独断時評


「メルケル後」のドイツはどうなるのか

メルケル首相
ベルリンでの市議会選挙前の応援演説をするメルケル首相

メルケル首相の顔色がさえない。彼女が率いるキリスト教民主同盟(CDU)が、地方選挙で立て続けに敗北しているからだ。CDUは、9月4日にメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙で敗北しただけではなく、9月18日にベルリンで行われた市議会選挙でも歴史的な敗北を喫した。市議会選挙と呼ばれるものの、ベルリンは州と同格なので、首都での選挙は重要な意味を持っている。

首都でもAfDが躍進

右派ポピュリスト政党・ドイツのための選択肢(AfD)が14.2%の得票率を記録して初の議会入りを果たしたのに対し、CDUは前回の選挙に比べて得票率を5.7ポイント減らして、17.6%しか取れなかった。これはCDUのベルリン市議会選挙での得票率としては、過去最低である。

世論調査機関インフラテスト・ディマップの推計によると、前回の選挙でCDUに投票した市民28万8000人の内、3万9000人がメルケル首相に背を向けてAfDに票を投じた。ちなみにAfDは、ほかの大半の既成政党にも痛打を与えた。社会民主党(SPD)の得票率は28.3%から21.6%に下がったほか、緑の党も得票率を17.6%から15.2%に減らした。

難民政策の失敗を認めた首相

ベルリンでの敗北が明らかになった直後、メルケル首相は記者会見で「今回の無残な開票結果には、失望している」と述べた。そして、MV州とベルリンでの「ダブル敗北」の原因は、彼女が昨年9月に踏み切った難民受け入れにあるとして、自身の責任を認めた。

首相は「難民受け入れの決定自体は間違っていなかった。しかし我々は長期間にわたって、難民流入の状態を十分にコントロールすることができなかった。あのような状況は、二度と起こしてはならないと思っている」と述べた。昨年ドイツには約110万人の難民が到着したが、連邦政府は一時的に、難民入国を制御できない状態に陥っていたのだ。メルケル首相がこれほど率直に政府の失敗を認めたのは、珍しい。

さらに彼女は「現在難民危機への対処が遅々として進まない理由は、我々が過去数年間に過ちを犯したからである。今や我々は問題を解決するために、通常よりも努力しなくてはならない」と付け加えた。メルケル首相を含めてEU加盟国の首脳たちは、2010年以降アラブ世界が不安定化の兆候を見せ始めてからも、難民の大量流入に備えて、EUの亡命申請規定であるダブリン協定や、国境の開放に関するシェンゲン協定の内容を改善したり、EU外縁部の警備体制を強化したりする努力を怠ってきた。

メルケル首相は珍しく、気弱な発言を行った。「できることならば、時間を何年も前に戻して、連邦政府と全ての責任者が昨年夏に起きたような事態に十分に対処できるように、準備を整えたかった」。メルケル首相がこのような後ろ向きの発言を行い、悔悟の念をあらわにするのは、極めてまれである。さらに首相は「Wir schaffen das(我々は問題を解決できる)という決意表明が、“内容のない空虚な言葉”になってしまったことを残念に思う」とも述べ、もはやこの言葉を使わないと明言した。

2017年は選挙がめじろ押し

メルケル首相のこの発言は、彼女が昨年以来取ってきた難民政策の誤りを認めた敗北宣言である。メルケル首相は、キリスト教社会同盟(CSU)の「毎年の難民受け入れ数を20万人に限るべきだ」という要求は受け入れなかった。しかしCDU・CSUの中では「メルケル氏が党首では、選挙を戦えない」という責任論が浮上することは確実だ。来年は、ノルトライン=ヴェストファーレン、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ザールラントで州議会選挙が行われるほか、秋には連邦議会選挙を控えた重要な「選挙の年」である。

AfDは、16の州の内10の州で議会入りを果たしている。メルケル首相の難民政策を「まるで左翼のようにリベラルな政策だ」と感じ、深い疎外感を抱いている市民は、今後もCDU・CSUとSPDを罰するために、AfDに投票するだろう。メルケル首相は自身の進退について明確な立場を打ち出していない。だがCDU・CSU内部では、今後「メルケル後」についての議論がひそかに行われるはずだ。

後継者選びは難航する

CDU・CSUにとって最大の問題は、10年間首相を務めたメルケル氏の後継者になる器を持つ政治家がいないことだ。ショイブレ財務大臣は経験豊富なベテランだが、来年は75歳になり、首相の激務は荷が重い。フォン・デア・ライエン国防大臣も、首相の器ではない。論文盗作疑惑は一応「無罪」ということになっているが、首相候補としてはマイナスの要素だ。CSUのゼーホーファー党首は、バイエルン州土着の政治家というイメージが濃厚で、国政を担う器ではない。特にドイツ北部の有権者たちからは、受け入れられないだろう。CDU・CSUは「メルケル後」の首相候補を選ぶのに大変苦労するだろう。

CDU・CSUまたはSPDが連邦議会選挙で単独過半数を取ることは、不可能だ。どの党もAfDとの連立は拒んでいるので、再び大連立政権が生まれるだろう。だが首相の座に誰が就くかは、未知数である。ドイツの政局は大きな岐路に差し掛かっており、当分の間は目が離せない。

最終更新 Donnerstag, 06 Oktober 2016 10:09
 

MV州議会選で大敗したCDUとメルケル首相

メルケル首相
今回のMV州議会選でのCDUの大敗が、
メルケル帝国崩壊の序曲となるか

9月4日に旧東ドイツ北部のメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙の投票結果は、メルケル政権に強い衝撃を与えた。

AfDの大躍進

3年前に創設された右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が20.8%もの得票率を記録して、第2党として議会入りに成功したのだ。

AfD以外のほぼ全ての党は前回(2011年)の選挙に比べて得票率を減らした。メルケルが党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)は、得票率を23%から19%に減らして大敗。同党は社会民主党(SPD)、AfDに次ぐ第3党の地位に転落した。

全ての既成政党は、AfDと連立しないことを投票前に公約していた。このため、SPD、CDUなどが大連立政権を作ることはほぼ確実である。しかしSPD、左派政党(リンケ)がともに得票率を5ポイントも減らしたことは、いかに多くの有権者がAfDの下へ走ったかをはっきりと示している。

市民を突き動かした難民危機

なぜAfDは躍進したのだろうか。その最大の理由は、同党がメルケルの難民政策を激しく批判したことにある。ドイツ市民の間では、メルケルの難民政策に対する不満が高まっていた。民間放送局N24が今年7月に発表した世論調査によると、回答者の57%が「メルケルの難民政策は失敗した」と答えている。また公共放送局ARDが9月1日に発表した世論調査によると、メルケルへの支持率は45%だった。これは、過去5年間で最低の水準である。

AfDは、昨年メルケルが人道的な理由で行った難民受け入れ決定を批判し、亡命権の制限を求めている。同党は、「戦火を逃れてドイツに一時的に逃げてくる難民は受け入れるが、亡命する理由もないのにドイツに不法に入国する外国人は受け入れるべきではない。ドイツへの移民は、我が国の経済が必要とする知識や技術を持っており、経済に貢献できるかどうかという基準で決めるべきだ」と主張してきた。

無党派層をも動員したAfD

 MV州の有権者たちは、こうしたAfDの主張に同調した。注目すべきことは、今回の選挙での投票率が前回の選挙から10ポイントも改善して、61.6%になったことだ。前回棄権した66万6000人の無党派層の内、5万5000人が今回は投票所に足を運び、AfDに票を投じた。つまりAfDは、CDUなどの伝統的な政党よりも、政治に無関心な有権者を動員する力を持っているのだ。同党は、ドイツの16の州議会の内、9州で議席を持つことになった。来年の連邦議会選挙で議会入りすることはほぼ確実だ。

中国・杭州でG20首脳会議に出席していたメルケル首相は、「CDU大敗の原因の一端は、私がとった難民政策にある」と述べて、自分の責任を認めた。しかし首相は、自分が1年前に行ったシリア難民の受け入れは正しかったという立場を変えなかった。ドイツの保守勢力は、難民受け入れ数に上限を設定するように求めているが、メルケルは「憲法が保障する亡命権に、上限はない」として、この要求を頑として拒絶している。メルケルが「Wir schaffen das(我々はやれる)」というスローガンを繰り返し、難民政策を転換しないことについては、政界やメディアから批判の声が高まっている。特に、CDUの姉妹政党として大連立政権に参加しているキリスト教社会同盟(CSU)からは、「MV州議会選挙の結果は、亡命権の制限を求めてきた我々の主張が正しかったことを示している。我々与党は、市民の警告を真摯に受け止めるべきだ」と、メルケルに難民政策の転換を求めている。

右派ポピュリズムが独にも到達

この地域には、メルケルの連邦議会選挙での選挙区があるが、AfDはこの地域でもCDUなどの票を奪って大きく躍進した。たとえばフォアポンメルン・グライフスヴァルト第3選挙区では、AfDの得票率が32.3%に達し、CDU(17.7%)に大きく水をあけている。CDUとSPDが構成するMV州政府は過去4年間で雇用を増やし、失業率低下に成功した。同州の失業率は、2011年の12.5%から、2015年には10.4%に低下。だが有権者は、伝統的な政党がもたらした経済的な成果を高く評価するよりも、AfDが強調した「難民増加による脅威」を理由にCDUとSPDを罰する道を選んだ。

AfDは、反イスラム、反ユーロを掲げる右派政党で、第二次世界大戦後の西ドイツが培ってきたリベラルな「戦後レジーム」の転換を目指している。同党の幹部の中には、「警官の制止を無視して国境を越えようとする難民に対しては、銃を使うべきだ」とか「多くのドイツ人は、ドイツ人に帰化した黒人のサッカー選手が、自分の家の近くに引っ越してくるのを喜ばない」などの過激な発言を行う者もいる。MV州の多くの有権者は、それでもAfDに票を投じた。英国やフランス、オランダなど多くの国々で右派ポピュリズムが躍進しているが、MV州議会選挙の結果は、ドイツにもその波が到達したことを示している。AfD躍進は、我々ドイツに住む外国人にとって、朗報ではない。

過去10年間にわたりドイツの首相を務めたメルケルは、政治的な黄昏の時を迎えた。来年の連邦議会選挙は、ドイツを「メルケル後の時代」へ突き動かすことになるだろう。

16 September 2016 Nr.1034

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

ドイツを襲うイスラム・テロ - メルケル政権はどう対応する?

アンスバッハ旧市街
人口4万人の町アンスバッハの旧市街

2016年夏のドイツは、バカンス気分が吹き飛んでしまったかのような陰鬱な気分に包まれている。その原因の一つは、7月24日にドイツで初めてテロ組織「イスラム国(IS)」の信奉者による自爆テロ事件が発生したことだ。多くの市民が、「ついにISの自爆テロの波がドイツにも到達した」と感じている。

あわや大惨事

事件が起きたのは、バイエルン州ニュルンベルク近郊のアンスバッハ。24日の夜、この町では夏の音楽祭「アンスバッハ・オープン」が開かれていた。22時頃、リュックサックを背負った外国人が音楽祭の会場に入ろうとしたが、切符を持っていなかったので、警備員によって入場を阻まれた。この直後に男は音楽祭会場に近い居酒屋の前で、リュックサックに隠した爆発物に点火。市民15人が重軽傷を負い、犯人は死亡した。もしも犯人が音楽祭の会場に入り込んでいたら、死傷者数は大幅に増えていたはずだ。

対テロ捜査を担当する連邦検察庁やバイエルン州警察の調べによると、犯人はモハメド・Dという27歳のシリア人だった。捜査当局がDの携帯電話を調べたところ、彼が「アラーの名の下にドイツに対するテロ攻撃を行う」と語る映像が残されていた。さらにDはビデオの中で、ISに忠誠を誓っていた。このことから連邦検察庁は、この事件をIS信奉者が多数の市民の殺傷を狙った無差別テロと断定した。

却下された亡命申請

Dは2年前、ドイツに難民として到着し、亡命を申請した。だがDはドイツに入国する前にブルガリアとオーストリアでも亡命を申請していた。ブルガリア政府はすでにDについてシリア内戦からの避難民として、「暫定的な保護措置」を認めていた。

EUの亡命申請に関する規定である「ダブリン協定」によると、亡命を希望する外国人は、最初に足を踏み入れたEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。

このためドイツ政府は、Dのドイツでの亡命申請を却下。Dはブルガリアへ強制送還される予定だったが、医師が「Dは精神的に不安定な状態にある」という診断書を裁判所に提出したため、ブルガリアへの送還が延期されていた。

バイエルン州政府のヘルマン内務大臣(キリスト教社会同盟=CSU)は、「イスラム・テロがドイツに到達した。民主主義社会ドイツは、そのことを自覚し、対応しなくてはならない」と語った。CSUのショイアー幹事長は、今回の事件を受けて「もはやドイツに到着する難民の説明をうのみにするわけにはいかない。入国を希望する難民全員を面接し、詳しい身元調査を行うべきだ」と主張している。

行われなかった身元調査

バイエルン州では7月18日にも、ヴュルツブルクを走っていた列車の中で、自称アフガン人の男がおのと包丁で乗客に襲い掛かり、たまたまドイツを旅行中だった香港からの観光客ら4人に重傷を負わせたばかり。男は列車から逃走したが、警察官によって射殺された。犯人は列車の中で「アラー・アクバル(アラーは偉大なり)」と叫んでいた。また警察は犯人の自室から、ISの旗が描かれたノートを発見。さらにISは、犯人が「ISの戦士としてドイツで戦いを始める」と宣言しているビデオ映像をネット上に公開した。これらのことから、ヴュルツブルクの事件が政治的な動機に基づくテロ事件であることは確実だ。

犯人は2015年6月にバイエルン州のパッサウからドイツに入国。当時16歳だった。入国時にドイツの警察や入国管理当局は、男の指紋を取っておらず(ドイツに来る前に通過したハンガリー政府は採取)、さらにドイツ政府は今年3月にこの男にドイツへの滞在許可を与えたが、その際にも詳しい身元調査は行わなかった。彼はパン職人の見習いとなり、ソーシャルワーカーや周辺の人々は、この男がISの過激思想に感化されていたことに気づかなかった。ただし、彼が事件の直前に「友人がアフガニスタンで死んだ」と語っていたことから、友人の死に対する怒りと絶望が、この男をISに急激に傾斜させた可能性もある。

ドイツ社会に広がる不安

いずれにせよ、ドイツに昨年入国した100万人の難民について、政府や警察が十分な身元調査を行わなかったこと、そして一部の難民が少なくとも2件のテロ事件を起こしたことについて、市民は不安を募らせている。パリで昨年11月に起きた同時テロの犯人の一部も、難民に紛れ込んでEUに潜入したISの戦闘員だった。また今年6月には、デュッセルドルフで同時テロを計画していたシリア人4人が逮捕されたが、彼らも難民を装ってドイツに潜入していた。

昨年9月にメルケル首相が、ハンガリーで立ち往生していたシリア難民らをドイツに受け入れる決断を行ったとき、CSUを始めとする保守勢力の間では、「テロリストが難民に混ざってドイツに潜入するのを、どのように食い止めるのか」という強い批判の声が出ていた。今や保守派が警告していた事態が、現実となった。メルケル首相は、今なお難民数に上限を設けることに反対しているが、来年の連邦議会選挙へ向けて、保守勢力からメルケルに対する批判が強まる可能性もある。今後もドイツでは無差別テロが起こる可能性があり、メルケルは昨年の決定について、説明責任を問われるかもしれない。

2 September 2016 Nr.1033

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

トルコの法治主義はどこへ? ドイツ政府の苦悩

ドイツとトルコの関係が急速に悪化している。そのきっかけとなったのは、今年7月15日から16日にかけてトルコで発生したクーデター未遂事件である。この事件では、イスタンブールやアンカラなどで軍の一部が、エルドアン政権の転覆を目指して蜂起。各地で起きた戦闘のために、市民を含む約290人が死亡した。

吹き荒れる粛清の嵐

EUの関係
クーデター未遂事件後のトルコ政府の態度により、
EUの関係に暗雲

からくもクーデターを鎮圧したエルドアン大統領は「米国に亡命中の宗教指導者フェトフッラー・ギュレンが、政権転覆を図った」として、ギュレンのイスラム運動に加わっていると見なした軍人や公務員の大量逮捕に乗り出した。
彼は米国政府に対し、ギュレンのトルコへの送還を要求している。

エルドアンが7月20日に3カ月の非常事態宣言を発令して以来、同国では弾圧と粛清の嵐が吹き荒れている。何よりも驚かされるのは、トルコ政府が逮捕ないし解雇を命じた人々の数の多さだ。政府は逮捕者数を公表していないが、ドイツでは「7月末までに約1万3000人が逮捕された」という情報が流れている。

トルコ政府はこれまでに約8300人の軍人、約2100人の裁判官・検察官、約1500人の警察官、約600人の民間人を逮捕している。7月27日に、約100社の通信社、放送局、新聞社、雑誌社、出版社の閉鎖を命じたほか、7月末に約90人のジャーナリストを逮捕し、24の放送局からテレビ・ラジオ番組の放送権を剥奪した。

さらに政府は、「ギュレンとつながりがある者が働いていた」という口実で、大学など約2300カ所の教育機関、病院などを閉鎖。大学の学長ら約1500人も職を解かれた。さらに教育省の職員約1万5000人、民間の学校の教員約2万1000人が解雇された。またトルコ政府は研究者や大学職員に対し、外国への旅行を禁止し、外国に滞在している大学幹部に対し、直ちに帰国するよう命じている。

ドイツで高まるエルドアン批判

ドイツは、トルコと最も関係が深い国の一つだ。2015年の時点で、ドイツにはトルコ人が約150万人住み、ドイツ国籍を取ったトルコ系住民も含めると、その数は約280万人に達する。トルコ人は、ドイツの移民の14%を占める最大勢力だが、これは、1950~60年代にかけて労働力不足に悩んだ西ドイツが、トルコから多数の労働移民を受け入れたからだ。特にルール工業地帯があるノルトライン=ヴェストファーレン州や、首都ベルリンにはトルコ系住民の数が多い。

多くのドイツ人は、トルコ政府の弾圧の激しさに唖然としている。ドイツのメディアからは「エルドアンは、クーデター未遂を口実として、自分に反対する勢力を社会の要職から一掃しようとしている。トルコは、法治主義からますます遠ざかりつつある。エルドアンはこの事件をきっかけに、一種の独裁体制を確立しようとしているのではないか」という指摘が出ている。

難民問題でトルコに大きく依存

ドイツ政府にとって、エルドアン政権が法治主義を無視するかのような振る舞いを見せていることは、大きな頭痛の種だ。その理由は、難民危機の解決をめぐり、ドイツとEUはトルコに大きく依存しているからだ。

昨年9月、メルケル政権はハンガリーで立ち往生していたシリア難民らを受け入れる決定を行い、約100万人の亡命申請者を受け入れた。シリア難民にとって、トルコから船でギリシャへ渡り、バルカン半島を縦断してドイツへ向かう「バルカン・ルート」は西欧に到着するための最短ルートだった。

トルコは今年3月、同国を通ってEUに不法入国した難民を強制送還させて、トルコ国内に受け入れることに同意した。そのかわりEUは、トルコにすでに滞在している難民を同じ数だけ受け入れ、加盟国の中で配分する。さらにトルコはEUが難民対策費用として60億ユーロ(約6780億円)を支払うとともに、トルコのEU加盟交渉を加速し、トルコ人がEUに入国する際のビザ取得義務の廃止を求めた。

EUにとってこの合意は、「バルカン・ルート」を遮断する上で、重要な意味を持っていた。さらにマケドニア、セルビア、クロアチア、スロベニアなどが国境を閉鎖したために、バルカン・ルートを通って西欧へ向かう難民の数は、現在大幅に少なくなっている。

難民合意崩壊の危険

だがトルコの外務大臣は、8月3日に「EUが今年10月までに、トルコ人がEUに入国する際のビザ取得義務を廃止しない場合には、我が国は難民引き取りに関するEUとの合意を無効にするかもしれない」と発言。ギリシャ政府は、EUに対して「トルコが難民合意を放棄した場合に備えて、対策を取るべきだ」と要求している。EUが難民引き取りをやめた場合、ギリシャに再び多数のシリア難民が押し寄せるからだ。

EUを悩ませているのが、エルドアンがクーデター未遂事件後、死刑制度の復活をほのめかしていることだ。死刑制度がある国はEUに入ることができないため、トルコは2004年に死刑を廃止した。EU加盟国の間からは、「トルコが死刑を復活させたら、EU加盟交渉を中止するべきだ」という意見が強まっている。

トルコとEUの関係がさらに険悪化した場合、今年秋には難民合意が破綻し、再びトルコ経由で西欧をめざす難民の数が急増するかもしれない。難民危機の再燃を防ぐためにも、EU諸国はエルドアン政権の態度を軟化させることができるだろうか。

19 August 2016 Nr.1032

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:40
 

ミュンヘン乱射事件の衝撃

ドイツ・第3の大都市ミュンヘンで7月22日に起きた乱射事件は、欧州だけでなく世界中の人々に強い衝撃を与えた。この日午後6時頃、18歳のミッテルシューレの生徒アリ・Sが、ミュンヘン北西部のモーザッハ地区にあるファストフード・レストランと向かいのオリンピア商店街(OEZ)で、9人の市民を射殺したのだ。35人が重軽傷を負った。

事件現場
7月24日、花束やろうそくが手向けられた
オリンピア商店街の事件現場(撮影: 熊谷 徹)

犯人は自殺、
リュックには300発の銃弾が

金曜日の夕刻に買い物を楽しんでいた市民たちは、突然の銃声に逃げまどった。MP5型サブマシンガンを持った警察官たちが、現場に駆け付けた。OEZ上空では、警察のヘリコプターが旋回する。Sは現場から北100メートルの裏道に隠れたが、警察官に見つかったため、拳銃で自殺した。彼は拳銃を約60発撃っていたが、背負っていたリュックサックには約300発の銃弾が残されていた。

Sはミュンヘン生まれで、イラン系のドイツ人。父親はイラン人のタクシー運転手である。自宅を捜索した警察官たちは、Sがうつ病のために精神科医の治療を受けていたことを示す書類や薬物を発見。また、彼の自宅では、欧州各地で起きた乱射事件に関する本も押収された。

7月22日は、極右思想を持っていたノルウェー人アンネシュ・ブレイヴィークが、オスロなどで77人の市民を殺害した日からちょうど5年目にあたる。Sはこの事件について強い関心を持っていた。このため警察は、Sがブレイヴィーク事件を模倣し、この日を選んで乱射事件を起こした疑いを強めている。

Sはオーストリア製の拳銃グロック17型を犯行に使ったが、彼がこの拳銃と銃弾をどのようにして入手したかは、大きな謎である。警察では、Sが武器や麻薬の取引に使われる「ダーク・ネット」というインターネットの秘密のサイトを使って、武器を入手したのではないかと見ている。

テロへの不安感がミュンヘンをパニックに

この事件は、ドイツ人に強いショックを与えた。今年夏に入って、異常なテロ事件が相次いでいるからだ。この事件の8日前の7月14日には、フランス・ニースの海岸でイスラム系過激派の青年がトラックを暴走させて観光客84人をひき殺した。また7月18日には、ドイツのヴュルツブルクの列車内で、昨年難民としてドイツに入国していたアフガニスタン人の青年が、おのと包丁で乗客に襲いかかり、ドイツを旅行していた香港の観光客4人が重傷を負った。この青年は、人々を襲う際に、「アラーは偉大なり」と叫んでいた。今回の事件の特徴は、イスラム系テロに対する不安感が、ミュンヘンを一時パニックに陥れたことだ。

第1報がテレビやラジオ、ネットで伝えられたとき、警察は「3人の犯人は逃走中」と発表した。その理由は、当初警察が「S以外に、現場から車で猛スピードで逃げた2人の男が目撃された」と考えたからだ。後にこの2人は事件と無関係だったことが判明した。しかし犯人が3人だという情報は、昨年11月にパリで起きた同時テロを連想させた。つまり警察は、テロリストたちがオリンピア商店街以外の場所でも攻撃するという最悪の事態を想定したのだ。バイエルン州警察本部は、一時Twitterで「Akute Terrorlage(極めて危険なテロ事態)」という情報を拡散したため、多くの市民がパリと同様のテロ攻撃がミュンヘンで起きたと感じた。周辺の州から続々と警察官が送り込まれ、その数は一時約2300人に達した。連邦内務省の対テロ特殊部隊GSG9も、ミュンヘンに急派された。

この日、通常の4倍を超える約4000件の911番通報があり、警察は、デマに振り回された。例えば「町の中心部のシュタッフス地下商店街でも銃声が聞こえた」という911番通報があったため、警察はシュタッフス商店街、ミュンヘン中央駅、マリエン広場の地下鉄駅を閉鎖。逃げまどう市民の中には、恐怖のために泣き出す人もいた。重武装した警察官たちが、人影のなくなった地下街を探索した。さらに警察は、市民に対して建物から外に出ないよう指示した。地下鉄、市電、バスも停止し、長距離列車も一時ミュンヘン駅には停まらなかった。タクシー運転手たちも、客を取らないように無線で指示された。多数の市民が帰宅できなくなり、ホテルやレストランなどで足止めを食った。ミュンヘンの中心部では一時金曜日の夕刻とは思えないほど人影が途絶え、ゴーストタウンになった。

警察がSが単独犯だと断定し、公共交通機関の使用を再開させたのは、事件発生から6時間後の翌日午前1時だった。

治安確保という大きな試練

私は事件から2日経った7月24日に、オリンピア商店街の現場に行った。惨劇の舞台となったファストフード・レストランとショッピングモールの前には、数百人の市民が置いた花束やろうそくがうず高く積まれていた。9人の犠牲者の大半は、10代。その内8人がトルコ、コソボ、アルバニア系だった。移民の子供たちだろう。友人を失ったのか、若い女性たちが地面にうずくまり、泣きじゃくっていた。多数の人々が集まっているにもかかわらず、重苦しい沈黙が漂っている。真夏の太陽が照り付ける中、多くの人々は呆然として立ちすくんでいた。ミュンヘンとヴュルツブルクの例が示すように、警察が単独犯による乱射やテロを100%防ぐことは、極めて難しい。テロの危険が高まる時代に、いかにして治安を確保するか。ドイツ政府は大きな試練に直面している。

5 August 2016 Nr.1031

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:47
 

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