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Wed, 17 December 2025

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ブライトン・フェスティバルおすすめガイド

ブライトン・フェスティバルおすすめガイド

待ちに待ったエンタメの祭典「ブライトン・フェスティバル」の季節が、今年も到来!英国アート界の奥深さを存分に楽しめるような、ありとあらゆるジャンルのイベントが約3週間にわたって繰り広げられる。娯楽に飢えている人も、日常生活に欲求不満を感じている人も、迷わずブライトンへ!

ブライトン・フェスティバル・マップ

2009年の目玉はこれ
カプーア作品を見逃すべからず

今年で開催43回目を迎えるブライトン・フェスティバル。年々、規模も参加アーティストの幅も拡大しているこのフェスティバルだが、今年はなんと、世界のアート界を牽引する彫刻家アニッシュ・カプーアがゲスト・アーティスティック・ダイレクターとして名乗りを挙げた。フェスのために製作された2作品に加え、過去に世界各地で展示され大反響を得た5作品も特別展示されるというから、これを見逃してはもったいない!

アニッシュ・カプーア
1954年にインド中部のムンバイで生まれ、1970年代初期にアートを学ぶために来英。以来、ロンドンを拠点に活動し、その独創的かつ哲学的な思想に溢れる作品で現代彫刻界を先導する存在となっている。ベネチア・ビエンナーレの「2000年賞」(1990年)や、ターナー賞(1991年)など、多くの賞を受賞。英国を代表する芸術家としてその活躍が称えられ、2003年には大英勲章(CBE)を授与されている。

ブライトンフェスの発注作品

Map 1Imagined Monochrome (Massage)

1つのものを見ても、人が認識する色には多少なりとも個人差がある──この作品には、「色の体験」を他人と分かち合うというテーマが掲げられている。詳しい内容は明らかにされていないが、鑑賞者は頭にマッサージを受け、その際に見えるモノクロの世界を共有し合うという、なんとも実験的な試みが用意されているようだ。30分ごとの入れ替え制で、予約必須。16歳以上向け。※電話にて要予約 Tel: 0127 370 9709

5月2日(土)~24日(日)10:00-18:00 £12
The Basement
Argus Lofts, 24 Kensington Street, Brighton BN1 4AJ

Map 2Dismemberment of Jeanne d’Arc

Courtesy the artist and Barbara Gladstone Gallery ©Dave MorganAnish Kapoor, Blood Stick, 2008, Resin and Pigment 140x1020x134 cm Courtesy the artist and Barbara Gladstone Galler y ©Dave Morgan

この作品「ジャンヌ・ダルクの切断」(写真)は、タイトル通り、15世紀のフランスに実在した聖人、ジャンヌ・ダルクから着想を得て製作されたという。その力強いメッセージ性により、彫刻が置かれた空間全体までをも1つの作品に変えてしまうカプーア。同作が設置されたミュニシパル・マーケットが普段の表情からどのように変化を遂げたのか、ぜひ確かめてみよう。

5月2日(土)~24日(日)12:00-20:00 無料
The Old Municipal Market
Circus Street, Brighton BN2 9QF

その他のエキシビション

Map 3C–Curve

Courtesy Louvre ©Philippe Chancel ParisAnish Kapoor, C-Cur ve, 2007, Stainless steel 2.2 x 7.7 x 3m Installation: Louvre, Paris, 2007 Courtesy Louvre ©Philippe Chancel Paris

ルーブル美術館に常設展示されている作品(2007年、写真)。今回、展示場として、ブライトンにある丘サウス・ダウンズが選ばれた。英国の統治下であった第一次大戦中、英印軍となり戦死したインド人兵士の記念碑「Chattri」の隣に設置されるという。

5月2日(土)~24日(日)12:00-20:00 無料
The Chattri
South Downs, Brighton

Map 4Sky Mirror

 Courtesy Public Art Fund ©Seong Kwon PhotographyAnish Kapoor, Sky Mirror, 2006, Stainless Steel Organised by Public Art Fund: Installed Rockefeller Centre New York 19 Sep to 27 Oct 2006, Courtesy Public Art Fund ©Seong Kwon Photography

2006年にニューヨークのロックフェラー・センターに設置された、重量23トン、直径約11メートルの巨大なステンレス作品(写真)。ビル群に架空の「空」を作り出すその圧倒的な迫力が、ここブライトンにて体験できる。

5月2日(土)~24日(日)12:00-20:00 無料
Pavilion Gardens
Royal Pavilion, New Road, Brighton BN1 1UG

Map 5Blood Relations, 1000 Names, Music Boxes

作曲家ブライアン・イリアスとのコラボ作品「Music Boxes」(1995~6年)や、著作「悪魔の詩」を発表し、イランの元最高指導者より死刑宣告を受けたインド系英国人作家サルマーン・ルシュディーとのコラボ作品「Blood Relations」(2006年)を展示。

5月2日(土)~24日(日)12:00-20:00 無料
Fabrica
40 Duke Street, Brighton BN1 1AG

いちおしイベント・ガイド

第一線で活躍するアーティストたちが世界中から参加するブライトン・フェスティバル。ありとあらゆるジャンルにおけるイベントが開催され、しかも入場料がお手頃価格というから、食わず嫌いしていてはもったいない!ここでは、中でも大注目のイベントをご紹介。

ファミリー・アウトドア
元気キッズがフェスをスタート
Children’s Parade

Children's Paradeフェスティバルの初日を飾るのは、英国の小学校70校と地域コミュニティーがそれぞれ1年間かけて計画したという、キッズが主役のパレード。今年で開催19年目を迎え、毎年1万人を超える観衆を集めるこの一大イベントでは、4000人もの子どもや保護者が参加し、思い思いの創造性を反映させた衣装や振り付けでブライトンの街を行進する。今年のテーマは「大地・空気・火・水」で、自然の偉大な力を思い起こさせる衣装やパフォーマンスがお目見えする予定だ。陽気なサンバに乗せてシドニー・ストリートを出発し、最後は海岸沿いのマデイラ・ドライブで盛大なフィナーレを迎えるというから、こうご期待!

5月2日(土)10:30~ 無料
スタート: Sydney Street 終了: Madeira Drive

Map 6シアター・パフォーマンス
路上に生きる術を見つけた女たちとは
Kurva

Kurva車の往来が激しい幹線道路沿い、あるいは土ぼこりが舞う田舎のわき道。そこで女たちは、快楽を求める獲物を狙って、危険な商売を行う……。
米国や欧州の大陸では見かけることが珍しくないという、道路沿いで客引きをする売春婦たちに焦点を当てたパフォーマンス。「『体験』を生み出す劇団」として欧州各国で高い評価を得ているスペイン・カタルーニャ州の野外シアター・カンパニーの最新作「カーヴァ(売春婦)」は、月並みな描写、あるいは偏見を通してしか伝えられてこなかった売春婦たちの生活に切り込み、女たちの本心に迫る。  
この作品が他の作品と一線を画すのは、なんといっても会場が「不明」であること。観客はバスに乗り、秘密の目的地に向かう。とある道路沿いにある、とある場所──女たちの「職場」で下車されると、観客はみな路上での日常を目撃することとなる。車が止まり、客がやって来る。女たちは求められる「女」を演じ、ケンカし、1日を終える……。現実と物語の境界線があいまいになった舞台設定により、観客はよりリアルに物語を体験できるはず。16歳以上向け。

Hove駅に集合
5月12日(火)、13日(水)、15日(金)、16日(土)、17日(日)
火・水・金 17:30、19:30 土・日は13:30もあり
£15

ファミリー・シアター
Map 7アリスの庭で、いざ冒険!
Alice in the Walled Garden

Alice in the Walled Garden世界中の子どもはもちろん、大人までをも魅了してやまない童話「不思議の国のアリス」。英国人作家のルイス・キャロルが1865年に出版したこの物語が、エドワード時代に建てられた由緒正しき貴族の邸宅「プレストン・マナー」の広大な庭園で演じられる。白ウサギの穴に落っこちて、人間の言葉を話す動物や、人間のようなトランプの札が住む、ファンタジーの世界へ迷い込んだアリス。そこはなにもかもがあべこべで、胸躍る冒険が待ち受けていた……。個性豊かなキャラクターたちの後に続いて庭のあちこちをさまよえば、キッズたちもいつの間にかアリスと一緒に不思議の国に足を踏み入れているはず。3歳以上向け。

5月14日(木)、15日(金)、16日(土)、17日(日)
11:00、14:00、17:00 
£6.50~8.50
Preston Manor
Preston Drove, Brighton BN1 6SD

ライブ・ジャズ
Map 8熟練クインテット2組による熱い「音」に出会おう
Dave Holland Quintet & Andy Sheppard Quintet

Dave Holland世界的に活躍するジャズ・クインテット2組を楽しむことができる、ぜいたくな一夜。まずは英国人ベース・プレイヤーのデイブ・ホランド(写真)率いる5人組が、「地球上で最も刺激的」と称されるその腕前を披露する。お次は、英国を代表するサックス奏者であるアンディー・シェパードが率いるクインテット。常に新しい感覚を探し求める「進化型」5人組の音色に酔いしれよう。

5月23日(土)20:00 
£6~22.50
Concert Hall
Brighton Dome, Church Street, Brighton BN1 1UE

ダンス
Map 8今、最も「旬」のダンスはこれ
Hofesh Shechter Company: The Art of Not Looking Back

Horesh Shechter Company現在、英国で最も売れている振付師として、ダンス界からの期待を一身に受けるホフェッシュ・シェクターが率いるダンス・カンパニーによる、新作「The Art of Not Looking Back」の世界プレミア。この作品の見所は、シェクターを一躍売れっ子にした、男性ダンサー7人を起用した「Uprising」の対極とも言える、女性ダンサー7人による構成になっていること。同カンパニーの女性ダンサーたちにインスパイアされ、「彼女たちのために製作した」とシェクターが断言するこの作品は、踊り手を知り尽くしているからこそ実現できた、身体能力の限界に挑むような過酷で難解な振り付けになっているという。また、14日の公演の前には、鑑賞チケット保持者のみ無料で参加できるトーク・イベントも行われる。

5月14日(木)、15日(金)20:00 
£6~18.50 
Concert Hall
Brighton Dome, Church Street, Brighton BN1 1UE

クラシック
Map 8マーラーが音に 託した物語とは
Mahler: Sixth Symphony

Mahler: Sixth Symphonyフィルハーモニア管弦楽団による、オーストリア人作曲家、グスタフ・マーラーが手掛けた「交響曲第6番」の公演。人間が世界や運命という動かしがたい障害と闘い、最終的に打ち倒される̶̶そんな悲劇を奏でる第6番は、交響曲の大家として知られるマーラーの作品の中でも最も完成度が高いものとされている。同管弦楽団の首席指揮者・音楽監督であるエサ=ペッカ・サロネン(写真)が指揮を務める。

5月22日(金)20:00 
£10~30
Concert Hall
Brighton Dome, Church Street, Brighton BN1 1UE

シアター
Map 9情報の波から「真実」をすくい上げる
Breaking News: A “daily news show”

Breaking News: A “daily news show”テレビやインターネット、ラジオに新聞……いつの間にか現代人は、24時間絶え間なく流れる情報の波に身をさらして生きるようになった。「うまく呑み込める」ようにと、短く鋭く切り揃えられたそれらは、誰かのフィルターを通して解釈され、編集され、通訳され、「ニュース」という名を付けられる。だが、そんな情報の塊は果たして「真実」と呼んでも良いのだろうか……?現代社会に溢れる、加工された真実と現実の意味を問う舞台。
ドイツの劇団「リミニ・プロトコル」による、初の来英公演となる今回。ずばり「速報」と名付けられたこの作品では、何十台ものテレビが舞台に設置され、世界各国で実際にライブ放送されているニュースが流されるという。あらゆる言語でニュースが読み上げられる中、俳優たちは通訳者、ジャーナリスト、ブロードキャスター、そして「ニュースのエキスパート」である解説者となり、会場に 溢れる情報の波から「真実」をすくい上げる。

5月7日(木)~9日(土)19:30 
£5~18.50
Theatre Royal Brighton
New Road, Brighton BN1 1SD

ファミリー・オペラ
Map 10キッズに優しいオペラが誕生
Mozart: The Magic Flute

Mozart: The Magic Flute英国最大級の音楽祭である「グラインドボーン音楽祭」の主催者としても有名なグライドホーン・エデュケーションが、モーツァルトが手掛けたオペラ「魔笛」をキッズ向けに大胆にアレンジ。子どもたちにもっとオペラの楽しさを知ってもらおうと、これまでにも様々な公演を行ってきた同団体が、今回は善と悪に分かれていて比較的分かりやすい「魔笛」の物語を、さらにヒーロー仕立てにしてエンタメ色の強い演出にしたという。真実を求めて悪と戦うヒーローたちを助けるのは、魔法のフルートとピアノ、それに何よりも観客たちの力。さあ、いざお姫さま救 出の旅へ!6~11歳向け。

5月23日(土)11:00、14:00 
£6~8
Pavilion Theatre
Church Street, Brighton BN1 1EE

アウトドア
Map 11フェスの締めは、やっぱりこれ!
Big Splash

Big Splashフェスのフィナーレを飾るのは、街全体が1つのカーニバル会場と化す「ビッグ・スプラッシュ」。英国全土からストリート・パフォーマーやパペット人形師たちが集まって、最高のエンターテインメントを提供する。そして日が暮れてからのお楽しみは、最新技術を駆使した独創的な演出に定評がある花火師集団「アルケミー・ファイアワークス」による、毎年恒例の花火大会。有終の美を見届けて、フェスに別れを告げよう。

5月24日(日)正午から 
無料
Brighton Marina

いちおしサブ・フェス・ガイド

3週間にわたるフェスティバルの他にも、さらに濃くてアツいイベントがブライトンとその周辺で同時開催されている。しかも、そのほとんどが無料か10ポンド以下というから、気になるイベントはどんどんハシゴしてしまおう!

エッジの効いた イベントをお求めなら
Brighton Festival Fringe

ブライトン・フェスティバルよりも小規模で実験的な演目が揃っているのが、このフェスティバル「フリンジ」。舞台やコンサート、パフォーマンスなどが行われ、今年は例年よりもさらに規模が拡大し、なんと700以上ものイベントが開催されるという。メインストリームでは物足りない、あるいは小さな会場でより親密な空気の中で鑑賞したい、という人にはぜひ参加してみてほしい。また、去年、3万人もの観衆を動員したという無料のアウトドア・フェス「フリンジ・シティー」もフリンジの一環として開催されるので、お見逃しなく。

フリンジ
5月3日(日)~26日(火)
イベント各種詳細はウェブサイトを参照
フリンジ・シティー
5月2日(土)、9日(土)、16日(土)、17日(日)、23日(土)
www.brightonfestivalfringe.org.uk

突撃!アーティストのお宅拝見
ARTIST OPEN HOUSE

ロンドンに次いで、英国で最も多くのアーティストが住む街として知られるブライトン。この「アーティスト・オープン・ハウス」では、アーティストの自宅やアトリエが多く集まる地域が13のエリアに分けられ、一度に何件もハシゴしてアート鑑賞できるようになっている。アーティストたちと直接話をしたり交渉したりしながら作品を購入することができる上、作風を気に入ったアーティストには、自分の好みを伝えてオリジナル作品を発注することも可能だ。そして何より、プライベートなアトリエや仕事場を覗き見できる貴重な機会。約200件の家が開放され、1000人を超えるアーティストが参加するというから、アート方面でのネットワークを広げたい人にもおすすめだ。

5月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)、16日(土)、
17日(日)、23日(木)、24日(金)
入場は全て無料 
場所・時間はウェブサイトを参照
www.aoh.org.uk

CHARLESTON FESTIVAL

ブライトン近郊の街、チャールトンで行われる文学・政治・芸術界などから著名人を招いたフェスティバル

5月16日(金)~25日(日)
www.charleston.org.uk

THE GREAT ESCAPE

これからビッグになること確実の、大型新人バンドを世界に発信する音楽フェスティバル

5月15日(木)~17日(土)
www.escapegreat.com

チケット予約方法
オンライン
ウェブサイト www.brightonfestival.org
電話 0127 370 9709
  月~土 10:00-18:00 
5月2日以降は19:00まで
予約時に使用したクレジット・カードかデビット・カードを当日持参すること
フェスティバル・ボックス・オフィス
  29 New Road, Brighton, BN1 1UG
月~土 10:00-18:00 5月2日以降は19:00まで

スペシャル・オファー
6つのイベントのチケットを一度に購入すると、一番安価なイベント1つが無料に

グループ・ディスカウント
チケット10枚を購入すると10%、20枚購入すると20%割引に
ブライトンへの行き方
ロンドンからのアクセス
ビクトリア駅から1時間弱でブライトン駅に到着。1時間に約4本の電車がある。ロンドン・ブリッジ駅、キングス・クロス駅からも電車あり。4月30日~6月3日までは、ブライトン発の最終電車が通常よりも遅い23:19まで運行。イースト・クロイドン、クラッパム・ジャンクションに停車し、終点のビクトリア駅には00:13に到着する。これで帰ってくれば地下鉄の最終便に乗ることができる、なんとも心強い味方だ。ブライトン駅から市内へは 徒歩で約10分。

ブライトン・フェスティバル・マップ

 

「筆子・その愛 ─天使のピアノ─」山田火砂子監督インタビュー

山田火砂子監督インタビュー「筆子・その愛 ─天使のピアノ─」

「私には映画という『武器』がある」。映画というメディアを「武器」と呼び、その武器を手に政府や日本の現状と戦い続ける女性がいる。山田火砂子(ひさこ)監督、77歳。「はだしのゲン」実写版、「裸の大将放浪記」など、一貫して社会派作品に関わり続ける彼女が今月、一つの作品を携えロンドンにやって来る。作品の名は「筆子・その愛 ─天使のピアノ─」、石井筆子という実在の女性の半生を描いた映画だ。
(取材・文: 本誌編集部 村上 祥子)

山田 火砂子監督
山田 火砂子

東京生まれ。女性だけのバンド「ウエスタンローズ」のメンバーとして活躍後、舞台女優を経て映画プロデューサーとなる。プロデュース作品に「はだしのゲン」(実写版)、「春男の翔んだ空」など。アニメ映画「エンジェルがとんだ日」で監督デビュー。最新作「筆子・その愛─天使のピアノ─」に至るまで、一貫して社会派作品をつくり続けている。

日本のマザー・テレサ

「『日本のマザー・テレサ』である石井筆子をとにかく有名にしたい」。これがすべての始まりだった。幕末から昭和を生きた石井筆子は大村藩(長崎県)藩士(後に男爵)を父に持ち、時の皇后の命によりフランスへ留学。帰国後には社交界で「鹿鳴館の華」とも呼ばれた人物だが、華やかな経歴とは裏腹に、その存在を知る者はごくわずかだ。その理由は、波瀾万丈な彼女の人生の、日の当たらない後半生にある。自らが生んだ3人の子供のうち、2人が知的障害者、残る1人も虚弱児で生後まもなく死亡。また夫にも先立たれるなど、様々な苦難の末に、筆子は日本初の知的障害者教育施設「滝乃川学園」の運営に携わるようになり、再婚した夫の石井亮一とともに障害児教育という、当時の日本社会における影の部分に生涯を捧げたのである。

「こんな、日本のマザー・テレサとも言える人をほっぽらかしている日本の政府というか、学校というか、本来だったら学校の教科書ででも紹介すべきところを何にもしていない。戦時中、国は武器弾薬をつくることに夢中になっていて、障害者のように弱い人はものすごい差別待遇をされていたわけですよね。そういうなかで一人で戦ってくれた女性がいたので、頑張ってこの人の名を世に広めたいと思ったんです」

のっけから、辛らつな政府批判が始まった。あまり抑揚のない、ゆっくりとした一定のテンポで繰り出される言葉の数々は、穏やかな空気を纏いつつも、社会派映画だけをつくり続けているという硬派な印象を裏切らない鋭さに満ちている。

世に知られるべき人が知られていない、その現状に「ものすごく腹を立てて」石井筆子の映画をつくろうと決意した。独立系プロダクションの低予算作品。政府は「もちろん、一銭も出してくれない」から、ひらすら借金を背負っては返し、の日々だった。しかし、石井筆子という人物にほれ込んだという人気女優、常盤貴子が出演を快諾。そのほか歌舞伎俳優の市川笑也やベテラン俳優、加藤剛らそうそうたる顔ぶれが揃った。また石井筆子夫妻が日本聖公会の信者だったことから、同じ日本聖公会に属する立教女学院が学校や教会を撮影場所として提供。知的障害者の子供を持つ親の会などからの支援もあり、なんとか完成までこぎつけた。

完成後は自らホールを借りたり、フィルムの貸し出しを行うなどして「日本列島縦断の上演運動」を敢行。また、各地でこの映画を観て心を動かされた人が次の地へ作品を紹介するという、草の根的な広がりも見せた。封切後、数カ月が経った2007年11月には、ダウン症の子供を持つ在米の主婦が中心となり、米ロサンゼルスでの上映を実施。ロンドン上映も、同作を観て心を動かされた一人の在英邦人がきっかけとなった。「イギリスは聖公会が国教ですよね。筆子さんは聖公会の信者だったし、ヨーロッパに長いこといた人だから、故郷に帰るような気持ちなんじゃないかしら」と山田さんも今回の上映には格別の思いを抱いているようだ。

筆子・その愛 ─天使のピアノ─

情熱を支え続る一人の存在

現在、77歳。撮影現場では杖をつき、時には車椅子を使うこともある山田さんをここまで駆り立てたものとは、果たして政府への怒りと石井筆子への敬慕の念、それだけだったのだろうか。実はそこには、山田さんの情熱を支えるもう一つの存在があった。山田美樹さん。重度の知的障害を持つ、山田さんの長女である。

「 今、娘は45歳になりますけれども、生まれた当時は福祉なんて言葉すらない時代でしたから、大変な思いをして育てました。なにせ学校にも入れてくれなかったんですよ。日本の恥部の時代ですから」

山田さんは16歳で女性バンド「ウエスタンローズ」のメンバーとして活躍。25歳で女優に転身し、29歳で結婚。順風満帆な人生だった。その華やかな日々が思ってもみなかった形である日突然、終焉を迎える。結婚直後に誕生した長女美樹さんが2歳になる直前に、障害を持っていることが判明したのだ。今でこそ福祉制度の充実を目指し、積極的に働き掛ける山田さんも、当初はひたすら負の感情に苛まれた。

「障害の子供なんて、ぜーんぜん、知らなかった。最初はとにかくびっくりして、恥ずかしい、嫌だと思っていました。それを乗り越えてこの子のために何かしなきゃって考えるようになったんです」

「頭の良くなる薬ができないものか」と悩んでいたのが、やがて「この世にはいらないものなんてないんだ。この子たちも必要だから生まれてきたんだ」と考えるようになった。そのマイナス思考をプラスへと転化させたのは、劇的な事件ではなく、美樹さんと日々を暮らすうえで起こった小さな出来事の積み重ねだったという。

「とにかく心がきれいなんですよ。人が嫌がることでも平気でやってあげるし。それなのにデパートで前の奥さんが着物の反物なんかをストーンと平気で落としていくのをあわてて行って拾ってあげて、デパートの店員に『あんたたちがいるから困るのよね』なんて言われているのを見ると、なんでこんなひどいこと言われなきゃいけないのって思うようになるでしょ。そういうことを繰り返しているうちに、だんだん自分の持っていた『障害者を恥ずかしい』と思う固定観念の方が負けていくわけです。自分はなんてくだらない人間だったんだろうと考えるようになるんですよ」

美樹さんが小さな頃は、他人に美樹さんを見せることが嫌で家の中に隠していた。でももし美樹さんが「利口」だったら、相手が何も言わないうちから「見てくださいな」と言って自分から寄っていっただろう。優越感に浸りたい人こそ、劣等感に沈むことになる。山田さんは美樹さんを通じて、「優越感と劣等感は表裏一体であり、そんなものにこだわっているのはくだらない」と気付かされた。今では美樹さんのことを「自分の先生」であると考えている。障害者の子供を持つ母親は、「必死になって育てた」人ならば誰もが同じことを言いますよ、と語る山田さんの声はいつしか、社会派映画監督ではなく、自分の子供を愛おしむ一人の母親のそれになっていた。

社会的弱者を世の光に

次女有さんが誕生後に離婚、1人で喫茶店を経営していた山田さんは、やがて映画監督の山田典吾さんと再婚。その後は何も知らぬままに典吾さんが監督を務める作品のプロデューサーを務めるようになる。障害者の子供を育てていくだけでも並大抵の苦労ではなかった時代に、再婚後も働き続けようと思ったのは何故なのか。

糸賀一雄先生*という方がいて、『この子らを世の光に』とおっしゃっていたんです。『この子らに』じゃなくて『この子らを』。この言葉を聞きまして、この子たちを世の光にするには世の人々に知ってもらわなければならない、そのためにはテレビや映画が必要だと思ったんです」

山田さんは、社会的弱者と呼ばれる人々を「光」にしようと典吾さんと意気投合。プロデューサーとして、そして平成10年に典吾さんが死去した後は監督として、ひたすら原爆被害者や知的障害者など、社会的弱者と呼ばれる人々を題材とした映画をつくり続けた。そして今後もずっと、そのスタンスを変えるつもりはないと語る。

「映画は何でも好きですよ。でも自分がやるのは社会的テーマのあるものだと。それが自分の役目だと思っているんです。もちろん、娯楽も必要ですよ。でも私がつくらなくても、もっと素晴らしい監督の方たちがいくらでもいらっしゃる。だから私にできることはこれしかない、そう思ってこのテーマを追い続けています」

*糸賀一雄: 戦時中の1946年、知的障害児と孤児のための施設「近江学園」を創設、日本の障害者教育の発展に一生を捧げた。

「映画という武器」を手に

高齢化・少子化社会を迎える今、福祉制度の必要性は、誰もが認めるところだろう。しかし頭では重要だと分かっていても、その意味を心から理解するのは難しい。国が富むことが何よりも優先された戦時中、そして国民一人一人の生活が不安定さを増す不況下。人間は自らの基盤が危うくなると、他人のことを顧みる余裕を失うものだ。石井筆子、そして山田さんが福祉に対し並々ならぬ情熱を持ち続けることができたのは、やはり自らの子供が障害を持っていたという事実が少なからず影響しているはずだ。では障害者が自らの身近にいない人間が、こうした意識改革を起こすことは可能なのだろうか。こんな少し穿った質問に、山田さんは間髪入れず「可能だと思います」と答えた。

山田火砂子監督「30年くらい前に『春男の翔んだ空』っていう映画をつくったんですが、そのときには健常の子供が障害者の子供を嫌がって手を引っ込めたりしていましたけどね。でも今回は手をつないで、ほっぺたをくっつけ合って仲良く撮影をしてました。時代は変わったなあって思って、本当に嬉しかったです」

知的障害者施設を舞台にした本作で、山田さんは健常者の子役とともに実際の知的障害者たちを役者として使っている。顔を洗うシーンで、突然たらいに顔を突っ込んで、ばしゃばしゃと水をはね散らかしたり、太鼓を叩きながら歩くシーンでは、楽器を持たない子が自分の頭をポンポン叩いてリズムをとったり̶̶彼らは時にアドリブを入れつつ、とにかく自由奔放に、生き生きとした「演技」を見せた。

もちろん、一筋縄ではいかない部分もあった。送迎バスが気に入って、外へ出ようとしない子がいるかと思えば、食事のシーンでは隣の子のご飯を奪って食べている子もいた。でもそんなハプニング続きの日々の中には、忘れられない思い出となった印象的な出来事もある。

「 けんかのシーンを撮っている時、一人の男の子が出ないと言うんです。「アメリカに帰れ!」とみんなでいじめるところで、どうしても出ない、けんかは嫌だって。結局この子はそのシーンには出ませんでした。そのシーンの撮影が終わった後に、いじめられる役の子、健常者の子役だったんですが、その子の方に行って、一生懸命手を撫でたりしてましたね」

生まれつき差別意識を持っている人はいない。だからこそ健常者の子供と障害者の子供が生活をともにし、互いを知り合うこうした機会は、山田さんが理想とする、障害者と健常者が区別されることなくともに生活する社会、ノーマライゼーションを実現する大きな一歩となる。知ること、それこそが健常者と障害者の垣根を取り払うきっかけになると信じる山田さんは、子供たちにこうした機会を与える一方で、大人たちに障害者のありのままの姿を見せる重要性を説く。

「 子供は順応するのが早いですからね。大人に差別の心があれば、子供も差別します。大人が変われば子供も変わるので、まずは大人に変わっていってもらいたいと思っています」

お金があれば、障害者と健常者がともに暮せる村をつくりたい。でもお金がないから「映画という武器」をフルに使って訴え続ける。山田さんにとって映画とは、夢の世界をつくり出す道具ではなく、現実の社会を映し出し、現実と戦うための唯一の手段なのだ。インタビューの最後、「年寄りだから言いたい放題言ってもわりとみんな怒らないけど、若い人だったら怒られちゃうかもしれないね」と笑いを含む軽い口調で言いながらも、「でもまあ、日本は住み良い国じゃないですよ」 とやはり辛らつな言葉で締めくくった山田さん。これからも彼女は映画の持つ力を信じ、制度や人々の心に巣食う差別心への憤りを原動力としつつ、日本全国、世界各地を「コトコトと」訪ね歩いて上演活動を続けていく。

筆子・その愛 ─天使のピアノ─

筆子・その愛 ─天使のピアノ─

幕末の志士(後に男爵)を父に持ち、時の皇后の命によりフランスへ留学、帰国後には社交界で「鹿鳴館の華」とも呼ばれた才媛、石井筆子。何不自由なく暮らしていた彼女の生活は、知的障害者を生んだことで一変する。 夫に先立たれ、世間の偏見の目にも負けず子供を育てていく筆子は、やがて日本初の知的障害者教育施設「滝乃川学園」の運営に関わっていくようになる。

監督: 山田火砂子
出演: 常盤貴子、市川笑也、加藤剛ほか

上映イベント
A Contemporary Japanese Cinema and Art Festival
4月16日(木)15:00~
*同日16:45から山田監督のトーク・イベントあり。
詳細は下記イベント・スケジュール参照

A Contemporary Japanese Cinema and Art Festival

英国在住邦人の高齢化問題に取り組むチャリティー団体、「Japan Care for the Elderly (JCE)」が主催する、日本の現代映画とアートを紹介するイベント。4月15~17日の3日間にわたりナショナル・ギャラリーで、「筆子・その愛―天使のピアノ―」をはじめ、アカデミー賞外国語映画賞受賞「おくりびと」や、北野武監督の「菊次郎の夏」などの作品を上演する。


「はだしのゲン」

はだしのゲン広島県に生まれ、6歳で被爆した漫画家、中沢啓治が、自らの体験を赤裸々に綴った同名漫画のアニメ映画化作品。1945年8月6日、広島県広島市に住む少年、中岡元は米国軍により投下された原爆により、父親や兄弟を失う。自らも原爆症の恐怖に苛まれ、身近な人々の死に苦しみながらも、元はたくましく戦後の混乱期を生き抜いていく。
監督: 真崎守
声の出演: 宮崎一成、甲田将樹、井上孝雄ほか


「菊次郎の夏」

菊次郎の夏母親探しの旅に出る少年と、ひょんなことから少年と行動をともにすることになった中年男性の道程を描いた北野武監督・脚本・主演のロード・ムービー。父親を亡くし、母親と離れて暮らす小学3年生の正男は、母親に一目会いたいと家を飛び出す。そんな正男を心配した近所のおばさんは、夫の菊次郎を同行させるのだが......。
監督: 北野武
出演: 北野武、関口雄介、岸本加世子ほか


「おくりびと」

おくりびと納棺師という馴染みの薄い職業に目を向けた青木新門著「納棺夫日記」を基にした人間ドラマ。第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、国内外で注目された。プロの音楽家として活動していた男が、音楽の夢を諦めて帰郷。「旅のお手伝い」といううたい文句に惹かれて入社した会社で、死者を棺に納めるまでの準備を整える、納棺師という仕事に就く。
監督: 滝田洋二郎
出演: 本木雅弘、広末涼子、山崎努ほか


イベント・スケジュール

4月15日(水)

15:00 「The Influence of Japanese Art on Western Artists」
(レクチャー)
ジェームズ・マルパス氏(サザビーズ・インスティチュート)
16.00 「Portrait of the Artistic Genius Katsushika Hokusai」
(ドキュメンタリー)
入場料 無料

4月16日(木)

12:30 「はだしのゲン」
15:00 「筆子・その愛―天使のピアノ―」
16:45 山田火砂子監督トーク・イベント

4月17日(金)

13:30 「菊次郎の夏」
17:30 「おくりびと」
入場料 5ポンド(高齢者4ポンド、子供1ポンド、 一作品につき)
場所 The National Gallery
(Sainsbury Wing Theatre, Sainsbury Wing)
Trafalgar Square
London WC2N 5DN
チケット 下記ウェブサイト、または当日劇場で
上映30分前から(現金、小切手)
ウェブ www.nationalgallery.org.uk/what/film

 

英国で生活するための通信ガイド

英国で生活するための通信ガイド

駐在員として、はたまた留学生としてこの春に渡英したばかりの皆様へ。英国文化の奥深さへの感動と同時に、外国暮らしの不便さが気になってきた頃ではありませんか。これまで毎週楽しみにしていた日本のテレビ番組が観られない。インターネット環境を整えるのにかなりの苦戦を強いられている。「Pay As You Go」など、英国の携帯電話システムが理解できない……。そんな皆様のために、各通信サービスをタイプ別にご紹介致します。


テレビ編
日本の動向がわりと気になる / やっぱりテレビは付属のリモコン操作のみでのんびり観たい

日本のテレビ番組を高画質で
JSTV

ヨーロッパ、中東、ロシア、北アフリカで唯 一の日本語衛星放送局で、パラボナ・アンテナを使用して日本からの映像を捉える本格派だから、テレビ画像の鮮明さは折り紙つき。後は自宅にあるテレビのリモコン操作のみで日本のテレビ番組を鑑賞できるので、家族団欒のツールとしてはまさに最適なサービスとなっている。また英大手Virgin media経由でもJSTVを視聴可能(一部エリアに限る)

利用者からのコメント
私はともかく、突然のロンドン赴任にも理解を示してくれた妻と子供たちのためにJSTVに加入することにしました。子供って、毎週観ていたテレビ番組が観られなくなることが一番嫌だったりするんですよね。

月額視聴料 : £30
Tel: 020 7426 7330
www.jstv.co.uk

日本のテレビ番組全チャンネルをリアルタイムで鑑賞したい / パソコン・インター ネット環境が整っているあなたには……

日本のテレビ番組をリアルタイムで
J Network Service

インターネット回線を使ってテレビを視聴するこのサービスは、日本の全チャンネルがリ アルタイムで視聴できることに加えて、録画・ダウンロードが可能。そして、パソコンや動画再生機能を備えた携帯電話を使えば、出張、旅行先、移動中でもテレビ鑑賞できることになる。初期費用が必要なく、便利なシステムだろう。また専用ケーブルを購入すれば、テレビのブラウン管を通じてのテレビ観賞も可能。

利用者からのコメント
この前、日本の家族に電話したんです。母がその日に見たテレビ番組の話をしたので、「俺もさっきそれ見た」と言ったら驚いていました。全チャンネル見られるので、テレビ環境は日本にいるときと変わらないですね。

月額視聴料 : 5000円
問い合わせはウェブサイトから www.jnet.ne.jp

サッカーの試合中継をいつも楽しみにしている / ブロードバンドの契約も視野に入れているあなたには……

英国最大手のデジタル・チャンネル
Sky

新聞のテレビ欄を眺めても全く見当たらないのに、近くのパブではサッカーのプレミア・リーグの試合が生放映されている……というような体験をしたことはないだろうか。その理由はきっと、そのパブがデジタル・チャンネル「Sky」に加入しているから。プレミア・リーグの好カードに加え、速報性に定評のあるニュース番組やコメディー専門チャンネルなどを取り揃えている。また同社ではブロードバンドのサービスも提供している。

利用者からのコメント
そもそも、サッカーのプレミア・リーグを観るために英国に来たようなものなんです。周りにもサッカー好きの知人が多いので、彼らを自宅に呼んで、皆で缶ビールを飲みながらサッカー観戦をよくしています。

月額視聴料 : £16.50~
Tel: 0844 241 1411
www.sky.com

テレビ・ライセンス料に加えて出すお金はない / 英国の文化にどっぷりと浸かりたいあなたには……

無料で英国のテレビ生活を充実
freesat

衛星デジタル・テレビ放送がすべて有料と思うなかれ。Freesatのサービスであれば、費用といえばセットトップ・ボックスやパラボラ・アンテナといった専用機器の取り付け代のみ。あとは米国のニュース・チャンネルであるCNNから子供番組専用チャンネルCBBC、さらには映画専門チャンネルまで、テレビとラジオ、合わせて計140チャンネルに無料でつながる。また地上波放送であれば、同じく無料のFreeviewがある。

利用者からのコメント
「Apprentice」や「Heroes」など、英国で話題になった番組のほとんどはこのFreesatで視聴できるチャンネルで再放送されています。特にドラマをまとめて観るときなど便利ですよ。

月額視聴料 : 無料
Tel: 0845 313 0052
www.freesat.co.uk


インターネットサービス編
高速ブロードバンドの格安キャンペーンに興味がある / きめ細かい日本の顧客サービスが必要なあなたには......

格安・高速ダウンロードを共に実現
KDDI Europe

KDDIの「ブロードバンドMAX」は、24Mbpsの超高速スピード。ダウンロード無制限だから追加料金を気にせず、動画の視聴を快適に楽しめる。さらには日本語サポート、無料ワイヤレス・ルーター、ウェブ・メール機能もついている。また6月30日までに新規12カ月契約をすると、最初の3カ月間の月額料金が11ポンドに。お友達からの紹介があれば、月額料金が1カ月分無料になるなどの特典付き。

利用者からのコメント
基本料金の安さに惹かれて加入した別の通信会社サービスではダウンロード制限があり、結局のところ追加料金が発生して割高になっていました。KDDIのサービスでは無制限で高速ダウンロードができるので、大変満足しています。

料金: 高速ブロードバンド£24(契約から3カ月は£11)
Tel: 0800 631 3131
www.eu.kddi.com/jp

インターネット、携帯・固定電話をまとめて契約してしまいたい / きめ細かい顧客サービスが必要なあなたには......

通信環境全部をまとめて整備
ORBIX

まだ渡英間もない、または近々引越しを予定していて新居の生活環境を迅速に整えたいという人にとって便利なのが、インターネット回線接続、携帯・固定電話の整備を日本語で一括に請け負うORBIXのサービス。5月31日までにADSLを申し込めば、英国内通話と日本への直通通話料共に1分5ペンスのPay As You Go式携帯電話が無料。アポを取るにも一苦労とされる、BT回線契約の代行サービスも実施している。

利用者からのコメント
BTの回線契約が必要だったんですが、まだ自分の英語も拙く不安でした。ORIBXの電話回線契約の代行サービスとインターネットを一緒に申し込みすることで、スムーズに両方を揃えることができて助かりました。

料金: モバイル・インターネット£11.99 高速ブロードバンド£25.99
Tel: 0844 875 0135
www.orbixinternet.co.uk

自宅にBTの電話回線がない/英系のサービスを使いたい / サービスの選択肢は多いほど良いと思うあなたには......

商品の豊富さはピカイチ
Virgin Media

各種通信サービスを組み合わせて提供する、「Bundle」と呼ばれる商品を売り物にするVirgin。週末のみの固定電話料と10Mbpsのインターネット回線の組み合わせが5ポンド(キャンペーン期間中のみ)といったものから、月額50ポンドとやや高額ながら50Mbpsの高速ブロードバンドまで揃えている。また有料テレビ・チャンネル「スカイ」の設置も可能。ただしBTとは別の配線工事を行う必要がある。

利用者からのコメント
そもそも私が現在住んでいる家には、引っ越した当初、BT回線が引かれていなかったんです。どうせ配線工事から始めないといけないのであれば、ということでサービスがてんこもりのヴァージンと契約しました。

料金: ブロードバンド£15~
Tel: 0845 840 7777
allyours.virginmedia.com

自宅にBTの電話回線が引かれている / 英系のサービスを使いたい / 保守的なあなたには......

インターネット支払いの手間を最小限に
BT

「顧客サービスが悪い」との風評にも負けず、通信業界の大手であり続けるBT。その単純にして最大の魅力は、既に大多数の家庭にBT電話回線があり、また多くのインターネット・サービスがBTのADSL回線を必要とするという事実だろう。よって、支払いもすべて一括となる。尚、BT回線を使わない方法としては、「ORBIX」「3」「O2」など各社が提供するUSB型モバイル・ブロードバ ンドも検討の価値あり。

利用者からのコメント
今まで知らなかったのですが、BTにもデジタル・チャンネルや、オン・デマンド放送などのサービスがオプションとして付いているんです。「Lost」などの人気ドラマの過去放送分が全部見られたりするんですよ。

料金: ブロードバンド£15.65~
Tel: 0800 032 0433
www.btbroadbandinformation.com


携帯電話編
英国で精力的に働く / 仕事にプライベートに、日本語コミュニケーションを充実したいあなたには......

日本でのケータイ生活を再現
Docomo

日本では仕事に、プライベートに当たり前のようにケータイを活用していたのに、英国ではPC中心の生活に。でもberry mobileなら外出先から日本語メールやニュースのチェックが可能で能率もアップ。英国や日本にいる友人、家族とも気軽に日本語でコミュニケーションOK!NHKニュースから今後、充実の日本語情報サービスも続々登場予定。契約からサポートまで、すべて日本人スタッフが行うので 安心です。

利用者からのコメント
日本にいたとき以上に英国では忙しくしているので、とにかく面倒なく携帯を使いたかったですね。契約時も普段のサポートもストレス・フリー。日本語で取引先にメールを書けるから、能率がグンと上がりましたよ。

料金: 月額基本使用料 £15+VAT~
Tel: 07534 910 266
www.berrymobile.jp/uk

英系携帯ネットワーク各社の契約サービスを探している / ブラックベリーを使いこなす英国人ビジネスマンに憧れるあなたには......

日本でのケータイ生活を再現
ita-net

企業のITサポート、英国で暮らす人々のPCライフのお手伝いをするita-netが行う事業の一つが、完全日本語対応携帯、UKモバイル・ネットワーク各社の新規・更新契約。「BlackBerry Internet Solution を有するスマートフォンは、IT会社が取り扱うに相応しい」というモバイル・ネットワーク会社の要望に応えて、BlackBerry 製品をはじめとする各種ビジネス・モデル、パーソナル・モデルを多数用意している。

利用者からのコメント
何といってもUK各携帯電話会社のお得な料金プランをそのまま選べるのがうれしい。その上、出先でも日本語のEメールのチェック&返信ができ、感謝!感謝!日本語で迅速に対応してくれるのでストレスのない毎日です。

料金: 契約プラン・機種により本体購入価格£0~479
Tel: 020 7713 0832
www.ita-net.com/goods/mobile

英国人の友人が多い / 日本語サポートを必要としない / 月契約には特にこだわらないあなたには……

各社Pay As You Go の サービスを検討

携帯電話の契約方法は、大きく分けて2種類。一定の月額基本料を支払う「Monthly」契約と、若干割高にはなるが5、10ポンドなど必要な通話料を随時買い足していく「Pay As You Go」方式がある。例えば「Talkmobile」の「Prepay」プランは、最初の3分間が1分当たり15ペンス(その後は同10ペンス)でテキストが1回10ペンス、。また「3」の「Flat12」では、1分当たりの通話料とテキスト代が共に12ペンスとなっている。

利用者からのコメント
大手携帯電話ネットワーク紹介会社の「Carphone Warehouse」の店舗に行き、Pay As You Goのサービスに関する資料をもらってきました。自分で調べるのは確かに大変ですが、英語の勉強も兼ねて頑張るつもりです。

他に、O2 (www.o2.co.uk)、Orange (www.orange.co.uk)、Vodafone(online.vodafone.co.uk)などの各社サービスがある。

音楽再生などの複雑な機能は要らない / 節約重視、英国で携帯電話を簡単に契約したいあなたには……

HanaCell

音楽再生や日本語メールなどの機能よりも、 通話やテキスト、メールといった携帯電話の基本的な機能さえあればいい、という人にお勧めなのが、このHanaCell(ハナセル)のサービス。月額基本料金5ポンド以下という英国最安値の料金設定は、節約生活を営む人にはピッタリ。さらには通常、月契約を行う際に必須となる最低契約期間が設定されておらず、しかも英国の銀行口座証明がなくても利用できるというのがうれしい。

利用者からのコメント
銀行口座の開設が既に2回も拒否されているのに、携帯電話会社から「銀行口座の証明がないと契約ができない」と言われて、ダブル・パンチを受けたところでした。やっと英国で携帯電話が持てて、安心しています。

料金: 月額基本使用料 £4.95~
Tel: 0800 9871 005
www.hanacell.co.uk

 

セレブ・シェフのイースター料理レシピに挑戦!

身近な食材で手作りイースター セレブ・シェフのレシピに挑戦!

「英国は食事がまずい」などと言われていたのも今は昔。個性豊かなセレブ・シェフが続々登場し、料理本が次々と出版され、テレビでは毎日のように彼らの番組が放映されている。そこでイースターを間近に控えた今回は、自宅で気軽に試せるセレブ・シェフのイースター料理をご紹介するとともに、それらのレシピを編集部で独断ジャッジ!果たして、素人でもセレブな味を本当に再現できるのか......? (黒澤里吏)

そもそもイースターってどんなお祭り?

イースターエッグイエス・キリストの復活を祝う日で、キリスト教徒にとってはクリスマスよりも重要な行事とされる。毎年日付が変わる移動祝祭日で、春分後、初めて迎える満月の日から数えて最初の日曜日がイースターとなる。英国ではその直前の金曜日(グッド・フライデー)と直後の月曜日(イースター・マンデー)が祝日。ちなみにイースターの46日前の水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日からイースター前日の「聖土曜日」までの日曜を除く期間を「レント(四旬節)」という。心を清め、悔い改める期間とされ、肉や卵、乳製品を摂取しないなどの食事制限をする習慣もある。

イースターには何を食べるの?

レントの期間に禁じられていた食べ物が解禁になるため、動物性食品や、卵、乳製品などを使った菓子やパンなどが主となる。地域によって多少異なるが、代表的なものは下のとおり。

イースター・エッグ

新しい生命が殻を破って出てくるという卵のイメージが、キリスト復活のイメージと結びつけられている。鮮やかに彩色された卵があちこちに飾られるほか、卵形のチョコレートも多く出回る。また、多産なウサギも生命と繁栄の象徴としてイースターのシンボルとなっており、ウサギを象ったパンやチョコレートなどが多く見られる。

シムネル・ケーキ

マジパンで覆ったフルーツ・ケーキ。マジパンで作ったボールを裏切り者のユダを除いた11人のキリストの弟子に見立て、ケーキの上に載せるのが特徴。17世紀に主人が使用人に里帰りさせる日を設け、奉公中の娘たちがレント4週目の日曜(イースター・サンデーの2週間前)にこのケーキを母のために作って家に持って帰るという習慣があった。実はこれが英国における「母の日」 の起源でもある。

ホット・クロス・バン

レント期間中に食べるものには卵と乳製品は使えないことになっているため、その解禁を祝い、英国では伝統的にグッド・フライデー(キリスト受難の日)の朝食に食べられる。アイシングでできた表面の十字がキリストの受難を示しているという。現在では、イースターに限らず日常的に食卓にのぼっている。

ラム肉

復活祭の祝宴料理の定番。聖書の「出エジプト記」に記されている古代エジプトで起こった出来事と、それに由来したユダヤ教の行事「パスオーバー(過ぎ越しの祭り)」で羊が生け贄とされていたことに端を発している。

ハム

ラムのほかにイースターを代表する肉類の食べ物と言えばハム。だがハムを食べる習慣は、異教徒の儀式や言い伝えが発端と言われる。


ジェイミー・オリヴァーのホット・クロス・バン・プディング

市販のホット・クロス・バン4個を使った、
誰にでもできる超簡単なパン・プディング。
半分にスライスしたバンの表面に
ミディアム・カット・マーマレードを塗って
耐熱容器に並べ、フレッシュ・カスタード・
クリームを注ぎ入れて15分ほど寝かせる。
あらかじめ180℃に温めておいたオーブンに入れ、
15分ほど焼いてから、焼き色がつくまで
5分ほどグリルにかけて出来上がり。
イースター以外でも、急な来客時や、
ちょっと小腹が空いたときのおやつにピッタリ。
子ども受けもよさそうだ。

参照レシピ Sainsbury’s
Try Something New Today
調理時間 約20分(下ごしらえ3分+焼き時間25分)
難易度 ★1
所要時間 ★2
おいしさ ★2つ半
もう一度作りたい ★4
comment超簡単で手間いらずだが、見た目そのままで、味にサプライズ感はほとんどない。カスタードがバンにしっかり染み込まないうちにオーブンに入れてしまったのが原因かも。ホット・クロス・バンは、フルーツがたっぷり入ったものを選んだほうが良い。マーマレードではなく、好みのジャムを使用したり、仕上げにシナモン・パウダーなどを振りかけたりして自己流にアレンジすることも可能だ。アツアツがもちろんおすすめだが、冷蔵庫で冷やして食べてもなかなかおいしい。反省点を生かして再びチャレンジしたいという意味で、もう一度作りたい度は★4つ。

Jamie Oliver相変わらず好感度ナンバー・ワン
ジェイミー・オリヴァー
Jamie Oliver

1998年に料理番組「ネイキッド・シェフ」でTVデビューを果たした当時は、お洒落でカジュアルな雰囲気と、単純明快かつ新鮮なアイデアで、英国の料理界に新風を吹き込む若手として注目を集めたジェイミー・オリヴァー。エセックスでパブ・レストランを営む両親の下で育ち、子どもの頃から厨房に出入りしては料理を手伝っていたという。

その旺盛なチャリティー精神でも知られ、無職の若者やホームレスの人々などを雇い、料理人として育てているレストランの経営や、ジャンク・フードにまみれた学校給食を改善する企画で、当時首相だったトニー・ブレアに給食改善のための予算捻出を約束させるなど、さまざまな試みを行っている。

おすすめレシピ本

Jamie's Ministry of Food:
Anyone Can Learn to Cook in 24 Hours

パスタやカレー、サラダ、シチュー、ロースト料理など、いつの時代も愛されるベーシックな料理が中心。料理が苦手な人や初心者でもすぐに試せるお手軽レシピ集。

Jamie's Red Nose Recipes
コテージ・パイ、ソーセージ・カルボナーラ、カップ・ケーキなど、家族や友達に作ってあげたくなる12のレシピを掲載した小冊子。販売価格3ポンドのうち、2.5ポンドがチャリティー団体に寄付される。

ヘストン・ブルメンタルの豆とハムのスープ

豆(グリーンピース)とハムという、
なじみ深い食材を使った
一見シンプルなスープながら、
驚くほど味わい深いのは、
下ごしらえにたっぷり手間暇を
かけているから。
その感覚は、ダシが命の日本の
ラーメンなどに近いかもしれない。
ハム・ホック(豚脚の薫製)の塊に玉ネギ、
ニンジン、セロリ、ネギ、ガーリック、
ハーブなどを加え、2時間ほどコトコト煮込んで
仕上げたダシは、まさにこのスープの要。
重たいテクスチャーにならないように水を加えて調節し、
程よくさらりと仕上げるのがおいしさのコツともいえる。
にわか職人気分を味わいたい人にはうってつけの、大満足レシピ。

レシピ掲載サイト タイムズ・オンライン
www.timesonline.co.uk
調理時間 約3時間(ストック: 2時間20分+スープ: 40分)
難易度 ★2
所要時間 ★5
おいしさ ★5
もう一度作りたい ★1
comment グリーンピースをミキサーでピューレ状にしたものの、予想外に薄いスープになってしまった。が、味はさすが、驚くほどおいしい。作業もいたって簡単だった。難点は、電動ミキサーがないと作れないことと、何といってもストックを作るだけで2時間以上かかる点。もう一度作りたい感が低いのはこれが原因だ。一度に大量のストックを作って冷凍しておくと、手間が省けて便利だろう。

Heston Blumenthal料理を科学するアルケミスト
ヘストン・ブルメンタル
Heston Blumenthal

カタツムリのポリッジにスモーク・ベーコン&エッ グ・アイスクリーム…… 。液体窒素などを用いた「分子調理法」と呼ばれる独特の手法を用い、奇抜なメニューを次々と考案しては世間を驚かせている奇才。低温でじっくり料理する「スロー・クッキング」の提唱者でもあり、五感に最大限に訴えかける実験的な演出を施すことでも有名だ。

15歳の時に、フランスの小さな村にある有名レストランで料理の世界に魅せられたヘストンは、いくつかのレストランで修業しながら、独学でフランス料理の基礎を習得。1995年にレストラン「ファット・ダック」をオープンし、2004年にはミシュランの3ツ星を獲得した。さらに翌年には、国際的に著名なシェフや料理評論家など600人による投票で決まる、料理誌「レストラン」での世界のレストラン・トップ50ランキングで堂々1位に輝いている。

おすすめレシピ本

The Big Fat Duck Cookbook
持っているだけで自慢になりそうな、美しい装丁が施されたケース入りの豪華本。ベーコン&エッグ・アイスクリームをはじめ、代表メニューを全収録。

Further Adventures in Search of Perfection
数年前にBBC2で放映されていた番組を補足する形で出版されたレシピ本の第2弾。フィッシュ・パイ、ハンバーガー、リゾットなどのクラシカルなメニューを完璧に料理する方法を検証するとともに、各食文化の歴史をひもとく。

ゴードン・ラムジーの ラムのサーロイン・ステーキ レンズ豆添え

オリーブ・オイル、タイムの生葉とともに
しばらく冷蔵庫で寝かせたラム肉を、
テフロン加工などが施された、
食材がこびりつかないフライパンを
カンカンに熱して焼くだけの、簡単で見栄えもいいお手軽料理。
肉のおいしさを堪能するために、ミディアム・レアな焼き加減にするのがポイントだ。
また、ニンジン、セルリアック、ポロネギを加え、
ビネグレット・ソースで調味したレンズ豆のソテーが
付け合わせになっているのもなかなか興味深い。
ラム肉との意外な味わいのハーモニーが発見できて、
野菜のローストなど、ありきたりな付け合わせに飽きてしまった人にもおすすめだ。

レシピ掲載本 Gordon Ramsay: A Chef for All Seasons
調理時間 約40分(ラム肉: 15分+レンズ豆&野菜: 25分)
難易度 ★3
所要時間 ★3
おいしさ ★4
もう一度作りたい ★4
comment 工程はすべて簡単で、手間もあまりかからない。タイムに漬けるので、ラム肉のくさみが苦手な人でも食べやすいのでは。ちなみに今回はタイムの生葉が手に入らず、葉だけの状態になった乾燥のものを使用したため、冷蔵庫から取り出した際に肉に付いていた葉を取るのに一苦労。しかも完全に取り切れていなかったようで、焼いた時に真っ先に焦げてしまった。できるだけ茎付きのタイムを手に入れ、くっ付いた葉は丁寧に取るのが◎。

Gordon Ramsey口の悪さが転じて福となった人気者
ゴードン・ラムジー
Gordon Ramsey

スコットランド出身の42歳。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気シェフだが、彼が人生で最初に志した道はフットボール選手だった。15歳の時にプロ選手としてグラスゴー・レンジャーズに加入するも、膝の故障が原因で早々にこの道をあきらめ、料理人を 目指すようになる。

マルコ・ピエール・ホワイトをはじめ一流シェフのもとで修業を積み、1998年にチェルシー地区に自身のレストランをオープン。翌年にはミシュランの3ツ星を獲得する快挙を成し遂げた。現在はロンドンに10軒、東京に2軒のほか世界各国に店舗を展開し、これまでに得たミシュランの星の数は計16にのぼる。歯に衣を着せないストレートな物言いが有名で、そのキャラクターを前面に押し出した「F-word」をはじめ、数々の人気番組を送り出している。

おすすめレシピ本

Gordon Ramsay: A Chef for All Seasons
家庭でも十分試せる、旬の食材をふんだんに使った季節感あふれるレシピを公開。セレブ・シェフの妙技に触れられる定番の1冊。

Gordon Ramsay's Great British Pub Food
ロンドンのホテル「クラリッジズ」内にあるラムジーのレストランでヘッド・シェフを務めるマーク・サージアントとタッグを組み、伝統的な英国のパブ料理のレシピを紹介する最新刊。

ゴードン・ラムジーの ラムのサーロイン・ステーキ レンズ豆添え

英国にしばらく住んだことのある人なら、
あのどっしりとしたクリスマス・ケーキに
一度はお目にかかったことがあるはず。
しかし同様に伝統的なこのシムネル・ケーキは、
さほど知られていないのではないだろうか。
ドライ・フルーツをふんだんに使っていて
クリスマス・ケーキに似ているが、
より軽やかな味わいで食べやすい。
そしてやはり特筆すべきはマジパンの存在感。
ナイジェラ・ローソンならではのコツは、
スポンジの中段にもマジパンを1枚敷くところにある。
オーブンで加熱されることによってスポンジに染み入るように
マジパンがとろけ、絶妙な味わいを生み出すのだ。
アプリコット・ジャムがスポンジとマジパンをくっつける
糊の役割を果たすなど、隠し味的なおいしさもいっぱい。

レシピ掲載本 Feast:
Food That Celebrates Life
調理時間 約3時間(生地作り: 45分+焼き時間: 2時間+デコレーション: 20分)
難易度 ★3
所要時間 ★5
おいしさ ★3
もう一度作りたい ★2
comment ドライ・フルーツぎっしりでとてもおいしいが、マジパンが極甘。上にのせる11個のボールも飾りとして使用するに留めたいというのが本音(または、代わりにカラフルなエッグ・チョコを飾ったりしてもいいかも)。すでに丸い形に切られたマジパンが手に入るなら、作業の手間が省けて楽。シムネル・ケーキといえばマジパンは外せないのだが、甘すぎてどうしても苦手という人は、スポンジだけレシピ通りに作り、デコレーションを自分好みにアレンジしてもいいかもしれない。作業自体はいたって簡単だ。

Nigella Lawson小気味よい独特の色気は才女の証
ナイジェラ・ローソン
Nigella Lawson

元財務大臣のナイジェル・ローソンを父に持ち、オックスフォード大卒にして2児の母でもあるナイジェラは、若々しく美しい49歳のセクシー料理人。フリーのジャーナリストを経験した後、1998年に初の料理本を出版し、これがベストセラーとなる。さらに2000年に出版した2冊目の著書が「ブリティッシュ・ブック・アワード」を受賞。その後、「ナイジェラ・バイツ」でテレビ出演を果たしてからは、お茶の間の人気者となる。

お色気たっぷりで豪快な面白キャラに加え、その魅力を全面に出した演出も受け、男性ファンの心をもつかんだ。レシピ本はこれまでに世界で約300万部を売り上げているが、プロの料理人としての修業経験がないゆえ、本人は「セレブ・シェフ」と呼ばれることを居心地悪く感じているらしい。

おすすめレシピ本

Feast: Food That Celebrates Life
バレンタイン・デー、イースター、感謝祭といった年間行事や冠婚葬祭など、さまざまなイベントにちなんだ、ちょっとしたご馳走レシピを主に紹介。

Nigella Express
日々、多忙を極めながらも、食べることが大好きという人々のための、簡単で手早くできるおいしい「ファストフード」を集めたレシピ集。


more彼らのレシピも試してみたい!
まだまだいます、噂の料理人たち

Marco Pierre White激情型の元祖セレブ・シェフ
マルコ・ピエール・ホワイト
Marco Pierre White

リーズ出身の47歳。1995年、オーナー・シェフを務めていた「ザ・レストラン マルコ・ピエール・ホワイト」で、当時世界最年少の33歳という若さで英国に初めてミシュランの3ツ星をもたらし、「現代の英国料理界におけるゴッド・ファーザー」と呼ばれた。情熱と哀愁が同居したようなラテン系の色気は、ハーフ・イタリアンゆえか。気性の激しさでも知られ、弟子のゴードン・ラムジーをはじめ、多くのシェフや顧客と数々の諍いを起こしている。1999年、現役シェフから引退して以来、実業家として活動。余談だが、彼のお抱え運転手は日本人。

おすすめレシピ本

Marco Pierre White's Great British Feast:
Over 100 Delicious Recipes From A Great British Chef

100以上のレシピを掲載。ベストな食材の入手法や、どんな材料と組み合わせれば時間をかけずに最高の料理を作ることができるのかを説く。

James Martin北部出身のハンサム・シェフ
ジェームス・マーティン
James Martin

ヨークシャーの農場で生まれ育ち、父がカースル・ハワード(英国で最も壮麗なカントリー・ハウス)のケータリング・マネージャーだったこともあって、幼い頃から料理に興味を持っていた。1993年に21歳でウィンチェスターにビストロ・ホテルをオープン、ヘッド・シェフを務める。96年に初のTV出演を果たすと同時に人気を呼び、現在もBBCの人気料理番組「サタデー・キッチン」などにレギュラー出演中。高級スポーツ・カーのファンとしても知られ、2008年にはイタリア伝統の自動車レース「ミッレミリア」に出場、その様子もTV放映された。

おすすめレシピ本

James Every Day: The Essential Collection
2009年1月に発売されたばかりの新刊。英国の食材を使いながらも、世界各国の食文化の影響を受けた、毎日でも試したくなる手軽でおいしいレシピが勢揃い。

Rachel Allen笑顔が印象的な2児の母
レイチェル・アレン
Rachel Allen

アイルランドのダブリン出身。ナイジェラ・ローソンが濃厚な原色系のお色気タイプなら、こちらはパステル・カラーが似合う、やさしい良妻賢母系といったところ。「サタデー・キッチン」にもたびたび登場、BBCから「アイルランドのクッキングの女王」とのキャッチフレーズを授かっている。これまでに出した料理本は4冊。ジャーナリストとしても活躍しており、地元の各出版物にコラムを寄稿するなど多忙を極めてい る。現在は家族とともにコークで暮らし、18歳の時に自身が通っていた有名なバリマロー調理学校で時々、教鞭をとっている。

おすすめレシピ本

Bake
その名のとおり、おいしいケーキや焼き菓子、タルト、パイ、キッシュ、キャセロールなど、甘いものからおかず系まで、英国人が大好きなベイクド料理を網羅。

Jun Tanaka旬の味わいで和の心を伝えます
ジュン・タナカ
Jun Tanaka

Channel4の料理番組「クッキング・イット」で主婦のハートをガッチリ掴んだ米国生まれの日本人、ジュン・タナカは、現在、欧州で最も高く評価されているシェフの1人。 19歳の時、ロンドンで最高の名店はど こかと父に尋ね、その時に挙がった「ル・ガブロッシュ」「シェ・ニコ」、マルコ・ピエール・ホワイトの「ハーヴェイズ」などで以後、計10年にわたり修業を積む。日本人らしく、季節の味を存分に生かした料理にこだわり、現在ヘッド・シェフを務める「パール・レストラン」でも定期的にメニューを変え、最高の旬の味覚を届けるよう努めている。

おすすめレシピ本

Simple to Sensational
2009年5月に発売予定の、記念すべき初のレシピ集。シンプルな料理をゴージャスな一皿に変身させる、誰でも出来る「ちょっとしたひと手間」を伝授。

美食を求めて地球をさすらう
ヘアリー・バイカーズ
(デイヴ・マイヤーズ&サイ・キング)
Hairy BikersHairy Bikers (Dave Myers & Si King)

「毛むくじゃらバイカーズ」という名から想像した姿そのままの、長髪ヒゲもじゃの2人、デイヴとサイモン(通称サイ)は、プロの料理人ではなく、言ってみれば食愛好家。映像関係の仕事で世界的に活躍する2人は、ドラマの制作現場で出会って意気投合して以来、真の美食を求めて世界中をバイクで旅してその様子をレポートしつつ、新発見のレシピを紹介しているという異色のコンビだ。インドからアルゼンチン、ベトナムからサハラ砂漠まで、美食のためなら世界の果てまで行くことも厭わない2人の姿は、見る者の冒険心、探究心をも掻き立ててくれる。

おすすめレシピ本

The Hairy Bikers Cookbook
自らバイクで世界中を旅して出会った素晴らしい料理の数々を、フォト・ジャーナルとともに紹介。料理本とも旅行記とも言える、他にはない独特の魅力にあふれた1冊。

Rick Steinシーフードなら俺にまかせろ
リック・スタイン
Rick Stein

「シンプルに料理した新鮮な魚介類ほどおいしいものはない」と断言する無類のシーフード好き。コーンウォールの漁村パドストウを拠点に活動し、4軒のレストランとビストロ、カフェ、デリ、パティセリー、ギフト・ショップ、料理学校を経営している。TV出演は数知れず、2006年には日本人駐在大使を和食の晩餐でもてなすため、日本に赴いて修業するという特番が放送され話題に。エリザベス女王やトニー・ブレア元首相など数々の要人や著名人にも腕を振るっており、2003年に英国西部での観光振興の功績を讃えられて大英帝国勲章(OBE)を授与されている。

おすすめレシピ本

Rick Stein's Coast to Coast
英国南端のセント・アイヴスからオーストラリアのシドニー湾まで、世界各地の沿岸地方の料理にインスピレーションを得たレシピを130以上揃えている。


 

尾上菊之助インタビュー

インタビュー尾上菊之助
伝統の世界に生きる若き創造者

今月24日から5日間、ロンドンのバービカン劇場で歌舞伎公演が行われる。題材は、なんとシェイクスピアの喜劇「十二夜」。演出は日本の現代劇の第一人者、蜷川幸雄、演じるのは尾上菊五郎をはじめ第一線の歌舞伎俳優たち、何とも贅沢なコラボレーションだ。そしてその中核にいるのが尾上菊之助。発案者にして主役の三役を務める人気歌舞伎役者である。伝統の世界に新たな息吹を吹き込む若き挑戦者、菊之助に、歌舞伎版「十二夜」、そして歌舞伎の世界で生きることについて、聞いた。
(取材・文: 本誌編集部 村上祥子)

感じる役者に、なりたいと思います。

歌舞伎から心が離れかけていた自分

美声の持ち主である。耳の奥に心地良く響く低音が、日本と英国を結ぶ国際電話を通して、現代の若者には珍しい、礼儀正しく美しい言葉を運ぶ。自らのことを「わたくし」と呼び、「菊五郎家」「先祖」といった言葉が自然に出てくるあたり、まさしく育ちの良い、梨園(りえん)の御曹司*1である。5代目尾上(おのえ)菊之助。歌舞伎界の名跡、尾上菊五郎家の長男として誕生。6歳の初舞台以来、数々の作品を演じ続け、31歳となった現在では、若手の中でも有数の人気を誇る。歌舞伎というある意味、現代社会と隔絶された特殊な世界の中で生まれ育った彼に、2005年初演、今回のロンドン公演で3回目の上演となる歌舞伎版「十二夜」が生まれたきっかけを問うと、意外な言葉が返ってきた。

「歌舞伎というのは門閥というものが大切です。私は音羽屋*2という家に生まれ、恵まれた環境にいて、毎月良い役をいただいてはいたんですけれども、この『十二夜』をやる前、舞台に懸命になれない自分、惰性で舞台に立っている自分がいたんですね。そしてそういう自分を責め続ける時期があって。そのなかで演劇関係者の方とお話をしていくうえで、何か自分で新作をつくることができないかと思ったんです」。

ひたすらに伝統の芸を演じ続ける年月。伝統の世界に生きる現代の若者のなかに、恐らくは長い時間をかけて燻り続けた満たされない思い、それが「新作をやりたい」という形で表に出た。そして歌舞伎化するのに適した題材はないかと探しているうちに、シェイクスピアに行き着く。「歌舞伎には400年、そしてシェイクスピアにも同じく400年以上の歴史があります。色々な作品をあたっていくうちに、歌舞伎化するうえでシェイクスピアの持つ言葉の美しさであるとか、物語の持つ奥ゆかしさが、一番歌舞伎にしやすいのではないかと考えたんです」。そして数ある戯曲のなかで菊之助が最終的に選んだのが「十二夜」。海難事故に遭い、生き別れとなった双子の兄妹、セバスチャン(歌舞伎版では主膳之助)とヴァイオラ(琵琶姫)が再会するまでの道程を描いたこの作品では、自らの身を守るため、妹が男装しシザーリオ(獅子丸)と名乗り、小姓として公爵に仕える。その男女のとりかえばや物語が、女形を中心に活躍し、近年では立役(成年男子の役)もこなすようになった菊之助にとっては、何よりもしっくりくる作品だと感じたのだという。

そして04年、「十二夜」の歌舞伎化を決意した菊之助は、演出家、蜷川幸雄に話を持ち掛ける。通常、歌舞伎には演出家という役割は存在しない。先祖代々、受け継がれてきた芸を、役者たちが自らの手で練り直し、作品を完成させていくのだ。だがこのときばかりは脚本を始め、すべてがゼロからのスタートということで、「数多くのシェイクスピア作品を手掛け、古典の作品でも現代に通じるテーマを打ち出すことのできる」蜷川に作品づくりの舵取り役を託そうと考えたのだという。演出の依頼をしたのは、フランスでの歌舞伎海外公演に出演している最中。携帯電話で直接交渉を行った。しかし、そのときには一旦、答えを留保されている。

「蜷川先生は以前から、歌舞伎には手を出さない、と公言されていたんですね。ですから最初に電話したときには、『少し待ってくれ』とおっしゃいました。それから2日後に電話したんですけれども、そのときに「菊之助君と心中するつもりで歌舞伎国に留学する」とおっしゃっていただいたんです」。

やらない、と宣言していた蜷川の心を変えたものとは何だったのか。「どうなんでしょう……」と考え込んだ後、「歌舞伎が現代に生きていくためには蜷川先生のお力が必要である」と訴えた熱意が通じた結果なのではないか、と控えめな口調で自らの考えを口にした。「今まで観てくださっているお客様も大切にしつつ、新しく歌舞伎を観てくださるお客様を惹きつけるにはどうしたらよいのか」。そう考えたとき、菊之助の心に浮かんだのは「新作が必要である」という思いだった。歌舞伎から、そして演じることから心が離れ始めていた自分自身を取り戻すため、そして歌舞伎を現代に生きる芸能とするため、必死の思いで訴えた若き継承者のまっすぐな思いが、日本の現代演劇を支え続けた蜷川に届いたのだろう。

尾上菊之助

2つの伝統の融合

シェイクスピアを歌舞伎化する。それは「言語の演劇」とも言われる英国演劇の最高峰であるシェイクスピアの作品を、視覚的スペクタクルで観客を魅了する歌舞伎の世界に落とし込むという、対照的な2つの世界を融合させる難作業である。その過程では、どちらかの特徴を生かすためにもう一方の魅力を減じなければならないという苦渋の選択を迫られることもあるのではないだろうか。今回の「十二夜」制作においては何を一番重視したのか、そう尋ねると、「代表的な台詞、例えば『悲しみの柳の枝で小屋をつくり……』ですとか、欠かせないものは必ず残すようにしてシェイクスピアの原典を尊重しつつも『歌舞伎化』するということを意識しました」という応えがあった。例えば今回、菊之助は双子の兄妹の双方を一人で演じることになる。妹が男装し、別人になりすますのも含めれば、実に一人三役。また、菊之助の父、菊五郎もマルヴォーリオとフェステという、ストーリーにおいて重要な役割を担う二役を兼ねる。もちろん原作では別人として、同じ場に立つ瞬間もあるのだが、この点は歌舞伎ならではの魅力である「一人の役者が一つの作品においていくつもの役柄を演じること」「早変わり」を生かすことに重きを置いた。歌舞伎ならではのスペクタクル性をアピールするため、原作にはない場面も加えたという。

その一方で、05年の初演、07年の再演、そして今回のロンドン公演という長い月日を経たなかで、意識が変わった面もある。女形として多くの経験を積んできた菊之助ではあるが、今回演じるのは「男性を演じる女性」という、一筋縄ではいかない役だ。もともと歌舞伎の女形とは、女性の持つ女性らしさをデフォルメし、女性以上に女性の本質を体現する存在だと言われる。女形としての演じ方を重視するならば、そこにはシェイクスピアが本来意図する女性の男装とは、違った人物像が生まれることにもつながりかねない。

「05年の初演時には『歌舞伎化』するという意識が強かったんですね。なのでくっきりと区別をつけた演じ方をしていました。男と女がはっきりと分かるように。07年の再演の時には、公演の回数や経験から生まれてきたものなんでしょうけれども、はっきりとした区別というよりも、内面から出てくる心情で、時折、女が出てしまったりというように、いわば切り替えるというよりも、音量を変えるような感じで演じられるようになってきた気がするんですよね。で、今回のロンドン公演にいたっては、その部分をもっと洗練させて、男女の区別というよりも、シェイクスピアの原典に近い、思いを伝えられないヴァイオラの切なさであるとか、どんなに不遇な目に遭っても強く生きていくんだという気持ちを大事にして演じていきたいと思っています」。

今回は、シェイクスピアの魅力を再確認したうえで、これまで歌舞伎に引き付けて演じていた部分も含め、全体を再構築したという。シェイクスピア劇でもない、純粋な歌舞伎でもない。歌舞伎版「十二夜」は、そうした絶妙なバランスの上に成立する、古今日英の融合した新しい世界なのだ。

松竹歌舞伎 NINAGAWA 十二夜
男装する琵琶姫(菊之助、写真左)に恋する織笛姫(中村時蔵、同右)

「芸の伝承と、新作をつくる志」

歌舞伎の名門に生まれた役者たちは、「昔から歌舞伎が好きだったか」と尋ねられることが多いが、その答えが面白い。片や「小さな頃からとにかく芝居が好きだった」という者あり、片や「嫌で嫌で仕方がなかった」という者あり。とにかくその答えが二極化するのだ。そして子供のころは好きだった場合でも、成長するにつれ、このままで良いのか悩み、外の世界に飛び出していくケースもある。尾上菊五郎家の継承者である菊之助の場合はどうだったのだろう。

「祖父や父に対する憧れはありましたね。祖父のような役をやりたい、父のような役をやりたいと思って芝居ごっこをしたり、ビデオを観たりはしていました。でも思春期の頃は中途半端で、声変わりもあるし、お芝居に出たとしてもちょっとの役とか。そういったことで芝居に対する思いが薄れた時期もありました」。

外の世界にも目が向く思春期、やはり自分自身の境遇に悩むことがあったらしい。その時期を乗り越えるきっかけとなったのは、当時丑之助と呼ばれた彼の菊之助襲名公演だった。

「自分の転機となったのは、菊之助襲名です。学生を卒業して、全然歌舞伎の舞台に立っていなかったんですが、その際に『鏡獅子』と『弁天小僧』という大役をやらせていただいたんですね。そのときにけっこう挫折をしたんですよ(笑)。やはり歌舞伎座という舞台は歌舞伎役者にとっては特別で、2000人以上入る小屋の中、一人で主役を張るというのは、特別な力がないとできないことだなというのを感じました。あまりのできなさに、自分自身に対して嫌になったんですよね。それでこれはもっと勉強しなければならないと奮い立たされました」。

挫折した、という言葉の割に、笑いを含むその口調はあっけらかんとして、清々しささえ漂っている。約1カ月にわたる興行期間。その間、「毎日の舞台で」そうした思いを感じ続けた。そんな日々に彼を支え、歌舞伎役者として成長させたもの、それは「先祖の力」だった。役を守ってきた先祖への憧れ、そして満足な演技ができないときでも拍手を送り、励ましてくれた観客の存在と、その思い。ただ流されるように日々を過ごしていた名門の後継者が、大きな挫折を経験したことにより、芸や先達に対する尊敬の念と、観客への感謝の思いを、改めて感じることができたのだろう。

もともと幼い頃から現代劇などにも出演していた菊之助だが、最近では映画出演や声優など、さらにその活動の範囲を広げている。近年は菊之助のみならず、市川海老蔵や中村獅童など、さまざまな若手が他メディアに露出。その影響もあってか、歌舞伎が若い世代にとって身近な存在となりつつあるようだ。菊之助が積極的に歌舞伎以外のジャンルに取り組むのには、歌舞伎を一般に広めようという意図があるからなのだろうか。「若い方が観に来てくださる機会が増えているのは確か」、そう認めつつも、自分自身が映像に出るのは「俳優の勉強として」であり、あくまで「本業は歌舞伎役者」だと言う。菊之助にとって歌舞伎を世に広める手段、それは歌舞伎の世界の内側を変えることにあった。

「歌舞伎というのは確かに知識があれば深く理解することはできるんですけれども、そのために、知識がないと難しいとか、敷居が高いとか、思われがちなんですよね。だから今回のように知識がなくても楽しめる新作の歌舞伎をつくり、その結果、世の中の人に観ていただく機会が増えれば、より多くの若い世代の方にも歌舞伎に注目していただけると思うんです。芸の伝承と新作をつくる志、これらを持って日本の伝統である歌舞伎というものを知っていただく、観ていただく機会を少しでも増やしていくことが、これからの私の使命であると思っています」。

新作をつくる。簡単なことのように思えるが、伝統や家柄、礼節を重んじる歌舞伎の世界において、新たな作品を発案し、実現に至るまでの過程にはさまざまな苦労があるだろう。江戸と上方、東西で異なる演出法、化粧や衣裳により区別される様式化された役柄、そしてそれぞれの家に、細部にわたって伝えられる型 — 古く江戸時代から伝わる決まりごとを踏まえつつ、これまでも新作はつくられてきた。しかしその多くが古き日本に題材を求めたものだ。今回、一人の若手が新作を、それも国を越えた作品を生み出した。もちろん、菊之助が名門の後継だからこそ、可能になるという面もあるはずだ。しかし、自らの道に迷い、歌舞伎の行く末を憂えた若者が、新しい伝統の創造に新境地を見出し、進んでいくその姿はやはり頼もしく、こうした若者によって築かれる歌舞伎の将来に、希望を感じずにはいられない。

広い視野で歌舞伎を語り続けた菊之助に最後、一個の役者として、歌舞伎を演じるうえで何を一番大切にしているのか、聞いてみた。

「感じることですね。伝統のあるなかで、やはり決められた規定というのは継承していかなければならないし、やらなければならない台詞まわしもあるんです。ただそれは役に対するアプローチの仕方を先祖から教わっているのであって、アプローチをそのままやってはガワ(外見)だけの人間になってしまう。守りつつ、その役をどう感じて、自分のなかの言葉としてどう出せるか。感じる役者に、なりたいと思います」。

一拍置いた後、一気に言い切った。先祖代々、伝承された型を守り、後の世代に引き継ぐことを定められた者が求める、自分だけの表現方法。今を生きる若き歌舞伎役者の、何とも爽やかな決意表明だった。

*1 梨園の御曹司: 歌舞伎界の名門に生まれた子弟
*2 音羽屋: 尾上菊五郎家の屋号(歌舞伎役者が名字とは別に持つ家の称号)

5代目 尾上 菊之助
1977年8月1日生まれ、東京都出身。歌舞伎俳優の7代目尾上菊五郎を父に、女優、富司純子を母に持つ、歌舞伎界注目の若手。84年2月、6代目尾上丑之助として「絵本牛若丸」の牛若丸で初舞台を踏む。以降、数々の舞台を務め、96年5月には5代目尾上菊之助襲名公演を行い、『弁天娘女男白浪』の弁天小僧、『春輿鏡獅子』の小姓弥生などの大役を演じた。現代劇、映画など他分野への出演も多く、2005年に自らがプロデュースを手掛けた歌舞伎版「十二夜」初演において、朝日舞台芸術賞にて寺山修司賞受賞など、数々の賞を獲得した。

松竹歌舞伎
NINAGAWA 十二夜 ロンドン公演

あらすじ
琵琶姫と主膳之助という双子の兄妹が紀州沖で海難事故に遭い、琵琶姫のみが船長とともに岸にたどり着く。琵琶姫は、行方不明となった兄の身を案じつつ、自分の身を守るために「獅子丸」と名乗り、男装してその地域の領主、大篠左大臣に仕えることにする。

原作 ウィリアム・シェイクスピア
演出 蜷川幸雄
製作 松竹株式会社
日時 3月24日(火)~28日(土)19:00~
場所 Barbican Theatre
Silk Street London EC2Y 8DS
Box Office: 0845 120 7550
料金 10~40ポンド
  日本語公演(英語字幕付き)
キャスト 尾上菊五郎、尾上菊之助、ほか
 

統計だけじゃ分からない移民のキモチ

統計だけじゃ分からない移民のキモチ

「外国人労働者が1年間で17万5000人増えた。英国人労働者の雇用が危ない」「東欧からの移民数が47%減少した。次はEU圏外の移民を減らそう」̶̶世界的不況がまだまだ続くと予想されるなか、英国では今、外国人労働者に対する風当たりが日に日に強くなっている。はたして移民とは、英国人の日々の生活を脅かす存在なのだろうか。今回は、ロンドンでコツコツ真面目に働く4人の移民労働者にインタビュー。彼らはどんなことを考えて祖国を離れ、どんなことを考えながら日々を過ごしているのか。統計を見ただけでは分からない、移民労働者たちの心の内を覗くことで、移民大国、英国のもう一つの姿を見てみよう。(執筆: 内山 久恵)

アラシッドさん 28歳 アルジェリア出身

フランスで大学卒業後、2004年に渡英。派遣会社を通じて、ホテル清掃員、BBCでの事務作業、某有名レストランのウェイターなどさまざまな職を経験。現在はホテル地下駐車場の管理業務を行っている。
アラシッドさん
schedule
アラシッドさんの1日のスケジュール
05:30 起床
06:30 車で出勤(友人と3人で相乗り)
07:00 仕事開始 ─お客さんが駐車しに来たら会計をして、鍵を預かり車を移動させる
14:30 仕事終了(終了時間は日によって異なる)
15:30 家に帰ってシャワーを浴びる
17:00 町に繰り出して、ショッピングをしたり友達と会ったり。たまにはサッカーをすることも
21:00 帰宅。またシャワーを浴びる。その後はテレビを観たり、友人と一緒にご飯をつくって食べる
23:00 就寝

「僕が英国で働いていて思うのは、英語ができない外国人労働者を冷遇する派遣会社が多いということ」と主張するアラシッドさんは、北アフリカのアルジェリア出身。フランスの大学を卒業してからは英国でさまざまな職に挑戦してきた。現在は駐車場の管理人として働いているアラシッドさんが、ホテルの清掃員時代の苦労話を聞かせてくれた。「ホテルの清掃員をやっていたころ、派遣会社が僕にくれた給料は、一部屋たったの1.8ポンド。一部屋掃除するのに30分はかかるし、塵一つ残さないようにしないとチェックが来てやり直しをさせられた。言いたい放題文句を言ってくるけど、そのころは英語もまだうまくなかったから反論できないしね。結局長くは続かなくて2カ月でやめたよ」。

英語ができない人に対する扱いの冷たさは、駐車場管理をしている今でも感じることがある。「僕の同僚は東南アジア出身で、かなりなまりが強い英語を話すんだ。そういう人に接するとき、ほとんどのお客さんは丁寧に接してくれるけど、たまに急に態度が変わって冷たくなる人がいるんだよね」。それでは、他の国ではどうなのだろう。「僕はフランス語圏で生まれ育っていてフランス語を話すから、大学はフランスの学校を選んだんだ。だけど英国よりもフランスの方がそういう傾向は強いと思ったな。言葉をちゃんと話せない外国人はかなり冷たい目で見られていたね。だからフランスに残って働こうとは思わなかった。英国でもそうだけど、やっぱり言葉が通じないと不信感を持ってしまうんだろうね」。やはり海外で暮らすうえで、言語の壁というのは大きくのしかかってくる問題のようだ。

現在の駐車場管理の仕事は、ホテルとの契約で得たもの。2年契約の固定給を受け取っており、生活は安定。労働組合もしっかりしていて、何か不満があれば相談にのってくれるから安心、と大方は満足している。将来のことはまだ決めていないが、まだ帰国はせず、もっと良い仕事に就けるようにがんばるつもりだという。

アラシッドさんの1カ月の家計簿

勤務時間: 8時間(日。基本的に週5~6日で、時には日曜日も働くが休日手当がつく)
給与: 1000ポンド(月)

家賃 300ポンド(友人とシェア)
食費 400ポンド
交通費 93ポンド(トラベルカードとトップアップ)
電話代 35ポンド
衣服代 150ポンド(月によって違う)
娯楽費 60ポンド(飲酒はしないがタバコを吸う)
貯金 100ポンド(余裕があれば)

ラジクマールさん 42歳 スリランカ出身

ロンドン東部でOFF LICENSE (酒屋)のオーナーを務める。 奥さんと2人の子供持ち。27歳 のときに英国で1年間の語学留 学を経験し、その後2005年に再び渡英、現在に至る。
ラジクマールさん
schedule
ラジクマールさんの1日のスケジュール
05:30 起床
06:30 車で出発
07:00 開店 ─レジ準備、書類整理、牛乳配達の受け取り、商品陳列など
15:00 終了 ─次のシフトの人が交代で来てくれる。従業員3人のうち2人は常時、店の中に居るようにシフト設定。そのため時には1人が朝から晩までいたりする
16:00 子供を学校に迎えに行く
17:00 家でくつろぐ ─奥さんが友人を招待して一緒に夕飯を食べたりすることも
23:00 就寝

移民が多く集うロンドン東部でOFF LICENSEのオーナーとして働くラジクマールさん。ロンドンでの日々の生活について聞いてみると、「やっぱり周りに似たようなお店がいっぱいあるからお客さんの取り合いだね。それに牛乳や卵やガソリンなど、生活必需品が高すぎて、結構苦労しているよ。家も買っちゃったけどローンだし、車のガソリン代なんか毎週40ポンド以上かかってしまって大変なんだ」。奥さんと子供に恵まれて幸せな日々……というわけにはなかなかいかないようだ。

ラジクマールさんの出身国スリランカはインドに程近い島国。30年にわたり戦争が続く同国は治安も不安定で、日に数十人が銃撃戦により亡くなるという痛ましい事件も勃発している。そんな環境で生まれ育ったラジクマールさんは、もともとガソリンスタンドで働いていたのだが、人の下で働くよりも自分のお店を持ったほうが収入が増えると考え、一国一城の主となることを決意。より良い生活を求め、奥さんと子供を連れて渡英した。英国で1年間、語学学校に通っていたために、英語でのコミュニケーションに苦労することはなかったそうだ。しかしショップのオーナーともあって、休日はほぼゼロ。収入についても「貯金するのは難しいね。すべてが高いからお金はつくって消費するだけだ」と厳しい現実を訴える。

それでも英国にいるのはなぜなのか。子供が学校に行っていることや、家を買ったことで生活基盤がこちらにあること、それにスリランカに今、戻ったら戦乱に巻き込まれてしまうかもしれないという不安、そうしたさまざまな理由でロンドンを離れないのだという。

それでも基本精神は「人生を楽しむこと」。仕事が終わったら子供を迎えに行って毎日家族と一緒にご飯を食べるのが日課というラジクマールさんは、日々の生活の苦しさを吹き飛ばしてしまうほどの明るい性格の持ち主だ。家族と一緒にいればどんなつらいことも乗り越えられる。「人生楽しまないと!」という力強い言葉に、こちらまで励まされてしまった。

ラジクマールさんの1カ月の家計簿

勤務時間: 平均8時間(日。だいたい週6日)
利益: 平均1600ポンド(月)

家賃 700ポンド(住宅ローン)
食費 600ポンド前後(かなりまちまち)
交通費 200ポンド(ガソリン代。税込み)
電話代 30ポンド
衣服代 ほとんど買わない(2カ月に1度くらい)
娯楽費 30ポンド(酒代。1日ビール1缶程度)
貯金 0(余裕なし)

シャフィールさん 29歳 バングラディシュ出身

22歳でアラブ首長国連邦(UAE)に出稼ぎに行き、2007年9月に渡英。現在はロンドンにある公立カレッジ、キングストン・カレッジで英語を学びつつ、新聞配布のスーパーバイザーとスーパーマーケットの店員の仕事を掛け持ちしている。
シャフィールさん
schedule
シャフィールさんの1日のスケジュール
07:00 起床
07:30 スーパーマーケットでの仕事開始。(月火水)
10:30 仕事終了。ご飯を買って移動、大学へ(大学がない日は11:00まで働く)。 英語の授業(水木金)
12:30 授業終了
16:00 新聞配達のバイト
19:30 帰宅。ルームメイトとともにご飯をつくって食べたり、テレビを観たりしてくつろぐ
24:00 就寝

「ロンドン・ライトです」──夕方の帰宅ラッシュに合わせ、街中に響く声。バングラデシュ出身の学生、シャフィールさんは、平日の午後4時から7時半まで路上で新聞を配るアルバイトをしている。それに加え朝7時半から10時半まではスーパーの店員のアルバイトを、10時半から12時半までは大学で英語の勉強を、それぞれ週3日ずつ、曜日をずらし行う日々を送っている。そんな多忙な毎日を過ごしているシャフィールさんだが、英国に来る前はアラブ首長国連邦(UAE)の首長国の一つ、ドバイ首長国でレストランのシェフとして働いていたのだそうだ。そのころの給料は1カ月2000ディルハム(約5万3000円)だったが、物価の安いドバイでは生活に困ることはなかったという。

ドバイでは、近所の人とはヒンドゥ語やウルドゥ語で、職場では英語で会話をしていた。そのため現在シャフィールさんが操る言語は、母国語のバングラ語と合わせ4つ。語学に堪能な彼だが、ロンドンでの生活については意外や否定的である。「ロンドンで暮らすのは大変だよ。天気は悪いし、物価は高いし、みんな冷たいし。それに比べてドバイは僕にとってすべてが完璧なんだ。経済的な面ももちろんだけど、毎週金、土曜は飲み放題のマーケットが出るし、町で酔っ払って倒れても必ず誰かが拾って家まで届けてくれるんだ」。

それでもロンドンに来たのは「学位を取るため」。「ドバイや母国でも学位は取れるけれど、ヨーロッパ、特に英国の大学の学位は、将来もっと良い仕事をもらうためにはとても有利だからね」と明瞭な理由を持っている。現在は働きながら、大学に通うための資金を溜めつつ、生活費を自分で工面し暮らしている。大学準備金以外に貯金をする余裕はないが、大学でホテル・マネジメントを学んだら再びUAEに行き、またシェフとして働くのが夢だそうだ。

シャフィールさんの1カ月の家計簿

勤務時間:
スーパーマーケット 10時間(週)、新聞配達 10.5時間(週)
給与:
スーパーマーケット 220ポンド、新聞配達 335ポンド(月)

家賃 40ポンド(シェア)
食費 150ポンド(外食が多い)
交通費 60ポンド
(Zone2~3のトラベルカード とトップアップ)
電話代 35ポンド
衣服代 10~15ポンド
娯楽費 10~15ポンド
貯金 0(余裕なし)
大学準備金 250ポンド
(来年からの大学授業料3000ポンドの準備)

カロリーナさん 34歳 ポーランド出身

ポーランドで10年間事務員として勤務した後、ベルギーのイチゴ農園で半年間働き、2006年11月に渡英。ロンドン西部ケン ジントンのホテルで清掃員として働いた後、スーパーバイザーに昇格。29歳の弟と2人、ロンドンで暮らしている。
カロリーナさん
schedule
カロリーナさんの1日のスケジュール
06:45 起床、朝の支度
07:30 出勤
08:00 仕事開始 ─1フロア全60部屋がきちんと掃除されているかチェックする
11:30 掃除されていない部屋、やり直しの部屋をレセプションに1日3回、報告を入れる
12:00 休憩 ─お昼ご飯は食堂で購入
12:30 仕事再開
16:00 仕事終了
16:30 帰宅 ─家でテレビを観たりしてくつろぐ。料理も以前よりはするように
23:00 就寝

東欧諸国の欧州連合(EU)加盟後に急増した英国へのポーランド移民。ロンドン西部ケンジントンのホテルで働くカロリーナさんもその中の一人だ。ポーランドで事務員として10年間、その後、ベルギーのイチゴ農園で半年間働いた。友人やもともと住んでいた弟の勧めを受けて渡英。現在はその弟と共に暮しているという。今の職場も弟の紹介だ。

つい最近、清掃員からスーパーバイザーに昇格したばかりのカロリーナさん。生活の変化について聞いてみた。「清掃員として働いていたころは、朝も7時からで早いし、忙しくて帰っても料理をする気が起きなかったの。それに比べたら今の仕事はずっとましね。お給料は上がったし、仕事内容も部屋をチェックして回るだけ。ポーランドと比べたらロンドンでの生活はかなり楽になったわ。ポーランドで働いていた時は、月給がたったの600ズヴォティ(約1万8000円)。賃金が安すぎて、生活費を払ったら後にはもう何も残らなかったの」。

現在、ポーランドの経済は急激な成長を見せており、一時期は100万人もいた英国への出稼ぎ労働者は、現在50万人以下にまで落ち込んでいるという。その点を問うと、首を傾げながらこう答えてくれた。「経済が回復しているって言っても、少なくともポーランド全体ではないわね。私の地元は人口8000人の小さな町なんだけど、いまだに就職難が続いていて何も変わっていないと母が言っていたわ」。統計では見えない現実が、この言葉から浮かび上がってくる。

現在は弟と2人暮しだが、弟が友人をたくさん連れてくるので、将来的には1人でフラットを探して住みたいと考えている。「ロンドンでの生活はすごく気に入っているの。可能ならばいずれは市民権も取りたいくらいね」と語るカロリーナさん。実は最近、マネージャーから更なる昇格の話を持ち掛けられたのだとか。3週間の長期休暇までは週7日、フルで働き、休暇はポーランドの実家で家族とゆっくりと過ごしたいとうれしそうに語ってくれた。

カロリーナさんの1カ月の家計簿

勤務時間: 平均7.5時間(日) 
給与: 平均1000ポンド(月。週5シフトの場合)

家賃 0(弟が全額払っている)
食費 150ポンド
交通費 126ポンド
(Zone 1~3のトラベルカードとトップアップ)
電話代 55ポンド
衣服代 100ポンド
娯楽費 20~30ポンド(タバコ、週末の飲酒など)
貯金 定期的ではないが、余ったら随時
カード支払い 160ポンド(母国ポーランドで)
母への仕送り 100ポンド

*勤務時間・給与はおおよその目安です。

 

もっと知りたい、ほんとのダーウィン

チャールズ・ダーウィン

もっと知りたい、
ほんとのダーウィン

自然科学者チャールズ・ダーウィンの生誕200周年、そして彼の著書である「種の起源」の発表150周年を迎える今年。世界各地で祝賀イベントが行われ、ダーウィンとその偉業を称える特集番組や記事などが多く紹介されている。とはいえ、多くの人にとっては「名前だけは知っているけど……」という存在なのでは。この機に、知られざるその人となりに触れてみてはいかがだろう。(執筆: 小野塚 貴子)


ダーウィンの素顔とは?

ダーウィンの像
シュルーズベリー図書館のダーウィン像

裕福な家庭の生まれにして頭脳明晰。素敵な奥さんを見つけ、10人の子どもにも恵まれたダーウィン。「生まれた星が違うのか……」と思いきや、知れば知るほど「人間くさい」、意外なキャラクター像が浮かび上がってくる。

昔は「落ちこぼれ」だった?
父親の悩みの種だった学生時代

今からちょうど200年前、産業革命のまっただ中であった1809年に、イングランド南西部にある静かな商業街、シュルーズベリーの裕福な家柄に生を受けたチャールズ・ダーウィン。植物が大好きで、鉱物や昆虫の採集に夢中だったという子ども時代は、いかにも自然科学者としての将来を予期させる。ところが、そもそもダーウィンは自然科学者を目指していたわけではなく、高名な医師である父親からは「落ちこぼれ」のレッテルを貼られていたという。息子の将来を悲観していた父親は、まさかそんな問題児が、後に10ポンド紙幣の顔になるほどの学者になるとは想像もしな かっただろう。

「お前は狩りやネズミ捕りぐらいにしか興味が無いようだが、そんなことでは恥ずかしい思いをすることになるぞ。家族にとっても、自分自身にとってもな」そう苦言を呈した父親ロバートは、成績が振るわない息子の将来を心配し、在籍していたパブリック・スクールから退学させてしまう。そして自分の下で医師の見習いをさせたあとエディンバラ大学の医学部へ送り込むが、当の本人は医学に全く興味も情熱も見出せず、しかも血が大の苦手ときた。代わりに自然史にどっぷりはまった息子に呆れたロバートは、今度はダーウィンを聖職者にさせるべく、ケンブリッジ大学クライスト・カレッジへ入学させる。

「牧師になれば、空いた時間に好きな学問を勉強できる」と考え、父に言われるがまま神学生となったダーウィン。ここでもまた、懲りずに専攻外の自然科学や趣味の乗馬、狩猟に精を出す。とはいえ、成績は178人中10番と、決して悪くはない結果を残している。

それにしても、父の命令とはいえダーウィンが聖職者を目指していたとは、少し皮肉な話だ。ケンブリッジ大学時代は聖書の教えに全く疑問を抱かなかったというが、それから約30年後に彼が発表した進化論は、それまでの常識であった「すべての生物は全能の神によって創造された」とするキリスト教の創造論を覆すことになるのだから。

実は意外と苦労人
偉業を支えたバック・グラウンド

その功績ばかりが取り上げられるダーウィンだが、実は成人になってからの人生は、絶え間ない病気との戦いの人生でもあった。特に、英国海軍の測量船「ビーグル号」に乗船し南米大陸や南太平洋諸島を航海した後は、科学者として身を立てるため執筆活動に励むも、締め切りのプレッシャーなどから様々な症状 ─ 嘔吐、動悸、頭痛、息切れ、極度の疲労感、不眠、躁鬱など ─ に苦しんだという。

興奮すると激しい震えや嘔吐に襲われるため、パーティーなどは欠席せざるを得ず、たまに親戚の家や海辺に行く以外は、ほとんど自宅にこもりきりの隠遁生活に。20人もの専門医にかかり、ホメオパシー療法や電気ショック療法など数々の方法を試したが、その病名と原因すら定かにならなかった。ダーウィンは後に、彼にとっての人生の楽しみは研究であり「研究に没頭することで日常的な病気の不快感を忘れたり、気を紛らわせたりすることができた」と回顧している。

結婚後もロンドンで生活を送っていたものの、ダーウィンは療養と子育てにもっと適した環境を求め、33歳の時に閑静なケント州ダウン村の邸宅に引っ越す。都会を離れて田舎生活を送ることになったが、彼が研究活動を送っていたのは、折りしも大英帝国が経済的に大飛躍を遂げたビクトリア朝時代。交通機関が発達したおかげで通信事情も良く、手紙のやり取りを通じて数々の科学者たちと意見を交換したり、世界各地から標本を集めたりすることが可能だった。それにしても、ダーウィンは1日に十数通もの手紙を書いたというから、かなり筆まめだったようだ。

そしてそんな時代背景と共に彼の研究生活を支えたのが、裕福な実家からの経済的なバックアップだった。病気の症状がひどく20分仕事をするのがやっと、という日もあったそうだが、たとえ仕事ができなくても生活の糧を心配する必要はなし。ダーウィンは生活手段としてではなく「趣味」として、興味のあるテーマを追求する「ジェントルマン・サイエンティスト」 というご身分だったのだ。

ちょっぴり変わったお手本パパ
「 学者らしさ」がのぞく家庭生活

「病気がちな学者」というと、気難しく、世俗から離れた孤独なイメージを思い浮かべるが、残された日記や手紙、子どもたちによる回想録からは、愛情あふれる家庭の良きお父さん像がうかがえる。10人もの子どもに恵まれたダーウィンだが、娘の一人であるヘンリエッタは、父をこう回顧している。

父と一緒にいると、心がうきうきしたものだわ。父はとても生き生きとしていて、楽しい性格で、笑い声が素敵なの。それに、父はよき聞き手としての態度と気配りを兼ね備えていた。
  • 結婚した場合のメリット
    子どもができる、生涯の伴侶ができる─犬よりも良いだろう、家庭をとりしきってくれる、など
  • 結婚しない場合のメリット
    好きなところへ行く自由、所属するソサエティが選べる、所属するソサエティが少なくてすむ、社交クラブにおける教養のある者たちとの会話、親戚訪問を強制されない、など
  • 結婚した場合のデメリット
    子育てにまつわる費用と心配、肥満と怠惰、時間の無駄、けんか、本にかけられるお金が減る、など

子どもたちが自由に書斎に入ることを許すなど、ダーウィンは当時としては奔放に見える子育てを実行していた。ミミズの研究に没頭していた時期は、ミミズの音に対する反応を調べるために家族でピアノを演奏した、などという学者の家庭らしい微笑ましいエピソードも残されている。

さて、ダーウィンを父親に持つ気持ちは一般人には想像しにくいが、それよりもさらに想像し難いのが、彼に「人生の伴侶」として選ばれることだろう。ダーウィンはビーグル号での航海から帰国した3年後にいとこのエマ・ウェッジウッドと結婚しているが、結婚前にはいろいろと自問自答したようだ。プロポーズする前には、学者らしく「結婚した場合、しなかった場合」と題したリストまで作成している。

これを見る限り「結婚しないほうが良い」という結論にたどり着きそうなものだが、このリストを作った4カ月後、ダーウィンはエマにプロポーズし、2人は互いの生涯の伴侶となっている。

ダーウィンとエマ
左)晩年のチャールズ・ダーウィン 
右)1840年に描かれたエマ・ウェッジウッドのポートレイト

ダーウィンをつくった人々

せっかく科学者としての才能があっても、可能性を広げてくれる人々に出会わなければ、宝の持ち腐れ。どうやらダーウィンには、「自分を最大限に活かす環境」に出会う才能もあったようだ。ここではダーウィンを支え、影響を与えた人々を紹介しよう。

どちらを向いても名門家系
高名な祖父たちと、成功した父親に囲まれて

ダーウィンの家系をたどると、まるで小説に出てくるかのような、当時の紳士たちの華やかな社交界の様子が浮かび上がってくる。まずは医師として成功した父方の祖父エラズマス・ダーウィン。エラズマスは医者としてだけでなく、詩や哲学の分野でも才能を発揮し、数々の器具の発明も行った。さらには発明家ジェームス・ワットも所属した、名士たちの社交場「ルナー・ソサエティ」の創立メンバーでもある。

同じくルナー・ソサエティのメンバーだった母方の祖父ジョサイア・ウェッジウッドは、日本でも人気が高い英国の名窯「ウェッジウッド」の創始者である。ジョサイアの事業のためにエラズマスが機械を発明するなど、2人はとても仲が良かったようだ。「私に娘ができたら、是非君の息子に嫁がせよう」といった会話が交わされたかどうかは分からないが、エラズマスの息子ロバートとジョサイアの娘スザンナは後に結婚し、かくしてチャールズ・ダーウィンが生を受けた。

ダーウィンが植物好きになるきっかけを作ったとされる母のスザンナは、彼が8歳の時に病死。6人兄弟の5番目だったダーウィンは、一番上で母親代わりの姉キャロラインによって育てられる。父親ロバートは成功した医師で、厳格でワンマンなところがあったものの、後に息子が学者となるための資金を与えるなど協力を惜しまなかった。ダーウィンの述懐では、「私が若い頃、父の私に対する態度はやや不当だったが、ありがたいことに、後に私は一番のお気に入りになったと思う」とある。

一方で、ダーウィンが良家の子息として育ったことは、ビーグル号による南米調査の船員として受け入れられた理由の一つでもある。「キャプテンの話し相手」としてビーグル号に迎えられたダーウィンだったが、その条件は「ジェントルマンであること」だったのだ。ちなみに、彼がビーグル号へ乗船することに反対した父親を説得したのは、祖父のジョサイア・ウェッジウッド。彼は、後にダーウィンの妻となるエマ・ウェッジウッドの祖父でもある。

最愛の妻、エマ
甘えん坊の夫を支えた陰の立役者

病気がちで神経質な学者ダーウィンの心に、常に温かい灯りをかざしてくれた唯一絶対の存在が、愛妻のエマだった。ダーウィンは妻に向け、こう手紙を残している。

「最愛のマミー* 、具合が悪い時に君がいないと、心細くてしょうがなくなってしまう。おおマミー、君が一緒にいて僕を守ってくれてこそ、僕の心は休まるんだ。」

後に他人の目に触れることになるなんて、夢にも思わずにしたためたに違いない。とはいえ、39歳の科学者がこんな文章を書くとは、かなりの甘えん坊っぷりだ。ダーウィンより数カ月年上のエマは、彼を優しく包み込む「お母さんキャラ」だったに違いない。

そんなエマは、結婚前はフランスにピアノ留学してショパンに師事したり、野外スポーツに興じたりするなど、活動的な良家のお嬢様だった。31歳でダーウィンのプロポーズを承諾するまでに6人の求婚者を断わるという、なかなかの男泣かせでもある。ダーウィンも「ブサイクすぎる」から断られると思っていたそうが、エマにとって彼は「今まで出会った中で、いちばん表裏のない人、そしてとても愛情深い人」 だったのだとか。

10人の子ども(うち3人は幼少期に病死)を授かり、仲睦まじいダーウィン夫妻だが、一方でエマが心の葛藤を抱えていたのもまた事実だ。原因は、夫との信仰心のギャップ。当時の良家の女性にしてはリベラルな考えを持っていたエマだが、敬虔なクリスチャンであることに変わりはなく、夫が少しずつ信仰から離れていく様子をみて不安に襲われたという。最愛の夫とあの世で再会できないかもしれないという恐れは、死後の世界を信じる彼女にとって堪え難かったようだ。

その一方で、エマは夫の研究の良き理解者として協力し続けた。病弱なダーウィンのそばを片時も離れず、論文に目を通しては感想をメモし、意見を交わした。常に病気に悩まされたダーウィンだが、良きパートナーに恵まれ、幸せな結婚生活を送ったようだ。

*ダーウィンはエマに「Mammy(ママ)」という愛称をつけていた

運命を変えた出会い
恩師、友人、そしてライバル

「人の価値を的確に測るものの1つは、友人関係である」という言葉を残したダーウィン。最初から学者を目指していたわけではなかった彼が、後に自然科学界を揺るがす理論を発表するに至ったのは、様々な邂逅(かいこう)に導かれた結果だ。

まず、ケンブリッジ大学で神学を専攻していたころ、彼の人生を大きく方向転換させた人物が、植物学者のジョン・ヘンズローだ。ヘンズローの学者としての評判を聞きつけたダーウィンは、彼が開催していた夜会に足しげく通うようになり、神学生にとって必須科目ではないヘンズローのフィールド・トリップにもほぼ毎日参加。「ヘンズローと歩く男」とのあだ名が付けられるほどになる。後にヘンズローはビーグル号による南米大陸探検航海の話を持ちかけられるが、彼は調査員としてのポジションを辞退し、代わりに自慢の生徒であったダーウィンを推薦する。かくして、ダーウィンのビーグル号航海が実現することになったのだ。

そして航海後、ヘンズローの協力で科学者として一人前になりつつも、宗教的な反響を恐れて構想中の進化論を世に発表できずにいたダーウィンが、初めて「殺人を自供するかのような心境だ」とその内容を打ち明けた相手が、ヘンズローの義理の息子でもあるジョセフ・フッカーだった。フッカーは「確固とした実証が無ければ、誰にも天地創造説を否定する資格はない」と、ダーウィンに実証集めをするようアドバイス。ダーウィンは、フッカーを「どんな時も友情を与えてくれた唯一の存在」と呼んでいる。

逆に、一時は仲が良かったものの、見解の違いから後に険悪になった相手もいる。その一人が、ロンドン自然史博物館の創設者であるリチャード・オーウェンだ。一時は博学者仲間として協力しあった2人だったが、ダーウィンが「種の起源」を出版すると、オーウェンは極端なアンチ・ダーウィン派にまわる。生物の起源に関する意見の相違は、宗教的な信条にも関わるため、ダーウィンはオーウェンをはじめ、多くの人から敵視されてしまった。

進化論が生まれるまで

それまでの価値観を一気に覆した「進化論」。
ダーウィンの功績はもちろん、その理論の誕生には様々な出会いやきっかけが関係している。

進化論はどこで生まれた?
航海が教科書、安住の地が実験室に

計らずもヘンズローの仲介で実現したビーグル号での航海は、ダーウィンの人生にとって大きな岐路となった。この体験が無ければ、ダーウィンはどこかの村で、単に自然好きな牧師として生涯を終えていたかもしれないのだ。

当初2年の予定だった航海は5年近くに及び、ダーウィンは22~27歳までのみずみずしい時代を未知の世界に触れながら過ごしたことになる。チリで命を危ぶむほどの大地震に遭い、アンデスの山を登り、ガラパゴス島で様々な生き物に出会うといった体験は、たとえ海外旅行が珍しい時代でなくても、簡単に忘れられるものではないだろう。

英国に戻ってからのダーウィンは、航海中に集めた数々の標本を基に研究と執筆活動に励み、一躍有名な学者として学界に進出することに成功した。このように、ビーグル号での体験はダーウィンを自然科学者として形成したが、実は進化論はこの航海中にできたわけではなく、その構想をスケッチし始めたのは、航海から数年たってからのことだった。

帰国後、「自然の状態のままでは、食料増産を上回るスピードで人口増加が生じ、生存競争が起こる」というマルサスの「人口論」を読み、彼の言う生存競争の原理こそ、自然の淘汰であると考えるようになったダーウィン。この考えを実証するためには膨大な量のデータが必要で、そしてその資料集めの場となった場所こそ、彼が移り住んだケント州の自宅、ダウン・ハウスの庭だった。

その庭はダーウィンにとって、まさに大きな実験室だった。広大な庭園で昆虫や動植物を研究し、「サンド・ウォーク」と呼んだ散歩道で思考をめぐらせる ── 彼が約40年間この家をほとんど離れることがなかったのも、同地がいつも新しい題材や答えを提供したからだろう。ダウン・ハウスは現在、歴史的建築物を保全する政府機関「イングリッシュ・ヘリテージ」の1つとして、一般公開されている。

あくまで「事実」を追究
無神論者ではなく、不可知論者

ダーウィンの進化論は、特に宗教との関係において微妙なテーマだ。「人類とその他の生物は共通の祖先を持つ」とするダーウィンの進化論は、神を創造主とする聖書の教えと真っ向から対立するものだと敵視する人々もいれば、双方の折り合いをつけて理解を試みる聖職者もいる。ダーウィンは、あくまで学者として進化論を発表したにすぎず、自らの宗教への考えを述べることは控えた。それどころか、彼が進化論を長い間発表しなかった理由は、信条的な衝突を恐れていたからだと言われている。

そもそも、ダーウィンの愛妻エマは経験なクリスチャンであり、彼自身も当時の良家の子どもが皆そうであったようにキリスト教的な教育を受け、大学では神学の学位を取っている。学生時代は、いまだ聖書の教えと自然科学は一体であったし、尊敬する多くの自然科学者は聖職者でもあった。

そんなダーウィンに聖書の教えに対する疑念がめばえ始めたのは、ビーグル号の航海を前後したころだ。29歳の時には婚約者のエマに、手紙で天地創造説に対する疑念を打ち明ける。エマはダーウィンが胸のうちを語ってくれたことに感謝しながらも、「私たちの間には堪え難い隙間が存在する」と戸惑う心境を伝えている。彼は後に、キリスト教に対する疑念は「だんだんと頭の中に染み込んで、ついに決定的なものになった」と述べているが、その決定打となったのが、最愛の娘アンの病死だった。アンの死後、礼拝に参加することをやめたダーウィンは、妻と子どもたちを教会まで送ると、自分だけ外で待っていたという。

ただ、ダーウィンは自らを「athiest(無神論者)」と呼ぶことは避け、代わりに「agnostic(不可知論者)*」と称し、「すべてのものの始まりに関する謎を解明するなど、我々には無理なことだ。私自身に関して言えば、不可知論者でいることに満足する身である」という言葉を残している。

* 神や来世の存在は証明しようがないので、正しいとも誤りであるとも言えない、とする考え

ライバルの出現
尻込みする学者の背を押したきっかけとは

20年間も構想が温められていたものの、社会的な反響を恐れるあまり、発表がためらわれていた進化論。ダーウィンの前に突然ライバルが出現しなければ、その学説は永久に知られずにいたかもしれない。

1844年、「創造の自然史の痕跡」と題された1冊の本が社会論争を巻き起こした。「人類は神によって創造されたのではなく、下等霊長類から進化した」と示唆したその本は、あらかじめ反響を予期し、著者名を伏せて発表された。* この本が学者たちにことごとく批判、糾弾されたため、ダーウィンはより研究発表に消極的になってしまったという。

そして1858年、ある決定的な出来事が起こる。ダウン村の自宅でひっそりと研究を続けていたダーウィンの下に、遠く離れたマレー諸島から郵便物が届いた。差出人は、かねてから交流のあった若い学者、アルフレッド・ウォレス。同封された論文を読んで、ダーウィンは驚愕する ── なんと、自分が温めていた理論とそっくりだったのだ。ここでダーウィンはジレンマを抱える。慌てて研究を発表すれば、自論がダーウィンのそれと似通っているとは露知らず、自分を慕って論文を送ってくれたウォレスを裏切ることになる。かといってここで引き下がり自分の研究を闇に葬ってしまえば、今までの苦労がすべて水の泡になる。悩めるダーウィンから相談を受けたフッカーをはじめとする友人たちは、彼にウォレスと同時に論文を発表するように勧めた。

かくして、ダーウィンの理論は学会デビューを飾った。そしてその後、ダーウィンは急ピッチで執筆に専念。より広い読者層に訴えかけるため、分かりやすい例や言葉遣いを選ぶよう配慮し、翌年に出版された「種の起源」は瞬く間に売れると同時に社会的物議を醸し出すことになる。ウォレスというライバルの存在がなければ、「種の起源」は今ほど求心力を持つ読み物にならなかったかもしれない。

* 同書の出版社のオーナーでもあるロバート・チェンバースの死後、 彼が著者であったということが判明している。

ダウン・ハウスとサンド・ウォーク
左)ダーウィンが40年間過ごしたケント州のダウン・ハウス
右)散歩道であり発見の宝庫であったサンド・ウォーク

ダーウィンの格言

その73年の人生の中で、数多くの格言を残したダーウィン。 思慮深く洞察力に溢れるその言葉の節々からも、彼の姿や生き方が垣間見える。

"Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge: it is those who know little, and not those who know much, who so positively assert that this or that problem will never be solved by science."

無知は、博識よりも自信を与えるものである。あの問題やこの問題は科学で解決できるものではない、と自信満々に言い切る者に限って、あまり知識を持たない者だったりするのだ。

"A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life."

たとえ1時間でも無駄にする者は、人生の価値を未だ知らずにいる者である。

ダーウィン豆知識

  • 1809年2月12日に生まれたダーウィン。まったく同じ日に、大西洋を隔てた米国では、後に「奴隷解放の父」と称されるアブラハム・リンカーンが生を受けた。
  • 映画「ナルニア国物語」シリーズでエドマンドを演じている若手俳優のスキャンダー・ケインズはダーウィンの子孫である。
  • 「種の起源」原稿を受け取った編集者は、より広い読者層を引きつけるため、ダーウィンに当時流行っていたハトの飼育をテーマにした本にするようアドバイスした。
  • 昨年9月、英国国教会は公式サイト上で、 当時ダーウィンに対して不当で感情的な対応をしたことに対し、約150年ぶりに謝罪。が、ダーウィンの子孫の1人は「過ちを正すというのではなく、謝罪することで気分を軽くしたいだけでは」と批判的だった。
  • 生涯で約2000人もの人々と、手紙で意見交換したと言われるダーウィン。現在、彼がしたためた手紙約5000通が、下記ウェブサイトでデジタル化して公開されている。また、同サイトには「種の起源」の直筆原稿や研究ノート、妻エマの日記なども掲載されている。darwin-online.org.uk
チャールズ・ダーウィン年表
シュルーズベリー時代
1809年(0歳) 2月12日:イングランド南西部シュルーズベリーで、6人兄弟の第5子、次男として誕生
1818年(9歳) 7月:母のスザンナが腫瘍を患い死去
シュルーズベリー・寄宿生学校時代
1819年(10歳) 9月:寄宿制のパブリック・スクールに入学
1823年(14歳) 兄と共に、召使の年棒よりも多い費用をかけて化学実験室をつくる
1825年(16歳) 6月:狩猟に夢中になり、父より学校を退学させられる
エディンバラ大学時代
  10月:医学を学ぶためにエディンバラ大学に入学
1828年(19歳) 4月:エディンバラ大学中退
ケンブリッジ大学時代
1829年(20歳) 1月:ケンブリッジ大学、クライスト・カレッジに入学。植物採集に開眼、植物学者ヘンズローに気に入られ、よく一緒に散歩するように
1832年(23歳) 1月:ケンブリッジ大学の学士号取得
6月:ケンブリッジ大学卒業
8月:ビーグル号への搭乗を持ちかけられる
ビーグル号時代
  12月27日:出航
1836年(27歳) 1月:火山噴火を見る
2月:南米チリで大地震を体験
3月:アンデス山脈を横断
9月:ガラパゴス諸島に到着
ロンドン時代
1837年(28歳) 10月:英国に帰国
1839年(30歳) 1月:エマ・ウェッジウッドと結婚
5月:「ビーグル号航海記」出版
12月:長男ウィリアム誕生
1841年(32歳) 3月:長女アン誕生
1842年(33歳) 5・6月:「珊瑚礁の構造と分布」出版
ケント州ダウン村時代
1842年(33歳) 9月:ケント州ダウン村に転居。次女メアリーが誕生するも、3週間後に死去
1843年(34歳) 7月:叔父ジョサイアが死去
9月:三女ヘンリエッタ誕生
1844年(35歳) 1月:「火山島についての地質観察」出版
1845年(36歳) 7月:次男ジョージ誕生
1846年(37歳) 10月:「南米の地質」出版。フジツボの分類に着手
1847年(38歳) 7月:四女エリザベス誕生
1848年(39歳) 8月:三男フランシス誕生
11月:父ロバート(82歳)死去
1850年(41歳) 1月:四男レオナード誕生
1851年(42歳) 4月:最愛の長女アン(10歳)死去。信仰を捨てる
5月:五男ホレース誕生。
「蔓脚類(フジツボ 類)の研究」出版
1853年(44歳) 4月:後の友人となるハクスリーと出会う
11月:フジツボの研究に対して王認学会からロイヤル・メダルを受賞
1854年(45歳) 9月:「蔓脚類(フジツボ類)の研究」2巻出版
1856年(47歳) 5月:自然淘汰説の草稿執筆開始
12月:六男チャールズ誕生
1958年(49歳) 6月:ウォレスの論文が手元に届く。六男チャールズが死去
7月1日:ウォレスと共に論文を発表
1859年(50歳) 11月:「種の起源(自然選択の方途による種の起源について)」出版
1861年(52歳) 5月:ヘンズロー死去
1862年(53歳) 5月:「ランの受精」出版
1864年(55歳) 10月:王認学会から「コプリー賞」を受賞。だが受賞理由に「種の起源」は含まれていない
1868年(59歳) 1・2月:「飼育栽培下における動植物の変異」 出版
1871年(62歳) 2月:「人間の由来と性選択」出版
1872年(63歳) 11月:「人間および動物の表情」出版
1875年(66歳) 7月:「食虫動物」出版
11月:「登攀植物の運動と習性」出版
1876年(67歳) 5月:自伝の執筆の着手
12月:「他花および自花受精の効果」出版
1877年(68歳) 7月:「同一種の植物における花の異型」出版
11月:ケンブリッジ大学の名誉学位を受ける
1880年(71歳) 11月:「植物における運動能力」出版
1881年(72歳) 10月:「ミミズの作用による土壌の形成」出版
1882年(73歳) 4月19日:心臓発作により死去。26日、ウェストミンスター寺院に埋葬される 
 

川畠成道インタビュー

川畠成道氏
心の世界を奏でるヴァイオリニスト 川畠成道インタビュー

幼少時に視力障害を負ったヴァイオリニスト、川畠成道。ヴァイオリン奏者の父から指導を受けた後に、世界中からクラシック音楽界の逸材が集まる英国王立音楽院へ留学。同院在学時に披露した演奏で高い評価を得て以来、世界を股にかけた音楽活動を行っている。彼の演奏を耳にした誰もが、彼だけにしか奏でることのできない、その美しい音に惹かれるという。今年5月に英国で久々に開催されるコンサートに向けて、現在日本で準備を進めている川畠氏に、彼が創り出す音楽世界について聞いた。(本誌編集部: 長野 雅俊)

川畠成道プロフィール
1971年11月21日生まれ。8歳で視力をほぼ失う。桐朋学園高校・桐朋学園大学音楽学部卒業後、94年に英国王立音楽院に入学。97年、同院175周年記念コンサートでソリストに抜擢。同年に同学院を首席で卒業し、同学院史上2人目となるスペシャル・アーティスト・ステータスの称号を得た。2004年、チャールズ皇太子主催のリサイタル・シリーズに邦人アーティストとして唯一参加。ロンドンのウィグモア・ホールでのコンサート開催を、5月14日に予定している(チケットは3月2日に発売開始)。
ウェブサイト: www.kawabatanarimichi.jp

感情を揺さぶるヴァイオリニスト

休憩時間には会場のロビーを走り回っていた中学生が、彼が弾く「アヴェ・マリア」を聴いた途端に涙した。イタリアのボローニャ歌劇場でボローニャ歌劇場室内合奏団と共に演奏したヴィヴァルディの「四季」に感動した満員の聴衆が、総立ちになってカーテン・コールを30分以上も続けた。「20世紀で最高のヴァイオリニスト」と称されるアイザック・スターン氏が、幼少期の彼の演奏を聴くと珍しく興奮し、「素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!」と叫んだ。

優れた演奏家たちが皆そうであるように、川畠氏の演奏には、聴く者の感情を揺さぶる「何か」があるという。五線譜上では無機質に並べられているに過ぎない音符の羅列が、人々の心を動かす旋律へとどうやって変化するのか。

西洋におけるいわゆるクラシック音楽作品の多くは、作曲 されてから既に何百年という歴史を持っている。そうした作品は、世界中に存在する数え切れないほどの演奏家たちの手によって、これまで何度も演奏されてきた。それなのに愛好家たちは、いまだ飽き足らずにクラシック音楽を繰り返し聴き続けている。それぞれの時代や国に生まれた演奏家の技術や解釈によって、そうした音楽がまた新しく生まれ変わる可能性を常に信じ続けているからだ。

こんな日に限ってつながりの悪いロンドンからの国際電話でも、日本の自宅にいる川畠さんが、言葉を選びながら自身の音楽観について語ろうとしてくれているのが分かる。「これだけたくさんの演奏家がいらして、どの方たちも同じようなレパートリーを演奏しているわけです。でもそれぞれの演奏家が持っているものが違うので、同じ曲を弾いても同じ演奏にはならないんですよね。自分自身がどうしても音楽に表れてくる。自身の持っているものを表現するというのが、音楽なのだと思います」。電話回線が時折途切れてしまっていらいらしそうになっては、誠実な印象を受ける川畠氏のゆったりとした声を聞いて、ほっとする。

では音楽で表される自分らしさって何でしょう。気を取り直してそう聞くと、「自分自身とは何か、となると非常に難しい問題になりますけどね」と苦笑しながら、また丁寧な言葉遣いで答えてくれる。「とにかく自分がどういう表現をしたいのか、という問いは常に頭の中にあるんです。行き詰まったときには、ヴァイオリンを持つ前に声に出して歌ってみたりして、自分が今出したい音を確認してみることもあります。表現したいものは何なのかと問い掛けながら、自分に正直であることが大切なのだと思います」。

川畠成道氏音を紡ぎ出す幻想の世界

川畠氏の演奏を耳にしたことのある誰もが、彼のヴァイオリンが奏でる音の美しさに酔ってしまうのだという。そして、思わず感情を揺さぶられてしまう。米国デビューとなった2000年のロサンゼルス公演を批評した「ロサンゼルス・タイムズ」紙は、その演奏を「うっとりするほどの情緒溢れる詩的な表現」であると伝え、川畠氏が首席で卒業した英国王立音楽院のカーティス・プライス院長は「曲のフィーリングを表現することに非常に長けている」と評している。

クラシック音楽の専門家はもちろん、普段はそうした音楽 に馴染みのない者までが彼の演奏に心を奪われるのはなぜ か。人間の声とほぼ同じ音域と言われている、ヴァイオリンに取り付けられた4本の弦と彼が持つ弓が重なり音を立てるとき、聴衆の心が揺れるのはどうしてだろう。

川畠氏の日本デビュー公演で指揮者を務めた小林研一郎氏 は、彼を見ると「逆にうらやましい」と感じるという。この「逆に」という言葉は、音楽の才能に加えて、彼の視力障害を慮ったことから出てきたものだと思われる。ハンガリー国立交響楽団やチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を歴任した第一人者からの、最大の賛辞として受け止めていいのだろう。「彼が音を紡ぎ出す源泉となる幻想の世界が、我々が目で見えている世界よりも生き生きとしているようで、音楽家としては逆にうらやましい」と。

そう、川畠氏は、視力障害を持ったヴァイオリニストなのだ。

菩提樹までの近く遠い道のり

川畠氏は1971年、東京に生まれた。ヴァイオリンの演奏家であった川畠正雄氏を父に持ったが、音楽家として生きていくことの厳しさを誰よりも知るその父の教育方針もあり、彼が特別な音楽教育を受けることはなかった。

川畠氏の人生が大きく動いたのは、彼が8歳のときだ。米ロサンゼルス近郊にある本場のディズニーランドを訪れよう と、母方の祖父母と共に海外旅行に出掛けた際に、渡米2日目にして風邪を引いてしまった。娘夫婦から預かった大切な孫の体を心配した祖父母は、宿泊先のホテルに現地の医師を呼ぶ。そしてその医師に処方された薬を飲んだのだが、症状はさらに悪化。容体は深刻化し、数日後にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学病院に運ばれると、スティーブンス・ジョンソン症候群という、薬害が原因と推測される生存率5%の難病を患ったことが判明した。

緊急入院してからも、40度の高熱が1カ月間続いたという。その間に川畠氏の皮膚は赤くただれてしまい、爪の組織は死滅。そして家族にとって何よりもショックだったのは、実生活に支障をきたすほど、視力が極度に落ちてしまったことであった。

生死を彷徨っていたこの幼少時においてでさえ、川畠氏にはいくつかの思い出が残っている。28歳の若き医師が、3カ月にわたり親身になって看病してくれたこと。米国籍を持つハルコ・スズキという名の日本人栄養士が、自分で文字を読み取ることのできなくなってしまった川畠氏に代わってシャーロック・ホームズの物語を朗読してくれたこと。そして、病院近くの菩提樹までの道のりを毎日歩いたこと。

懸命の治療により何とか一命を取り留めた川畠氏を待っていたのは、単調ながらも厳しく辛いリハビリだった。後遺症によってきしむように痛む体を動かせるようになるため、病院の隣にある植物園の入り口付近に植えられた菩提樹まで歩くことを日課にしていたという。「距離にすると、たぶん10メートルぐらいだと思うんです。実はその後、コンサートを開かせていただくために20年ぶりにロサンゼルスを再訪した際に、その菩提樹まで行ったんですよ。病院からの距離は、笑ってしまうぐらい近かった。ただその20年前、つまり8歳の自分にとっては遠い存在で、そこまで歩いて行けるように、というのが一つの目標だったんですね。今日は一歩、明日はも う一歩近付くって」。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学病院内を散歩する入院中の川畠さん
病院内を散歩する川畠さん
ロサンゼルスへと一緒に旅行に出掛けた祖父と幼少時の川畠氏。病後に撮影されたものであるにも関わらず、2人の生き生きとした表情が印象的
おじいさんと一緒に

家族一体となってのヴァイオリン練習

リハビリを終えて日本に帰国した川畠さんは、この先の長い人生を生き切るために、たとえ目が見えなくても生活していけるだけの技術を身に付けなければならないという課題に直面する。そこで父の正雄さんは、それまでの方針を撤回して、息子にヴァイオリン教育を施すことを決めた。

プロとして活動するヴァイオリニストの多くが3、4歳頃か ら子供用のヴァイオリンを使って練習を始めるなか、川畠さんの10歳からのスタートは遅過ぎるように思えた。この遅れを取り戻そうと、家族が一体となっての特訓が始まる。父は仕事から帰って夕食もそこそこに、息子に技術を徹底的に教え込み、超絶技巧で知られるヴィエニャフスキーなどの難曲までをも弾きこなすことを求めた。また母は、視力の落ちた川畠氏にも見えるよう、模造紙に太いマジックで楽譜を写し取る役目を担った。一つ一つの音符を大きく書くので、模造紙上の五線は3段分にしかならない。その楽譜の束を壁に張り、一枚一枚はぎとりながら弾くのだ。長い曲になると100枚近くになり、部屋は大きな模造紙で埋まったという。

川畠氏はチャリティ・コンサートを積極的に行うことでも知られている。写真は日本のある養護学校で開催したときのもの
チャリティ・コンサート

自分の中に染み込んだ音

先に紹介した小林氏が賛辞の中で示したように、プロの音楽家としてデビューしてから既に10年が過ぎた今となっても、視力障害を抱えているとの事実は、彼の演奏スタイルに少なからず影響を与えているように見える。中学生になった頃ぐらいからは模造紙上の特大文字も読めなくなり、川畠氏の現在の視力は光の存在を確認できる程度。演奏を行うには暗譜が必須だ。「まず楽譜を覚えてそれから練習が始められる。いかに覚えるのを早くするか、というのが最初の課題」という環境下において、腕が覚えたレパートリーの数は100曲以上に上る。

暗譜に際しては、CDが出ているものであればその演奏を聴いて覚えたり、また妻や友人など近しい人に弾いてもらう。そうして音を覚えてから1、2カ月ほど練習を続けていくと、音がやがて自分の中に「染み込んでいく」のを実感するという。この「染み込んでいく」という独特の表現を言い換えるならば、「自分らしい音になる」といった言葉になるだろうか。

「音というのは言ってみれば原子みたいなもので、その音が集まって表現になっていく。そうした元になる一音一音が自分自身のものであるということ。聴衆の方が一音聴いただけで、ああ、これが川畠成道の音だなって思っていただけるような音を出したい。そうした音が寄り集まっていくと、さらに大きな表現になっていくと思っています」。

では、「川畠成道の音」とは何か。彼は、少し回り道をしながら、その答えを何とか言葉にしてくれた。「音楽表現においてはもちろん楽器を持って弾いている時間、つまり練習している時間というのも大切なんですけど、それ以外に色々経験するというのが大事なのだと思います。例えばイタリアのボローニャでコンサートを開かせていただいた経験がありますけども、その地の空気を吸って、その土地の人たちと交流を持って、一緒に演奏したりして、初めて感じることというものがある。またそのとき見た青い空が、音楽のイメージになったりするんですよ」。

でも、彼には視力障害がある。「そう、視力の問題があるので、実際その青い空を見たことがある、というわけではないですよね。でも、やはり自分の心の中では見えるんです、こういうイメージというのは。不思議に思われるかもしれませんが、自分が訪れた景色が見えているんです。これまでお世話になった方々のお顔も浮かんできますしね。きっと、それが私の音楽表現に結び付いている。そうして見えているものたちは、心の中の世界で生きている、と言ってもいいのではないかと思いますけれど」。

心の中の世界。そんなありふれた言葉も、川畠さんの口から発せられると美しい響きを持って聞こえてくる。そして私たちの心の中にも、そういえばそうした広大な世界が確かに存在しているのだと、再発見したような気持ちにならないだろうか。

彼は心の世界で生まれた感情や風景を、音楽として聴衆に 伝えているのだ。例えば、ロサンゼルスの大学病院でシャーロック・ホームズの物語を読み聞かせてくれた日本人栄養士、ハルコ・スズキさんのアメリカン・ネームは、「マリアン」だった。川畠氏が彼女とそしてこれまで自分を支えてくれた人たちに捧げたグノー作曲の「アヴェ・マリア」は、彼のセカンド・アルバムのタイトルとなり、その思いはやがて世に届いた。またボローニャを訪れたときに見たイタリア独特の青く澄みきった空は、パガニーニの「カンタービレ」における開放的な旋律になった、という風に。

当然のことながら、私たち聴衆は、ハルコ・スズキさんの素顔を知らない。ボローニャならば訪れたことがある、という人がいたとしても、川畠さんが訪れた日とは空模様が全く異なるだろう。でも、そうした出来事を通して川畠さんが感じた思いは結晶化されて美しい旋律となり、空気の振動となって聴衆の心に入り込む。川畠氏が、ヴァイオリンの音だけでなく、心象世界を奏でているからだ。

目には見えず、言葉にもできない、でも生きていく上で大切な思いを伝えるという、音楽が最も音楽らしい姿になる瞬間を実現させるところに、彼の演奏の魅力があるのかもしれない。「里帰りのような気分ですね」と言いながら、英国で久々に開くコンサートを前にした彼には今、どんな世界が見えているのだろうか。

ベルリンでの一枚
左)海外での活動も精力的に行っている。写真はベルリンの教会でCDレコーディングを行ったときの1枚
右上)川畠氏が1997年に首席で卒業した英国王立音楽院の建物 © Royal Academy of Music, London
右下)5月に行われるコンサートの会場、ウィグモア・ ホール © C Nick Guttridge

川畠成道コンサート
日時: 5月14日(木)19:30(3月2日(月)チケット発売)
ピアノ: ロデリック・チャドウィック
会場: Wigmore Hall 36 Wigmore Street London W1U 2BP
最寄駅: 地下鉄Bond Street / Oxford Circus
チケット: £18、£16、£12、£10
Box Office Tel: 020 7935 2141
www.wigmore-hall.org.uk

ロンドン・ファンの集い
日時: 5 月17 日(日)
場所: Lanka; 90 Belsize Lane London NW3 5BE
地下鉄Swiss Cottageより徒歩5分

第1部: 15:00~ 17:00
「川畠成道とともにスウィート・ヴァイオリン」

(無伴奏の曲を聴かせていただき、プチケーキ、マカロンと紅茶での会)チケット£15
第2部: 19:00~ 21:00
「川畠成道と過ごすシャンペン・イブニング」

(無伴奏の曲を聴かせていただき、シャンペンとカナッペでの会) チケット£30

お申し込み先
川畠成道音楽事務所 ロンドンオフィス 小滝奈穂子
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
Tel: 07979 154 423
 

英国スピリチュアル体験ガイド

英国スピリチュアル体験ガイド

英国では19世紀半ばよりスピリチュアリズムが浸透し、以後、さまざまな活動や研究が行われてきた。それだけに長い歴史を持つ関連団体が多く、その内容も多岐に渡っている。そこで今回は、英国ならではのスピリチュアル体験情報を厳選してご紹介。自分に合ったタイプの体験を見つけて、この機会に新しい世界に足を踏み入れてみるもよし、自分を見つめ直す旅に出るもよし。知れば知るほど奥深い、果てなき深遠ワールドへ、いざ……!(文・黒澤里吏)

あなたのタイプをチェック!

A 精神世界を追求するヒッピー・タイプ
エコな共同生活で自己探求

きっかけは、内なる声

スコットランドはインバネスの北東、北海に向けて開けるマレー湾の南側に位置する人口約900人の小さな村、フィンドホーン。この、まるで世界の果てとも思えるような閑静 な村に、国内最大級のスピリチュアル・コミュニティーがあるのをご存知だろうか。

ことの起こりは1957年。スピリチュアリストのシーナ・ゴーヴァンの下でロンドンを拠点に活動していたアイリーン&ピーター・キャディ夫妻とドロシー・マクリーンは、フィンドホーンから約10キロ離れた村、フォレスにある1軒のホテルの経営を任される。アイリーンが常々授かっていた「内なる声」に耳を傾け、その導きどおり実践することで、破綻寸前だった宿を4ツ星ホテルに昇格させるまでに成功させた3人だったが、諸々の事情からそこを立ち退かなければならなくなる。

1962年、住む場所を失った彼らは、フィンドホーン湾に面した荒地でのトレーラー生活を強いられ、所持金も少なかったため、自給自足を試みようと野菜づくりに取りかかる。乾いた砂地という悪条件の下、再び「内なる声」に従い、諦めることなく地道に作業を行ったのだ。するとまもなくドロシーが、植物のディーバ(精霊)と交信することを覚え始める。3人はディーバが放つメッセージを聞き、それに従うよう心掛けた。その結果、砂地の土壌では生育しづらい植物や野菜が育ち始めたのである。通常、温帯で生育する果樹やハーブ、花々などのほか、今や伝説となった重量約18キロの巨大お化けキャベツが実ったりして世間を驚かせた。

コミュニティーの誕生

菜園の噂が広まるとともに同志も集まり始め、やがてここに自然と共存するスピリチュアル・コミュニティーが誕生した。1970年に米国人スピリチュアリストたちの助力を得て教育課程が確立されると、コミュニティーは教育機関として強化され、メンバーも飛躍的に増加する。そして72年、ついにコミュニティーは「フィンドホーン財団」となり、スコットランドの慈善教育財団として認可されるのである。

80年代後半には、持続可能な村づくりを目指す「エコ・ビレッジ」計画を開始。さらに90年代に入ると、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)と共同イベントを行うなど、世界規模での活動を展開して国連から高く評価され、97年にはNGO団体として正式な認可を受けるに至る。

スピリチュアル共同体、教育機関、エコ活動組織など、さまざまな機能を併せ持つこのコミュニティーには、現在、世界中から訪れる400人以上の人々が暮らし、自然との共存やスピリチュアリティといったテーマに基づく独自の生き方を実践している。また、非営利の慈善財団として各国から毎年1万4000人もの人々を迎え入れ、各種アクティビティーを通してコミュニティー・ライフを伝えている。自然との触れ合いを通して内的世界を充実させたい人、また環境問題に自ら取り組みたい人は、「進化型スロー・ライフ」とでもいうべき共同体での生活を体験してみてはいかがだろう。

まずは体験プログラムに参加

初心者はまず1週間の体験プログラムへの参加が必要。英語に自信がない人は、年に数回、日本語プログラムを開催しているので、こちらを試してみるのも手だ。体験週間を終えた人はワンステップ上のプログラムに参加でき、さらにそのコースを修了すると、1カ月~数カ月の長期滞在も可能となる。

フィンドホーン財団

日本語体験週間

スピリチュアルな共同生活のエッセンスを体験できる、1週間の基礎プログラム。各種アクティビティー、瞑想、自然との触れ合い、奉仕活動などを通してコミュニティーに触れ、グループや自己への意識と理解を高めていく。
2009年3月28日(土)~ 4月4日(土)
料金: A £385 / B £455 / C £555(7泊8日分の宿泊と食事を含む)。

※非営利団体のフィンドホーン財団では、より幅広い層の人々が参加できるよう、料金を参加者の収入により3段階(A =低収入 / B =中収入 / C =高収入)に設定している。 A~Cのどれに属するかを自分で決め、収入に合った金額を支払う方式。
※このほか、フィンドホーンに滞在しながら英語を学ぶ「イングリッシュ・イン・コミュニティー」や、エコ村での活動に焦点を当てた「エコ村体験週間」など多彩なコースがある。詳しくはホームページをチェック。

日本人スタッフに聞きました
ローチ西森 美枝さん
個人や家族単位を超えた社会形態、人とのつながりに興味があって1998年に初訪問し、翌年に3カ月間滞在。その後、1年間のプログラム経験を経て、2001年からスタッフとして働いています。フィンドホーンのエッセンスを紹介するプログラムの運営や、日本語プログラムのコーディネーションなどが主な仕事です。日本語体験週間は、毎回平均15~20人の方々が参加されています。母国語だけによりリラックスできて理解も深まるでしょう。多国籍な環境の中で心をオープンにするチャンスでもあり、人生を振り返る機会にもなるかと思います。百聞は一見にしかず、是非一度お越しください。

ホリスティック教育センター フィンドホーン財団
The Findhorn Foundation
The Park, Findhorn Scotland IV36 3TZ
www.findhorn.org

B宇宙の神秘を探るパワー・スポッターのあなたは……
謎のレイ・ラインを旅する

聖地をつなぐ直線の発見

1921年6月30日のこと。英国中西部のヘレフォードシャー 州にある、ブレッドウォーディン近辺の丘陵を散歩していたアマチュア考古学研究家、アルフレッド・ワトキンスは、ふと、丘陵地に立つ遺跡や聖地、宗教関連施設などがすべて一直線上に並んでいることに気付く。さっそく地図を確認すると、今度は、それらの地名にどれも「ley(レイ)」の文字が含まれていることが分かった。この偶然とも必然とも言い難い奇妙な事実に心を奪われ、閃きを得たワトキンスは、この直線 を「レイ・ライン」と名付けた。

ワトキンスは、国土がもっと深い森に覆われていた古代には、村と村はこの直線ルートのネットワークでつながっており、小高い丘に立つ名所はランドマークの役割を果たしていたのではないかと考えた。 彼は自身の考察を「The Old Straight Track」という本に著し1925年に発表したが、残念ながら考古学学会からは懐疑的な目で見られ、学説としては受け入れられなかった。というのも、例えばランダムに多数の点を配置すると、それらはいくらでも直線で結ぶことができる。そういう見方からすると、レイ・ラインに特別な法則があるわけではなく「線で結べるのは当たり前」とも考えられるからである。また、たとえレイ・ラインなるものが実在したとしても、古代人がなぜそのような直線性をもたせたのかという疑問が浮かび上がる。

パワー・スポットの神秘

しかしその後も研究は続けられ、直線的に並ぶ古代遺跡が英国に限らず世界各地にも存在すると提唱され始める。そ れらは地名に関係なく「レイ・ライン」と呼ばれるようになり、そして各地でますます多くの意見が交わされることに。レイ・ラインが地下水脈や地磁気と関係しているとする説や、太陽の動きや方角に関わりがあるとする風水的な見方、超自然的エネルギーの共鳴地点だとする説(UFO はレイ・ラインに沿って移動するとも言われる)などが代表的だが、どれも基本的に科学的な根拠に裏付けられたものではない。それなのになぜ、こんなにもレイ・ラインは人々を引きつけるのだろうか。

一般的に教会や修道院などの宗教施設は、宇宙の波動や地中の強いエネルギーを取り入れるため「パワー・スポット」と呼ばれる、地球上の生命や物質のエネルギーが集中している場所に建てられていることが多い。つまり、レイ・ラインはパワー・スポットの集まりというわけだ。ではパワー・スポットは一体どうやって発見されたのかという疑問が浮上するが、つまりは、遥か古代より人間(なかでも特に感受性の強いシャーマンなど)が宇宙の気を感じ取り、エネルギーが満ちている場所を嗅ぎわけ、または導かれ、選び取ってきたということなのではないだろうか。

レイ・ラインとは一体何か。パワー・スポットから放たれるエネルギーとはどんなものか。その答えを探るためにも、ぜひ自らその場所へ足を運んでみよう。

英国最大のレイ・ライン
セント・マイケルズ・ライン St. Michael’s Line

英国にはレイ・ラインが数多く走っているとされるが、なかでも最大と言われ、世界的にも有名なのがこの1本。線上には数多くのパワー・スポットが存在するほか、教会も無数にあり、そのほとんどが大天使ミカエル(St. Michael)に捧げられたものであることから、この名が付けられている。ここでは主要8スポットを紹介しよう。

イギリスのレイライン


St. Michael’s Mountセント・マイケルズ・マウント
St. Michael’s Mount

ペンザンスから約5キロ東の沖合いに浮かぶ島。12世紀にフランスのモン・サン・ミッシェルの修道長によってベネディクト派の修道院が建てられ、巡礼者の拠点として栄えたことや、干潮時には対岸と陸続きになり、歩いて島まで行けることから「英国のモン・サン・ミッシェル」との異名を持つ。15世紀のバラ戦争や16世紀のコーンウォールの反乱などで要塞として利用された城は、後に個人所有の住居として使われていたが、現在はナショナル・トラストの管理下で一般公開されている。

Roche Rock ローチ・ロックローチ・ロック
Roche Rock

アーサー王伝説に登場する、トリスタンとイゾルデの悲恋物語にちなんだ旧跡。荒々しい岩肌を晒した巨大な花崗岩が、1409年に大天使ミカエルのために建てられた礼拝堂跡に寄生するかのように寄り添い、神秘的なフォルムを描き出している。

The Hurler’s Stone Circle ハーラーズ・ストーン・サークルハーラーズ・ストーン・サークル
The Hurler’s Stone Circle

コーンウォール州の村、ボドミンムーアにある紀元前1500年頃の青銅器 時代の遺跡で、謎めいた3つの環状列石が見られる。男たちが日曜日にケルトの球技「ハーリング」をするために石に変身した、という中世の伝説が名前の由来。

ブレントール
Brentor

広大な敷地に奇岩が点在するデボン州の国立公園、ダートムーアの西端にある小高い丘には、13世紀に建てられた大天使ミカエルの教会が佇む。エクスムーアやコーンウォール東部まで一望できる眺めの良さも魅力だ。周囲には鉄器時代の要塞跡も見られ、数多くの伝説が残る。

ブロー・マンプ
Burrow Mump

なだらかな平原が果てしなく広がる、サマセット州のトーントン・ディーンにある高台と、その頂に残る大天使ミカエルの教会跡。トーン川の丘陵は三畳紀(約2億5100万~1億9500万年前)の粘土層に覆われた砂岩からなり、自然の要塞と呼ぶにふさわしい土壌。事実、17世紀半ばのイングランド内戦の際には王党派の一団がこの教会に避難したと言われている。現在はナショナル・トラストが所有。

グラストンベリー・トー
Glastonbury Tor

Glastonbury Tor グラストンベリー・トー英国屈指のパワー・スポット、グラストンベリーのハイライトとも言える場所。14世紀に建築された大天使ミカエルの塔が聳え立つ丘の頂上では、UFO目撃談や宇宙人との遭遇体験など数々の超常現象が報告されており、アーサー王伝説からの引用も相まって「異界への入り口」とも言われている。麓には聖水が湧き出るチャリス・ウェルという泉があり、キリスト最後の晩餐で使われた聖杯が沈められているという伝説が残る。

エイヴベリー
Avebury

Avebury エイヴベリー 直径335メートルという巨大な環状列石で知られる、ウィルトシャー州にある小さな村。ここから約30キロ離れた場所に位置するストーン・ヘンジと並んで、世界遺産に指定されている。巨石が1カ所に集まっているストーン・ヘンジとは対照的に、こちらは村全体を覆うかのように、広範囲にわたって100個近い巨石が点在しており、その大きさや形にもかなりバラつきがある。この巨大なサークルの内側に、さらに2つの小規模な環状列石があるという二重構造だ。

ロイストン・ケイヴ
Royston Cave

ハートフォードシャー州のロイストンにある、13世紀につくられた高さ8メートル、直径5メートルの円形の洞窟。近隣の村、バルドックで結成された騎士団たちが利用していたという説のほか、拘置所として使われていたという説もある。聖職者たちの磔や受難の様子が広範囲にわたって細密に描写された壁画は必見。

C おまじない大好き、魔女っ子タイプのあなたは……
白魔術を学んでペイガン生活

古来より伝わる多神教

外国人から宗教のことを聞かれて返答に困った経験はないだろうか。または日本人(アジア人)だから仏教徒か、などとぶしつけに聞かれて何か腑に落ちない、でも完全に否定することもできない自分に気付いたことはないだろうか。

日本には「神道」という多神教の宗教がある。古来の民間信仰が、外来思想の仏教や儒教などの影響を受けて理論化されたもので、祖先神や自然神への尊崇が根底にある。明確な教義や教典がなく、森羅万象に神が宿ると考え、祭祀を重視する神道は、日本で育った日本人なら誰しも何かしら影響を受けている部分があると言えるだろう。

キリスト教以前のヨーロッパには、この神道のような土着の多神教がいくつも存在していた。信者たちは自然を崇拝し、儀式や魔術を行っていたが、唯一神のキリスト教が誕生すると、それらの古い信仰は異教として扱われ、その信者たちは侮蔑的に「異教徒(ペイガン)」と呼ばれて抑圧されてしまうのである。

ペイガニズムと魔女の復活

ペイガニズムところが近年になって、このペイガニズムを復興させようという動きが出てくる。季節ごとの祭祀や民間伝承、自然崇拝といった古くからの伝統を生かしながらも、より時代に合わせた新しい信仰の形を追い求めるという意味で、この運動は「ネオペイガニズム」とも呼ばれるようになる。これにともない、古代に異教を伝える役割を担っていた魔女の信仰と知恵を復興させる運動も起こり、なかでも20世紀半ば、ようやく魔女禁止令が廃止された英国で、ジェラルド・ガードナーという人物が行った魔女宗教復活運動によって「ウィッチクラフト」や「ウィッカ」という言葉が一般に浸透、ネオペイガニズムの形態の一つとして認識されるようになった。ちなみにウィッカでは、魔術はポジティブな変化のためだけに行われ、これを行う人を「白魔女」と呼ぶ。

ネオペイガニズムでは、ほかにもケルトの影響を受けた「ドルイディズム」など、実に数多くの流派があり、信条や儀式もかなり幅広くフレキシブルだ。個人で活動する人もいれば、他の宗教と掛け持ちの人もいる。

ペイガンという言葉は、宗教や信仰に興味がない人にはあまり聞き慣れないかと思うが、こうして見てみると、神道の影響を受けている日本人には非常になじみやすい信仰に思えてくる。自然や動物にも神が宿ると考え、季節の行事を大切に思う日本人なら、あとは魔術さえ学べば立派なウィッカ系ペイガン……と言ったら乱暴だろうか。ちなみに魔女は女性とは限らず、男性の魔女も数多く存在する。日本人男性のみなさんも、白魔女になるチャンスは十分にあるというわけだ。

挑戦してみる?魔女のディプロマ

「Witchcraft Out of the Shadows」の著書で知られるレオ・ルイクビー博士によって1999年に創設された「WICA (Witchcraft Information Centre and Archive)」は、魔女術、ウィッカ、ペイガニズム、オカルトなどについて学べるオンライン上の研究機関。これらのテーマに関するリサーチや各種情報の提供を行っているほ か、WICAキャンパスが設けられており、ウィッチクラフト学のディプロマ・コースも実施中。マジメに白魔女を目指したいあなたは、まずはここ からチャレンジ!
ウィッチクラフト学
ディプロマ・コース概要
全7万語、計267ページのe-bookをもとに、月に1度、メールでのレクチャー(計12回)を開催。コース修了時には筆記試験を行う。料金は月謝制で毎月£10.99(1週間の無料トライアルあり)。 www.witchology.com

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Far Away Centre( ファー・アウェイ・センター)
湖水地方にある魔術、オカルト・アート系のトレーニング・センター。週末を利用した魔女・魔法使い養成コースのほか、タロットのワークショップなど気になるコースが満載。週末コースは材料費込みで2日間£155。 www.farawaycentre.com
Museum of Witchcraft(ウィッチクラフト博物館)
魔術やウィッカにちなんだアイテムを揃えた異色の博物館。創設者であるネオペイガンの魔女、セシル・ウィリアムソンの所有物も多数展示されている。
The Harbour, Boscastle, Cornwall PL35 0HD
Tel: 0184 025 0111
www.museumofwitchcraft.com

Dビビビッときやすいサイキック・タイプのあなたは……
心霊術で未来を探る

始まりはポルターガイスト

近代スピリチュアリズムの歴史は、1848年3月31日、米国はニューヨーク州の小さな村、ハイズヴィルに住むフォックス家で起こったポルターガイスト現象に始まる。激しいラップ音に襲われる中、幼い姉妹が音の信号を用いて霊との交信に成功したというのだ。このニュースは、瞬く間に世界中に知れ渡る。それまでにも超常現象はいくつか報告されていたが、霊との交信が成功したという報告は初めてだったうえ、姉妹が在宅の時に限ってラップ音が鳴ることから姉妹の霊媒体質が明らかになり、霊媒という存在が世間に知られるようになったのである。*以降、霊媒者を介して霊魂と接触するという、近代の研究スタイルが確立されたと言われている。

英国における心霊研究

英国ではその頃から霊媒師やヒーラーが続々と出現し始め、スピリチュアリスト・チャーチが数多く建てられ、霊媒のデモンストレーションなどが定期的に行われるようになる。霊的な活動を行うグループや組織が各地で結成されていき、交霊会などを通してスピリチュアリズムを普及させていった。なかでも1872年に創設された英国スピリチュアリスト協会(以下SAGB)は、作家のコナン・ドイルも主要メンバーだったことで知られ、現在もメイフェアの一角で活動を行っている老舗だ。シッティング(霊視)をはじめ、ヒーリング、瞑想、前世療法、催眠療法などさまざまなセッションが実施されているほか、ミディアム(霊媒師)養成も行っており、テレビ朝日のトーク番組「オーラの泉」などで知られるスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏もここで学んでいる。

一方で、こういった現象を懐疑的に見る向きもあり、例えば英国心霊現象研究協会などは、秘教の大家と呼ばれるブラヴァツキー夫人が創設した神智学協会のトリックを暴くなど、心霊現象を科学的に分析する姿勢を貫いてきた。しかし同協会の創設者の一人であるフレデリック・マイヤーズが、死後、自動書記霊媒のジェラルディーン・カミンズを通して交信してきた記録である「マイヤーズ通信」なども残されており、いまだその謎は解明されるに至っていないのである。

*事件発生から40年経った1888年に、姉妹がこの事件はインチキだったと暴露。しかしその発言の背景には家族間のイザコザや精神不安定、金銭問題など複雑な事情があり、また後に姉妹がこの発言を撤回したことから、真相ははっきりしていない。

コナン・ドイル心霊学を究めたコナン・ドイル
「シャーロック・ホームズ」などの名著で知られる作家のコナン・ドイルは、1880年代半ばごろからオカルトに興味を示し、英国心霊現象研究協会に加入。しかし1906年に妻を亡くし、さらに第一次大戦後まもなくして息子、兄弟、2 人の義兄弟を立て続けに亡くしたことからうつ状態に陥り、急激に心霊学に傾倒していく。霊媒のトリックを次々と暴いた心霊現象研究協会を科学的すぎるとして脱退した後、妖精の捏造写真を信じ込むといった失態を演じたりもしたが(コティングリー妖精事件)、スピリチュアリズムの追求を続け、「コナン・ドイルの心霊学」といった著作も残している。

公開霊媒ライターがドキドキ実体験
公開霊媒に行ってきました!

SAGBが行っている、公開霊媒のデモンストレーションに参加してみた。雪が残る平日の夜7時の回とあって参加者は少なく、私を含めて5人。開催場所は「コナン・ドイル・ルーム」というほどよい大きさの部屋だ。大らかな風情の女性の霊媒師さんで、とてもリラックスした雰囲気。前情報では参加者から何人かが選ばれると聞いていたが、人数が少なかったためか、この日は全員に対して霊視が行われた。霊媒師さんいわく、私の周りには杖をついた老女が見えるという。この老女が、霊媒師さんに私のことや私の家族のことを伝えている、ということらしい。発言は必ずしも当たっているわけではないし、全くピンとこないものもある。思いっきりど真ん中を言い当てられる人もいるそうだが、もし事実と違う場合は、違うとはっきり言って良いのだとか。また興味深かったのは、参加者のうち3人がリピーターだったこと。みんな気軽に足を運んでいる様子だった。ちなみに私は近い将来、米国に行くのだそう。ほんとかしら?

公開霊媒(demonstration)
月・金15:30 火・水・木 15:30 19:00 土 16:00、第2日曜18:00
料金: £5(会員£4)所要1時間
The Spiritualist Association of Great Britain
33 Belgrave Square, London SW1X 8QB
Tel: 020 7235 3351
www.spiritualistassociation.org.uk

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Collage of Psychic Studies(サイキック・スタディ学院)
1884年創業、サイキック研究専門のカレッジ。瞑想やヒーリング、トランス、タロット、占星術から、ヨガなどのエナジー・ワークまで多彩なコースがあり、レクチャーやワークショップも充実。ヒーリング・クリニックも併設している。 www.collegeofpsychicstudies.co.uk
Sociery for Psychical Research(英国心霊現象研究協会)
1882年、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの3人の学寮長によって創設された非営利団体。心霊現象や超常現象の真相究明を目的とした科学研究機関で、歴代、著名な哲学者や心理学者、物理学者などが在籍。現在も定期的にレクチャーなどを開催している。 www.spr.ac.uk/expcms
 

不況に勝った英国のビジネス

不況に勝った英国のビジネス
昨年から取り沙汰されている国内の不況が、いよいよ深刻化してきたらしい。ここしばらくにわたって英国は好景気に沸いていただけにその反動は大きいようで、経済ニュースを扱うテレビや新聞では、そうした厳しい世相を嘆いてばかりだ。一方でこの不況を絶好の機会として捉え、輝き始めたビジネスも当然のことながら存在する。今回は、暗い展望に満ちた英国の経済に、活力を与えるような業界の存在を紹介する。(本誌編集部: 長野雅俊)

グラフで見る右肩下がりの英国経済

国立統計局が発表したデータを眺めてみると、確かに一目瞭然。GDP成長率、小売店売上高など経済の成長ぶりを示す数字が軒並み低下している一方、失業率のみが急上昇している。金利低下を背景に輸出が少しずつ伸びている感はあるが、低迷する国内売上を補えるほどではない。英国経済は今まさに、不景気の真っ只中にいることが分かる。

参考: 国立統計局

名目GDP成長率
小売店売上高
FTSE平均株価指数
金利

貿易収支

これまでに英国を騒がせた景気関連ニュース

2008年
2月22日
Northan Rockノーザン・ロック銀行が一時国有化
 
10月8日
公的資金を注入総額500億ポンドの公的資金を金融機関に注入することを政府が決定
 
11月6日
陶磁器メーカーのロイヤル・ウースターが経営破たん
 
11月26日
Woolworth小売大手のウールワースが経営破たん
 
12月23日
紅茶老舗ウィタード・オブ・チェルシーに経営破たん危機
 
12月24日
CD・DVD 販売を手掛ける小売大手ザビが経営破たん
2009年
1月5日
老舗陶磁器ブランドのウォーター・ウェッジウッドが経営破たん
 
1月7日
大手高級スーパーマーケットのマークス・アンド・スペンサーが、1230人の雇用削減を発表
 
1月8日
イングランド銀行が主要政策金利を史上初の1%にまで引き下げ
 
1月9日
Nissan日産が英国サンダーランド工場で1200人の雇用削減を実施する方針を発表
 
1月14日
Barclays銀行大手のバークレイズが、4600人の雇用削減を発表
 
1月21日
2008年9月~11月の失業者数が1997年以降最高の192万人に
 
1月23日
景気後退国立統計局が、英国経済が景気後退入りしているとの発表を行う
 
1月26日
製鉄最大手コーラスが国内従業員2500人の雇用削減を発表
 
2月1日
ホンダの英国スウィンドン工場が2~5月の操業を停止

このような不況下で、著しい成長を遂げた業界とは?

賞味期限切れ商品で起こした革命 格安食品

景気が良くても悪くても、食べ物は必要。というわけで、安価な食品に対する需要が増えた結果、テスコやモリソンズといった庶民的なスーパー、アルディやリドルなどの安売りを前面に掲げるディスカウント・スーパーが軒並み売上を伸ばしているという。そうした風潮の中で、さらに徹底して安価なサービスを提供して売上をここ1年で一気に10倍も伸ばしたのが、「アプルーブド・フード」という、オンライン食品スーパーだ。

同店では、一般的な格安スーパーにおける値段のさらに半額程度の商品が販売されている。なぜそのような価格設定が可能になるかといえば、「賞味期限(Best Before Date)が切れた商品を取り揃えているから」。そう聞くと驚いてしまう人もいるだろうが、英国の食品標準庁の定義 によると、賞味期限切れの商品を口にすること自体に問題はないとされている。

牛乳や魚といった、いわゆる腐りやすい食べ物の食用可能期限を示したのが消費期限(Use by Date)。この消費期限切れの商品を食すれば健康を損なう恐れがあるが、対してもともと保存食などに対して使用される賞味期限は、健康というよりも品質の保証を目的としている。つまりこの期限を過ぎると若干食べ物の味が落ちたり、歯ごたえが変わってしまうことはあるが、健康そのものに悪影響を与えることはないのだそう。

例えばテスコにおいて2.55ポンドで販売されている750グラムのヘーゼルナッツ・チョコレート・クリームが、アプルーブド・フードでなら1ポンド。こうした激安商品に殺到する注文をさばき切れないために、ウェブサイトを一時閉鎖することが頻繁にあるという経営者のダン・クラダレイさんが、「賞味期限切れの食べ物が嫌と言う人は、テスコに行けばいい」と強気になるのも無理はない。

多くの日本人は「賞味期限切れ」の言葉に顔をしかめるかもしれないが、不況下の英国では、その商品で必要を満たしている人が多くいる。「勝てば官軍」という表現を体現したようなビジネスである。

Approved Food
イングランド北部シェフィールドにあるスーパーを母体とする、賞味期限切れの商品を主に扱うオンライン・スーパー。英国内における同種サービスの草分けとされている。
www.approvedfood.co.uk


Aproved
アプルーブド・フードのウェブサイトには、在庫待ちの状態であることを
伝える注意書きが常に掲載されている

テスコ、アルディ
モリソンズ、リドル
(写真左上から時計回りに)格安食品を提供することで知られるスーパー、
テスコ、アルディ、リドル、モリソンズ


不況こそビジネス拡大のチャンス 質屋

「ポーンブローカー」という英単語を耳にしたことはあるだろうか。日本語に訳すと「質屋」のことで、確かに不景気でこそ活気を呈する業種である。

そのビジネス形態は、日本の質屋とあまり変わらない。主に宝石や車といった高価な品物を担保として、現金を一定期間貸し出す商売である。顧客が借金を期日までに返せない場合はいわゆる「質流れ」となり、担保となっていた商品を店頭で販売。また手数料を徴収した上で、小切手の即日換金を行うといった火急の金策に応じるサービスを提供する店もある。多くの場合が銀行の貸し渋りに悩む個人経営の商店や、またはそもそも銀行口座を開くことさえできない人の需要に応えるためのビジネスだ。

メディアや広告媒体などではあまり取り上げられることはないが、実はこの質屋業界が、不況下において急成長を遂げているという。その勢いを象徴するのが、1897年創業の老舗であり業界最大手のハービー&トンプソン。2008年には1年間の新規出店数としては創業以来で過去最多となる16支店を開業して、全国に105支店を構える大型チェーンへと成長を遂げた。業界全体でもここ数十年で業者数が約20倍に膨れ上がっているとされており、今や質屋は街中の至るところで見かけるほどありふれた存在となった。

この事実に目をつけたのが、シティの金融マンたち。新興株式市場AIM(Alternative Investment Market)に上場しているハービー&トンプソン社が1月中旬に、2008年の売上が予想をはるかに上回るとの見通しを発表すると、同社の株価は高騰。不況の影響が実経済に表れ始めた同年11月から今年初めにかけて、平均株価は実に約70%も上昇した。

世間からの注目は逃れながら、売上上昇を背景に次々と新規店舗を開店し、シティの金融マンを味方につけて株価も上昇。不況期にこそ左団扇の経営をできるのが、質屋ビジネスなのである。

Harvey & Thompson
英国最大手の質屋チェーン。1897年創業。質屋業に加えて、宝石販売やクレジット・カードの即日発行などのビジネスも手掛けている。
www.harveyandthompson.com


Harvey & Thompson
2008年に新規出店数が過去最高となったハービー&トンプソン

Pawnbrokers
ロンドン市内の至るところで見かける質屋


金融街からの人材が殺到 科学教師

英国内の失業率が上昇する中、これまで英国経済を牽引してきた金融界でのリストラが特に顕著だという。そうした失職中の金融マンたちから再就職口として今最も注目されているのが、意外にも中等及び高等教育で科学を担任する教師。教員養成・研修機構(TDA)への理系科目に関する問い合わせは30%、登録件数は8%増加しており、そうした問い合わせのほとんどが元金融マンからのものなのだとか。しかも全国の学校側でも1年間でなんと6000人もの新規雇用を予定するだけの受け皿があるというのだから、今後シティから教育界へ人材の大移動が行われることになるのかもしれない。

そもそも、昨今の理系離れと割高な授業料から高等教育機関で科学を専攻する学生数が激減した結果、科学の知識を必要とする職は、常に人材不足に陥っていた。教職にあってはさらに事態は深刻なようで、理系科目を教える良き人材が不足することで、そうした科目そのものに興味を覚える生徒が少なくなり、科学教師の資格取得を目指す者はさらに少なくなる、という悪循環が生まれている。TDAの最高経営責任者を務めるグラハム・ホリー氏が言うように、「これまで科学の学位を持つ人々は、金融やITといった破格の高給を出す業界に就職する傾向が強く、教職に就く人は少なかった」ことも、理系科目における教師不足の一因になっていたのだろう。

そこに登場したのが、信用危機で大量にあぶれ出た求職中の元金融マンたち。彼らの多くが学生時代に理系科目を専攻していたので、まさに恰好の人材と目されたわけである。しかも長年の人材不足を理由として、政府は科学教師の人材誘致を目的として、研修参加のための奨学金9000ポンド(約117万円)、研修修了時のボーナスを5000ポンド(約65万円)提供、といった数々の手厚い施策を用意しているというから、心機一転を図る再就職口としてこれほど魅力的なものもそう多くないだろう。

国家の未来を形作る教育界に今、新たなエネルギーが注ぎ込まれている。

Training and Development Agency for School(TDA)
日本語名を教員養成・研修機構とする政府関連機関。英国の教育界における人材の養成や輩出を目的として、1998年に設立された。
www.tda.gov.uk


科学教師
TDAが金融街シティで開くセミナーにはここ数カ月で既に1000人以上が訪れたという。

科学教師
TDA の CEO を務めるグラハム・ホリー氏(左)。
金融マンから教師へと見事な転身を図ったジェフ・ヘイネスさん(中央)。
金融街シティでは大規模なリストラが進行中だと伝えられている(右)


音楽ダウンロードがようやく普及 UK音楽

ウールワースやザビといったCD販売を手掛ける大手小売店が次々と経営破たんを起こす中、英国の音楽業界がこれまでにない活況を呈しているという。2008年のシングル楽曲が、過去最高となる1億1500万曲の売り上げを記録したというのだ。その主な理由はオンライン売上の成長。インターネットからのダウンロードによる売上が、前年比41.5%の驚異的な伸びを示している。

音楽業界はもう随分前からインターネットでの音楽配信サービスに乗り出していたが、技術開発の面で大きく出遅れ、利用率では違法ダウンロードの後塵を拝する有様だった。ところが英国では2008年7月にアップル社より発売された「iPhone 3G」といった新型携帯電話などの普及を背景に、市民の間でもオンラインで音楽を購入する習慣が定着したのだろう。CD売上減を補うには十分過ぎるほど多くの楽曲がオンライン上で販売されるようになった。

また旅行や外食といった出費のかかる行動を控え出す不況期には、家の中で気軽に楽しめる音楽鑑賞への需要が高まるという。英国の音楽業界を代表するBPIのジェフ・テイラー氏が言うように、「不況期の間はお買い得感を求めると同時に、喜びを感じるものを買う傾向にある。音楽とは、まさにそうした要素を満たした商品なのです」という分析にも説得力を感じる。

音楽業界にとってのさらなる朗報が、海外市場の成熟。今や国内のCD売上よりも、国外におけるテレビやラジオなどでの放送権料収益の方が規模が大きくなってきているのだとか。かつて英国人ミュージシャンたちが米国の音楽市場を席巻した際には、「ブリティッシュ・インベージョン」と表現されたが、今でも音楽は英国にとって売れ筋の輸出品なのだ。ちなみに海外市場では、同じ英語圏である米国、近隣諸国となるドイツ、フランスに加えて、日本での売上がその大部分を占めるという。同じく空前の不況にあえぐ日本は、英国の音楽業界の成長に大きく貢献しているのだ。

BPI
英国レコード産業界(British Phonographic Industry)を旧称とする機関。英国の音楽市場におけるレーベルの実に9割が同組織に名を連ねている。
www.bpi.co.uk

UK音楽
UK音楽
(写真左上から)好調な英国における音楽界を牽引するエイミー・ワインハウス、
レオナ・ルイス、テイク・ザット、リリー・アレン。HMV(下中央写真)などの
大手CD小売店が苦戦を強いられているのに対して、アップル社(同左)の新型携帯電話などを
利用した音楽ダウンロード事業は軌道に乗り始めている

 
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