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ギュンター・グラスのイスラエル批判

「ブリキの太鼓」などで知られるドイツのノーベル文学賞受賞作家ギュンター・グラスの発言が、また国際的に物議を醸している。彼は4月初めに「言われなければならないこと」と題する詩をドイツの新聞に発表し、「核保有国イスラエルは、イランに先制攻撃を加える権利があると主張することで、世界の平和を脅かしている」と批判。さらに「ドイツは、核弾頭を搭載したミサイルをイランに向けて誘導できる潜水艦を売ろうとしているが、イランが核爆弾を保有しているとは確認されていない」として、ドイツのイスラエルへの武器輸出にも警鐘を鳴らしている。

この詩に対してはイスラエルだけでなく、ドイツや米国でも激しい批判の声が上がった。特にイスラエルのネタニヤフ首相は、「理性を持つ人は、全員グラスの詩を糾弾すべきだ」という声明を発表。同国の内務省は、グラスのイスラエル入国を禁止した。これは同国政府がグラスを事実上の「反ユダヤ主義者」とみなしていることを意味する。グラスは第2次世界大戦末期にナチスの武装親衛隊の兵士だった過去を、2006年に著書の中で初めて告白したが、「グラスは今も親衛隊員の心を持っている」と批判する人もいる。

これに対しグラスは、「今考えると、私がイスラエル全体ではなくネタニヤフ首相の政策を批判していることを、詩の中でもっと強調すべきだった」 とやや軌道修正。しかしイスラエルが国連決議に違反して占領した地域に、入植地を建設し続けていることについても批判するなど、世界中からの非難に強く反発している。私自身、「イスラエルの先制攻撃がイランの国民を抹殺するかもしれない」という文章には首をひねったが、 グラスは「核施設を空爆したら、放射能が漏れて国民に被害を与える危険がある。フクシマの例を見なさい」と主張する。

確かに、これまで「中東の地図からイスラエルを抹消する」と主張してきたのは、イランのアフマディネジャド大統領である。彼の発言には、明らかに反ユダヤ主義的な傾向が現れている。このため、イスラエルとイランを同列に並べることには、確かに無理がある。イランは弾道ミサイルを持っているため、核弾頭さえ開発できればイスラエルへの核攻撃が可能になる。イランが核兵器を保有した場合、サウジアラビアなどアラブ諸国にとっても脅威となる。

だが中東の国々にとって、イスラエルが潜在的な脅威であることも事実だ。イスラエル政府は公式に認めないが、多くの軍事専門家は同国が戦術核兵器を持っていると見ている。米国はイラクの大量破壊兵器保有の可能性については神経を尖らせたが、イスラエルの核保有は黙認。西側諸国もイスラエルの入植地をめぐる国連決議違反について批判はするものの、事実上の黙認状態が続いている。つまりアラブ諸国にとっては、米国やドイツの態度は「ダブル・スタンダード」、つまり偽善なのである。特にナチスによるユダヤ人虐殺の過去を持つドイツにとって、イスラエル批判は最大のタブー。メルケル首相は、「イスラエルの安全を守ることは、ドイツの国是だ」とまで言っている。

過ちを犯さない政府などあり得ない。ユダヤ人の尊厳とイスラエルの安全を守りながら、イスラエル政府の政策の過ちを批判することは可能であるべきだ。同時に、イランはイスラエルを殲滅するという姿勢を取り下げ、反ユダヤ的な態度を捨てるべきだ。イスラエル、イランを含むすべての中東諸国の安全を保障するような枠組みが必要ではないか。「中東全体を非核地域にし、イスラエル、イラン双方の核兵器を公平に管理するべきだ」というグラスの主張には一理あるが、現実の国際政治の世界ではかなり実現が難しそうだ。

20 April 2012 Nr. 915

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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