Hanacell
輝け、原石たち


ダンサー・振付家 皆藤千香子さん

1979年 神奈川県横浜市に生まれる。6歳からバレエを学び、20歳のときにコンテンポラリーダンスに転向
2002~06年 渡独、エッセン・フォルクヴァング芸術大学ダンス科
2006~08年 同大学大学院振付家コース。修了後、“Folkwang Tanzstudio”のダンサー兼振付家として活動
2009年 カンパニー“Tansan-sui”を起ち上げ、日本とドイツを拠点に活動する。エッセン在住
フォルクヴァング大学在学中、振付家として11MAS DANZA Contemporary dance festival(スペイン) でグループ部門第2位、SoloDuoFestival (ハンガリー) でソロ部門最高賞を受賞。ヨーロッパ各地で作品を発表している。

ダンス界最高の振付家の1人、タンツテアターの創始者でもあるピナ・バウシュ(今年6月に急逝)が代表を務めた“Folkwang Tanzstudio“に、ダンサー兼振付家として活動する皆藤千香子さんがいる。取材の前日、彼女がダンサーとして出演する姿を見せてもらった。ドイツ人振付家ベン・J・リーペによる作品“shy-wild“。奇声が飛び交い、銃が乱射される。異様な雰囲気に飲まれる私。

翌日、再び出会った皆藤さんは、私を天使のような笑顔で出迎えてくれた。舞台上とはまるで別人。「昨日の作品はすごかったですね。ちょっと悪夢のようでもあり・・・・・・」と歯切れの悪い私に、「あれは、観客に強い刺激を与えることを目指した作品ですから」と涼しい顔。高いプロ意識に裏付けされた落ち着きがある。

皆藤さんは、コンテンポラリー・ダンスの振付家。このジャンル、定義が難しい。新鮮な試みに溢れた、新しいダンスの形なのだ。バレエやヒップホップを取り入れたものや、前述のリーペ氏のような演出もある。

皆藤さんがこのダンスを選んだのは、自分なりの表現で作品を作りたいという強い欲求があったから。6歳からバレエを始め、本格的にレッスンを続けてきたが、西洋的表現や型にはまったテクニックに疑問を感じ始めていた。

そんなとき、舞踏家・大野一雄氏と運命的な出会いを果たす。踊ることに無限の可能性を感じ、深い感銘を受けた彼女は舞踏、そしてコンテンポラリー・ダンスへと傾倒していく。しかし、がむしゃらに自主公演に踏み切ったとき、公演自体は好評だったものの、自分の実力不足を痛感。専門教育を受けられるドイツに飛んだ。

「初めて自分の作品のツアーでポーランドに行ったとき、異国に来た疎外感を感じた。でも公演では一転、観客がすごく喜んでくれて、何かを交感できたのがわかった。これからも、自分の作品と共に世界中を回りたい」と話す皆藤さん、夢に向かって邁進中だ。

(編集部:高橋 萌)


ベン・J・リーペ氏の作品“shy-wild“の場面



銃を振りかざし、嗚咽を上げる皆藤さん



ダンサーはFolkwang Tanzstudio所属のメンバー

Information

アートフェスティバル
"638 Kilo Tanz und weitere Delikatessen"

10月16日(金)、17日(土)

ダンスや演劇、インスタレーションなど、若手アーティストによる意欲作を2日間にわたって楽しめるフェスティバル。17日には、皆藤さんがダンス・カンパニー“Tansan-sui” (炭酸水)としてドイツ初公演! ソロのダンスパフォーマンスを披露する。

時間:18:00~22:00
チケット:8ユーロ(割引6ユーロ)
※観覧+ジャズラウンジ入場券
会場:Hotel Jung, Wehmenkamp 1, 45131 Essen
TEL: 0201-879590

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:56
 

舞台衣装・装置デザイナー 阿部剛史さん

1978年 愛媛県今治市生まれ
2001年 北海道大学経済学部卒業
2001~02年 札幌、福田舞台にて大道具屋として働く
2003年 渡独
2004年~ ヴァイセンゼー・ベルリン芸術大学舞台装置・衣装学科在籍中。ベルリン在住。
日本では、ミュージカル「オズの魔法使い」「Cats」「ピーターパン」など、ドイツではこれまでに、演劇学校との共同企画で何作もの舞台装置・衣装を手掛けてきた。2010年3月に在籍中の芸術大学の舞台装置・衣装学科ディプロム取得予定。

せわしない日常を生きる現代人が、非日常的な癒しの空間や感動を求めて劇場に流れ込む――そんな大衆の持つイメージに真っ向から対峙する社会派演劇の本場ドイツで、この道の神髄を極めようと決めた日本人がいる。それが、現在ベルリンの大学で舞台美術を学ぶ阿部剛史さんだ。

阿部さんが舞台に携わるようになったきっかけは、日本で大学生活を送っていた時に仲間内で始めた学生劇団だった。しかし、「劇場という大きな空間で、何か圧倒的なものを作ってみたい」という漠然とした当初の思いは、ここドイツで演劇の奥深さを知ったことで「社会活動の一環としての舞台美術に関わりたい」という、より具体的な動機へと変化した。

演劇とは本来、観客が作品を通して現代社会を知ることができる鏡のような存在。それが分かったのは、2500年来続くヨーロッパ演劇の理論体系を徹底的に学び、実践を積んでからだった。そして、1つの古典作品を理解するには、作品が生まれた時代の社会的・政治的背景に関する膨大な資料を読み込む必要がある。歴史知識という土台の上に作品を分析し、観客の目に見える形で再構築する作業が舞台美術家の仕事であると理解するに至った。

以前は分析をしても結果に結びつかず、日本人であることに無意識にしがみついて制作をしていた時期もあった。それでも必死に食らいついて制作を続け、4年目にしてようやく教授から「私はもう君のことを日本人とは思わない」と言われた。習得した知識が実践に結びついた瞬間だった。

この仕事は脚本を読むことから始まり、舞台上でどう見せるかプランを立て、実際に舞台背景を描いたり、装置を組み立てたりする。練りに練ったアイデアでも、作品に合わなければ捨てられる覚悟が必要だ。でも、「巨匠の脚本を楽しみながら、演出家や役者と一緒に肩を組んで転がり合って、1つの作品に仕上げていく共同作業は楽しいですね」と語る阿部さん。情熱と冷静な分析力を兼ね備えた大物の舞台美術家が生まれる日は、もう目の前だ。

(編集部: 林 康子)


R・シュトラウス「サロメ」の模型(2007年、ハイジ・ブラムバッハによるゼミ)



ブレヒト「バール」のデザイン画(2008年、ペーター・シューベルトによるゼミ)



ブルガーゴフ「犬の心臓」の装置・衣装(2008年、BATスタジオビューネにて。演出:マーク・ウォーテル)
Information


ワーグナー「ローエングリン」(2009年、
ゼバスティアン・バウムガーテンによるゼミ)
ヴァイセンゼー・ベルリン芸術大学
Weißensee Kunsthochschule Berlin

www.kh-berlin.de

舞台装置・衣装学科(Bühnenund Kostümbild)では、初年度に造形芸術の基礎を学び、その後、芸術史や衣装史、脚本を読んで行うディスカッションなどを通して、理論を実践に繋げる方法を習得する。阿部さんは2010年4月に卒業制作として、日本でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の舞台美術を手掛ける予定。
最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 17:58
 

芸術家・イラストレーター 清水麻紀さん

1981年 東京都生まれ
2003年 筑波大学芸術専門学群版画家 卒業
2006年 ビーレフェルト芸術工科大学デザイン造形学科 卒業
2006年~ Musenstube所属のアーティストとして活動。ベルリン在住
ドイツで第1作目の作品集「Makis Haustierbuch」(Peperoni Book, 2006年)を出版。以来ベルリンを拠点にドローイングを主体とした制作を展開し、イラストレーション、コミック、版画など様々な分野で活動中。近澤悠子さんと二人三脚で取り組んできた「悠紀―友人の肖像」シリーズはヨーロッパで大きな反響を得ている。http://makishimizu.de

「パンを焼いて売るみたいに、絵を描いて生きていきたい」と語る清水麻紀さん。その言葉の通り、彼女は毎日ベルリンのアトリエから素朴で愛らしく味わい深い絵を生み出し続けている。ドローイングは筆1本で生み出される線画の世界。インスピレーションが沸いたと同時に筆を走らせる。油絵や彫刻にはない「シンプルさと即興性が自分には合っている」と、食事の途中でも筆を取ってしまうほどの根っからの絵描きは言う。

芸術家になろうと心に決めたのは小学校5 年生の頃。きっかけは、『芸術は真実を言うための嘘なのだ』というピカソの言葉を小説の冒頭に見つけたこと。「このおじさん、なんだかカッコイイこと言っている」と、芸術を通して世界を見ることに興味を持った。以来、ピカソから与えられたこの命題は、彼女の芸術活動の根底に居座っている。

2002年、大学生になった彼女は寝袋と画材一式だけを持ってふらりとヨーロッパを旅した。しかも野宿。そんな旅の途中でたどり着いたのがドイツだった。疲れ果てた体を少しでも癒そうとユースホステルに駆け込んだが、十分なお金は持ち合わせていなかった。しかし、手伝いをしながら結局3 カ月もそこに滞在したという。

今、清水さんがドイツで活動しているのは、この旅があったから。日本に戻った彼女は、旅を通して充電してきた創作意欲を1 冊の本の制作にぶつけた。ユースホステルで見つけた古い本「Das Haustierbuch(ペットの本)」に魅了され、本に載っている動物の写真334点すべてを自分で描き、出版することを思いついたのだ。しかし、日本の出版社との商談がまとまらないことに業を煮やしドイツへ留学。2006 年にやっと出版に漕ぎ着けた。

今後の目標について清水さんは、「新しいことに挑戦しながら伝統と技術を学び、経験を積む。社会の中で生き、生かされる、そんな街角のパン屋さんのような芸術家でありたい」と微笑む。

(編集部:高橋 萌)


「アトリエにグランドピアノ」という彼女の夢はベルリンで叶った



「Makis Haustierbuch」に掲載されている犬



清水さんが描いた絵を近澤悠子さんが版画に刷る
「悠紀̶友人の肖像」シリーズ

Information

Aktion Drawing:BERLIN – TOKYO
「ベルリン 壁崩壊後20年 今」

11月6日(金)~ 8日(日)
ベルリンの壁崩壊20周年と、ベルリンと東京の姉妹・友好都市15周年を記念して日独のアーティストによるグループ展が東京で開かれる。

loftwork Ground
東京都渋谷区道玄坂1-22-7 道玄坂ピア1F
http://loftwork.com/support/ground.aspx

ドイツで清水さんの作品を見るなら
"Solo Exhibition"
9月18日(金)~ 10月15日(木)
c.keller & galerie

Markt 21, 99423 Weimar
TEL: 036-43502755
www.c-keller.de

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 18:01
 

ピアニスト 今井彩子さん

1980年 北海道江別市生まれ
2003年 桐朋学園大学演奏学科を首席で卒業
2004年~07年 渡独、ベルリン芸術大学 芸術専門課程ピアノ科修了
2007年~ ベルリン芸術大学 国歌演奏家過程にて研鑽中
4歳からピアノを習い始め、第71回(2002年)日本音楽コンクール・ピアノ部門で第2位、ポルト国際音楽コンクール(2006年)では4位に選ばれた。このほか、皇居内桃華楽堂での御前演奏、08年にはベルリン・フィルのランチコンサートでヴァイオリニストの小林朋子さんと共演するなど、各地で活躍中。

「ピアノがなくても、自分の人生何とかなると思っています」—これまで各所で堂々たる演奏ぶりを披露し、輝かしい成績を収めてきたピアニストから出ているとは思えない言葉に、最初は拍子抜けしてしまった。そして、このピアニストを「弾く」ことへと突き動かしているものを探りたいと思った。

現在、ベルリン芸大でピアニストとしての腕を磨く今井彩子さん。物心がついたときには側にピアノがあり、今に至るまでそれが人生の主軸を担ってきた。はたから見れば羨ましいほどの技と才能を備え、演奏家としての模範たるべき道を歩んできたにもかかわらず、「まずはピアノありきの自分」にはなりたくないとの思いがある。

普通に学生生活を送って、普通に就職活動をして……周囲の同世代がしてきた経験が自分にはできず、ピアノばかり弾いている人というレッテルを貼られるのが嫌だった。「別にピアノがなくても良い」と思うのは、そんな心の葛藤を払拭するための強がりなのかもしれないと今井さんは自己分析する。それでもやはり、ピアノに対する一途な姿勢に変わりはない。昔からドイツ音楽が好きで、大学時代にドイツを周って先生を探し、クラシック音楽の本場ベルリンへ渡ることを決心。ここで留学生活を始めた。

好きな作曲家はシューマン。彼が「人間の心の奥底へ光を送ること。これが芸術家の使命である」と語り、揺れ動く人間の感情を音で表現したように、今井さんにとってピアノは自分を知る手段であり、弾くことで自身の内面が映し出される鏡のような存在という。最近は、特に室内楽や伴奏に力を入れている。ほかの楽器と合わせることで、ソロでは気付かなかった新たな視野を見出せることを楽しんでいるそうだ。

大学での過程を修了後、来年には日本に帰国する予定。ドイツで培った経験を糧に、音楽家としての自立を目指す。卒業までに、一生弾き続けられるレパートリーを見つけたいと語る今井さんの言葉には、ピアニストとして生きていくという確かな決意が込められていた。

(編集部:林 康子)


2006年、ポルト国際音楽コンクール


2008年、ベルリン・フィルでのランチコンサートにて、ヴァイオリニストの小林朋子さん(右)と


2007年、スタンウェイハウスでのコンサート

Information

ベルリン芸術大学
国家演奏家過程

Universität der Künste Berlin im Zusatzstudium zur Konzertexam
今井さんが在籍するベルリン芸術大学の「国歌演奏家過程」は、大学院に相当するソリスト養成コース。

ベルリン芸術大学のコンサート・プログラム
“Crescendo 2009”

6月20日(土)まで毎日開催
料金、プログラムは下記ウェブサイト参照
www.udk-berlin.de/sites/content/themen/
aktuelles/crescendo2009/index_ger.html

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 18:03
 

アーティスト 松永瑞穂さん

1976年 愛知県生まれ
2000年 武蔵野美術大学造形学部 工芸工業デザイン学科
金工コース卒業
2002年 武蔵野美術大学大学院 造形研究科 美術専攻
彫刻コース修了
〜2005年 インドネシア・バンドン工科大学大学院
美術学科修了
2006〜07年 渡独、ミュンヘン大学付属の語学学校でドイツ語を学ぶ
2009年 活動拠点をミュンヘンに移す
自分のメッセージをアートで表現をしたいとの思いからアーティストに。インドネシアでは8つのパブリックアートを制作。2009年、第4回大黒屋現代アート公募展で入賞している。

「日本人って何?」という問いかけから始まった松永瑞穂さんの制作活動は、沖縄から出発し、インドネシアでの活動を経て今年、ついにドイツに上陸した。

アーティストとして作品制作を始めたきっかけは、学生時代に訪れた沖縄との出会い。沖縄の人が、東京から来た松永さんたちに対して「内地から来たのか?」と尋ねた。自分たちのことを「ウチナー」と呼び、明確に沖縄(内)と他県(外)とを分けていた。この出会いは松永さんの心に深く刻まれ、国籍や性別など、自分が所属する様々なカテゴリーの存在に対する疑問の種を植え付けた。

それは、「人間のアイデンティティーとは何か、そして異なるアイデンティティーの共存は可能なのか」という問いに発展し、様々なバックグラウンドを持つ人間同士が、争うことなく共生していける社会の実現を願うメッセージを、社会に向けて伝えていきたいと考えるようになった。

日本からインドネシアに活動の拠点を移したのは、アジアの中でも、様々な宗教や民族、文化が混在する場所で制作をしたいとの思いがあったから。しかしその後、インドネシアとは異なるアイデンティティーが共存する状況も見てみたいと思うようになり、ヨーロッパ、特に国際的にも現代アートの中心地として名高いドイツにベクトルが向かった。

松永さんの表現手段は多様で、立体作品を中心にパフォーマンスや映像も手掛けている。国旗の模様を使った「ナショナルフラッグ・シリーズ」ではボーダーレスな世界を表現し、「シャングリラ・シリーズ」では「地上にあるという架空の楽園」を視覚化するプロジェクトに取り組んだ。今現在は、バイエルンのロココ様式的な空間と装飾に着想を得た作品を制作中だと言う。「アートは一種の麻薬みたいなもので、一度手を出したら、もうやめられません」と活動の魅力を語る松永さん。ドイツでは、どんな「シャングリラ」を創造してくれるのだろう。

(編集部:高橋 萌)


日本での個展(2008年)
photo: Adhya Ranadireska


インドネシアでの個展(2005年)
photo: Tamotsu Kido


映像作品より抜粋(2007年)

Information

UAMO Festival - 2009 "PERFORATION"
4月23日(木)~26日(日)
アートやデザイン、音楽など様々なジャンルから国内外の若手アーティストが参加するアートフェスティバル。日本人として唯一、同フェスティバルへの出品を果たした松永さん。ドイツでの活動に、幸先の良いスタートを切った。
photo: Nico Fung

Kunstarkaden München
Sparkassenstr.3, 80331 München
www.uamo.info

松永さんの作品情報 : www.mizuhom.com

最終更新 Freitag, 09 Dezember 2011 18:04
 

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