独断時評


がんばれ日本

今われわれが目撃している悲劇を、どのように表現したら良いのだろうか。3月11日に東北・関東地方の広い範囲を大地震が襲い、部分的に10メートルを超える高い津波が岩手、宮城、福島などの沿岸部に壊滅的な打撃を与えた。マグニチュード9.0という地震は、日本はもちろん世界でもほとんど例がない。

地震発生からわずか10分足らずで、津波が沿岸を襲った。民家や船、車を押し流し、町や村を飲み込んだ。自然の脅威に戦慄するしかない。

この原稿を書いている16日に警察庁が発表した死者の数は3676人だが、1万人を超える人々が行方不明になっている。住民の半分以上の安否がわからない町もある。菅首相が東日本大震災を「第2次世界大戦後、最大の危機だ」と呼んだことは、誇張ではない。今この瞬間にも、道路が寸断されているために救援物資が届かず、厳しい寒さの中で孤立している人々がいる。被災者たちは、断続的に続く余震におびえながら、避難所で不便な生活を強いられている。被災地の皆様には、心からお見舞いを申し上げる。水や食料、医薬品が一刻も早く被災者の方々に届けられることを切望する。

読者の皆様の中にも、日本の家族や友人について心配されている方も多いだろう。心からお見舞い申し上げたい。

今、世界中の目が日本に集まっている。被災地でパニックや略奪が起こらず、人々が譲り合いの姿勢を忘れず、秩序立った行動を取っていることに、欧米では感嘆の声も上がっている。ドイツ人の関心も高い。東日本大震災は、 新聞やテレビでも連日トップニュースとして扱われている。私は20年前からドイツに住んでいるが、日本がこれだけ集中的に取り上げられたことは、過去20年間に1度もなかった。

ドイツ人が特に衝撃を受けているのが、福島原発の事故である。この国では、1986年にソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故のために、ドイツの土壌や食料が放射能で汚染されたことの記憶が生々しい。さらにドイツでは原子力について批判的な市民が多い。このため、「世界で最も安全」と考えられていた日本の原子力発電所で3つの原子炉が炉心溶融を起こし、テレビカメラの前で建物の一部が水素爆発によって吹き飛ぶ映像を見て、強いショックを受けているのだ。さらに使用済み核燃料を貯蔵しているプールでも、冷却水が減ったために燃料が過熱し、火災が発生している。核燃料の過熱を防ぐための三重の安全機構が、地震と津波によって作動しなかった。全く想定されていなかった事態である。

IAEA(国際原子力機関)は、原子力関連の事故の深刻さを表わす国際原子力事象評価尺度(INES)という基準を使っている。今回の事故は7段階の内、2番目に深刻な「6」にあたると海外では推定されている(日本の見解は「5」)。すでに米国のスリーマイル島の事故「5」を上回る深刻さである。ドイツ政府は、この事故を重く見て原子炉の稼動年数の延長を3カ月にわたって凍結し、原発の一斉点検を命じた。

地震、津波、原発事故の3つが重なったケースは、これまで世界で1度も起きたことがない。福島原発では、電力会社の技術者や消防士、自衛隊員らが被害の拡大を防ぐために、被爆や爆発の危険を顧みず命がけで作業を行っている。福島原発の状況が一刻も早く安定化されることを、心から祈っている。「がんばれ日本」と声を大にして叫びたい。

25 März 2011 Nr. 860

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

グッテンベルク・落ちた偶像

2009年に、彗星のごとくドイツ政界の表舞台に登場したグッテンベルク氏は、ハンサムな容貌とさわやかな弁舌、貴族の血筋で人々を魅了し、この国で最も人気のある政治家の座に駆け上った。その人物が今年3月、博士論文の盗用の責任を取り、国防相ばかりでなく連邦議会議員まで辞職した。本人は世間の追及を避けてフランケン地方の居城に閉じこもってしまったが、異例のスキャンダルの余震は、今もドイツ社会を揺さぶっている。

裕福な貴族の家庭に生まれた彼は「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」、つまり要領よく生きる男であることを自認していた。

グッテンベルク氏は、子どもの頃から人前で話をするのが非常に上手かった。12歳くらいの時から家庭内のパーティーや家族企業の催しなどで、物おじせずに堂々とミニ・スピーチをすることができた。私は昨年バイエルン州で行なわれた政治講演会で、彼が話し始めて数分間で聴衆の心をつかむのを目撃した。その話術を、彼は子どもの頃にすでに体得していたのだ。政治家にとって重要な資質の1つを備えた人物なのである。

その代わり、彼は1つのテーマの細部にこだわり、時間を掛けてこつこつと仕事をするのが不得意だった。1993年にバイロイト大学で法律を学び始めたが、第1次国家試験の成績は「befriedigend(可)」と冴えなかった。グッテンベルク氏は第2次国家試験も、司法修習も受けていない。これでは弁護士として働くことはできない。職業資格ゼロというのは、貴族の家庭では不名誉である。この欠点をカバーするには、博士論文を書くのが手っ取り早い。グッテンベルク氏は、そのために7年も掛けてコピー&ペーストで論文を書き、ドクターの称号を手にしたのだ。ここにも「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」という彼の人生哲学がにじみ出ている。

グッテンベルク氏の人気が高かった理由の1つは、彼が「真面目さ、真剣さ、潔さ」を売り物にしたことだ。多くの有権者は、「大半の政治家はこうした資質を持っていない」と考えて政治に飽き飽きしていたからだ。庶民は、グッテンベルク氏がそうした性格を持っていると信じ、「連邦首相になってほしい」とまで望んだ。だが今回の論文盗用事件で、グッテンベルク氏は馬脚を現した。

ブレーメン大学の教授が最初に盗用の疑いを指摘した時、彼は「ばかげたことだ」と疑惑を一蹴した。その発言は2週間でどんどん弱まり、最後は責任を認めざるを得なくなった。特に引用先を明らかにして博士論文を書き、ドクターの称号を取った市民たちからは、国防相や議員の座にしがみつくグッテンベルク氏の態度に対して、怒りの声が強まった。人々は、この貴族が「真面目さ、真剣さ、潔さ」という資質を欠いていたことに気付いたのである。その意味でグッテンベルク氏に辞職以外の道はなかった。今回のスキャンダルは、ドイツ政界の人材不足をも象徴している。英語で言うポリティシャン(政治屋)は多いが、真に国家の将来を考えるステーツマン(政治家)が不足しているのだ。

それでも一部の市民は、グッテンベルク氏に強い「愛情」を抱いており、カムバックを切望している。ドイツには、「ブンテ」などの女性誌の表紙をポートレートが飾る政治家は、グッテンベルク氏を除くとこれまでほとんどいなかった。庶民は、常にスターを求めている。彼がいつの日か「みそぎ」を済ませて、政界に復帰しても全く不思議ではない。

18 März 2011 Nr. 859

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

アラブの激震とドイツ

現在アラブ諸国を揺さぶっている一連の市民革命は、ここ数十年間で国際社会に最も大きな影響を与える出来事である。チュニジアに端を発した抗議デモの嵐はエジプトを巻き込み、30年間にわたって同国を支配したムバラク大統領を倒した。

さらにこの地震の衝撃波は、40年以上にわたって権力を独り占めにしてきたリビアのカダフィ大佐の足元にも及んだ。すでに同国の東部は反体制派の手中に落ち、カダフィ氏は孤立しつつある。しかし彼は、戦闘機やアフリカ諸国から集めた傭兵を使って反体制勢力を攻撃させており、国際社会から厳しく糾弾されている。リビアでは現在、外国の報道機関が取材を禁止されているため、市民にどれだけの死傷者が出ているかについて確かな情報がない。しかしリビアが事実上の内乱状態に陥ったことは、独裁者が権力に執着した場合に市民に大きな犠牲が出ることを浮き彫りにした。

今回のアラブ革命のユニークな特徴は、これまで支配者への市民の反抗についてほとんど外部に報道されていなかった国にまで、抗議行動が急速に広がっていることだ。たとえば市民のデモはバーレーンやオマーン、ヨルダンなどでも起きている。チュニジアとエジプトの市民が独裁者を倒したことはほかの国々の市民を勇気付け、抗議行動が燎原(りょうげん)の火のようにアラブ世界に広がりつつあるのだ。

ドイツ人の間には、1989年のベルリンの壁崩壊や、その後ソ連の解体につながった中・東欧諸国の連鎖革命を思い出す人も多い。市民のパワーによって独裁者が次々に倒れていくドミノ現象は、確かに22年前に社会主義圏を襲った激震を想起させる。

今回のアラブ革命は、欧米諸国に対して、アラブ世界に対する見方を大きく修正することを迫っている。これまで我々はアラブ世界を「イスラム原理主義勢力」と、「宗教的な要素が薄い勢力」という二元論で見る傾向が強かった。しかしチュニジアとエジプトの革命は、アラブ社会を宗教という眼鏡だけで見ることは間違いであり、これらの国々にも民主主義を求めるリベラルな市民勢力が育ちつつあることをはっきりと示したのである。

独裁者が退陣し、市民が自由を謳歌することは喜ばしい。しかもチュニジアやエジプトの革命で原動力となったのは、自由を求める市民の渇望であり、モスレム同胞団などのイスラム過激勢力は主導的な役割を果たさなかった。

しかしすべての革命がそうであるように、社会が今後どのような方向に進むかは未知数だ。欧米諸国の政府は、エジプトなどの国々で将来イスラム原理主義者など、欧米に批判的な勢力が政府に加わることを最も警戒している。たとえばイランでは革命でパーレビ国王の独裁政権が倒れた後、イスラム神権国家が誕生し、西側との対決姿勢を強めてしまった。

特にドイツを含む欧米諸国の政府にとっては、石油の重要な供給源であるサウジアラビアに革命が飛び火するかどうかが大きな焦点である。リビアの混乱のため、すでに原油価格が高騰し始めている。ドイツは長年にわたってアラブ諸国と密接な経済関係を持っている。これらの国で市民が自由を享受し、安定した民主主義体制が根付くだけでなく、新政権が外交、貿易などすべての面で他国と安定した関係を続ければ、今回の連鎖革命はアラブ世界だけでなく、欧米諸国にも果実をもたらすことになるだろう。だが一歩間違えば、欧米の苦悩を深める勢力が台頭する可能性もある。今後の事態の展開から、目を離せない。

11 März 2011 Nr. 858

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

グッテンベルク・最大の試練

ドイツで最も人気の高かった政治家、カール=テオドール・ツー・グッテンベルク国防大臣の華々しい経歴に黒い影が落ちた。グッテンベルク氏は2006年に書いた学位論文に他人の文章を多数使いながら、引用の事実を脚注として明記していなかった。彼は2月21日に「重大な過ち」を犯したことを認め、バイロイト大学から授与されたドクターの称号を返却したのである。

彼の論文盗用問題に関するインターネットのフォーラムGuttenPlag Wikiは、「393ページの内270ページに、出典が明記されていない文章がある」と主張している。これまでいくつかの試練を難なく乗り越えてきたグッテンベルク大臣だが、今回は自らの責任を認めざるを得なかった。

なぜ無断引用がこれほど大きな問題になったのか。それは、グッテンベルク氏がキリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首はおろか、メルケル首相をもしのぐ人気を持つ政界のスターだったからである。貴族の血筋、39歳の若さ、裕福な家庭、ハンサムで細身のスタイル、とんとん拍子の出世、オペル救済問題で示した地位に固執しない潔さ。庶民の心をくすぐる資質と、ドイツには珍しいカリスマ性を持った政治家だ。普段、政治には全く興味を示さない若いドイツ人たちも、「グッテンベルク」の名前を聞くと強い関心を示し「ぜひ、首相になってほしい」などと言っていた。

私は昨年、バイエルン州のトゥッツィングでグッテンベルク氏の演説を聞いたが、彼がビール祭の会場に到着すると、テント内の聴衆は総立ちで拍手を送った。まるでマイケル・ジャクソンがやって来たかのような熱狂ぶりである。この人物は、いつの日にか連邦政府の首相になるのではないかと思った。CSUのある政治家は、「演説の内容自体は、ほかの政治家と大して変わりないのだが、グッテンベルク氏が話すと聴衆にうけるのだ」と語っていた。

数年前アフガニスタンでドイツ人将校が命じた空爆によって、民間人に多数の死傷者が出た。国防省はそのことを知っていたのに、初めの内「死亡したのはテロリストだけ」と発表していた。この事実をマスコミがすっぱ抜いた時に、国防大臣になったばかりのグッテンベルク氏は「連邦軍の総監が全ての事実を私に伝えていなかった」として総監を解任。議会で野党から一時追及されたが、この問題はいつの間にか世間から注目されなくなった。またグッテンベルク氏はアフガニスタンに駐留しているドイツ軍の兵士を訪問した際に、妻だけでなくテレビ番組の司会者も連れて行き、連邦軍の基地でトークショーの収録をさせたことがある。この時にも野党は「不謹慎だ」と批判したが、その声は立ち消えになった。経歴に傷が付かなかったのは、グッテンベルク氏に対する圧倒的な人気のためである。

だが今回のスキャンダルは、彼の名声と信用性に深い傷を付けた。彼に対する支持率が下がることは避けられないだろう。CSUのゼーホーファー党首は、ライバルが世間の袋叩きになっていることで、秘かに喜んでいるに違いない。

しかしドイツの庶民は、グッテンベルク氏を愛している。ある大衆紙は「ドクターの称号なんてどうでも良い。我々の好きな政治家をいじめるな」という見出しを使っていた。彼は当分の間、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の暮らしを送らなくてはならないが、39歳と言う年齢を考えると、彼がいつの日か政治家としての人気を回復する可能性は、全くゼロとは言えない。

4 März 2011 Nr. 857

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:35
 

連銀総裁・辞任の衝撃

2月11日、ユーロの安定性にとって悪いニュースが、欧州を駆け抜けた。ドイツ連邦銀行のアクセル・ヴェーバー総裁が任期半ばにして辞任することを発表したのである。彼は、欧州中央銀行(ECB)の次期総裁になることがほぼ確実視されていた。本稿を書いている2月中旬の時点では、後釜はまだ決まっていない。

欧州の通貨政策の重鎮が、まるで洋服を脱ぎ捨てるかのように突然総裁の座を投げ出すのは極めて異例である。しかもその辞め方は、連銀総裁という政治的な要職を持つ人物としては、気配りを欠いたものだった。メルケル首相は、ヴェーバー氏をECBの総裁にするために強力に後押ししていた。それにもかかわらず、メルケル氏は辞任の意向をヴェーバー氏から事前に知らされていなかった。このことは、メルケル首相の指導力・影響力の弱さを改めて浮き彫りにするエピソードだ。首相は飼い犬に手を噛まれた心境に違いない。

ECB総裁はユーロ圏の通貨政策の最高責任者であり、国際的にも影響力のあるポストだ。なぜヴェーバー氏は、そのような要職に就く道を自ら閉ざしたのだろうか。その原因は、昨年5月のギリシャの公的債務危機の際に、EUとECBが示した態度にある。公的債務の額についてEUに嘘の報告をしていたギリシャは、信用格付けを引き下げられた。このためギリシャの国債価格は暴落し、同国政府は国際金融市場でさらにお金を借りることが困難になった。つまりギリシャは破たんの瀬戸際に追い詰められたのである。

この時EUは、「ユーロ圏加盟国は他国の債務の肩代わりをしてはならない」というリスボン条約の規定を破って、ギリシャの破たんを防ぐために巨額の緊急融資を実施した。これだけでも、ユーロの信用性、安定性にとっては重大な背信である。

さらに経済学者らを驚かせたのは、ECBがギリシャ国債の暴落を防ぐために、同国の国債を買い取り始めたことである。この時ヴェーバー氏は、ECBの会議でギリシャ国債の買い取りについて真っ向から反対した。ECBは本来、政治から独立していなくてはならない。だがECBが政界の意向を受けて信用格付けの低い国債を買い支えることは、ECBの原則に反する。さらにギリシャが将来借金を返せなくなった場合、ECBが多額の損失を抱える危険もある。

ヴェーバー氏は、ECBの信用性に傷が付くことを恐れて、国債買い取りを批判したのである。

しかし当時、メルケル首相をはじめ、各国の政府首脳や通貨政策担当者の中でヴェーバー氏の主張に耳を傾ける者はいなかった。EUは、ギリシャを破たんから救うことを最優先させていたからである。ヴェーバー氏は、辞任の理由について「私は欧州の通貨政策をめぐる議論の中で孤立していた」と語っており、自分の主張が無視されたことが、今回の辞任劇の原因の1つだと指摘している。

現在、欧州にはインフレの兆候がある。インフレは通貨の価値を低くし、市民の購買力を減らす。ヴェーバー氏は、現在ECBの総裁であるトリシェ氏と比べて、ユーロの長期的な信用性と安定性をより重視し、インフレを防ぐ政策を取るものと期待されていた。第1次世界大戦後の超インフレで通貨を破壊された経験を持つドイツ人は、インフレに強い不安を抱く。多くのドイツ市民は、ヴェーバー氏の降板に深く失望しているに違いない。

25 Februar 2011 Nr. 856

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:35
 

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