう。

カフェ・ネロは紙のポイント・カードからアプリに移行中だカフェ・ネロは紙のポイント・カードからアプリに移行中だ

コスタ・コーヒーはコスタ・クラブというメンバーシップ。店頭かスーパーマーケットの店内などに設置されているコスタ・エクスプレス・マシンでドリンクを1杯注文すると、1ポイントがたまる仕組みで、8杯飲むと9杯目が無料になる。誕生日を登録すると当日にケーキが無料でもらえる。自分のカップを持ち込むと、1回ごとのスタンプが2倍に。

プレタ・マンジェではポイント・カードの代わりにドリンクのサブスクリプションを行っており、初月は12.50ポンド、以降毎月25ポンド。1日の上限は5杯で、次のドリンクをオーダーまで30分間隔が空いていればOK。コーヒー好きでとにかく飲みたい人にお勧め。

カフェ・ネロはバリスタが作ったドリンクを対象にアプリのポイント・カード制度を採用。9杯飲むと1杯が無料になる。また、ネロの店頭でウェイトローズの会員カードとネロのアプリを紐付けし、ネロのアプリで支払いを行うと、初回にコーヒー無料バウチャーがもらえ、それ以降は食品や軽食を含む季節限定のメニューが25パーセントオフ、毎月限定のオファーが届く。

スターバックスはスターバックス・リワーズというシステムで、1ポンドで3スターがたまり、150スターがたまるとドリンク1杯無料。450スターでゴールド会員となり、エスプレッソ、指定のシロップ、ホイップ・クリームのエクストラ・ショットが追加でき、誕生日には無料ドリンクが提供される。

子ども割以外の選択肢子ども限定の特典

ハーフ・ターム期間など、お子さんと長く多く過ごす機会の多い英国。無料や割引になるサービスは積極的に活用していきたい。

マックス・カードは、里親とその子どもや、教育的ニーズのある0〜25歳へ向けた年間の割引カード。地方自治体や慈善団体が提供するこのカードは、資格のある家族にシー・ライフやレゴランド®・ウィンザー・リゾートなど、英国中のアトラクションへの無料または割引入場券を提供する。費用は提供元により異なるが、5ポンド前後。

https://mymaxcard.co.uk

また、ハーフ・ターム時期のスーパーマーケットの併設カフェでは、毎年キッズ・ミールが無料になるサービスが。昨年はテスコ・カフェで60ペンス以上の買い物をしたテスコ・カードをレジでかざすと、子ども向けのホット・ミールやブレックファストが無料。モリソンズやアスダでも似たようなスキームがあった。今年も時期が近づいてきたらぜひチェックしてみてほしい。

目に見える形で生活費を管理銀行、キャッシュバック

銀行が自動で貯蓄してくれるアプリや日常的に使えるキャッシュバック・サイトなど、こまめな節約・貯蓄が長期的にできるツールを紹介。

マイクロセービングス

マイクロセービングス(Microsavings)は、組織や金融機関が個人顧客へ貯蓄を奨励するマイクロ・ファイナンスの一形態。従来の普通預金口座に似ているが、少額の預金用に設計されているもので、貯蓄が苦手な人でもこれを利用すれば、アプリが勝手にため続けてくれる。

オンライン銀行のモンゾー(MONZO)では、IFTTT(If This Then That)という機能をアプリにプラグインできる。その中のラウンド・アップ(Round up)と呼ばれるツールを使うと、支払い端数を貯蓄してくれる。例えば1.60ポンドで何かを購入すると、アプリはその数値を2ポンドとして支払い、自動的に40ペンスを貯蓄する。また、1ペンス・セービングス・チャレンジ(1p Savings Challenge)というツールもあり、1月1日は1ペンス、1月2日は2ペンスと、毎日1ペンスずつ増えながら指定の貯蓄ポットにためていくというもので、毎年1月1日に金額が自動的にリセットされる。12月31日には1日の貯蓄額が3.65ポンドまで上がるが、途中でストップさせることもできるので、どこまでやれるか挑戦してみるのはいかがだろうか。順調にいけば1年で667.95ポンド貯蓄できる。

また、同じようなカードのレボリュート(Revolut)は、ラウンド・アップ機能に加えてサブスクリプションの管理ができ、アラート機能を使えば更新日が近づくと知らせてくれる。また、預金残高の通貨から別の通貨に、為替手数料なしの実際の為替レートのみで自動的に変換することができるので、日本に一時帰国する場合などに便利。

このほかにも、銀行アプリにはさまざまな機能が搭載されているので、新規で口座を作る前に一度今使用しているアプリを見直すのがお勧めだ。

レボリュートの管理画面。何にいくら使ったかを自動で算出してくれるレボリュートの管理画面。何にいくら使ったかを自動で算出してくれる

キャッシュバックを利用

キャッシュバックとは、商品の購入後に現金が直接消費者に割り戻されること。英国ではカフェやショップなど、販売促進の一環で目にする機会の多いキャンペーンの一つだ。もし、ウーバー・イーツなどのデリバリーや旅行でホテルや鉄道をよく使う人がいたら、Complete Savingsというキャッシュバック・サイトを使うのも手。同サイトには750以上のショップやサービスが登録されており、購入額の10パーセントからキャッシュバックが可能。月額15ポンドだが、1カ月に1回、キャッシュバックを利用したお店を「マンスリー・ボーナス」として同サイトから申請でき、これにより15ポンドが返ってくるので、使い続ければ会費は実質無料で、キャッシュバックのみが受け取れる。

www.completesavings.co.uk

頻繁にオンライン・ショッピングをする方向けのComplete Savings頻繁にオンライン・ショッピングをする方向けのComplete Savings

 

新春号 ロンドンを深掘りするユニーク体験4選

別視点から見る新たな魅力!
ロンドンを深掘りするユニーク体験4選

2023年の新春号特集で、英独仏の今年訪問したい旅先について触れたが、もちろん大都市ロンドンにもまだまだ知られていないたくさんの魅力が眠っている。ここでは地上を歩くだけの観光に飽きた人へ向けて、空中や地下からロンドンを体感できるツアーや場所を紹介しよう。
※ 最新の料金とスケジュールの詳細はウェブサイトで確認を

地下から見る

カナルで地下トンネルを往く

ロンドン北部を流れるリージェンツ・カナル(運河)は、貨物や石炭を運搬する重要な経路として1820年に開通。テムズ川同様、産業革命期のロンドンの発展に貢献した。そうした運河の歴史や文化を展示するロンドン運河博物館では、ナロー・ボートで運河を行くツアーを通年開催している。約880メートルのイズリントン・トンネル内を20分かけて進むのが、このツアーの目玉だ。おしゃれなショッピング・エリアであるエンジェルの地下をボートでひっそりと進む。トンネル上部にときどき開いている、小さな空気孔の穴から差す光以外は、ボートの小さな明かりだけが頼り。全体の所要時間は1時間弱で、旅のほとんどはトンネルの中ではあるものの、ボートは屋根付きなので悪天候でも楽しめる。ガイドがトンネルと運河の歴史について語ってくれる。

Tunnel Boat Trips
£12
www.canalmuseum.org.uk/whatson/tunnel-trip.htm
予約は上記のリンクから受け付け

メール・レールが走っていたトンネルを歩く

ロンドンの地下に郵便物を運ぶ専用の郵便鉄道(メール・レール)が走っていたことをご存知だろうか。20世紀のロンドンは、濃霧と人の往来の激しさにより、鉄道駅とロンドンの主要な郵便局間の郵便物配送が毎回大幅に遅延し、問題視されていた。そこで法律や設備が整えられ、1927年に市内の主要郵便局8駅を結ぶ自動運転のメール・レールが運行を開始。渋滞に巻き込まれることなくスムーズな配達に一役買っていたのだが、地上オフィス数の減少により2003年で閉鎖された。所要約1時間15分のツアーでは、専門ガイドが先導しつつ、メール・レールの建設初期から20世紀半ばの全盛期、そして閉鎖までの秘密や、運行に携わったスタッフの苦労話などを解説。参加者は実際に使用されていたトンネルや線路、駅のプラットホームを自分の足で歩くことができる。

Tunnel Walks
£60
www.postalmuseum.org/event/tunnel-walks
開催日は月3日以上、各日3〜4本。
予約は参加月の2〜3カ月前に開始

空から見る

タワー・ブリッジのガラス床に立つ

テムズ川にかかるその姿はロンドンの象徴ともいえる、定番観光スポットの一つタワー・ブリッジ。長さ244メートル、左右の塔の高さは65メートルあり、朝夕に2回開橋する跳ね橋だ。2021年5月には両塔をつなぐ上部通路の床の一部がガラス張りになり、大きな話題を呼んだ。訪問者は44メートル上からテムズ川の流れと、真下を走る2階建てバスやブラック・キャブなどを眺めることができる。ガラスはゾウ1頭分の重さがあり分厚くて頑丈なので、飛び跳ねても大丈夫だそう。実際、この上部通路ではさまざまなイベントが開催されており、これまでにもロンドンの景色を眺めながらのヨガ・クラスや、子どものお絵かき教室などが開かれた。もちろんただ散歩をするのもOK。ペット可なので、愛犬と一緒にテムズを眼下に、ロンドンの街を一望してみては。

Tower Bridge
£11.40
(サザーク、タワー・ハムレッツ、シティ・オブ・ロンドンの住人は£1)
www.towerbridge.org.uk

360度見渡せるルーフ・トップに登る

「カメラは禁止、携帯はOK」な超身軽な格好で臨む、約1時間30分のルーフ・トップ・ウォーク・ツアー。登る場所は有名ミュージシャンのライブが開催される国内有数のスタジアム、O2アリーナ(The O2)だ。ガイドが一緒に登りながら、グリニッジやカナリー・ワーフなどランドマークを紹介してくれるので、高いところが平気な人にはぜひおすすめ。最高地点は地上52メートルで、最大斜度は30度とかなりの急斜面を上り下りする。昼間、夕焼け、日没後と三つの時間帯に登れるので、写真に収めたい時間を選んでいくのがベスト。また、シャンパン付きの特別パッケージ・プランなどもあるので、特別な1日にしたい人はウェブサイトから詳細を確認してほしい。なお、靴を含む必要な装備は用意されているが、寒さ対策のために冬期は手袋やニット帽を持参するのが安心だ。

Up at The O2
£35〜42(通常ツアーのみ)
www.theo2.co.uk/up-at-the-o2/climb
当日現地でチケットを購入できるが事前のオンライン予約がおすすめ

英国・ドイツ・フランスで気持ちをリセット アフター・コロナの欧州旅行 >
 

新春号 英国・ドイツ 2国特集 英国・ドイツ・フランスで気持ちをリセット - アフター・コロナの 欧州旅行

新春号 英国・ドイツ 2国特集
英国・ドイツ・フランスで気持ちをリセット

アフター・コロナの欧州旅行

ここ数年、私たちの暮らしから失われてしまっていた旅の感覚。しかし、こんな時代を生き抜いていくには、旅が与えてくれるエネルギーが何よりも必要だ。2023年の英独新年号特集では、コロナ禍のステイホームですっかり固まってしまった心や体を解き放つ、本物の体験ができる英国、ドイツ、フランスでの旅のプランをご提案。2023年の旅行トレンドやアフター・コロナの旅の注意点についても併せて紹介する。 (文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

2023年の旅行事情は?

2023年は自分独自の「ニューノーマルな旅」の模索

新型コロナウイルスによる不安は完全にぬぐい切れていないが、Booking.comが世界中に住む人を対象に行った調査「2023年の旅行トレンド予測」*では以下のような結果が出た。

まず、人々は22年に比べ、旅行に対してかなり楽観的な考え方を持ち始めたといえる。旅行意欲が大幅に増してきていると答えた人は73%で、23年に旅行すると答えた人は72%。このような前向きな意見は各国の入国規制が緩和され、渡航者に対し物理的に門戸が開かれたことが要因だろう。旅行の目的としては、ステイホームの多かった過去数年分の反動か、旅先に新しい経験や刺激を求める傾向が大きい(73%)のが特筆すべきポイント。一方、心身を癒やす滞在先(44%)や静かな場所(40%)も根強い人気がある。しかし、48%はインターネットに接続できる環境が整備されていることが、自然の中に身を置く条件だとしている。

一方で、現在の世界不況も無視することはできない。旅行者の多くは、あえてオフシーズンに目的地を訪れたり、移動にも最短距離ではなく長いルートを選ぶことを検討し、予算を節約しようと考えている。またそれとは逆に、数年にわたる旅行制限により休暇に費やすはずだった資金を節約することができたため、49%が23年の旅費にこれまでの分を上乗せする形で旅行を楽しむ予定だという。また、61%は計画的な長期休暇を過ごしたいと回答。予算の使い方としては、短い休暇を何度も取るのではなく、1回か2回の長い休暇を選びたいと考えていることが分かった。

これらからいえるのは、パンデミックや不況に負けず、いかに旅を楽しむか人々が策を練っているということだろう。外国を訪れ、良い意味でのカルチャー・ショックを活力としたい人、仕事や心配事から離れ、旅先で自分を徹底的に癒やしたい人など、23年は多くの人々が旅行への期待を大きく膨らませ、自分が望む旅を楽しもうと考えている。

*2022年8月時点から1~2年以内にビジネスまたはレジャー目的で旅行を計画している32の国と地域の計2万4179人を対象に実施されたもの

ワーケーションの感覚は残っている?

コロナ禍で欧米を中心に多くの企業が、ラップトップ一つで従業員がリゾート地で働きながら休暇を取るワーケーション(worcation)を認めた。ホテル管理システムMewsの調査によると、英国ではパンデミック前の在宅勤務率は5%だったが、22年には16%の就業者がワーケーションを検討していたという。しかしこの傾向は23年には下降気味になる可能性が高い。Booking.comの調査では49%は通常の職場とは異なる場所にいることで仕事の生産性が向上すると理解はしているものの、68%は23年は旅行と仕事を完全に切り離し、休暇として満喫することを望んでいる。

久しぶりの旅行の注意点

パンデミックによる入国制限や規制は各国で大幅に緩和された。英国、フランスでは新型コロナによる規制はほぼ撤廃され、屋内の過密している場所でマスク着用が推奨されているくらい。ドイツでは、23年4月7日まで長距離交通機関や病院等の訪問時に医療用マスクの着用義務がある(22年12月16日現在)。また、20年のブレグジット(英国の欧州連合離脱)に伴い、EU・英国間を出入国する際のパスポート・チェックが義務化された。日本のパスポートを所持する場合はこれまでと変わらないが、チェック対象者数が増加したため、いつもよりゲート通過に時間がかかる可能性があるので注意が必要だ。

英国・ドイツ・フランスの傾向

2023年は世界中の人々が旅行に行きたくてウズウズしていることが分かったが、欧州の3国内では顕著な違いはあるのだろうか。似ているようで案外異なる、その傾向をまとめた。

英国

短期間の旅行で倹約傾向に

金融サービスの比較サイトGo.Compare Travel Insuranceの世論調査によると、英国の人々は生活コストの上昇により予算を抑えた旅行を選択する傾向にあるようだ。22%は2023年の休暇に費やす金額を減らし、12%はより安い旅行先を探すと回答。また他国とは異なり長期より短期滞在を好み、滞在費を極力抑えたい傾向がある。このように日常生活への不安は尽きないものの、英国人の41%はそれが理由で旅行を止めることはないと考えている。また、22年には空港のスタッフ不足により多数のキャンセル便が出て連日ニュースになったが、それが旅行への情熱を止める理由にはならないと思っている人が39%もいるそう。

プレッパーが急増

2023年のトレンドの一つとして、最低限の必需品だけで生活し、人間の原点に立ち返るような特別な体験を求めるプレッパー(Prepper=最悪の事態の備え準備をする人)の増加が挙げられる。きれいな水を調達する方法(37%)や点火法(36%)、食料を探す方法(30%)などを学びたいと考えている人が多く、23年は不測の事態を生き抜くための基本的なスキルを学ぶサバイバル・スクールの参加者増加も予想されている。ただし先のコスト問題が解決する場合、50%の人はより良いホテルに宿泊しながらオフグリッド旅行を楽しみたいと答え、54%が電話とネット接続は欲しいというのが本音のようだ。

ドイツ

国を挙げてサステナビリティを重視

環境大国ドイツでは、長年の課題である気候変動をはじめ、近年のエネルギー危機により、ますます持続可能性への関心が高まっている。そのため、2023年はさらにサステナビリティの旅が注目されると予想される。例えば、ドイツ政府観光局によるサステナブル・キャンペーンのポータル・サイトFEEL GOODは、ウェブサイト上で持続可能な旅行をするためのヒントを紹介。サイトには二酸化炭素(CO2)計算機が搭載されており、CO2の量を具体的な数値で知ることでよりエコを意識した旅行を推奨している。また、環境に配慮した宿泊先を検索することもできる。

ただし、サステナビリティとの付き合い方について、まだ消費者が完全に追いついていないのが現状。例えば、旅行会社Tourlaneの調査では、旅行をする際にサステナビリティを重視すると回答した人はわずか39%で、61%は重視しないという結果だった。理想と現実にまだギャップがあるものの、時代の流れとともに次第に変化していくといえそうだ。

出典:Tourlane「2023年旅行トレンド調査」出典:Tourlane「2023年旅行トレンド調査」

自然の中で過ごす休暇がやっぱり好き

2021年にStatistaが行った調査では、66%が好きな休暇のアクティビティとして自然の中で過ごすと回答した。そのほか、散歩する(43%)、ハイキング(38%)というように、自然を愛することで有名なドイツ人。コロナ禍での自然回帰もあいまって、23年の休暇はマスツーリズムよりも自然の中で過ごす時間を選択する人が増えるとみられる。

フランス

屋外で過ごせる観光地を選ぶ

「8月は街から地元の人がいなくなる」といわれるほど、バカンスはフランス人にとって大切。そのため2023年はパンデミックで抑圧された時間を取り戻すべく、「リベンジ旅行者」が増加する見込みだ。旅行会社Tourlaneの調査によると10人中8人は23年に旅行すると答え、13%は旅行頻度はまだ増やさないが、その代わりに長期滞在を選ぶという。また、一定層のフランス人はやはり新型コロナを気にしており、68%は今後も屋外で過ごせる観光地を選ぶそう(22年比-4ポイント)。酪農やハーブ園などは、屋外で実際に生き物や植物に触れて自然の恵みを堪能するなど、現地でしか味わえない体験ができるため23年は特に人気が出そうなジャンルだ。バカンス! と言いながら新型コロナのことは気になるのがフランス人といえる。

長距離旅行の人気が高まる

パンデミックによって海外旅行が大幅に制限されていたが、2023年にはフランス人の70%が欧州以外の国へ積極的に旅行するようになり、飛行機を使った長距離旅行の人気が高まる(22年比+27ポイント)と予想されている。18~25歳は登山やスポーツなどアクティブな休暇を選ぶ傾向が強く(40%)、20%が美食の休暇を選ぶなど、グルメな傾向は若い世代にも相変わらず強い。また、18~25歳に次いで最もアクティブな休日を選んだ年齢層(24%)が56~65歳という高齢層という意外な結果が出た。

英国のおすすめ旅行先

無骨な建物や廃墟好きにはたまらない
産業革命の時代をリアルに学ぶ旅

18世紀の工業地帯にタイム・スリップ

現在私たちはAIやIoTなどの技術革新による第4次産業革命の世に生きている。初代の産業革命は18世紀中ごろ、蒸気機関の発明とともに英国で起きた。その歴史を今も誇りに思う英国には、当時をしのぶ遺構が各地に残り、後世にその姿を伝えている。ウェールズ南東部の町ブレナヴォンにも、そんな遺構の一つ「ブレナヴォン産業用地」(Blaenavon World Heritage Site)がある。産業遺産群として2000年にユネスコの世界遺産に指定された。約33平方キロメートルの広大な敷地内には、炭鉱遺産のビッグ・ピット(Big Pit)や製鉄所跡を中心に、石切場、鉄道、溶鉱炉、そして労働者の住宅や暮らしに必要なインフラなども残り、産業革命を支えた町をほぼ全て本来の姿で見ることができる。

ブレナヴォン製鉄所の溶鉱炉。垂直に削り取られた丘の側面に建てられたブレナヴォン製鉄所の溶鉱炉。垂直に削り取られた丘の側面に建てられた

ビッグ・ピットは1980年に閉山となった炭鉱を博物館に再生させたもので、地下90メートルの採掘場に降りるツアーが開催されている。ビジターは元炭鉱労働者の案内で、炭鉱労働の追体験ができるとあって人気が高い。ツアー中はかつて労働者たちが使ったものと同じヘルメットやベルトなどを装着し、シャフトで下降した後、地下採掘場の一部を50分ほどかけて歩く。ちなみに、スタジオジブリの長編アニメ「天空の城ラピュタ」の主人公パズーが働く炭鉱は、このビッグ・ピットをモデルにしているといううわさもある。

国立炭鉱博物館ビッグ・ピットの敷地内国立炭鉱博物館ビッグ・ピットの敷地内

一方、ブレナヴォン製鉄所跡には、溶鉱炉、鋳造所、鋳物工場、バランス・タワー、住居などがほぼ完全な形で残されている。当時の最新鋭の技術で造られた溶鉱炉は見応えも十分なので、ビッグ・ピットと併せてぜひ立ち寄りたい。また、敷地から国立公園を走る蒸気機関車は、英国の保存鉄道の中で最も高い標高を行くといわれており、ゆっくりと景色を楽しみたい方におすすめ(4~10月のみ営業)。

『嵐が丘』の故郷を走る蒸気機関車

産業革命をけん引した蒸気機関車は英国では今も特別な存在。上記のような保存鉄道が国内随所に残り、ボランティアたちによって大切に保存・運行されている。保存鉄道の走る路線は、停車駅もまた昔の面影を残した風情ある駅舎であることがほとんど。英北部のウェスト・ヨークシャーを走るキースリー&ワースヴァレー鉄道(The Keighley & Worth Valley Railway)もそんな蒸気機関車の一つだ。この路線は地元の繊維産業の裕福な工場所有者の出資によって1867年に開通。以来、急な勾配を大きな蒸気を吐きながら登る機関車は、近隣の谷間に反響する走行音とともにドラマチックな光景をもたらしている。かつて周辺にあった羊毛工場の多くは取り壊されたものの、機関車はこの地の産業遺産として生き残り、人々に美しい田園風景を見せてくれる。道中にはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台にもなったハワースの村も。石炭の匂いや白い煙にまみれ、機関車ならではの振動に身を任せながらかつての英国に思いをはせることができる旅は、今も人々を引き付けてやまない。

『嵐が丘』の舞台になったハワース駅に停車中の蒸気機関車『嵐が丘』の舞台になったハワース駅に停車中の蒸気機関車

Blaenavon World Heritage Site www.visitblaenavon.co.uk The Keighley & Worth Valley Railway https://kwvr.co.uk

おすすめの体験3選!

地球の歴史を体感したい 1.ジュラシック・コーストで化石掘り

恐竜が地上を歩いていた2億800万年前から1億4600万年前。そんな中生代ジュラ紀の地層が残る英南西部ドーセットの海岸線は、化石の宝庫として知られる。アンモナイトを中心に、大量の化石が素人でも簡単に発掘できるのが魅力で、週末は家族連れでにぎわう。現地スタッフが化石の探し方を教えてくれる1時間ほどのツアーもある。また、海岸に突き出たアーチ状の岩、ダードル・ドア(Durdle Door)は偶然にも水を飲む恐竜のような形をしており、人気観光スポットの一つだ。近くには「恐竜ランド化石博物館」(Dinosaurland Fossil Museum)があり、ここには1万6000点あまりの化石が展示されている。手作り感のある恐竜の実物大オブジェなども設置されており、大人から子どもまで楽しめる。暖かい季節に、世界自然遺産でもあるジュラシック・コーストで太古の昔に触れてみては。

Jurassic Coast Information Centre http://jurassiccoast.org(化石ツアー) Dinosaurland Fossil Museum www.dinosaurland.co.uk

ウイスキーの聖地と呼ばれる 2.アイラ島で蒸留所見学

スコットランドのアイラ島といえば、良質なモルト・ウイスキーの産地として日本でも知られた存在。島内には王室御用達のラフロイグ(Laphroaig)や1779年創業のボウモア(Bowmore)をはじめとした8カ所*の特徴ある蒸留所があり、それぞれが見学ツアーを実施している。ツアーでは蒸留所の中を歩きながら、ウイスキー造りや蒸留所の歴史などをスタッフが丁寧に案内してくれる。試飲ばかりではなく、床に大麦を広げて大麦を発芽(モルティング)させるフロア・モルティングや、ウイスキーをたるから空瓶に自分で詰めるハンドフィル・ボトルなど、蒸留所によってさまざまな体験ができる。また、8カ所の蒸留所を回るツアーなども開催されているが、季節さえ良ければ3日ほど滞在し、レンタルした自転車でのんびり回ることも可能だ。
*9カ所目のポート・エレンは2022年に再開としながら現時点では未定

Isle Islay Information www.visitscotland.com/destinations-maps/isle-islay

自力で乱世を生き抜け 3.サバイバル・スキルを磨く

新型コロナの流行やウクライナ紛争、そして経済不況など、自分の命や生活を脅かすような事柄が続いたこともあり、多くの人が「自分の身は自分で守る」モードに。そんな気持ちをすくい上げてくれるのが、「ベア・グリルズ・サバイバル・アカデミー」(Bear Grylls Survival Academy)だ。同アカデミーは、元兵士で現在はTVやNetflixでも活躍する冒険家、ベア・グリルズが設立。サバイバルに必要なアウトドア・スキルを身に付けるためのコースが各種そろっている。スコットランドのハイランドで山を登り滝を下る、野生動物を捕獲して調理するなど、自らを究極まで追い込む厳しい5日間コースから、森林での方向感覚を養う、道具を作るなど、家族で楽しめる手軽な4時間コースまでとレベルもさまざま。スキルが身に付くだけではなく、自然の中で体を動かすことで心身ともにリフレッシュできる。

Bear Grylls Survival Academy https://beargryllssurvivalacademy.com

ドイツのおすすめ旅行先

持続可能性を体感できる施設に泊まろう
環境大国ドイツのサステナブルな旅

まるごとサステナブルなリゾート地

旅行業界でも「サステナビリティ」がトレンドのドイツでは、それを実践するユニークな宿泊施設が増えている。まずは、ドイツ北西部ニーダーザクセン州ヒッツアッカーにある「デスティネイチャー」(destinature)をご紹介しよう。「ヴェルクハウス」(WERKHAUS)という接着剤やねじを使わずに組み立てられる家具のメーカーが、2020年に「持続可能な観光」というコンセプトで立ち上げたリゾート地だ。自然のど真ん中につくられたこの施設は、一つの村のようになっており、持続可能な運営を実践している。

ゴミを出さずに解体できるシンプルなつくりのコテージは「デスティネイチャー」の顔ゴミを出さずに解体できるシンプルなつくりのコテージは「デスティネイチャー」の顔

特に驚きなのは、ヴェルクハウスの家具と同じコンセプトで造られたコテージだ。シングルベッド・サイズの1人用コテージからリビングとバスルーム付きのファミリー・コテージまで、簡単に組み立てることができ、一切ゴミを出さずに解体が可能だという。施設内にはオーガニック・ビストロがあり、地元の材料を使った料理が楽しめる。また屋外には、自然を見ながら入れるバスタブとサウナがあり、お風呂好きにはたまらない。

さらに近郊には、ドイツで人気のサイクリング・ルートの一つ、全長1200キロにわたるエルベ川サイクリング・ロードがある。デスティネイチャーを拠点に日帰りのツアーに参加するのも良し、自転車旅行の途中に宿泊するのも良し、自分に合ったスタイルで訪れてみよう。

そんなデスティネイチャーは、経済的にも持続可能な形で運営されていることなどが評価され、2021年にドイツ観光賞の最優秀賞と観客賞をダブル受賞。EUから資金援助も受けており、パイロット・プロジェクトとしても注目されている。

ローカルに根ざす新しい時代のホテル

「ミヒェルベルガー・ホテル」(Michelberger Hotel)は、大都市ベルリンにある三ツ星ホテルだ。ベルリンでもとりわけヒップなフリードリヒスハイン地区に位置し、かつてオフィスとして使われていた建物を改装して造られた。インダストリアル・デザインにインスパイアされた23室の客室には、それぞれ「Cozy」や「Luxus」などの名前があり、ミニ・バーやサウナがついている部屋、プロジェクターで映画を楽しめる部屋など、滞在の目的や人数によって選ぶことができる。さらに大小五つのミーティング・ルームもあり、オルタナティブ・スペースとしても注目されている。

ミヒェルベルガー・ホテルの一室。「Band」と名付けられたファミリー・ルームミヒェルベルガー・ホテルの一室。「Band」と名付けられたファミリー・ルーム

さらにミヒェルベルガー・ホテルで特筆したいのは、ベルリン南部に自家農園を所有していること。ホテルのレストランでは、そこで採れる野菜やハーブをふんだんに使った料理がふるまわれる。また、ベルリンを美食の街とすることを目的とした共同体「ベルリン・フード・コレクティブ」(Berlin Food Kollektiv)のメンバーであり、飲食業におけるエコ・システムの確立に積極的に貢献。そんなミヒェルベルガー・ホテルは観光客をもてなすだけでなく、地元にもファンを持つ、これからの時代のホテルといえるだろう。

広々としたミヒェルベルガー・ホテルの中庭では食事が楽しめる広々としたミヒェルベルガー・ホテルの中庭では食事が楽しめる

destinature www.destinature.de Michelberger Hotel www.michelbergerhotel.com 「サステナブルな旅」におすすめのサイト
FEEL GOOD
www.germany.travel/de/feel-good/nachhaltigkeit サステナビリティを重視する宿泊施設を検索できるほか、移動で排出されるCO2を算出する計算機などがある

おすすめの体験3選!

国境の街バウツェンに住む少数民族 1.ソルブ人の生活文化を知る

ドイツといえば単一民族のようなイメージを持ちがちだが、実はいくつかの少数民族が暮らしている。その一つが、西スラブ系の少数民族であるソルブ人。ドレスデンから東へ約60キロ、チェコとポーランドの国境付近にあるバウツェンという街には多くのソルブ人が居住する。ソルブ語とドイツ語の二言語表記の標識や、ソルブ語の学校、ソルブ博物館、ソルブ語の劇場などがあり、その歴史や文化を維持し続けている。とりわけ有名なのが、イースターの時期に行われるシルクハットをかぶった男性たちによる騎馬行列(Osterreiten)や、精緻な装飾が施されたカラフルなイースター・エッグ。中世さながらの街並みの中に、土着的なスラブ文化とキリスト教文化が混ざり合っており、ドイツの多様な一面を垣間見ることができる。街にはソルブ料理を提供するレストランもあるので、ぜひ試してみて。

Stadt Bautzen www.bautzen.de

サンティアゴへと通じる「ヤコブの道」 2.サイクリングで巡礼の旅

ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教の最も重要な巡礼地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ。ドイツにもこの聖地へと通じる巡礼の道「ヤコブの道」(Jakobus Weg)があり、30以上のルートが国内に張り巡らされている。長距離を歩くのが苦手な人には、ドイツ南部のオーバーフランケン地方を自転車でめぐる「ヤコブの自転車巡礼道」(Jakobus Radpilgerweg)がおすすめ。ホーフからバイロイトを経てニュルンベルクへ、さらにアウグスブルク、ウルム、アイヒシュテットへと、自転車での巡礼を気軽に楽しもう。美しい自然の中を自転車で走ると、およそ2時間に一つの教会にたどり着けるようにルートが整備されており、教会を見学したり修道院に宿泊したりと、巡礼の醍醐味(だいごみ)を味わえる。おいしい南ドイツ料理レストランや疲れを癒やすサウナなど、各種アクティビティも充実。

Jakobus Radpilgerweg https://erlebe.bayern/storys/radpilgern-jakobsweg

バーデン・ワインの名産地をめぐる 3.黒い森のワイン・ハイキング

南ドイツに広がる山岳地帯シュヴァルツヴァルト(黒い森)。さくらんぼケーキや黒い森のハム、カッコウ時計などで世界的にも有名だが、実はバーデン・ワインの名産地としても知られる。「ハイキングとワインどちらも両方楽しみたい!」というぜいたくな願いをかなえてくれるのが、約280キロのバーデンワイン街道に沿って歩くワイン・ハイキングだ。黒い森の美しい景色を楽しみつつ、途中の村でブドウ畑を眺めたり、ワイナリーを見学したりできるほか、ランチタイムにはそこで造られたワインや伝統料理が味わえる。この地域では1年中、ワイン・フェスティバルやテイスティングのイベントが開催されており、またバーデン・ワイン街道沿いには美食を味わえるこだわりのレストランも多い。テイスティングをしてお気に入りのワインを見つけたら、旅のお土産に購入しよう。

Badische Weinstraße www.badische-weinstrasse.de

フランスのおすすめ旅行先

実際に作ってみる食体験
グルメ&農業大国を味わい尽くす旅

生物多様性の宝庫! 農場を見学

世界に冠たるフランス料理だが、農耕に適した土地が多いのも料理文化が発展した理由の一つだろう。2019年の農業総生産額はEU加盟国の中でフランスが最も高く、牛肉の生産量でもトップ、乳製品は第2位となっている。そんな農業大国で実際に農業に携わって本物のグルメを堪能しよう。スペインのカタルーニャ州と隣接するアリエージュ県にある「キュビエール農場」(La Ferme Cubières)では、70頭のヒツジやニワトリを飼育し、菜園や果樹園も所有。オーガニックの乳製品の製造や、ヒツジから刈りとった上質なウール、環境にも肌にもやさしいナチュラル・ソープなど、自然の素材を使った製品を、動物たちのリズムに合わせて生産している。それを一般の人にも体験してもらおうと、定期的にワークショップを開催。例えば、乳搾りから始まるフレッシュ・チーズ作りの全工程を学び、自分だけのチーズを味わうことができるワークショップなどがある。

キュビエール農場でゼロからチーズを作ってみようキュビエール農場でゼロからチーズを作ってみよう

のんびりファーム・ステイを体験

もっとゆっくり農場で過ごしたい人には「レ・ボヌール・ドゥ・ソフィー農場」(Les bonheurs de Sophie)がおすすめ。この農場はフランス東南に位置するオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏にあり、農場見学のほか、民宿も運営している。特にオーヴェルニュ地方はなだらかな起伏や小山の続く地形で、牧畜業が盛ん。良質な食品が生まれることで知られている。同農場で搾乳されたヤギとヒツジの乳で、チーズだけでなく、ヨーグルトやアイスクリームなども作られている。オーナーのモットーは「大量生産はしない、手に入るものを食べる、旬のものを食べる」とのこと。この農場でとれた旬ものをいただくレストランをはじめ、生態系について学ぶワーク・ショップ「fil du vivant」(命の糸)も開催。搾乳体験をはじめ、チーズ造りの見学、さらに農産物を味わったり、牛の群れの見張りをしたりと農家の生活を体験できる。ただし人数が限られているので、事前の予約が必要!

動物たちと触れ合えるレ・ボヌール・ドゥ・ソフィー農場の農泊が人気動物たちと触れ合えるレ・ボヌール・ドゥ・ソフィー農場の農泊が人気

農園で「自然」を味わう

フランス料理では古くから素材の臭みを抑え風味を良くするためにハーブが使われてきた。そんなハーブを栽培している農園「ナテュレルマン・サンプル」(Naturellement Simples)が、仏中南部のオクシタニー地域圏にある。植物学者・ハーブ専門家として経験を積んだ夫婦が経営する農園では、芳香植物や薬用植物を主とする500~600種類の植物が育ち、天然植物由来の製品も幅広く取りそろえている。4月から10月にかけて植物を使ったワークショップを開催。植物学をはじめ、有機菜園方法、野生料理など、食用の草花を使った料理を学べる。また薬草を摘み取り、それを使った治療法を伝授してもらったり、植物からインクを作り水彩画を描いたりと、発見と驚きに満ちた時間が過ごせるはず。

ナテュレルマン・サンプルでは食用の草花を使った料理を紹介ナテュレルマン・サンプルでは食用の草花を使った料理を紹介

La Ferme Cubières www.lafermecubieres.fr Ferme Les bonheurs de Sophie https://lagrangealudo.fr Naturellement Simples www.naturellementsimples.com

おすすめの体験3選!

ハエドゥイ族が生活した城塞都市 1.ビブラクテでガリア文化を体験

文化的な体験や自然を楽しむ旅を求める方にたまらないのが、城塞都市「ビブラクテ」(Bibracte)。ここはガリア人・ハエドゥイ族が住んでいた場所であり、ジュリアス・シーザーが『ガリア戦記』の仕上げを行ったのも、このビブラクテだといわれている。現在はフランスの偉大な景勝地として認定され、保護森林に囲まれたビブラクテの遺跡の見学や、ガリア人の日常生活を知ることができる博物館がある。2000年前に放棄されたビブラクテの街は、19世紀以来毎年行われている発掘調査によって、先人たちの暮らしが少しずつ明らかになっている。例えば、ビブラクテの食生活の一部を復原することに成功。博物館内にあるレストラン「ル・ショードロン」(Le Chaudron)では、当時の食事を再現したグルメを味わえる(要予約)。美術館のみ毎年冬は休館し、2023年は3月18日から再開する。

Bibracte www.bibracte.fr

有名な塩はこうしてできる 2.ゲランドで塩田見学

世界中のシェフが愛用しているブルターニュ地方ゲランドの塩。1000年以上の歴史を誇る伝統手法で作られたこの自然塩は、精製塩とは異なり添加物は一切加えておらず、多くの栄養を含む。経験豊富な塩田職人が土地を整え、塩田内の水位を管理している。おすすめはその塩田を職人とともに巡るツアー。塩の形成、塩湿地のしくみや塩性湿地帯の植物について、科学的な実験を体験しつつゲランドの塩湿地についてを、楽しく理解することができる。ゲランドの塩は食塩と同じ使い方ができる細かい塩「セル・マリン・ムウル」(Sel marin moulu)、パスタをゆでるときやグリルのときに使う粗塩「グロ・セル」(Gros sel)、前菜や料理、デザートに使う「フルール・ド・セル」(Fleur de sel)の3種類ある。特に希少価値の高いフルール・ド・セルはお土産としても人気。

Terre de Sel www.terredesel.com

豊かな自然を体感しよう 3.ワイン畑の風車に宿泊

「フランスの庭園」と呼ばれるロワール渓谷はユネスコの世界遺産に登録されている。フランス一長い川であるロワール川が流れているこの流域のブドウ畑は、土壌や気候条件によって味の違いが楽しめ、ワイン巡りにも最適だ。そのブドウ畑とロワール渓谷の真ん中にある古風な風車「ムーラン・ジェオン」(Moulin Géant)は、なんと宿泊可能。ブドウ畑に囲まれた風車からは、自然と静寂に包まれたロワール川とブドウ畑が織りなす特別な景色を満喫できる。このおしゃれなB&Bはロワール川の水源と河口を結ぶ長距離ハイキング・コース「GR3」やサイクリング・ロード沿いにあるので、ロワール川岸の探索と合わせて楽しめるのもうれしい。宿泊施設では自転車やカヌーの貸し出しも行っているので、手ぶらで訪れてもOK。オリジナルで非日常的な時間を楽しんでみては。

Moulin Géant www.moulin-geant.com

別視点から見る新たな魅力!
ロンドンを深掘りするユニーク体験4選 >
 

ロンドンに残る歴史の断片 - シティからみた日露戦争、再発見!

〜シティを歩けば世界がみえる 特別編〜

ロンドンに残る歴史の断片シティからみた日露戦争、再発見!

日清戦争後、世界の列強がこぞって中国(清)を分割する様子を描いた仏画家アンリ・マイヤーによる風刺画。左からヴィクトリア女王、独ヴィルヘルム2世、露ニコライ2世、フランスの象徴である女性像マリアンヌ、日本を象徴するサムライ。後ろで手を挙げているのは中国日清戦争後、世界の列強がこぞって中国(清)を分割する様子を描いた仏画家アンリ・マイヤーによる風刺画。
1905年に発行された日本の外貨建て公債1905年に発行された日本の外貨建て公債

日露戦争(1904~05年)を機に発行された日本の外貨建て公債の券面をじっくり見る機会がありました。思えば幕末に列強と結んだ不平等条約のうち、治外法権の撤廃を最初に実現できたのは1894年の日英通商航海条約でした。そこに英国の反露、親日の姿勢を読み取った日本は同年、日清戦争(1894~95年)に踏み切りました。この戦争に勝利し、シティで多額の賠償金を受け取った日本は、97年に金本位制を導入。

一方、ロシアの南下進出を警戒した英国は非同盟政策「栄誉ある孤立」を破棄して日英同盟を締結しました。日本は英ポンド建て公債で戦費の調達を行いながら日露戦争に挑み、さらに南満州鉄道会社と東洋拓殖社による東アジアの植民地化に進んで行きました。今回、寅七はロンドンに今も残る日露戦争にまつわる歴史の断片を拾いながら、改めて日本と英国の深い関係を再発見してみたいと思います。

参考:「日露戦争、資金調達の戦い ―高橋是清と欧米バンカーたち―」(板谷敏彦著、新潮選書)ほか

シティ公認ガイド 寅七

シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫

Episode 1百鬼夜行の国際金融

1895年、日清戦争で日本が獲得した遼東半島の返還を迫ったのは独仏露の三国でした。多額の賠償金が清に課せられると、英独仏露はその資金調達を手伝います。清の発行するフラン建て公債の幹事には仏露が設立した露清銀行が就任し、その債券の支払いをロシアが保証する見返りに鉄道敷設権や旅順や大連の租借権を入手しました。

一方、清のポンド建て公債の幹事に英国の香港上海銀行とドイツの独亜銀行が就任。金融支援の名のもとに近づき、土地を租借して鉄道を敷設、その防衛の名目で侵略するのが帝国主義の常套手段でした。そしてフランスが広州湾(滇越(てんえつ)鉄道)、ドイツが膠州湾(膠済(こうさい)鉄道)、英国が九龍半島(九広(きゅうこう)鉄道)を侵略。朝鮮半島の権益を守りたい日本はロシアと対立を深め、ロシアが各地で進める軍事的拡大を抑制したい英国と利害が一致します。こうして1902年、ロンドンで日英同盟が結ばれました。

日英独仏露の租借地日英独仏露の租借地
日英同盟が署名されたロンドン西部のランズダウン邸日英同盟が署名されたロンドン西部のランズダウン邸
日英同盟に署名したランズダウン外相と林英国公使日英同盟に署名したランズダウン外相(左)と林英国公使(右)
現在のランズダウン邸は会員制クラブに、日英同盟が結ばれたオヴァル・ルームはバーになっている現在のランズダウン邸は会員制クラブに、日英同盟が結ばれたオヴァル・ルームはバーになっている
英米の誘いで火中の栗を拾わされる日本を描いた、日英同盟の風刺画英米の誘いで火中の栗を拾わされる日本を描いた、日英同盟の風刺画

Episode 2“カネは天下を回らず”

シティの西にあるハットンガーデン57番地は、発明家ハイラム・マキシム卿が世界初の機関銃を生み出した場所です。マキシム銃は毎分500発の弾丸を発射し、日露戦争で多くの日本兵の命を奪い、この銃の登場により陸軍の戦法が従来の騎馬戦から塹壕戦に変わりました。マキシム社は水中から魚雷を発射する潜水艦を製造するノルデンフェルト社と合併後、1897年に製鉄会社だったヴィッカース社に買収され、巨大な軍需会社に生まれ変わります。戦艦三笠からマキシム銃まで製造する巨大軍事会社の誕生の陰には、英ロスチャイルド家とアーネスト・カッセル卿の支援がありました。

カッセル卿は国王エドワード7世に個人金融アドバイザーを務める金融界の黒幕でしたが、当時の日本にはまだよく知られていない人物でした。日露戦争時の日本の外貨建て公債を購入した主な投資家はロスチャイルド家やカッセル卿などですが、一方、その公債で日本が購入したのは英国の武器です。カネは天下を回らず、狭い範囲で行き来していたようです。

日露戦争を描いた図版。機関銃がこれまでの戦いの在り方を変えた日露戦争を描いた図版。機関銃がこれまでの戦いの在り方を変えた
マキシム銃が誕生したハットンガーデン57番地マキシム銃が誕生したハットンガーデン57番地
マキシム卿による試し撃ちの様子マキシム卿による試し撃ちの様子
英ヴィッカース社が建造した日本の戦艦「三笠」英ヴィッカース社が建造した日本の戦艦「三笠」
ロスチャイルド男爵とカッセル卿ロスチャイルド男爵(左)とカッセル卿(右)

Episode 3金本位制の維持が先進国の証

1895年10月から日清戦争の賠償金約3800万ポンド(当時の日本の国家予算の3倍超)がイングランド銀行にある日本銀行ロンドン支店の口座に分割払いされました。幕末以来、金貨流出に苦しんできた明治政府はこの受領により97年から金本位制を導入します。金の価格は銀より安定しているため金本位制で為替相場が安定し、国際貿易が促進されます。

当時の外国為替管理を担った横浜正金銀行は、日本が欧州向けに茶や綿製品、絹を輸出して金貨を稼ぎ、インドや中国から輸入した原材料費を銀貨で払うことで日本の金貨蓄積を目指していました。ところが、金本位制の欧州から戦艦をはじめとする軍備品を購入すればたちまち金貨が流出します。

1904年2月に日露戦争が勃発すると、急きょ当時の日銀副総裁、高橋是清が戦費調達と金本位制維持のためロンドンに向かい、ポンド建て公債の発行を画策します。

ビショップゲート120番地(その後7番地に地番変更)にあった横浜正金銀行ロンドン支店ビショップゲート120番地(その後7番地に地番変更)にあった横浜正金銀行ロンドン支店
現在のイングランド銀行。日本政府は大口顧客だった現在のイングランド銀行。日本政府は大口顧客だった
当時日銀副総裁だった高橋是清当時日銀副総裁だった高橋是清
金本位制の安定した為替で輸出振興を図った横浜正金銀行本店(現・神奈川県立博物館)金本位制の安定した為替で輸出振興を図った横浜正金銀行本店(現・神奈川県立博物館)
欧州から購入した日本海軍の主な軍艦欧州から購入した日本海軍の主な軍艦

Episode 4戦況で決まった公債の発行条件

1904年4月1日、シティに到着した高橋是清は英金融界の重鎮たちと会います。当時のシティはマーチャント・バンク(=投資銀行)の全盛期。マーチャント・バンクは貿易金融で築いた国際ネットワークを生かし、軍需産業とも強いコネを持っていました。

会合に参加したレヴェルストーク卿(ベアリング商会)、シャンド氏(パース銀行)、キャメロン卿(香港上海銀行)、サミュエル卿(サミュエル商会)、ロスチャイルド卿(ロスチャイルド商会)の誰もが日本の日露戦争に勝利する可能性は低いと予想し、日本の外貨建て公債の引き受けに否定的でした。

しかし、有力な投資家のカッセル卿が、米国主要の鉄道敷設や鉱山建設で密接なパートナーだった米クーン・ローブ商会のJ・シフ氏に、日本国外債の幹事就任を打診している間に、日本が序盤の鴨緑江(おうりょくこう)の戦いに勝利。シフ氏は発行総額の半分を引き受けると言い出します。これで一気に事態が好転し、公債の発行条件が決まります。

是清が宿泊したブラックフライアーズのデ・カイザーズ・ロイヤル・ホテル是清(左上)が宿泊したブラックフライアーズのデ・カイザーズ・ロイヤル・ホテル
ビショップゲート8番地にあったベアリング商会の昔と現在と同商会のレベルストーク卿ビショップゲート8番地にあったベアリング商会の昔と現在と同商会のレベルストーク卿
フィンズベリー・スクエア1番地にあったパース銀行の昔と現在と同銀行のシャンド氏フィンズベリー・スクエア1番地にあったパース銀行の昔(右)と現在(左)と同銀行のシャンド氏(上)
ロンバード・ストリート31番地にあった香港上海銀行と同銀行のキャメロン卿(デービッド・キャメロン元首相の曽祖父)ロンバード・ストリート31番地にあった香港上海銀行と同銀行のキャメロン卿
シフ氏がロンドン出張中に宿泊していた当時のクラリッジズ・ホテルシフ氏(左)がロンドン出張中に宿泊していた当時のクラリッジズ・ホテル

Episode 5借金の条件は変われども借金そのものは続く

高橋是清が関わった公債は合計6度。発行総額は国家予算8年分の金額です。下の表で明らかなように、戦争の行方が一進一退だった第2回債までは借り手の日本には厳しい発行条件でした。しかし1905年1月の旅順の戦い、3月の奉天の戦い、5月の日本海海戦で日本が勝利すると第3回債、第4回債は日本に有利な条件に変わります。第5回債からはポーツマス講和条約後なので、英米だけでなく仏独も幹事に加わり、多くの投資家に販売されました。

しかし、日露戦争終了で債券の発行は終わりません。日露戦争の賠償金を獲得できなかったので、国内の鉄道国有化や譲渡された南満州鉄道の沿線開発といった旺盛な資金需要のために、海外で債券を発行し続けました。戦争に勝って先進国入りしたと意気揚々の日本ですが、地球の裏側のシティでは借金プレイヤーであり続けました。

陥落後の旅順港の様子陥落後の旅順港の様子
陥落後の奉天に入城する日本陸軍陥落後の奉天に入城する日本陸軍
日本海海戦を描いた「三笠艦橋の図」日本海海戦を描いた「三笠艦橋の図」
南満州鉄道を走る列車南満州鉄道を走る列車
時期 発行額(ポンド) 年利(%) 担保 期限(年) 発行銀行(国)
第1回 1904年5月 1000万 6.0 横浜関税 7 英、米
第2回 1904年11月 1200万 6.0 横浜関税 7 英、米
第3回 1905年3月 3000万 4.5 煙草専売金 20 英、米
第4回 1905年7月 3000万 4.5 煙草専売金 20 英、米、独
第5回 1905年11月 2500万 4.0 無担保 25 英、米、独、仏
第6回 1907年3月 2300万 5.0 無担保 40 英、仏
右にスクロールできます→ ポンド建て日本国公債の発行条件

Episode 6英国と鉄道と日露戦争

日本最初の公債は1870年、鉄道敷設のための英シュローダー商会とオリエンタル銀行幹事によるポンド建て債券でした。鉄道による殖産興業を国の方針とし、その延長線上に日露戦争がありました。ロシアはシベリア鉄道の支線、東清鉄道から南下し、日本は朝鮮半島を縦断する京釜(けいふ)鉄道から北上して東清鉄道沿線で衝突しました。

鉄道は戦地に兵士や武器を送り込むだけでなく、沿線の倉庫や野戦病院で兵站(へいたん)を支援します。日露戦争勝利の要因の一つが、日本の野戦鉄道提理部が露軍の撤退した東清鉄道の線路幅を日本式(露の152.4センチ軌間から日本の106.7センチ軌間)にすぐ変更して後方支援を行ったことです。日露戦争後も日本の鉄道守備隊(軍隊)が現地に居残り、満州鉄道と東洋拓殖を中心に植民地事業が進められました。英国の目には日本が英国の敷いた線路から脱線し、危険分子へと転じたように映りました。 日露戦争から16年後の1921年、日英同盟は解消されることになります。

リーデンホール145番地にあったシュローダー商会が日本初の国債の主幹事だったリーデンホール145番地にあったシュローダー商会が日本初の国債の主幹事だった
日露戦争は鉄道の争い日露戦争は鉄道の争い
後の満州国の首都、長春の駅をモチーフにした鉄道ポスター(1924年)後の満州国の首都、長春の駅をモチーフにした鉄道ポスター(1924年)
東清鉄道の線路幅を変えて日本が再利用東清鉄道の線路幅を変えて日本が再利用
満州鉄道と東洋拓殖が植民地政策の二大国策会社(南満州鉄道本社(大連)、東洋拓殖会社(京城府))

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世界初の公共放送サービス設立から100年目を迎えた - BBCの過去現在未来

世界初の公共放送サービス設立から100年目を迎えたBBCの過去・現在・未来

番組が放送されていないときにTV画面に表示されるBBCの「テスト・カードF」と呼ばれる固定画像。
この少女とピエロの姿は英国TVの象徴的なイメージとして知られ、国内ではパロディーの対象になるほど番組が放送されていないときにTV画面に表示されるBBCの「テスト・カードF」と呼ばれる固定画像。この少女とピエロの姿は英国TVの象徴的なイメージとして知られ、国内ではパロディーの対象になるほど

1922年10月18日、英国放送協会BBCが設立され今年でちょうど100年を迎える。世界で最初にTV放送を開始したのはBBCだとされている。この特集では、黎明期を経てラジオからテレビへ、そしてデジタル・サービスへと歩みを進めるBBCの歴史をたどる。また、公共放送局であるBBCが政府とどう向かい合ってきたかや、メディア環境が大きく変わるなか今後のBBCの行方について、英国メディアに詳しい在英ジャーナリスト、小林恭子さんにもお話を聞いた。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.bbc.co.ukwww.opendemocracy.nethttps://pressgazette.co.ukwww.asahi.com ほか

BBCとは

1922年に民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)としてスタートした放送局。27年に「英国放送協会」(British Broadcasting Corporation)となり、現在に至るまで英国を代表する公共放送局として知られる。独立・中立・正確をモットーに、世界で最も信頼度の高いメディアの一つとされ、英国文化の発信者としては王室と並ぶ知名度を誇る。TVとラジオを通じた放送、ニュースサイトの展開に加え、ネット配信にも積極的であり、オンデマンド・サービス「BBC iPlayer」によって、各種デバイスでいつでもコンテンツを楽しめる。

2022年9月19日のエリザベス女王国葬の際、英国内の50チャンネル以上のTV局がその模様を中継。英人口の40パーセント以上にあたる約2800万人が中継を見守ったといわれるが、そのうち2000万人がBBCを選択し、視聴した。

英国の現代史と共に歩むBBCの歴史

ラジオ、TV、デジタル。ここ100年の通信技術の発展に合わせ、たくましく変化を遂げてきたBBCの姿を駆け足で紹介する。

黎明期新聞業界からの圧力

1920年代、英国では商業ラジオ局が無秩序に急増し、周波数不足が問題化しており、これを危惧した英国中央郵便局(GPO)と六つの電気通信会社が共同出資による「英国放送会社」(British Broadcasting Company)を設立。これがBBCの始まりだった。22年10月18日、政府はBBCに受信機販売と放送の事実上の独占権を与え、同年11月14日に、ロンドンのマルコーニ科学機器社にある2LO局から放送を開始する。

当時のBBCはプログラムの質低下を避けるため、広告を放送しない代わりに、リスナーから10シリングのライセンス料を取ることで運営された。一方、BBCとの競争を嫌がった新聞業界は、政府を説得しBBCが午後7時以前にニュースを報道することを禁止させた。しかも、当時のBBCは独自の報道が許されておらず、通信社からのニュースを読み上げることのみ許されていた。

ところが、1926年のゼネラル・ストライキにより国内の新聞発行が中断されたため、その間、政府はBBCによる独自のニュース報道禁止を一時的に解除。BBCはこのとき、ストライキ参加者と政府の視点をバランスよく報道し、何百万人ものリスナーに感銘を与えたという。これをきっかけに、BBCを公共企業体にすべきと放送調査委員会が政府に勧告したことから、27年、英国放送会社は英国放送協会(British Broadcasting Corporation)に生まれ変わった。

BBCのラジオ放送は英国全土に広まり、1939年の第二次世界大戦勃発時、ジョージ6世の国民に向けた演説や、VEデー当日に時の首相チャーチルのラジオ演説を行うなど、BBCラジオは時代の重要な役割を担い続けた。1973年に民間ラジオの設立が認められるまで、BBCは英国ラジオを独占した。

マンチェスターに建てられた初期のラジオ局2ZYマンチェスターに建てられた初期のラジオ局2ZY

TVの台頭フロントランナーとして走る

1920年代後半には、世界中でTVの開発が競われていた。そんななか、スコットランドの電気技術者で発明家のジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird)は、史上初めてTVで動画を遠距離放送することに成功。また、世界初の完全電子式カラーTV受像管も発明した。ベアードはTV開発会社(Baird Television Development Company Ltd)を創設。1928年にはロンドンから米ニューヨークにTV信号を送る実験を行い、30年にはBBCのために初のテレビ・ドラマ「口もとの花」を制作し試験放送するなどした。

ただ、一般的な国民はまだTVを持っておらず、BBCで36年に正式に放送が始まったものの、週5日で毎日15~16時と21~22時に限られていた。翌37年にはジョージ6世の戴冠式の模様を放送。ウィンブルドン選手権やサッカー試合も放送できるようになった。この年に英国で販売されたTVの台数は2125台。しかし、順調と思われていたTV文化の発展は中断をよぎなくされる。第二次世界大戦の影響で、40~46年6月までTV放送は完全に打ち切りとなったのだ。

やがて戦後の46年に初めてTVライセンスを導入。ラジオのライセンスと併せて年間2ポンド(現在の約70ポンド)だった。47年には本格的なTV放送が再開し、音楽の祭典「プロムス」が初めてTVで放映。53年にはエリザベス女王の戴冠式が中継され、欧州全域で2000万人が観たという。TV時代の幕開けである。55年には民放局ITVが開局するも、それを追うようにBBCの二つ目の局であるBBC2が開局。67年には初めてカラー放送を行い、音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」やSFドラマ「ドクター・フー」などが次々に始まるなど、英国の若者文化の行方を決める番組が続々と制作されていった。

BBCの初代会長を務め、同社の理念を作ったジョン・リース卿BBCの初代会長を務め、同社の理念を作ったジョン・リース卿

デジタルへの移行経営も合理化へ

世界の放送分野では、1990年代から次第にデジタル技術とそれを利用した画像圧縮技術が発達し、大量のデータを送信することが可能になってきた。これに伴ってチャンネル数の飛躍的な増大や高精細な映像の提供が可能となったため、英国政府は1996年の放送法でメディア所有規制の緩和を行った。例えばTV局やローカル・ラジオ局の局数制限を廃止。こうした規制緩和以来、BBCは特に衛星放送、ケーブルTV、デジタル放送において、激化する競争に直面してきた。

こうした状況のなか、2022年5月にBBCのティム・デイヴィー会長は、TVとラジオ・チャンネルの改革を発表した。子ども向け番組と、ドラマやドキュメンタリーなどを専門とする局を従来の放送からオンラインに移行するほか、国内と海外向けで別々に展開しているニュース・チャンネルなども統合する。同会長は、今回の改革はコスト削減の一環でもあると説明するほか、「BBCは現在オンラインよりも放送に集中しすぎている」と述べ、「現代的でデジタル主導の、合理化された組織」づくりの一端を担うものだとしている。これにより、年間2億ポンド(約320億円)の削減が見込まれるほか、デジタル放送を優先したサービス提供へ再編成する。

アモル・ラジャンBBCメディア担当編集長はそれに加える形で、政府が今年1月、国民の生活救済策の一環としてTVライセンスを向こう2年間、年159ポンド(約2万5500円)に凍結することでBBCと合意したと発表した。このためBBCはいっそうの節約を迫られているとし、将来の視聴者が、デジタル技術に慣れた人がほとんどになるにもかかわらず、現在のBBCの資金は依然として、TVやラジオを通じて消費されることが多いと説明。BBCがデジタル・サービスへ軸足を移すタイミングが来たと告げた。

ロンドン中心部のポートランド・プレイスにあるBBC本社ロンドン中心部のポートランド・プレイスにあるBBC本社

BBCを取り巻く議論

中立・透明・独立をモットーにした報道を心掛けるBBCだが、「誰にとっても納得できる報道」がいかに難しいか。そう思わせる、これまで議論を呼んだ事象を3点紹介する。

透明性イラク大量破壊兵器に関する疑惑報道

BBCのアンドリュー・ギリガン記者は2003年5月29日にラジオの報道で、ブレア政権は「イラクは45分以内に大量破壊兵器を実戦配備できる」という情報が間違いだと知りながら、それを02年9月の政府報告書に盛り込んだとした。これに対し政府は全面的に否定し、BBCと政府の対立が深まった。

疑惑報道の情報源とされた元国防省顧問の自殺を巡る背景を調査していた独立司法委員会が発表した報告書は、報道には「根拠が認められなかった」とし、ギリガン記者及びBBCのトップ2人が辞職する事態に。約半数の国民がBBCが非難を受けるのは不公平と考えたものの、報道機関としての信頼性を問われた事件であった。

中立性英国の欧州連合離脱に関する報道

2016年のEU国民投票の後、一部の批評家は、BBCが欧州連合離脱(EU離脱)に好意的であったと示唆した。例えば、2018年、BBCは離脱派である元UKIPリーダーのナイジェル・ファラージ氏が主催する小規模なイベントに多くの放送時間を割く一方、残留派の行動を十分に報道しなかったなど。しかしYouGovによる世論調査では、EU離脱に投票した人の45パーセントが、BBCは「積極的にブレグジットに反対」していると考えていたのである。

残留派と離脱派とに真っ二つに分かれた当時の国民にとって、中立のBBCはどちら側から見ても不満を感じる存在となってしまった。「いざというときのBBC報道」というBBCの力が最も弱まった時期の一つが、ブレグジットだったといえる。

独立性BBCは国営ではないが……

BBCだけではなく、英国の主要放送局は全て公共サービス放送(Public Service Brodcasting=PSB)。PSBは、純粋に商業的な利益を得ることを目的とするのではなく、公益のために放送サービスを提供する義務があり、いずれも不偏不党のニュース番組や独自のコンテンツを持つ番組を放送する。ただし、他局が広告収入を主財源としているのに対し、BBCだけが約10年ごとに更新される、君主の勅許「王立憲章」(Royal Charter)によってその存立が成立している。

BBCは視聴世帯からTVライセンス料を徴収し、これを国内の放送活動に充てる形をとり、活動を支えるTVライセンス料の値上げ率は政府との交渉で決定する。ただし、2014年まで外務省からの助成金で運営され、政府の対外パブリック・ディプロマシー戦略の一環として捉えられていたBBCワールド・サービスのような例もある。

BBCにまつわる6個の事実

1. 女王の戴冠式でTVを購入

以前からTV放送されていたとはいえ、一般市民にとってTV受信機は高嶺の花であり、1950年代に入ってもTVはまだまだ普及していなかった。それが一気に広まったのは1953年のエリザベス女王の戴冠式。女王の姿を一目見ようと、多くの国民がTVを購入した。価格は現在の価値にすると約1800ポンド(約28万円)と、微妙な高価格だった。

2. 初めてのカラー放送は緑色

1967年7月1日にBBC1に先駆けBBC2がフル・カラー放送を開始。その年のテニス・ウィンブルドン選手権中継が最初のカラー放送だったという。TV中継を観た人々はコートのグリーンの鮮やかさに目を奪われたことだろう。ちなみに試合は男子シングルス戦で、南アのクリフ・ドリスデール選手と英国のロジャー・テーラー選手の対戦だった。

3. 核戦争になったら地下壕へ

冷戦時代、BBCには核戦争が勃発した際に地下シェルターから報道を続けるためのマニュアル本「War Book」があった。政府機関のシェルター内にスタジオを設置し、中に入るスタッフは大半が男性。Radio4の局長がBBCスタッフを率いる計画だった。ちなみに、シェルター行きのリストに名が載ったことは、妻に言ってはならないと指示されていた。

核戦争になったら地下壕へ

4. BBC本社にオーウェル像

作家でジャーナリストのジョージ・オーウェルは、1941~43年にBBCで東南アジア向けの宣伝番組を制作していた。現在、ロンドン中心部のBBC本社にはオーウェルの像が設置されている。背後の壁には「動物農場」の序文、「もし自由が何かを意味するならば、それは人々が聞きたくないことを伝える権利を意味する」という言葉が刻まれている。

BBC本社にオーウェル像

5. ボウイの曲にダメ出し

1950~60年代後半まで、BBCは番組に出演するバンドのオーディションを行ってきた。65年11月に「デービッド・ボウイ&ザ・ロウワー・サード」というグループでテストを受けたボウイは、「特徴がない」「アマチュアっぽい音」「特に感銘を受けない」「上手くなりそうにない」とあまりにも散々な評価を受けたあげく落とされた。

6. アッテンボローも不採用に

現在はBBC自然ドキュメンタリーの顔であるデービッド・アッテンボローも、BBCから肘鉄を食らっていた。1952年にラジオ「ホーム・トーク」のプロデューサーに応募したアッテンボロー。手書きの履歴書に、切手を貼った返信用封筒まで付けたにもかかわらず、不採用となった。BBCに封筒が残っているところを見ると、不採用通知も届かなかったようだ。

アッテンボローも不採用に

世界のメディア環境が激変するなかBBCはどこへ行く

英国のメディアに詳しい小林恭子さんに、英国にとってのBBCの立ち位置やBBCの今後についてお話を伺った。

お話を伺った方

小林恭子

小林恭子
在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。

BBCのユニークな点は何だと思いますか。

BBCは、1922年に民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)から、27年に公共体としてのBBCになりました。1955年に民放のITVが登場するまで英国唯一のTV放送局であったため、BBCとTVが同義語だった時期が長く続きました。その間、BBCはニュースから娯楽番組まで、独占的に多くの英国の視聴者を楽しませてきました。

こうして英国を代表する放送局としてゆるぎない位置を築いてきたBBCですが、その真髄といえるのが、BBCの創設者で初代ゼネラル・マネージャーだったリース卿が定義した、BBCの目的です。それは、視聴者に「情報を与え、教育し、楽しませる」こと。これは今でもBBCの企業理念になっています。

さらに、「ニュース報道の不偏不党」も、その活動の要です。ただ、英国ではどのメディアもそうですが、ジャーナリズムの基本的立ち位置は「権力を監視する」ことですので、BBCのニュース報道でも、ジャーナリストが視聴者のために権力者を問いただす姿勢が維持されており、政治家に対して丁々発止のインタビューが行われることも頻繁にあります。

BBCの強み、そして懸念される点は。

「英国を代表する放送局」としての地位を築いたBBCは、優秀な人材を結集して優れた番組を制作し、国民的議論を喚起させる力があります。ほかの放送局とともに英国の放送・配信コンテンツの質を向上させ、維持する一端を担うとともに、番組視聴のオンデマンド・サービスを広く定着させるなど、デジタル化にも貢献しています。

最大の懸念は、メディア消費環境の激変に伴う若者層のTV離れでしょう。若い層になればなるほど、BBCのコンテンツばかりか、TVで番組を見るという行為自体から遠ざかっているのです。若者はスマートフォンなどのデバイスでユーチューブやTikTokの視聴を好みますし、視聴者全体で有料購読制のNetflix、アマゾン・プライムなどが人気を博するようになっています。BBCの活動の根幹となってきたTVライセンス料は年間159ポンド(約2万5000円)を一括徴収する形をとっていますが、「払いたくない」「払う必要がない」と思う人が増えているのです。一括徴収制ではなく、「見たい人が払う」購読制をとった場合、支払う人は激減するといわれています。そうなると、BBCは経営が成り立たなくなっていくでしょう。

ボリス・ジョンソン前政権はTVライセンス制度の見直しを進めていました。現在の制度は2028年3月まで有効ですが、同年4月からどうなるのかが注目どころですね。

BBCは今後どうなっていくと思いますか。

「今後」というのをどれぐらいのスパンで考えるかですが、現在のTVライセンス料制度が2028年3月までは続きますので、あと数年は現状維持になりますが、購読制に変えるなど抜本的な動きとなると実施には年月がかかりますので、 早急に事後策を決める必要があります。

筆者はライセンス料支持派だったのですが、4月末に発表された政府白書によると、放送局の番組を放送時に視聴する時間の割合は74パーセント(2017年)から61パーセント(20年)に減少し、今年3月時点では半分弱にまで落ちていました。逆に、有料制の動画サービスの利用は2017年の6パーセントから20年の19パーセントに増加したそうです。メディアの消費環境が大きく変わっていますので、「一括徴収」は正当化できなくなってきたと感じています。

もし一括徴収を止めて、ライセンス料制度が購読制になって収入が大幅に減れば、BBCはこれまでのようには番組制作ができなくなりますよね。

TVライセンス料を税金の一つとして徴収する形に進まざるを得ないのではないかと思っています。さまざまな価値観が存在する現在の英国社会の中で、国を一つにまとめることができるのは王室とBBCぐらいともいわれています。「世界に英国のニュースや視点を伝える」役割も持つBBCには、ぜひこれからも圧倒的なパワーを持つ存在であってほしいと筆者は願っています。

緊張感あふれるBBC1の放送スタジオで、スタッフがニュース進行を見守る緊張感あふれるBBC1の放送スタジオで、スタッフがニュース進行を見守る

BBC100周年にまつわるエキシビション

BBC設立100周年を記念し、今年は英国各地で関連エキシビションが開催されている。英北部マンチェスターの科学産業博物館では、「100 years of the BBC in Manchester」と題し、マンチェスターにおける黎明期のBBCの姿を、来年2月まで展示紹介する。また、同ブラッドフォードの国立メディア博物館では、来年1月まで「Broadcast 100-Switched On」を開催。

ロンドン南部ダリッジのラジオ&TV博物館や、シティのロンドン博物館でもTVやラジオに関する常設展が開かれている。

マンチェスターのラジオ局2ZY内の放送スタジオマンチェスターのラジオ局2ZY内の放送スタジオ

 

誕生125年 - ロンドンの街を疾走する ブラック・キャブにまつわる A to Z

誕生125年 - ロンドンの街を疾走するブラック・キャブにまつわる A to Z

ブラック・キャブとは

ロンドンを象徴するイメージの一つに挙がることの多い、クラシックな外見が特徴的な黒色の公共タクシー、通称ブラック・キャブ。今年はブラック・キャブが世界で初めてライセンス式の認可タクシーとしてロンドンで生まれてから125年を迎える。本誌では、その誕生の歴史や運営の仕組み、世界一難しいといわれるキャブ・ドライバーになるための試験、さらには天敵ともいえるUberとの関係などを紹介する。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.taxis-in-chester.co.ukhttps://tfl.gov.ukwww.mylondon.newswww.youtube.com/thutley ほか

ブラック・キャブとは

正式にはロンドン・タクシー(London Taxi)といい、2000年からロンドン交通局(TfL)に管理されている。かつては黒塗装のものしかなかったため「ブラック・キャブ」(Black Cab)が通称となっているが、新型車に変わってからはさまざまな色の塗装や、ラッピング広告された車両も存在する。ちなみにキャブは二輪馬車を意味するフランス語「カブリオレ」(Cabriolet)の略。タクシーの運転手を口語で「キャビー」と呼ぶのもここから来ている。

2022年3月時点で登録されているロンドン市内を走るブラック・キャブは5万8000台。これはおよそロンドンの人口1000人に対し10.6台のブラック・キャブが存在する計算になるという。ブラック・キャブの台数は微少ながらも2021年から増加中とのこと。

ブラック・キャブを解剖する

ここ125年の産業技術や人々の暮らしの変化に合わせ、辻馬車からEVへと発展を遂げてきたブラック・キャブの姿を簡単に紹介する。

ハックニー・コーチが起源

ロンドン市内を走るブラック・キャブの歴史は、元をたどれば1662年にタクシーの用途として許可された辻馬車「ハックニー・コーチ」(Hackney Coach)に端を発する。「ハックニー」は、「馬を雇うことができる」という意味で使われていたノルマン・フランス語の「hacquenee」に由来する。ちなみにこの言葉は実際に今でも使われており、特に年配の世代のなかにはブラック・キャブのことをハックニー・コーチと呼ぶ人もいる。

手軽さが受けたハックニー・コーチはロンドンでは1760年代初頭までに1000台以上運行されていた。しかし乱暴な運転手と粗悪な馬車のせいで、住民たちからは「ハックニー・ヘル・カート」と呼ばれたそう。しかし1800年代になると開放可能な屋根を備えたフランスの二輪馬車カブリオレが登場。その後、さらなる改良が行われ、1頭の馬しか必要としない軽量で機敏なハンサム製の馬車(Hansom Cab)の導入につながった。1901年からは当時登場間もない自動車も使われるようになり、1897年に許可タクシーとなって現在に至る。

便利だが粗暴なハックニー・コーチを描いた19世紀の銅版画便利だが粗暴なハックニー・コーチを描いた19世紀の銅版画

ところで、タクシーという言葉はギリシア語のtaxis(「走る能力」の意)に由来し、馬車に引かれず、乗客を乗せ自走する車が出現した際に、英語ではタクシーと呼ばれるようになった。従って、現在ではロンドン・タクシー、キャブ、ハックニー・コーチなどさまざまな呼称があることになる。

20世紀初頭の軽量な辻馬車20世紀初頭の軽量な辻馬車

メーター制について

1891年にドイツ人のフリードリヒ・ブルン(Friedrich Bruhn)によってタクシー・メーターが開発された。メーターを搭載した最初のキャブがロンドンを走ったのは1897年。メーターは、もともと車の外側に取り付けられる機械装置だったが、1980年代までに車内に設置されるようになった。ちなみにロンドン市内を走るブラック・キャブの運賃はTfLにより定められており、現在の初乗り料金は3.80ポンド(約640円)に設定されている。1.6キロ(約6~13分)で6.40~10ポンド、22時~翌朝5時は夜間料金で同距離が8~11.20ポンドとなる。また、追加料金が発生する場合は、スタート時点でメーターへの加算が義務付けられている。タクシーを事前予約した場合や、ヒースロー空港から乗車した場合、そしてクリスマスや正月時期にも追加料金あり。

ブラック・キャブはなぜ黒い

1948年の車種であるオースティンFX3が、黒塗りスタイルのキャブを有名にした。第二次世界大戦直後の物資不足に製造されたキャブは一様に黒で塗られており、別の色が欲しい場合は追加料金を支払う必要があった。当時、金銭的余裕がある運転手はそう多くはおらず、ほとんどの運転手が黒いままにした。それ以来、ロンドンのほとんどのタクシーは識別しやすいように黒色のままになり、またそれがステイタスともなった。現在では広告をまとった派手な車両もあるが、それらも同じブラック・キャブなので安心して乗車して構わない。色は違えど、クラシックな見た目と正面に付いたTAXIという黄色いランプで判別できる。

ブラック・キャブ

どこを走っている

ロンドン・タクシーとはいわれるものの、実際には英国の多くの主要都市で運営している。ロンドンでは市内を走行するグリーン・バッジとロンドン郊外を専門にするイエロー・バッジでドライバーの取得する資格も分かれる。また、ブラック・キャブが完全予約制のミニ・キャブ(Private Hire Vercle=PHV)やスマホ・アプリを使って配車をするUberと大きく異なる点は、乗客が道で流しのキャブを拾える点。もちろん事前予約や、駅前などのタクシー乗り場で乗ることも可能だ。

キャブのドライバーについて知る

ナビもなしでロンドンの街を縦横無断に走行するブラック・キャブの運転手たち。
プロフェッショナルな仕事ぶりの裏にはどんな陰の努力があるのだろうか。

どんな性格が向いている

ブラック・キャブの運転に向いているのは、記憶力が良く、方向音痴ではないことに加え、渋滞などの道路事情から酔った客の相手まで、運転中の思わぬ出来事にも対処しなくてはならないため、プレッシャーに強くどんなときでも落ち着いて行動できる人。

また、運転手として応募する際の規定としては、18歳以上で普通自動車免許を持ち、英国に住み働く資格を持っていることが挙げられる。さらに、犯罪行為の有無や健康状態、税金をきちんと支払っているかなどを証明する書類提出があり、受験料や登録料、証明書などを総合すると応募するだけで1000ポンド以上かかる計算になる。また、ブラック・キャブを運転するための資格試験「ナレッジ・テスト」(The Knowledge)は、世界で一番難しいといわれている。合格するには専門の学校に通うのが早道とされているが、2~4年の勉強とトレーニングが必要な上、晴れて資格を得た後は、4万5000~6万5000ポンドの車両を自腹で購入するので、ある程度の貯金を持っている人、ともいえる。

世界一難しいテストとは

ブラック・キャブのドライバーになるには、乗客を最適なルートで目的地へ送り届けるために、4万以上あるロンドンの通りや主なランドマークを全て頭に叩き込まなければいけない。これを試すのが1865年にできたナレッジ・テストで、受験勉強中の脱落率が70パーセントにもなる厳しいテストだ。

まず手始めに「青い本」と呼ばれる学習ガイドに沿って学ぶが、ここにはロンドン中心部チャリング・クロスの半径6マイル(10キロ)内にある320のルートが掲載されている。これらのルートに加えて、各ルートの始点と終点から半径4分の1マイル以内にある全ての道路とランドマークを覚える。テストは全部で7段階あり、一定の期間を置いて行われる。筆記や口頭などその方法はさまざまだが、ステージ2の筆記試験はランダムに出される5つのルートとそのランドマークに関する25問の質問に答え、60パーセント正解できたら、次のステージに進める。なお、最初のテストは「青い本」を手にしてから2年以内に受けなければいけない。地図を眺めているだけでは到底覚えきれないので、受験者はバイクやスクーターを使い実際に道を走って確かめるほか、ポイントを教えてくれる予備校へも入学する。携帯やカーナビの使用が主流になった世の中だが、それを使わず乗客から告げられた行先を聞くなり走り出すことのできるブラック・キャブのドライバーたち。自分の仕事に大きな誇りを持つのも当然といえる。

ドライバーは道路1本1本の名前を全て覚えるドライバーは道路1本1本の名前を全て覚える

給料と勤務形態

ロンドンのブラック・キャブの運転手は自営業者であり、独自の勤務時間数を決定することができる。多くの運転手は、2週間通して働き、その後続けて数日間休みを取るスタイルだという。1日の勤務は8時間がスタンダードだが、長いと12時間も路上に出ているときもある。これはなかなか客が見つからず、自分で決めた一定の金額まで稼ごうとした場合に起こりがちな現象だそうで、繁忙期とそうでない時間帯の差も大きい。勤務時間が異なるので給与には個人差があるが、見積もりによると、平均的なブラック・キャブの運転手は週に約625ポンド稼いでいるという結果が出た。また一方で、年6万ポンドを叩き出す優秀なドライバーもいる。

客を待つ間に「タイムズ」紙を読むブラック・キャブの運転手も客を待つ間に「タイムズ」紙を読むブラック・キャブの運転手も

Uberとの熾烈(しれつ)な戦い

ブラック・キャブよりも手軽で安いとUberに顧客を奪われているブラック・キャブ。その評判は本当に正しいのだろうか。あらためて検証する。

Uber参入で何が起きた

米国発のUberが英国に参入したのは2012年。ブラック・キャブとも私営のミニ・キャブとも全く別形態の予約システムを持った携帯アプリは、1日の登録者数が導入時の前週比で850パーセント増を記録するなど快進撃を続け、ブラック・キャブの運転手たちを震え上がらせた。2014年にブラック・キャブの運転手たちはロンドン中心部で大規模なストライキを起こし、Uberとタクシー事業の規制を管轄するTfLに抗議活動を行った。このとき、約4000人~1万2000人がストライキに参加したと報じられている。運転手たちがTfLにも抗議していたのは、当初市内で合法的に営業する許可をUberに与えたためだが、後に、Uberドライバーの不正行為や必要な規制に従わないことを理由に、TfLが同社のライセンス要求を拒否。UberとTfLの戦いの幕がここに切って落とされ、以来数年にわたり拒否と許可の間を行き来するなど、集団訴訟を含む法廷闘争が両者の間で続いている。

Uber社は現在、欧州連合(EU)のタクシー運転手に積極的な金銭的インセンティブを提供することで、長年にわたる戦いに終止符を打とうとしている。すでに世界中の225の都市でUberを使用してタクシーを呼ぶことができ、2022年9月以降、米ニューヨークの公営タクシーであるイエロー・キャブがUberのアプリで利用できるようになった。次にUberが狙いを定めるのは英国のブラック・キャブだといわれている。だが、ロンドン・キャブ運転手組合の会長グラント・デービス氏は、「Uberは必要ない。すでにFree NowやGettなどほかのアプリがあるし、手数料のかからない別の新しいアプリも登場している」と拒否する姿勢を貫いている。

2016年2月、Uberに対して行ったブラック・キャブ組合のデモ2016年2月、Uberに対して行ったブラック・キャブ組合のデモ

「Uberの方が安い」は本当か

Uberの方がブラック・キャブより安いと信じて利用していると、そうばかりでもないときがある。例えば、Uberはオフィスの仕事が終わった時間帯や学校に子どもを迎えに行く時間など、利用者が多く混み合う時間帯を選んで、基本料金に割増料金の倍率が掛け合わされる仕組みになっている。この設定は、Uberのシステムが各地域の求車状況をモニタリングすることにより秒単位で変動しており、アプリをみている間に瞬く間に5ポンドも値上がりしたというケースもある。このようなシステムはサージ・プライシング(Surge Pricing)というUber独自のシステムで、サージ・プライスを導入することで、ピーク時に働くドライバーの数を増やすことができるとしているが、批判の声もある。

サージ・プライシングが発動されるエリアは、交通が渋滞をしている場合が多々ある。ピーク時に1カ所にUberの車が集まることでさらなる渋滞が起き、高い料金を払い渋滞に巻き込まれるといった負のサイクルが起きる可能性が高い。一方ブラック・キャブは、通常、固定料金表やメーターに依存しているため、料金は一定しており見積もられた料金と一致している。そのためかえってUberより割安になる場合がある。

Uberはドライバーもアプリでに客の居場所が分かるUberはドライバーもアプリでに客の居場所が分かる

実際の距離で値段を比較

ブラック・キャブで実際の距離を走行し、Uberのアプリと値段を比較した場合、下記のような結果が出た。ドライバーがどの道を通るのかでも差が出るので、ブラック・キャブの運転手は腕の見せどころともいえる。

ベーカー・ストリート駅 →
メイフェアの五つ星ホテル「クラリッジス」
  • ● ブラック・キャブ:6.80ポンド
  • ● Uber:7.86ポンド
メイフェアのバークレー・スクエア →
観覧車「ロンドン・アイ」
  • ● ブラック・キャブ:17.40ポンド
    (大混雑に巻き込まれ時間がかかった)
  • ● Uber:10.25ポンド
    (出発前の価格なので、このあと増加の可能性)

出典:www.youtube.com/thutley

ブラック・キャブにまつわる小ネタ

キャブ・シェルター「グリーン・ハット」とは

ロンドンの街中で時折見掛けるグリーン・ハットと呼ばれる小さな建物は、かつては辻馬車の運転手たちの休憩所だった。新聞記者のジョージ・アームストロングとシャフツベリー公爵の慈善活動によって1875~1914年にロンドン中に61カ所作られた。自分の持ち場から遠く離れずに、簡単に温かい食事が取れる貴重な場所だったとされ、そこでは自分で調理をすることもできたという。13戸が現存しているが、全てグレードIIのリステッド・ビルディングに指定されており、鍵が閉まっているところが多い。コーヒーや紅茶のほか軽食を格安で販売するが、利用できるのは今でもキャブ・ドライバーのみだという。

一般人は中に入れない「グリーン・ハット」一般人は中に入れない「グリーン・ハット」

キャビ一たちの使うスラング

観光でロンドンに来たり、あまりブラック・キャブを使う機会のない人にとっては特殊な方言のようにも聞こえる運転手たちの話し方。キャビ一のスラングを覚えればロンドンの街がより身近になるかもしれない。①sherbet=キャブ。sherbet dabという駄菓子のdabのリズムがキャブに似ていることから。②musher=自分のキャブを運転するドライバー。musher's lotionは雨のこと。③flyer=空港で客を待つドライバー。④kipper season=1月。稼ぎが少なくてニシンしか食べられない時期。⑤the burst=劇場や学校などから一気に人が出てくる様子。⑥Oranges and lemons=ロンドンの主要道路。地図A to Zに掲載された道路の色から。⑦Churchill=食べ物。チャーチルが運転手に食事中の乗車を拒否する権利を与えたことから。⑧Bilker=無賃乗車をする客。⑨copperbottom=長時間勤務。⑩single pin=1人だけの乗客。

知ってた? ブラック・キャブの乗り方

流しのブラック・キャブを拾う場合は、車体正面上部のTAXIと書かれたランプが黄色に点灯していれば空車。手を挙げて止まったら、いきなり乗り込まずに助手席の窓から行先を告げる。大体いくらかかりそうか聞いておけばなお安心。運転手の了解を得たら、自分でドアを開けて乗り込む。降車時、カードで支払う場合は車内に搭載されているカード決済機器を利用。現金の場合は、いったん降りてから助手席の窓から支払うが、最近では日本のように車内で払う人も多いのでどちらでも構わない。現金払いの際は料金の約10パーセントをチップとして置き、カード払いの場合はパーセントを選べば加算される。降りるときも自分でドアを開けて降りる。

乗車する前にドライバーに行き先を告げる乗車する前にドライバーに行き先を告げる

ドライバーとの間には透明の仕切り窓があるドライバーとの間には透明の仕切り窓がある

 

「異例」づくしのワールドカップ - カタールW杯2022

11月20日(日)〜12月18日(日)

「異例」づくしのワールドカップカタールW杯2022

4年に1度のFIFA ワールドカップ(以下、W杯)が、いよいよ11月20日(日)~12月18日(日)にかけて開催される。第22回大会は史上初の中東開催。日本代表はアジア予選を突破し、7大会連続で7度目、対する英国は本大会にイングランドとウェールズが大会出場となった。一方で、ボイコット論も湧きあがる「異例」づくしの今大会は果たしてどうなるか。開催国カタールに焦点を当て、今大会を楽しむさまざまなヒントをお届けする。(Text:ドイツニュースダイジェスト編集部)

「異例」と呼ばれる理由

1.史上初の中東開催

開催地は2010年に投票で決定したが、中東でW杯が行われるのは史上初のこと。これまでに行われた全21回の内訳は、欧州(ロシアを含む)で11回、南米で5回、北米で3回、アジアで1回、アフリカで1回となっている。アジアでは唯一、2002年に日韓共同で開催された。

2.史上初の秋冬開催

W杯は通常は6~7月にかけて行われるが、2022年大会の開催地は中東のカタール。首都のドーハは、湿度はそこまで高くないが、例年7月に1年間の最高気温を記録しており、40度を超える日も。この地で夏開催となれば、選手にかかる負担は想像を超えるものになるだろう。選手たちは大会開催中、その地で1カ月間ほどを過ごすが、トレーニング→移動→試合→リカバリー……と、勝ち進む限りこのサイクルを繰り返すことになる。気温40度を超える環境でこのサイクルをこなすことは困難だ。しかし、同地では11月には平均最高気温は30度ほど、12月には25度前後まで下がる。

そのため、気候を考慮した上での秋冬季開催となったのだが、これはW杯史上初のこと。今回行われるカタールW杯は11月20日(日)、開催国カタール対エクアドルの一戦で開幕し、12月18日(日)に行われる決勝戦で幕を下ろす。

3.異例のボイコット論

カタールにおける人権問題などにより、欧米を中心に本大会のボイコット論が巻き起こっている。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、カタールでW杯関連の工事などを担う出稼ぎ労働者が給与未払いや搾取、劣悪な環境下での労働など不当な扱いを受けていると指摘。開催地に決まった2010年12月から数千人が死亡し、その調査が尽くされていないという。批判を受け、カタール政府は20年に最低賃金制度を導入。移民労働者は雇用者の許可を得ずに転職できる自由が与えられた。

また近年、欧米を中心にLGBTQなどの権利を認めるべきという風潮があるなか、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、カタールの女性や同性愛者、トランスジェンダーなどが差別を受けていると指摘。同国では同性愛が違法とされている。なお欧州では、ハンガリーで反LGBTQ法案が可決されたときも、ドイツやフランスなどから同国に厳しい批判が浴びせられていた。

こうした背景から、元フランス代表でかつてマンチェスター・ユナイテッドで活躍したエリック・カントナ氏は、英スポーツ紙「Athletic」のインタビューで「(スタジアム建設工事で)数千人が死んだ。それでもわれわれはW杯を祝福する。私個人的にW杯を観ることはない」と自身の考えを明らかにした。また、元ドイツ代表でかつてバイエルンで活躍したフィリップ・ラーム氏は独誌「Kicker」に対し、「人権は大会の開催において最も重要なことであるべきだ」と語り、母国の躍進を願う一方、開催国カタールの人権問題やジェンダー問題への姿勢を懸念している。

4.「死の組」の日本、初戦が成功を左右する?

日本はドイツ代表と同じグループEに入った。グループEはスペイン代表とコスタリカ代表も属する強豪ぞろいの「死の組」。日本は過去6度のW杯で合計18試合のグループステージ(GS)を戦っているが、戦績は5勝4分け9敗。ちなみに、初戦を落とした大会では必ずGSで敗退しており、引き分け以上の場合は必ず決勝トーナメント進出を果たしている。

日本代表とドイツ代表はカタールW杯で初戦で激突。日本代表とドイツ代表はW杯では初対戦となるが、日本がこれまでにドイツと対戦したのは親善試合の2試合のみで、結果は1敗1分け。今回、日本代表が勝利すれば今大会初勝利となるだけでなく、3度目にして対ドイツ代表戦史上初の勝利となり、日本のサッカー史に新たな1ページを刻むことになる。初戦のドイツ代表戦で引き分け以上の結果が得られれば、自信もついて勢いに乗り、決勝トーナメント進出も見えてくるかもしれない。ちなみにドイツ代表は2018年ロシアW杯で初戦を落とし、結局調子が上がることなく、最終節では韓国に敗れてGSで敗退している。

日本の試合日程は、11月23日(水)16時(現地時間。以下同)ドイツ戦、27日(日)13時コスタリカ戦、12月1日(木)22時スペイン戦だ。

※日独戦の詳細はドイツニュースダイジェストのページをご覧ください。

イングランドとウェールズは同グループに英国対決を制するのはどちらか?

英国からは常連のイングランドと64年ぶり2度目のW杯となるウェールズが出場。両チームはグループBになり、総当たり戦で勝ち点の上位2カ国が決勝トーナメント(ベスト16)に進出する。

グループBの試合日程

グループBの試合日程

※時間は現地時間。日本時間は+6時間。英国時間は-3時間

 

アール・デコや花模様の陶器を生み出した クラリス・クリフが夢見た世界

アール・デコや花模様の陶器を生み出したクラリス・クリフが夢見た世界

2008年にロンドンのオークションハウス、ボナムズで行われたクラリス・クリフのティーカップのオークション2008年にロンドンのオークションハウス、ボナムズで行われたクラリス・クリフのティーカップのオークション

クラリス・クリフ(Clarice Cliff、1899年1月20日〜1972年10月23日)という20世紀に活躍した英国の陶芸家を知っているだろうか。プレートやピッチャーなど、普段使いのテーブルウエアに元気の出るようなカラフルな色調とユニークなパターンや、アール・デコ様式を採用した商品を数多く残し、女性が本当に使いたかったテーブルウエアを世に放った異彩の女性だ。その名は戦後になって広く知られるようになった。伝統に凝り固まった陶器のデザインの風潮を一蹴し、野心的に商品開発に取り組んだクリフが亡くなって今年で50年を迎える。今回は、クリフという一人の女性の生涯と、後世に与えた影響も併せて紹介しよう。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: 「Clarice Cliff」Peter Wentworth-Sheilds&Kay Johnson著 L'Odeon London、https://claricecliff.comwww.theguardian.comwww.christies.com ほか

従来のデザインを一蹴し、唯一無二の存在となるまで

現在の一般家庭では、シンプルでモダンな食器が広く使われているが、「英国らしい」老舗テーブルウエアといえばエレガントなデザインのものが多い。19〜20世紀前半もそんなデザインが大量に流通していたが、そこに彗星のごとく現れたクリフは一体どういう存在だったのだろうか。

才能を努力で伸ばした青年期

1899年1月20日、クラリス・クリフは陶器産業で有名な英中部ストーク・オン・トレントのタンストールで、7人兄妹の4番目として生まれた。父親のハリーは鋳物工で、母親のアンは収入を補うために洗濯業を営み一家を支えていた。町には瓶の形状に似た巨大な釜が立ち並んでおり、クリフは自然と陶器のある環境で育っていったが、生活は決して裕福なものではなかった。クリフの両親に特筆すべき芸術的な素養はなかったものの、クリフは学校生活のなかで絵を描く楽しさを見出し、13歳で学校をやめ、自宅近くのリンガード・ウェブスター社で、エナメル職人の見習いとして働き始める。

3年間の勤務で、同じデザインをエッグカップやプレート、ミルク・ジャグなど、サイズや形状ごとに縮小拡大する術を学び、フリーハンドで絵付けする技術を養った。16歳で同社を退職し、焼成前に印刷した模様を転写するリトグラフのスキルを学ぶため、奨学金を使って夜間の美術学校へ進学するも、陶器産業の見習いは劣悪な仕事環境で有名で、クリフは卒業を待たずしてA・J・ウィルキンソン社で働くこと決意した。就職したらそこで一生を終えるのが普通だった当時、転職に踏み切ったことは異例の決断だった。

ストーク・オン・トレントの風景ストーク・オン・トレントの風景

男性優位の職場で頭角を表す

1916年、クリフは陶器会社A・J・ウィルキンソン社にリトグラファーとして就職。デザインに対するクリフの飽くなき探究心はここでも発揮され、フィギュアや花瓶の模型作り、金メッキの技術やアウトラインの引き方などあらゆるスキルを吸収しつつ、パターンなどの型紙を集めていった。1920年代初頭、いつものように就業時間となったある日、退出際にクリフは筆を手に取り陶器にさらりと蝶を描いた。流れるような筆使いが装飾部門のマネージャー、ジャック・ウォーカーの目に止まり、ウォーカーは同社を兄弟で経営していたアーサー・コリー・オースティン・ショーターにクリフの存在を進言する。

それまで社内の上層部は男性ばかりだったため、クリフの性別からショーターをはじめその実力を疑う同僚も多数いたが、クリフの創造力と真新しいアイデアに次第に魅せられていき、やがてクリフは同社の中枢を担う人物として活動を展開していく。クリフの実力を認めたショーターは、1927年にクリフをロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ送り彫刻を3カ月学ばせた後、専用のスタジオを与えた。1928年10月、試験的に60個のテーブルウエアが市場テストに出され、二人はその反応を見ることにした。

シャイな性格だったクリフはあまり写真に写りたがらなかったというシャイな性格だったクリフはあまり写真に写りたがらなかったという

世間の度肝を抜いた「Bizarre」の眩さ

一見つながりのないアイデアや技法を一つの陶器に落とし込むことに長けていたクリフは、ぐらついた形状の木々や太陽光など、さまざまなモチーフを色鮮やかなキュビズムやアールデコの技法で表現した。クリフの商品は初めて見た人に奇妙な印象を与えたことだろう。市場テストでは、芸術作品を商業事業に体現した目新しさ、加えて一般家庭で使うために中価格設定だったことが特に女性バイヤーの心をつかんだという。クリフのアール・デコ商品の大部分は、1927〜36年に生まれており、この期間の商品は大まかに「Bizarre」(奇妙)シリーズとして知られている。

1928年、クリフはブラシを巧みに使ったクロッカスの花のパターンを制作。発表した途端注文が殺到し、2年後の30年には需要を満たすために新たに装飾部門が設立されたほどだった。クリフが生んだこれらの商品には本人のサイン入りのバックスタンプが押され、クリフは陶器産業で自分の名前のラインを立ち上げた最初の女性の1人になった。今でこそ女性主導のブランドはたくさんあるが、当時の風潮としてはありえないことで、ましてや労働者階級の家庭に生まれた若い女性がデザイナーとして自分の作品に自分の名前を付ける前例はほぼなかった。

「クロッカス」のさまざまなテーブルウエア。かわいらしい色合いで特に女性に好まれた「クロッカス」のさまざまなテーブルウエア。かわいらしい色合いで特に女性に好まれた

クリフが作った「Bizarre」シリーズ

シリーズはパターンや制作年度によって「Bizarre」「Fantasque」「Fantasque Bizarre」など、呼び方が異なる

「スライス・フルーツ」パターンの花瓶(1930年ごろ)。暖色系の多い「Bizarre」の中ではかなり珍しく、青色を基調としている

「スライス・フルーツ」パターンの花瓶(1930年ごろ)。暖色系の多い「Bizarre」の中ではかなり珍しく、青色を基調としている

「Fantasque Bizarre」シリーズの「トルフィン・ヴァース」(花瓶)。1本の木が生えた「ソリチュード」という珍しいパターンだ

「Fantasque Bizarre」シリーズの「トルフィン・ヴァース」(花瓶)。1本の木が生えた「ソリチュード」という珍しいパターンだ

鮮やかなリンゴが描かれた持ち手付きの楕円状の皿。極太の黒い線に鮮やかなオレンジと緑のリンゴのコントラストが美しい

鮮やかなリンゴが描かれた持ち手付きの楕円状の皿。極太の黒い線に鮮やかなオレンジと緑のリンゴのコントラストが美しい

ステンドグラスのパターンが美しい「Latona Bizzare」のコニカル・ボウル。オレンジの丸い台座が特徴的

ステンドグラスのパターンが美しい「Latona Bizzare」のコニカル・ボウル。オレンジの丸い台座が特徴的

ホノルル・パターンと呼ばれる円錐のシュガー・シフター。極端に太い黒線と木々の縞模様がマッチしている

ホノルル・パターンと呼ばれる円錐のシュガー・シフター。極端に太い黒線と木々の縞模様がマッチしている

「レッド・ツリー&ハウス」パターンのミルク・ジャグ。独特の形状をなぞるように縁取る茶色の線が印象的だ

「レッド・ツリー&ハウス」パターンのミルク・ジャグ。独特の形状をなぞるように縁取る茶色の線が印象的だ

ヨーヨー・ヴァースと呼ばれる特徴的な形の花瓶。クリフは25個ほどのヨーヨー・ヴァースを作ったが、「クロッカス」パターンは2つしか存在しないそう

ヨーヨー・ヴァースと呼ばれる特徴的な形の花瓶。クリフは25個ほどのヨーヨー・ヴァースを作ったが、「クロッカス」パターンは2つしか存在しないそう

画期的な宣伝法

どんな業界でも新商品を発売するときはリスクを覚悟で世に出すが、人気のBizarreシリーズもそれにもれず、売り出し当初は半ば「賭け」だった。発表直後は採算が取れず、経営者の立場から決意が揺らいだこともあったショーターだが、クリフの才能を信じた。コスト意識の高いショーターは、同社ではBizarreを出す傍ら、手堅くホテル用のテーブルウエアも発売しており、後に軌道に乗ったBizarreでも特定の形状やパターンの売れ行きが悪い場合はデザインの変更を指示。クリフもショーターの思いを汲み取り、変更を快く受け入れていたという。

二人三脚で作り上げたBizarreは、1929年から約10年間はさまざまなフェアに出展、また一般の人々の目に触れるようデパートでの展示会では同僚と共にファッショナブルな洋服に身を包んで絵付けを実演、プレートや花瓶を使って作った馬の像を展示、また時に芸能人を呼びその様子を撮影して宣伝に活用するなど、さまざま工夫を凝らし人々の気を引きつけた。同時に、当時にしては画期的だった商品を印刷したリーフレットを配布。店舗やフェアなど特定の場所に行かなくても商品ラインナップが見られ、家事で忙しい一般家庭の女性も通信販売で購入できるシステムを整えた。

1938年ごろに作られたコニカル・ボウル。Bizzare発表後も精力的に商品を展開した1938年ごろに作られたコニカル・ボウル。Bizzare発表後も精力的に商品を展開した

女性たちが活躍するスタジオ

クリフは、「Bizarre Girls」と呼ばれる社内チームを率い、Bizarreシリーズを制作していった。しかしチームと言っても全てがプロのテクニックを持ち合わせた女性ばかりではなかったため、見習いの少女たちには、クリフ自らが指導して安価な塗料を使ってブラシの使い方を学ばせたのち、後にプロの女性たちによる指導を交えながら着実にチームを育てていった。クリフは全ての作業や工程に積極的に取り組むことが好きだったようで、大きなチームになるほどコミュニケーションが疎かになりやすい点を理解し、自分の意思を伝えるべく定期的に指導。

こうした活動により1931年までに1000人以上の従業員と、150人の少年少女を雇用する大規模な工場へと発展していった。後にフリーハンドで絵付けをする女性たちのことを「Paintress」とする産業用語まで生み出したという。さて、1930年にはアート・ディレクターとなり、チームの中心にいたクリフは毎日多忙な職場でどのように過ごしていたのだろうか。クリフはスタジオの隣に、リラックスしながらアートやガーデニングを研究する小さなラウンジを作り、必要とあればすぐに作業場に駆けつける体制を整えていた。バランスを取りながら日々穏やかな雰囲気で仕事に臨んでいたという。

1986年に当時クリフのもとで働いていた女性たちが再会した時の集合写真1986年に当時クリフのもとで働いていた女性たちが再会した時の集合写真

自尊心を満たされる従業員たち

当時の工場といえば厳密なヒエラルキーのもと、仕事は性別によって分類されていた。女性が模型作りやデザイナーになれることはほとんどない厳しい世界のなか、クリフは実力で足場を固め、自分のチームを持ってこれまでの暗黙のルールを打ち砕いていった。「Bizarre Girls」は地元の人々からエリートだと思われており、女性たちもこの職場で責任を持って働くことで自信や自尊心を高めることができた。常にファッショナブルなアイテムに身を包むクリフに憧れる従業員は多かったようで、クリフを真似してカラフルなスカーフを巻いて職場に来るスタッフもいた。

一方のクリフも、用事でロンドンへ出かけるとお土産を買ってきたり、従業員が病気になったときは心から心配し、仕事を早く切り上げ休息を取るように促したりと、女性たちを「家族」として扱った。仕事が終わらなくても定時で上がらせることはもちろん、たまに一緒に旅行したりと、公私を通して交流。また、職場で音楽をかけることで、「自分たちは今芸術的なことに取り組んでいる」という意識を従業員全体で共有し、文字通り明るい労働環境を作り上げたという。これにより以前より25パーセントも生産率が上がったというから驚きだ。

スタジオの女性たちは音楽を聴きながら黙々と作業に取り組んでいた(写真はイメージです)スタジオの女性たちは音楽を聴きながら黙々と作業に取り組んでいた(写真はイメージです)

戦争の荒波と、再び脚光を浴びるまで

Bizarreでデビュー後のたった10年あまりで陶器業界に異彩の存在として君臨したクリフだったが、第二次世界大戦の影響を受け、その後は粛々と働くようになり、挑戦的な作風が生まれることは2度となかった。しかし、戦後にコレクターによって再評価され、その名は広く知られることになる。

2021年にはクリフの華々しい時代をまとめた映画「The Colour Room」が公開された2021年にはクリフの華々しい時代をまとめた映画「The Colour Room」が公開された

ショーターとの結婚

1929年の世界恐慌をものともせずさまざまなシリーズを次々と展開していったクリフ。30年代後半から、ネイティブ・アメリカンの間で使われていたバスケットをモチーフにした商品など、作品のテーマは時代とともに変化していった。第二次世界大戦の始まりが近づくころには、以前のような大胆なデザインは影を潜め、コーヒーカップの形状も次第によく見かけるものに変化していった。そんななか、1939年11月2日、ショーターの妻アニーが亡くなる。長年いくつもの試練を共に乗り越えてきたクリフは迷わずショーターと結婚した。まだ「キャリアウーマン」という言葉が存在しなかったときから、仕事に明け暮れていたクリフにとって、家庭での生活はこの上ない幸せと共に新たな冒険の始まりであった。

戦争の影響

幸せも束の間、ショーターはナチス・ドイツによる本土侵攻に備えて民兵組織に加わることになった。工場生産は政府によって厳密に管理され、1941年には英中部ニューポートの工場は政府の倉庫として使用されることになり閉鎖されてしまう。戦後、再び陶器産業は稼働を始めたものの、戦前からの6年のギャップに加え、ミッド・センチュリーの流行によりシンプルなものがもてはやされ、創造的な仕事はもはやなかった。時に過去を懐かしむこともあったクリフだが、生活のために仕事に従事。しかし1963年に最愛の夫ショーターを亡くし、64年には工場を売却した。ショーターを失った代償は大きく、家のなかを装飾する以外楽しみをなくし、憔悴し引きこもる生活が始まった。そしてクリフは1972年10月23日、心不全により突然この世を去った。73歳だった。

コレクターによる再評価

クリフがまだ生きていた1960年代後半から、コレクターによって、クリフの過去のテーブルウエアが注目され収集活動が活発化したが、当の本人はこれらの声に答える元気はなく、世間からの注目を避けていた。本人にはなぜいまさらという思いもあったのだろう。しかし、世間は作品の再評価に動き出し、1972年には英南部ブライトン博物館にてクリフの展覧会を開催。また死後の76年にはクリフの作品をまとめたカタログ「クラリス・クリフ」が出版され、1982年にはクラリス・クリフ・コレクターズ・クラブ(CCCC、https://claricecliff.com)が結成。クリフと工場で働いていた女性がこれを機に集まりテレビやラジオ番組に出演して、当時の話をしたり、商品の魅力を伝え続けた。

後にクリフの所有権を引き継いだウェッジウッドが、コレクターに向けて過去のコレクションを小ロットで複製し期間限定で発売したこともあったが、コレクターの間ではその真性をめぐって賛否両論となったという。

1992年に撮影されたCCCCのメンバー1992年に撮影されたCCCCのメンバー

クリフの生き方を映画で知ろう

2021年11月12日、クリフの1920〜30年代の目覚ましい活躍に焦点を当てたドラマ映画「The Colour Room」が公開された。主人公クリフの夢がドラマチックに展開していく様子や、成功できると信じて挑戦し続けることの大切さを丁寧に描いている。現在はSkyグループが運営する有料のサブスク「Now TV」で見られる。

アンティーク・マーケットで見つけてみよう

クリフが手がけた商品は英国のアンティーク・マーケットで比較的簡単に見つけることができる。本当にレアなものはオークション行きとなってしまいなかなかお目にかかれないが、「クロッカス」のパターンは売り上げの良いクリフのアイコニック的な商品だったため、比較的多く出回っている。主に高値で売買されているのは1920〜30年代のもので、かつ珍しいパターンや生産数の少ないものほど希少価値が高い。

一方、戦後に作られたものはほとんど価値がないそうだ。価格は十数〜数万ポンドと幅広いので、予算に合うものが見つかれば吉。ちなみにクリフのバックスタンプは1925〜63年に制作された陶器に使用されており、選ぶ時は最低限バックスタンプが削れてないかはチェックしよう。

アンティーク・マーケットで見つけてみよう

 

次期国王といわれて70年 - チャールズ皇太子にまつわるABC

次期国王といわれて70年チャールズ皇太子にまつわるABC

2022年7月、英北部ランカシャーのメルシアン連隊第2大隊を訪問中のチャールズ皇太子2022年7月、英北部ランカシャーのメルシアン連隊第2大隊を訪問中のチャールズ皇太子

次期英国王であるものの、エリザベス女王の長男、ウィリアム王子たちの父親、ダイアナ元妃の夫、という扱いでなかなか当人にスポットがあたらないチャールズ皇太子。この特集では、チャールズ皇太子のリベラルともいわれる政治的姿勢や、生涯をかけて熱心に取り組むオーガニック(有機栽培)に対する考え方などを紹介するほか、両親や妻をはじめとした家族との関係などについても改めて考察。さらに、チャールズ皇太子について知らない幾つかの事実を列挙しつつ、これまでの半生をたどる。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.theguardian.comwww.times.comwww.princeofwales.gov.ukwww.prince-trust.org.uk、BBC ほか

チャールズ皇太子のプロフィール

第21代ウェールズ公(Prince of Wales)。1948年11月14日、ロンドンのバッキンガム宮殿にエリザベス王女とエディンバラ公フィリップの第一子として誕生。洗礼名はチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ(Charles Philip Arthur George)。王位の法定推定相続人。英陸海空軍元帥。ロンドンの公邸はウェストミンスターのクラレンス・ハウス。

妹はアン王女、弟にヨーク公アンドリュー、ウェセックス伯エドワードがいる。配偶者は1981~96年までダイアナ・フランシス、2005年以降はカミラ・シャンド。子どもはケンブリッジ公ウィリアム、サセックス公ハリーの2人。2022年5月、チャールズ皇太子はエリザベス女王の代理として初めて議会を開会した。

チャールズ皇太子の半生

1948年
(0歳)
11月14日、エリザベス王女とエディンバラ公フィリップの長男として、ロンドンのバッキンガム宮殿に誕生
 
1948年
国民医療保障制度(NHS)が発足
 
1949年
北大西洋条約機構(NATO)が設立
1950年
(2歳)
妹のアン王女が誕生
1952年
(4歳)
祖父である国王ジョージ6世の病死後、母親がエリザベス2世として即位。それにともない王位継承順位が1位となり、コーンウォール公爵、ロスシー公爵の称号を得る
1956年
(8歳)
ロンドン西部のヒル・ハウス・スクールに入学。王室メンバーとしては初めて、ほかの子どもたちと学校教育を受ける
1958年
(10歳)
エディンバラ公の母校であるスコットランドの寄宿学校ゴードンストウン校に入学
1960年
(12歳)
弟アンドリュー王子が誕生
1964年
(16歳)
弟エドワード王子が誕生
1967年
(19歳)
ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。専攻は考古学と人類学
1970年
(22歳)
ウィンザーのポロの試合でカミラ・シャンドと出会う
1971年
(23歳)
3月、英空軍(RAF)に入隊しパイロットの資格を獲得。11月には海軍に入隊し、2カ月コースを修了
 
1973年
EUの前身である欧州共同体(EC)に加盟
1976年
(28歳)
若年失業者支援チャリティー団体「プリンス・トラスト」を設立
1981年
(33歳)
ダイアナ・スペンサーとロンドンの聖ポール大聖堂で結婚
1982年
(34歳)
長男ウィリアム王子が誕生
 
1982年
フォークランド紛争勃発
1984年
(36歳)
次男ハリー王子が誕生
1992年
(44歳)
食品ブランド「ダッチー・オーガニック」を設立。ダイアナ妃の暴露本「Her True Story」が出版。エリザベス女王在位40周年
1995年
(47歳)
カミラがアンドリュー・パーカー・ボウルズと離婚
1996年
(48歳)
ダイアナ妃との離婚発表
1997年
(49歳)
ダイアナ元妃が交通事故死
2002年
(54歳)
エリザベス女王在位50周年。叔母のマーガレットと祖母エリザベスが死去
2005年
(57歳)
カミラ・パーカー・ボウルズと再婚
2011年
(63歳)
ウィリアム王子がケイト・ミドルトンと結婚
2012年
(64歳)
エリザベス女王在位60周年
 
2012年
ロンドン五輪開催
2013年
(65歳)
孫のジョージ王子が誕生
2014年
(66歳)
アンドリュー王子に児童買春スキャンダル
2015年
(67歳)
孫のシャーロット王女が誕生
 
2016年
欧州連合離脱是非を問う国民投票で、離脱が可決
2018年
(70歳)
ハリー王子がメーガン・マークルと結婚。孫のルイ王子が誕生
 
2020年
英国が欧州連合を離脱。新型コロナウイルスの世界的大流行
2021年
(73歳)
父のフィリップ殿下が99歳で死去
2022年
(74歳)
エリザベス女王在位70周年
※()内は数え年

周囲を顧みず、自分の信念にのっとって動くのは父親ゆずりはっきりした政治的スタンス

王室メンバー、特にエリザベス女王は自分の政治的意見を語ることなく、周囲からも中立を求められているはずだが、チャールズ皇太子は昔からリベラルともいわれる政治的姿勢を隠さない。国王になったとき、その態度を改めることはできるのだろうか。

中国が嫌い?

チャールズは昔からチベット問題に関心を持ち、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の長年にわたる支援者として知られている。そのため、かつて英国を後ろ盾に独立したチベットを併合した中国には、昔から良い印象を抱いていないことは明らかだ。

1999年に中国の江沢民国家主席が英国を公式訪問した際、チャールズは中国大使館で開催された夕食会を欠席。また、2008年の北京五輪開会式出席もボイコットした。これは北京の次の大会が英国であることが分かっていたこともあり、当時多くのメディアに取り上げられた。

2012年6月、クラレンス・ハウスにダライ・ラマ14世(写真中央)を迎えたチャールズとカミラ2012年6月、クラレンス・ハウスにダライ・ラマ14世(写真中央)を迎えたチャールズとカミラ

さらに、2013年に中国の提唱した対外開放戦略「一帯一路」は、中国と英国が相互互恵の関係を結ぶものだった。当時の首相キャメロンは中国が英国に経済進出するのは大歓迎で、15年に習近平が英国を訪問した際、エリザベス女王も最高級の国賓待遇で同主席をもてなさなければならなかった。

このときチャールズはかなりの妥協をして協力したが、それでもやはりバッキンガム宮殿で主宰された晩餐会には出席せず、公邸クラレンス・ハウスでカミラと2人でいつも通りの夕食を取っていたという。

奴隷貿易は「ホロコースト」

チャールズは、奴隷貿易による人身売買の歴史をホロコーストと同じくらい英国で広く教えるよう政府に提言しているという。多くの人がホロコーストの歴史から人間の差別や偏見、憎しみの恐ろしさを学ばなければならないと考え、教育の場で取り上げているものの、大西洋横断奴隷貿易*に関する英国人の知識はホロコーストと比較してもかなり差があり、そのギャップを埋めなければならないというのだ。

ただし、チャールズは教育政策を作ろうとしているのではなく、自分自身も含め、国民が奴隷貿易のあった時代についてよりきちんと教育を受けたほうが良いと考えているだけとのこと。これらの言葉は、チャールズが2022年の6月に、ルワンダで開催の英連邦首脳会議の開会式で、奴隷制度によって引き起こされた苦しみに対する「悲しみ」を分かち合う、という一連のスピーチの中で述べられた。

また、その際に過去の英国王室が何らかの形で奴隷制にかかわったことを謝罪。「私たち全員が過去の過ちを認めるまで、善の可能性は実現できない」と語っている。

またチャールズは、今回の開会式に出発する以前から、英政府とルワンダの間で今年結ばれた「移民及び経済開発協定」について、懸念を示しているという。英国にやってきた難民をルワンダに移送する政府の方針を内々で非難し、「ぞっとするような行為」と言っていたとも。

これについて、クラレンス・ハウスの広報担当者は、「皇太子が政治的に中立であることを改めて表明する以外、匿名の私的な会話とされるものについてコメントするつもりはない。政策の問題は政府が決定すること」とし、チャールズが移民移送協定に反対していたという点について、否定していない。

*大西洋を挟む3大陸が関与する奴隷貿易で、別名「三角貿易」

アラブ諸国との関係

チャールズはサウジアラビアなどアラブ諸国の富豪から、自身の慈善団体への寄付金を受け取ることがある。それ自体に違法性はないのだが、2022年の7月、「サンデー・タイムズ」紙はチャールズが2013年ごろ、米同時テロ首謀者で国際テロ組織アルカイダ首領だったウサマ・ビンラディン容疑者の異母兄弟から100万ポンド(約1億6000万円)の寄付を受け取っていたという記事を掲載。同紙によれば、寄付はサウジアラビアの富豪ビンラディン家の家長バクル氏と、その兄弟シャフィク氏からだった。

2015年の中東訪問で、サウジアラビア北西部アル・ウラーの旧市街で、伝統的な剣舞に参加するチャールズ(写真中央)2015年の中東訪問で、サウジアラビア北西部アル・ウラーの旧市街で、伝統的な剣舞に参加するチャールズ(写真中央)

チャールズの側近たちは、テロ首謀者の家族から金銭を受け取ったことが明るみに出れば国民の怒りを買うと考えた。寄付を返すよう訴えた側近たちはチャールズと口論になったが、結局聞き入れられなかったという。

ちなみに、ビンラディン容疑者は1994年に家族から絶縁されたため、異母兄弟が容疑者の活動に関わった形跡はない。チャールズは、寄付金を返金すればバクル氏がその理由について疑念を持つことを恐れたのではないかとされている。王室の情報筋によると、チャールズは今後多額の現金寄付を直接担当しないという。

寄付の見返りに勲章授与で便宜

「サンデー・タイムズ」紙など多数のメディアが、アラブ諸国からの寄付に注意を払い、上記のように過去の記録を持ち出してきたのも無理はない。2021年9月、サウジアラビアの富豪からPWCFへの150万ポンド(約2億3000万円)を超える寄付の見返りに、チャールズの側近が、勲章授与で便宜を図ったとされる事件が起きていたのだ。この側近はチャールズの元従者マイケル・フォーセット氏で、責任を取ってPWCFのポストを辞任した。

昔は誰にも理解されずに変人扱いされていた自然や環境問題に対する熱意

チャールズは人々の目がまだ環境問題に向かなかった1970年代から、プラスチック廃棄物の弊害について語り、オーガニック・フードの良さを認めていた。チャールズの考えにやっと世間が追いついた形だが、その取り組みのいくつかを紹介する。

有機農業の取り組み

チャールズが取り組む数多くの環境問題の中でも特によく知られているのが、有機農業の実践。英国のオーガニック・フードの定番ブランドともいえる「ダッチー・オーガニック」(Duchy Organic)は、現在大手スーパーマーケットのウェイトローズが管理しているものの、もともとは1990年にチャールズが創業したブランド、「ダッチー・オリジナルズ」(DuchyOriginals)が母体だ。

ウェイトローズではさまざまな種類のダッチー・オーガニック製品が販売されているウェイトローズではさまざまな種類のダッチー・オーガニック製品が販売されている

チャールズは、英南西部コッツウォルズ地方に所有する農場を、1986年から10年ほどかけて完全にオーガニックな土地に生まれ変わらせ、そこで採れた材料を使ってダッチー・ブランドとして商品化。「愛と敬意を持って土地を扱えば、自然は応えてくれる」と自然との調和の重要性について「デーリー・テレグラフ」紙に語っている。チャールズはこの農場で、英国固有の希少種の家畜や英国古来の種子の保存に努めたほか、太陽発電を取り入れサステナブルな農場へと次第に進化させていった。

ただ2021年、チャールズは長年手塩にかけたこの農場を、志を同じくする第三者企業に管理させるつもりであると発表。これは、将来国王としての職務とビジネスを兼業することが難しくなるだろうから、というのが理由だ。

一方で、この農場に隣接したカントリー・ハウス「ハイグローブ・ハウス」は、1980年にチャールズが購入した別邸だが、広大な牧草地に囲まれたジョージ王朝時代の建築は夏期に限りイングリッシュ・ガーデンと共に見学が可能。また、「ダッチー・オーガニック」とは別の「ハイグローブ」というブランド(www.highgrovegardens.com)があり、敷地内で育てた作物を使ったオーガニック食品や園芸品なども販売している。

熱帯雨林から海洋環境まで

チャールズは、あらゆる環境問題を解決しようとさまざまなプロジェクトを手掛けている。2009年5月には「熱帯雨林プロジェクト」(The Prince's Rainforests Project)を立ち上げ、気候変動問題における熱帯雨林の保護の重要性を訴えた。熱帯雨林と気候変動の関連性や、森林破壊を止めるための緊急行動の必要性についての理解を深めるために、自分が王室メンバーであることを最大限に利用。ヴィヴィアン・ウェストウッド、ロッド・スチュワート、スティーヴン・フライといった英国のセレブたちの協力を募り、一般の人々に環境問題に興味を持つよう尽力した。

このプロジェクトは現在、同じくチャールズが提唱している活動団体「国際持続可能性ユニット」(International Sustainability Unit)の一部となっている。これは森林伐採対策、海洋環境の維持、生態系の回復力を維持する方法など、世界が直面している主要な環境課題のいくつかを解決する方法について考え行動する場であり、チャールズが50年にわたり考え続けてきたことがここに集約されている。

また、こうした取り組みは息子であるウィリアムやハリーにも引き継がれている。特にウィリアムは2020年に動物学者デービッド・アッテンボロー氏と共に「アースショット賞」を発足。環境保護への貢献に対して、「自然の回復と保護」「空気の浄化」「海洋の回復」「無駄のない生活」「気候変動」の5ジャンルから毎年受賞者を選出し、英国王立財団から100万ポンド(約1億6000万円)を贈る。ウィリアムは授賞式の際に、「次の居住地(火星)を探すのではなく、この惑星(地球)を回復させるために世界最高の頭脳とマインドが必要だ」と述べ注目を集めた。

2017年6月、英国土壌協会(Soil Association)設立70周年の記念レセプションで、オーガニックな食の重要性を語るチャールズ2017年6月、英国土壌協会(Soil Association)設立70周年の記念レセプションで、オーガニックな食の重要性を語るチャールズ

ホメオパシーの賛同者?

身体の自然治癒力を引き出す「ホメオパシー」は、日本でも賛否両論が分かれる代替療法であり、国民医療制度(NHS)は2017年、患者へのホメオパシー・レメディー処方を打ち切った。NHSイングランドの最高責任者であるサイモン・スティーブンスは、ホメオパシーは「プラセボ以上の効果がないホメオパシーにNHSの貴重な資金を使うことは無駄」だとしている。

しかし、チャールズは以前からこの18世紀のドイツで生まれたホメオパシーの賛同者として知られており、19年にはホメオパシー医学協会の後援者に就任。チャールズはもともと、東洋医学、ハーブ療法、マッサージ、芸術などさまざまな代替医療の有効性に目を向け、これらをNHSに組み込むことで、科学的な薬品なしで心身を癒やすこともできるのではないかという考えを持っており、ホメオパシーもその一つに数えられている。

センターを取れない気弱さは根気でカバー家族との関係

誰もが主人公級の癖の強さを持つ王室メンバーの中で、グイグイと一家を引率するというより、常に主人公の脇にそっと立ちサポートするようなイメージを持たれるチャールズ皇太子。ここでは一家の中のチャールズ皇太子の姿を見てみよう。

父親から見たチャールズ

父親のフィリップは、快活でスポーツ万能。一方で、幼いチャールズは気立ては優しいが引っ込み思案で傷つきやすい子どもだった。「男性として凜々しく生きる」ことを良しとするフィリップはそんなチャールズを心配し、自分の息子を鍛えて元気な少年に仕立て上げようと何度も試みてきたといわれている。あるときチャールズは水泳指導と称して、バッキンガム宮殿のプールに浮き輪もビート板もなしに投げ込まれ、溺れかけたこともあるそう。

1953年、英北部の私邸サンドリガムからロンドンに戻るエリザベス女王一家。フィリップの隣にチャールズ(写真中央右)1953年、英北部の私邸サンドリガムからロンドンに戻るエリザベス女王一家。フィリップの隣にチャールズ(写真中央右)

また、10代になり、チャリティーや王室の公務で直接国民と接するようになっても、恥ずかしそうに下を向いてもじもじ挨拶するチャールズにフィリップはしびれを切らした。チャールズが未来の王位継承者だと認識するよう、置かれた立場が特別であることを繰り返し聞かせ、将来重要な義務が控えていることも教え込もうとした。女王以上に厳しい海軍仕込みのしつけで、父と息子の仲は愛あふれる優しい関係とはいえなかったようだ。2006年にフィリップは「チャールズはロマンチストだけど、僕は現実主義者だからね」と2人の違いに言及している。

妻たちとの関係

チャールズが初めてカミラ・シャンドに会ったのは1970年。そのときカミラはチャールズの友人アンドリュー・パーカー・ボウルズの恋人だった。ポロや狩猟など共通の趣味を通してチャールズはカミラを愛するようになったが、きちんと結婚の申し込みをしなかったこともあり、翌年カミラはパーカー・ボウルズと結婚。しかしカミラとの関係は途切れることはなく、ダイアナ妃との結婚後もそれは続いた。優柔不断で一途なチャールズの性格が災いした可能性もあるだろう。

チャールズが1996年にダイアナ妃と離婚し、カミラと再婚したのが2005年。ロンドン郊外ウィンザーの市民公会堂での地味な結婚式だった。ダイアナ元妃との離婚の原因だとして、在りし日のクイーン・マザーが「私が生きているうちはカミラとチャールズの結婚はない」と断言したW不倫の果ての結婚である。チャールズ56歳、カミラ57歳だった。チャールズとカミラの関係は出会いから結婚まで33年かかったことになる。

根強い故ダイアナ妃人気に加えて、「愛人」というイメージが強かったカミラとの結婚は国民から不評を買った。次の国王はチャールズではなくウィリアムにすべきという意見もあるほどで、王室は、チャールズが国王になってもカミラは王妃の称号を得ず、妃殿下の称号を名乗ると発表しなければならなかった。これが覆されたのは2022年のエリザベス女王在位70周年記念のとき。女王は「チャールズが国王となったとき、カミラが王妃と呼ばれることを望む」と発表した。戦わず年月の流れに身を任せたことで勝ち取った幸せ、といえる。

息子たちから見たチャールズ

ウィリアムは以前、チャールズの70歳の誕生日を祝うBBC ドキュメンタリー「Prince,Son and Heir: Charles at 70」のなかで、チャールズがいかに規律正しく、仕事中毒であるかについて語っている。そして、「父にまだやるべき仕事があることを知っているから、父が情熱と興味を持って行ってきたことが実現するのを見たい」とも。また、チャールズがだらだらと長くしゃべりがちで、笑うべきタイミングでないところで笑ってしまう癖があることも暴露している。

かつてウィリアムとハリーは、母親であるダイアナ妃を失った怒りをチャールズに向けており、父と2人の息子の仲はギクシャクしていると報道されることが多かった。しかし、長男のウィリアムも今年で40歳。3児の父でもあり将来の国王であることから父親に理解を示す言葉が増えた。

一方のハリー王子は、2021年3月に米テレビ番組で「父には失望している」などとコメントするなど、依然としてあまりうまくいってないことを思わせるが、ハリーが王室を離脱する際にチャールズからかなりの援助金を受け取っていることや、22年6月初旬、 チャールズがプラチナ・ジュビリーの式典のため一時帰国していたハリー王子夫妻の子どもたち、孫のアーチーとリリベットと感激の対面を果たしていることも併せて考えると、「時が経てば解決していく」様子がうかがえる。

2019年、ロンドンの自然史博物館で開催されたNetflixの「私たちの地球」のグローバル・プレミアに出席するチャールズ(写真右)と息子たち2019年、ロンドンの自然史博物館で開催されたNetflixの「私たちの地球」のグローバル・プレミアに出席するチャールズ(写真右)と息子たち

弟たちとの関係

弟のアンドリューを性的暴行で告発した女性への和解金の一部を、チャールズ皇太子が肩代わり。その代償に、2度とアンドリューが公の場に王室メンバーとして姿を見せるべきではないと苦言した。また、2021年4月に父親のフィリップが逝去したのに伴い、末の弟エドワードがエディンバラ公の称号を受け継ぐ予定。しかし、チャールズはなぜかエドワードに称号を与えることに難色を示しているそう。

チャールズについて知らない9つのこと

1. 白ワインが燃料の自家用車

21歳の誕生日にエリザベス女王からもらったアストン・マーチンDB6を今も大切に使っている。環境問題にうるさいチャールズによって現在はエコロジー仕様に改造されており、ガソリンではなく英国の余剰白ワインとチーズから作られたバイオ燃料で走る。チャールズはほかにも食用油が燃料のジャガー、アウディ、レンジローバーも所持している。

2. 学位を持った最初の王室メンバー

1971年に名門ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学士号を取得し、学位を取得した最初の王室メンバーとなった。卒業時はセカンド、つまり中の下にあたる成績で卒業したが、1975年に同校で修士号も取得。チャールズに続き下の弟エドワードも同校を卒業した。ちなみにカミラ夫人は、ロンドン大学SOASの出身である。

3. 称号がすごく長い

チャールズの正式な称号は、His Royal Highness Prince Charles Philip Arthur George, Prince of Wales, KG, KT, GCB, OM, AK, QSO, PC, ADC, Earl of Chester, Duke of Cornwall, Duke of Rothesay, Earl of Carrick, Baron of Renfrew, Lord of the Isles and Prince and Great Steward of Scotlandである。

4. 即位したら名前を変える?

処刑されたり道楽者だったり反逆者だったりと、これまでのチャールズ国王にはロクな人物がいないことで知られる。そのためチャールズはほかの名前を探しているようで、ミドルネームの一つを取ってジョージ7世はどうかなと考えたこともあったようだ。ただ、急いで決める必要はないというのが大方の意見で、まだどうするかは決定していない。

5. コードネームはユニコーン

王室メンバーには個別のコードネームがあり、公務や休暇での外出、外国訪問の際に使用される。チャールズは「ユニコーン」で、1971年の訪米時に付けられたものだそう。また、年配の王室メンバーには葬儀用のコードネームが割り当てられており、「オペレーション・メナイ・ブリッジ」がチャールズのもの。これはウェールズのメナイ橋からきている。

6. 絵本を出版していた

チャールズは「The Old Man of Lochnagar」(ロッホナガーのおじいさん)という絵本を1980年に出版している。静かなところで温かいお風呂に入りたいと願うおじいさんが、スコットランドの洞窟へ向かうというお話で、かつて幼い2人の弟たちに語った物語が元なのだそう。TVアニメ化もされ、チャールズがナレーションを務めた。

7. 米大統領の娘婿にされそうになった

チャールズは1971年、19歳のときに妹のアンと2人で訪米している。当時の大統領ニクソン氏の計らいで、訪米中はホワイトハウスに滞在。だが実はニクソン氏はチャールズと21歳になる自分の長女トリシアを結婚させようと画策していた。そのため、トリシアは食事を含むあらゆる場所で隣の席に座り、チャールズを心底うんざりさせたそう。

8. 好きな紅茶はダージリン

チャールズの愛飲する紅茶はダージリン。ハチミツとミルクを入れるのがお好みだそうだ。また、チャールズのインスタグラムでは、好物として「とろけるチーズのベイクド・エッグ」と「キノコのリゾット」が紹介されている。英国産チーズの大ファンで、チーズ料理ならなんでもOK。そして昼食は取らない派であることをカミラが伝えている。

9. 宿敵を広報担当者に

2022年7月、チャールズとカミラは自分たちの新しい広報報道官に、「デーリー・メール」紙の元編集長、トビン・アンドレア氏を選出した。王室に関するゴシップをあることないこと書き連ねた、タブロイド紙の総本山だけに周囲の人々は唖然。だが即位など、今後あらゆる状況を切り抜けるには、タブロイド紙の考え方を知る同氏は最適の布陣であるといえる。

 

後世に大きなインパクトを与えた - 英国生まれのSF作品

後世に大きなインパクトを与えた英国生まれのSF作品

SF映画の金字塔、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」(1968年)SF映画の金字塔、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」(1968年)

英国には、今日のサイエンス・フィクション(SF)というジャンルが整う前から、小説におけるSFの先駆者、またSF映画の鬼才が多数活躍し、文化史を彩ってきた。1960年代から続く英国SF協会賞やSF作品のテレビ・シリーズの放映など、同ジャンルの活動は今も変わらず人気が高い。今回は、英国で生まれた主要なSF作品とその影響を振り返りつつ、人々の心を離さないSFの魅力について調べてみた。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.bbc.co.ukwww.britannica.com ほか

サイエンス・フィクションの定義

発展し続けるSF

オックスフォード辞典では「未来における想像上の科学的発見に基づいた本や映画などの一種を指し、そのテーマとして宇宙旅行や他の惑星での生活が扱われることが多い」、参考図書を出版する米メリアム=ウェブスター社のサイトでは「主に実際の科学、または想像上の科学が社会や個人に与える影響について扱ったフィクション、または科学的要素を重要な方向付けの要素として扱うフィクション」と定義されている。

SFというジャンルの確立は、主に文学的、科学的な成長が著しい世界の先進国で生まれたといっても過言ではない。現在のSFは1920年代にその原型が生まれたといわれているが、そこに明確な年はなく、またSF思想の始まり自体を考えると古代神話まで遡ることができる。時代の潮流に合わせて変化してきたジャンルといえる。

「科学」がキーワード

SF作品はファンタジー作品と混在しがちだが、SFは科学や技術的な進歩をもとに描く世界で、未来のどこかの時点で現実になる可能性が大いにある。一方ファンタジーは、魔法や超自然的な生き物が暮らす世界の話であり、架空の概念を扱うことが多い。本記事では現実に存在しない、近未来や科学的・技術的進歩の結果として仮定されるものをSF作品とし、今日のSFジャンルを確立した作品全てを指すこととする。

ブラックなテーマが盛り込まれた英国のSF作品の潮流

まずは英国出身、また英国で活躍した特に著名な人物の作品を紹介し、「これもSF作品なのか」と思えるような具体例を交えながら、曖昧なSF作品について切り込んでいこう。

SFの形をとった風刺作品

初版の「ガリバー旅行記」初版の「ガリバー旅行記」

ガリバー旅行記(1726年)


Gulliver's Travels ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)

サイエンス・フィクションの要素が散りばめられ、 SF小説の先駆けの一つと考えられている作品。主人公ガリバーは航海中に難破し、小人の国、大人の国、馬の国などに漂着し、そこでの体験をまとめた物語だ。本作を匿名で発表したジョナサン・スウィフトは、もともとアイルランドからイングランドに来てトーリー党で働いていたが、政権がホイッグ党に変わったため、またアイルランドに戻らざるをえなかった過去がある。

同作は一見児童小説の体裁を取っているが、全編を通して読むと英国人や英国の政治に対する風刺作品であることは有名。作中に「卵の殻の正しい剥き方は、大きな方の端から割るか、それとも小さな方から割るか」というどうでもいい理由で、国同士が戦争に発展した一幕が描かれているが、これは英仏間における馬鹿げた戦争を批判したものだとされている。

神に挑戦した禁断の書

1831年版の挿絵1831年版の挿絵

フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(1818年)


Frankenstein; or, The Modern Prometheus メアリー・シェリー(Mary Shelley)

ゴシック小説の代表作かつ当時の科学的根拠から考えられたSF作品として広く評価されている。科学者のフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かそうとして死体を繋ぎ合わせ、怪物を作り上げる。容姿は醜くとも心を持った怪物はフランケンシュタインに対しある要求をするのだが……。神が人間を作ったと信じられていた時代に、科学者が生命を創造し、神に挑む本作は、従来の宗教観が根強く残っていた当時の読者に大きな衝撃を与えた。

シェリーが同作を匿名で執筆したときの情勢は、英国内外で政治的動乱があり、社会不安が募っていた。当時道徳のない科学技術の拡大に対する警告の書とされていたが、主張を持ったが故に悲しい最後を迎えることになった怪物は、当時抑圧されていた女性の立場を表しているのでは、と近年フェミニズムの視点から再評価されている。

科学の発達が幸福とは限らない

H・G・ウェルズH・G・ウェルズ

タイム・マシン(1895年)


The Time Machine H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)

19世紀後半の英国では、蒸気機関車や電話、電気などの急速な科学的進歩があった。この時代に、H・G・ウェルズはタイム・マシンに乗って未来を見に行く「タイム・トラベル」というこれまでにない斬新なアイデアを生み出す。当時の最先端の技術とロマンを大胆に融合させ、大衆受けを狙い商業的成功も収めた作品であったが、行った先の明るく楽しい世界は果たして本当にユートピアだったのかという、人類の終焉をうっすらと予感させる物語だ。

本作でウェルズは、未来が必ずしも現在想像している世界であるとは限らないという急進的な考えを表している。ウェルズはほかにも「透明人間」(1897年)「宇宙戦争」(1898年)「解放された世界」(1914年)など、数多くの名作を残しており、後世のSF作家に多大な影響を与えたことから、SFの巨人、SFの父と呼ばれている。

全体主義に対する警告

ジョージ・オーウェルジョージ・オーウェル

1984(1949年)


1984 ジョージ・オーウェル(George Orwell)

東西の冷戦時代に書かれたこの本は、絶対的な全体主義国家が個人の自由を全て制限する近未来の英国を舞台にしている。1950年代に勃発した核戦争の影響で、三つの大国に分類された世界に住むウィンストン・スミスは、過去の歴史の改ざんを担当する小役人として働いていたが、過去のある新聞記事を見つけたことで、絶対の国家に疑問を抱くようになる。個人の全ての活動が監視しされるこの世界観に、現実の世界があまりにも似てきたとして、現在再び世間から注目を浴びている作品だ。

本作が後の英国社会に与えた影響は大きく、独裁者を意味する「ビッグ・ブラザー」や特定の政治犯を精神的に拷問し、洗脳する「ルーム101」など、作中に登場する単語は現代社会でも使用されている。オーウェルが生涯にわたって訴えた、全体主義に反旗を翻す作品として非常に有名。

逃げられない閉塞感

1962年、スティーヴ・セクリーによって 映画化された「トリフィド時代」1962年、スティーヴ・セクリーによって 映画化された「トリフィド時代」

トリフィド時代(1951年)


The Day of the Triffids: A very British disaster ジョン・ウィンダム(John Wyndham)

破滅がテーマのSF作品。地球の軌道上を緑色の大流星群が通過した翌朝、流星を目撃した世界中の人間が突如視力を失ってしまう。食肉性植物「トリフィド」の管理者であったビル・メイスンは、ちょうど目の治療中でその光を見なかったため失明は免れたが、安心したのも束の間、トリフィドが目の見えない人類を無慈悲に襲い始める。突如として破壊された日常を取り戻すため、主人公の無謀な努力と人々の絶望を描いている。

作者のウィンダムは第二次世界大戦で情報省の検閲官として働き、広島と長崎の原爆投下後に同作を執筆した。人工的に作られた食肉性植物の危険性を知りながら、有用な植物油の摂取に依存する作品上の社会に、核保有の恐怖を知った当時の世相が投影されている。ここまで紹介した作品の中で最もフィクション要素が強く、大衆向けの脚色が多い作品だ。

極端な暴力描写で放映禁止に

スタンリー・キューブリックスタンリー・キューブリック

時計じかけのオレンジ(1971年)


A Clockwork Orange スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)

SF映画界に名を刻んだこの人物を忘れてはならない。英国を拠点に活躍した米映画監督兼脚本家のスタンリー・キューブリックは、英作家アンソニー・バージェスの同名小説を元に後世に語り継がれるディストピア映画を作った。舞台は全体主義国家が君臨し、世界が金持ちと貧乏人に分けられ、少年の非行など理不尽な暴力がはびこる近未来のロンドン。

キューブリックは徹底した作品作りで有名で、納得いくまで撮り続ける姿勢を貫いてできた本作品は、細かなカット割りなど凝った演出が見られるも、目を覆いたくなるような暴力シーンや露骨な性行為シーンが多い。後に作品に影響を受けたと思われる暴力事件が相次いで発生したことから、英国では1973年にキューブリックの要請によって非公開となる。VHSとDVDで同作が見られるようになったのは1999年のこと。

後のカルチャーに影響を与えた「SF作品の描写」

作品が成功した結果、その細かい演出や思想が後のSF作品やカルチャーに大きな影響を与えた。ここでは今でこそ当たり前になった作中の特徴的な描写を紹介する。

エイリアンfrom「エイリアン」

エイリアン

1979年、リドリー・スコット英監督が手がけたSFホラー映画「エイリアン」(Alien)は、米映画「スターウォーズ」など、これまで明るい冒険物語風の作品しかなかったSF映画に「恐怖」というイメージを植え付けた作品。宇宙貨物船内に現れるぬらぬらとした不気味なエイリアンは、SF映画における地球外生命体のイメージを覆した上、エイリアン(Alien)という単語を、従来の外国人という意味から「(攻撃的な)異星人」に変えてしまったほど。

デザインを担当したのはスコット監督自らが説得に赴いたスイス出身のH・R・ギーガー。幼い頃から死という概念に異常に取り憑かれていたギーガーが産んだグロテスクな形態のそれは、1980年に第52回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した。

暴走する人工知能from「2001年宇宙の旅」

暴走する人工知能

映画における初期の人工知能は、人間と友好関係を築くなど科学技術の良い発展の例が多かった。脅威の存在となったのは「2001年宇宙の旅」(1968年)。宇宙船ディスカバリー号に搭載された人工知能HAL9000が乗組員に対し反乱を企て乗組員を排除しようとしたのは、キューブリックと共同で脚本を担当したアーサー・C・クラーク著の小説によると、航行の目的である探査任務については乗組員に秘密にするように組み込まれており、乗組員との協力の間で生まれた矛盾によって引き起こされたとされている。

現在、人工知能と今後どう付き合っていくべきなのかについてしばしば話題に上がるが、本作はそれをはるか前に先取りした映画だ。

ガイ・フォークス・マスクfrom「V フォー・ヴェンデッタ」

ガイ・フォークス・マスク

時の権力者に抗うため、1605年にロンドンの国会議事堂を爆破しようと計画した火薬陰謀事件の実行犯、ガイ・フォークスの顔を模したガイ・フォークス・マスク。もともとは「V フォー・ヴェンデッタ」(V for Vendetta)という英出身の作家アラン・ムーアとイラスト担当のデヴィッド・ロイドによるグラフィック・ノベルから来たものだ。

同作の舞台はファシズム国家に近い体制の英国。アナーキストである謎の人物「V」がガイ・フォークスの仮面をかぶって登場し、その非凡な技能を駆使して、既存の体制を崩壊させようとするという物語。ここから同マスクに反政府主義のイメージが付き、近年ではハッカー集団のアノニマスが使ったことで世界中に知られるようになった。

足が速いゾンビfrom「28日後...」

足が速いゾンビ

従来のゾンビに対するイメージは、足を引きずって歩き動きが遅く、走ればなんとか逃げられて……というものだったろう。しかし、1980年代ごろから動けるゾンビや人間を捕まえるために頭を使うゾンビが登場してきた。「スラムドッグ$ ミリオネア」で知られるダニー・ボイル英監督が2002年にメガホンを取った映画「28日後...」では、陸上選手さながらに全力疾走し、人間たちを追い詰めていくゾンビが描かれている。

もっぱらこの作品におけるゾンビは、人間を凶暴化させるウイルスに感染した「感染者」であり、何日も走り回ると疲れてしまうという演出があるため、果たしてこれはゾンビなのかどうかについては、いまだに意見が割れているところ。

英国の人々はSF好き?身近に浸透するSFの世界

長寿ドラマや書籍で知る

英国には、昔からカルト的な人気を持つ作品が多数あるが、現在進行形で一般家庭に親しまれているSF作品もある。例えばBBCのSFドラマ「ドクター・フー」(Doctor Who)は、1963年から放映されている長寿ドラマ。主人公のドクターが仲間と共に時空を行き来し、外敵からの侵略を防ぐために奔走する物語だ。ドクターは命の危機に瀕すると記憶を引き継いだまま別の容姿や人格に再生ができ、このときにドクターの代替わりを行っている。現在のドクターはシリーズ初の女性となるジョディ・ウィテカーが務めており、2023年からは初の黒人俳優、チュティ・ガトゥが起用される。

続いて2011年から始まった「ブラック・ミラー」(Black Mirror)はディストピア系のSFドラマ。初期はChannel 4で、現在はNetflixで放映されている。テクノロジーが発展しすぎたことで、予期せぬ社会問題が生まれていく様子を描いたダークな風刺ドラマだ。2018年には観客がスクリーン越しにストーリーを選んでいくインタラクティブな映画「Black Mirror:Bandersnatch」が発表され、この独特な世界観を背景にファンを増やし続けている。

映像作品とは別に、SF小説の方も変わらず活気がある。英国SF協会賞(BSFA Award)は、1970年から毎年開催されているSF作品を称えるアワードで、小説のカテゴリからスタートし、現在は短編小説、アートワーク、フィクション作品など、幅広いジャンルの賞を設けている。

視聴者が物語を選択できるインタラクティブ映画「Black Mirror: Bandersnatch」視聴者が物語を選択できるインタラクティブ映画「Black Mirror: Bandersnatch」

英国人はディストピア好きなのか?

英国では小説、映画などジャンルは問わず、ディストピア系の作品が好まれる傾向にある。ディストピアとは反理想郷や暗黒世界のことで、ユートピアとは逆の世界。ちなみにユートピアという言葉は英作家トマス・モアによる造語で、モアが16世紀に書いた「ユートピア」は、理想社会を描くことを通じて当時の社会への批判を展開した。先に紹介した「タイム・マシン」「トリフィド時代」「1984」など、どれも暗く時に気の滅入るような世界観となっており、近未来のロンドンを舞台にしている近年の映画作品では、たいていの場合ロンドンは悲惨な世界として登場する。

このようなディストピア作品が完全なフィクションの世界かというと、そうではない。短編映画「Airship Destroyer」(1909年)と「Aerial Anarchists」(1911年)では、第一次世界大戦前にもかかわらずロンドンへの空襲シーンがあり、「The Day the Earth CaughtFire」(1961年)では核実験の影響で極端な温暖化が進む描写がある。また、サッチャー政権時の1974年に書かれたドリス・レッシング著「The Memoirs of a Survivor」(「生存者の回想」映画化もされた)では、貧富の差が著しく広がった近未来の世界がさらに悪化し、人々は街を出ていくこと願うようになるなど、その内容が当時の現実世界を示唆していたり、現在私たちが暮らす世界の状況に酷似していたりする。

また、音楽の世界でもディストピアの世界は描かれる。英パンク・ロックバンドのキング・ブルース(The King Blues)の2008年の曲「What If Punk Never Happened」は、パンクのない世界は無難すぎて何の面白みもなく、無関心な人であふれているというディストピアの世界について歌っている。この中にIDカードを携帯している人々の描写があるが、これは実際2010年に英国で廃止されたIDカードの携帯についての法律のことを指しており、もしこれが現実に起こったらどうだったのかを歌にしている。ディストピア作品に見えるリアリティーが、英国人を強く惹きつけるのかもしれない。

What If Punk Never Happened(一部抜粋)

….
They moved CCTV cameras in everywhere
But the people were too apathetic to care
They made them carry ID cards to state where they’re from
As if by being born they had done something wrong
….

政府はどこにでもCCTVカメラを設置した
しかし、人々は無関心すぎて気にすることすらなかった
人々は自分がどこから来たかを示すIDカードを携帯していた
まるで生まれながらに何か悪いことをしたかのように (抄訳)

EXHIBITION
SFの世界をもっと知ろう!

ここまで英国のSF作品に特化して書いてきたが、SFはもちろん米国をはじめ世界各地で生まれている。2022年10月からサイエンス・ミュージアムで始まるこのエキシビションは、SFの映画やテレビ、アート作品、写真を展示し、科学者やクリエイターたちがどのように近未来を想像したか、SFの世界について深く知ることができるというもの。またエキシビションに関連したトーク・イベントも多く催されるので、興味のある方はぜひ訪れてみてほしい。

英国人はディストピア好きなのか?

英国人はディストピア好きなのか?

Science Fiction: Voyage to the Edge of Imagination

10月6日(木)〜2023年5月4日(木)
10:00-18:00 £20(予約が必要)
Science Museum
Exhibition Road, South Kensington, London SW7 2DD
Tel: 0330 058 0058
South Kensington/Gloucester Road駅
www.sciencemuseum.org.uk

 
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