Hanacell
独日なひと


坂口紀代美・環境造形作家

坂口 紀代美・環境造形作家坂口 紀代美 さかぐち きよみ
環境造形作家

彫刻やパブリックアートを得意とするアーティスト。05年文化庁特別派遣芸術家在外研修員彫刻家として、デュッセルドルフに3カ月間滞在。96年東京都住宅局の練馬区大泉中島公園に設置した新小松石のモニュメント「石舞台」で、建設省都市局長賞受賞。福祉局の東京都女性相談センター、都立葛飾野高等学校、大阪・北野病院をはじめ、日本全国に多数のモニュメントやレリーフを設置。都市計画やまちづくりに広く関わっている。日本美術家連盟会員。
http://homepage3.nifty.com/kiyomi-sculpture/sakura/

デュッセルドルフ市内のギャラリー・ニアガラで新作展を開く傍ら、アトリエを構えて3カ月創作活動を行う。「日本とドイツの文化の懸け橋」として渡独した坂口さんとドイツの関係は?

1992年にイタリアのダンテスカ国際ビエンナーレに出品していました。そのときに初めてベルリンに立ち寄りました。当時はベルリンの壁が崩壊してから約3年の頃で、崩壊後の雰囲気を存分に残していました。その後2002年にはパリで展覧会を開いたので、その際にまたベルリンに行きました。その時期のベルリンには、世界中から磯崎新さんら著名な建築家が押し寄せてきていると聞いたもので。そうやって、何かと言うとドイツに足が向くようになりましたね。

05年には、文化庁からの派遣でデュッセルドルフに3カ月滞在していますが、文化庁への応募書類の1つとして、地元の受け入れ機関のサインが必要でした。そのときに快くサインをしてくださったのが、デュッセルドルフ在住の芸術家ギュンター・ユッカーさんでした。ユッカーさんは、03年に栃木県立美術館の個展のオープニングにいらっしゃっていて、そこでお話をして、一緒に焼き鳥屋さんに行ったんです(笑)。この出会いがあって、デュッセルドルフ滞在が実現したのです。

今回が2度目となるデュッセルドルフでの生活は、いかがですか?

昔は紡績会社だったという建物に、デュッセルドルフ市がアトリエを準備してくれました。室内はいつも暖かく、天井は高くて日本よりも作業がしやすい。食器洗浄器は2時間かけてじっくりお皿を磨く。ドイツ製の家具に囲まれて、この国の暮らしを感じる日々です。住み続けたいな、と感じさせてくれる環境です。

また、アートの伝統的な深さと寛容さを感じます。例えば、ユッカーさんの作品は釘を打ち付けたオブジェで有名ですが、棘がこちらを向いている作品の1つ“Interferenzen” というレリーフが、ノルトライン=ヴェストファーレン州議会堂にあります。日本では、特に公共の場では安全性が最優先されます。それが悪いというわけではありませんが、地元のアーティストの芸術作品の価値と安全性という価値とを一緒に語ることができる文化的土壌を持っているという意味で、デュッセルドルフがますます好きになりました。

今回の展覧会の作品について教えてください。

 円や、真っ直ぐに上昇するイメージの作品郡です。「TENN」というブロンズの作品は、数字の「TEN(10)」というよりも、精神的な意味での上昇を表す「天」の方が近く、自分の精神的な宇宙を作品に込めています。05年にドイツに長期滞在し、この国が移民や東西格差の問題など日本とは違う問題を抱えていることを知って、それで今まで自分が造ってきた「TENN」に鉄条網を絡めるようになったんです。鋳物ならではの荒々しい感じや、その肌合いを生かして仕上げました。12個の「TENN」をサークル上に配置していますが、展示スペースもひとつの作品と考えていますので、空間はドローイングの余白と同じ意味を持ちます。また、肌で触れないとわからない感覚があるので、お客さんには作品を手に取ることをお薦めしています。

今回1番大きい2メートルのドローイングは、ユッカーさんからいただいた詩に答えるもの。ドイツ語で「ユッカーの魂は海のようだ 時にはうねり 時にはきらめく」と書いています。


「TENN」のサークルの中にいる坂口さんと
ギャラリー・ニアガラのオーナであるシュピーカーさん。

アーティストになろうと思ったきっかけは?

奈良で育った子どもの頃、静かな場所で、静かな時間の中、瞑想的な時を過ごすことが幸いにしてできました。そういうことが、今なお創作活動を続ける上での背骨のようなものになっていると思います。古都には時間を越えて、また時間の厚みもって生き残っている素晴らしいものがたくさんありました。今ある作品も、良い変化を遂げて普遍のものになってゆくといいなと。これが私のテーマでもあります。

子どもの頃から表現者になりたいと思っていました。いろいろな表現方法を模索した中で、彫刻に魅せられました。これは奥が深いぞって。20代半ばには、認められようが認められまいが彫刻に携わっていくのではないかと、そんな確信を持ちました。積極的な気持ちで想っていることって大事ですね。そうしたら、自分で道を切り開いていくことも可能になる。願いのないところでは何も起こらないですよね。


巣鴨駅前商店街に設置された2つのモニュメントは、
老齢化社会と団塊の世代の人々へのメッセージ
「MADAMADA!」と「KOREKARA!」。
(写真は「KOREKARA!」)

今後の活動の展望は?

創作活動は、年を重ねるごとに面白くなっていくんです。20代の頃には気付かなかったことがわかったり、見えなかったものが見えてくる瞬間があり、興味が尽きないんです。やりたいことがいっぱいある。そういう気持ちがますます増してくる。動いていると次々に扉が開いていく感じです。展覧会などで各国を回るのも、深呼吸するみたいに楽しくて。旅の香りを胸いっぱい吸い込みながらドイツやイタリアを歩いています。問題が発生するのも、不便なのも当たり前。そこでくじけない。「MADAMADA!」「KOREKARA!」(自身の作品に掛けて)ですよ!

今後も日本内外で展覧会の活動を続けて、そして日本と同じようにドイツでもパブリックアートの仕事をしていきたいと思っています。

ありがとうございました。小さな体からは想像もつかないほどのバイタリティーと創造力に溢れる坂口さん。今後の活躍にも目が離せません。

展覧会情報
坂口紀代美の彫刻とドローイング
Kiyomi Sakaguchi "sculptures and paintings"


開催中~4月16日(木)
10:00~18:00 土~16:00 ※日曜休館
入場無料

Galerie Niagara
Heinrich-Heine-Allee 14, 40213 Düsseldorf
TEL: 0211-320266
www.niagara-galerie.de

インタビュー・構成:編集部 高橋 萌

最終更新 Mittwoch, 22 Mai 2019 12:38
 

神余隆博・在ドイツ連邦共和国 特命全権大使

在ドイツ連邦共和国 特命全権大使神余隆博 しんよ・たかひろ
在ドイツ連邦共和国 特命全権大使


1950年香川県生まれ。72年大阪大学法学部卒業、外務省入省。大阪大学教授、在デュッセルドルフ総領事、外務省国際社会協力部長、国際連合日本政府代表部特命全権大使などを歴任し、2008年10月より現職。

神余大使、新年明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

もう何度もドイツで新年を迎えられていらっしゃるかと思いますが、神余大使とドイツとの縁が始まったのはいつですか。

1972年に外務省に入省後、翌年にゲッティンゲン大学に留学したのがドイツとの関係の始まりでした。その当時、日本は経済大国の仲間入りを果たしたばかりでしたので、ドイツは経済的にも生活の質においても日本より1歩先に進んでいるという印象を受けました。また、当時、ゲッティンゲンは位置的に東と西の境界からさほど遠くなかったため、冷戦の緊張を感じることもありました。

これまでに日本国大使館参事官、公使、在デュッセルドルフ総領事を歴任され、昨秋から現職に就いていらっしゃいますが、大使の仕事についてどのようにお考えですか。

大変責任の重い、重要なものだと思います。ドイツにおいて日本を代表する者として、人々により日本が見えるよう積極的に発言し、行動しなくてはいけないと思っています。外交は基本的に国と国との付き合いですが、その基になるのは人と人との付き合いです。大使としてドイツ全国を回って様々な人に会い、外交の基盤を構築していきたいですね。

一方、日本の国益を守るために立場を主張するべき場面があれば、もちろんしっかりと主張していきます。常にそのことを念頭に置きつつ、ドイツから世界の平和や安定に微力ながら貢献していきたいと思います。

国際連合日本政府代表部・特命全権大使を務められた経験もお持ちの神余大使。本年1月から日本は安保理の非常任理事国、ドイツは安保理に入っていませんが、国際社会における影響力はどのようなものでしょうか。

最近の安全保障理事会では、気候変動やエイズ問題など、日本とドイツがこれまで重要性を主張してきた人間の安全保障に関するテーマが取り上げられています。また、エネルギーや金融などの政治的な意味合いの大きい問題について、両国とも国際社会、特に国連の場において、今後さらに大きな発言力を持つべきであると考えます。現在、国連の分担金の額は日本が2位、ドイツが3位です。この貢献に見合った発言の機会が与えられていないという不本意な状況がなお暫く続くかもしれませんが、これから積極的に国連を改革していく必要があります。

国際情勢が複雑かつ多極的になっていく今、国力や与えられた環境を超えて、外交を通じて主張していかないと、埋没してしまう可能性があります。発言力や影響力というものは、積極的に行動することで創り出していくものなのです。

ドイツをどのような国だと捉えていらっしゃいますか。またドイツ人についてはいかがですか。

ドイツは信頼に足る立派な国です。本質的な部分、例えば考え方や価値観においては日本と共通する点があると思います。また、「言葉よりも行動」というスタンスやものづくりを重視する堅実な国民性がある一方、国際社会でうまくやっていく上でのしたたかさが足りず、立ち回りや自己宣伝が必ずしも上手ではないというところも両国の類似点でしょう。この点については、これからの多極的外交の時代の中で、両国は互いに切磋琢磨していく必要があると思います。

ドイツやドイツ人のどこがお好きですか。

誠実で約束を守り、友情に篤いドイツ人の気質、清潔で秩序正しいドイツの生活環境。これらはすばらしいと思います。

好きなドイツ料理はございますか。

穀物の味わいを生かしたパンやハム、ソーセージは天下一品ですね。また、春から初夏にかけての白アスパラガスは大好物です。

長い年月の中でドイツを見つめられ、その中で日独関係について変化が感じられるのはどのようなところですか。また今後、どのように発展していくとお考えですか。

2011年に日独交流は、プロセインとの修好通商条約締結から150周年を迎えます。その長い歴史の中で、日本はドイツから多くのことを学んで参りました。しかし近年では、ドイツも日本から学ぶことが少なくありません。両国は、いい意味でライバルであり仲間なのです。

他方、残念ながら日本もドイツも近年、米国や中国に目が向いており、日独関係の重要性を意識する機会が減ってきているように思います。

幸い日本とドイツの間には、大きな政治・経済関連の懸案事項がありません。両国ともに世界有数の経済大国です。ですから、2国間関係の枠を越えて、世界規模の問題について日独が力を合わせて取り組んでいくということに、今後より一層の意味が出てくると思います。たとえば現在、世界を揺るがせている金融危機や、気候変動・食糧問題などのグローバルな分野において、両国には連携してリーダーシップを発揮していくことが、これからますます求められてくるでしょう。

一方、今後、中国やインド、ブラジルなどの新興国が勢いを増して世界の多極化が進むにつれ、日独の持っている力が世界の中で相対的に低下していくことも考えられます。そのような新しい国際秩序の中で、どう存在感を維持していくか、これは日独双方にとって大きな課題であり、互いを高め合うという意味での競争と協力が必要になってくると思われます。

ドイツニュースダイジェストの読者にメッセージをお願いいたします。

ダイジェストの読者の皆様は、日本とドイツの友好関係に様々な形で貢献していらっしゃる方々だと思います。この友好関係を構築していくためには、政府間関係が良ければそれでいい、という訳にはもちろんいかず、皆様1人ひとりの社会における地道な交流の積み重ねが大切です。即効性はないように見えても、長く続けることでジワーっと効いてくる。あきらめずに粘り強く、徹底して日独関係を深化・強化していくという心構えと関心を持ち続けていただきたいと思います。

最後に、2009年の抱負をお聞かせください。

ドイツにとっては壁崩壊から20周年という記念すべき年で、日独双方にとっても金融危機を乗り越えなくてはならない大切な年となります。

今年は丑年ですね。私も年男となる来年の寅の年に勢いを持って邁進していけるよう、今年は牛の粘りで困難を乗り切って基礎を作り上げ、先への展望が明るい、希望に満ちた年になるよう努力して参りたいと思います。

ありがとうございました。

最終更新 Mittwoch, 22 Mai 2019 12:38
 

加藤政幸・ギタリスト

加藤政幸・ギタリスト 加藤政幸  かとう・まさゆき
ギタリスト

1947年生まれ。鈴木巌氏に師事。69年にNHK洋楽オーディションに合格、ラジオでギターを独奏。72年に渡独し、ザールラント州立放送局でギター音楽の放送に携わる。74年ヴィオッティ国際音楽コンクール銀賞、ミラノ国際ギターコンクール優勝などを経て、80年までアーヘン音楽大学ギター科講師。現在はヘルマン・ハウザー財団の理事を務めながら、各国際コンクールの審査員やコンサート、後進の指導に当たる。

現在、ミュンヘンを拠点に、世界中でコンサートを行っていらっしゃいます。最初にドイツに来られたきっかけは何だったのでしょうか?

1969年にNHKの洋楽オーディションに合格して、ラジオ放送でギターを弾いていたんです。でも、ヨーロッパに留学したいとずっと思っていました。そんなとき、地元・仙台の医師・高橋功先生が推薦してくださったんです。先生は日本ギター界の第一人者で、ドイツ人医師・シュヴァイツァー博士との交流により携わっていたアフリカでの奉仕活動を終えて、帰国されていました。先生の紹介でドイツ行きが決まったのは24歳のときでしたね。

ところが、出発直前になって、そのとき患っていたヘルニアがひどくなりまして。当時は1日11時間くらい練習していましたから、左の親指が何倍にも腫れ上がってしまったんです。ある朝、痛みで起き上がれなかった。体を支えられないんですね。体中の関節すべてが痛いんです。

これからドイツへ旅立とうかというときに、病院では薬を30日分しか出せないと言われましてね。その薬を飲んだら、不思議なようにすーっと痛みがひいていくんですよ。だから薬をやめるのが怖かった。あの痛みが戻ってくるなら死んだほうがましだと思っていましたから。

でも日本で死ぬのもドイツで死ぬのもいっしょかなと考えて、どうせならすでに決まっていることをしようと思ったんです。薬がなくなってもうだめかなーというとき、恐る恐る朝起きたら大丈夫だった。それでいまに至っているんです(笑)。

どうしてギターを弾こうと思ったのですか?

子どものころ、何か楽器をやりたかったんですね。でも何がいいのかわからなかった。家は特に音楽一家ではなかったから、身近に楽器はありませんでしたし。

12歳くらいのときでしたが、ある日、レコード屋でレコードをめくっていたんです。ふと1枚のレコードを手に取った瞬間、絶対買おうと。本当に偶然ですけど、なぜかピンときたんですね。それが、アンドレス・セゴビア※1が弾いたバッハの「シャコンヌ」だった。家に帰って聞いてみたら、すごく良くてね。15分くらいの曲なんだけど聞き惚れてしまいましたよ。それでギターをやろうと思ったんです。これしかないって。

それからギターを買ったんですね。

自分で小遣いを貯めてね。週に1回、教室に通い始めました。高校までサッカー少年だったんですけど、毎日必ず練習しようと心に決めて。目標は1日2時間でしたね。練習日記をつけて、練習内容を書いていましたよ。

楽器をうまく弾けるようになるためのアドバイスはありますか。

頭で考えて練習するといいですね。何を練習するのか、どこに気をつけて練習するのか、どの練習にどれだけの時間を配分するのか、を意識してやると、早く上達すると思います。

ご自身ではどのような練習をされていたのでしょうか。

私がパリで師事したオスカー・ギリア※2先生がおっしゃっていたのは、音を覚えるには3つの基本がある、ということ。「目で覚える」「耳で覚える」「指で覚える」ですね。これを同時にしなさいと。

例えば、移動の電車の中ではギターを実際に弾けませんよね。だから、楽譜を見て(目で覚える)、音を想像しながら(耳で覚える)、どの指で弾くか(指で覚える)を考えながらやっていました。楽譜1ページを1時間でマスターする、という目標を立て、徐々にスピードアップしていくんです。

コンサートで演奏するとき、ドイツと日本の観客の違いはありますか。

心の広さですね。ドイツの聴衆は、場を盛り立てるのがうまい。いい演奏をしたときはもちろんですが、例えば失敗したときでも、長い間、温かい拍手をして盛り立ててくれるんです。褒め上手で、人の失敗にはとても寛容な人々だと思いますね。

手が小さいとギターに向いていない、と言われますが。

そんなことありませんよ。プロのギタリストの中にも手の小さい人がいますし、そういう人は、自分に合ったギターを選べば問題ありません。

現在は主にどのような活動をされているのでしょうか。

ドイツのギターメーカー、ヘルマン・ハウザー※3が2005年に創設した「ヘルマン・ハウザー・ギター財団」で理事を務めており、同財団が主催する国際セミナーで教えたり、シュトゥットガルト国際ギターフェスティバルの音楽監督や世界各地で開催される各コンクールの審査員をしたりしています。また、コンサートやギター教室も開催しています。年によって違いますが、1年のうち9カ月くらいは海外にいますね。日本にも生徒がいるので、5~6回は帰国しますよ。

ギターの魅力とは何でしょうか。

構造が単純で、音色がだんだんとなくなっていく感じが、自然で心地いいんです。長い間ギターといっしょに暮らしていますから、ギターは私にとって、自分がこの世に存在する一つのきっかけになっています。

ありがとうございました。

※1)アンドレス・セゴビア Andrés Segovia
スペインのギタリストで、現代クラシックギター奏法の父、世界最高のギタリストと称される。自らギター用に、バッハのバイオリン曲シャコンヌを編曲したことで有名。それまで田舎の楽器とみられていたギターの地位を、ピアノやバイオリンと同レベルまで上げようと尽力し、後進の指導にも熱心にあたった。
※2)オスカー・ギリア Oscar Ghiglia
イタリアのギタリスト。祖父、父は著名な画家、母はピアニストという芸術一家に育つ。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学び、アンドレス・セゴビアから強い影響を受けた。世界中で後進の指導に当たっており、その優れた教授法から、数多くの優秀な弟子が育っている。
※3)ヘルマン・ハウザー Hermann Hauser
ドイツのギター製作家の名門。初代へルマン・ハウザーがミュンヘン近郊ライスバッハ(Reisbach)でギターとリュートを作り始め、自ら演奏もよくした。1924年にセゴビアと出会ったことにより、職人としての道を本格的に歩み始め、37年に製作したギターはセゴビアから「現代の最も偉大な作品」と賞賛された。現在は3代目が跡を継いでいる。
最終更新 Mittwoch, 22 Mai 2019 12:38
 

高野紀元・駐ドイツ日本国大使

駐ドイツ日本国大使高野紀元 たかの・としゆき
駐ドイツ日本国大使

1944年生まれ。66年に外務公務員採用上級試験に合格。翌年東京大学を卒業し、外務省に入省。米国、ミャンマー、韓国などへの赴任を経て、97年北米局長、99年国際情報局長、駐シンガポール日本国大使、2001年外務審議官、03年駐韓国日本国大使を歴任。05年10月より現職。

高野大使、新年明けましておめでとうございます。

おめでとうございます。

2005年10月から駐ドイツ日本国大使を務めていらっしゃいますが、ドイツに対してどのような印象をお持ちですか。

ドイツに滞在して2年になりますが、ドイツ政府や企業の方々と、率直な意見交換をしてきました。常に気持ちよく仕事ができています。第二次世界大戦の惨禍を経て、お互い経済的には世界第2位、3位の国となりましたが、最近では少子高齢化などの共通の課題を抱えています。その意味で、われわれは自然なパートナーであると思います。

初めてのドイツ駐在でいらっしゃいます。渡独前のドイツへのイメージはどのようなものでしたか。

伝統的に科学技術の発達した国で、欧州経済の中で中心的な役割を果たしていると同時に、豊かな自然に囲まれた環境先進国というイメージを持っていました。それは、実際にドイツへ来てからも変わっていません。

ドイツの見習いたい点はどんな点ですか。

ドイツ人の長期的な考え方や、計画性をもって物事に取りかかる姿は素晴らしいと思います。さまざまな社会制度がそうですし、日本も近代化にあたってドイツの制度を取り入れた歴史があります。

私はドイツの、そして欧州の学術や文化に尊敬の念を感じています。町並みはとても美しく、古い建築を修復しながら保存し、実際に使い続けていく都市計画の伝統には感心します。また、美しい自然と、それを保護していこうとするドイツ人の熱意・努力にも深い感銘を受けています。

両国の現在の関係はどのようなものでしょうか。

日本はアジアに位置する国であり、欧州に位置するドイツとは文化も歴史も確かに異なります。しかし、両国は民主主義の価値を共有する先進国家で、気候変動や少子高齢化などといった共通の課題を抱えています。この課題の克服には、技術開発やイノベーションを進めること以外に道はないという考えでも共通しています。両国が学び合い、互いの経験を分かち合うことが必要ですし、そのためにも企業・研究・学術の連携や、若者の交流を盛んにしていければと考えています。

実際にどのような連携や共同研究交流事業が行われていますか。

例えばすでに、ドイツと日本の「共同大学院プログラ ム」が行われています。これは、日本の大学院生がドイツへ、そしてドイツの学生が日本へ行って学び、マスターやドクターの学位を取得するプログラムです。

昨年10月からは、東京大学とハレ大学が共同で、社会科学分野においてマスター、ドクターコースを設置しました。また、名古屋大学とミュンスター大学も化学分野で同様のプログラムを行っています。

交流事業としては、ドイツの青少年団体と日本の団体とのプログラムや「欧州青年日本研修プログラム」などが実施されています。

昨年を振り返ると、どのような年でしたか。

政府首脳を始め、両国のさまざまなレベルでの人的交流が深まった年でした。まず1月に安倍総理(当時)が訪独され、両国がパートナーとして緊密に連携していくことをメルケル首相と確認しましたし、6月にはG8サミットや日・欧州連合(EU)定期首脳協議がドイツで開催されました。8月末には、メルケル首相が首相に就任して以降初めてわが国を訪問し、G8議長国の引き継ぎや気候変動、エネルギー等の問題、そして国際情勢について有意義な意見交換を行いました。

祝辞
昨年10月、「ベルリンの大学における日本研究120周年記念式典」で祝辞を述べる

今年はどのような活動を予定されていますか。

4月には世界最大級の産業見本市「ハノーファー・メッセ」が開催され、今年は日本がパートナー国となります。多くの日系企業が参加することで、両国の経済関係がよりいっそう緊密になれば良いと思っています。

昨年のハイリゲンダムサミットでは気候変動問題が大きなテーマとなりましたが、7月7~9日に行われる北海道洞爺湖サミットにおいても、気候変動問題を含む環境問題が主要議題の一つとなるでしょう。北海道の雄大な大自然の下で、かけがえのない自然環境を子孫の代に残すためにも、両国が協力して主導的な役割を果たすことが期待されています。

ベルリンの住み心地はいかがですか。

非常にゆったりとした都市づくりがされており、交通事情もとてもいい町だと思います。少し離れるだけで、穏やかで豊かな田園風景が広がっているのもすばらしいですね。

大使館は「ヒロシマ通り」にあります。ベルリン市民の活動によって「シュペー伯爵通り」から名前が変更され、 標識には“8月6日、最初の原爆投下”と書かれています。これをご覧になったとき、どのように感じられましたか。

日本は世界で最初の被爆国であり、第二次世界大戦後、このような惨禍は繰り返されてはならないという強い意思の下、平和国家として国際社会の中で生きてきました。その広島の名が、ドイツの中でも重視されていることを知り、感慨を持ちました。

休日はどのように過ごしていらっしゃいますか。

休日もいろいろな行事に出席することが多いですが、、時間があるときはスポーツをしたり、近郊の町をドライブしたりしています。大使館の前にはティアガルテンが広がっていますので、ときどき妻と庭園を散歩しながら四季の変化を感じ、楽しんでおります。

ベルリンにはトップクラスの芸術家が集まっています。オペラやクラシック音楽、バレエはお好きですか。

大使館から歩いて行ける距離にベルリン・フィルハーモニーがあり、世界最高レベルの演奏を聴くことも楽しみの一つです。ベルリンでは日本人芸術家も多く活躍しておられます。ベルリン芸術大学には日本から多くの音楽留学生が来て学んでいますし、ベルリン州立バレエ団では日本人のプリンシパルも活躍しています。ベルリンではないのですが、バイロイトの音楽祭やライプツィヒのバッハ音楽祭にも出かけますね。

ベルリンでお気に入りの場所を教えてください。

シュプレー川では、船に乗ってゆったりと川からベルリンを眺めることができ、違う視点からベルリンを楽しむことができます。また、紅葉の植物園も見事ですよ。

ドイツ料理の中で好きな食べ物は何ですか。

豆を煮込んだスープとアイスバインです。

ドイツビールはよく飲まれますか。

夏の暑いときに、各地の地ビールを飲むのを楽しみにしています。

読者にメッセージをお願いいたします。

現在、日本とドイツは良い関係にあり、両国が協力して互いのさらなる発展のために貢献できればいいと思っています。そのような関係にあるのも、在独邦人の皆様の日ごろの御活躍によるものが大きいですね。

最近では日本食やポップカルチャーへの関心も高いですが、日本文化の良いところをドイツの皆さんにいっそう知ってもらい、また、ドイツの良いところも吸収できたらと思います。

最後に、2008年の抱負をお聞かせください。

今年は日本でG8サミットが開催されますので、日本への関心が高まる年になると思います。両国の経済の連携、科学技術の協力、文化の交流などがさらに深まる年になればいいですね。

ありがとうございました。

最終更新 Mittwoch, 22 Mai 2019 12:38
 

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