独断時評


ケルンのモスク論争

ケルンのモスク論争

かつてこのコラムで、ドイツにとってイスラムとの関わり方は、21世紀の最大の課題になると書いたが、そのことを象徴する論争が、起きている。大聖堂で知られる町ケルンで、イスラム教徒たちが、2000人の信者を収容できる、大規模なモスク(寺院)を建設する計画を発表したところ、賛成派と反対派の間で激しい議論が起きたのだ。

ケルンに住むイスラム教徒の数は、12万人と推定されている。これまで彼らのモスクは、しばしば住宅の中などの目立たない場所に作られていた。キリスト教徒たちが立派な大聖堂でミサに参列できるように、彼らが堂々とした祈りの場を欲しいと願うのも理解できる。トルコ・イスラム宗教施設連合(DITIB)は、中東やトルコに見られるような、高い尖塔(ミナレット)と大きなドームを持つ、本格的なモスクの建設を望んでいる。

しかし、建設予定地の近くに住む非イスラム系住民の多くが、この建設計画に反対しているほか、極右団体もこの議論を外国人批判の材料として使っている。彼らはいわゆる「Überfremdung(外国文化が過剰に国内に浸透することによる疎外感)」に、強い懸念を抱いているのだ。さらに、ユダヤ人作家ラルフ・ジョルダーノや社会学者ネクラ・ケレクは、「モスクの建設は、イスラム教徒の力を誇示しようとするものであり、ドイツ社会との融和を阻害する」として反対している。ジョルダーノはこの問題に関連して、「ベールで全身を覆った女性は、ペンギンのようだ」と述べ、イスラム教徒から「差別的発言だ」と批判された。ユダヤ人作家と極右の意見が、モスク反対で一致するというのは皮肉な事態だ。

だが、モスクはすでにドイツのあちこちで建設されたり、計画されたりしている。デュイスブルクでは、ドイツ最大のモスクが建設されており、今夏には棟上げ式が行われる。建設地の周辺では、住民の 約30%がトルコ人なので、強い反対運動は起きていない。カトリック教会の影響力が強いミュンヘンに も大きなモスクが建つ。ゼンドリング地区には野菜の卸売市場があり、多くのトルコ人が働いているが、彼らも堂々とした祈りの場を望んでいる。このため、ミュンヘン市議会は2年前にモスク建設を許可し、来年には工事が始まる。近くにはキリスト教会があるが、ケルンほどの激しい論争にはなっていない。

ドイツに住むイスラム教徒の数は、300万人。彼らの出生率は非イスラム教徒よりも高いので、2030年には700万人に増えると予想されている。つまり人口に占める比率が、4%から8%に増えるのだ。イスラム教徒に改宗するドイツ人の数も、徐々に増えている。この現実を考えれば、ドイツ社会はいつまでも彼らの要求をはねつけることはできない。憲法を守り、民主主義を肯定するイスラム教徒の利益は保護するべきだ。ただしイスラム教徒も、ドイツ側の不安を減らす努力が必要である。宗教団体の関係者は、モスクの中でイマム(教主)が、キリスト教徒に対する敵意を煽るようなプロパガンダを行い、過激思想を広めることは防ぐべきだろう。彼らもドイツで暮らすからには、民主主義や男女同権など、西欧の価値を頭から拒否するべきではない。必要なのは、両者が互いの利益を尊重して、歩み寄ることではないか。

29 Juni 2007 Nr. 669

最終更新 Samstag, 09 März 2013 23:38
 

ドイツ・サミットは成功したか

ドイツ・サミットは成功したか主要先進国首脳会議(サミット)は回を重ねるごとに、マスコミを大動員した国際政治ショーとしての性格を強めている。私は1990年にヒューストン・サミットを取材したが、記者はプレスルームに缶詰にされて、広報課員が持ってくる声明を字にするのが主な仕事。(食べ物や飲み物は主催国がふんだんに用意するので、ひもじい思いはしない)記者団は、各国首脳が協議している様子を見られるわけではない。彼らを目にすることができるのはサミット後の記者会見の時くらいだ。読者や視聴者が見たら「これがサミット報道の実態か」とあきれるだろう。旧東ドイツ・ハイリゲンダムで開かれたG8サミットも、政治ショー化した首脳会議の例にもれなかった。

しかし、ホスト役を務めたメルケル首相は、一応満足しているに違いない。各国首脳は2050年までに地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の排出量を半減させるべく、真剣に努力することで合意したからだ。特にメルケル首相にとって重要なことは、米国の離反を防ぎ、しかもCO2削減を国連主導で行うことを受け入れさせたことである。会議の直前まで、米国はCO2の排出量の上限値などを設定することに強い難色を示していた。経済活動に制約を受けることを恐れたからである。もしも米国がCO2削減を国連の枠組みの中で行うことを拒否していたら、ハイリゲンダムは「CO2削減をめぐって、米欧が決裂したサミット」として記憶されることになったはずだ。

もちろん、サミットでの合意は条約でも協定でもない。これから43年間に世界の経済情勢が激変して、米国が約束を反故(ほご)にしても、不思議ではない。イラク侵攻など数々の例に見られるように、米国は、基本的に多国間合意よりも単独主義を優先する。ブッシュ大統領の米国での影響力も、すでに大幅に弱まっている。

ただし、当時コール政権の環境相として、京都議定書のとりまとめに大きな役割を果たしたメルケル首相は、少なくとも各国首脳が「CO2削減をめぐって、共同歩調を取る」という印象を世界に与えられたことを及第点としているに違いない。今年12月には、京都議定書が失効した後のCO2削減計画を作成するための会議がバリ島で開かれる。ハイリゲンダムは、バリ島での会議へ向けて、道筋を示したサミットとして記憶されるだろう。

だがサミットは、気候保護を除くと大きな成果は生まなかった。「アフリカの感染症対策のために、少なくとも600億ドルを投じる」という声明が出されたが、これまで何度同じようなコメントがサミットで発表されてきたことだろうか。メルケル政権のシェルパ(サミットのために各国政府と事前協議を行う、裏方の官僚たち)もサミットの落とし所は最も合意しやすいCO2削減問題にする方向で作業を行っていたようだ。イラク、アフガニスタンでの欧米諸国の軍事介入の行方、イランの核開発、ヘッジファンドの規制、情報公開などデリケートな問題が協議された可能性はあるが、公式声明という形では表に出てこなかった。これらのテーマも気候保護に劣らず重要である。華やかなサミット報道に幻惑されて国際政治、国際経済の厳しい現実から目をそらしてはならない。

22 Juni 2007 Nr. 668

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:41
 

G8サミットの光と影

G8サミットの光と影
社会主義時代の東ドイツで科学者だったメルケル首相は、異色の政治家である。これまでG8サミット開催国の首相や大統領たちは、市民が先進国首脳会議に反対するデモを行っても、全く関心を示さなかった。だがメルケル首相はサミット前に、非暴力に徹する市民団体に対しては、「グローバル化に対して、なぜあなたたちが抗議するのかは理解できる」という姿勢を示した。サミット開催国の首相が、これほど反対勢力にソフトな態度を取ったのは、珍しい。

西ヨーロッパ市民の間で、経済グローバル化に対する不信感は依然として根強い。彼らはグローバル化によって生産拠点が、労働コストの低い中東欧やアジアに移転され、雇用が脅かされると思っている。今年になって米英のヘッジファンドやプライベート・エクイティーなどの投資会社が欧州で活発に企業買収を行っている。「イナゴ」や「ハゲタカ」と呼ばれる投資ファンドによって伝統的な企業が買収されたり、解体されたりするのではないかと不安を抱いている人も少なくない。フランスとオランダの市民が数年前に欧州憲法に関する国民投票 で「ノー」と言ったことも、彼らがこの憲法をグローバル化の象徴と見なしたからである。

グローバル化によって、先進国とアフリカやアジアの貧しい国々との間の格差が一層拡大することに懸念を抱く人もいる。「市場の見えざる手」や自由競争を信奉するアングロサクソン型の資本主義社会は競争に負けた敗者には無慈悲であり、勝ち組には気が遠くなるような報酬を準備する。だがこの弱肉強食のシステムは、戦後西ドイツ社会の基本原理である「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」の原理とは相容れない。ドイツ人たちは純粋に競争原理だけに従うのではなく、政府が競争の枠組みを規定し、敗者に対しては社会保障など最低限の安全ネットを準備するシステムを採用した。この考え方はキリスト教の影響が強く、秩序を好むドイツ人のメンタリティーに合っていた。

それだけにジャングルの掟が支配するような、グローバル資本主義に反感を持つドイツ人は少なくない。キリスト教民主同盟(CDU)の元幹事長ハイナー・ガイスラー氏が、サミット直前にグローバル化に反対する団体「アタック」に加わったことは、そのことを象徴している。メルケル首相が地球温暖化に歯止めをかけるための二酸化炭素排出削減策という、発展途上国にとっても重要な問題を議題の一つにしたことも、公共の利益を重視するよう米国に求めるメッセージだった。

G8直前にロストックで一部のデモ隊が警察官と衝突し、双方に1000人近いけが人が出たことは残念である。この事件で非暴力的な手段によってサミットに抗議しようとしていた市民団体のメッセージがかき消されてしまったからだ。庶民にはまず泊まれない、超高級ホテル「ハイリゲンダム・ケンピンスキー」でベルリンの壁を思わせるフェンスと鉄条網に囲まれ、美しい大海原を見ながら国際経済を語る各国首脳たち。メルケル首相の努力にも関わらず、グローバル化の勝ち組と反対勢力の間の溝が埋められたとは思えない。

15 Juni 2007 Nr. 667

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:41
 

広がるドーピング汚染

広がるドーピング汚染ドイツにお住まいの皆さんならご存知のように、この国の人々は自転車に乗るのが大好きである。自転車道や標識が整備されたドイツでは、サイクリングは誰もが手軽に楽しめる、素晴らしいスポーツである。春や夏には、大都市郊外のサイクリングコースは家族連れでにぎわう。テレビで中継される自転車競技に対する市民の関心も高い。

それだけに、ドイチェ・テレコム・チームの選手6人が禁止された薬物の使用を告白したのは、多くの国民に衝撃を与えた。ある選手は記者会見で涙を流しながら世間を欺いていたことについて謝ったが、もう遅い。歯を食いしばって坂道を自転車で走るヒーローたちは、実は化学物質の助けを借りて、超人的なパワーを出していたのだ。彼らに対して憧れの眼差しを向けていた青少年たちの失望感は、どれほど深いことだろうか。同競技のヒーローの一人だったヤン・ウルリヒが昨年、トゥール・ド・フランス直前に、ドーピング疑惑のために出場資格を剥奪されたこともまだ記憶に新しい。ウルリヒは、今も薬物使用の疑惑を否定している。

特に驚かされたのは、フライブルク大学病院の高名なスポーツ医学者自らが、選手たちに禁止された薬物を与えていたことである。中でもゲオルグ・フーバー医師は、ドーピングを排除する委員会のメンバーでありながら、1980年から90年まで自ら薬物汚染に手を貸していた。言語道断というしかない。

スポンサーの責任も重い。長時間にわたって企業名を印刷したユニフォームを着た選手がテレビの画面いっぱいに映し出されるのだから、自転車競技の宣伝効果は抜群である。ドイチェ・テレコムは、今回ドーピングの事実が明るみに出たにもかかわらず、2010年までこのチームとのスポンサー契約を続けることを明らかにした。絶好の宣伝媒体に執着するスポンサーの態度には、世間から批判の目が向けられている。

医師まで巻き込んだ今回の薬物汚染問題の背景には、目に見えない金の流れがあるに違いない。万一発覚したら、医師やプロ選手として働けなくなるのだから、それだけのリスクを負っても余りある金が、彼らには約束されているのだろう。政府はそうした背後関係を徹底的に究明するとともに、ドーピングを行った選手の記録取り消しやスポンサーへの自粛の義務付けなど、より痛みを伴う制裁を加えるべきではないだろうか。さもなければ、ドーピング疑惑は再び持ち上がるに違いない。

社会主義時代の旧東ドイツは、スポーツ選手への薬物投与によってオリンピックなどでめざましい記録を残した。社会主義国の優秀性を世界に示すためである。だが薬を飲んだ選手たちの中には、後遺症に苦しむ人々もいる。商業主義に染まった西側スポーツ界は、旧東ドイツの国策ドーピングを笑うことはできない。

8 Juni 2007 Nr. 666

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:41
 

ドイツ・アフガン派兵の重荷

ドイツ・アフガン派兵の重荷5月23日、ケルン・ヴァーン空港。3人のドイツ連邦軍兵士たちが、棺に納められて無言の帰国をした。アフガニスタンのクゥンドゥスの市場で自爆テロに遭い、殺害された男たちである。犯人は不明だが、イスラム原理主義勢力タリバンが犯 行声明を出している。

ユング国防相は悲痛な表情で「ドイツ連邦軍をアフガニスタンから撤退させることはできない。もしも今、我々が撤退したら、アフガニスタンは再びテロリストの訓練センターとなり、ドイツの治安を脅かすことになるだろう」と述べた。

ドイツは、北大西洋条約機構(NATO)の一員として他の国々とともに、アフガニスタンの復興を支援するために、平和維持部隊、国際安定化軍(ISAF)に約3000人の将兵を派遣している。任務遂行中にテロなどで死亡したドイツ兵の数は、これで21人になった。テロに遭って生き残った兵士たちの中には、精神的に強い衝撃を受け、いわゆるポスト・トラウマ症候群(PTSD)で通常の生活を送れなくなった者もいる。

抵抗勢力タリバンの影響力が大きい南部地域では、米国、英国、カナダ軍が今もゲリラと戦闘を続けている。タリバンは昨年からゲリラ攻撃の頻度を高めており、特にカブールなどでイラクのような自爆テロが増えている。これらの国々は、ドイツよりもはるかに多く戦死者を出している。ドイツが担当している北部地域は南部に比べると治安が良く、これまでテロ攻撃の数は少なかった。だがドイツが今年になって、電子偵察機能を持ったトルナード戦闘機をアフガニスタンに投入したことなどから、イスラム過激派はインターネット上で「ドイツに対するテロ攻撃を行う」と予告していた。今回の事件は、ドイツが担当している北部地域も治安が悪化してきたことを示している。

従って、今後もドイツ兵士の間で犠牲者が出ることは避けられない。今回の事件の後、メルケル政権にアフガニスタンから軍を撤退させるよう要求したのは左派政党だけだった。だが無言で帰国する棺が増えるたびに、国内では「アフガニスタンに派兵する意味があるのか?」という疑問の声が上がるだろう。

特に自由民主党(FDP)や緑の党には、派兵に批判的な勢力もいる。ドイツのアフガン派兵は、米国のイラク侵攻とは全く性格が違う。9.11事件で、ドイツはアルカイダのテロリストたちの出撃拠点として使われた。「国際テロリズムの根は、テロ組織が発生した場所で断たなくてはならない。したがって、アフガニスタンで平和維持任務を行う必要がある」というのが、ドイツ政府の主張だ。だがタリバンやアルカイダにとって、アフガニスタンに駐留する外国軍は全て敵であり、攻撃目標となる。

今後治安がさらに悪化し、戦死者がさらに増えた時、連邦政府はどのようにして国民を納得させるのか。どの時点で、「平和維持任務は完了した」 と宣言してアフガニスタンから撤退するのか。メ ルケル政権は、まだ多くの問いに答えなくてはならない。

1 June 2007 Nr. 665

最終更新 Dienstag, 05 November 2013 12:20
 

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