Hanacell
独断時評


メルケル対プーチン シリア・ウクライナ内戦

メルケル首相とプーチン大統領
10月19日、握手をするメルケル首相とプーチン大統領

10月19日、ロシアのプーチン大統領が2014年のクリミア併合以来初めて、ドイツの首都ベルリンの土を踏んだ。メルケル首相、フランスのオランド大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領との首脳会議に出席するためである。

ロシアの空爆を「非人道的」と非難

メルケル首相とプーチン大統領はカメラの前で握手をしたものの、二人の表情は硬く、その笑顔はメディアの前に立つときだけにつける仮面のように見えた。

連邦首相府での6時間の会議の雰囲気は、緊迫したものだった。特にプーチン大統領の態度は氷のように冷たく、彼はポロシェンコ大統領との握手を拒否したほか、ドイツ政府が準備していた晩餐会への参加も拒んだ。10月20日未明に会議を終え、記者団の前に現れたメルケル首相は、「今回の話し合いは、非常に明瞭かつ厳しいものだった」と述べた。

メルケル首相はその日の内に、EU首脳会議で同会議の内容について報告するためブリュッセルに飛んだ。彼女は会議に先立ち、ロシアがシリアのアサド政権を軍事的に支援し、シリアのアレッポで無差別爆撃を行っていることを厳しい言葉で非難した。「アレッポでロシアの支援の下に起きていることは、全く非人道的だ。長期的な停戦を実現し、包囲下のアレッポで苦しんでいる市民に救いの手を差し伸べなくてはならない。数時間だけ爆撃をやめた後、再び攻撃を繰り返すことは許されない」。

オランド大統領も「アサド政権とロシア空軍がアレッポで行っている空爆は、戦争犯罪に他ならない」とプーチン大統領を批判した。民間人に対する軍事攻撃は、ジュネーブ条約によって禁止されている。

市街地を無差別爆撃

シリア北西部のアレッポは、トルコとの国境に近い戦略的な要衝である。この町の西半分はシリア政府軍が占拠しているが、東半分にはアサド大統領に対抗する反政府勢力、イスラム主義者の民兵組織などが潜伏。約30万人の市民が包囲下のアレッポに残されている。アサド大統領を支援するロシア空軍は、「町に隠れているテロリストを殲滅する」という名目でアレッポの市街地を無差別に爆撃している。アレッポの死傷者数に関する公式な統計は存在しないが、女性や幼児を含む多数の市民が犠牲となっていることは確かだ。アレッポ東部の市街地の大半は瓦礫の山となっており、一部の地域では食糧はおろか、水や電気も断たれている。

アレッポでの戦闘は、何でもありの「ダーティー・ウォー(汚い戦争)」だ。今年9月19日には、国際赤十字がアレッポ市民のための食糧や医薬品を運んでいた31台のトラックが、空爆を受けて破壊された。国連などは、この攻撃がロシア空軍によるものという疑いを強めている。国際赤十字のミリバンド委員長は、「アレッポで起きていることは、ジェノサイド(民族虐殺)だ」と断定している。

国連シリア特使は、シリア内戦による死者数を約40万人と推定している。SOHR(シリア人権監視団)は、「シリア内戦に介入しているロシア空軍の爆撃によりこれまで約9900人が死亡した」と推定している。

これに対してロシア側は、「アレッポでは市民とテロリストを区別することは不可能だ」として、無差別爆撃を正当化しようとしている。

ロシアへの追加制裁も視野

メルケル首相は、今回の首脳会議でシリア内戦に関してプーチン大統領から譲歩を引き出すことはできなかった。メルケル首相が当面目指している目標は、シリアへの軍事介入を理由に、ロシアに対し制裁措置を追加する可能性をちらつかせることによって、アレッポでの長期的な停戦を実現することだ。EUはロシアのクリミア併合以来、同国に対して経済制裁を実施している。つまりEUがシリア介入に関しても追加的な制裁措置を発動すれば、ロシアにとってはダブルパンチとなる。

今回プーチン大統領がドイツでの首脳会議に臨んだ理由も、制裁措置がロシア経済に悪影響を与えているためだと見られる。プーチン大統領に対する国民の支持率は、クリミア併合直後には約80%だったが、現在では約50%に下がっている。つまりメルケルとEUは、追加制裁というオプションでロシアに対する圧力を高めながらも、交渉のチャンネルを開き続けるというダブル戦略を取っているのだ。英国のメイ首相も「シリアでの残虐行為を終わらせるために、我々はあらゆる手段でモスクワに圧力をかけなくてはならない」と述べ、メルケル首相に同調した。

ウクライナ問題では小さな前進

このダブル戦略はウクライナ問題については、功を奏した。ウクライナ内戦では、ロシアに支援された分離独立派とウクライナ政府軍の小競り合いが続き、2014年の「ミンスク合意」が形骸化している。メルケル首相とプーチン大統領は、ベルリンでの首脳会議で「ミンスク合意」の崩壊を防ぎ、内戦終結のための枠組みを作るべく、外務大臣レベルで協議を始めることで合意した。だがEUが、泥沼化したシリアでの流血に歯止めをかけられるかどうかは、未知数である。アレッポの長期的な停戦を実現できるかどうかは、EUとロシアの今後の力関係を占ううえで、重要な試金石となるだろう。

最終更新 Mittwoch, 15 März 2017 12:22
 

統一記念日が浮き彫りにしたドイツ社会の深い溝

デモ
10月3日、ドレスデンで行われたデモに参加した市民

10月3日は、東西ドイツが1990年に統一されたことを祝う記念日である。統一から26年目にあたる今年、連邦政府は旧東ドイツ・ドレスデンのゼンパー歌劇場で記念式典を開催した。だが、ドイツが東西分断を克服し、国家主権を回復したという偉業を思い起こすべき記念日は、今日のドイツ社会に刻まれた深い溝と混乱を浮き彫りにする日となった。

首相に対する怒号

式典にはメルケル首相、ガウク連邦大統領、ラマート連邦議会議長のほか、閣僚や経済団体の代表など、この国の政財界や学会、論壇を代表する数百人が出席した。ラマート議長は、「ドイツは、かつてなかったほど良好な状態にある。我々の状況は、世界中の人々がうらやむほどだ。ドイツ人は、もっと自信と楽観主義を持つべきだ。なぜならば、東西は統一され、我々は自由と正義を手にした。これは、東西分断時代には夢想することすらできなかったことだ」と述べ、統一がこの国を大きく成長させたという立場を打ち出した。これはドイツの指導層、いわばメインストリーム(主流派)の代表的な意見である。

しかし、式典会場の外では、全く異なる雰囲気が支配していた。「Merkel muss weg(メルケルは退陣しろ)」などと書かれたプラカードを掲げた約200人の市民がデモを行い、笛を鳴らして政府に抗議した。彼らはメルケル首相やガウク大統領に対して、「Volksverräter(裏切り者)」、「Widerstand(我々は抵抗する)」などという罵声を浴びせかけた。

エスカレートする極右勢力

抗議デモには、ドレスデンで2014年に結成された右派市民団体PEGIDA(先進国のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人)のメンバーも加わっていた。彼らは外国からの移民や難民の受け入れに強く反対しており、メルケル政権やメディアに敵対する姿勢を隠さない。毎週月曜日のPEGIDAのデモには毎回3000~5000人の市民が参加するが、2015年には2万5000人が参加したこともある。

今回の抗議行動は、特にメルケルの難民政策をめぐり、旧東ドイツの一部の市民の間でいかに反感が強まっているかを浮き彫りにした。右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率が旧東ドイツで高くなっている背景にも、こうした反感がある。ドレスデンでは、式典直前の9月28日にイスラム教寺院の前で爆弾テロも起きている。幸い死傷者はなかったが、極右勢力はイスラム教徒を標的としている。

1989年のドレスデンとの格差

私はドレスデンで市民が政治家たちに罵声を浴びせる光景を見て、1989年11月28日に、当時西ドイツの首相だったヘルムート・コールがドレスデンを訪れた夜のことを思い出した。ベルリンの壁が崩壊してから約2週間。当時東ドイツ市民の間では、西ドイツとの統一を求める声が急激に高まり、「Deutschland, einig Vaterland(ドイツよ、祖国を統一せよ)」という言葉が、プラカードに目立つようになった。

当時ドレスデンの聖母教会はまだ再建されておらず、がれきの山だった。車で近くに到着したコールは、聖母教会の廃墟前に集まった数千人の群衆をかき分けるようにして、演説台にたどり着いた。人々は東西ドイツ国旗を掲げ、西ドイツの首相を「ヘルムート、ヘルムート」という歓呼の声で迎えた。コールは「自由なしに平和はあり得ない。東西ドイツ人が共通の家に住めるよう努力する」と語り、聴衆から万雷の拍手を浴びた。多くの東ドイツ人が、コールに大きな期待を寄せていた。

東ドイツ市民が西側の首相の言葉に熱狂してから、27年後の今、当時の歓呼の声は怒号に変わり、統一を喜ぶ雰囲気よりも中央政府を敵視する姿勢の方が目立つようになった。当時コールが人波の中を歩いても、身の安全を心配する必要はなかった。そこでは、政治家と群衆の心が一体となっていた。今年のドレスデンでの式典では、警官隊が金属製の防護柵を立てて、メルケルやガウクが群衆に襲われないように注意しなくてはならなかった。政治家たちと市民の心は、冷戦時代の東ドイツと西ドイツのように、バリケードによって隔絶されていた。

東西ドイツ間の格差も原因

東西ドイツ間には、今も生活水準の格差がある。今年9月の旧東ドイツの失業率は7.9%で、西側(5.4%)よりも高い。旧東ドイツの5州の市民一人当たりの国内総生産は旧西ドイツよりも低く、同じ職種でも旧東ドイツで働くと、賃金が西側に比べて数百ユーロ少ないケースが見られる。旧東ドイツでは大手企業の投資が進まず、多くの若者たちが職を求めて旧西ドイツに移住した。このため旧東ドイツ市民の間では、「自分は統一による負け組だ」という不満感がある。東西を分断していた壁は取り除かれたが、心の中の壁は一部の市民の間に残っている。

東ドイツ出身のメルケル首相とガウク大統領は、抗議デモを見てもポーカーフェイスを崩さなかったが、その心中は穏やかではなかったに違いない。ドレスデンの怒号は、難民危機をめぐってこの国がもはや真の意味で「統一」されていないことを浮き彫りにした。来年は連邦議会選挙など重要な選挙が目白押しだ。メルケル首相だけでなく、伝統的な政党の指導者たちは社会を分断する亀裂を埋めることができるだろうか?

最終更新 Donnerstag, 20 Oktober 2016 09:44
 

「メルケル後」のドイツはどうなるのか

メルケル首相
ベルリンでの市議会選挙前の応援演説をするメルケル首相

メルケル首相の顔色がさえない。彼女が率いるキリスト教民主同盟(CDU)が、地方選挙で立て続けに敗北しているからだ。CDUは、9月4日にメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙で敗北しただけではなく、9月18日にベルリンで行われた市議会選挙でも歴史的な敗北を喫した。市議会選挙と呼ばれるものの、ベルリンは州と同格なので、首都での選挙は重要な意味を持っている。

首都でもAfDが躍進

右派ポピュリスト政党・ドイツのための選択肢(AfD)が14.2%の得票率を記録して初の議会入りを果たしたのに対し、CDUは前回の選挙に比べて得票率を5.7ポイント減らして、17.6%しか取れなかった。これはCDUのベルリン市議会選挙での得票率としては、過去最低である。

世論調査機関インフラテスト・ディマップの推計によると、前回の選挙でCDUに投票した市民28万8000人の内、3万9000人がメルケル首相に背を向けてAfDに票を投じた。ちなみにAfDは、ほかの大半の既成政党にも痛打を与えた。社会民主党(SPD)の得票率は28.3%から21.6%に下がったほか、緑の党も得票率を17.6%から15.2%に減らした。

難民政策の失敗を認めた首相

ベルリンでの敗北が明らかになった直後、メルケル首相は記者会見で「今回の無残な開票結果には、失望している」と述べた。そして、MV州とベルリンでの「ダブル敗北」の原因は、彼女が昨年9月に踏み切った難民受け入れにあるとして、自身の責任を認めた。

首相は「難民受け入れの決定自体は間違っていなかった。しかし我々は長期間にわたって、難民流入の状態を十分にコントロールすることができなかった。あのような状況は、二度と起こしてはならないと思っている」と述べた。昨年ドイツには約110万人の難民が到着したが、連邦政府は一時的に、難民入国を制御できない状態に陥っていたのだ。メルケル首相がこれほど率直に政府の失敗を認めたのは、珍しい。

さらに彼女は「現在難民危機への対処が遅々として進まない理由は、我々が過去数年間に過ちを犯したからである。今や我々は問題を解決するために、通常よりも努力しなくてはならない」と付け加えた。メルケル首相を含めてEU加盟国の首脳たちは、2010年以降アラブ世界が不安定化の兆候を見せ始めてからも、難民の大量流入に備えて、EUの亡命申請規定であるダブリン協定や、国境の開放に関するシェンゲン協定の内容を改善したり、EU外縁部の警備体制を強化したりする努力を怠ってきた。

メルケル首相は珍しく、気弱な発言を行った。「できることならば、時間を何年も前に戻して、連邦政府と全ての責任者が昨年夏に起きたような事態に十分に対処できるように、準備を整えたかった」。メルケル首相がこのような後ろ向きの発言を行い、悔悟の念をあらわにするのは、極めてまれである。さらに首相は「Wir schaffen das(我々は問題を解決できる)という決意表明が、“内容のない空虚な言葉”になってしまったことを残念に思う」とも述べ、もはやこの言葉を使わないと明言した。

2017年は選挙がめじろ押し

メルケル首相のこの発言は、彼女が昨年以来取ってきた難民政策の誤りを認めた敗北宣言である。メルケル首相は、キリスト教社会同盟(CSU)の「毎年の難民受け入れ数を20万人に限るべきだ」という要求は受け入れなかった。しかしCDU・CSUの中では「メルケル氏が党首では、選挙を戦えない」という責任論が浮上することは確実だ。来年は、ノルトライン=ヴェストファーレン、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ザールラントで州議会選挙が行われるほか、秋には連邦議会選挙を控えた重要な「選挙の年」である。

AfDは、16の州の内10の州で議会入りを果たしている。メルケル首相の難民政策を「まるで左翼のようにリベラルな政策だ」と感じ、深い疎外感を抱いている市民は、今後もCDU・CSUとSPDを罰するために、AfDに投票するだろう。メルケル首相は自身の進退について明確な立場を打ち出していない。だがCDU・CSU内部では、今後「メルケル後」についての議論がひそかに行われるはずだ。

後継者選びは難航する

CDU・CSUにとって最大の問題は、10年間首相を務めたメルケル氏の後継者になる器を持つ政治家がいないことだ。ショイブレ財務大臣は経験豊富なベテランだが、来年は75歳になり、首相の激務は荷が重い。フォン・デア・ライエン国防大臣も、首相の器ではない。論文盗作疑惑は一応「無罪」ということになっているが、首相候補としてはマイナスの要素だ。CSUのゼーホーファー党首は、バイエルン州土着の政治家というイメージが濃厚で、国政を担う器ではない。特にドイツ北部の有権者たちからは、受け入れられないだろう。CDU・CSUは「メルケル後」の首相候補を選ぶのに大変苦労するだろう。

CDU・CSUまたはSPDが連邦議会選挙で単独過半数を取ることは、不可能だ。どの党もAfDとの連立は拒んでいるので、再び大連立政権が生まれるだろう。だが首相の座に誰が就くかは、未知数である。ドイツの政局は大きな岐路に差し掛かっており、当分の間は目が離せない。

最終更新 Donnerstag, 06 Oktober 2016 10:09
 

MV州議会選で大敗したCDUとメルケル首相

メルケル首相
今回のMV州議会選でのCDUの大敗が、
メルケル帝国崩壊の序曲となるか

9月4日に旧東ドイツ北部のメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙の投票結果は、メルケル政権に強い衝撃を与えた。

AfDの大躍進

3年前に創設された右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が20.8%もの得票率を記録して、第2党として議会入りに成功したのだ。

AfD以外のほぼ全ての党は前回(2011年)の選挙に比べて得票率を減らした。メルケルが党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)は、得票率を23%から19%に減らして大敗。同党は社会民主党(SPD)、AfDに次ぐ第3党の地位に転落した。

全ての既成政党は、AfDと連立しないことを投票前に公約していた。このため、SPD、CDUなどが大連立政権を作ることはほぼ確実である。しかしSPD、左派政党(リンケ)がともに得票率を5ポイントも減らしたことは、いかに多くの有権者がAfDの下へ走ったかをはっきりと示している。

市民を突き動かした難民危機

なぜAfDは躍進したのだろうか。その最大の理由は、同党がメルケルの難民政策を激しく批判したことにある。ドイツ市民の間では、メルケルの難民政策に対する不満が高まっていた。民間放送局N24が今年7月に発表した世論調査によると、回答者の57%が「メルケルの難民政策は失敗した」と答えている。また公共放送局ARDが9月1日に発表した世論調査によると、メルケルへの支持率は45%だった。これは、過去5年間で最低の水準である。

AfDは、昨年メルケルが人道的な理由で行った難民受け入れ決定を批判し、亡命権の制限を求めている。同党は、「戦火を逃れてドイツに一時的に逃げてくる難民は受け入れるが、亡命する理由もないのにドイツに不法に入国する外国人は受け入れるべきではない。ドイツへの移民は、我が国の経済が必要とする知識や技術を持っており、経済に貢献できるかどうかという基準で決めるべきだ」と主張してきた。

無党派層をも動員したAfD

 MV州の有権者たちは、こうしたAfDの主張に同調した。注目すべきことは、今回の選挙での投票率が前回の選挙から10ポイントも改善して、61.6%になったことだ。前回棄権した66万6000人の無党派層の内、5万5000人が今回は投票所に足を運び、AfDに票を投じた。つまりAfDは、CDUなどの伝統的な政党よりも、政治に無関心な有権者を動員する力を持っているのだ。同党は、ドイツの16の州議会の内、9州で議席を持つことになった。来年の連邦議会選挙で議会入りすることはほぼ確実だ。

中国・杭州でG20首脳会議に出席していたメルケル首相は、「CDU大敗の原因の一端は、私がとった難民政策にある」と述べて、自分の責任を認めた。しかし首相は、自分が1年前に行ったシリア難民の受け入れは正しかったという立場を変えなかった。ドイツの保守勢力は、難民受け入れ数に上限を設定するように求めているが、メルケルは「憲法が保障する亡命権に、上限はない」として、この要求を頑として拒絶している。メルケルが「Wir schaffen das(我々はやれる)」というスローガンを繰り返し、難民政策を転換しないことについては、政界やメディアから批判の声が高まっている。特に、CDUの姉妹政党として大連立政権に参加しているキリスト教社会同盟(CSU)からは、「MV州議会選挙の結果は、亡命権の制限を求めてきた我々の主張が正しかったことを示している。我々与党は、市民の警告を真摯に受け止めるべきだ」と、メルケルに難民政策の転換を求めている。

右派ポピュリズムが独にも到達

この地域には、メルケルの連邦議会選挙での選挙区があるが、AfDはこの地域でもCDUなどの票を奪って大きく躍進した。たとえばフォアポンメルン・グライフスヴァルト第3選挙区では、AfDの得票率が32.3%に達し、CDU(17.7%)に大きく水をあけている。CDUとSPDが構成するMV州政府は過去4年間で雇用を増やし、失業率低下に成功した。同州の失業率は、2011年の12.5%から、2015年には10.4%に低下。だが有権者は、伝統的な政党がもたらした経済的な成果を高く評価するよりも、AfDが強調した「難民増加による脅威」を理由にCDUとSPDを罰する道を選んだ。

AfDは、反イスラム、反ユーロを掲げる右派政党で、第二次世界大戦後の西ドイツが培ってきたリベラルな「戦後レジーム」の転換を目指している。同党の幹部の中には、「警官の制止を無視して国境を越えようとする難民に対しては、銃を使うべきだ」とか「多くのドイツ人は、ドイツ人に帰化した黒人のサッカー選手が、自分の家の近くに引っ越してくるのを喜ばない」などの過激な発言を行う者もいる。MV州の多くの有権者は、それでもAfDに票を投じた。英国やフランス、オランダなど多くの国々で右派ポピュリズムが躍進しているが、MV州議会選挙の結果は、ドイツにもその波が到達したことを示している。AfD躍進は、我々ドイツに住む外国人にとって、朗報ではない。

過去10年間にわたりドイツの首相を務めたメルケルは、政治的な黄昏の時を迎えた。来年の連邦議会選挙は、ドイツを「メルケル後の時代」へ突き動かすことになるだろう。

16 September 2016 Nr.1034

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

ドイツを襲うイスラム・テロ - メルケル政権はどう対応する?

アンスバッハ旧市街
人口4万人の町アンスバッハの旧市街

2016年夏のドイツは、バカンス気分が吹き飛んでしまったかのような陰鬱な気分に包まれている。その原因の一つは、7月24日にドイツで初めてテロ組織「イスラム国(IS)」の信奉者による自爆テロ事件が発生したことだ。多くの市民が、「ついにISの自爆テロの波がドイツにも到達した」と感じている。

あわや大惨事

事件が起きたのは、バイエルン州ニュルンベルク近郊のアンスバッハ。24日の夜、この町では夏の音楽祭「アンスバッハ・オープン」が開かれていた。22時頃、リュックサックを背負った外国人が音楽祭の会場に入ろうとしたが、切符を持っていなかったので、警備員によって入場を阻まれた。この直後に男は音楽祭会場に近い居酒屋の前で、リュックサックに隠した爆発物に点火。市民15人が重軽傷を負い、犯人は死亡した。もしも犯人が音楽祭の会場に入り込んでいたら、死傷者数は大幅に増えていたはずだ。

対テロ捜査を担当する連邦検察庁やバイエルン州警察の調べによると、犯人はモハメド・Dという27歳のシリア人だった。捜査当局がDの携帯電話を調べたところ、彼が「アラーの名の下にドイツに対するテロ攻撃を行う」と語る映像が残されていた。さらにDはビデオの中で、ISに忠誠を誓っていた。このことから連邦検察庁は、この事件をIS信奉者が多数の市民の殺傷を狙った無差別テロと断定した。

却下された亡命申請

Dは2年前、ドイツに難民として到着し、亡命を申請した。だがDはドイツに入国する前にブルガリアとオーストリアでも亡命を申請していた。ブルガリア政府はすでにDについてシリア内戦からの避難民として、「暫定的な保護措置」を認めていた。

EUの亡命申請に関する規定である「ダブリン協定」によると、亡命を希望する外国人は、最初に足を踏み入れたEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。

このためドイツ政府は、Dのドイツでの亡命申請を却下。Dはブルガリアへ強制送還される予定だったが、医師が「Dは精神的に不安定な状態にある」という診断書を裁判所に提出したため、ブルガリアへの送還が延期されていた。

バイエルン州政府のヘルマン内務大臣(キリスト教社会同盟=CSU)は、「イスラム・テロがドイツに到達した。民主主義社会ドイツは、そのことを自覚し、対応しなくてはならない」と語った。CSUのショイアー幹事長は、今回の事件を受けて「もはやドイツに到着する難民の説明をうのみにするわけにはいかない。入国を希望する難民全員を面接し、詳しい身元調査を行うべきだ」と主張している。

行われなかった身元調査

バイエルン州では7月18日にも、ヴュルツブルクを走っていた列車の中で、自称アフガン人の男がおのと包丁で乗客に襲い掛かり、たまたまドイツを旅行中だった香港からの観光客ら4人に重傷を負わせたばかり。男は列車から逃走したが、警察官によって射殺された。犯人は列車の中で「アラー・アクバル(アラーは偉大なり)」と叫んでいた。また警察は犯人の自室から、ISの旗が描かれたノートを発見。さらにISは、犯人が「ISの戦士としてドイツで戦いを始める」と宣言しているビデオ映像をネット上に公開した。これらのことから、ヴュルツブルクの事件が政治的な動機に基づくテロ事件であることは確実だ。

犯人は2015年6月にバイエルン州のパッサウからドイツに入国。当時16歳だった。入国時にドイツの警察や入国管理当局は、男の指紋を取っておらず(ドイツに来る前に通過したハンガリー政府は採取)、さらにドイツ政府は今年3月にこの男にドイツへの滞在許可を与えたが、その際にも詳しい身元調査は行わなかった。彼はパン職人の見習いとなり、ソーシャルワーカーや周辺の人々は、この男がISの過激思想に感化されていたことに気づかなかった。ただし、彼が事件の直前に「友人がアフガニスタンで死んだ」と語っていたことから、友人の死に対する怒りと絶望が、この男をISに急激に傾斜させた可能性もある。

ドイツ社会に広がる不安

いずれにせよ、ドイツに昨年入国した100万人の難民について、政府や警察が十分な身元調査を行わなかったこと、そして一部の難民が少なくとも2件のテロ事件を起こしたことについて、市民は不安を募らせている。パリで昨年11月に起きた同時テロの犯人の一部も、難民に紛れ込んでEUに潜入したISの戦闘員だった。また今年6月には、デュッセルドルフで同時テロを計画していたシリア人4人が逮捕されたが、彼らも難民を装ってドイツに潜入していた。

昨年9月にメルケル首相が、ハンガリーで立ち往生していたシリア難民らをドイツに受け入れる決断を行ったとき、CSUを始めとする保守勢力の間では、「テロリストが難民に混ざってドイツに潜入するのを、どのように食い止めるのか」という強い批判の声が出ていた。今や保守派が警告していた事態が、現実となった。メルケル首相は、今なお難民数に上限を設けることに反対しているが、来年の連邦議会選挙へ向けて、保守勢力からメルケルに対する批判が強まる可能性もある。今後もドイツでは無差別テロが起こる可能性があり、メルケルは昨年の決定について、説明責任を問われるかもしれない。

2 September 2016 Nr.1033

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

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