独断時評


未曽有の製造業危機からドイツはどう脱出するのか

ドイツの製造業を襲いつつある危機は、日に日に深刻化している。特にこの重要な時期にショルツ政権が連邦議会で議席の過半数を失い、強い指導力を発揮できないことは、製造業界の懸念を深めている。

11月20日記者会見した、IGメタルのトルステン・グレーガー氏(左)とVW事業所評議会のダニエラ・カヴァッロ議長(右)11月20日記者会見した、IGメタルのトルステン・グレーガー氏(左)とVW事業所評議会のダニエラ・カヴァッロ議長(右)

独自動車業界は「炎上中」

ドイツのある経済記者は、現在の自動車業界の状況を「Es brennt lichterloh」(炎上中)と形容した。フォルクスワーゲン(VW)の経営陣は、国内10カ所の工場のうち少なくとも3カ所を閉鎖し、数万人の従業員を解雇して全従業員の賃金を10%減らすという、大規模なリストラを計画している。国内の乗用車部門の営業利益率を2.3%から6.5%に引き上げるためだ。

これに対し、全金属労組(IGメタル)とVWの事業所評議会は、工場閉鎖や解雇を防ぐために、11月20日に経営側に経費削減のための提案を行った。労組は、「VWの自社賃金協定よりも低いIGメタルの賃金協定を受け入れ、約5%の賃上げ分を基金に振り込む。生産能力が過剰な工場を、この基金から支援する。取締役のボーナスや株主の配当の一部も基金に振り込み、経費を15億ユーロ(2400億円・1ユーロ=160円換算)を減らす」と発表した。

だが経営側は、「価格競争力を高めるためには経費を約100億ユーロ(1兆6000億円)減らす必要があり、工場閉鎖は避けられない」という姿勢を変えていない。このため労組側は、12月にストライキに突入する公算が強い。VWの従業員の間では、「路頭に迷うのではないか」という不安が強まっている。

他業種にも飛び火

自動車業界の危機は、他企業にも飛び火しつつある。11月21日にはフォードが欧州で従業員数を4000人削減すると発表したが、そのうち2900人はケルンの工場で減らされる。理由は、BEV(電池だけを使う電気自動車)の売れ行きの不振である。昨年12月にショルツ政権が、BEVの購入補助金を突然廃止して以来、販売台数が低迷している。

さらに事態が深刻なのが、サプライヤーである。今年7月には自動車部品業界の老舗ZFが従業員数を最高1万4000人減らすと発表。同社は「内燃機関の車の部品への需要が減っているほか、新設したBEV用部品の工場でも稼働率が十分ではないため」と説明している。11月22日には世界最大の自動車部品メーカー、ボッシュが世界全体で従業員数を5550人減らし、そのうちドイツでは3800人削減すると発表した。

ドイツ自動車工業会(VDA)は、10月29日に公表した研究報告書の中で、「BEVシフトのために、ドイツの自動車業界の就業者の数は、2023年の91万1000人から、2035年には76万7000人に減る」という悲観的な予測を明らかにした。14万4000人、つまり約15%が今の職を失うことになる。

自動車業界が強く懸念しているのは、米大統領選挙でトランプ氏が圧勝したことだ。彼は選挙戦の期間中に、「世界からの輸入品に10~20%の関税をかける」と発言。同氏がドイツからの自動車に関税をかけた場合、自動車業界は強い打撃を受ける。また欧州連合(EU)は10月30日に中国からのBEVに追加関税を導入した。貿易戦争は、産業界が最も恐れている事態だ。

自動車業界の不振は、他業種にも悪影響を与える。大手鉄鋼メーカーのテュッセンクルップは11月25日、2万7000人の従業員のうち、1万1000人を削減、または別会社に分離する方針を発表した。また世界最大の化学メーカーBASFも、ルードヴィヒスハーフェン本社工場での業績悪化のために、従業員削減を計画している。両社の不振の一因は、自動車の販売台数の下落によって、素材への需要が減ったことだ。

また、商工会議所が今年8月に発表した調査結果によると、従業員500人以上の企業の51%が「エネルギー費用が高すぎるので、ドイツでの生産を減らすか、工場の国外移転を考えている」と答えた。連邦労働局によると、今年10月時点の失業者数は約279万人だが、来年には300万人を超える可能性がある。

1990年代の製造業界危機との違い

製造業界の危機というと、1995~2005年にドイツを襲った不況で一時失業者数が480万人に達した事態が思い出される。当時はシュレーダー首相が「アゲンダ2010」という社会保障・労働市場改革を断行し、企業の社会保障費負担を減らすことなどによって、価格競争力を回復させた。失業者数は半減し、2010年以降ドイツの製造業界は活況にわいた。

だが今回の製造業危機は、当時よりも深刻だ。その理由は、(1)製造業界がエネルギー転換の必要がある、(2)電力と天然ガスの価格が米国や中国に比べて大幅に高い、(3)ショルツ政権が政治の遂行能力を事実上失っている、(4)昨年の違憲判決以降、政府が財政難である、(5)ロシアの脅威を抑止するために政府が防衛予算を大幅に増やす必要があることなどである。

さらに現在は政治状況が当時と大きく異なる。ドイツのための選択肢(AfD)とザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(BSW)という過激政党への支持率が旧東ドイツを中心に高まっている。政府がアゲンダ2010のような、市民に痛みをもたらす改革を行った場合、過激政党への支持率がさらに増える危険がある。来年2月の連邦議会選挙ではキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が勝ち、CDUのメルツ党首が首相に就任する可能性が強いが、彼にとっても製造業界を危機から脱出させるのは容易なことではない。

最終更新 Donnerstag, 05 Dezember 2024 11:43
 

フォルクスワーゲンは競争力を回復できるか?

トヨタに次ぐ世界第2位の自動車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)グループが大規模なリストラに踏み切る方針を打ち出した。「VWはタブーを破った」という批判もある。労働組合は強く反発している。

9月4日、ヴォルフスブルクのVW本社会議に参加するオリバー・ブルーメ社長(左)9月4日、ヴォルフスブルクのVW本社会議に参加するオリバー・ブルーメ社長(左)

国内の工場閉鎖の可能性も

「自動車産業を取り巻く環境は大きく変わった。情勢は極めて厳しい」。9月2日にVWグループのオリバー・ブルーメ社長が打ち出した方針は、同社の従業員だけではなく、ドイツの政界、経済界にも強い衝撃を与えた。同社は「車の販売台数減少のために、ドイツで生産能力が過剰になっており、1~2カ所の工場が余分だ。国内工場の一部閉鎖や、従業員の解雇も辞さない」と発表した。1937年創設以来、国内工場が閉鎖されたことは一度もない。

ドイツのVW社員は、事業所評議会(企業内組合)が1994年に経営側と結んだ雇用保証協定によって解雇から守られていた。この協定は2029年まで続く予定だったが、今回経営側はこの合意を破棄。経営側は来年7月から社員を解雇できる。VWグループは、全世界で約68万人を雇用。国内10カ所の工場で約12万人、約6万人がヴォルフスブルクの本社工場で働く。

事業所評議会は、「工場閉鎖と解雇には断固反対する。状況悪化の原因は、経営陣が割安なBEV(電池だけを使う電気自動車)の開発に遅れたことだ」と強く反発した。同氏は「リストラ案を撤回させるために、12月以降ストライキも視野に入れる」と述べており、全面対決の様相が深まっている。

VW乗用車部門の低利益率が焦点

なぜVWはこれほど厳しい措置に踏み切るのか。最大の原因は、VW乗用車部門の収益性の低さである。VWグループは2023年に全世界で約936万台の車を売った。そのうち、コアブランドが約483万台で、約52%を占める。しかしコアブランドの販売台数の半分以上を占めるVW乗用車部門の今年上半期の営業利益率(営業利益の売上高に対する比率)は、わずか2.3%だった。これはポルシェの15.7%、シュコダの8.4%、アウディの6.4%に比べて大幅に低い。つまりVWグループのフラッグシップ(旗艦)ともいうべき部門の利益率が、際立って低いのだ。経営陣は今回の改革によって、VW乗用車部門の利益率を2.3%から6.5%に引き上げることを目指す。

VW乗用車部門の利益率が低い理由は、人件費の高さや、昨年ドイツ政府が購入補助金を廃止したために、BEVの国内販売台数が低迷していることだ。BEV市場は二酸化炭素削減という政策に基づいて、人工的に作られた。しかもBEVに使われる電池の大半は、中国からの輸入だ。このためBEVの価格は内燃機関の車よりも約30%高いので、政府の補助金なしには普及が難しい。ショルツ政権が財政難のあおりを受けて補助金を廃止したことは、BEVに注力してきたVWにとっては、はしごを外されたことを意味する。

連邦自動車局によると、昨年12月に新規登録されたBEVの台数は5万4654台だったが、今年1月にはほぼ半減。今年8月のBEVの新規登録台数は、前年同期比で69%も減った。VWは国内10カ所の工場のうち、エムデンとツヴィッカウの2工場をBEVだけを組み立てる工場に改修したが、BEV不振のため工場の稼働率が低い。ドイツの自動車業界は、過去数年間にBEV普及を見込んで数十億ユーロの費用を投じたが、生産能力のだぶつきが生じている。

中国事業の不振も逆風に

もう一つVWを苦境に追い込んでいるのが、同社にとって世界で最も重要な市場の一つである中国事業の不振だ。VWグループにとって、中国での販売台数は約33%を占める。だが2023年度業績報告書によると、同グループが中国で売った車の台数は、2022年から2023年にかけて5万7000台減った。

ドイツの経済日刊紙ハンデルスブラットは、今年8月16日付電子版で、「2020年からの4年間で、VWグループの中国での販売台数は43万台減った。VWグループの中国でのマーケットシェアは、19%から14%に減った」と報じた。同氏は「逆に中国メーカーのマーケットシェアは2020年の33%から、2024年6月には52%に増加した」と指摘している。VWは中国でのマーケットシェアにおいて長年首位を占めたが、2023年の第1四半期に、中国の自動車大手であるBYDにその地位を奪われた。

その原因は、VWが中国メーカーに対抗できる魅力的なBEVの開発に遅れたためだ。中国では、メーカーの間でBEVの激しい値引き合戦が起きており、欧州とは違ってBEVの方が内燃機関の車よりも価格が安い。VWのアルノ・アントリッツ取締役は、「これまでは中国からの黒字で、ドイツの低い収益率をカバーすることができた。だが中国でのわが社のマーケットシェアが減り、もはや中国からの黒字でカバーすることはできない」と述べている。

ドイツ政府は、VWに対する支援策を現在協議中だ。内燃機関の車を廃車にしてBEVを買うと6000ユーロの補助金がもらえる制度や、産業用電力料金の上限設定などの提案が出されている。だが政府の補助金は、急場しのぎのカンフル注射にすぎない。割安で魅力ある製品を開発して国際競争力を高めるには、VWが体質を改善する必要がある。VWが改革に成功するかどうかは、高い人件費やエネルギー費用に悩むドイツの製造業全体にとっても、重要な試金石になりそうだ。

最終更新 Donnerstag, 31 Oktober 2024 11:11
 

極右・極左躍進の背景にショルツ政権への強い不満

9月1日にテューリンゲン州とザクセン州、同22日にブランデンブルク州で行われた州議会選挙で、極右・極左政党が高い得票率を獲得したことは、市民の連邦政府への不満と怒りが強まっていることを示した。

9月23日、記者会会見に臨んだAfD共同党首のティノ・チュルパラ氏(左から2番目)とアリス・ヴァイデル氏(同3番目)9月23日、記者会会見に臨んだAfD共同党首のティノ・チュルパラ氏(左から2番目)とアリス・ヴァイデル氏(同3番目)

初めて極右政党が州議会選挙で首位に

今回の結果は、米国や英国、フランスなどで起きているポピュリズム勢力の拡大と社会の分断がドイツにも到達したことを示す。この傾向が最も極端に現れたのは、テューリンゲン州だ。極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)は、得票率を前回(2019年)の選挙に比べて9.4ポイント増やした。同党は32.8%の得票率を確保し、首位を占めた。ドイツの州議会選挙で極右政党が首位に立ったのは初めてだ。

AfDテューリンゲン支部は、同州の憲法擁護庁から「過激団体」として監視されている。同党筆頭候補のビョルン・ヘッケ氏は、ナチス突撃隊のスローガンを演説中に使ったために、国民扇動罪で有罪判決を受けた。AfDは過激な排外主義を標ぼうし、ユーロ廃止やドイツの欧州連合(EU)脱退などを求めている。それにもかかわらず、州の有権者のほぼ3人に1人がこの党に票を投じた。ドイツのユダヤ人団体は、「多くの市民が、あえて民主主義を否定する政党を選んだ。この国にとって破局的な事態だ」と衝撃をあらわにした。

さらに、今年1月に結党したばかりの極左政党「ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟」(BSW)も、15.8%の得票率を確保し、第3位になった。BSWは親ロシア政党で、やはりショルツ政権とEUに対して批判的だ。つまりテューリンゲン州では、現在の政治・経済体制に批判的な過激政党が有権者のほぼ半数の心をつかんだ。逆に、緑の党と自由民主党(FDP)は、得票率が5%に達しなかったため、州議会での議席を失った。オラフ・ショルツ首相の社会民主党(SPD)はかろうじて州議会にとどまったが、得票率は6.1%とAfDの約5分の1にすぎない。

ショルツ政権への不満が過激政党の追い風に

AfDとBSWが高い得票率を得た理由は、ショルツ政権の経済、財政、環境保護、難民政策に対する不満が、旧東独で特に強いからだ。今年8月にテューリンゲン州とザクセン州の有権者を対象に行われた世論調査では、回答者の3分の2が「今回の選挙では、連立与党三党を懲らしめる」と答えていた。つまり有権者は、ショルツ政権に「落第通知」を手渡したのだ。

ただし、AfDのテューリンゲン州での政権入りについては未知数だ。第2位の保守中道政党・キリスト教民主同盟(CDU)と社会民主党(SPD)、BSWは連立政権を組む方向で協議を続けている。だがCDU内部には、「ロシアの回し者であるBSWと連立してはならない」と反対の声もあり、連立交渉は難航すると予想される。その理由は、安全保障への見解の違いだ。BSWはドイツの対ウクライナ軍事支援と米軍の中距離ミサイルのドイツ配備に反対だが、CDUは賛成の立場を取る。CDUのフリードリヒ・メルツ党首は、「これらのテーマは譲れない一線」と述べている。

旧東独ザクセン州でも、AfDが得票率を前回に比べて3.1ポイント多い30.6%に引き上げた。BSWも初の選挙で11.8%の得票率を確保した。ただしザクセン州ではCDUが31.9%の得票率で首位を守り、SPDなどと連立して、AfDの政権参加を防ぐとみられている。

旧東独ブランデンブルク州でも、AfDは前回の選挙に比べて5.7ポイント多い29.2%の得票率を記録した。ただしこの州では、34年間にわたり政権に参加しているSPDが30.9%の得票率を確保して首位となった。これはディートマー・ヴォイトケ現州首相への個人的な人気が理由だ。BSWは同州で初めての選挙にもかかわらず13.5%という高得票率を獲得した。SPDはCDUやBSWと連立政権樹立の可能性を探る。

「過去との対決」は失敗したのか

AfD・BSWは共に外国人の受け入れに否定的だ。われわれ日本人にとっても懸念の種である。私が驚いたのは、テューリンゲン州の18~24歳の世代で、AfD支持率が38%とほかの世代よりも高くなっていることだ。ドイツ政府・経済・学界は第二次世界大戦後、若い世代にナチス・ドイツの犯罪について詳しく伝えてきた。若者は歴史教育の時間に、ナチスの非道さについて詳しく学ぶ。それにもかかわらず、旧東独では有権者のほぼ3人に1人がAfDを選んだ。AfDの幹部には、ナチスの犯罪を矮わいしょう小化する発言を行う者も少なくない。連邦政府に対する抗議とはいえ、これだけ多くの人がネオナチに近い政党を選ぶ現状を見ると、「ドイツの歴史教育は果たして成功したのだろうか」という疑問を抱かざるを得ない。

旧東独市民の間では、ドイツの民主主義制度に疑問を持つ者も少なくない。アレンスバッハ人口動態研究所が8月22日に公表した世論調査結果によると、「『政府からどう生きるべきかについて常に指図されている』と感じているか」という設問に対して、旧東独では63%が「そう思う」と回答。これは旧西独(53%)よりも10ポイント高い。また「民主主義は、見せかけだ。実際には国民に発言権はない」と答えた人は、旧東独では54%で、旧西独(27%)の2倍だった。

現在の連立与党は来年9月の連邦議会選挙で敗退する可能性が強い。現在支持率が35.5%でトップのキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は、メルツCDU党首を首相候補に擁立することを決めた。メルツ氏は、民主主義に失望したAfD・BSW支持者の信頼を回復することに成功するだろうか。

最終更新 Mittwoch, 02 Oktober 2024 13:41
 

ゾーリンゲンのテロと難民政策をめぐる激論

8月23日にノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州のゾーリンゲンで発生したシリア難民による無差別殺傷事件を巡り、政党間で激しい議論が行われている。

襲撃事件が発生した現場付近に花を捧げている人々襲撃事件が発生した現場付近に花を捧げている人々

テロ組織ISが犯行声明

この日ゾーリンゲンでは、「多様性のためのフェスティバル」と名付けられた650周年記念祭が行われていた。シリアからの亡命申請者イッサ・アル・H(26歳)は、街の広場にいた市民たちをナイフで次々に切りつけ、3人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。Hは翌日警察に自首して逮捕された。テロ組織イスラム国(IS)は、「われわれの戦士が、パレスチナなどのイスラム教徒の仇を討つために、ドイツでキリスト教徒を攻撃した」という犯行声明を発表。このためドイツ連邦検察庁は、ISの指示に基づく無差別テロの疑いがあるとして、Hを追及している。現場にはオーラフ・ショルツ首相やNRW州のヘンドリク・ヴュスト州首相らが訪れ、犠牲者に献花した。同住民だけではなく、全国の市民がこの惨劇に強い衝撃を受けている。

本来Hは、昨年ドイツから追放されているはずだった。そうした難民が国に居残り、市民の命を奪う。この不条理は、欧州連合(EU)の難民政策が機能していない証拠だ。Hはシリアからブルガリアに到着し、2022年12月に不法にドイツに入国した。EUのダブリン協定によると、難民は最初にEUに入域した国で、亡命申請を行わなくてはならない。しかし多くの難民は、社会保障が手厚いドイツで亡命を申請しようとする。入国管理当局はHのドイツでの亡命申請を却下し、ブルガリア政府もHの受け入れに同意。Hは2023年にブルガリアへ追放されるはずだった。しかしHが行方をくらましたため、入国管理当局は彼をブルガリアへ追放することができなかった。本来ならばドイツに違法に入国し、しかも逃亡した難民は、逮捕されて国外に追放されるはずである。

ところが奇妙なことに、入国管理当局はHを逮捕するために、警察を通じてHを全国に指名手配しなかった。さらに不思議なことに、Hは昨年12月に多くのシリア難民が受ける「仮の保護措置」を適用され、ゾーリンゲンの難民滞在施設に滞在することを許されていた。HとISの関連は、解明されていない。彼がドイツでテロを行うために、ブルガリア経由でこの国にやって来たのか、もしくはドイツにいる間にインターネットなどを通じてISの過激思想に感化されたのかどうかも明らかにされていない。

ドイツ政府は昨年、滞在資格がない5万3000人の外国人を国外追放するはずだったが、実際に追放されたのは2万1000人に留まった。外国人を移送する係員、警察官などが不足していることが一因だ。ドイツからの退去を義務付けられている外国人の数は、約24万人に上る。そのうち80%は、健康上の理由や人道的な理由により、強制退去を免れている。さらに、滞在法第60条の規定により、アフガニスタンとシリアからの外国人については、母国で拷問されたり死刑に処させられたり、戦争に巻き込まれたりする可能性がある場合には、送還を禁止されている。

保守政党は難民規定の厳格化を要求

政治家たちの間からは、難民規定を厳しくするよう求める声が相次いでいる。キリスト教民主同盟(CDU)のフリードリヒ・メルツ党首は、8月24日にドイツ第2テレビ(ZDF)のインタビューで、「シリアとアフガニスタンからの難民受け入れを停止するべきだ」と語った。しかし、ドイツは亡命申請権を憲法の中で保障している。シリアやアフガニスタンからの難民の受け入れを拒否することは、憲法違反だ。このためメルツ党首も、後日この発言を撤回した。

これまで難民受け入れについて最も否定的な態度を取ってきたのは、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)だ。AfDのアリス・ヴァイデル共同党首は、「実効性のない対策について議論している余裕はない。ドイツは5年間にわたり、亡命申請者の受け入れを停止するべきだ」と提案した。

AfDテューリンゲン州支部のビェルン・ヘッケ支部長は、ゾーリンゲン事件後に行なった演説の中で、「既成政党の政治家たちの難民政策は、ドイツを、ぬるま湯を浴びせられて溶ける石けんのように、小さくしてきた。AfDは、このぬるま湯を止める。ドイツにおける多文化に関する実験を中止しなくてはならない」と述べた。これに対しショルツ首相は、「ドイツに滞在する資格がない者を、これまでよりも早く退去させられるような態勢を整える」と発言したものの、憲法が定める亡命申請権の変更には反対した。

さらに、一部の政治家は公共の場にナイフを持ち込むことの禁止や、警察官が路上で市民の所持品の検査を行う権限を強化することを提案している。しかしテロ問題の専門家は、「ナイフに関する法律を厳しくしても、テロリストの犯行を完全に防ぐことはできない」とコメントしている。ドイツの論壇では、「ゾーリンゲンの事件は市民の難民政策に対する不満を増幅し、AfDにとって強い追い風になる」という見方が出ている。EUは今年5月に難民審査規定を大きく改訂した。将来は域内で亡命を申請した全ての外国人を周辺部の滞在施設に収容して、審査を行う。亡命資格のない外国人は、直ちに退去処分になる。しかし、この制度が本格的に始動するのは2026年以降だ。難民政策の機能不全は、極右を勢いづける。政府の迅速な対応を望む。

最終更新 Donnerstag, 05 September 2024 09:15
 

なぜドイツの名目GDPは日本を抜いたのか?

国際通貨基金(IMF)は、今年4月「2023年の日本の名目GDP(国内総生産)がドイツに抜かれた」と発表した。ドイツの2023年の名目GDPは4兆4574億ドルで、米国・中国に次いで第3位だった。日本は4兆2129億ドルで第4位に転落した。ドイツの2023年の名目GDPは、日本を5.8%上回った。

第7代連邦首相のゲアハルト・シュレーダー氏(2003年撮影)第7代連邦首相のゲアハルト・シュレーダー氏(2003年撮影)

インフレと円安だけが原因ではない

日本の多くのメディアは「ドイツのインフレと円安が主な原因」と報じた。確かにドイツ連邦統計局によると、2023年のドイツの消費者物価上昇率は前年比で5.9%だった。これに対して日本の2023年の消費者物価総合指数の上昇率は前年比で3.2%だ。さらにドイツの2023年の物価上昇率は、日本の1.8倍だった。名目GDPでは、実質GDPと違って物価上昇の影響が差し引かれていない。したがって物価が上昇すれば、財やサービスの合計である名目GDPも上昇する。

もう一つの理由は、円安だ。IMFの統計はドル建てである。日本銀行によると2023年の年初(1月4日)には、交換レートが1ドル=131.30円だったが、2023年の年末(12月29日)には1ドル=141.40円だった。この期間にドルに対する円の交換レートは、約6.6%減ったことになる。

一方この時期にユーロの交換レートは、ドルに対して下落しなかった。例えば2023年の年初(1月4日)には1ユーロ=1.0546ドルだったが、2023年の年末(12月29日)には1ユーロ=1.1066ドルだった。

過去30年間の成長率の違いも影響

だがドイツのインフレと円安だけが順位逆転の理由ではない。より重要な理由は、過去30年間の両国の成長率の違いだ。

経済協力開発機構(OECD)によると、日本の名目GDPは1970~1980年に201.8%増えた。ドイツの名目GDP成長率(159.4%)に大きく水をあけている。1980年の日本の名目GDPは1兆5050億ドルと、ドイツ(8148億ドル)の約1.3倍になった。1980~1990年の日本の名目GDP成長率もバブル景気の影響で134.1%と高くなり、ドイツ(89.6%)を上回っていた。1990年の日本の名目GDPは2兆4588億ドルと、ドイツ(1兆5450億ドル)のほぼ1.6倍だ。

だがバブル崩壊の影響で、日本の1990~2000年の名目GDP成長率(40.8%)は、ドイツ(44.8%)に追い抜かれた。2010~2020年のドイツの名目GDP成長率は51.2%だったが、日本の名目GDP成長率は18.4%とドイツの約3分の1だ。

2000~2020年までの日本の名目GDP成長率は70.3%だったが、ドイツは日本の2.1倍の149.6%だった。1990年代まで日独間で広がっていた名目GDPの差が、2010年代以降急激に縮まったのである。

シュレーダー氏の改革プログラムで成長率が改善

ドイツの名目GDP成長率は、2010年以降に伸びが目立つ。例えば2010~2020年のドイツの名目GDPの成長率は51.2%で、2000~2010年の42.4%を上回った。その一因は、1998~2005年まで首相を務めたゲアハルト・シュレーダー氏が断行した、労働市場・社会保障制度改革「アゲンダ2010」だった。

シュレーダー氏は、社会民主党(SPD)の政治家としては珍しく、経済界の重鎮たちと太いパイプを持っていた。彼は、企業経営者たちの「社会保険料などの労働費用を減らさないと、雇用を増やせない」という訴えに理解を示した。彼は2003年に連邦議会で「アゲンダ2010」の発動を宣言し、この国で最も大胆な労働市場・社会保障改革に踏み切った。

シュレーダー氏の「アゲンダ2010」はこの国の労働費用の伸び率を、ほかの欧州諸国に比べて抑え、企業競争力を引き上げた。欧州連合(EU)統計局によると、ギリシャの労働費用は2000~2010年に37.2%、フランスは22.7%伸び、加盟国も平均14.2%増えた。これに対して、ドイツの労働費用の2000~2010年の伸び率は5.8%に留まった。シュレーダー氏の改革は、労働費用の上昇率を抑制したのだ。2010年以降、ドイツの名目GDP成長率が上昇し、日本を追い上げた一因もこの改革にある。

生産性の違いも一因

労働生産性(1人の労働者が1時間に生み出すGDP)の違いも、ドイツが日本を追い抜いた原因の一つだ。OECDによると、2022年のドイツの労働生産性は68.6ドルで、日本(48.0ドル)よりも約43%高い。日本は、OECDの37カ国中第21位だった。これに対しドイツの労働生産性はOECDで第11位で、G7ではドイツの労働生産性は米国に次いで第2位である。自動車など一部の業種では、日本の労働生産性はドイツを上回っているとされるが、サービス業などあらゆる業種を含めると、ドイツに水をあけられている。

21世紀に入って日独の名目GDP成長率に差が生じ、ドイツが日本を追い上げていたところに、2023年のインフレ・円安が加わり、順位逆転につながった。だが、2023年のドイツの実質GDP成長率はマイナス0.3%で、G7で最低だった。IMFは、2027年にはドイツもインドに抜かれ、世界第4位になると予想している。高齢化と少子化が進み、就業人口の減少に悩む日独は、大幅なデジタル化などによって生産性を引き上げたり、高技能・高学歴移民を増やしたりしなければ、将来GDPの順位が下がっていく。日本もドイツも、さらなる努力が必要だ。

最終更新 Donnerstag, 01 August 2024 08:59
 

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