独断時評


IKB救済で国民に巨額負担

デュッセルドルフに本社を持つIKBドイツ産業銀行が、米国のサブプライム関連投資によって巨額の損失を出したというニュースが金融界をかけめぐったのは、ほぼ1年前の夏だった。そして先月末、IKBは米国の投資会社ローンスターに買収されることが決まり、ドイツ経済史上に残る大規模な銀行スキャンダルには、一応終止符が打たれることになった。

ローンスターはIKBの名前を温存し、中小企業に融資を行う専門銀行としての業務は続けさせる。だがこの銀行救済を批判する声もある。その最大の理由は、国民への巨額の負担だ。

IKBの最大株主は、KfW(復興金融公庫)という国有銀行。KfWと連邦政府がIKB救済のためにつぎ込んだ資金は92億ユーロ、日本円で1兆4904億円という莫大な金額である。民間銀行が拠出した金額も合わせると、IKB救済のために107億ユーロものカネがIKBの損失の穴埋めにあてられた。KfWが政府の金融機関であることを考えると、1兆円を超える国民の税金が、1つの銀行を倒産から救うために使われたことになる。ドイツ政府などは、「もしもIKBが倒産していたら、金融業界全体に深刻な影響が及んでいただけでなく、ドイツ経済のイメージにも傷がついていただろう」と主張して、公的資金による銀行救済を正当化している。

このスキャンダルが昨年表面化するまで、IKBはドイツの銀行業界で「石橋を叩いて渡るような堅実な銀行」という評価を受けていた。このためIKBの株式は、慎重で保守的な投資家の間で人気があったとされる。だがIKBの2003年の年次報告書には、同行が国際金融市場で証券化された商品に投資していたことがすでに記載されている。IKBは豊富な資金を持っていたため、運用担当者に対し、積極的な投資によって利益を上げるよう圧力をかけたのだろうか。

ちなみにIKBが投資したサブプライム関連商品は、当時格付け会社からトリプルAという最高級の格付けを受けていた。つまり運用担当者は「リスクが少ない投資」と考えたのである。証券化された金融商品では、どのようなポートフォリオを含んでいるかが見えにくくなっている。IKBは独自の細かい分析を行わず、格付けを鵜呑みにして、サブプライム関連商品が大きなリスクをはらんでいることに気づかなかった。

だが米国の金融関係者の間では、すでに2001年当時から「不動産価格が下がれば、サブプライム関連商品は大きなリスクになる」という意見が出ていた。デュッセルドルフの運用担当者、そして役員たちはそうした声を聞かなかったのだろう。その結果、伝統的な金融機関は破綻の瀬戸際に追い込まれ、国民がつけを払わされることになった。

IKBの危機は、金融機関のリスクマネジメントがいかに難しいか、そして危険なポートフォリオへの投資が社会に与える影響がいかに大きいかを浮き彫りにした。政府の金融監督官庁は、サブプライム関連商品に高い格付けを与えていた格付け会社の責任も、明確にするべきではないだろうか。

5 September 2008 Nr. 730

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:03
 

冷戦の再来?独ロ関係に暗雲

黒海に面したソチは、年間平均気温が14度という比較的温暖な気候で知られ、ロシアで最も人気のある保養地である。だが8月15日にここで行われたメルケル首相とロシアのメドベージェフ大統領の首脳会談は、氷に閉ざされたような雰囲気の中で行われた。メルケル首相は終始硬い表情を崩さず、ソチでの滞在時間も大幅に減らされた。

その理由は、南オセチアをめぐる領土紛争で、ロシア軍がグルジアに侵攻した際に一部の都市に激しい空爆を加えただけでなく、首脳会談が開かれた時点ではグルジアの領土の一部を占領していたからである。メルケル首相は、「ロシアの対応は明らかに度を過ぎていた。グルジアの領土変更は許されない」と述べ、同国を厳しく批判した。

これに対しロシアは、「グルジア政府が南オセチアに軍を送ったので、そこに住むロシア系住民を守るために派兵した」という従来の主張を繰り返した。

ロシアに対するドイツの態度は、日一日と厳しくなっている。ドイツ政府のスポークスマンは8月18日に「グルジア侵攻によって、ロシアと欧州連合(EU)の関係は転機を迎えた」と述べ、EU加盟国が近く対ロシア関係の見直しについて協議することを明らかにした。

ドイツは、コール氏、シュレーダー氏が首相だった時に、ロシアとの関係改善に尽力した。特にシュレーダー氏はプーチン首相と密接な関係を築き上げ、自宅にまで招いて「正真正銘の民主主義者だ」と持ち上げた。彼は首相だった時に、ロシアから天然ガスをドイツに直接供給するバルト海パイプラインの建設プロジェクトをまとめあげたが、議員辞職後、このプロジェクトを運営する会社の監査役会長に就任している。メルケル首相は社会主義時代の東ドイツで、ソ連による圧制を見ているだけに、ロシアに対してはシュレーダー氏よりも批判的だった。グルジア侵攻は両国の関係を著しく冷却させるだろう。北大西洋条約機構(NATO)は、ロシアとの共同協議を中止したほか、米国では「経済主要国サミット(G8)からロシアを外すべきだ」という主張も出ている。

グルジア戦争をめぐり、ドイツは一部の国から批判の矢面に立たされている。今年4月にNATOがブカレストで首脳会議を開いた時に、メルケル首相はグルジアが周辺国との領土紛争を解決しないまま、NATOに加盟することに反対した。このためNATOはグルジアを将来加盟させる方針を示したものの、具体的な時期は明言しなかった。一部の国々はロシアの姿勢について、「グルジアのNATO加盟が決まる前に、南オセチア問題を強引に決着しようとして侵攻した」という意見が出ている。つまりドイツがグルジアのNATO加盟に反対したことが、間接的に今回の侵攻につながったという主張だ。ドイツ政府はこの主張を全面的に退けているが、ブカレストの会議がロシアの対外政策に大きな影響を与えた可能性はある。ゴルバチョフ時代に溶けた東西間のわだかまりは、約20年経った今復活し、「第2の冷戦」が始まるのだろうか。ドイツだけでなく、欧州全体にとって大きなマイナスである。

29 August 2008 Nr. 729

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:02
 

コーカサス危機とドイツの無力

真夏の太陽に灼かれながら、広大な原野を進撃する戦車と装甲兵員輸送車。炸裂する砲弾と、燃え上がる民家。着のみ着のままで戦場から逃げる市民たち……。まるで第2次世界大戦の記録映画のような情景が現実になり、戦争が不吉な鼓動を始めた。8月上旬にロシアとグルジアの間で南オセチアをめぐって、本格的な戦闘が勃発し、ヨーロッパの政治家や安全保障関係者にとって、夏休み気分は完全に吹き飛んだ。

背景には、国をまたぎ、モザイクのように複雑に入り組んだコーカサス地方の民族構成がある。南オセチアにはロシア系住民が多く、1992年以来グルジアからの独立を求めていた。ロシアは同地方での影響力を失わないために、南オセチアに平和維持軍を駐留させ、住民にロシアのパスポートを配布していた。だが南オセチアは国際法上はグルジアの領土、グルジア政府にとってロシアの態度は内政干渉である。数週間前から両国間で続いていた小競り合いは、グルジアが南オセチアに戦闘部隊を送ったことで一気にエスカレートし、陸海空で両国の正規軍が衝突する最悪の事態になった。

メルケル首相は、EU議長国であるフランスのサルコジ大統領らと歩調を合わせて、両軍に対して戦闘行為の即時停止を要求。領土紛争を交渉によって解決するように求めた。特にロシアの攻撃は南オセチアだけでなく、ゴリなどグルジアの諸都市にも及んでいるため、EUはロシアに対して過度な武力行使をやめるように要求している。

だがEU諸国の影響力は、きわめて限られている。天然ガスや石油など、エネルギー供給の面でロシアに大きく依存している西欧諸国には、ロシアに圧力をかけるための材料がほとんどない。旧ソ連に比べると弱まったとはいえ、今でも強大な軍事力を持つロシアに対して、武力行使の可能性をちらつかせる度胸は、ドイツなどEU諸国だけでなく、米国のブッシュ大統領すら持っていない。

ロシアのグルジア攻撃は、欧州全体にとって危険な要素を含んでいる。グルジアは米国やEUに対し友好的で、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を望んでいる。NATOも領土紛争の解決を条件に、同国の加盟については原則的に前向きな姿勢だ。

ロシアは、旧ソ連に属していた国のNATO加盟を重大な脅威とみなしている。このため、プーチンは今回のグルジア攻撃によって、ウクライナなど、かつてソ連下にいた国に対し、一種の「教育」を施そうとしているのだ。リトアニア、エストニア、ラトビアのバルト三国にはロシア人が多く住んでいるが、こうした国々にとってもロシアは恫喝(どうかつ)を与えたことになる。外国に住むロシア系住民を保護するという名目で、ロシア軍が出動することは、将来もありうる。

メルケル首相は、前のシュレーダー氏と異なり、ロシアに対して批判的な態度を貫いてきた。今回のコーカサス危機は、彼女の洞察が正しかったことを示している。西欧諸国とロシアの関係は冷え込み、ロシアの周辺諸国の間では、「保険」を手にするために、NATO加盟を求める声が一段と強くなるに違いない。

22 August 2008 Nr. 728

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:02
 

市民権取得テストに合格できる?

ショイブレ内務大臣は今年9月1日から、ドイツへの帰化を希望する外国人に全国共通テストを受けることを義務付ける。フンボルト大学の教育研究所が編集した政治、歴史、社会に関する310の設問のうち、毎回33問が出題される。このうち最低17問に正しく答えなくてはドイツの市民権を得ることはできない。

試しに、いくつかの設問例にチャレンジしてみた。「ドイツの州の数はいくつですか?」――これは簡単、16州。「DDRとは何の略でしょうか?」――これもやさしい、ドイツ民主共和国。「1970年にブラント首相が、ワルシャワ・ゲットーの慰霊碑の前でひざまづいた時、首相は何を表現したかったのでしょうか」――おっと、これはかなり難しい設問だ。ドイツの現代史についてかなり詳しく学んでいなくては答えられない。彼はナチスドイツがユダヤ人を迫害したことについて、ドイツ人として謝罪したかったのである。

出題される設問の中にはドイツ人ですら、すぐに答えられないものもある。ただし、310の設問は事前に公開されるし、各州は市民権取得テストに備えるための授業も行うので、テストを受ける外国人は、ドイツ語に堪能で、十分に予習をすれば合格することは不可能ではない。

このテストの導入は、ドイツ政府が一定の学力を持ち、社会保障に頼らずに自分の力で収入を得られる外国人を、積極的に迎え入れようとしていることを示している。この国の社会保険制度は火の車であり、自活できずに失業保険や生活保護に依存する外国人にドイツのパスポートを渡そうという気はないのである。これに対し、社会民主党(SPD)の左派や緑の党は、「テストの導入は、外国人の受け入れにブレーキをかける」と批判的だ。

ナチスが外国人を迫害したことに対する反省から、戦後の旧西ドイツは亡命申請者や帰化希望者の受け入れに寛容だった。しかし統一後、台所事情が苦しくなってからは、ドイツ経済が必要とする知識や技能を持った外国人を、優先的に受け入れようとする傾向が強まってきた。だが、世界には自国から政治犯として迫害されているために、ドイツの戸を叩く外国人もいる。いくら台所事情が苦しくても、政治的信条を理由にこの国にやってくる外国人には扉を閉ざすべきではないだろう。

ドイツでは8年間真面目に働き、税金を納めれば帰化申請を出すことができる。日本よりもはるかに寛容である。この国では少子・高齢化が深刻なため、今後人口が大幅に減少するとみられている。従って、勤勉な外国人を受け入れることは、社会保障システムを維持するためにも重要なのだ。

私はドイツに18年間住んでいるので、帰化申請の資格はある。税金や社会保険料を納めているのに選挙権がないことは、いささか不満である。だが、ドイツ国籍を申請する気はない。ドイツ・日本政府ともに2重国籍を認めていないからだ。ドイツのパスポートを得るために、祖国日本のパスポートを捨てる気にはならない。

15 August 2008 Nr. 727

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:02
 

ベルリンの光と影

ベルリンの光と影 ベルリンのヴェディング地区。信号が赤になったので車を停めたら、外国人らしき子どもたちが、頼みもしないのにフロントガラスに洗剤の混ざった水をかけ、ブラシでこすろうとする。掃除の押し売りによってドライバーから小銭をもらおうとする、新手の物乞いである。ただ金をせがむのでは恵んでくれる人も少ない。そこで窓を拭けば、お金をもらえる確率が高まるかもしれないという計算である。ドライバーの中には、窓を拭かせて、小銭を払わないで走り去る者もいる。2週間の滞在で3回、こんな子どもたちに遭遇した。ベルリンには車で何度も来ているが、「窓拭き押し売り」にあったのは初めてだ。

実は、シチリア島など南イタリアの貧しい地域では、何度かこのような子どもたちに出会ったことがある。このため、「ベルリンもシチリア島並みになってきたのかなあ」と、複雑な気持ちだった。

首都ベルリンの貧しさは様々な統計に表れている。ハンブルク市当局が、ドイツの各州の経済パフォーマンスを比較した統計によると、2004年から06年のベルリンの市民1人当たりの国内総生産(GDP)は2万3300ユーロで、ハンブルクよりも51%、バイエルン州よりも27.4%少ない。市民1000人当たりの生活保護受給者の数はベルリンでは143人。バイエルン州の39人、バーデン=ヴュルテンベルク州の40.9人を大幅に上回っている。

連邦労働庁によると、今年5月のベルリンの失業率は14.1%で、全州の中で3番目に高い。バイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州の失業率(4.1%)の3倍を上回る数字だ。一方ノイケルン地区では、青少年による暴力事件が増えているため、昨年から一部の公立学校では、校門の前に警備員を立たせて、出入りする生徒の身元を確認している。

ベルリンの失業率が高い原因の一つは、多くの従業員を雇用する大企業がないことだ。ジーメンス、アリアンツ、ダイムラーなどの大企業は、旧西ドイツ、特に南西部に集中している。ベルリンは政治、外交、ジャーナリズムの中心地ではあるが、企業活動のメッカではないのだ。連邦制を採用しているため、企業が政府のお膝元に集まる必要はないのだ。

かつて住んだことのある米ワシントンDCもそうだった。議員や記者、外交官、ロビイストは多いのだが、大手企業の本社はほとんどない。テレビの画面に映ることはめったにないが、北西部の住宅街やホワイトハウスの周辺を除けば、ワシントンは貧しい町である。

もっとも、ベルリンは裕福ではなくても、異文化を吸収するエネルギーと歴史の重層性を持った、ドイツで最も興味深い町であることには変わりない。特に文化と知識の面では、バイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州にはないパワーを秘めていることを忘れてはならない。

8 August 2008 Nr. 726

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:59
 

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