Hanacell
輝け、原石たち


パン職人 日高晃作さん

1981年 岡山市生まれ
2002年3月~ 東北芸術工科大学 美術史・美術保存学科を中退後、果樹農家、建築板金屋で勤務
2003年~ 岡山のパン屋に2年間勤務
2006年 渡独、ボーフムでパン職人になるための職業訓練を始める
2008年 職人(ゲゼレ)資格取得。日本のパン屋で半年間勤務した後、再び渡独
2009年~ マイスター資格取得。Bäckerei Baierに勤務
アルバイトとして気軽な気持ちで門を叩いたパン屋の世界。どっぷり浸かって、トップの成績でマイスター試験に合格。尽きないパンへの情熱を胸に、最高のパン作りを目指す。

『天職』とは、どんな経緯で巡り合うかわからないものだと教えてくれたのは、パン職人の日高晃作さん。パン職人になろうと思ったきっかけは? というお決まりの問いかけに、「ギターが好きで・・・・・・」と、自分の道を模索していた時代にタイムスリップする必要があったことも彼の苦悩を物語っている。

もの作りに携わる仕事に興味があり、ギター職人の道も考えたが、行く末の食い扶持(ぶち)を心配して美術品の修復・保存を学ぶ大学に進学した。でも、何かが違う。大学を中退し、自分を試す中でその瞬間は訪れた。近所のパン屋さんで早朝の仕込みのバイトを募っていたのだ。「やってみると、パンを作るという作業がすごく自分に合っていることに気が付いた」という。

本腰を入れてパン屋での仕事を開始し、信頼できる師匠に付いた。厳しい仕事にも慣れてきた頃、欲が出てきた。「ヨーロッパに行きたい」これは、10代の頃から抱いていた淡い憧れ。「ドイツでパン職人としての腕を磨けたら、昔の夢も今の夢も叶えられて一石二鳥」、日本を離れる覚悟はできた。

しかし、小さな街のパン屋で丁寧にパン作りを学べるはず、との予想に反して見習いとして配属されたのは巨大な製造工場。単調な流れ作業が続き、ドイツに来た意味を見失いそうになる。ここで工場のシェフの情熱までも見逃していたら、今の日高さんはないだろう。良いパンとは何か、素材や製造方法について議論を重ね、実践を繰り返す日々の中で多くのことを学んだ。

ゲゼレ試験、マイスター試験と続けて合格。もちろん、すべてが順調に進んだわけではなく、ビザの取得に関しては、運に恵まれなかったとも言える。しかし、マイスターとしての技術と知識、そして自分の願いを1つずつ叶えてきた達成感に裏打ちされた笑顔に迷いはない。ほかの職人を導く立場にある今、まずは職場で自分の力量を認めてもらうこと。そこから日高さんの新しい挑戦が始まる。

(編集部:高橋 萌)


ブレッツェルを作る日高さん



美しく焼きあがったブレッツェル


マイスター試験の実技で作ったパンとお菓子。
ディスプレイにも工夫を凝らす。


晴れて「マイスター証書(Meisterbrief)」を授与された瞬間

Information

日高さんのマイスターとしての初めての職場は、南ドイツの田舎町ヘレンベルクにある老舗パン屋さん『バイアー』。創業1835年にして6代目のシェフ、ヨへン・バイアーさんは、お菓子とパンの両方でドイツのチャンピオンに輝いた腕の持ち主。地元の人に愛され続ける理由は、確かな味と信頼にあり!

Bäckerei Baier
Bronngasse 18, 71083 Herrenberg
www.baecker-baier.de

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 15:05
 

整形外科靴職人 中井要介さん

1980年 北海道札幌市生まれ
2002年 早稲田医療専門学校 義肢装具科卒業、義肢装具士の国家資格取得
〜2005年 有限会社 梶屋製作所に勤務
2005年 渡独、Orthopädieschuhtechnicker(整形外科靴職人)になるための職業訓練を始める
~2009年 バイエルン州の整形外科靴工房(2カ所)で研修
2009年~ 職人(ゲゼレ)資格取得後、ベルリンの工房に勤務
整形外科靴とは、変形や両脚の長さの違いなど、足にトラブルを抱え、一般の靴では歩行が困難な人に対して整形外科医が処方するオーダーメイドの靴や装具のこと。

「ドイツでマイスター資格を取って、日本とドイツの2つの国家資格を持つ整形外科靴職人、第1号として日本に戻る」と宣言する中井要介さん。日本の整形外科靴を取り巻く状況を改善すべく、目下ドイツで奮闘中だ。

「自分の店も開くつもりだけど、自分が作れる靴の数なんて一生の内、たかが知れているんです。だから、ドイツで身に付けた知識や技術を職人や整形外科医、理学療法士など、足の健康に関係する人たちにも広めていきたい」。やりたいことが、どんどん湧いてくる。

「靴」の仕事に興味はあったものの、靴職人では食べて行けなさそうと諦めた高校生の頃、テレビで見た義肢装具士の仕事に惹き付けられた。その後、専門学校の授業で「整形外科靴」と出会い、日本では未熟な分野であることを知った中井さんは、「この分野のスペシャリストになろう!」と発起したのだが、その決意はまるで運命に導かれたかのようだった。

「写真に写る3歳の自分は、子ども用にしては、やけにがっしりしたブーツを履いていた。前から見慣れた写真だったけど、ある日『ピン』ときた。そう、整形外科靴を履いていたんです」

「そのお陰で健康な足を持っているんだ」と、自らも幼少の頃にお世話になった整形外科靴に心から感謝する気持ち、そして「日本に整形外科靴の専門家が少ない状況で一番損をしているのは、良い整形外科靴を必要としている患者さんたちだ」という問題意識が、渡独してからの5年間、ぶれない彼の目標を支え、前へ前へと駆り立てている。

忘れられない言葉がある。結婚して2~3年という若い男性患者、先天性の障害から足の裏の感覚がなく、ちょっとのキズが大けがになりえる状態だった。出来上がった整形外科靴に満足した男性は言った。

「これでやっと、嫁さんとディズニーランドに行けます」

足に問題を抱える人の可能性を広げられるような靴を提供していきたい。未来の日本の整形外科靴界のパイオニアは切に願う。

(編集部:高橋 萌)


各患者の足の形に合わせて作られた木型



靴を作るのに必要な様々な道具


出来上がった整形外科靴



木型に合わせて靴の形を作る「つり込み」作業中の中井さん

Fotos: Shinji Minegishi
Information

患者さんの足にぴったりの靴を作るのが「整形外科靴職人」の主な仕事だが、ほかにも中敷(Einlagen)の製作など、様々だ。中井さんが働くOrthopädisches Fachzentrum Berlinも、スポーツ選手の能力を伸ばす為の中敷など多岐にわたって足の健康を守る装具を作る工房。「僕がいる間は、日本語での対応もまかせてください」と頼もしいことを言ってくれた。

Orthopädisches Fachzentrum Berlin
Augsburgerstr.21, 10789 Berlin
www.ofz-berlin.de

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:00
 

ガラス工芸の道を歩む 廣畑まさみさん

1984年 兵庫県西宮市生まれ
2006年3月〜2007年3月 シュトゥットガルトで語学学校に通う傍ら、「Tiffany-Glascenter」工房でステンドグラス技術・ガラスモザイク作りなどを習う
2008年3月 大阪外国語大学地域文化科 卒業
2008年4~7月 神戸の工房「スタジオ・デコ」にてガラス製作を学ぶ
2008年8月~ 渡独、NRW州ラインバッハ・ガラス・セラミック造形学校 ガラス技術・造形職業専門学校在籍中
高校時代に第2外国語でドイツ語を習い、大学でもドイツ語を専攻。身に付けたドイツ語を生かしながら、興味を持っていたガラス制作を学びたいという意志から渡独を決意した。

普段使うガラスのコップやテーブルランプから、静謐な空間を生み出す教会のステンドグラスまで、生活と密接に結びついているガラス。人は時に、その素材の脆さや儚さを心情にたとえ、透明な輝きを見て心洗われる思いを抱く。現在、ラインバッハでガラス工芸の技術を学ぶ廣畑まさみさんも、ガラスが持つ様々な表情に魅せられた1人だ。

子どもの頃からカラフルなもの、キラキラと光るものが好きだったという廣畑さん。初めてステンドグラスを見た時、その美しさに衝撃を受け、「こんなにきれいなものを作れたら……」と大学在学中に渡独、シュトゥットガルトで語学留学をしながらガラス工房に通った。その際に訪れたラインバッハの造形職業専門学校で現在、グレーヴィング(Gravur)を専攻している。

元々廣畑さんが学びたかったのは、ガラスの色粉などから成る顔料をガラス表面に塗り、電気炉で焼いて固定する絵付け(Glasmalerei)。しかし、専攻課程を決める段階で、ガラスが持つ本来の色を生かし、その表面に彫刻を施すグレーヴィングに大きな魅力と可能性を感じた。この技術とステンドグラス、モザイクの技術を組み合わせたら、作品の幅が一気に広がるようなイメージが沸いたという。

「ガラスを通して見る色は、生きているような気がする」と語る廣畑さん。屋内と外、あるいは朝、昼、夕で刻々と変化するガラスの色を最大限に生かすために、実際に光に照らして、そのガラスが置かれる室内の様子を想像してみる。こうしてガラスと対話をしながら、その性質や特徴を理解していく中で、「ガラスは個性あふれる生き物」と感じるようになった。だからこそ、「捨てられた屑ガラスを見ると不憫で、なんとか蘇らせてあげたい」と思うのだそうだ。

目下、廣畑さんが手掛けたいと思っているのは学校のトイレットペーパーホルダー。半年程前、「皆で使うものだから、自分たちで作ろうよ」と、同級生たちに呼び掛けたものの、いまだ実現していない。この世に2つとないガラス製ホルダーはきっと、学校生活を素敵に彩ってくれるはず!

(編集部:林 康子)


1年次に取り組んだパターンの一部(ガラスコップ)



神戸の「スタジオ・デコ」時代に、屑ガラスを使って
手掛けたミニテーブル。
2008年全国手工芸コンクール優秀賞受賞作



色被せガラスに天使のグレーヴィング

Information

廣畑さんが通う「ラインバッハ・ガラス・セラミック造形学校」は、ドイツに3校存在するガラス職業専門学校のうちの1校。現在、廣畑さんは3年制の同校でガラス造形の理論と技術を学ぶ。

Staatliches Berufskolleg
Glas Keramik Gestaltung des Landes NRW Rheinbach
Zu den Fichten 19, 53359 Rheinbach
www.glasfachschule.de

廣畑さんのブログ
http://yellow.ap.teacup.com/rheinbach/

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:44
 

フォトグラファー 峯岸進治さん

1981年 東京都生まれ
2000年 東海大学政治経済学部 中退
2001年 アジアを旅する
2002年 スタジオアシスタントとして東京で活動
2007年 渡独。フリーのアシスタントとしてAndre Rival氏らの撮影をアシスト
2008年〜 フリーのフォトグラファーとして活動。ベルリン在住
バックパッカーとして回ったアジア旅行で写真を撮る面白さに目覚め、この道を歩みだした。左のポートレートは、Andre Rival氏のアシスタントをしていた際に試し撮りで撮られた1枚。 http://web.mac.com/shinjiminegishi/

人生の、または歴史の一瞬を切り取る写真。誰もがカメラを手に思い出を映し出す現代において、入り口は限りなく広く、同時に底なしの奥深さを秘めているフォトグラファーの道。この厳しい道を歩み始めた峯岸進治さんに出会った。場所は、数多のフォトグラファーが凌ぎを削るベルリンの地。

1990年代後半、ドイツのフォトグラファーが世界を席巻していたという。アンドレアス・グルスキー氏やトーマス・ルフ氏ら、ベッヒャー派(Bernd & Hilla Becher夫妻の教え子)の写真がアートシーンに大きな影響を与えた。彼らの作品に刺激を受け、憧れを抱いていた峯岸さんが、初めてドイツを訪れたのは2005年。

「ベルリンがそのとき、1番未完成な場所だった。あちこちが工事現場、中央駅もまだ工事中で、これからどんどん何かが変わる。何かが起こりそうな予感に溢れていた」と、ヨーロッパのほかの街にはないエネルギーを感じたという。

2007年からベルリンに移り住み、フリーのアシスタントから始めた峯岸さんにとって、1番の師匠はアンドレ・リヴァル氏。ベルリンのスターフォトグラファーだ。「日本にいるときから彼のファンだった」と言う峯岸さんは、フリーのフォトグラファーとなった今でもリヴァル氏の撮影に同行することがある。元F1レーサー、ミヒャエル・シューマッハーやFDP党首ギド・ヴェスターヴェレなど、面白そうな撮影現場に行くときはリヴァル氏から誘いが掛かると、ちょっと誇らしげに教えてくれた。真剣に写真と向き合い、大真面目に楽しむ峯岸さんの姿勢をリヴァル氏が認めていることは、話を聞く中で十分に伝わってきた。

峯岸さんの作品にベルリンのテレビ塔の連作がある。目で見たまま美しいもの、面白いものを撮りたいという彼のスタイルをよく表現している。街の中で一際目立つテレビ塔を、いろんな場所から撮り続ける。彼なりのユーモアとアイロニーのスパイスを効かせて。さて、明日はどんな写真を撮るのだろう?

(編集部:高橋 萌)


ベルリンのテレビ塔と街の風



撮影中の峯岸さん



Per Carlsson氏のポートレート



愛用のカメラ“Linhof Technika”

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:47
 

バリトン歌手 木村善明さん

木村善明さん
1980年 岡山県倉敷市生まれ
2004年 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業
2007年 東京藝術大学大学院オペラ科修了
渡独、カールスルーエ音楽大学付属オペラ研修所入学
2009年~ カールスルーエ音楽大学大学院リート科在籍中
レパートリーであるモーツァルトを中心にこれまで、「魔笛」「フィガロの結婚」「カルメン」など多数のオペラに出演。現在はドイツで大学院に通う傍ら、ベルギー王立ブリュッセル音楽院マスタークラスで月4回、選抜生のためのレッスンも受けている。

「誰もが歌を口ずさみ、歌に励まされる。歌は日常生活の一部であり、ごく普通のこと」。とかく敷居が高いと思われがちなオペラの世界で活躍しながらジャンルにはこだわらず、純粋に心から歌を楽しむ木村善明さんは、そう語る。

子どもの頃から歌うことが大好きで、お風呂に入りながら歌ったり、両親と一緒にカラオケに行ったりと、常に歌を歌いながら育ってきた。地元のカラオケ大会で優勝したこともある。そんな中、ピアノの先生に薦められて音楽の道に進んだのは、ごく自然の成り行きだったのだろう。

大学院でオペラを専攻した木村さん。学んだことの集大成として、初の晴れ舞台となるソロリサイタルを2週間後に控えたその日、彼の元に父の訃報が舞い込んだ。ショックから声が出なくなり、一時は中止しようかとも思い悩んだが、結局、用意していた曲目を大幅に変更し、「涙そうそう」「千の風になって」など父に捧げる曲を選んで歌った。その時に感じた客席との一体感や温かさが、「今伝えたいことを伝えるために歌がある」という彼の信念を支えている。

今年の夏、木村さんは地元岡山の寺院でクラシック・コンサートを開いた。あえて異色の組み合わせにしたのは、「クラシック音楽があまり浸透していない田舎だからこそ、ビーチサンダルを履いてふらっとオペラを聴きに来ても良いのではないか」との思いから。ジャンルや通念の枠を越え、歌で身近な人を幸せにしたいという彼の願いは、着実に音楽の裾野を広げる活動へと実を結んでいる。

木村さんは今、ピアノとのデュオの練習を重ねながらドイツ歌曲の習熟を目指して研鑽中。「1曲1曲がミニオペラのようになっていて、数分間の短い曲の中に出てくる複数の役を演じ分けたり、同じ人物でも喜怒哀楽を表現したりと、とても奥深いのです」という言葉に、彼のドイツ歌曲への並々ならぬ情熱を垣間見た。そんな音楽へのひたむきな姿勢が、彼が目指す「人に夢や勇気、希望を与える歌手」としての土台を築いていくのだろう。

(編集部:林 康子)

オペラガラコンサート
オペラガラコンサート
オペラ「カルメン」より、闘牛士の歌(2007年12月、杉並公会堂大ホール)

オペラ「コシ・ファン・トュッテ」
オペラ「コシ・ファン・トュッテ」より、グリエルモ役(2007年3月、港南区民文化センターひまわりの郷

先生と一緒に
オペラ研修所でのコンサートの後、オペラを学ぶ仲間、先生と一緒に(2009年2月)
Information

12月20日(日)
ベートーベン作曲 交響曲第9番合唱付き

場所:埼玉県飯能市民会館大ホール
〒357-0063 埼玉県飯能市飯能226-2
時間:開場13:30 開演14:00 一般2000円、中学生以下1000円
問い合わせ:+ 81(0)42-9723000(飯能市民会館)
バリトンソロで出演

12月26日(土) 木村善明 
バリトンリサイタル ~ドイツからのメッセージ~

ピアノ:田中悠一郎、語り:加藤香
場所:東京都調布市・アヴェニューホール仙川
〒182-0002 東京都調布市仙川町1-25-2
時間:開場18:30、開演19:00 前売り3000円、当日3500円
問い合わせ:+81(0)29-8418905(Gift Music Company 長澤)

木村善明さんのオフィシャルHP http://yoshiakikimura.com

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:53
 

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