Hanacell

第3回 シュトルペン

シュトルペン(Stolpen)

シュトルペン

ドイツの東、チェコと国境を接するザクセン州にはザクセン公国時代の様々な城や城塞、庭園が点在し、Schlöserland Sachsenがこれら文化遺産の保存と観光を目的として運営・管理を行っています。その中の1つ「シュトルペン城」(Burg Stolpen)は、ドレスデンの東25kmにある街シュトルペンに建つ城塞です。この街はマイセン司教の離宮があったことで保護を受けて発展し、玄武岩の産地、またアウグスト強王の愛妾コーゼル侯爵夫人が亡くなるまで幽閉された哀しい愛の終焉地として知られています。
www.stolpen.de


シュトルペンは丘の上にあるため、どの方角からこの街に近づいても粗野な石造りのシュトルペン城が空に向かって伸びているのが遠くから見えます。街の外れにあるバス停を降りて、しばらく民家を眺めながら坂道を登ります。中世に誕生した街に特有の、規則性のない小道が織り成す街角の風景は、小さな驚きの連続です。マルクト広場が斜面上にあることにもかなり違和感を覚えました。かつて市場として機能していた時代、リンゴは転げ落ちなかったのでしょうか?

マルクト広場の北面の真ん中にあるカフェ・レストラン「Zur alten Post」のテラス席とパラソルに誘われ、華やかだったコーゼル侯爵夫人へのオマージュとしてケーキを食べることにしました。この建物は1795年に建てられ、1865年から83年まで郵便馬車が到着する場所だったことがお店の名前の由来です。また1815年8月15日にはここで、ナポレオンの馬に蹄鉄が取り付けられたことが記録に残っています。

(写真上)
マルクト広場を一望できるカフェ・レストラン
Zur alten Post
Markt 10,
zur-alten-post-stolpen.de

(写真下)
マルクト広場に面して市庁舎(Rathaus)や市立博物館(Stadtmuseum)、そしてレストランやカフェがひしめいている。

さて、広場中央にある玄武岩のモニュメントを眺めながら、広場の1番高い場所から城に伸びる狭い坂道を登ります。途中アイスクリームの看板が出ていたり、ベンチが設置されていたりするので、そぞろ歩きを楽しめます。登った先にはインフォメーションセンターがあり、さらにぐるりと回りこむように続く道を右に曲がるとシュトルペン城の門がお目見えします。

Apotheken-Museum城に続く坂道は細くて息が切れるけれど、散歩するには最適。城の門の前にインフォメーションセンターあり。

この城の起源は1100年頃に遡り、実に数百年にわたる城の軌跡が詰まっています。現在は壁の一部が残るのみで、説明がなければ部屋の目的がわからないほど廃墟に近い状態ですが、荒々しい石肌や迷路のような地下室は当時の様子を雄弁に物語っています。拷問器具の展示や人を放り込んで餓死させる「飢餓の穴(Hungerloch)」は、残酷な城の一面を見せてくれます。1番有名なここの住人はコーゼル侯爵夫人でしょう。彼女はアウグスト強王の寵愛を一心に受けて宮廷で権勢を振るっていたのですが、王の怒りを買い1716年から亡くなる65年までの49年間この城に幽閉されていました。「ヨハニス(コーゼル)塔Johannis-(Cosel-)turm」の狭いらせん階段を上るとそこには、彼女の幽閉生活が再現されています。数少ないながら華奢な装飾が施された家具は、コーゼル侯爵夫人の存在を今に伝えているようです。

Münstereifeler BrauhausMap4右手後方が、コーゼル公爵夫人の幽閉されていた塔。かつて厨房と食堂だった場所にカフェがあり、イースターから10月末までオープン。

城の門を出て、来た道とは反対の小道を下り、城壁に沿って歩くと露出した玄武岩の上にそびえ立つ城が見えます。この道の先には教会があり、その脇を通って左に伸びる小道を進んでマルクト広場に戻ってきました。日が暮れるとこの小さな街はオレンジ色の街灯に照らされ、城のシルエットがどこか物悲しく浮かび上がっていました。(福田陽子)


目的地までの行き方
Dresden Hbf 10:15発(バス261番、Neustadt/Sebnitz 方面行き)
→ Stolpen Ärztehaus 11:05着
バスは1時間おきに出ている(土日祝は2時間おき)。
所要時間50分。1人片道5.3ユーロ
最終更新 Freitag, 24 Mai 2019 15:16  
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