Hanacell
独断時評


地球温暖化防止・茨の道

昨年多くのドイツ市民をひどく落胆させたニュースの1つは、12月にデンマーク・コペンハーゲンで国連が開いた気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が不発に終わったことである。

12日間にわたる会議で193カ国の代表は、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスを削減するために必要な、法的な拘束力のある合意に達することができなかった。参加国はコペンハーゲン協定という文書に「留意」、つまり英語で言うところの“take note”したにすぎない。ドイツのメルケル首相、米国のオバマ大統領、日本の鳩山首相をはじめ、全世界から4万5000人が集まったマンモス会議は、大きな注目を集めた。しかし人類は実効性を持つ合意を生むという、歴史的なチャンスを逃したのである。

なぜ会議は空振りに終わったのか。最大の理由は、先進国と発展途上国の対立である。経済発展の途中にある中国、南アフリカ、ブラジルなどの国々にとって、CO2排出量を制限されることは成長にブレーキをかけられることを意味し、国益に反する。またサウジアラビアなどの産油国にとっても、化石燃料の消費が減ることは不利である。これらの国々がグループを結成して、先進国側の提案に強く反対したことが会議を頓挫させた。発展途上国は、「これまで先進国は長年にわたって何の制限も受けずに、大量のCO2を排出してきたのだから、地球温暖化について責任を取るべきだ。その「つけ」を我々に押し付けるのは不公平だ」と主張しているわけだ。

実際、先進国は大きな負担を迫られる。彼らは、今後2年間に発展途上国に対して300億ドル(約2兆7000億円)もの緊急援助を行い、CO2排出量削減のための努力を支援する。その内訳は日本が110億ドル、EUが106億ドル、米国はわずか36億ドル。米国政府は当初100億ドルを拠出すると見られていたが、実際の額は大幅に低かった。オバマ氏は過去の大統領に比べて、気候変動対策に熱心と言われているが、実は日欧ほど本腰を入れていないことが明らかになった。

COP15に参加したドイツ連邦環境省のノルベルト・レットゲン大臣は、「様々な国家エゴ、そして米国のリーダーシップの欠如、中国の妨害のために会議は失敗に終わった」と分析する。

こうした不満足な結果にもかかわらず、EUは2020年までにCO2排出量を、1990年に比べて20%減らすという目標を維持する。メルケル首相も、「2020年までに1990年比で40%削減するというドイツの目標は変えない」と明言している。だが産業界からは、「CO2を多く排出している米国、さらに途上国が真剣に削減を行わないのに、EUだけがCO2を減らそうとすることは、EU企業の競争力に悪影響を与える」という強い懸念の声が聞かれる。

地球温暖化が進んだ際に最も深刻な被害を受けるのは、モルジブなどの小さな島国やバングラデシュなど貧しい国々の海岸近くに住んでいる人々、さらに旱魃(かんばつ)によって飢饉にさらされるアフリカの市民である。

我々は国家エゴを超越して、未来の世代のために責任を果たすことができるだろうか?

15 Januar 2010 Nr. 799

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:25
 

2010年のドイツを展望する

師走のドイツは強い寒波に襲われたが、2010 年の政治、経済も試練の多い、冷え冷えとした年になりそうだ。そのことは、先月中旬にショイブレ財務相が発表した2010 年度予算案にはっきり現れている。

史上最悪の財政赤字

ショイブレ氏は苦虫をかみつぶしたような顔で、今年度の財政赤字が1000 億ユーロ(約13兆円)に達することを明らかにした。戦後最悪の水準である。彼が“Bitter aber nötig”(ひどい事だが必要だ)と述べているように、ドイツは巨額の借金以外に道がない。銀行危機と不況で、2009 年度のドイツ経済は5%という前例のないマイナス成長を経験した。世界各国で景気が同時に悪化したために、輸出に大きく依存しているドイツは日本同様に大きな打撃を受けたのだ。

昨年、多くの企業は労働短縮(クルツアルバイト)によって社員の解雇を避けてきた。だがクルツアルバイトは期限が限られているので、今年は社員を解雇する企業が増える。さらにドイツ連邦政府が自動車メーカーを支援するために昨年導入した買い替え奨励金(Abwrackprämie)もすでに終了している。

このため連邦政府の諮問機関・経済賢人会議は、「今年は失業者数が50 万人増えて、400 万人に迫る」と予想している。また、昨年8%だった失業率は、9.4%に達すると見られている。各省庁の中で最も予算が増強されたのが、失業対策や公的年金を担当する連邦労働社会保障省で、前年に比べて14.8%も増える。公的年金の補てんだけでも808 億ユーロ(約10 兆5040 億円)に達する見通しだ。

ユーロ圏に属する国は、財政赤字の国内総生産(GDP)に対する比率を3%未満、公共債務の対GDP 比率を60%未満に抑えなければならない。だが今年度のドイツは財政赤字比率が6%、公共債務比率が73%と、基準を大幅に違反する。ショイブレ氏は、倹約を重視するシュヴァーべン人。その彼が、あえてこれほど多額の借金を背負うということは、不況がまだ長引くことを示唆している。

新年早々重苦しい話題で恐縮だが、明るい材料は少ない。せめてもの救いは、ドイツが苦しい財政状況にもかかわらず、社会保障を大幅にカットせず、弱者や貧困家庭を支援するシステムを維持していることだろうか。

アフガンという難題

今年、ドイツ連邦政府は安全保障、外交の分野でも重い課題を背負う。メルケル政権、特にグッテンベルク国防相はアフガニスタンに連邦軍を増派するかどうかを決めなければならないのだ。現在ドイツは4500 人の将兵を派遣しており、米国、英国に次いで3 番目に多い。オバマ大統領が3 万人の増派を決めたことから、ドイツなど同盟国にも駐留軍の増強を求める圧力が高まっている。

だが昨年9 月のクンドゥズでの空爆をめぐって、議会と国防省の間では緊張関係が高まっている。グッテンベルク氏は就任直後、「空爆は適切だった」と軍をかばう発言を行ったが、多数の民間人が犠牲になったことを示す報告書の存在が明るみに出ると発言を撤回し、連邦軍総監らを解任した。元総監は、「グッテンベルク氏はすべての報告書を受け取っていたはずであり、知らなかったというのは嘘」と反論している。メルケル政権の若きホープは、最大の危機に直面している。議会の調査委員会の真相解明作業も難航するだろう。

8年前にドイツが軍の派遣に踏み切ったのは、現地で活動するNGO を守り、病院や学校の建設などインフラの整備を支援するためだった。だが数年前から抵抗勢力によるテロ攻撃が急激に増えているために、任務の中で戦闘が占める割合が増大しつつある。これは政府が予想していなかった事態である。

西側諸国の空爆によりアフガン市民の間に死傷者数が増え、治安回復の兆しが見えないことでドイツ市民の反戦機運は今年一段と高まるだろう。こうした中でメルケル政権は、オバマ大統領への連帯を示すためにアフガンへの増派を決めるのか。それとも国内世論に配慮して支援を拒否するのか。2010 年は米独の同盟関係にとっても、正念場となるだろう。メルケル氏の舵さばきが大いに注目される。(写真は筆者撮影)


(筆者より読者の皆様へ)新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。読者の皆様のご多幸とご健康を心からお祈りいたします。

8 Januar 2010 Nr. 798

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:51
 

銀行危機は終わっていない

ドイツの町は美しいイルミネーションで飾られ、すっかりクリスマスの雰囲気に包まれているが、バイエルン州政府と納税者にとっては、お祝い気分を壊すような凶報が飛び込んできた。

バイエルン州立銀行は、2年前にオーストリアのヒポ・グループ・アルプ・アドリア銀行(HGAA)の株式の約67%を取得し、最大の株主となっていた。だがHGAAが深刻な経営危機に陥ったため、バイエルン州立銀行はHGAAをオーストリア政府に譲渡することになった。

国有化という異例の措置の理由は、オーストリアの銀行の中で6番目に大きいHGAAが倒産した場合、同国内だけでなく欧州のほかの金融機関にも甚大な悪影響が及ぶと判断されたからだ。バイエルン州立銀行はHGAAを買収した時、17億ユーロ(約2210億円)を投じたが、同行をオーストリア政府に対して売る時の価格はわずか1ユーロ。17億ユーロもの金をどぶに捨てたようなものだ。

HGAAの救済のためにバイエルンの納税者には、合わせて37億ユーロ(約4810億円)もの負担が生じることになった。この金を銀行の救済でなく託児所や学校、病院などの建設に回していたら、市民にとっての恩恵ははるかに大きかっただろう。その意味でバイエルン州立銀行の責任は重い。12月14日に同行の頭取が引責辞任したのは、当然のことである。

HGAAはクロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナなど東欧諸国に積極的に投資していたが、ずさんな融資も行っていたと伝えられる。たとえばHGAAはアドリア海沿岸諸国で富裕層に対し400隻の豪華ヨットを購入する資金を貸していたとされるが、これらの船の大半は現在行方がわからなくなっている。バイエルン州立銀行がなぜこのような銀行を買収したのか、理解できない。

昨年バイエルン州立銀行は、米国のサブプライム・ローンが混入した金融商品に投資したために、巨額の損失をこうむって経営難に陥った。このためドイツ政府の銀行救済基金から54億ユーロ(7020億円)もの公的資金を注入されて、かろうじて破たんを免れた。州立銀行の本来の任務は、国内の中小企業を融資によって支援することである。公共的な性格が強い銀行がその使命を忘れて、十分な審査もせずに外国の銀行や危険な金融商品に投資していたのだ。

しかも、州立銀行が深刻な経営危機に陥ったのはバイエルンだけではない。バーデン=ヴュルテンベルク州やノルトライン=ヴェストファーレン州でも、同様の事態が起きている。連邦政府は、公的銀行に対する監督を強化するべきではないだろうか。

一部の経済学者や政治家の間では、「銀行危機は峠を越した」という意見が有力だ。だがHGAA問題やドバイ・ショックは、銀行危機がまだ終息していないことを示している。「青天の霹靂(へきれき)」のように屋台骨が傾く銀行は、今後も現れるだろう。その意味で今回の不況はかなり長引くに違いない。

25 Dezember 2009 Nr. 797

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 16:00
 

アフガン戦争の闇


©CDU/ullstein bild - ddp

ドイツを初めとする西側諸国が多数の将兵を派遣し、抵抗勢力との戦闘を続けているアフガニスタンでは、状況がますます混沌としてきた。特に今年9月4日に、ドイツ連邦軍のクライン大佐が現地で下した攻撃命令は、首都ベルリンにも政治的な衝撃波をもたらした。この日、抵抗勢力タリバンが2台のタンクローリーを盗んだが、大佐は「タンクローリーが自爆テロに使われる危険がある」と判断して、米軍の戦闘機に爆撃を命じた。この攻撃でアフガン人約140人が死亡した。

当時国防大臣だったユング氏は、攻撃直後に現場を視察した憲兵隊から「死者の中にはタリバンだけでなく民間人も含まれている」という報告書を受けとっていたにもかかわらず、マスコミに対して「死亡したのは抵抗勢力だけだ」と嘘をついていた。

ユング氏は新政権で労働大臣になっていたが、ビルト紙が報告書の存在をすっぱ抜くと、労働大臣を辞任した。さらにグッテンベルク新国防相は、制服組の最高幹部であるシュナイダーハン総監だけでなく、ヴィヒャート国防次官も解任した。

グッテンベルク氏は国防大臣に就任した直後、「クライン大佐が下した爆撃命令は軍事的に正しかった」と公言していた。しかし、今回明るみに出た憲兵隊の報告書を読んだ結果、12月3日に「爆撃命令は軍事的に適切ではなかった」と発言を訂正した。

この異例の方向転換は、問題の報告書を国防省の幹部たちが隠していたことが原因であり、グッテンベルク氏の責任ではない。それにしても、メルケル政権きってのスター閣僚としては内心忸怩(じくじ)たる思いがあろう。

ドイツは約4500人の戦闘部隊をアフガニスタンに送っている。メルケル首相は、「タリバンが政権を奪還したら、テロ組織アルカイダに基地を提供し、再びアフガニスタンが欧米諸国に対する大規模なテロのための出撃拠点になる危険がある」と主張して、この戦争への参加を正当化している。実際、タリバンがこの国を再び支配したら、長年の内戦による荒廃からの復興努力や、今かすかに芽生えつつある民主的な政治への希望は水泡に帰すだろう。タリバンは核兵器を持つ隣国パキスタンでもテロ攻撃を強化しており、この地域の安定化は世界全体にとって重要な課題である。

だがタリバンによる外国駐留軍への攻撃の回数は年々増加している。さらに欧米諸国が支援しているカルザイ氏が、大統領選挙で得票数を不正に水増ししていたことや、真剣に腐敗を根絶しようとしていないことも明らかになった。欧米がこうした大統領を支援することが妥当かどうかについても、議論が起きている。

ドイツ政府は元々「軍事手段だけでアフガニスタンをタリバンから守ることはできない」として、病院や学校などインフラの建設、行政機関の整備、警察官の訓練など民生面での支援に力を入れようとしてきた。だが現地の治安が悪化するにつれて、抵抗勢力との戦闘に巻き込まれることが多くなってきた。

ユング氏らが、民間人の死傷者に言及した報告書を長い間隠し、メルケル首相や世間をあざむいていたことは、事実を糊塗し、「臭いものにはフタ」という発想が国防省に残っていることを浮き彫りにした。ドイツ市民のアフガン派兵についての反感は、このスキャンダルでさらに強まるに違いない。政府は年明け早々、アフガン駐留部隊を増やすかどうかについて決定を迫られるが、これは極めて難しい選択になるだろう。

18 Dezember 2009 Nr. 796

最終更新 Dienstag, 05 November 2013 12:24
 

独仏和解に想う


©www.bilder.cdu.de
ドイツとフランスは約60年前、犬猿の仲だった。両国民は普仏戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦で殺し合い、お互いに深い憎しみを抱いていた。

だが今年11月にベルリンとパリで行われた2つの式典は、両国の間の結び付きがいかに深くなっているかを浮き彫りにした。フランスのサルコジ大統領は11月9日にベルリンで行われた壁崩壊20周年を祝う式典で、「Wir sind alle Brüder, wir sind Berliner (我々はみんな兄弟だ。我々はベルリン市民だ)」とドイツ語で語り、ドイツ人にエールを送った。彼はフェイスブックの自身のページに、1989年11月にベルリンの壁の前に立っている自分の写真を掲載し、壁が崩壊した直後のベルリンにいたことを強調している。当時フランス政府がドイツ統一について批判的だったことなど、忘れたかのようである。

一方メルケル首相は、11月11日にパリで開かれた第1次世界大戦の対独戦勝記念式典に、ドイツの首相として初めて参加した。この日はアルミスティスと呼ばれるフランスの祝日だが、昨年第1次世界大戦に従軍した最後の生き残りが死去したため、従軍兵士が参加しない初めての式典となった。

サルコジ大統領は、「戦争の惨禍を忘れることは決してない」としながらも、この祝日が将来は仏独の宥和を強調するものに変わるべきだとも主張。彼はこの日を「仏独友好の日」に変えることを希望している(国内には国防省を中心に反対意見も根強い)。

メルケル首相は、「起きてしまった悲劇を否定することはできない。しかし、独仏の間には宥和しようとする力がある」と述べ、未来に目を向けたフランス政府の姿勢に感謝した。彼女はフランス語で「Vive la France, vive l'Allemagne, vive l'amitiéfrancoallemande( フランス万歳、ドイツ万歳、仏独の友好関係、万歳)」と発言し、聴衆の拍手を浴びた。

1998年に当時のシュレーダー首相が、当時フランス大統領だったシラク氏から第1次世界大戦終結80周年の式典に招かれた時、参加を断ったことを考ると、今回の式典は両国の和解が一層深まったことを示すと言えるだろう。

かつての宿敵は、過去半世紀にわたって恩讐を乗り越えるために、様々な努力を続けてきた。ドイツとフランスの間では、若者たちにお互いの国を訪問させて理解を深めさせる交流プロジェクト(Deutsch- Französisches Jugendwerk)が何十年も前から行われている。両国は独仏合同旅団という共同の戦闘部隊も持っている。また2つの国の間には、同じ番組をドイツ語とフランス語で放送するARTEという公共放送局もある。独仏の学者が執筆した共同の歴史教科書も出版されている。さらに現在フランスとドイツは、両国政府間の情報交換をこれまで以上に緊密にするために共通のフランス・ドイツ担当大臣というポストを設けることまで検討している。

私は今回の式典の映像を見て、1984年にコール首相とミッテラン大統領(ともに当時)が第1次世界大戦の激戦地ベルダンで手をつないで戦死者を追悼している写真を思い出した。サルコジ氏とメルケル氏という次の世代も独仏和解の精神を確実に受け継いでいる。血と涙に彩られることが多かった欧州の歴史の中で、希望の光を投げかける1ページである。

日本はいつの日か、かつてのアジアの交戦国と独仏ほど深い友好関係を結ぶことができるだろうか?

11 Dezember 2009 Nr. 795

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:53
 

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