独断時評


ディーゼル乗り入れ禁止は適法 - 判決の衝撃

2月27日にライプツィヒの連邦行政裁判所が下した判決は、ドイツの自動車業界だけではなく、政界にも強い衝撃を与えた。この国が進める「モビリティ転換」に拍車をかける出来事だ。

環境保護団体が勝訴

連邦行政裁は「大都市で窒素酸化物(NOx)の濃度がEUの上限値を上回っている違法状態を終わらせるため、最終的な手段として、特定の町や道路へのディーゼル・エンジン車の乗り入れを禁止することは適法」という判決を下した。これにより地方自治体は、ほかに手段がないと判断された場合には、ディーゼル車を締め出すことが許される。ドイツの交通政策や環境保護の歴史で例がない、画期的な判決である。この判決は、過去にシュトゥットガルトとデュッセルドルフの行政裁判所が下した判決を追認したもの。共に環境保護団体「ドイツ環境援助(DUH)」が、NOxの濃度がEUの上限値を上回る状態を是正するよう求めて、バーデン=ヴュルテンベルク(BW)州政府とノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州政府を訴えていた。

財産権よりも市民の健康を重視

去年7月28日には、シュトゥットガルト行政裁判所が、「市民の健康を守るには、ドライバーの所有権が制限されるのもやむを得ない」とし、ディーゼル車の乗り入れ禁止は適法とする判決を下していた。これに対しBW州政府はライプツィヒの連邦行政裁判所に控訴していた。だが上級審はDUHの訴えを認めて、地方自治体に是正措置を取るよう命じた。裁判官たちはディーゼル・エンジンを使った車を持っている市民の経済的な利益よりも、市民の健康を重視したのだ。

ユーロ6の基準を満たしていることをステッカーで宣伝しているディーゼル車ユーロ6の基準を満たしていることをステッカーで宣伝しているディーゼル車

乗り入れ禁止は社会に大きな影響

もちろんディーゼル車の乗り入れ禁止措置は、社会生活や経済活動に大きな影響を与える。このため裁判官たちは、「乗り入れ禁止措置は段階的に実施し、地域に住む人たちの暮らしや経済活動を阻害しないための、代替措置についても検討すること」と命じている。例えば、暖房や水道の修理作業を行う技術者や、在宅介護を行う介護要員には、例外的にディーゼル車の使用が認められるだろう。また電気バスの開発が進んでいない今日、庶民の足である、ディーゼル・エンジンを使った路線バスも直ちに廃止することはできない。

この判決を受けてハンブルクの環境省は、今年4月にはマックス・ブラウアー・アレーなど二つの道路の一部の区間で、排ガス規格ユーロ6を満たしていない車の乗り入れを禁止する方針を明らかにした。

だが連邦交通省を始めとして、大半の地方自治体は、ディーゼル車の乗り入れ禁止を避けたいと考えている。シュトゥットガルトとその周辺地域で使われているディーゼル車の数は約50万台。その内、ユーロ6の基準を満たしているのは、30%にすぎない。毎日車で郊外からシュトゥットガルトに通勤している市民約7万6000人が影響を受ける。

自治体はNOx対策を迫られる

このため行政と自動車業界は、NOx濃度をEUの上限値よりも低くするためのさまざまな措置をまず講じる。したがって、広範囲にユーロ6未満のディーゼル車の乗り入れの禁止措置が始まるのは、2020年以降のことになると見られている。だが連邦行政裁判所が今回判決を下したからには、地方自治体はいつまでも対策を先延ばしにすることは許されない。現在ドイツでNOxの濃度がEUの上限値(1㎥あたり40㎍=マイクログラム)を超えている都市は、約70カ所。最も汚染がひどいのがミュンヘンで、78㎍だが、シュトゥットガルト(73㎍)やケルン(62㎍)、デュッセルドルフ(56㎍)などでもNOx汚染は深刻だ。

去年ドイツの自動車業界は、ディーゼル車のソフトウエアを更新することによって、NOxの値を下げる方針を明らかにした。しかし地方自治体からは、「ソフトウエアの更新だけでは不十分であり、ハードウエアの交換が必要だ」という声も出ている。ハードの交換には、ソフトの更新よりも費用が多くかかるので、自動車業界は難色を示している。

どのようにディーゼル車の乗り入れを規制するかも、まだ決まっていない。例えばドライバーが法律を守っているかどうかを警察官が点検できるようにするためには、「青いステッカー」のように、外部から見てすぐにわかる表示を導入しなくてはならない。警察官がいちいち車を停車させて、車両証を点検していたら、道路の混雑が悪化するだけだ。

EV拡大に追い風

今回の判決は、自動車業界、特にディーラーには大きな打撃となるだろう。ユーロ6よりも古い車の価値が下落する可能性が強いからだ。2015年に発覚したVW排ガス不正の影響で、ディーゼル車のマーケットシェアは下がりつつある。ドイツで毎年認可される車の内ディーゼルの比率は、2016年には45%だったが、2017年1月には33%に下がっている。今回の判決の影響で、ディーゼル車への人気はさらに下がり、自動車メーカーは電気自動車やプラグイン・ハイブリッド車への転換に拍車をかけることになるだろう。

「モビリティ転換」は脱原子力に続き、ドイツ人が技術の転換を経済界に強制する試みだ。日本ならば、とても無理だろう。市民の健康と安全を重視するドイツの司法と政治の意志の力には、感心させられる。

最終更新 Donnerstag, 15 März 2018 11:30
 

クランプ=カレンバウアー CDU幹事長就任へ

最近のドイツの政界は、驚きに満ちている。2月19日にメルケル首相がアンネグレート・クランプ=カレンバウアー氏(55歳)を、キリスト教民主同盟(CDU)の次期幹事長に推薦したことは、政界と論壇をあっといわせた。

2018年ドイツの展望
2月19日、メルケル首相(右)と共に会見に臨むクランプ=カレンバウアー氏

次期首相を狙う?

その理由はクランプ=カレンバウアー氏が現在ザールラント州首相であるからだ。州政府の首相の座を捨てて一政党の幹事長になることは、形式的には地位が下がることを意味する。クランプ=カレンバウアー氏は、連邦議員の資格もない。それにも関わらず同氏がベルリンに行く決意を固めたのは、CDU幹事長の席がCDU党首そして選挙で勝てれば、連邦政府首相の座に通じているからだ。メルケル氏自身、コール元首相の不正献金事件に揺れるCDUで、1998年に幹事長に抜擢された後、2000年に党首に就任。2005年の連邦議会選挙で、社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権を破って、大連立政権の首相に就任した。その意味でクランプ=カレンバウアー氏は、メルケル氏が歩んだのと同じ階段の手前に立っているのかもしれない。

ドイツのメディアは、早くもクランプ=カレンバウアー氏を「メルケルの後継者として最短距離に立つ人物」として取り上げ始めている。

CDU内では高い人気

ザールラント出身のクランプ=カレンバウアー氏は、1981年にCDUに入党。1999年にザールラントの州議会議員となり、2000年には女性として初めて州政府の内務大臣に就任した。その後同州で教育・家庭大臣や労働・社会福祉大臣などさまざまなポストを経験。ザールラントでは、2011年にCDU、緑の党、自由民主党(FDP)が三党連立政権(ジャマイカ連立政権)を構成した時に、クランプ=カレンバウアー氏は首相に就任した。クランプ=カレンバウアー氏のCDU内での人気は高い。2012年の党大会で執行部の役員に選ばれた時には、83.86%もの支持率があった。

同氏がドイツの中央政界で注目を集めたのは、2017年のザールラント州議会選挙だった。この時クランプ=カレンバウアー氏が率いたCDUは、40.7%の得票率を確保し、SPD(29.6%)に大きく水を開けた。この選挙はSPDがマルティン・シュルツ氏を党首に選んでから最初の州議会選挙だった。この選挙以降、シュルツ氏とSPDの支持率は下がっていく。当時クランプ=カレンバウアー氏が、まだ「シュルツ・フィーバー」が続いていたSPDを撃破して冷水を浴びせたことは、CDUで大きな功績とされている。

また2017年12月に世論調査機関フォルサがCDU党員を対象として行ったアンケートでは、回答者の45%がクランプ=カレンバウアー氏をメルケルの後継者として支持し、2位のユリア・クレックナー(ラインラント・プファルツ州議会院内総務)や3位のイェンス・シュパーン(前連邦財務次官)に水を開けた。人気の高さにもかかわらず、クランプ=カレンバウアー氏がCDU幹事長になる可能性が低いと考えられていたのは、州首相からの降格になるためだ。

難民危機でメルケル氏を擁護

メルケル氏は、クランプ=カレンバウアー氏について「非常に親しい友人であり、お互いに信頼できる関係にある」と語っている。クランプ=カレンバウアー氏はメルケル氏と同様にCDUの中道左派に属する。2015年9月の難民危機の際には「欧州連合がバラバラになるのを防がなくてはならない」とし、メルケル首相が多数のシリア難民らを受け入れたことを支持。

2017年の連邦議会選挙で、CDU・CSUは首位を確保したとはいえ、得票率を前回の選挙に比べて8.6ポイントも減らすという、惨憺(さんたん)たる結果となった。

CDUの地方支部や保守派からは、「メルケル氏が難民政策などにおいて、まるで緑の党のように左派的な政策を取ったことが、多くのCDU支持者たちを極右政党ドイツのための選択肢(AfD)の下へ走らせた」という批判の声が出ていた。このため、AfDに奪われた票を取り戻して支持率を引き上げるには、党の指導層の若返りだけではなく、保守的な思想の持ち主を幹事長にするべきだという声が強まっていた。その意味でベルリンの政界通の間では、メルケル首相の難民政策について批判的なシュパーン前連邦財務次官が幹事長に就任するという憶測が流れていた。これに対しメルケル氏は、シュパーン氏ほど保守的ではなく、自分の路線を継承してくれる女性を後継者として選んだ。

保守派の票を取り戻せるか?

クランプ=カレンバウアー氏は、保守派が喜ぶような毅然とした態度を見せたこともある。2017年3月に、トルコの政治家がドイツに住むトルコ人市民向けに選挙演説を行おうとした時、同氏は州首相として、ザールラントでそのような集会を禁じる方針を打ち出した。さらに保護者なしでドイツに来た未成年の難民に対しては医学的な年齢検査を行い、身元や年齢について嘘をついた難民については、国外追放を含めた厳しい措置を取るべきだという姿勢を打ち出している。

クランプ=カレンバウアー氏は、党大会で承認されて幹事長に就任した際には、CDUの政策プログラムを刷新する意向を明らかにしている。同氏にとっては、支持率が落ちているメルケル氏の影から抜け出し、独自の政策を打ち出すことによって、保守層の票を奪回できるかどうかが、最大の課題である。

最終更新 Donnerstag, 01 März 2018 14:22
 

出戻り大連立政権の前途は多難

ドイツでようやく新政権誕生の目途が付いた。アンゲラ・メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)、姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)と社会民主党(SPD)は、20時間を超える徹夜の交渉の結果、2月7日に連立協定について合意したのだ。

しかしドイツ市民の反応は、冷淡だ。去年9月の連邦議会選挙以来、5カ月間も政権の不在が続いたが、第二次世界大戦後のドイツでこのような事態は一度もなかった。この5カ月間の混乱は、かつて「欧州の女帝」と呼ばれたメルケル首相の影響力の低下を象徴する。

2018年ドイツの展望
2月7日、連立交渉を終えたゼーホーファー党首(左)、メルケル首相(中)、シュルツ党首

敗者が作った大連立政権

ドイツ人たちは、新政権を「敗者の大連立政権」と呼ぶ。去年の連邦議会選挙で歴史的な大敗を喫した政党が指導部の刷新も行わなず、再び連立するという奇妙な結果になったからだ。敗者たちは政治の空白が長引くのを防ぐために、やむなく大連立政権を作った。

この混乱の原因は、去年の連邦議会選挙で生じた地殻変動である。CDU・CSU、SPDは、ユーロ圏脱退やイスラム教徒の排撃を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に大量の票を奪われた。

現在ドイツの景気は、1990年の東西ドイツ統一以降、最良の状態にある。それにも関わらず、メルケル氏が去年の選挙で多くの有権者から背を向けられた理由は、2015年に約90万人のシリア難民を受け入れ、ドイツで亡命申請を許した「超法規措置」だ。

ドイツ人は、治安と法治主義を最も重視する民族だ。2年前に、多くのドイツ人は「政府は国境開放によって、法秩序を守るという責任を一時的に放棄した」という強い懸念を抱いたのだ。

これまでドイツではフランスやオランダなどほかの欧州諸国に比べ、極右政党の影響力が弱かった。ドイツはかつて「加害者」だった国である。ナチスの犯罪に対する反省は、極右政党への投票を食い止める歯止めとなっていた。だがメルケル氏の難民政策はこの歯止めを失わせ、結果として右派ポピュリストを中央政界の檜舞台に送り込む起爆剤となってしまった。

メルケル首相の指導力低下

すでに13年間も首相の座にあるメルケル氏の態度には、最近「軽薄さ」が目に付く。例えば連邦議会選挙で、CDU・CSUの「敗北」が明らかになった直後、メルケル氏は党本部で支持者に対して行った演説で、「我々の政策は、何一つ変える必要はない」と断言して、党員たちを唖然とさせた。難民政策のために有権者から厳しい判定を受けたにも関わらず、反省の色をまったく見せなかったからである。

CDUの保守派の間では、「メルケル氏の政策は余りにもリベラルで、緑の党に近い」という意見が強い。彼女がCDUを左傾化させたことが、保守層をAfDの下へ走らせたというのだ。彼女が新しい政権の首相の座に就いても、「メルケル時代」がすでに終わっていることを糊塗することはできない。

SPDの衰退は、さらに深刻だ。最大の原因は、SPDがマルティン・シュルツという、指導者としての適格性に欠ける人物に率いられていることだ。

私は1990年以来ドイツに住んで、28年間にわたってこの国を定点観測しているが、シュルツ氏ほど右往左往する党首を見たことがない。例えばシュルツ氏が連邦議会選挙の直後に「大連立政権に加わらず、野党席に戻る」と宣言したために、メルケル氏はCDU・CSU、緑の党、自由民主党(FDP)による四党連立を試みなくてはならなかった。しかし緑の党とFDPの政策の隔たりのために、去年11月に交渉が決裂。

SPD支持率が20%台割れ

シュルツ氏は連邦大統領に説得されて下野の方針を撤回し、大連立政権に加わる姿勢を打ち出した。彼は原則を貫くことよりも、空白期間に終止符を打つことを重んじたのだ。この朝令暮改ぶりに、市民のSPDへの不信感は強まっている。公共放送局ARDが2月1日に発表した世論調査によると、同党の支持率は、去年の連邦議会選挙の時に比べて2ポイント減って、18%に下落。SPDが最も恐れていた「20%台割れ」が現実化した。バーデン=ヴュルテンベルク州では、すでにSPDとAfDの支持率が横並びになっている。

またCSUも、得票率を11ポイント減らした。同党のホルスト・ゼーホーファー党首は「敗北」の責任を問われ、バイエルン州首相を辞任する方針を明らかにしている。党首の座を降りるのも時間の問題であり、ゼーホーファー氏も「過去の人」である。つまり新政権は「半死半生」の人々によって率いられる。メルケル氏は常日頃強調する「安定した政局運営のための基盤」を欠いたまま、四期目のスタートを切るのだ。

ドイツはデジタル化による変革をどう乗り切る

連立協定書の内容も、不評だ。ドイツ産業連盟(BDI)のディーター・ケンプ会長は、「デジタル化への対応や教育改革など、重要なテーマについて明確な長期戦略が欠けている。経済に推進力を与える内容ではない」と批判している。「シュレーダー前首相の改革プログラム・アゲンダ2010が生んだ果実を、高所得層と低所得層の間でどう分け合うかについて取り決めた、後ろ向きの協定にすぎない」という酷評も聞いた。

今ドイツは、デジタル化によって経済と社会が大きな曲がり角に差し掛かっている。この大変革の時代をどのように乗り切ろうとしているのか。新政権はこの問いに対する答えを、早急に見出さなくてはならない。

最終更新 Donnerstag, 15 Februar 2018 13:08
 

大連立政権へ第一歩 SPDの苦悩は続く

ドイツでは去年9月の連邦議会選挙から約4カ月経っているのに、新政府が誕生していない。この戦後初の異常事態に、ようやく収拾の兆しが見えてきた。

2018年ドイツの展望1月21日にボンで開かれた党大会での投票後のナーレス氏(左)とシュルツ党首

SPD、僅差で大連立を承認

社会民主党(SPD)は、1月21日にボンで臨時党大会を開き、代議員の約56%が、キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)との大連立へ向けた本交渉を始めることに同意したのだ。

SPDのマルティン・シュルツ党首は体調を崩して声を枯らし、厳しい表情で党大会の成り行きを見守っていた。だが党大会の議長役を務めていたハイコ・マース法務大臣が、代議員の投票の結果を読み上げると、シュルツ党首は満面の笑みを浮かべ、隣に座っていたアンドレア・ナーレス連邦議会・院内総務と抱き合った。

この結果、CDU・CSUとSPDは、連立協定書の合意へ向けて本格的な交渉を始める。交渉が順調に進めば、3月には新しい大連立政権が誕生する見通しだ。

メルケル首相は、ここ数週間にわたり「一刻も早く安定した政府を樹立するべきだ」と繰り返してきた。EUの事実上のリーダー国ドイツで、政府の空白状態が長引いているために、欧州全体の政局運営にも悪影響が出始めているからだ。たとえば、喫緊のテーマである欧州通貨同盟の改革やEUの安全保障体制の強化など、重要な議題が棚上げになっている。欧州委員会や周辺諸国の首脳の間では、ドイツの政治空白について苛立ちが強まっている。このためEU幹部やフランスの閣僚からは、SPD党大会の決議内容を高く評価する声が出ている。

SPDの深い亀裂

しかしSPDは喜ぶわけにはいかない。同党は大連立に参加するか否かをめぐり、分裂状態にある。青年部や旧東ドイツの党支部からは大連立に反対する意見が強かった。その理由はシュルツ党首が政権参加をめぐり右往左往したことだ。シュルツ氏は去年の連邦議会選挙の直後に、大連立政権への参加を拒否し、野党席に戻ると宣言。彼は、SPDの得票率が約20%という過去最低の水準に落ち込んだので、党を改革してSPDの個性を強めなくてはならないと考えたのだ。

だが、11月19日に、CDU・CSUと自由民主党(FDP),緑の党の四党連立をめぐる交渉が決裂。再選挙の可能性が浮上した。選挙をやり直す場合、政府の空白状態がさらに長引く危険がある。このためフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー連邦大統領は、シュルツ氏に「下野宣言」を再考するよう要求した。

シュルツ氏は大統領の意向を受け入れて、方向を180度転換し、大連立政権への参加に前向きの姿勢を取り始めた。だがSPDの若い党員の間では、「党首が朝令暮改を続けていたら、この党の信用性はさらに落ち込む」として、シュルツ氏の方向転換を批判する声が強まった。臨時党大会で代議員の約44%が、大連立政権への参加に反対したのは、そのためである。左翼政党「リンケ」のべアント・リークシンガー副院内総務は、「SPDの大連立承認は、ハラキリ(自殺行為)だ」とコメントしている。彼は「SPDは、メルケル首相が現状維持をできるように、自党の改革を犠牲にした」と主張しているのだ。

SPDはメルケル氏の梯子役?

去年1月にシュルツ氏が党首に選ばれた時に、SPDの党員数は1万人も増えた。当時新しく入党した人の中には、今深い失望感を抱いている人も多いはずだ。SPDの党員の中には、「我々はメルケル氏が首相の座に登れるようにするための、梯子として使われているだけではないか」という不満もある。実際、CDU・CSUにはSPDを「小人」扱いする言動が見られる。

党大会に先立って、CDU・CSUとSPDの幹部たちは、大連立のための予備協議を終えて、新政権の政策アウトラインを公表した。その中では、SPDが要求してきた、民間健康保険の廃止による「市民保険制度」の創設や、富裕層に対する増税案、難民の家族呼び寄せに関する緩和措置などが無残に削り取られていた。

ナーレス院内総務は、「我々は連立協定をめぐる本交渉で、政策アウトラインの是正を求める」と宣言しているが、CDU・CSUがやすやすと応じるとは思えない。シュルツ氏はFDPのように交渉から離脱せずに、「安定した新政権を早期に樹立する」という大義名分を重視して、連立協定書にサインするだろう。

低下するSPDの支持率

一度メルケル氏に挑戦状を叩きつけておきながら、再びすごすごとCDU・CSUに寄り添うSPDの支持率は、さらに下がる可能性が強い。1月23日にドイツの世論調査機関INSAが発表したアンケート結果によると、SPDへの支持率は、去年9月の連邦議会選挙での得票率よりも2ポイント下がり、18%になった。

逆に極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率は、2ポイント増えて14%に達し、SPDとの差は4ポイントに縮まった。ドイツの報道機関は、毎週のようにAfDの幹部らの人種差別的な発言や、ネオナチを思わせる失言について報じているのだが、AfDへの支持率が下がる兆候はない。これは、多くの有権者がAfD幹部の過激な発言について、不感症になりつつあることを示しているのかもしれない。ドイツに住む我々にとっては、不気味な兆候である。

SPDはドイツの二大政党制の重要な柱だ。一刻も早く有権者の信頼を回復する道を歩み始めてほしい。

最終更新 Donnerstag, 01 Februar 2018 11:01
 

今後の政策が問われる難民問題と犯罪

偶然かもしれないが、毎年暮れになると難民が絡んだ犯罪が起きて、ドイツ社会に衝撃を与える。2015年の12月には、新年の花火を見るためにケルン中央駅前の広場に集まっていた群衆に混ざって、北アフリカからの難民らがドイツ人女性ら約1000人の身体を触ったり、携帯電話を奪ったりするという前代未聞の事件が起きた。2016年の12月には、テロ組織イスラム国(IS)の思想に感化されたチュニジア人が、ベルリンのクリスマス市場に大型トラックで突入し、12人を殺害し50人以上に重軽傷を負わせた。

2018年ドイツの展望昨年12月27日の事件を受け、現場で今の政治についての不満を掲げる男性

難民がドイツ人少女を刺殺

去年12月27日にも、悲惨な事件が起きた。ラインラント=プファルツ州のカンデルという町で、アフガニスタン難民が、商店で15歳のドイツ人の少女を、包丁で刺し殺したのだ。少年は一時この少女と付き合っていたが、交際を断られたために犯行に及んだ。

少年は自分の年齢を15歳と語っていたが、パスポートなど年齢を確認する書類がないため、実際には年齢が15歳よりも上である可能性がある。この少年は、両親の付き添いもなく、独りでドイツにやって来た難民である。このためカンデルのドイツ人たちが、少年の面倒を見ていた。この少年は、失恋の怒りと悲しみを、直ちに暴力として噴出させて、元恋人を殺害した。その冷血さに、多くのドイツ人が「文化の違い」を感じたはずだ。

一部のドイツのメディアは、このニュースの扱いに苦慮した。「ビルト・オンライン」を始め多くのメディアは、12月27日から翌日にかけてこの事件を速報した。だが公共放送ARDのニュース番組「ターゲスシャウ」は、12月28日もこの事件をあえて報じなかった。ARDには、恋愛関係のもつれによる殺人事件は社会性が低いので、報じないという原則がある。しかも犯人が未成年である場合は、特に扱いに慎重になる。すると、「ターゲスシャウ」のサイトには、「難民をかばうために報道しないのか」という内容の批判が殺到。「ARDは、もしもドイツ人が難民の少女を殺害したら、すぐに報じるだろう。逆の場合は、なぜ報道しないのか」という書き込みもあった。ARDもこの圧力に負けて、翌日にこのニュースを報じた。

人心を煽る極右政党?

極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、ツイッターやフェイスブックで、「あと何人ドイツ人が殺されれば、政府は難民政策を変えるのか?」と挑発的なメッセージを発信していた。あたかもメルケル首相の難民政策が、カンデルの少女を殺したかのような論調である。こうしたメッセージが、スマートフォンでツイッターやフェイスブックを読む若者たちの心を汚染していくのは、由々しき事態である。

ドイツ市民の間には、2015年にメルケル首相が多数の難民に門戸を開いて、ドイツでの亡命申請を許して以来、治安が悪化したと感じる人が多い。確かに、過去3年間に、難民が電車やスーパーマーケットで無差別に市民に切りつけたり、音楽祭の会場付近で自爆した事件、爆弾テロを計画していたがドイツの警察に未然に摘発されたケースなどが、報告されている。

「暴力犯罪の増加の原因は、難民の急増」

こうした中、難民の急増と暴力事件の増加の間には、相関関係があるという内容の報告書が公表された。ドイツ連邦家庭・青年省は、犯罪学者クリスティアン・プファイファー氏らに委託して、ニーダーザクセン州で難民が起こした暴力事件の実態を調査した。「ドイツの暴力犯罪の動向について」と題された報告書によると、同州での暴力犯罪の数は、2007年から2014年までに21.9%減少していた。だがその件数は、2015年からの2年間に10.4%増加した。学者たちが暴力事件の内容を分析した結果、件数の増加の92.1%では、難民が容疑者であることがわかった。難民が容疑者である暴力事件の件数は、2014年から2016年までに241%も増加している。ニーダーザクセン州では、難民の数が2014年から2016年までに117%増えていた。また、2014年に起きた暴力事件の内、難民が起こした事件の比率は4.3%だったが、2016年には13.3%に増加している。

ドイツは今後難民政策をどう変えるのか?

2015年以降ドイツにやって来た難民の半数以上は、30歳未満の若者である。ニーダーザクセン州で2014年から2016年に難民が起こした暴力事件の内、容疑者の年齢が14~30歳だった事件の比率は、全体の65.4%にのぼる。

このためプファイファー氏らは、「若い難民の数が急増したことが、ニーダーザクセン州での暴力犯罪が増えた原因である」と結論付けている。特に、北アフリカのチュニジアなどから地中海を渡って欧州にたどり着いた難民が暴力犯罪の容疑者の中に占める比率は、49.4%と最も高かった。これに対し、シリア、イラク、アフガニスタンからの難民の比率は25%と比較的低かった。

難民の受け入れは、文化や国民のアイデンティティーに大きく関わる問題だ。去年の連邦議会選挙で、有権者がメルケル首相が率いる大連立政権を厳しく罰したことは、多くのドイツ人が難民政策に強い不満を抱いていることを浮き彫りにした。ドイツ社会が今後難民や外国人に関する政策をどのように変えていくか、我々は注意深く観察していかなくてはならない。

最終更新 Mittwoch, 17 Januar 2018 15:31
 

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