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ニュースのかお


ビルカイ・エネイ

ビルカイ・エネイ Bilkay Öney
1970年6月23日マラティヤ(トルコ)生まれ、西ベルリン育ち。SPD所属。BW州統合相に就任。

ベルリン市議会議員として移民統合に努力してきた業績が買われ、先頃バーデン=ヴュルテンベルク(BW)州に誕生した緑の党とSPD の連立政権に“統合相”として入閣。SPDの美しいトルコ系政治家がわざわざベルリンからリクルートされたことで、BW州民から「まずご本人がシュヴァーベン方言を習ってここに統合しないと」と揶揄されている。

教師として西ドイツに派遣された両親を追う形で、3歳のときにハンブルクに移入。2年後に家族で西ベルリンへ転居し、シュパンダウ区で成長した。ドイツ人の学友たちとボーイスカウト活動もする。「私の親の世代は社会参加と子どもの教育に熱心でしたよ」。

ベルリン工科大学で経営学とメディア学を修めて銀行に就職。すぐにテレビ局へ転職し、編集を仕事にした。緑の党に加わったのはもちろん政治への興味から。子どもの頃から父親と時事問題について話し合っていたのだ。

2006年にベルリン市議会議員に当選。統合問題を担当し、荒れる移民系の子どもたちを指導してきた。「今までのマルチカルチャー政策は失敗。移民自身がドイツへの統合に積極的になるべき」と言う。

09年5月にSPDへ移ったのは、1人のSPD議員が緑の党へ移動したことを受けての相殺だった。おかげでSPD・左派連立政権の議席数は再び安定。存在感を強める結果にもなった。

新天地への不安はない。「子どもの頃、シュトゥットガルトのサッカー選手ハンジ・ミュラーに恋していたし、ベルリンでシュヴァーベン移民にたくさん接してきてるしね」と笑う。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:10
 

リンダ・ツェルヴァキス

リンダ・ツェルヴァキス Linda Zervakis
ハンブルク生まれ。公共放送ARDのアナウンサー、キャスター。ニュース番組Tagesschauの夜8時に登板する。
©NDR/Dirk Uhlenbrock

公共放送ARDが、ほぼ1時間ごとに報道するニュース番組Tagesschau。その主要時間帯である夜8時のニュースに起用されることが確実となり、1952年のスタート以来初の“移民の背景を持つアナウンサー”に大きな注目が集まっている。

移民系が集まるハンブルクのハーブルク地区で生まれ育った。両親は60年代にギリシャからガストアルバイターとして移入し、後にキオスクを開業。「典型的な南欧系の家族経営で、子どもの頃から仕事を手伝うのが日課だった」。

しかし、学業にも励んだのは「ここから出られないかもしれない不安が強かった」から。 アビトゥアを取得して広告代理店の研修生と なり、その後も「母親を1人にしたくなかったし、キオスクに他人を入れることにも不安があった」ので、ベルリンへの大学進学を諦める。

それが開運へと転じたのは3年後。番組制作プロダクションSchwartzkopff TV に採用されて編集に携わり、トークショーで司会を担当。その声を聞いた公共放送NDR(北ドイツ局)から2001年に採用され、ニュースの司会と娯楽番組のキャスターとして経験を積んだ。06年からはARD にも登場し、ニュー ス番組などで部分的な司会を手掛けている。

なぜ常にニュース番組に起用されるのかについての自己分析は、「私の声の高さと響きがニュースに適しているんでしょう」。ドイツとギリシャ、2つの国籍を持つ者としての感想は「ポテト炒めが付いたギロスのような感じ」。楽しい人だ。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:12
 

カール・ラガーフェルド

カール・ラガーフェルド Karl Otto Lagerfeld
1933年9月10日ハンブルク生まれ。ファッションデザイナー。写真家としても著名。
© Lefteris Pitarakis/AP/PA Photos

グッチ傘下で独自ブランドを展開してきたアレキサンダー・マックイーンが昨年命を絶ち、先頃はジョン・ガリアーノがヒトラー信奉発言によってディオールを去ったパリ・モード界で、ただ1人動じない孤高のファッション帝王と呼ばれている。

乳製品製造業を営む父親の下、裕福な環境で育ち、ファッションへの興味から1953年、19歳でパリに移住。イラストと洋裁を学び、国際デザイン・コンクールのコート部門で優勝し、ピエール・バルマンに採用された。続いてジャン・パトゥ、クロエへと移り、78年以降は自身のブランドを展開しつつ、現在もフェンディとシャネルのヘッドデザイナーを務める。

自他共に認めるワーカホリックで、締め切りがないと常にやり直しをしたがる。読書量も半端ではなく、蔵書は23万冊。「新作に必要なのはトレーニングを積んだ頭脳。自分にその不安はない」と豪語する。

一時体重が100キロを越えていたが、ダイエットに挑戦して42キロの減量に成功。現在は細身の黒スーツに襟の高いシャツ、サングラスと指先の出る手袋を身に着けた独特なスタイルがトレードマークになった。

89年にパートナーが病死して以来シングルを通すホモセクシュアルだが、性の趣向でデザイナーの才能を論じるのは最低だと批判。だから、わざわざカミングアウトする必要はないと言う。そして友だちとは、「そいつのために何もする必要がないヤツ」のこと。「私はマザーテレサではない」そうだ。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:12
 

ヴィンフリート・クレッチュマン

ヴィンフリート・クレッチュマン Winfried Kretschmann
1948年5月17日バーデン=ヴュルテンベルク州シュパイヒンゲン生まれ。緑の党のバーデン=ヴュルテンベルク州首相候補。
©www.winfried-kretschmann.de

3月27日に行われたバーデン=ヴュルテンベルク(BW)州議会選挙で、緑の党の州首相候補として立ち、得票率24.2%で第2党へと躍進。一方、58年にわたり州政治を担ってきたCDU(キリスト教民主同盟)は39%へと後退したため、緑の党による初めての州政権樹立を目指し、得票率23.1%のSPD(社会民主党)と連立交渉を進めている。

シュトゥットガルトで大学生活を送り、時代の影響を受けて共産系グループに属したが、ラディカルな行動とは無縁だった。生物学と化学の教職課程を修了し、77年にギムナジウム教諭に就職。関心を自然保護へと移し、同州緑の党の結成に加わって80年に州議会入り。92年まで教職と議員の二足のわらじを履き続けた。

活動するカトリック保守を自認する。ゆえにCDUに近い現実派とも評され、2002年から緑の党が率いるフライブルク市政では、党派代表としてCDUと友好な関係を築いてきた。しかし今回の州選挙では、CDUとの亀裂が表面化。同党との連立は有りえないとし、今まで信頼関係のなかったSPDと組閣の可能性を探る羽目になった。

ダイムラー・ベンツ、ボッシュ、SAPが本社を置き、電力大手EnBWが原発を操業する同州で、「必要とあらば冷酷になれる権力者タイプではない」緑の首相候補が、今後の原発問題と、住民が反対するシュトゥットガルト21(州都中央駅の都市改造計画)にどう対応するのか。過剰な期待が失望に変わる“オバマ効果”だけは避けたい。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:13
 

トーマス・デメジエール

トーマス・デメジエール Dr. Thomas de Maizière
1954年1月21日ボン生まれ。18歳でCDU入党。政治家。3月3日に内相から国防相へと転任。
©Markus Schreiber/AP/Press Association Images

2009年から第2次メルケル政権で内相を務めていたが、博士論文の盗用疑惑により国防相が辞任したことで、その後任へと移動。連邦軍は現在、海軍帆船ゴルヒ・フォックで起きた女性士官候補生事故死の解明が待たれ、一方で兵役の廃止に伴う組織改革が急務であることから、「メルケルの多目的武器」と呼ばれる新国防相の手腕に注目が集まっている。

17世紀にフランスからブランデンブルクへと移住してきたユグノー教徒の末裔であり、父ウルリッヒは戦前にドイツ陸軍総司令部参謀、戦後は西ドイツ連邦軍の大将とし奉職。彼自身もアビトゥア取得後に2年間の兵役に就き、現在も予備役将校の立場にある。平時における連邦軍最高指揮官として最適な人物と評されるのは、この背景があるからだ。

一方の学業ではミュンスター大学とフライブルク大学で法学・歴史学を修め、28歳で第1次・第2次の国家試験に合格。西ベルリン市庁に入り、CDUのヴァイツゼッカー市長(1984年に大統領に転出)、ディープゲン市長の下で行政の現場に身を置いてきた。

ベルリンの壁が開いた90年には、CDU報道官として東独の民主化促進に加わり、初の民主選挙で選ばれた東独首相、かつ実の従兄弟であるロタール・デメジエールと再会。そのときロタールに当時無名だったアンゲラ・メルケルを紹介したと言われているが、「いや、彼女は東、私は西の広報官として会ってますね」と否定。しかし、「一目で彼女には見込みがあると思いました」と言うあたり、さすがメルケルの懐刀である。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:15
 

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