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ニュースのかお


モニカ・リアハウス

モニカ・リアハウス Monica Lierhaus
1970年5月25日ハンブルク生まれ。スポーツTVジャーナリスト。2009年1月からリハビリ中。
©WDR/Thorsten Eichhorst

スポーツ関係のテレビジャーナリストとして活躍していたが、2009年1月に受けた脳動脈瘤手術の後遺症から昏睡状態に陥り、4カ月後に覚醒。リハビリによって、危なげながら歩いて話せるようになった。そのパワーが評価され、今年度のゴールデンカメラ賞で栄誉アワードを受賞。2月5日に行われた授賞式に姿を現して挨拶し、ゲストを感涙させた。

しかしショーはそれだけでは終わらず、スピーチの最後に長年のパートナーであるラルフ・ヘルガート(番組プロデューサー)を舞台に呼んで求婚。思いもかけず婚約劇の証人にさせられた視聴者の間に、驚きと困惑と批判が広がっている。

ハンブルク大学英文学部在籍中にスポーツ・ビルト紙の研修生となってスポーツジャーナリズムの世界を知り、大学を中退。22歳で民放Sat 1に入り、キャリアをスタートさせた。全国的な顔になるのは04年から。公共放送ARDに移り、ブンデスリーガの試合やツール・ド・フランスなどをリポートしたほか、オリンピックでもアテネ(04夏)、トリノ(06冬)、北京(08夏)と現地入りし、選手たちに密着取材している。

2年ぶりの登場となった今回の授賞式でのハプニング以後、注目度は衰える気配がない。それはARDが放送する公益社会事業「テレビ宝くじEin Platz an der Sonne(暖かいところ)」のPR大使の仕事を年俸45万ユーロで引き受けたからだ。しかし身体は司会を務められる状態ではなく、反発から宝くじ定期購入契約が激減。“有名人の見世物”だとする声に、どう応えていくのだろうか。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:16
 

ウド・リンデンベルク

ウド・リンデンベルク Udo Lindenberg
1946年5月17日ノルトライン=ヴェストファーレン州グローナウ生まれ。ロック歌手。執筆家。画家。
©Sven Sindt

グレン・ミラー楽団のヒット曲をカバーした『Sonderzug nach Pankow(パンコウ行き臨時列車)』で、ホーネッカー東ドイツ国家評議会議長に名指しで同国への招待を求め、それを実現したのは1983年。歌は東西分断を象徴するイベントへと発展し、昨年7月には記念切手にもなった。

そして今年1月13日には公共放送ARDから、シュタージ(東独諜報機関)に監視された当時の舞台裏を見せるドキュメンタリー「Akte Lindenberg(リンデンベルク報告書)」が放送され、ベルリンの劇場ではリンデンベルク物語とも言えるミュージカル「Hinterm Horizont(地平のかなたに)」がスタート。統一から20年を経た今、“ウド・リンデンベルク現象”なるものが起こっているようだ。

16歳でドラムを叩き始め、まずフォークロック、ジャズのドラマーとして活動。73年に自作したシングル『Hoch im Norden(北に高気圧)』以降、注目されるようになった。横柄な口調でべらんめいに歌うが、そのスタイルはバックバンド、パニックオーケストラの手堅い演奏あってこそ。76年に『Rock'n Roll Arena in Jena』で「いつそっちでコンサートを開ける?」と歌った願望を、7年後に「パンコウ……」で叶え、さらに4年後の87年には、西ドイツ訪問中のホーネッカー議長にギターを直接プレゼント。

自称パニックロッカーにまつわるパフォーマンスは数え切れない。前述のミュージカルでも、観客はウドがベルリンの壁を壊したような気分で劇場を後にするとか。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:17
 

ヴァルター・コール

ヴァルター・コール Walter Kohl
1963年7月16日ラインラント=プファルツ州ルートヴィヒスハーフェン生まれ。企業経営者。ライター。
©Jan Frommel

東西統一の歴史を刻んだ政治家、ヘルムート・コール(1930~)の長男として生きてきた半生の記録を、先頃『Leben oder gelebt werden(生きるか生かされるか)』のタイトルで出版。「党CDU(キリスト教民主同盟)がファミリーだった」父に対し、「対話を望んでも果たせなかった」息子からの訣別状とも言える内容に、波紋が広がっている。

物心がついたとき、父コールはすでにラインラント=プファルツ州の州首相だった。そのキャリアはやがて党首、さらに連邦首相へと突き進む。その過程で「妻と息子2人は幸せ家族の演技を求められ」、一方で「学友からは疎まれ、誰とも心を割って話せない」。

アビトゥア取得後に2年間の兵役を済ませてドイツ脱出。ハーバード大学、ウィーン大学、ビジネススクールINSEADで国民経済学を修め、1994年にドイツに帰ってきたときも父はまだ首相だった。しかし、4年後に権力を手放しても家族とは名ばかり。母ハネローレが色素性乾皮症でプファルツの自宅に閉じこもっても、父はベルリンを離れなかった。

父からではなく、その秘書から電話で母の自殺の報を聞いたのは2001年7月5日。08年に父が再婚したときも電報が来ただけ。親子の関係を絶ちたいのかと聞くと、父はしばらく躊躇した後に「Ja」と答える。

現在は05年に妻と起業したKohl & Hwangでドイツ・韓国間の自動車部品納入業を展開し、「父をありのまま受け入れることを学んだ」。執筆はそのためのプロセスだったのだろうか。

最終更新 Montag, 03 Juli 2017 12:31
 

ライナー・ラングハンス

ライナー・ラングハンス Rainer Langhans
1940年6月19日マグデブルク近郊オシャースレーベン生まれ。コミューン創設者。ミュンヘン在住。
©RTL / Stefan Menne

民放RTL局の番組『Ich bin ein Star - Holt mich hier raus!』(英ライセンス『I'm a celebrity, get me out of here!』)は、落ち目の芸能人11人をジャングルに隔離して課題を与え、視聴者が脱落者を選ぶリアリティ・ショー。その第5シリーズに先月参加し、若い世代からは好奇の眼差し、かつてのヒッピー仲間からは冷笑を浴びた。

トレードマークの天然パーマは栗色から真っ白に変わったが、ライフスタイルは昔のままだ。ミュンヘンの学生街シュヴァービングで生活共同体「コミューン」を始めたのは1967年。反体制運動とヒッピー文化を背景にフリーセックスを謳歌し、ヌード写真を公開してセンセーションを巻き起こす。今で言うビッグ・ブラザーのようなものである。

しかし、性革命のシンボルと言われたガールフレンドのウシ・オーバーマイヤーがコミューンから抜けた72年以後は、忘れられた存在に。以後は瞑想にふけり、ときに演技や執筆の仕事をもらって、現在も女性4人とのハーレム関係を続けている。

ただし、全員住まいは別々。自分の29㎡のアパートは狭くても気ままだし、住宅補助があるから年金受給額207ユーロでもやっていける。それでもリアリティ・ショーへの依頼に応じたのは、出演料5万ユーロの魅力のほかに、実はかなりの出たがり屋だからだ。

ジャングル生活2日目に与えられた、棺の中でゴキブリ3万匹に耐える課題は難なくクリア。さすがヒッピー教組と称えられると、「コミュニケーションは愛」とうんちく。視聴率アップに貢献したようである。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:23
 

スバンテ・ペーボ

スバンテ・ペーボ Prof. Dr. Svante Pääbo
1955年4月20日ストックホルム生まれ。スウェーデン人。古生物遺伝学者。ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所で遺伝学部門を率いる。
©ECKEHARD SCHULZ/AP/Press Association Images

「このDNAは未知のヒト属である可能性を示しています」と、慎重な表現で研究を発表したのは昨年3月。シベリア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で発見された、わずか7ミリメートルの指の骨が本当に別系列の人類のものかどうかは、まだ確認できなかったのだ。

しかし12月、発見地から命名されたその「デニソワ人」は、絶滅した旧人類ネアンデルタール人との共通先祖から分岐した兄弟種にあたり、同じく絶滅したが、遺伝子は現生人類との交雑によってメラネシア諸島の現代人に伝わっていると発表、世界を驚愕させた。

1982年にノーベル医学賞を受賞した生化学者、スネ・ベリストロームを父に持つ。ウプサラ大学でエジプト学、ロシア語、科学史、医学を学び、86年に分子免疫学で博士号を取得。カリフォルニア大学で研究を進め、90年にミュンヘン大学から生物学教授へと招へいされたのを機に、ドイツ在住者となった。

楽しくてたまらないといった表情で話す。その顔がメディアに頻繁に登場するようになったのは、06年にネアンデルタール人のゲノム解析計画を発表してから。昨年5月には、アフリカ以外の現生人類にネアンデルタール人が数%混じっていると報告、騒ぎを呼んだ。

つまり、40万年前にアフリカを出た集団がネアンデルタール人とデニソワ人に分かれ、6万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは中東域でネアンデルタール人と交雑して東西に拡散、うち東南アジア方面へ進んだ一派がデニソワ人と出合い、3万年前に交雑したとのこと。古代ロマンの世界だ。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:24
 

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