2005年以来、5年ぶりの総選挙がいよいよ5月6日に実施される。4期目を狙う与党労働党と、13年ぶりの政権奪回を目指す保守党、そしてこれら主要2陣営に食い込もうとする自由民主党。昨年までは、保守党の勝利がほぼ確実と言われていたものの、過去数カ月間の労働党の盛り返しで、「大方の予測」も不可能な混戦模様が展開されている。そんなまさに目が離せない状況となっている、2010年総選挙について解説する。(猫山はるこ)
最大の争点は公共財政
今回の総選挙の争点は、何といっても公共財政である。3月末発表の2010年度予算によると、2009年度の財政赤字は1670億ポンド(約23兆3800億円)と推算され、国内総生産(GDP)の11.8%にまで膨れ上がっている。これについて保守党は、財政赤字を放置しておくと、国の財政政策の信用性が失われ、景気回復が妨げられる結果につながると主張。政権を取った暁には、2010年度より早速、公共支出を削減し、次の総選挙実施(恐らく5年後)までに、構造的財政赤字の大部分を削減するとの方針を明らかにしている。
一方の与党労働党は、保守党案について、経済復興に向けた国からの支援があまりにも早く縮小されることを意味し、ようやく見え始めた景気回復の芽を摘み、不況に逆戻りさせると訴えている。同党は、4年以内に財政赤字をGDP比で半減させる方針を既に示しているが、公共支出の削減開始時期は、経済復興を優先するため、保守党より1年遅く、2011年まで待つとの方針を明らかにしている。
国民保険料引き上げを巡り議論沸騰
しかし、当然のことながら、公共支出削減は、有権者にとってはうれしくないニュースであるため、両党とも、票を失う懸念からか、削減を行う分野、その規模については明言を避けている。このため、有権者は、票を投じる政党を決める上で大事な要素となる公共支出削減の詳細が分からないまま投票所に向かう羽目になりそうだ。
もちろん、財政赤字削減を達成する手段には、公共支出削減のほか、増税、行政業務の効率化による経費削減などもある。政府は、そうした手段の一つとして、昨年までに、国民保険(NI)の保険料を2011年4月から1%引き上げるとの計画を明らかにしていた。しかし今年3月末、保守党がこのNI引き上げの影響を一部緩和する案を発表。すると、保守党案の財源の信憑性や、政府の計画の景気回復への影響などを巡り、産業界も巻き込んで主要政党間で議論が沸騰。選挙戦の序盤はこのニュースで埋め尽くされ、今回の選挙の最大の争点が公共財政や税制であることを改めて実感させた。
自民党との連立内閣の可能性
今回の総選挙は、労働党の勝利が予想されていながら、最終的には保守党が4期目を達成した1992年以来、最も予測が難しいと言われている。支持率調査では、ブラウン首相の指導力の欠如や議員経費問題などが影響して2008年春頃から保守党が2けたのリードを維持し、同党の政権奪回が確実視されていた。しかし、2009年末頃から両党の差が縮小し始め、現在は結果の予測が不可能な状態になっている。そのため、起こり得る可能性として考えられているのが、労働党、保守党のどちらかが最大政党となっても、過半数の議席を獲得できず、自由民主党と連立政権を組むことである。労働党は今回、総選挙に勝利した場合、下院議員選挙の投票方法を現在の小選挙区制から「優先順位付連記投票方式」に変更する案について住民投票を行う方針を明らかにしているが、これは、かねてから小選挙区制に反対している自由民主党の考えに寄り添い、連立内閣への参加を誘うジェスチャーであると解釈されている。ちなみに自由民主党のヒューン内務担当スポークスマンは先日、ブラウン首相が党首を続けるのであれば、連立の可能性は薄いといった趣旨の発言を行っている。
英国初の党首のテレビ討論も
最後に、今回の選挙では、英国で初めて、主要3政党の党首のテレビ討論が行われることも大きな話題になっている。既に4月15日から放送が始まっており、今後は、22日と29日(共に木曜日)の夜に、テーマ別の討論が放送される。英国では、弁論の才が政治家の重要な能力の一つと考えられており、党首たちの切れのある丁々発止の応酬が期待できることは間違いない。英国政治の重要な節目となるであろう今回の総選挙をより理解し、楽しむにはまたとない機会だろう。
ブラウン政権下での支持率の変遷

2005年総選挙での主要3政党の獲得議席数

注:2005年の総選挙以降、選挙区の変更があったため、今回の選挙で選出される下院の議席数は650と増えている。過半数を取るには326議席が必要。
2005年総選挙の議席獲得状況マップ

注:上記は、今回の2010年総選挙の選挙区の分け方で2005年の総選挙が実施されていたとしたらこのような結果になっていたという仮定の結果をマップ化したもの
選挙戦も中盤に入り、各政党は、それぞれの政策を有権者にアピールしながら白熱の戦いを繰り広げている。それでは、各党に票が投じられるかどうかを決め、党の運命を左右するそれら政策には、どのようなものがあるのだろうか。
| 国内政策 | |
| 労 働 党 |
|
| 保 守 党 |
|
| 自 由 民 主 党 |
|
| 外交政策 | |
| 労 働 党 |
|
| 保 守 党 |
|
| 自 由 民 主 党 |
|
| 経済政策 | |
| 労 働 党 |
|
| 保 守 党 |
|
| 自 由 民 主 党 |
|
| 移民政策 | |
| 労 働 党 |
|
| 保 守 党 |
|
| 自 由 民 主 党 |
|
テレビのニュースで見る各党の党首やその妻、そしてキーパーソンとして活躍する政治家たち。そもそも主要政党はどういう政党なのか。知っていれば総選挙ウォッチングがもっと楽しくなる、そんな情報をまとめてみた。
労働党 The Labour Party
![]()
労働者の権利擁護を目的に、労働組合運動から発展して1900年に結成(結成当時の名前は「労働代表委員会」)。国営医療サービスの創設、基幹産業の国有化、富の再分配、労働者の権利拡大などを実行。その手厚い福祉政策は、「ゆりかごから墓場まで」との言葉を生んだ。1990年代半ばからは、ブレア党首の下、「ニュー・レーバー」との標語を掲げて方針を転換し、支持層を拡大。1997年の総選挙での地滑り的大勝利へとつなげた。
![]()
ゴードン・ブラウン(59)
判で押したような仏頂面が定番のスコットランド人。父親はスコットランド国教会の牧師。ボンボン育ちのキャメロン保守党党首との差別化を図ってか、質素な家庭で両親に勤勉・勤労の精神を叩き込まれたと発言する習癖あり。少年時代から頭脳明晰で、16歳でエディンバラ大に入学。ブレア政権時代は優秀な財務大臣との評判を欲しいままにしたが、2007年6月に首相に就任するや評価急落。プライベートでは明るい気さくな人との噂も。
![]()
ピーター・マンデルソン企業・改革・技術相(56)
2008年の政界復帰以来、「実質的な首相」と言われるほど重要な政策ブレーンとして活躍している。今回の選挙戦でも、かつて2度も閣僚辞任に追い込まれながらカムバックした執念と、「暗闇の王子」との異名を取ったこともある策略家ぶりで、愛する労働党を崖っぷちから救うべく奮闘している。なお、上院議員なので自分の選挙はなし。
![]()
サラ・ブラウン(46)
無愛想500%な夫に代わり、労働党の好感度アップに大いに貢献しているファースト・レディー。控え目で上品、かつ親しみやすい雰囲気が好かれ、「ツイッター」のアカウントはフォロワーが100万人超。昨年の労働党大会での演説で、サラさんが夫を「私のヒーロー」と呼んだときは、誰もが一瞬、ブラウン氏のダメ首相ぶりを許したとかしないとか。
保守党 The Conservative Party
![]()
17世紀の清教徒革命後、カトリックの王の即位に賛成し人々が「トーリー」と呼ばれ、後に「トーリー党」として政党を形成したのが起源。伝統的な政策は、欧州に対する英国の主権確立、移民規制、犯罪に対する厳しい姿勢、国防強化、自助努力の奨励、小さな政府の実践など。しかし近年は、キャメロン党首の下、環境政策や公共サービスの改善なども重視して「人に優しい」政党としてのイメージを打ち出し、支持拡大に務めている。
![]()
デービッド・キャメロン (43)
2007年末の党首就任以来、保守党の近代化を推進し、党の支持率回復に貢献してきたとして評価されている。遊説先では、オバマ米大統領を意識したような白シャツ腕まくり、ノータイ姿で有権者たちに語りかけ、ブラウン首相にはない若さをひけらかす傾向も。裕福な家庭に育ち、名門イートン校、オックスフォード大卒業。保守党陣営では、王室の血も混じるポッシュな経歴が、一般庶民の有権者から敬遠されるのではとの懸念もある。
![]()
ジョージ・オズボーン影の財務相(38)
キャメロン党首と同じく富裕家庭出身で、同党首とお坊ちゃまコンビを組む。若さゆえか、他政党の古参政治家から軽んじられることもあり、国民保険に関する政策を発表した際は、自由民主党議員から「学生が考えたような案」と小馬鹿にされていた。労働党の選挙キャンペーンでは、歌手の名にひっかけて「ボーイ・ジョージ」と呼ばれている。
![]()
サマンサ・キャメロン(38)
王室の血を引く大地主の娘という真性お嬢様。高貴なお育ちのせいか、夫を全力で売り込む必死さに欠け、過去の党大会では、夫と共に演壇に上がっても露骨に「早く帰りたいわ〜」的な顔を見せることもあったが、今回の選挙戦ではさすがにしっかりサポート役を演じている。嫌味のなさで一般受け良し。2児の母で、現在妊娠中(長男は昨年病死)。
自由民主党 The Liberal Democrats
![]()
トーリーに対し、反対派が結成したホイッグ党を起源とする自由党と、労働党の分派であった社会民主党(SDP)が1988 年に合併して結成。野党第2党。クレッグ党首は、昨年秋の党大会で、自由民主党を「進歩的中道左派を率いる党にしたい」と述べていた。英国では2 大政制が確立されているため、常に陽の当たらない地位に追いやられているが、最近は、テレビ討論会でのクレッグ党首のパフォーマンスが高く評価され、にわかに注目が集まっている。
![]()
ニック・クレッグ(43)
ケンブリッジ大など3つの大学で学位を取得、5カ国語を操る秀才。欧州委員会勤務、欧州議会 議員の経験あり。2005 年総選挙で国会議員に初当選し、2007年12月、40歳で自由民主党の党首に就任。父親は大和日英基金の現理事で、オランダ人の母は第二次大戦中、インドネシアで日本軍の捕虜になった経験があるなど、日本とのつながりも。BBCが昨年行ったアンケート調査では、3分の1がクレッグ氏の名を聞いたことがないと回答した。
![]()
ビンス・ケーブル経済担当スポークスマン(66)
テレビのニュース番組や下院での発言で、好々爺(こうこうや)的ルックスに似合わない洞察力に溢れたコメントの数々を放ち、圧倒的な存在感を見せつけている。キャリア・ウーマンの妻が選挙戦に同行してくれないクレッグ党首の傍らに常に寄り添い、「女房役」として大活躍中。労働党と自民党が連立政権を組んだ場合、閣僚入りする見込みについては否定している。
![]()
ミリアム・ゴンザレス・デュランテス(42)
主要3政党の党首妻のうち、今回の選挙戦にほとんど参加していない唯一の人。と言うのも、大手国際法律事務所の弁護士という立場上、夫が選挙だからと言って仕事を休む余裕はないんだとか。夫より収入が多い一家の大黒柱らしいから、文句は言わせないといったところか。スペイン人。上から8歳、5歳、1歳の3児の母でもある。



パン柄トートバック販売中










コーンウォールと言えば、印象的なのが最西端のランズ・エンドではないだろうか。切り立った崖に差す夕日や、透き通った海の美しさはさすがの一言だが、コーンウォールの良さはそれだけではない。サーファーから食通、家族連れから一人旅まで、多くの人を惹きつけてやまないコーンウォール。
コーンウォールでは、サイクリング、ダイビング、乗馬など様々なアクティビティーが楽しめるが、お勧めは何といってもウォーキングだ。














フランスの神秘スポットを調べようとすると、頻繁に「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という言葉を目にする。これは、イスラエル、バチカン市国と並ぶキリスト教徒の聖地とされているスペイン北西部に位置する街サンティアゴ・デ・コンポステラへ続く、長い、長い道のこと。地名の「サンティアゴ」はイエス・キリストの12使徒のひとりであり、スペインの守護聖人であるヤコブを、そして「コンポステラ」は「星の広場」を意味するという。主に、首都パリから始まる「トゥールの道」、聖マリー=マドレーヌ大聖堂が建つヴェズレーを起点とする「サン・レオナールの道」、サント=フォワ教会がそびえ立つコンクを通る「ル・ピュイの道」、「バラ色の都市」と呼ばれるトゥールーズを通過する「サン・ジルの道」。これら4つの巡礼路から、さらに枝分かれするように、いくつもの細い道が続く。そして、それらの道の一部区間または途中にある教会などが、神秘スポットとなっていることが多いのだ。1000年以上も昔から利用され、今でも10万人以上の巡礼者たちが通り過ぎていくというこの巡礼路は、スペイン領内にあるものが1993年に、フランス領内のものが1998年に、それぞれ世界遺産に登録された。
英国の代表料理と言えば、もちろんフィッシュ・アンド・チップス(F&C)。





















うことなんじゃないかな。2005年にロンドン地下鉄でテロ*7が発生したときも、バスカーたちの顔色から「テロに負けてなるものか」という気持ちが伝わってきましたよ。
あとロンドンの冬って、本当に寒いですよね。そうした寒い日に、外気が入り込んでくるような場所で演奏していると、お金がよく入るんです。僕はこれを「同情票」と呼んでいるんですけど(笑)。こういうときにチップがたくさん入ったり、「頑張ってね!」なんて声かけられると、人生捨てたもんじゃないなと思いますね。この前なんてサウス・ケンジントン駅横の長いトンネルで演奏してたんですけど、とにかく寒くて寒くて震えてました。そうしたら、そこを通りかかったダウン症の子供たちが寄ってきて、皆でニコニコしながら僕の体をさすってくれたんですよ。「頑張れ、頑張れ!」って言いながら。もう、「この優しさは一体何だろう」ってぼんやりと疑問に思うことしかできなかった。あと、ホームレスの人から1ポンドをもらったときも、どういうことなのか、頭の中が整理できなかったですね。
誰かを、または何かを待っている気はしますね。期待や希望がなかったら、何もできないでしょう。
それで先月、重度の鬱状態のとき、何もかもが怖くてギターが弾けなくなってしまったんですよ。指の神経までおかしくなってしまいました。決まってたコンサートや講演を全部キャンセルして多大な迷惑もかけてしまいました。今はだいぶ良くなりましたが、結局、最終的にバスキングが救いになったんです。バスキングを通して通行人に安らぎを与えるつもりでやってきたのに、今度は自分がバスキングで通行人に癒してもらう立場になっちゃっていました。やっぱり、そういうときは人と触れ合うのが一番いいんでしょうね。そうだ、もし今、鬱の人、または何かに悩んでどうしようもない人がいたら、僕がバスキングしてる所に来てみませんか? スケジュールがウェブサイトに載っていますから、気軽に来て声をかけてください。僕は専門家ではないので治療やカウンセリングみたいなことはできませんが、同じような痛みを経験している者として、良い話し相手にはなれると思いますよ。これから本帰国までの間は、そういった活動もバスキングを通じてやっていきたいと思っています。






スコットランドの首都、エディンバラから西へ14キロ。フォース湾と呼ばれる入り江に、「鋼の恐竜」とも形容される巨大なフォース鉄道橋が架かっている。19世紀末に大英帝国の技術を結集して建設されたこの鉄道橋は、ユネスコの世界遺産の候補にも挙げられており、英国の1ポンド硬貨、そしてスコットランド銀行が2007年から発行している20ポンド紙幣にもその威容が描かれている。
カンチレバー構造は、片持梁の原理を応用している。片持梁は両岸に支えとなる刎木(はねぎ)を埋め込んだり、大石で押さえたりして固定し、突き出した先端を支えとしてこの上に梁を渡すというものである。単純桁では渡せない渓谷でも、両岸から片持梁を突出させ、真中に別の桁を載せると、橋脚がなくても両岸を結ぶ橋桁を渡すことができる。
日本近代工学の祖
工部大学校の初代教頭
電気工学の先駆者
日本の灯台の建設者
日本物理学の父
博学多才な技術者 

19世紀のスコットランドは、教育制度において、イングランドをはるかに凌駕していた。イングランドにオックスフォードとケンブリッジの2大学しかない時代、スコットランドには既に1413年創立のセント・アンドリューズを始め、グラスゴー、アバディーン、エディンバラの4大学があった。1860年代において、高等教育を受ける人口がイングランドでは1300人に1人のところ、スコットランドでは140人に1人と、10倍近かった。特に1451年創立の名門グラスゴー大学は、学生の5人に1人が労働者階級出身で、貧しい農家の息子が大学教授になるなど、社会的流動性の低いイングランドでは考えられないような立身出世があった。またスコットランドでは実学教育が重んじられていたために、経済学者のアダム・スミスや技術者のジェームズ・ワットを輩出したグラスゴー大学は、まさに産業革命の原動力となっていたのである。
スコットランドと日本のつながりの深さを示すエピソードがもう一つある。福沢諭吉の三男・福沢三八は1900年に慶應義塾大学を中退し、グラスゴー大学に留学した。その福沢三八が入学試験で、語学科目として独・仏語ではなく、日本語の受験を希望。すると、大学評議会はアンダーソン・カレッジ理事のヘンリー・ダイアーに意見を求め、日本語を入試選択科目として認めたのである。試験官を依頼された在ロンドン日本総領事は留学中だった夏目漱石を推薦、漱石はグラスゴー大学「教授」として試験委員を務めた。漱石には4ギニーが支払われている。
最初の逃亡人民兵
インヴァリーデン通り(Invalidenstr.)の橋のたもとに、1961年8月24日、川を越えて西側に逃げようとした際に射殺された、当時24歳のギュンター・リトフィンの記念碑が立っている。近くにはギュンター・リトフィン記念館(Gedenkstätte Günter Litfin)もある。彼が壁の最初の犠牲者だが、正確な犠牲者の数はいまだに分かっていない。
同年11月9日、旅行自由化に関する歴史的な記者会見がモーレン通り(Mohrenstr.)の38番地で行われた。会見に臨んだ東ドイツ社会主義統一党のギュンター・シャボウスキーは、「その政令はいつから有効か」という外国人記者の質問に対して、うっかり「今すぐ」と答えた。この会見が行われた部屋は現存しないが、「旅行自由化の公布」という名のインスタレーションが法務省の建物内にあり、道路側からのぞけるようになっている。
テレビで記者会見を見ていた人々は半信半疑のまま検問所付近に集まりだし、状況を知らされていない警備兵との間に食い違いが生まれた。やがて「門を開けろ!」の大合唱が起こり、同日23時半頃、ボルンホルマー検問所を皮切りに、ベルリンのほかの検問所もついに開放されたのである。
オーバーバウム橋から東駅まで続く全長1300 メートルの壁に、21カ国118人のアーティストが絵を描いた世界最長のオープン・ギャラリー。昨年すべての絵が描き直され、美しくよみがえった。
シュレジア灌木の監視塔
昨年8月にオープンしたばかりのブランデンブルク門駅は、分断の象徴ともいえる場所。構内に壁の展示があり、「マウアー・ガイド」(P15参照)もここで借りられる。地下へ降りるエレベーターの壁には、壁にまつわる政治家の発言がちりばめられていて、この場所が持つ意味の重さを実感できるはずだ。
かつて外国人専用の検問所だったチェックポイント・チャーリーに面した壁博物館は、1963年設立と古い歴史を持つ。数々の写真や資料のほか、西側への脱出に使われた車や気球、ボートなどの展示物が充実している。検問所の敷地には壁に関する野外展示もあり、ここを観るだけでも十分多くのことを学べる。
昨年5月にオープンした新しい公園。戦前は鉄道のターミナル、戦後は壁の緩衝地帯だった細長いスペースに作られている。当時の壁が残り、注意して歩くと昔の線路が埋め込まれていることも分かる。奥に進むと遊び場が見えてくる。ベルリンらしい不思議な雰囲気の公園だ。
アパートの中は東側、前の通りは西側というこのベルナウアー通りで当時、何が起きたのか。コンパクトな展示スペースながら、その内容は充実している。建物の向かいには当時の壁が再現され、屋上からその様子を見渡すことができる。壁が実際どういう構造になっていたのか、よく分かるだろう。
フリードリヒ通り駅
白い十字架
ヴァルデマー通り
東ドイツの国産車「トラバント」を運転できるツアー。色とりどりのトラビの中から好きな車を選び、簡単な手ほどきを受けてからいざ出発。旧東ベルリンをメインにしたコースと東西の両方を巡る、それぞれ約1時間のコースから選べる。
"All free men, wherever they may live, are citizens of Berlin, and, therefore, as a free man, I take pride in the words, Ich bin ein Berliner‘! "
"Gefahren lauern auf diejenigen, die nicht auf das Leben reagieren.“
Apple社が開発したスマートフォン(携帯電話と携帯情報端末が一つになった機器)。キーパッドではなく、画面に触れることで操作を行うことができるマルチタッチスクリーン方式を採用、その洗練されたデザインが人気を博している。電話はもちろんのこと、メールやインターネット、テキスト・メッセージなどの機能に加え、様々なアプリケーションを追加することで、自分の好みに合わせてカスタマイズすることができる。













































初めの一歩が肝心

渡英直後、現在の家への入居時に、物件や備品の状態を記録した「インベントリー・リスト」を受けとったはず。このリストに基づいて、家の状態を回復できているかどうかを確認するのがインベントリー・チェックだ。引越し予定日が決まったら、大家 / 不動産会社とインベントリー・チェックの日時を決める。清掃業者への依頼もこのときに行うことになる。
帰国日を決めるのはその後
正確な見積りをもらうために
いよいよ本格的に始動




ロンドンの劇場前などでよく見かける、主に観光客を相手とする人力車。
ロンドン市内の観光名所を周遊する観光バス。この街に関する新たな発見があるかも。
ロンドン・アイなど、定番の観光スポットを訪れていない人は意外と多い
ロンドン在住者であれば、カンタベリーなどに日帰りで出掛けるのもいい













