Hanacell
独断時評


イスラエル・イラン戦争と 国際法の凋落

6月中旬から、中東情勢が急展開した。6月13日に突然イスラエルが、イラン攻撃を開始したのだ。攻撃は核施設だけではなく集合住宅にもおよび、市民を含む約600人が死亡し、約4700人が重軽傷を負った。

6月21日、ベルリンで行われたイラン反体制派によるデモで核兵器反対を訴える人々6月21日、ベルリンで行われたイラン反体制派によるデモで核兵器反対を訴える人々

イランの核開発阻止が目的

イスラエルが攻撃を始めた最大の理由は、イランが数十年前から続けていた核開発に歯止めをかけるためだった。国際原子力機関(IAEA)は、イランが濃縮ウランの濃度を60%まで高めることに成功した可能性を指摘していた。80%まで濃縮度を高めれば、核兵器に使える。イラン側は、「核施設の目的はあくまでも発電など平和利用だ」と主張していた。イランは、報復として弾道ミサイルなど約500発をテルアビブやハイファなどに撃ち込んだ。高層住宅や病院が被弾して、29人が死亡し約3200人が重軽傷を負った。

イスラエルは、イランを中東で最大の脅威と見なしていた。イスラエルは核兵器を持っているが、敵国が核兵器を持とうとすると先制攻撃でその芽を摘む「ベギン・ドクトリン」という戦略がある。イスラエルは1981年にもイラクが建設していた原子炉を、2007年にシリアが建設中だった原子炉を爆撃して破壊した。イランの核開発は、イラクとシリアの計画よりもはるかに進んでいた。

ドイツ政府はイランの現在の政権に強い不信感を持っている。革命防衛隊がレバノンやイエメンなどのシーア派テロ組織を支援してきたからだ。このためドイツ政府は「イスラエルとイランは戦火が中東全体に広がらないように自制するべきだ」としながらも、イスラエルに好意的だった。

例えばメルツ首相は6月17日にZDFとのインタビューで、「イスラエルはわれわれに代わって(イランを攻撃するという)汚れ仕事をやってくれている。私はこのことに敬意を表する。イランはヒズボラやハマスを支援し、世界中に犠牲者を出した。イスラエルが攻撃しなかったら、われわれは何年もイラン政府によるテロを経験しなくてはならなかったはずだ」と述べ、ネタニヤフ政権のイラン攻撃に理解を示した。

ドイツのヴァーデプール外相も6月22日に、「イランは軽蔑に値する政権に支配されている。この国が危険な核兵器を持つことは絶対に防がなくてはならない。それは、ドイツの利益でもある」と述べた。

これらの発言には、ナチスのユダヤ人虐殺への反省から、ドイツの歴代の政権がイスラエルに対し見せてきた同情的な姿勢が浮かび上がっている。

欧州の影響力の弱さを露呈

今回の戦争は、欧州の、国際紛争の解決能力の低さも示した。焦点は、イランの核施設の中で最も重要なフォルドウだった。この施設は地下深くにあるため、米国のバンカーバスターと呼ばれる特殊爆弾を使わなければ破壊できない。このためイスラエルは米国に攻撃を要請していた。トランプ大統領は、親イスラエル派である。彼は6月22日に米国本土からB2型ステルス爆撃機を発進させ、フォルドウなど3カ所の核施設にバンカーバスターで攻撃を実施した。

トランプはその上でイスラエルとイランを停戦に合意させた。イランはカタールの米軍基地を攻撃したが、それは国民に「米国に一矢報いた」ことを示すための形だけの攻撃であり、米国には事前に予告していた。

トランプは、選挙期間中に「外国での戦争には介入しない」と約束していた。このため、トランプは戦争の長期化だけは絶対に避けたかった。彼は強大な軍事力の行使でイランを畏怖させて、早期停戦をまとめ上げた。イランの核施設がどの程度破壊されたのかは分かっていない。核開発もあきらめず、濃縮ウラン400キログラムを安全な場所に移していた。しかし今回の攻撃で核開発が何年も遅れることは確かだ。

英独仏の外務大臣たちは6月20日にジュネーブでイランの外務大臣と会議を持ったものの、停戦に向けた前進はなかった。トランプは「イランは欧州と交渉してもだめだ。米国と交渉しろ」と言っていたが、その通りになった。国際紛争の交渉では、強大な軍事力を持つ国の方が、軍事力が弱い国よりも結果を生みやすい。今回の戦争は欧州の非力を浮き彫りにした。

露骨な国際法違反

ただし、今回イスラエルと米国が国際法を破ってイランを攻撃したことについては、批判の声も強い。フランクフルト大学で国際関係論を教えるダイテルホフ教授は、ARDとのインタビューで「米国はイランからの攻撃が迫っていたわけではないのに、イランを攻撃した。これは国際法が禁じている攻撃的戦争であり違法だ」と批判した。国連憲章は、外国からの軍事攻撃が迫っている時を除いて、外国に対する攻撃を禁じている。教授は、「米国のような国が堂々と国際法を無視する状態は、極めて危険だ。今、国際法は深刻な危機にさらされている。将来は国際法を守る国がなくなるかもしれない」と悲観的な見解を述べた。

左派政党リンケのヴァン・アケン党首も、「米国のイラン攻撃は国際法違反であり、イランの核保有を防ぐことができるのは外交交渉だけだ。米国の国際法無視は、ウクライナに対して違法な戦争を行っているプーチン大統領を勇気づけるだけだ」と述べた。

超大国が、堂々と国際法を無視する。国連は紛争解決にほとんど寄与できない。これでは将来も違法な攻撃的戦争を行う国が後を絶たないだろう。われわれは、国際秩序が崩壊した、弱肉強食の世界に生きている。

最終更新 Donnerstag, 03 Juli 2025 08:55
 

極右政党AfDが総選挙で首位になる日は来るのか?

4月9日、ドイツの政界に衝撃を与えるニュースが流れた。極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)への政党支持率が、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)を抜いたのだ。全国規模の政党支持率調査で、AfDがトップになったのは初めて。世論調査機関イプソスによると、AfDへの支持率は25%で、CDU・CSU(24%)を1ポイント上回った。前回の調査(3月)に比べてAfDへの支持率が3ポイント増えたのに対し、CDU・CSUへの支持率は5ポイントも減った。

2月23日、連邦議会選挙での大躍進を祝うAfD共同党首のヴァイデル氏(右)とティノ・チュルパラ氏(左)2月23日、連邦議会選挙での大躍進を祝うAfD共同党首のヴァイデル氏(右)とティノ・チュルパラ氏(左)

CDU・CSUへの支持率が下落

2月23日の連邦議会選挙では、CDU・CSUの得票率は28.6%で、AfD(10.8%)に7.8ポイントの差をつけていた。CDU・CSUの支持率は、連邦議会選挙以来下落している。その理由の一つは、大連立のパートナーであるSPDに依存せざるを得ない、フリードリヒ・メルツ首相の指導力への懸念だ。

例えば、メルツ氏は選挙前には「債務ブレーキ(連邦政府に国内総生産の0.35%を超える財政赤字を禁じる憲法上の規定)を修正しない」と言っていた。これに対しSPDは選挙前から債務ブレーキの修正を求めていた。結局メルツ氏は、選挙後の3月5日に公約を破って債務ブレーキの修正を発表した。公共放送局ZDF(第二テレビ)が3月21日に公表した世論調査結果によると、回答者の73%が「メルツ氏は債務ブレーキの修正によって、有権者をだました」と答えた。

SPDとの対立の予兆

内政面では、メルツ氏とSPDの間の意見の対立が刻々と表面化しつつある。その例が、法定最低賃金の引き上げだ。ドイツの最低賃金は、2025年1月1日以来、1時間当たり12.82ユーロ(2052円・1ユーロ=160円換算)である。SPDは選挙期間中に、この額を2026年から15ユーロ(2400円)に引き上げると約束した。連立協定書にも、「2026年には法定最低賃金を15ユーロに引き上げることは可能だ」と書いてある。だがメルツ氏は、「法定最低賃金を自動的に法律で15ユーロに引き上げることはない。経営者と労働組合が構成する賃金委員会が交渉して決めることだ」と述べ、SPDの主張に懐疑的な姿勢を示した。

ドイツでは2年間にわたりマイナス成長が続いた。このためメルツ氏は、企業の競争力や収益力を高めることを目指している。そこでCDU・CSUは連立協定書に、法人税を2028年以降5年間にわたって毎年1ポイントずつ引き下げること、社会保険料負担の引き下げ、公的年金の引き上げ率の抑制、長期失業者のための援助金の削減などを明記させた。これに対し、SPDが求めている富裕層以外の市民のための減税については、「連邦予算に余裕があるかどうかにかかっている」と述べ、減税が行われない可能性も示唆した。

メルツ氏第1回目落選の衝撃

メルツ氏の政局運営能力の基盤の脆さは、5月6日に彼が連邦議会での第1回目の票決で落選したことにも表れている。秘密投票だったため、18人の造反者が誰だったかは分かっていないが、論壇ではメルツ氏の路線に批判的なSPD左派がメルツ氏への投票を拒否したのではないかという憶測が出ている。将来も難民政策、社会保障政策、労働政策などをめぐって、メルツ氏とSPD左派の間の対立がエスカレートし、「首相落選劇」のような事態が繰り返される危険もある。

メルツ氏が5月14日に連邦議会で行った所信表明演説で、安全保障や外交に重点を置き、難民政策や経済政策には踏み込まなかった理由も、内政面でSPDと意見の食い違いが目立ち始めているからだ。SPDのラース・クリングバイル共同党首は左派に属さない実務派だが、首相落選劇を見ると、左派議員をコントロールし切れていないという印象を与える。つまり、「メルツ氏は選挙前に約束した公約を実行できないのではないか」という不信感が、市民の間で広がっているのだ。

選挙ごとにAfDとの得票率の差が狭まる

これに対しAfDは連邦議会選挙での得票率を2021年の前回の選挙での10.4%から20.8%に倍増させるなど、躍進を続けている。AfDのアリス・ヴァイデル共同党首は2月23日の夜、「われわれはもはや一地域の弱小政党ではなく、国民政党だ。次の選挙で、われわれはCDU・CSUを追い抜く」と予言した。

私は、メルツ氏が経済の立て直しに失敗し、市民の不満がさらに強まった場合、ヴァイデル氏の予言が2029年の連邦議会選挙で現実になる可能性もあると考えている。2017年の選挙では、CDU・CSUとAfDの得票率の差は20.4ポイントだった。2021年の選挙ではその差が13.8ポイント、今年の選挙では7.8ポイントに縮まった。つまり連邦議会選挙を行うごとに、AfDがCDU・CSUとの差を狭めている。

ドイツ連邦内務省の捜査機関・連邦憲法擁護庁は5月2日、AfDを「確定的に過激な極右団体」と認定した(AfDが認定を不服とする仮処分申請をケルン行政裁判所に提出したため、審査が終わるまで憲法擁護庁はこの認定を公には使用しない)。ただし、この措置が伝統的な政党に対して不満を抱く有権者の間の、AfDへの支持を弱めるかどうかは未知数である。今後AfDの禁止を連邦憲法裁判所に申請する動きが出ることも予想されるが、政党禁止のハードルは高い。連邦憲法裁判所が申請を却下した場合、AfDは一種の「お墨付き」を得ることになる。右派ポピュリズムの波は、ドイツの足下にも押し寄せた。われわれ日本人も、今後の政治の動きを注意深く見守る必要がある。

最終更新 Donnerstag, 05 Juni 2025 09:07
 

ドイツ自動車業界 トランプ関税で大打撃

第2次トランプ米政権の関税政策は、第二次世界大戦後、最も深刻な自由貿易に対する「攻撃」だ。トランプ大統領が4月3日に発動した輸入乗用車への25%の関税措置(発動前は2.5%)は、ものづくり大国ドイツの自動車産業に、深刻な打撃を与えそうだ。米国で人気があるSUVやピックアップトラックに対する関税率はこれまでも25%だったが、欧州連合(EU)が輸入自動車にかけている関税率は10%だ。

エムデンにあるVW工場の港で出荷を待つ新車エムデンにあるVW工場の港で出荷を待つ新車

第2次トランプ米政権の関税政策は、第二次世界大戦後、最も深刻な自由貿易に対する「攻撃」だ。トランプ大統領が4月3日に発動した輸入乗用車への25%の関税措置(発動前は2.5%)は、ものづくり大国ドイツの自動車産業に、深刻な打撃を与えそうだ。米国で人気があるSUVやピックアップトラックに対する関税率はこれまでも25%だったが、欧州連合(EU)が輸入自動車にかけている関税率は10%だ。

トランプ氏の政策の特徴は、敵とみなす国ばかりではなく友好国にも痛みを与えることだ。彼は、「われわれは関税によって、これまでほかの国がわれわれから奪った物を取り返すだけだ。われわれは友好国からも(雇用など)多くの物を奪われていた。関税によって、外国の車の値段が高くなり、米国の自動車産業は繫栄するだろう。外国企業は自動車を米国で生産すれば、関税はかからない」と語っている。

2018年は貿易戦争を回避

ドイツ自動車工業会(VDA)のミュラー会長は、「追加関税は、米国の消費者にとっても物価上昇をもたらし、不利益をもたらす。この措置は全ての国の繁栄と成長を阻害するだろう」と警告した。

欧州委員会は報復措置もちらつかせながら、硬軟取り混ぜた対応を取る。EUは2018年に一度米国との貿易戦争を回避した経験がある。当時トランプ政権は、EUから輸入される鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の追加関税をかけた。これに対してEUは、米国のバーボン・ウイスキーなどに報復関税を導入。だが同年7月25日、ユンカー欧州委員長(当時)はトランプ氏との会談で「米国からの液化天然ガス(LNG)と大豆の輸入量を増やす」という条件で合意し、追加関税の撤廃に成功した。したがって欧州委員会は、今回もLNG輸入量の増加など、米国にとって有利なオファーを行い、貿易戦争を回避しようとするだろう。

米国はドイツの自動車業界にとって、最も重要な輸出先だ。VDAによると独企業は2025年に約45万台の自動車を米国へ輸出した。これはドイツの輸出自動車数の13.2%に当たる。2024年のドイツから米国への自動車の輸出額は368億ユーロ(5兆8880億円・1ユーロ=160円換算)だった。ドイツの自動車メーカーは、部分的に米国での現地生産を行っている。それでも独大手3社では、米国で2024年に売った車の50~60%が米国外で生産されて同国へ輸出されている。これらの車は、トランプ関税により悪影響を受ける。またトランプ関税は、ドイツから米国に輸入される自動車部品にも適用される。VDAの調査によると、ドイツで自動車部品製造に携わる中小企業の86%が「関税発動によって影響を受ける」と答えた。

110億ユーロの損害?

米国の市場調査企業バーンスタイン・リサーチは3月28日、「トランプ氏の追加関税により、ドイツの大手自動車メーカー3社が関税によって受ける悪影響は110億ユーロ(1兆7600億円)に達する可能性がある」と予測した。同社は「関税措置が長引いた場合、BMWの利益率は2ポイント、メルセデス・ベンツでは2.2ポイント下がるかもしれない」とみている。さらにスイスの大手銀行のアナリストは、フォルクスワーゲン(VW)グループの営業利益が約15%減る可能性を指摘。特にポルシェは米国に生産拠点を持っておらず、関税の影響を強く受ける。米国の投資銀行ジェフェリーズのアナリストは、「ドイツの大手自動車メーカーが追加関税によって受ける経済的損害は、1社当たり30億~35億ドル(4500億~5250億円・1ドル=150円換算)に上る」と試算している。

ドイツの自動車業界にとって、トランプ関税発動のタイミングは非常に悪い。この国の自動車メーカーでは、電気自動車(BEV)の販売台数の鈍化、過剰生産能力の増加、産業用電力価格の高騰、中国市場でのマーケットシェアの下落などによって、2024年の営業利益が前年に比べて約30%減っているからだ。ドイツの自動車産業では、2024年に1万9000人分の雇用が減った。VWグループは国内乗用車部門の営業利益率を引き上げるために、2030年までにドイツの従業員数を3万5000人減らす方針だ。

国内雇用にも悪影響の可能性

EUとトランプ政権が交渉を行っても合意に達することができなかった場合には、現在一時停止されている20%の相互関税も全てのEU製品に課される。この場合、欧米は本格的な貿易紛争に突入する危険がある。

キールの世界経済研究所とベルリンのドイツ経済研究所(DIW)は、「最悪の場合、EUから米国への自動車の輸出台数は、現在の半分に落ち込む。EU域内での自動車の生産額は、429億ユーロ(6兆8640億円)減る」という悲観的な予測を発表した。両研究所は、「貿易紛争がエスカレートした場合、欧州から米国に輸出されている医薬品や機械など、自動車以外の製品も悪影響を受けるかもしれない。EUではさまざまな業種の生産額が1740億ユーロ(27兆8400億円)減り、EUの2025年の国内総生産(GDP)は0.25%、ドイツのGDPは0.32%減るだろう」と予測している。

貿易戦争に勝者はいない。どちらの国も傷を負う。物価が上昇するので、最も大きなしわ寄せを受けるのは消費者だ。高い関税率の適用が長引いた場合、国内生産を縮小し、米国に新しい工場を設置する企業が増えるので、ドイツの雇用にも悪影響が出る。EUは貿易戦争の回避に全力を尽くしてほしい。

最終更新 Mittwoch, 30 April 2025 12:22
 

メルツ氏が公約撤回 債務ブレーキを大修正

連邦議会選挙からわずか10日後の3月5日、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)のフリードリヒ・メルツ首相候補は財政に関する公約を撤回して、債務ブレーキを修正する方針を打ち出した。ドイツは国債発行に消極的だった財政政策を転換し、約1兆ユーロ(160兆円、1ユーロ=160円)の資金を国債発行によって調達する。

3月18日、連邦議会で基本法改正の採決前に演説するメルツ氏3月18日、連邦議会で基本法改正の採決前に演説するメルツ氏

防衛支出とインフラ投資を大幅に増額

ドイツには2009年以来債務ブレーキという憲法上の規定があり、連邦政府は国内総生産(GDP)の0.35%を超える財政赤字、州政府は財政赤字を持つことを一切禁じられていた。政府の借金によって、将来の世代が利払いに苦しむ事態を避けるためだ。

選挙期間中、メルツ氏は「債務ブレーキは修正しない。財政難は節約や予算の組み換えによって克服するべきだ」と語っていた。それだけに突然の方針転換は、政界・経済界を驚かせた。今後ドイツは、日本や米国と同じように「借金経営」に移行する。この日メルツ氏と、社会民主党(SPD)のラース・クリングバイル共同党首は「両党は、債務ブレーキに修正を加え、防衛支出と国内インフラのための投資を大幅に増額することで合意した」と発表した。

米国に依存しない防衛体制を目指す

CDU・CSUとSPDによると、軍備拡張のために、防衛支出のうちGDPの1%を超える部分(約440億ユーロ、7兆400億円)までは通常予算でまかなうが、1%を超える部分を、無制限に国債でカバーする。この部分には債務ブレーキは適用されない。メルツ氏が債務ブレーキに関する方針を180度転換した理由は、欧州の地政学的な環境の急激な悪化である。

ドナルド・トランプ米大統領は、欧州諸国とウクライナ政府を蚊帳の外に置いたまま、ロシアとの間で停戦をめぐる交渉を続けている。欧州諸国の首脳の間では、トランプ政権がロシア寄りの姿勢を強めており、将来欧州防衛への関与を減らす可能性があるという意見が強まっている。このため欧州諸国は、防衛について米国に大きく依存している現状を変えるために、防衛支出を大幅に増額しなくてはならない。

ドイツは2022年に1000億ユーロの連邦軍特別予算を計上し、昨年北大西洋条約機構(NATO)の「防衛支出をGDPの2%以上にする」という目標を達成した。だがNATOは、ロシアの脅威への抑止力を高めるには、防衛支出をGDPの3%以上に引き上げる必要があるとみている。メルツ氏が防衛支出について、無制限の借金をできる枠組みを作ったのはそのためだ。

老朽化したインフラ整備に80兆円

さらにメルツ氏とクリングバイル氏は、送電網、水素製造設備などのエネルギー関連インフラ、鉄道、道路の新設・修理、病院や介護設備、教育機関などの整備やデジタル化の推進、サイバー攻撃に対する防御などのために、2025~2034年までの10年間にわたり5000億ユーロ(80兆円)のインフラ特別予算を計上すると発表した。この部分にも債務ブレーキは適用されない。

ドイツでは鉄道や橋などの老朽化が進んでおり、早急に修復する必要がある。デジタル化も米国や中国ほど進んでいない。さらに再生可能エネルギー発電設備が多い北部から、南部へ電力を送る送電線の建設が大幅に遅れている。ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)とドイツ産業連盟(BDI)は、2024年に「インフラ構築などに1兆ユーロ単位の投資を行わなければ、ドイツは経済競争力を回復できない」とする報告書を発表していた。また特別予算のうち、1000億ユーロは気候保護や経済の脱炭素化に使われる。

ドイツのメディアでは、「メルツ政権が今後国債市場で調達する金額は、1兆ユーロ(160兆円)にのぼる」という見方が出ている。債務ブレーキ修正のための基本法(憲法)改正案は、3月18日に連邦議会で、同21日に連邦参議院でいずれも議席の3分の2の賛成票を得て承認された。防衛産業と建設業界は今回の決定を「歴史的なチャンス」と評価。メルツ氏が新政策を発表すると、ラインメタルやレンクなどドイツの兵器・砲弾メーカーの株価は一時7~8%上昇。建設大手ホーホティーフの株価は、一時14%はね上がった。

「メルツ氏は国民を欺いた」との批判も

IFO経済研究所のクレメンツ・フュスト所長は、「地政学的な脅威が高まっているために、防衛支出を債務ブレーキの対象外とすることは正しい。だがインフラ構築費用は、まず連邦予算の節約や変更によって捻出するべきだった。現在ドイツの公的債務残高の対GDP比率は約63%だが、今回の政策が実行されると、約80%に上昇する。財政政策が大きく変更され、わが国は借金大国になる」と語った。

ただしメルツ氏の突然の変節は、支持率に悪影響を与えた。公共放送局ZDF(第2テレビ)が3月21日に発表した世論調査結果によると、回答者の73%が「メルツ氏は有権者をだました」と答えた。さらに「メルツ氏を支持する」と答えた比率は、3月上旬の44%から37%に減った。選挙で勝った首相候補が、投票日の直後にこれほど急激に政策を変更するのは異例だ。この転向劇は、欧州の地政学的状況がいかに悪化しているか、そして連邦政府がいかに深刻な財政難に直面しているかを示している。メルツ氏の一世一代の賭けは、ドイツの体力強化につながるだろうか。

最終更新 Donnerstag, 03 April 2025 09:35
 

連邦議会選挙で保守党が勝利 メルツ政権誕生へ

2月23日の連邦議会選挙で、ドイツ人たちは政権交代と政治の変革を強く望んだ。そのことは、82.5%という驚異的な投票率にはっきり表われている。そしてキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が28.5%の得票率で首位を獲得し、CDUのフリードリヒ・メルツ党首(69)の首相就任が確実になった。同氏は保守本流の政治家。ライバルのアンゲラ・メルケル前首相との権力闘争に敗れて2009年にいったん政界を去り、民間経済で働いた(2021年に政界復帰)。16年間の臥がしんしょうたん薪嘗胆の後、首相の座への切符を手にした。

2月23日、選挙戦を終えて演説するメルツ氏2月23日、選挙戦を終えて演説するメルツ氏

極右政党の得票率が倍増

もう一人の勝者は、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)だ。同党は得票率を2021年の10.3%から約2倍の20.8%に増やし、第二党となった。2013年の結党以来、最も高い得票率だ。同党は欧州連合(EU)やユーロ圏からの脱退、エネルギー転換の停止などを含む、過激な政策変化を要求。AfDのテューリンゲン州支部などは、憲法擁護庁から監視されている。それにもかかわらず、有権者の5人に1人が同党に票を投じ、旧東独地域では首位だった。アリス・ヴァイデル共同党首は、「われわれはもはや少数政党ではなく、国民政党になった」と述べて成果を強調した。

これに対し、ショルツ政権に属していた政党は、有権者から厳しく罰せられた。オーラフ・ショルツ首相が率いる社会民主党(SPD)は得票率を前回から9.3ポイント減らして16.4%と惨敗。緑の党の得票率も3.2ポイント減って11.6%となった。昨年11月まで連立政権に属していた自由民主党(FDP)の得票率は前回の総選挙に比べてほぼ半減し、4.3%となった。FDPは5%条項に従い、連邦議会からはじき出された。

ショルツ政権への不満が爆発

主な政党の得票率の推移

主な政党の得票率の推移参考:選挙管理員会

今回の選挙結果には、国民の不満がはっきり表われている。連立政権に参加した三党はしばしば対立し、路線闘争のために迅速な政策決定を下すことができなかった。多くの市民が、「ショルツ政権は環境保護、特に二酸化炭素の削減を最優先にした政策を重視しすぎている」と感じた。また人々は、ロシアのウクライナ侵攻以来続く景気停滞、不況対策の遅れ、ビューロクラシーの増加、難民による犯罪の多発などについて、強い不満を持っている。ドイツでは昨年5月から9カ月間に難民による市民の無差別殺傷事件が6件起きており、多くの市民が治安の悪化を感じている。

CDU・CSUにとって今回の選挙結果は、手放しで喜べるものではない。同党への支持率は、昨年11月のアレンスバッハ人口動態研究所の世論調査では37%だったが、わずか4カ月で28.5%に減った。失速の理由は、特に若い世代の間で、メルツ氏の厳しい難民政策への反発が強まったからだ。彼は「ドイツでの亡命申請を拒否され、出国を義務付けられている外国人は逮捕して、直ちに収容施設に拘留する」という措置を提案した。メルツ氏は、AfDによって支持者を切り崩されないように、難民政策をAfDの路線に急激に近づけたのだ。

この提案はCDU・CSU支持者の中でリベラルな思想を持つ人々、例えばメルケル氏の人道的な難民政策を支持していた人々を憤慨させ、CDU・CSUへの支持率が減った。逆に左翼党が前回に比べて得票率を3.9ポイント増やして連邦議会に復帰することは、リベラルな有権者の間でメルツ氏の路線に対する警戒感が強まっていることを示している。

大連立の公算が大

メルツ氏は、SPDとの大連立によって議席の過半数を確保する方針。SPDで院内総務に選ばれたラース・クリングバイル氏との準備協議を始めた。しかしCDU・CSUとSPDの間には、難民政策や債務ブレーキの修正をめぐって、意見の相違がある。メルツ氏が目指している社会保障サービスの削減についても、SPDが反対するかもしれない。

この国には、直ちに取り組まなくてはならない難題が山積している。ドイツの実質GDP(国民総生産)成長率は2023年、2024年と2年連続でマイナスだった。トランプ米大統領が自動車関税を予告していることは、ドイツの産業界に強い不安を与えている。メルツ氏は、企業に対する税金や社会保険料負担の引き下げを通じて企業の競争力を改善させることで、GDP成長率を2%に回復させると国民に約束している。

メルツ氏が、「欧州の病人ドイツ」を健康体に回復させられるか、欧州諸国も見守っている。ウクライナ戦争の停戦をめぐるトランプ政権の電撃的な外交攻勢に対しても、EU加盟国と協力して、独自の提案を打ち出さなければならない。メルツ氏は復活祭(4月後半)までに新政権発足を目指しているが、この国は一刻も早く、安定した連立政権を樹立させる必要がある。

最終更新 Donnerstag, 06 März 2025 14:36
 

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