奇妙な名前に隠れた意外な歴史の数々
ロンドンの
変な通りの名前ベスト10
ロンドン在住者ならば、住所を調べたり、郵便物の宛名を記す際に
いつも読んだり書いたりしているロンドンの通り名。
普段は特に注意を払うことはないけれども、
よくよく目を凝らして見ると、へんてこな名前がかなりある。
そんな、言わば「ロンドンの変な通り名」のベスト10をイラストとともに一挙紹介。
さらにその名前が付けられるに至った理由を合わせて知れば、
このロンドンという街をもっと深く知り、そしてもっと好きになること間違いなし。
(本誌編集部: 長野雅俊、イラスト: 近藤陽子、写真: 小暮恭大)
笑ってる場合じゃないよ Ha-Ha Road SE18
何とも豪快な笑い声の響きを彷彿とさせる「Ha-Ha」は、実は英語で「隠し垣」という、あまり聞き慣れない代物を指す言葉。牧場などでは通常、家畜を囲い込むために木を植えて生垣を作るが、景観を崩すなどの理由で、植木を嫌がる向きもある。そこで見通しを妨げないようにと下部に溝を掘ることで作った垣根が、「隠し垣」つまり「Ha-Ha」。ロンドン南東部にある「Woolwich Common」という広場の北端の輪郭をなぞるように作られた隠し垣に沿った道だから、「Ha-Ha Road」と名付けられたというわけ。その隠し垣は、今でもしっかりと残されている。

Woolwich Common北端にある「Ha-Ha」
訛ったせいで腐っちゃった Rotten Row SW1
「腐った小道」と訳すことのできる「Rotten Row」は、ロンドン中心部にある巨大な王立公園ハイド・パークの中にある。Hyde Park Corner駅を出てすぐに見える、公園内の各所に敷かれた乗馬用の土道の一つがそれ。
17世紀のイングランド王ウィリアム3世が、セント・ジェームズ宮殿とケンジントン宮殿の間を行き来しやすいようにと造らせたもので、かつてこの場所は英国貴族の社交場として栄えたという。そこで当時の王族たちが流暢に操ったフランス語で「王の道」を意味する「Route de Roi」と名付けたところ、ときを経るとともに英語風に訛り、「腐った小道」になってしまった。

左)ハイド・パーク内にある「Rotten Row」 右)19世紀後半の様子を写した写真
お湯が出なくなったの? Coldbath Square EC1
ロンドン中心部を通る、Gray's Inn Roadという大通りの近くにある場所の名前。まさしくその名が示す通り、この場所にはかつて公衆の水風呂が存在していたことから付けられた。
17世紀後半にこの地で発見された湧き水が、神経系の病気の治療に効くとの評判を呼んだことで、この界隈はいわゆる湯治スポットとして知られるようになる。入浴料2シリング(10ペンスに相当)で、毎日早朝5時から午後1時の間に利用できる公衆浴場として営業されていたのだという。浴場が廃業してからは、この敷地に刑務所が置かれていた。今は郵便局の仕分所になっている。

通りから覗く郵便局の仕分所
夜中には通りたくない Bleeding Heart Yard EC1
直訳すると「心臓が血を流している庭」になる、何とも恐ろしい通りが、「Bleeding Heart Yard」。ホラー映画もびっくりのこのおぞましい名前が付けられた経緯については諸説ある。一つは、17世紀前半にこの地区で起こったある貴族女性の殺人事件が関連しているというもの。
手足を切り刻まれた揚げ句に、動いたままの心臓が放置されていたとか。さらには、カトリック教会から独立して英国国教会が立ち上げられた宗教改革の際に近くのパブに掲げられた絵が発端という説も。そこには、カトリックの象徴である聖母マリアの心臓に5つの剣が刺された絵が描かれていたという。

左下)19世紀後半当時の「Bleeding Heart Yard」 右)現在では、敷地内に「Bleeding Heart」という名のレストランが
この辺りは治安が良いはず Amen Court EC4
英国王室メンバーの結婚式や葬儀の式場になることの多いセント・ポール大聖堂の近くにあるのが「Amen Court」。中世においては、祭礼などの際に教会へと向かう行列が、「アーメン」と言って祈りを捧げた場所だという。
カトリック教会からの独立後に英国国教会が初めて建てた大聖堂であるセント・ポール大聖堂は、ロンドン市民たちにとっては当時から街を象徴する存在だった。「Ave Maria Lane」「Bishops Court」「St Paul's Church Yard」といった通り名が周囲に多数あるのも頷ける。ちなみに、劣悪な環境で悪名高いニューゲート監獄がこの通りのすぐ近くに置かれていた。

左、中央)近辺では、セント・ポール大聖堂に関連した通り名を見かける 右)Amen Courtから見えるセント・ポール大聖堂の眺め
駄洒落なのでしょうか Bear Gardens SE1
テムズ河の南岸でシェイクスピア劇を演じるグローブ座近くにあるのが「Bear Gardens」。夏になると屋外でビールを提供する「ビア・ガーデン」と、ちょっと響きが似ている。
「Bear」とはもちろん、熊のこと。17世紀のイングランドでは、日本語で「闘熊」と訳される「Bear-Baiting」という遊びが流行していた。スペインなどでは今も闘牛の文化が残っているが、いわばその熊バージョン。観客が見守る中で、犬と熊の殺し合いが行われていたという。ヘンリー8世やエリザベス1世も闘熊の大ファンであったとか。その舞台となった「Bear Gardens」が、この場所にあったというわけ。

17世紀のイングランドで流行した闘熊
決戦の金曜日 Friday Street EC4
毎週金曜日に魚市場が開かれていたからという理由で、「Friday Street」と名付けられたというこの通り。カトリック教会においては、イエス・キリストが受難を受けたという聖金曜日に鳥獣の肉を食べてはいけないという戒律がある。そこで英国のカトリック信者たちは、聖金曜日を迎えると、代わって魚を買いにこぞって出掛けたものだった。この習慣を反映してか、英国内には金曜日に魚市場が開かれる場所が数多いという。「Friday Street」と名付けられた通りは、ロンドン郊外サリー州、イングランド東部サフォーク州、同南部のサセックス州にもある。

早歩きしてくださいQuick Street N1
速足で歩かなければいけない通りなのかな、と思わせる通り名。実は、ジョン・クイック(John Quick)という名の喜劇役者の名前から取られている。産業革命の真っ只中にあった英国を統治し、アメリカ独立戦争に敗れた英国王として知られるジョージ3世の大のお気に入りだったというクイック氏は、18~19世紀にかけて主にロンドンのコベント・ガーデンの劇場に登場する舞台俳優として人気を博した。引退後は、イズリントン地区に構えた家で老後を静かに過ごしたという。近所のパブにもよく顔を出したという彼は、同地区の名士として地元民に記憶されている。

周囲は閑静な住宅街となっている

7つじゃなくて本当は6つSeven Dials WC2
ロンドン中心部コベント・ガーデンの裏手に、「Seven Dials」と呼ばれる交差点がある。「Dials」とは日時計のことで、つまるところ「7つの日時計」。さて、何を意味するのか。実はこの交差点の真ん中に記念柱が立っていて、その上部には日時計が取り付けられている。ところが数えてみると日時計の個数は6つしかなく、謎は深まるばかり。種明かしをすると、当初はこの交差点は6本道に分かれるはずだったのが、後に道の数は7本へと変更された。合わせて道の名前も「Seven Dials」になったが、どうやら記念柱の日時計の数だけは変更がきかなかったということらしい。

Seven Dials の中央に置かれた補修工事中の記念柱
怪我人たちが集う場所Recovery Street SW17
ロンドン南部ワンズワース地区のトゥーティングにある通り。同地区のカウンシルの広報課にその名前の由来を問い合わせても、「さっぱり分からない」との答えが返ってくるのみ。誰がいつどんな理由で付けたのか分からない、そんな地名もある。
ロンドンにあるそのほかの主な通り名の由来
Black Prince Road SE1
エドワード3世が息子のエドワード黒太子(Black Prince)に贈与した荘園があった
Cloth Fair EC1
中世にバザーが開かれた場所
Chancery Lane EC1
かつて政府の高官たちの住宅が並んでいたことから「Chancellor's Lane」と呼ばれていた通り名が基になっている
Half Moon Street W1
近隣にあった宿屋の名前から取られた
Hanway Street W1
当初は女性のみが使用していた傘を男性としては初めて差したと言われるジョーナス・ハンウェイ氏が在住していた
Holland Street SE1
同地区でエリザベス・ホーランドという名の女性が高級売春宿を経営していた
King’s Cross N1
駅前の交差点(Cross)にジョージ4世(King)の像が建てられていた
Oxford Street W1
イングランド中部オックスフォードへと続く道
Piccadilly W1
近所の仕立て屋で「Piccdil」と呼ばれるネッカチーフが作られていた
Romilly Street W1
軽犯罪に対する死刑の適用への反対運動を展開した弁護士サミュエル・ロミリーが生まれ育った



在留届は提出しましたか?


シロップがミックスされ、仕上げにフレッシュ・ミントが飾られた、すっきりとした一品。確かに、庭仕事の合間のリフレッシュに最適だ。時折、手作りのお菓子もバーに並ぶのだとか。週末にはDJが入り多くの客で込み合うので、このバーの良さをじっくり楽しむのなら、平日または週末の早い時間に訪れるのがお勧めだ。
ップル・ジュースをステアした、香りの良い、さわやかなカクテルだ。仕上げにライムの上に載せた角砂糖に火を点けると、青い炎に包まれた甘いライム・ジュースがゆっくりとグラスの中へと落ちていき、一段と洗練された味を楽しむことができる。メニューにはフレーバー・マップなるものが添付されており、軽いものからリッチなもの、またフルーティーからフル・ボディまで細かく分布されている。カクテル初心者にも、気分に合った一杯を選んでもらおうという気配りだ。
み通りにカクテルを完成させる楽しさがあり、さらに独特の重量感で手になじむクリスタル・カット・グラスなどの小物が、ラグジュアリーな気分を盛り上げる。フードのオーダーが必須ではあるが、意外にも、バーガーとバーボンの組み合わせが人気なのだそう。
テアする。まろやかな甘みにスパイスと葉巻の風味が絡み合う、大人のための逸品の完成だ。メニューのユニークさもさることながら、その媚びないスタンスにも注目したい。電話予約必須/スーツ着用不可/10人以上のグループお断り。すべては、訪れた客に心ゆくまでくつろいでもらいたいからこそのこだわり。いつもと違う、粋な夜遊びに、ぜひ。
香りを、十分にシェイクされた卵白が程よく和らげる。隠し味はもちろんルバーブだ。クラシカルな絨毯とモダンな家具、そこにさりげなく置かれたダミアン・ハーストやサラ・ルーカスなど、著名なアーティストたちの作品。ソーホーらしい、一分の隙もないスタイリッシュで豪奢な空間は、背伸びをしてでも一度は訪れてみたい。
物が飾られ、そばに置かれた箱には、誰でも自由に試着できるファンシー・ドレスがいっぱいに詰まっている。お勧めドリンクを頼むと、出てきたのは大きなティー・ポットにカップ & ソーサー。ポットから注がれるのは、ウォッカ・ベースのオリジナル・カクテルだ。ユニークなバーで、秘密の時間を楽しもう。
ティーニ。マティーニ専用のトロリーが客席を回り、リクエストに合わせて調合してくれる。ベースとなるお酒と、風味を付けるビターとの組み合わせで、何種類ものオリジナル・マティーニができあがるという。ビターは自家製、氷は通常の10分の1の速さでゆっくりと溶ける特殊なものを使用している。特別な夜に、最高級の時間を過ごしてみたい。
のラム&コークも、ただのラム&コークとは大違い。「ロンサカパ23」という種のラムに、自家製のコーラ、そこにオレンジ・ビターが加わって、深い味わいのカクテルであるのはもちろんのこと、なんとガラスのフラスコに入り、もくもくとあふれ出すドライアイスの煙とともに頂くという洒落た演出付きだ。日曜にはジャズ・ピアノの生演奏も。
の美しいカクテルは、リンゴの蒸留酒カルバドスとアプリコット・ブランデーのほどよい甘さが女性に好評。ビーカーにフレッシュ・フルーツを次々と搾り、ビフィータ・ジンやソーダとステアする「サマー・ジン・パンチ」は、ドライ・ジンとさわやかなフルーツの爽快感が絶妙で、季節を問わず人気がある。ゆったりとしたロマンティックな店内で、恋人たちの時間を過ごすのはいかが。






世界最古の楽器の一つとされる笙。日本の宮廷音楽、雅楽の中で脈々と受け継がれてきたこの楽器を世界に知らしめた第一人者、宮田まゆみ。ヨーロッパの前衛音楽シーンでも注目を集める宮田が、「ロンドン・シンフォニエッタ」とともに、伝統的な雅楽に加え、武満徹など著名な現代作曲家の作品を演奏する。
Tradition & Exploration:


1949年生まれ。イングランド北東部ノーサンバーランド在住。同北西部リバプールで薬局を営む父親の下に生まれる。ダラム大学でビジネスを学んだ後、検眼士として働き始める。同北東部タインサイドでメガネ屋のチェーン店を展開。その後、店舗を売却して不動産開発業者となる。主に同北部、北東部でオフィス・ビルの開発を行っていたが、1999年、ロンドンのキングス・クロス地域の倉庫ビルを購入。2008年、同地にオフィスとアートの複合施設、キングス・プレイスをオープンさせた。





















1939年3月29日、ロンドン西部生まれ。10歳で柔道を始める。15歳で学校教育を終えた後、電気技師として働く。18歳から2年間、軍隊に入隊。20歳で結婚。26歳のときにロンドン最古の剣道道場「念力道場」に通い始め、68年にミドルセックスで新たな道場(後の「無名士」道場)を設立する。これまで数多くの国際大会に出場。74年には欧州剣道選手権で団体1位、79年の世界剣道選手権では団体5位に入賞している。99年、7段位を取得。





大好きなシェフの、自慢のデザートなのだそう。
ないこだわりなのだとか。1階部分ではカジュアルな、けれども心のこもったパブ料理が、2階ではバラエティー豊かなダイニング・メニューが楽しめる。
ニオン・スープは、ずっしりとした食べ応えがあるふくよかな味。パブに居ながらフレンチ・ブラッスリーにいる気分が味わえる場所だ。
に挟まれたトフィー・アイスクリームを。何を試しても、これぞグルメと納得のオリジナル料理がそろう。
ハーフォード牛をメインに、低高温を巧みに使い分け、3度に分けて揚げたチップスと、付け合わせにまでこだわった、確かなホスピタリティーを感じる一皿だ。
絶たないのだとか。マスタードの入ったマッシュ・ポテトも、パイのお供にぴったりだ。また、できるだけ多くのメニューにオーガニック食材を取り入れているとのこと。ほっこり温まるにはぴったりの、落ち着いた空間だ。
フィッシュ・シチューなどシーフードが中心だが、マッシュ・ソーセージやステーキなどの肉類も。メイン・コースの一部は月~金曜までの日替わりで、デザートには、アッ プル・シュトゥルーデルにジンジャー・アイスクリームなど、季節にぴったりのメニューがそろう。この冬は、アイリッシュ・フードで温まってみては? 
きるサンデー・ローストが大人気。大きなロースト・ビーフを家族に切り分けるお父さんたちが何とも微笑ましい。子供も犬も大歓迎のパブなので、ぜひ家族そろってどうぞ。 
が並ぶ。またこちらでは、フランスのワイン畑に足を運んで、様々な料理に合うオリジナルのワインをプロデュースしている。軽すぎず、そして深すぎない口当たりの良い味、ぜひ食事のお供に。

1. 商店の看板が出せない
2. パラボラ・アンテナが 付けられない
3. オフィスに冷房を設置できない
4. テラスを設置することができない
5. 内装工事さえも禁止された
6. セント・ポール大聖堂の見晴らしを妨げてはならない





魅力はやはり、音の美しさですね。チェロの音色は、どこか人間の声に似ている気がします。そして音楽の持つ力。悲しいときに音楽を聴けば落ち着き、苦しい状況のときに聴くと希望がわきます。
「どうも、はじめまして。石坂です」── インタビュー前、そう言いながら満面の笑みを投げ掛けてくれた石坂さん。若き偉才チェリストとして世界が注目する音楽家の気さくさに、緊張で凝り固まっていた体が一気にほぐれた。終始和やかに進んだインタビューだが、投げ掛けた質問すべてに予想通りの回答が返ってきたわけではない。音楽家として悩める姿も包み隠さず言葉にするのだ。褒め称えられる彼の技量・才能は、そんな音楽に対するひたむきで誠実な姿勢に裏付けられているものだと確信した。この先の道のりも決して平坦ではないかもしれない。しかし、音楽への揺るぎない情熱を強力な味方に、彼はこれからも弦を弾き続けるだろう。






